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管理人は、アメリカ南部・ルイジアナ住人、伊勢平次郎(80)です。
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08/10
玄米食の宿、、(放浪その26)
伊勢は42歳で結婚するまで、人生に全く計画がなかった。計画性らしいものはあったが夢を追っていた。大体、一定の場所で一定の職業に就かなかった。出会う人間によって方向も収入も変わった。日本の日本人には起きないことがアメリカでは起きた。今想うと、玄米食は一時的な雁の宿だった。従って、キャサリンは、玄米食では唯一のガールフレンドだった。どうして別れたのかはっきりしないが、結婚しなかったからだと思う。彼女も結婚したいと言わなかった。ただ、伊勢の面前に日本人の女性が現れ日本語で話していたとき、キャサリンは自分は日本人になれないと悟ったようだ。ところがそのS子さんも、ローラが現れたとき、伊勢との結婚はアメリカでは無理だと日本へ帰って行った。

ロッド・ハウスの雁の宿に、デレックという若者が加わった。デレックはベトナム帰還兵というかサンフランシスコのラリーのように「兵隊に適しない」と判断されて兵役を解除された。デレックは朝早く起きると、ランニングシャツに黒いパンツを履いて、鎖の着いたヌンチャックを手に持って庭に出た。香港映画「エンター・ザ・ドラゴン」見てから、ブルース・リーがデレックの神様だった。一方、ロッドは地下室で筋肉トレーニングをやっていた。髪の毛の長いヒッピーたちがロッドを師匠様と呼んで、筋トレに加わった。デレックの弟子になる者もいた。

玄米食はフランスのパリでも広がっていた。フランス人は柔道、剣道の高段者が多くいる。パリから一行がボストンへやってきた。一週間の合宿だった。朝が明けると、ボイルストンからビーコンの丘へマラソンに出かけた。ミチオ先生のセミナーに出て、ボストンを満喫した。

夕方、フランス人の柔道家3人がエキシビジョンをすると大勢が集まった。デレックが前席に座って見ていた。ひと通り演技が終わると、「どなたか相手になりませんか?」と訊いた。数人が手を挙げた。柔道着に着替えると立ち会ったが相手にならない。デレックが手を挙げた。デレックを知らない者はブルース・リーかと思った。デレックが若い選手と向かい合った。審判が手を挙げた。

「持っている技を全部見せろ!」とデレックが言った。ふたりが襟を取った。ズッド~ン。背負い投げが決まった。デレックが畳の上に伸びていた。

10月に近着いていた。キャサリンが雁の宿のみんなで二日間、海岸へ行くと言った。朝、ガールたちが玄米を炊いて、14人分の梅干しのおにぎりを作った。醤油、砂糖、麦茶、やかん、フライパンを持って行った。海岸近くに魚屋があった。海老、鯛、このあたりの海に多いロック・コッドという鱈を買った。夏の家に着いた。家というよりも英国風の両開きの窓のある館だった。キャサリンがワンピースの水着を着ていた。黒い網で出来ていて、下部だけに布があった。日本人が考えない何かがいい。「ママがイタリアで買ってきたのよ」と言った。早速、海に入った。海の中でレスリングをやった。キャシーは力が強かった。伊勢に抱き着くとクチに舌を入れてきた。唇を放すと、伊勢の目をジーっと見た。

「ワット?」
「ノブは、S子が好きなの?」
「いや、別に」
「離れのメイドルームを取ったの。二人だけで居たいから」

~続く~

08/09
トランプの私邸にFBIが突入、、


日本の報道は幼稚と言うか無能なんだね。アメリカの報道では、月曜日の午後6時、FBIが、フロリダのトランプの豪邸であるマー・ラーゴに押し寄せて、金庫をこじ開け、15個のボックスを押収したと報じている。中身はホワイトハウスから持ち出し禁止の書類で、トランプは米国議会に返すよう一年以上も要求されていた。トランプは、「FBIが前大統領の私邸を襲った。アメリカ史上にない暴挙だ。俺を立候補させない民主党の陰謀だ」とわめいている。この公開禁止文書の中には、トランプがフェイクの選挙人を立てて、自分を大統領選の勝者にする計画が記録になっている。もう一つ、2・6日の議事堂乱入事件のホワイトハウス・スタッフの記録がある。公文書を隠したとなり、連邦法違反で有罪になる可能性が高い。伊勢
08/08
トピックス、、
伊勢の回想録はネームを想い出すのがたいへん。女性たちの姓名はくっきり。男友達も大体覚えている。自分のペースで核しかないので、時々、トピックスを載せますね。

防衛省が台湾有事や尖閣紛争のときの趣味レーションを公開。大歓迎です。文民統制は基本であっても、武器を持って、戦闘するのは自衛隊です。アメリカはど素人の防衛長官を選ばない。当たり前だけど、日本はそうではない。一体、何を考えているのか理解し難い。岸田文雄は首相になってから現場の自衛隊を訪問したのか?国防に関心がないように思える。中国人にも戦闘機は操れるが、実際、空中戦をやったことがない。海中の潜水艦の搭乗員は溺死する自分を想っているはず。日本人は兵隊に向いている民族。ひとつに「皇室を守る」という観念がある。これは、「日本を守る」ということでは、日本人は結束しているということです。ま。安倍のような国を売った首相がいたが。

伊勢はアニサキスにこう思う。第一に日本人は古来、魚を食べて生きてきた。今、動画で寄生虫の危険や取り除き方が紹介されているが、それは科学教育だから歓迎する。1)魚を丸ごと買って、刺身で食べないこと。2)知られた寿司青木、次郎寿司などは主人がが責任を持って寄生虫を取り除いている。けど、回転寿司は怪しい。3)冷凍してあるから食べても大丈夫と言われても、寄生虫を口に入れるのは気持ちが悪いから、賛成できない。4)築地の魚の卸屋の大手はアニサキス、ブリ線虫を作業で取り除いて出荷している。刺身用は冊(サク)でしか売らない。5)寿司を出すお店は、印象を恐れないで、表示するべきです。







みかん、富有柿、きゅうり。クチナシが咲き、ジャズミンが垣根を乗っ取り、バラが咲いている。

08/07
郭公の巣、、(放浪その25)
筆者は、アメリカの女性をみなさんに知ってもらおうと頭をひねっている。アメリカを旅行しても、留学しても、関係を持って、別れて、彼女たちに謝りたい伊勢の気持ちはわからない。キャサリン・ボブコースキーはそのひとりである。彼女は、ニューヨーク生まれ。パパはポーランド人で、ママはイタリア系だった。伊勢が料理教室で会った年の春、キャサリンは、有名校クーパーユニオン美大の造形科を出た。だが、教師にも、美術館員にも興味がなかった。多感な性格がべトナム戦争に賛成出来ず、逆にラジカルになった。だが、彼女は、ポーランド人とイタリア系の混血。この両民族は過激な性格じゃない。静かに闘う性格。自由主義者の彼女が、玄米食と座禅に傾いた気持ちがよくわかった。山本先生も、ミチオ先生も自由主義者だった。両先生は、「負けるが勝ち」を決めていた。個人をコントロールする政府、自然を破壊する大企業と闘うために玄米食運動に一生を捧げた。伊勢はこの先生方に反抗した。だが、心の大きい先生たちは怒ることがなかった。

伊勢は、1976年、オスカー賞をアメリカ映画史上、最も多く受賞して、アメリカ議会がアメリカの映画として33位を決めた「郭公の巣の上で」という映画に目覚めた。今思うと、これが、山本先生、ミチオ先生、キャサリンの闘いだったんだと。「カッコーの巣の上で(One Flew Over the Cuckoo's Nest)」は、ケン・キージーが1962年に発表した同名のベストセラー小説。精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男が、患者の人間性までを統制しようとする病院から自由を勝ちとろうと試みるストーリー。作者はアメリカ政府が使用を許可したLSDを飲んで幻惑の世界を見た。精神病院がベトナム帰還兵の治療に使っていると知って、記事を書いたが効果がない。そこで、ノベルを書いた。はじめ、ヨーロッパで賞賛された。ベストセラーになった。映画も興行成績1億ドルを超えたが作者は映画を観ずにこの世を去った。これが、ディープ・ステート陰謀論なんです。陰謀はあったし、巨大銀行、石油カルテル、防衛産業を見ると、今もあると思うね。ただ、大衆が気が着いているので限界がある。

28歳の伊勢は所持金$4000ドル弱を持って、キャシーと同棲した。キャシーは23歳で薔薇の花が咲いたように美しかった。彼女はそう思っていなかったようだ。それは、奔放なセックスに現れていた。伊勢は、ジョージアに強姦されていたが、キャシーは伊勢を教育した。

セミナーが終わったある日、キャシーが湖へ行って「泳ごう」と言った。

「かたずけしないでいいの?」
「いいのよ、私は家政婦じゃないから」

キャサリンーは真っ裸になっで湖に走って行った。伊勢も全てを脱いだ。湖底に貝がいた。拾ってみた。アサリじゃない。草の上に寝袋を敷いて休んだ。キャサリンの恥部を黒い毛が覆っていた。茶色の大きな眼が伊勢を見ていた。伊勢は周りが見えなくなった。伊勢は種馬のようになって、彼女に馬乗りになった。すると、簡単にひっくり返された。

「キャシー」
「シー、ドント、トーク」

攻撃が終わるとキャシーは上向きになり、伊勢の手を引っ張った。

明治時代、アムハースト・カレッジを卒業した飯島譲は日本へ帰り同志社大学を作った。マサチューセッツのなだらかな丘陵、針葉樹の森は学園に向いていた。WOKという中華料理屋があり、学生の人気を集めていた。マサチューセッツの学園都市に欠けているのは、爆発するような文化の発信地ニューヨークのエネルギーだった。伊勢はアメリカ人ではない、最も重要な英語もまともでない半端な存在。技術もない。カネもない放浪者なのだ。将来が未知の学生が集まるボストンの環境が合っていた。

キャシーは、ミチオ先生の弟子となって、セミナーのスタッフになった。伊勢は、ボストンで仕事を探した。ボストンは富裕な階級と親のカネで大学へ行く学生の街だった。著しい発展を続けるサンフランシスコを想った。そんなときにロッド・ハウスに会った。ロッドはボストン大学で絵を教えていた。娘がいたが離婚していた。玄米食を信じ、侍が好きなので、眉を剃って、墨で眉を描き、髪をチョンマゲにしていた。家を買って、ヒッピーを住まわせていた。正座して行儀の良いキャシーと胡坐をかいた伊勢を見てロッドはニコニコしていた。ミチオ先生のスタッフ、キャシーと日本人のノブは特別だと家賃を半分にした。伊勢は髪を長くすることにした。

~続く~

08/06
フェミニズムに直撃される、、(放浪その24)
フェミニズムと言われる女権運動はいつ始まったんだろうか?伊勢がハワイに着いた1967年の女性は一昔前の女性だったと思う。慎みも、はじかみもあった。男が徴兵された時代だったからだと思う。ポルノというワードも、ポルノ映画館もなかった。ポルノ映画館が出始めたのは、べトナム戦争後だった。以前には法律があったのだろうか?ポルノ解禁に「あっと」驚いたわけではなく、自然にそうなっていた。フェミニズムは伊勢が想像していたものではなかった。男女同権などと言うものではなく、アメリカの女性が開き直ったということなのだ。

キャサリンは、和風の割烹着を着て、おなかの下に手を合わせ、丁寧にお辞儀した。ヨーロッパ人だと思った。天衣無縫なジョージアと違う。キャシーは漆黒の髪を坂本龍馬のように束ねていた・インスインスが長く、太く、大きなブラウンの眼で見つめられると、周りの人が見えなくなり、たった二人だけの世界になった。割烹着を着ているので、小柄に見えた。

料理教室はセントラルパークが見える八番街と72丁目の角にある「ダコタ」と呼ばれるビルの一室でやっていた。門衛がいて、驚いたが理由は最上階にジョン・レノンとヨーコ・オノが住んでいたからだ。パチパチパチと握手が沸いた。山本先生が黒板に白墨で書いた「マクロ・バイオティック」という文字で始まった。魚介類は好しとするも肉を禁止していた。ミートと言わず、レッド・ミートと言った。「ジョージ・オオサワ」と山本先生が言った。玄米食運動の創始者だった。肉食をやめて、穀物、そば、野菜のシンプルな食習慣は現代の複雑な環境を生きるのに適していると座禅と一緒に教えた。参加者は豆本を持っていた。玄米教ではないが、その豆本は聖書なのだ。1ページ目に陰陽五行説の図が書いてあった。キャシーが新聞を配った。東西ジャーナルと言う玄米食運動の機関紙で発行人は、ミチオ・クシ。眼鏡をかけた痩せた人で学者風だった。玄米食運動の本部はボストンにあった。

「みなさん、毎年夏に、行うキャンプは、今年はマサチューセッツのアムハーストカレッジのキャンパスで開きます」と山本先生が新聞の広告欄を指さした。宿舎はカレッジの学生寮だった。セミナーは7日間。参加費は$200ドル。

「ノブ、来る?」とキャシーが伊勢の目を覗いた。カネが無いと言うと、キャシーの助手ということで無料になると。すると、キャシーは山本先生の助手で、伊勢はキャシーの助手なのだ。「おおらかだなあ」と感心した。

七月、伊勢はビレッジのアパートを引き上げた。ボストンに住んでみようと思った。この移動が伊勢のライフを形作った。

~続く~
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