06/28 | ![]() |
菅オバマ初会見の評価 |

トロントで行われたG20の最後の日、菅とオバマは初会見した。まず、オバマは、日本が送ったメキシコ湾原油流出作業用具に感謝を述べた。ついで、北朝鮮の挑発を共同で批判した。菅は、沖縄普天間飛行場移設を合意通りに行うと言ったが、具体的な内容に触れなかった。菅は沖縄の負担軽減の協力をオバマに要請した。オバマは、11月に日本で行われる経済サミットに出ると言った。伊勢平次郎 ルイジアナ


北朝鮮は劣等国

“アメリカが全ての問題の元凶だ!”と行進する北朝鮮軍。金正日は脳梗塞が進み言語障害が出ていると報道された。間もなく政変が起きる。何が起きるか判らない精神状態だ。米韓軍は準備を進めている。一気に崩壊するのか?ジリ貧のまま数年は経つのか?いずれにしても、沖縄の米軍基地ほど重要な戦略基地はない。日本に出来ることは基地を提供することぐらいである。
(解説)鳩山が沖縄県民を欺いたことは明白だ。それも、票を得る意図を持ってである。鳩山は、しゃあしゃあとしている。代わった菅も実は同じ穴の狢(狢)である。沖縄県民は、“あんたと結婚するから”と客にだまされた娼婦のようなもんだ。貢いだ挙句にほかの女とトンズラ、、
八月待つまでに、辺野古湾埋め立て工事の工程を提出することになっている。その合意は守れない。そのときになって、「ウソ菅」はどう言い訳するのだろう?オバマとヒラリーは、菅バッシングをするだろう。その手はずは在京米大使館のルース大使が担当する。ジリジリと菅民主党を火炙りにする。日本などの島国で反米政権?潰されるよ。伊勢平次郎
(おまけ)北朝鮮の政変をWPが報道。コメントはたったの41。いかに関心がないかが判る。在米韓国人は記事を読まないことも判る。なぜなら「劣等種」に反撃しなかった(笑い)。伊勢
iseheijiro wrote:
Kim Jong il seems to be losing his sense of reality. He utters nonsense and can't even complete a sentence the South Korean agency reported. Koreans, North and South are inferior species. Historically they have never been good citizens of the world.
6/26/2010 8:59:20 PM
Recommended (2)
一方、マクリスタルの反乱に投稿すると反響があった。
iseheijiro wrote:
It's not about civilian vs uniform. Wrong war! Don't you get it?
6/27/2010 4:00:17 AM
Recommended (7)
iseheijiro wrote:
I listened to Obama's speech regarding replacing his generals. I was disappointed when I heard that Obama is still thinking of winning the war which Bush lost years ago. In November 2001 this war had strong public support and with this support Bush did not win. Why Obama thinks he can win the war when the public is no longer supporting? Americans have lost confidence in President Obama. He has been handling our economy poorly, oil spill still going strong after two months and the two wars have not been improving at any rate. The best he can do to save American lives and treasury is to stop these wars immediately. Listening to his speech I know he does not have that courage.
6/27/2010 3:03:50 AM
Recommended (3)
06/26 | ![]() |
一億総評論家とはなんだ! |

今さっき、ウチの大尉殿はホノルルに着いた。ヒッカム空軍基地の兵隊をミネアポリスに空輸するためだ。この写真はコーラウ山脈に面したワイキキ・ヒルトンのベランダからの写真だ。IPHONEなので小さい。下に運河がありその向うはホノルル市営ゴルフ場。山に向かって、ケアモク通りがあり、突き当たりがマノア渓谷のハワイ大学である。伊勢爺は青年の頃に天台宗ハワイ別院にお世話になった。荒了寛先生ご夫妻や、信者の方々、一遇会の会長さんにお小遣いをらったのを懐かしく想い出す。ああ、今東光先生のお説教を忘れてはいけない。“汝、失望するなかれ!”と仰っていた。“君は坊主には向かない~坊主ほど怠け者はいない~経済で大きくなれ”とね(笑い)。伊勢平次郎 ルイジアナ


一億総評論家とはなんだ!

先月末、那覇から名古屋のセントレアへ飛び帰り~伊勢志摩の故郷の丘に埋葬された義姉のお墓に参った。英虞湾の景色は昔と変らなかった。黒潮の太平洋が見える御座岬も美しかった。向かい側に浜島が見える御座の漁港では「小ガツオ」が揚がっていた。これほど見事なリアス式の湾は世界でも珍しい。横山展望台へ連れて行ってくれたタクシーの運転手さんは、亡くなった弟の中学の同級生でマラソンチームのメンバーだったと言われた。“どうして判ったの?”と訊くと、“お電話で賢島の尾崎さんって仰ったから”とだった。わが父母兄姉弟、、全て戦後からわが家によく遊びに来たので知っていると。精悍だった弟の想い出で、Mさんは言葉が詰まった。このように伊勢の人たちには優しい性質がある。記念写真を撮った。展望台の下の林では、鶯がホーホケキョー(法華経)と鳴いていた。
名古屋駅の新幹線の待合室で珈琲を飲んだ。日本の珈琲はだいたいフレンチ・ブレンドのようだ。上等の背広や仕立てのいい洋服のサラリーマン風の若い男女が特上弁当を買って食べていた。全く話し声はない。戦後間もなくの名古屋駅で弁当は買えたが、ソボロか佃煮がおかずだった。汽車は蒸気機関車で名古屋から東京まで7時間もかかった。時代は変った。日本人も変った。変ることはいいことかも知れない。
新幹線が出ると車内販売の女性がやって来た。隣に座った体格のいい紳士はビールを頼んだ。“何にしますか?”“恵比寿”、、60台だろう。その精力的な厚い口で、缶ビールを美味そうに飲んだ。丸刈りの昔よくいた関西の社長さんという風体だった。“あなた、社長さんでしょう?”“ええ?どうして判るの?”“サラリーマンに見えない。ネクタイ緩めて、股開いて、恵比寿一気に飲んで、堂々としてるから”と言うと、は、は、は と大声で笑った。
“隣のご婦人はアメリカ人のカミサンでっか?””そうです。沖縄の米空軍基地を訪ねたんですが、戦争準備をしてましたよ”“ほう、東シナ海に空母を出したんですか?一発やるんかな?”“韓国次第でしょう”社長さんは、中国の広州からセントレアに着いて、今から横田へそのまま出張する途中と言ったので、広州ホンダだなと直感した。だが、詮索はしなかった。
“戦後の日本人は、車内でよくしゃべったけど、最近の人は静かですね?”“あなたのようにオープンに他人に話しかける人は少ないんだよ”と笑った。“日本人は鎧を着ているんですね?”“そうそう。だけども、日本人はしゃべり出したらよくしゃべるよ~!”と大笑いされた。“若いのが、全く知らない人を刺したり、殴ったりするようにもなった”と。“それにね、一億総評論家って言うんだよ”と関西の社長は大笑いした。
(解説) 解説なんか何にもない。“評論家にはなるまい”と決心したという噺です。伊勢平次郎
06/24 | ![]() |
ついに、アメリカ国民はオバマに失望した |

アフガニスタンから呼び返されたマクリスタルは、今朝、ホワイトハウスに入った。オバマとの会談は10分だった。ウチのが、“ノブ、どう思う?”と訊いた。“そうだね、バイデンすらも同席しなかったというと、叱責ではないな。辞任だろう”と答えて、そのように宮崎正弘先生にメールした。午後に速報が流れた。
ここから、2001年11月から続いた9年余に及ぶ米国のアフガニスタン介入の終焉が始まる。オバマは「敗戦した大統領」となる。アメリカ国民のオバマに対する失望は大きい。伊勢平次郎 ルイジアナ


The Wall Street Journal

Americans are more pessimistic about the state of the country and less confident in President Obama's leadership than at any point since Mr. Obama entered the White House, according to a new Wall Street Journal/NBC News poll.
The survey also shows grave and growing concerns about the Gulf oil spill, with overwhelming majorities of adults favoring stronger regulation of the oil industry and believing that the spill will affect the nation's economy and environment.
青い人間の指導

オバマは青い人間だ。理性を失う可能性が高い。怒りを日本の青い連中にぶつけるであろう。
性格の弱い指導者

(解説)なんでもかんでも皮肉るつもりはない。だが、オバマは機会主義者だ。ああいえばいいだろう~こういうしぐさが好かれるだろう、、舞台俳優だと言われるゆえんである。だが、三軍の最高司令官に必用な「決断力」がない。カーターによく似ている。兵役に就いたこともない青い人間である。
~~~
ボンコもオバマに失望か?

ボンコさんも、一緒にオバマのスピーチを聞いていたが、グウグウと寝てしまったよ(笑い)。伊勢平次郎
06/21 | ![]() |
カリホルニア新幹線 |

先月、新幹線で東京から名古屋へ行った。1時間40分で着いた。セントレアから那覇に飛んだ。沖縄から名古屋に戻って、近鉄で伊勢志摩の旧家に帰った。実に日本の陸空の交通網は素晴らしいと思った。この写真は旧型だと思う。乗った新幹線は流線型だったから。伊勢平次郎 ルイジアナ


カリホル二ア新幹線
(ブルームバーグ)バラック・オバマの高速鉄道計画の助成金第一号であるカリホルニアの、ロスアンゼルス~サンフランシスコ間を走る弾丸列車の入札が視野に入った。入札完了を2011年末とした。
高速鉄道製造会社10社と建設会社の入札(テンダー)を受け付ける。2012年の新春に工事を開始する計画である。カリホルニア高速鉄道管理局の話しでは、この二都市間の距離432マイル(691キロメートル)を2時間40分で走るのだと。
高速鉄道計画は、シュワルツネガー知事が推し進める最も人気の高い計画だ。フリーウエーの交通渋滞~陸空の排気ガス汚染を減らすことが目的だ。オバマは、今年の正月に$80億ドルの助成金を全米高速鉄道計画に計上している。入札に参加するのは、ALSTOM・SA~日本のJR東~中国南方鉄道などである。最終計画は、メキシコ国境のサンディエゴを終点とする、800マイル(1280キロメートル)を完成することである。
2012年の初頭に建設工事を開始して、2020年に完成する。資金であるが、連邦助成金が28億ドル~そこへ、カリホルニア高速鉄道債100億ドルの発行が決まっている。本年末までに入札は終わる。
現在、サンフランシスコ~オークランド~ロスアンゼルスを走っているAMTRAKは、12時間もかかる。車の二倍の時間なので、自動車の排気ガスの対策になっていない。一方のエアラインは、客を失う。だが、フライトの2時間も前に空港へ行き~チェックされ~着いた空港からダウンタウンへ行くのはかったるいと。
日本の新幹線が注目されている
US運輸長官のレイ・ラフート(トヨタを苛めた男だが)が、5月、東京へ行った。JR東を訪問して、電磁力鉄道に乗った。ラフートは、JR東の入札の中に、カリホルニアにおける列車製造工場建設を入れて欲しいのだ。日本政府の運輸大臣(国土)の前原誠司は、今年中に二度目の訪米を計画している。勿論、新幹線を売り込むためである。
日本の新幹線は、時速320KM(199MILES・PER・HOUR)である。USで最も早いAMTRAKの、ACERAは、ALSTOM・BOMBARDIA社製であるが、150マイルしかスピードが出ない。
日本の新幹線は海外入札で勝っている。川崎重工は、150億ドルの台湾新幹線建設を請け負った。日立製作所は、ロンドンと南部イギリス地方を結ぶ高速鉄道の電気機関車や車両を納めた。
中国の運輸省は、ゼネラル・エレクトリック社と組んで入札に勝ちたいと、昨年11月に契約を終えている。
日本の新幹線だが、1964年に完成してから、3億800万人の乗客を運んだ実績がある。飛行機の三倍~AMTRAKの10倍の利用者である。
(解説) JR関係者は、“別に儲からなくてもいい~日本が世界に認められるんだから”と語っている。実は儲からないわけではない。メンテナンスと部品は大いに儲かるのだ。つまり「保全」だ。ここは、自動車業界と同じだ。
伊勢爺は、“日本が入札に勝つだろう”と思っている。理由は、1)日米同盟の絆である~2)日本の技術と信用度である。前原誠司の功績ではない。安く落札するというのでもない。
普天間が障害となる
一見無関係に見えるカリホルニア高速鉄道計画にも問題が残る。それは、普天間飛行場移設だ。菅直人が仲井眞沖縄県知事説得に失敗し~当該県知事が名護市長説得に失敗するであろうことだ。または、説得がようやく出来たとしても、基地反対抗議団体が海上で阻止を強行し~海上保安庁などともめることだ。米政府というのは、米国国民の代表なのだ。日本の政治に厳しい、W・ポストなどでも、日本の新幹線に好意を寄せている。だが、沖縄県民が米軍を貶めるだと?実にサヨクってのは、マイナス集団だ。言っておきたいが、伊勢爺は右翼でも保守でもない。だが、最も日本のサヨクに遠い男だ。その最大の理由は、1)日本のサヨクは、自主防衛の気概を持たない劣等種である~2)“競争したくないが、分配には預かりたい”というサモシイ人種だから(笑い)。伊勢平次郎
06/19 | ![]() |
人間、誰しもカネが欲しい |

亭主なら、“あんたは、稼ぎが足りないのよ!”と妻から言われたくない。世界でも豊かなはずの日本。“嗚呼!カネ欲しい!”と思う人は多い。心理の問題なんだが、失業したら心理もヘッタクレもない。本日は、ニューヨークの株価から見た世界経済を一考してみよう。伊勢平次郎 ルイジアナ



これが過去5年間のダウ工業株平均だ。リーマン破綻の大暴落の跡が残る。USの住宅バブルは、サブ・プライムローンの支払い不履行に始まって弾けた。問題はそこで終わらなかった。不動産ローンを証券(MBS)にして再販していたからファニーメイなどの半官半民の住宅金融公社(住専に似ている)は累積赤字に青くなった。これまだ解決したわけではない。結局、二つの公社を解体するだろう。
USの住宅は25%~35%も下落し~株価は、ごらんのとおり、2007年11月~2009年3月の期間下げ続けた。トヨタのようなブルーチップスでも、35%~50%も下落した。つまり、米国市民は純資産の25%~50%を減らした。ご存知、失業者は9.7%から下がらない。逆さまに、企業は人員を減らしているのだ。
だが、経済回復(景気回復ではない)は、このチャートを見ると、明らかである。では、投資家なら、“もうリーマンは起きないのか?”と疑問が残る。米議会は、EUなどの苦情によって、証券販売規制を討議し始めた。リーマンの破綻を知っていたゴールドマン・サックスや、AIGは、“デリバテイブを規制されると、一夜にして香港などに投資資金が逃げて行く”と米議会で言って、失笑を買った。伊勢爺はリーマンや銀行ローンの焦げ付きはもう起きないと思っている。だが、ギリシア国債の破綻にみるように、PIGSの、USの、日本の国債も危険水域に入ったとも思っている。国債発行を引き締める(AUSTERITY)か?ここは、その人の経済観念で違ってくる。“バランス・シートが読めないのかオマエ”という国債増発組は、“国家が借金して、ジャブジャブ、カネを流せ!”と言っているわけだ。しかし借金は国家であれ、個人であれ、必ず返済義務があるものだ。
ともあれ、「ニューヨーク株価」が経済指標であることは明白だ。証券再販や住宅バブルを起こさなければ、緩やかに、US経済だけは間違いなく回復する。だが、昨日、グリーンスパンが言ったように、“財政引締めをやらなければ、貸付金利が高騰する”と公的資金バラマキのオバマ政権や、金利をいつ上げようかと思案しているFRB議長のバーナンキに警鐘を鳴らした。そのために、ウオール街は神経質になった。米国債の格付けが「ノッチ」と言われる「下げ」に入れば、世界経済は頓挫する。ところで、「オバマのバラマキの半分は、国家の資産を焼き捨てたと同じだ」と、、日本の民主党にもこの体質がある。伊勢平次郎 ルイジアナ
06/18 | ![]() |
凡子がやってきた |

凡子(ボンコ)さんは、1歳6ヶ月、赤毛のハウンド・ドッグ。"You aint nothing but a hound dog"は、エルビス・プレスリーのヒット曲。オーナーが母親の介護のためにカリホルニアに移住した。セント・タマニー犬猫保護協会は飼い主を募集していた。わが家の一員となった。左は柴犬チクデン。ちなみに、注射代金~登録チップス~寄付金の合計で200ドル。たいへん優しい~従順な性質ですよ。でもさ、この写真撮った女性は下手ですねえ~!(笑い) 伊勢平次郎 ルイジアナ


国家解体政党
衆院選の政策集には、「永住外国人への地方選挙権付与の早期実現」など、問題の多い内容が含まれている。今回、政策集の発表を見合わせた結果、これらの政策が今も生きているのかどうかが、まったくわからない。民主党は、こうした疑問点について、速やかに説明すべきだ。(読売)
菅直人は生来の嘘つきだ。“Pathological・Liar”という血液の中に「ウソ」が混入している男だ。まず、国旗を軽視し~君が代は嫌い~在任中、靖国には参らないと公言している。こんな精神の男が首相になる?母体の民主党そのものを倒壊させるしかない。一方、自民党総裁の谷垣という人は性格が弱い。50台の人の出番だ。伊勢平次郎 ルイジアナ
06/16 | ![]() |
“目には目を”北朝鮮の魚雷 |

北朝鮮の魚雷が展示された。北朝鮮の保護国・中国は“北朝鮮のものとは断定出来ない。よって北朝鮮を名指しにした国連による北朝鮮制裁決議には反対する”という詭弁を使っている。これによって、中国が自国の経済と軍事力だけに興味がある国だと判る。しかし、李明博にとっては、国軍の掃海艇が魚雷で撃沈されたのである。最高司令官の決断がテストされる。伊勢平次郎 ルイジアナ


熱しやすく、冷めやすい

韓国海軍の掃海艇が撃沈された直後、韓国民はその激高しやすい国民性から、“戦争だ!”と騒いだ。だが、やがて、地方選の票を数えてみると、反対党に入れた。“李明博は過激だ~北朝鮮と話し合うべきだ”というのだ。
この豹変をGripenさんに聞いてみた。韓国内には、盧武鉉・前大統領の支持者が半分だと。北朝鮮からカネを貰っている労組のボス~教員組合~一般人の韓国民も北朝鮮側で働く工作員(Sleeper)が存在するのだとです。
この国内事情を李大統領が知らないはずがない。李明博は国連に話しを持って行った。それが、大きな間違いなのだ。国連は、PTA(父兄会)なのだ。PTAが一国家の防衛に力を貸すわけがない。特に、北京は平壌の保護者なのだから。李大統領は国軍の最高司令官であることを自覚しなければいけない。以下が、伊勢爺なら、という手順である。
1)韓国軍参謀本部・作戦部と会議を開く。
2)国連に北朝鮮制裁決議を求めない声明を出す。
3)掃海艇が撃沈された海域で魚雷発射訓練を実施する。
4)北朝鮮の艦船を追尾する。
5)魚雷を撃ち込む。
これが、出来ないならば、李明博は大統領を辞任すると良い。
(解説)北朝鮮国連大使は“制裁決議を出すなら、軍事行動を起こす”と恫喝している。まあ、ここ半世紀ほど同じことを言ってきたが(笑い)。行動しなければ、李大統領は指導力を失う。北朝鮮の艦艇に魚雷一発お見舞いすればいいだけだ。
沖縄はもっと重要な政治問題だ。米軍基地負担率を下げるように、日本人全体が「賛成反対」ではなく、解決法を考えるべきです。「自分には無関係~何も出来ない~誰かがやればいい」という態度を、“Indifference”という。敗北主義の観念である。日本人には、こういう人間が増えていると感じる。伊勢平次郎 ルイジアナ
06/15 | ![]() |
沖縄の選択肢 |

ANAのボーイングは那覇空港に南西から接近した。本土より早く梅雨に入っていたが、滞在中、雨は降らなかった。面白いことに、沖縄のお婆ちゃんたちは、黒い蝙蝠傘を肩に担いで歩く。マクドナルドなどのエアコンの効いた店の一角を陣取っている。語りかけてきたが、全く分からない。外国語に聞こえた。だが、恵隆之介先生のご本に、万葉時代の古語であると書いてあった。1958年にアメリカで出版された「沖縄」というぶ厚い本を取り寄せた。ハワイ大学マノア校の教授さんが書いている。多分、ハワイに移民した沖縄人のご子孫と思う。1853年、ペリーが那覇港へ上陸して、無礼にも、お寺の境内に星条旗を立てた。その絵にある琉球人はシナ服のような着物を来ている。温和な顔立ちの人々である。やはり、大きな唐傘を担いでいる。伊勢平次郎 ルイジアナ



沖縄本島の位置が世界でも有数の戦略的重要性を持っている。中国大陸を封じ込めるように立ちはだかっている。米軍が沖縄を重要視することが、ひと目で理解出来る。沖縄に関する英語の文献には、こう書いてある、、
The United States Department of Defense began referring to OKinawa as "The Keystone of the pacific". This idea was even stated on U.S. military license plate.
沖縄戦

米軍は嘉手納(中西部)に上陸した。日本軍の北飛行場(読谷村)と中飛行場(嘉手納町)の占領が目的だった。守備が浅かったために、その日のうちに占領されてしまった。以後、嘉手納以北では戦闘はなく、米軍は首里から南下した。
沖縄戦(1945年3月26~6月23)をアメリカ側の資料とウイキで読むと、数字に違いがある。だが、ほぼ、こいうことだ。使用された銃弾の数は、アメリカ軍側だけで、2,716,691発。このほか、砲弾6万18発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射された[3]。また、地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われたため、この戦闘を沖縄県では「鉄の雨」や「鉄の暴風」(Typhoon of Steel)などと呼ぶ。
沖縄戦での全戦没者は20~24万人とされる。沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は18万8136人で、沖縄県出身者が12万2228人、そのうち9万4000人が民間人である。ただし、沖縄県出身者の死者15万人以上という一部研究者による推計値もある。日本側の負傷者数は不明。アメリカ軍側の死者・行方不明者は1万2520人で、負傷者7万2千人であった。
(解説)“忘れろ!”と言われても忘れられるわけがない。だが、戦禍(Killing Field)を記憶している年代は少なくなった。現在73歳以上の人たちに記憶があるでしょう。民間人の婦女子や、子供や、お年寄りが、9万4000人も、82日間に殺された。亡くなったのではない。だから忘れなくてもいい。ヨーロッパでは、米英軍が殺傷した民間人は、日本人よりも多い。何しろ、第二次世界大戦では、6000万人が死んだとされる。ソ連2000万人~中国1350万人~ドイツ730万人~ポーランド540万人~日本310万人(軍人240万人、民間人70万人)、、
過去を変えることは不可能です。戦争は終わったのです。以来、大砲は沈黙している。過去65年間、沖縄を含む日本では、砲撃音はしない。あの戦争は、遠い昔に終わった。だが、心に傷が残った。それではどうすれば良いのか?
「過去の怨霊を振り払い~自らの教育に力を注ぎ~経済力を身につける」ことです。次の世代に、過去の怨念を背負わせてはいけません。
沖縄の選択肢
1)日米合意原案どおりの普天間飛行場移設を速やかに受け入れる。
2)断る。現状のままとする。それも選択肢です。
3)菅~宜野湾市長~名護市長~沖縄県知事が公開テレビ放送で協議する。
(解説) 日本政府と国民が、出来る範囲の自主防衛を決断しなければ、沖縄県民の負担は減らない。ヨーロッパでもそうしている。自衛隊の予算を二倍にして、米軍の一部と入れ替わるしかないのです。さらに、沖縄の若者は積極的に入隊するべきなのです。また、沖縄の青年は故郷に執着せず、本土、海外へ出ることです。こういった発想は非常識ではないのです。
また、イトカワから帰還した「はやぶさ」にも見れるように、日本人の科学工業における実力は世界が認めています。防衛とは科学の力です。人海戦術ではないですね。日本政府は、先端科学による兵器開発をすべし。核弾頭は米軍と共有すべし。“意志のあるところに道あり”という。そんな難しいことではない。
(特報)米国防省と国務省は、ベトナム政府とフィリピン政府に米軍基地の借地を打診している。実現すれば、沖縄の負担は減少する。だが、経済も減少する。
どうしようもないアタマの民主党幹事長
>>心配なのは、次の計画だ。開発に約130億円をかけた「はやぶさ」の教訓を生かし、ほぼ同じ規模の予算で、別の小惑星の高度な探査を目指す「はやぶさ2」の開発が滞っている。民主党が進める高校無償化に4000億円近くかかり、そのしわ寄せで、文部科学省の宇宙予算が大幅に削られたためだ。はやぶさ2の今年度予算は、政権交代前の概算要求額17億円が、3000万円まで圧縮された。ばらまき予算よりも、意義のある計画に予算を投じるべきだ(読売社説)
>>民主党の枝野幹事長は14日の記者会見で、昨年11月の事業仕分けの際、小惑星探査機「はやぶさ」後継機開発などの衛星関連予算を「1割削減」と判定したことについて、開発の必要性は否定しなかったと釈明した。枝野氏は当時、仕分け人の統括役を務めていた。枝野氏は「もう少し工夫すれば、少ないお金で同じ効果を上げられるのではないかという議論だった」と強調。今後については「成果につながることを続けることは、決して否定していない」と述べた。(読売)
06/13 | ![]() |
沖縄の反米感情を考える |

B-52 ストラトフォートレス。B-52の搭載兵器。初飛行は1952年。冷戦下において自由落下型の核爆弾によるソビエト連邦等の東側諸国攻撃を目的とした、B-36や、B47の後継機として作られた。A型からH型まで多くの派生型が開発されている。愛称は「ストラトフォートレス(成層圏の要塞)」。ベトナム戦争では、絨毯爆撃を行い「死の鳥」と恐れられた。


B-52H
用途:爆撃機
分類:戦略爆撃機
製造者:ボーイング社
運用者: アメリカ合衆国(アメリカ空軍)
初飛行:1952年
生産数:744機
運用開始:1955年
運用状況:現役
ユニットコスト:
B-52B:1,443万USドル
B-52H:928万USドル(1962年)
B-52H:5,340万USドル(1998年)
表示B-52とは、ボーイング社が開発しアメリカ空軍に採用された戦略爆撃機。1952年の初飛行から50年を超えているが、未だに就役を続けており、最終量産型(H型)は2045年までの運用を予定している。
戦略核攻撃に使用するため、機体中央部は爆弾倉となっており、大型で大重量の初期の核爆弾を搭載可能になっている。初期型は大型の水素爆弾しか搭載しなかったが、ベトナム戦争の頃から一部の機体は、通常の自由落下爆弾も搭載できるように改造された。後期型のG型・H型においては、空中発射型の巡航ミサイル(当初はハウンド・ドッグ、後にSRAMやALCM。いずれも核弾頭装備)を主要兵装としていた。兵器は胴体内の爆弾倉のほか、主翼内側下のパイロンに追加搭載することも可能である。また、初期型はターボジェットエンジンを装備していたが、後期型はターボファンエンジンに換装して燃費が向上し、航続距離の延長を図った。(ウイキぺディア)

朝鮮戦争時代(1950~1953)に、B-52の前身がこの嘉手納から飛び立って平壌爆撃。ベトナム戦争時代1965~1972に、嘉手納米空軍基地からB-52は飛び立った。ハノイ空爆であった。この朝鮮戦争、ベトナム戦争で嘉手納米空軍基地とグアム米空軍基地が、その地理的条件からアジアの安全保障になくてはならないと明確になった。ベトナム戦争反対の旗手で「ベ平連」のリーダーだった小田実は、“沖縄返還が米軍基地撤去につながり、日本がアメリカのベトナム戦争に加担する状態に終止符を打てる”と那覇で演説している。小田は、モスクワから資金を得ていたという証言がある。

比嘉富子(ひがとみこ)さんの英字本を一晩で読んだ。少々感情移入もあるが、ほぼ、記憶とおりに書かれていると感じた。1945年の4月、丘の上の監視所へサツマイモを持っていった父は帰らなかった~姉二人、兄とトミコは、首里の家を出た~“ここは戦場になる。南へ行け”と兵隊に言われた。海岸で寝ているとき、2歳上の兄「ニニ」が流れ弾で死に~真夜中の後進で、姉二人と別れ別れとなった~6週間、たったひとりで、死体の散らばる激戦場をさ迷った。彷徨するうちに7歳になった~トミコは、洞窟の中で老夫婦が作ってくれた三角の白旗を持って外へ出た。眩しかった。木の枝にくくり付けた白旗を高く掲げた~初めてアメリカ兵を見たとき心が明るくなった~その白人は、大きなカメラをトミコに合せた。トラックで運ばれた収容所で、はぐれた二人の姉と再会した、、
再会

1988年、比嘉富子(50)さんは、ジョン・ヘンドリックソン(70)と再会した。この前従軍カメラマンはテキサンである。同じカメラを持っていた。どうも、比嘉さんの手記を読むと、この人は「反米」ではないと感じた。一方で、日本兵のことを良く書いていないのです。7歳の女児が見た戦場。そこには偽りはない。終章の一部です。伊勢平次郎 ルイジアナ
"Forty-three years!" said Mr. Hendrickson, welcoming me with a warm handshake. Mr. Hendrickson and his wife put their arms around me,,
"Why did you wave to me?"
"Because my father told me that if I was about to be shot, to die smiling and waving"
"All I had was a camera, and you thought I had a gun! I'm so sorry. We couldn't tell the difference between your soldiers and your ordinary citizens. It was terrible. Here's the camera I scared you with"
He fetched his camera and held it up in front of him as if to "shoot" me. It was a large camera with a large flash attachment, but I couldn't see very clearly because tears started to well up in my eyes.
"Don't cry Tomiko. Forgive me for making you think of the war." His voice trembled with emotion, so did his hands as he held the camera.
"Tomiko," said Mr. Hendrickson, "Do you think you could smile at me and wave once more?"
Wiping away my tears, I faced the camera and raised my hand and smiled. The shutter clicked and there was a flash.
06/12 | ![]() |
沖縄の反戦感情を考えるとき(その1) |

白旗の少女
「白旗の少女(しらはたのしょうじょ)」は、比嘉富子(ひがとみこによる日本の小説である。1990年にはフジテレビで、2009年にはテレビ東京で、それぞれテレビドラマ化されている。
主人公はこの小説の作家である。彼女は第二次世界大戦時の沖縄での戦闘の終結時、ほかの一般人とともにアメリカ軍に投降したが、その際に白旗を掲げており、その姿を撮影された。この写真は後に沖縄戦の様子を示す際に再三にわたって使われるようになった。
彼女はそのときに撮影されたことは記憶しており、戦後写真集が出版され、その写真が使われた時にこれに気づいたが、名乗りを上げることがなかった。
しかし、この写真が評判となり、それに関してあることないことが出回るに連れ、事実を世間に出すべきとの判断を持つようになり、この本を出版するに至った。
本ではこの写真を撮影した写真家を捜したこと、その1人と対面したことを述べた後、戦争時のことを体験記として描き出す。
書籍としては、1989年に講談社から、子供用のシリーズ「講談社のノンフィクション」の1冊として発行された。挿絵は依光隆が担当、その他に写真も多く収録されている。
冒頭は、主人公がニューヨークで平和行進に参加するところから始まる。そこで彼女は写真家を捜し始めたのである。その後写真家と面会するところから回想にはいる。
彼女は首里で生まれ、平和に暮らしていた。そこでは沖縄の伝統を強く残した生活のことが語られている。その中で昭和19年(1944年)、母が亡くなる。昭和20年(1945年)にはいよいよ沖縄に戦線が近づく。その4月1日、本島中部にアメリカ軍が艦砲射撃を加え、それと思われる音は首里にまで響いた。それから1か月すると、家の周辺にも砲弾がくるようになり、防空壕へ避難することが多くなった。5月10日ころ、父親が「何かあったら子供たちで判断して行動するように」と言い残して家を出て、これが父との最後になった。
それから3日待って、通信隊へ父の安否を尋ねると、「それより早く南へ避難するよう」言われ、兄弟姉妹4名(姉17歳、姉13歳、兄9歳、本人6歳11か月)は荷物をまとめて家を出た。昼間は洞穴などに身を隠し、夜間に歩いた。まずは父の消息を尋ねて真壁に行くがやはり不明で、それ以降は当てもなくとにかく南へ移動する。そのさなか、米須で一緒にいた兄が流れ弾に当たって死亡、さらに南へ移動するさなか、主人公は姉たちとはぐれてしまう。それから彼女は1人で避難行を続けることになる。
そうして彼女は多くの戦死者、自殺する兵隊や集団自決する住民などを目にしながらさまよい、あるガマ(洞窟)では日本兵に殺されかける。一人きりでの移動が1か月ほどになったとき、とあるガマに入ったところ、そこには老夫婦がこもっていた。その老人は両手両足がなく、目の不自由な老婆に身の回りの世話をさせ、その洞窟で暮らしていた。彼らは少女を優しく受け入れ、少女はここで初めてその身を休めることが出来た。
その外では、戦闘が刻一刻と激しくなっていた。彼女は老夫婦にここで一緒に暮らして、一緒に死にたいと言ったが、それに対して、命の大切さや生き延びることの価値を説かれる。数日後、洞窟の外でアメリカ軍の呼びかけが聞かれた。これから爆弾を投げ込むから、その前に投降することを呼びかけるものだった。老人は老婆へ指示し、自分のふんどしで白旗を作らせ、その旗を彼女に持たせた。そして「世界中の約束だから、これを持ってれば大丈夫だ」と言い聞かせ、自分たちを残して1人で投降するよう促した。
彼女はほかの住民に混じって進んだ。1人の米兵が何かを構え、こっちを狙うようにしているのを見て、カメラのようだが、武器かも知れないと思いながら、かつての父に言われた言葉を思い出し、顔を上げ、笑顔を見せた。彼女はほかの避難者と一緒になり、そこで2人の姉に再会した。1945年6月25日のことだった。
沖縄戦とガマ
沖縄には「ガマ」と呼ばれる自然に出来た洞窟・鍾乳洞が多くある。そのガマが沖縄戦においては、アメリカの艦船から住民に降り注ぐ激しい砲撃「鉄の暴風」から守る防空壕の役割を果たすが、それでもなおかつ死者が続出した。ガマは平地の畑の中にぽっかり口を開けていることが多い。これは琉球石灰岩が水によって浸食形成されたものである。つまり地下水に恵まれているため住民達の避難壕や、日本軍の陣地、野戦病院として防御拠点として使われた。日本軍は首里城決戦を避けて南部の糸満(いとまん)や南風原(はえばる)に撤退し持久戦をとった。アメリカ軍は大がかりな掃討戦を仕掛け、民間人を含めた悲惨な戦場と化した。


書きかけです、、この週末から、「沖縄県民の反戦感情」を続けます。避けたり、退けたり、揶揄することは許されないない心の問題だからです。伊勢
06/10 | ![]() |
沖縄が治れば、日本は治る |

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題が争点になった沖縄県名護市の市長選が、4月24日、投開票され、日米が合意した同市辺野古への移設に反対する新顔の稲嶺進氏(64)>>民主、共産、社民、国民新、沖縄社会大衆、そうぞう推薦<<が、移設を容認する現職の島袋吉和氏(63)を破り、初当選した。鳩山内閣は5月末までに移設先を決める方針だが、辺野古への移設は極めて困難になった。当日有権者数は4万4896人、投票率は76.96%(前回74.98%)だった。
1996年末に名護市辺野古が普天間飛行場の移設候補地に浮上して以来、13年余で4度目の市長選。再選を目指した島袋氏を含め、これまで移設容認派が推した候補が3連勝したが、今回は移設反対の候補が1588票差の接戦を制し、初勝利を収めた。
当選を決めた稲嶺氏は24日夜、「私は辺野古の海に基地を造らせないとの公約を信念をもって貫いていきたい」と明言した。政府が移設先の再検討を進めるなか、市民があきらめかけた「県外移設」の実現に期待する層を引き寄せた。
稲嶺氏は選挙中、移設受け入れの事実上の見返りとして政府が行ってきた振興策についても、失業率の改善につながっていない、と批判。低迷する地域経済に不満を抱く人たちにも支持を広げた。
従来の「保革対決」の枠を超え、島袋氏の市政運営に反発する自民系市議や、99年に移設受け入れを表明した故岸本建男元市長の親族や後援会関係者の支援も得た。
島袋氏は普天間問題について「過去3度の市長選で結果が出た話」と争点化を避けたが、県外移設を求める世論のうねりにはかなわなかった。
自民、公明から推薦を受けず、政党色を薄めたが、政権交代でこれまでアピールしてきた「政府とのパイプ」を打ち出せないことも響いた。移設に期待する建設業や商工業などを通じた票固めを図ったが、業者の倒産などで細った支持基盤は回復せず、一部の離反を食い止められなかった。 激戦を反映し、期日前投票者数は1万4239人と前回の1.5倍に増えた。 (朝日)

人間なら誰しも、平和を希求することは理解出来る。だが、この二人は、在沖米軍の重要さが判らない。自分たちが沖縄県民の心をもてあそんだことにも気がついていない。ようやく、権力の中枢からいなくなったから、日本の政治も、少しは進化するだろう。
為政者が心すべき沖縄問題の歩みと県民感情 島 脩 元読売新聞編集局長
http://allatanys.jp/B001/UGC020004920100609COK00565.html?from=yoltop
(解説)上のURLをコピペしてHTTPに貼って読んでください。島さんの仰るとおりですよ。沖縄県民が米軍を嫌う理由を挙げてみよう。
1)沖縄地上戦は1945年4月~6月の82日間の戦闘。非戦闘員(市民)6万人が死んだとされる。
2)米軍施政下で人権を無視された。
3)米兵の犯罪は軽かった。つまり、沖縄県民はされるままだった。それを日本は守ってくれなかった。
4)11年近く続いたベトナム戦争で、嘉手納基地から、アジアの同胞を殺すB-52重爆撃機は飛立った。
5)佐藤政権は米軍の沖縄への核持込を許容した。
6)イラクに侵攻して占領したブッシュに嫌悪を抱いた。
7)鳩山は、沖縄の反米感情を利用して民主党議員を増やした。結局、鳩山に騙された。
反米・嫌米感情を爆発させる沖縄県民にも責められるべきところがある
1)沖縄地上戦は、65年も昔の戦争史となった。1960~1972のベトナム戦争では、米兵、5万7000人が戦死し、北ベトナム兵~べトコン~一般市民の合計死者は200万人である。ルイジアナに移住したベトナム人も三世が生まれている。こないだ、ウチのが大好きなベトナム料理を食べた。野菜とご飯の春巻き~ワンタンスープ。ウエイトレスは、伊勢爺の姪のように細身で性格が優しかった。女子大3年生で、薬剤師を目指していると言った。去年の夏、サイゴンに行ったというので聞いてみた。なんと、「ベトナム人は、アメリカを嫌っていない」というのである。そのとき、沖縄を想い出した。沖縄人はなんと「泣き虫」なんだろうと、、
2)この名護市市長が叫んだ“私は辺野古の海に基地を造らせないとの公約を信念をもって貫いていきたい”“移設受け入れの事実上の見返りとして政府が行ってきた振興策についても、失業率の改善につながっていない”に注意しよう。
3)もしも、仲井眞県知事が工事許可に署名すれば、この稲嶺名護市市長とそれを支援する団体や沖縄タイムス~琉球日報~QAB朝日テレビ放送と対立することになる。“杭も打たせない”と海上で暴動が起きる。県警や海保、または、海自の艦艇まで出す?
4)“失業率に繋がっていない”に関して、まず、日本全国で一番低いといわれる学童の成績はどうなっている?これは、東京政府の責任ではない。児童の教育は、家庭教育~教員の質~学童の質に無関係ではない。学力が低ければ、良い仕事には就けないよ。そうでしょ? 次に、働く意思はあるのか?この疑問は大きい。本土にも、「50歳で、ニート」という人種がおるけんども(笑い)。
(沖縄に行って見た感想)沖縄には、社会・経済・教育・左翼変更メデイア・高齢者の識字率の低さ、、という複合汚染が拡がっている。沖縄の青年に告ぐ!あなたたちは、沖縄県民だけでなく、日本国民なのです。戦後の、反日・反米教育で汚染された世代を離れてください。前進してください。本土の日本国民に愛想を尽かされます。文句しか言わないと受け取られる。また負けますよ。
恵隆之介先生のご著書「誰も書かなかった沖縄」を先生は「まぼろしの本です」と言いながら、下さった。たいへんな力作です。でも、読書の習慣のない人なら読まないわな。琉球朝日テレビなんか観ていては、どんどんアタマが悪くなるよ。次回のエントリにします。伊勢平次郎 ルイジアナ
続く、、


06/07 | ![]() |
反米なのに依存したい |

民主党が説得すべきであった沖縄県民。鳩山は、逆さまに迎合した。米兵には犯罪を犯す者もいる。それは別個の問題である。だが、アメリカは、基本的に「自由と民主主義」を国是とする国なのである。沖縄タイムズ~琉球日報~琉球朝日テレビには、その人間として、志の高い理念が理解できない。逆に、人権を蹂躙する専制国家の中国に想いをはせているのである。民主国家、日本の防衛に協力するどころか、日本やアジア太平洋の安全保障に命をかける米軍の将兵に対して~そして米軍の存在を理解する東京政府に「弓」を引く。沖縄は「赤い島」となっている。しかも、キューバのように独立する気概はない。伊勢平次郎 ルイジアナ


菅直人VS普天間
>>米国のジェフリー・ベーダー国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長は7日、ワシントンで講演し、菅新首相について、「普天間合意を実施する意図を明言した。オバマ大統領は電話での(菅氏との)会話に非常に満足していた」と述べた。(読売)
先年11月、オバマが東京に来たとき、鳩山は“TRUST ME”と言った(笑)。12月になると、“5月末までに結論を出す”と言った。そして、県外、国外移設を言い出した。そのあげく、鳩山の結論は、「辺野古に戻す」であった。8ヶ月の迷走である。
さて、辺野古の飛行場新設工事のマスタープランは、8月中に日本政府が出すとなっている。つまり、仲井眞・沖縄県知事の建設許可が要る。許可なく、杭一本も打つことは不可能。菅は仲井眞を説得できるか?仲井眞は沖縄県民を説得できるか?
沖縄県民の全部ではないが、宜野湾市長(民主党)~名護市長(民主党)らは、「普天間基地返還~辺野古移設反対」つまり“米軍は沖縄から出て行け”と演説して当選したのである。一方の仲井眞・県知事は、“県民の民意は辺野古反対だ”と、ことあるごとに強調してきた。8月になっても、埒が明かない場合、ワシントンは怒り出す。菅直人も普天間で失脚する。
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5/25/2010 Kadena US Air Force Base Major John Hutcheson
在沖縄嘉手納空軍基地・第18航空団・広報局長
米国空軍少佐・ジョン・ハッチソン殿
Major John Hutcheson:
We just returned to our Louisiana home where the weather is hot and humid.
We thank you for providing an opportunity to meet with you and sharing your precious time there at Kadena Air Base. We were encouraged by this meeting.
It was clear to me that the US military presence in Okinawa is essential to protect freedom and Democracy in Japan, Korea and Taiwan. Unfortunately, Okinawa has been taken over by Marxists who do not share the same value with us.
I watched 4 hours of QAB Ryukyu Asahi discussion (5/15/10) regarding Futenma relocation. I was furious at how they characterise the US forces. I suppose you know Asahi very well as being anti-American, left wing media controls Okinawa. The majority of Okinawans have deep hatred toward American military and the Tokyo government. From my personal observation they seem to be confused. They are not incompetent but their productivity is probably the lowest among Japanese. They have an identity problem thus they have lost honor somewhere and you can blame that on the Tokyo government. Our government's negligence on the Okinawan issue from WWII to today is threatening national and international security at this very moment.
My wife and I would like to support the US servicemen in Okinawa. We are scheduled to publish a book named "Red Hot Island" by August 15, 2010.
We would like to keep in touch with you and your successor so we can visit Kadena again sometime next year. Thank You for your Service to your Country and for granting us an interview.
Nobuyoshi Ozaki / Christine Aragon
(解説)ハッチソン少佐には、ミセス比嘉さんという日本報道課の助手が付いている。彼女は、琉球大学を出ており、英語能力は伊勢爺さん並みである。この方を通して、大佐は、沖縄のメデイアのサヨク偏向を認識している。宜野湾市長選や辺野古市長選の票が米軍基地反対候補(民主党)に流れた理由も熟知している。沖縄タイムズ~琉球日報~QAB・琉球朝日テレビ局が、沖縄県民を洗脳していることをである。伊勢平次郎
06/05 | ![]() |
思想反米・外交親米(その2) |

民家が密集する普天間米海兵隊飛行場。1996年、「大型へりの騒音や、墜落事故を避けるためには、飛行場を移設するしかない」と日米政府(橋本内閣とクリントン政権)は合意した。
普天間移設合意の経緯
当基地は市街地中心部を占めていることと、基地建設当時の土地収用の事情から、当初より返還を求める主張があった。1995年に発生した沖縄米兵少女暴行事件を発端として沖縄で米軍駐留に対する大規模な反対運動が起こった。これを契機として、日米で構成する日米安全保障協議委員会(2プラス2)は同年の11月、沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会SACO(Special Action Committee on Facilities and Areas in Okinawa)を設置する。
総理大臣首席秘書官であった江田憲司によれば、当時首相であった橋本龍太郎は政治家として沖縄との関わりがあり、会談前より公私に渡り勉強するなど、入念に準備していた。当時防衛庁内で移設案の検討に関わった守屋武昌によれば、橋本は子供の頃再婚した父に反抗していたが、海軍軍人の叔父が戦地に赴く際、「両親を大切にするんだ」と別れの言葉を言い残し、沖縄で戦死したといういきがかりを持っていた。また、官房長官であった梶山静六は陸軍少年航空兵として終戦直前に軍命で満州から霞ヶ浦に移動し、民間人を残してきたという悔いがあり、それ故に橋本と同様戦後処理についても積極的な姿勢を見せていたと言う。
江田によれば、橋本は1996年2月24日に、サンタモニカで自己の政権下初の日米首脳会談に臨んだが、当初普天間基地の返還は事前に準備した発言要領には無かった。それを交渉のテーブルに乗せたのは、当時首相を務めていた橋本の強い意向であったという。4月12日に橋本と駐日大使であったウォルター・モンデールとの間で、「普天間基地の移設条件付返還」が合意され、普天間基地返還の方向性が進むことになった。1996年4月15日には、これらを踏まえてSACO中間報告が提出された。
移設・返還の条件
1)5年後から7年後までの全面返還を目指すこと
2)移設を実施するためには十分な代替施設を用意すること
3)代替施設として海上ヘリポートへの移設を検討すること
といった旨が明記されている。(以上ウイキぺデイアより抜粋)
2009年9月に首相となった民主党の鳩山由紀夫は、この二国間合意の転覆を図った。失敗した。ついで鳩山内閣は8ヶ月で崩壊した。この鳩山の「思想反米・外交親米」には、大きな矛盾があることにお気付かれた方は多いと思う。連立を離れた福島社民などは言語道断。“米軍なしに、日本を守れると本気で考えてますか?”と朝日のニュースキャスターの質問に答えられなかったのです。


思想反米・外交親米の矛盾(その2)
ひとつ大事な事件を書きわすれていました。それは、「東京裁判」です。東京裁判は「復讐裁判」だったと主張する人がいます。充分な証拠もなく、証言によって判決が出された。いったい「戦犯」って何でしょうね?“人道的だったか?”という論争があったのです。真珠湾奇襲は米軍の施設、艦船、爆撃機、燃料貯蔵所を爆撃したものだから非人道的ではない~だが、南京で行った日本軍の行為は市民の虐殺だったから非人道的とかでしょうか?法律家でなくても、連合国側(勝ったから原告)の裁判が不当なことが理解出来る。大きな矛盾は、“それでは、ナパーム弾で市民を焼き殺した東京無差別空襲は人道的なのか?”“広島・長崎に原爆を投下して、市民を焼き殺したのは非人道的ではないのか?”となります。インドの法学者であったパール判事の言葉が正しいのです。
パール判事の「日本無罪論」です。インドの、ラダ・ビノード・パール判事は、唯一日本の無罪を主張したのです。著書によれば、“東京裁判は国際法ではなく事後法により裁かれた戦勝国によるリンチ”と変わらない裁判であり、裁判そのものが無効であるという。
以前、拙ブログで、「カンガルー裁判」を乗せました。法律が深く議論されなかった1800年代、テキサス州では確たる証拠がななくても被告が絞首刑にされたのです。カンガルー裁判とは、正式な手続きを経ず、法律的な制約にもとらわれずに行われる違法な裁判のことで、カンガルーのように、議論がとびとびで、カンガルー裁判は、一種のリンチであり、被告は初めから絞首刑が決まっているといってもよかった。

「Inherit The Wind」という1960年の映画の裁判の場面です。Spencer Tracyと Fredric March が演じる二人の弁護士の対決です。1930年、テネッシーの高校で、理科の教師が「ダーウインの種の起源」を教室で紹介(教えたのではない)したところ、村の警察の牢屋に入れられるところから始まる。その晩、怒り狂った村人は、高校教師をつるし首にしようとして、牢屋の前に集まった。たちまち全米に有名となったこの裁判を、「1930年代の、Scopes Monkey Trial」と言います。カトリック教会は、“人間の起源を始めから人類であった~イエス・キリストは聖母受胎(セックスなし)で誕生した”と旧約聖書を基礎に教えてきた。ダーウインは、“猿が人間の先祖”としたから、創作VS科学の論争となったわけです。
(解説)さて、長くなりましたが、日本人が「思想反米・外交親米」という奇妙な思想に到着するのも当然です。戦犯裁判という厳粛な行為を戦勝国側だけで原告となり、被告は不条理な判決を受けて、多くは絞首刑となって亡くなられたのですからね。こうして、人間の心理には「勝者が裁く」という傾向があるのです。さらに、「勝者が歴史を書く」とも言います。2007年、ワシントンのプレスクラブで会談したドイツ系米人の弁護士さんは、“ドイツも同じだった~ドイツに侵攻してきたロシア軍の兵士は、子供も、老婆までも強姦したり、殺したのにお咎めはなかった”と言いました。それで、“戦後、ロシア人とドイツ人の混血児が多く生まれて、孤児院はいっぱいになった”と。沢田美嬉さんの「エリザベス・サンダース・ホーム」を想い出します。澤田さんは、2000人の混血児や戦争孤児を育てた大偉人です。シャンソン歌手のジョセフィン・ベーカーさんが、日本女性と黒人兵の混血児を多く養子としました。この子供たちは、ブラジルに移民したと聞きました。敗戦とはこのようにむごい結果をもたらすものなのです。伊勢平次郎 ルイジアナ
続く、、

隼同志が敬愛する、Granmaに贈ります(笑)。松坂の駅で見た。まあ、近鉄沿線にはあちこち「赤福」の看板がある。父母が買ってくれた赤福。赤福の看板を見ると、故郷に帰った気がする。

“このリーダーの「人間形成」はどこでなされたのか?”と米紙は必ず書く。悲喜劇がようやく終わった。映像も、声も消えていく。昨日のNY相場から、世界経済に暗雲が出てきた。「二番底の到来か?」とWSJ記事だった。メキシコ湾原油漏れ~二つの戦争~失業者が減らない~ユーロ下落~チャイナ経済後退~そこへ、二番底だと?オバマの顔からすっかり笑いが消えた。普天間飛行場移設は、いずれ決着する。仲井眞・沖縄県知事の姿勢は、「ゴネて、カネを引き出す」ことだろう。誇りを棄てた人間ほど厄介なものはない。伊勢平次郎
06/04 | ![]() |
思想反米・外交親米の矛盾 |

渡部昇一先生(80)が、新書「リーダーの研究」の第一章で、「リーダーの第一条件”として、リーダーは常にニコニコと機嫌良く~決して部下を叱らないこと~叱ってもニコニコと叱ること」と、ジュリアス・シーザーを世界史上でもっとも優秀な指導者と位置付けられている。この写真の二人を観察すると、リーダーの第一条件を充たしていないことが明らか。鳩山由紀夫の表情には気持ちが悪くなるし~菅直人は陰険な性格に思える。伊勢平次郎 ルイジアナ


思想反米・外交親米の矛盾
日本人には、「思想反米・外交親米」と決めている人が多い。その思想には矛盾があるのです。思想反米・外交親米の菅内閣が発足する。それでは、その矛盾を説いてみます。
(1)大東亜戦争(日米戦争と言っても良いでしょう)で、「日本帝國がアメリカ合衆国に負けた」という歴史があります。反米思想の根源に“1937年の盧溝橋事件は、フランクリン・ルーズベルトが蒋介石と組んで、日本を罠にかけたものだ~その後、チャーチルと組んで日本経済封鎖を強行した~アドルフ・ヒットラーのロシア侵攻に悩んでいたジョセフ・スターリンも連合国側に加わった~ハリー・トルーマンは、もっと酷かった~原爆を日本の二都市に投下して、22万人の市民を殺した~その目的は、早期終戦ではなく、核爆弾による対ソ抑止力と人体実験だった~その年の春に実行された東京空襲も10万人の東京市民を殺すという冷酷非情なものだった~4月の沖縄戦上陸戦は82日間続き、巻き込まれた沖縄県民は5万人が死んだ”という日本人の主張があります。主張の正否は別として、その憎悪の感情は取り除くすべがありません。
(2)一方、武器弾薬と物資の量に優れた戦勝国のアメリカ合衆国は、“原爆を投下することで、数百万人の命が救われた”とヌケヌケと言い続けている。“日本軍が最初に真珠湾攻撃を仕掛けた”と現在も主張を押し通す。
(3)日本を占領した占領軍の総司令官、ダグラス・マッカーサーは、日本を民主主義国家にして、その経済を復興させなければならないと決心していた。財閥解体~農地改革~婦人の権利~児童の権利、、戦後復興のためにマーシャルプランが行われた。日本の吉田茂首相は現実主義者だった。また、通訳を必用としなかったので、マッカーサーと二人きりで合意を次々とこなしていった。マッカーサーは、“日本人は防衛の戦争をした”と米国議会で証言した。マッカーサー夫妻は、すっかり日本人贔屓となっていた。
(4)そこへ朝鮮動乱が始まった。吉田首相に警察予備隊を設置するように要請した。これが、後の自衛隊となるのです。アメリカは、日本政府に、朝鮮動乱の協力を強いなかった。だが、日本国内の共産党のテロに対処する武装警官が必要となったのです。ここから、日米防共同盟が始まった。
(5)吉田茂さんは、日本を敵視するソ連・中共を排除して、アメリカと単独講和条約を結ぶ決心をしていた。日本経済の復興には、日米通商が不可欠だと信じていたからです。日米安保条約なしに通商は始まらない。アメリカが日本の防衛をしてくれるという好条件でした。この朝鮮動乱が日本経済に大きな弾みを付けた。いわゆる、カネヘン~イトヘンという特需景気です。
(6)トルーマンの次の大統領の、アイゼン・ハワーは、大統領就任時に、“日本に原爆を落としていなければ”と嘆いた。ノルマンデイ上陸作戦を指揮した軍人大統領は、原爆投下に正当性はないと信じていたのです。アイクという愛称で、今日でも、第二次大戦後ベストの大統領とされています。アイゼン・ハワーは、中国とソ連の共産軍の南下に対する防波堤は、日本列島だと確信していたのです。日本国民の生活水準を上げなければ赤化すると懸念していました。そこで、日本に巨大な援助を行い、技術移転も開放していった。ベアリング~自転車~家電~玩具のような軽工業だったが、輸出量が急増したのです。つまり、アメリカは、日本に譲れるだけ譲ったのです。このアイゼン・ハワー時代に日本経済は苦境を脱したのです。 続く、、
(解説) 今日はここまで。嘉手納米空軍基地広報官の、ジョン・ハッチンソン少佐は、“沖縄戦という反米戦争記念館が那覇にある~米兵がこれほど酷いことをしたと~私たちの任務は、主に、同盟国の日本を守るために、沖縄に駐留している~若い兵士たちの心は傷ついている~終戦後、アメリカは日本に譲れるだけ譲ってきた~日米同盟は日本に平和をもたらした~50年が経った~あと、50年、さらに50年の日本との永久同盟をアメリカは、国策としている”と語ったのです。伊勢平次郎
続く、、
*事実に間違いがあれば、ご指摘ください。伊勢
06/03 | ![]() |
リーダーの条件(渡部昇一) |

今朝、ルイジアナのわが家に帰りました。チクデンが体をすり寄せてきた。冷麦を食べて、一日中寝た。機内の隣は、北京米国大使館詰めのUSマリーン(23)だった。その前に、小さな事件が起きた。カウンターで搭乗券を買おうとして、搭乗を拒否された40代のヤクザ二人が“ふざけるんじゃネエ、テメエラ”と、がなった。カナダの大学を出たというカウンターの女性が顔を顰(しかめ)めた。“子供だね全く、警察を呼びなさい”と伊勢爺さんが言うと、ニッコリと笑った。日本のヤクザねえ?この海兵隊員の青年となんと違うのかと思った。
鳩山由紀夫という日本史上で、もっともバカな首相が辞める。よかった、よかった。渡部昇一先生が、ご著書を先月出された。これほど、タイミングの良い企画はない。帰りの機内で一気に読んでしまった。みなさんにお奨めします。伊勢平次郎 ルイジアナ
NY株速報
6時間先に始まったロンドン株式市場のFUTUREがポジテイブ。後、1時間で始まるNY株式市場は、PARE・ADVANCE(ジリジリと上げる)と。JPY(日本円)が売られて、株へ移動。それは日本の輸出を押し上げる。自動車産業は好景気に向かう。北米自動車産業は軒並みに新車発売を31%(5月)伸ばした。インテルなどの「石」を造る産業は跳躍する。ここで、日本政府が健全で常識ある政策を取れば、GDPは回復する。麻生太郎さんが正しかったわけです。
(伊勢の行動) JOHN・HUCHENSON少佐(嘉手納米空軍基地広報官)に、サンキュー・メールを出すことが最重要。この32歳のバージニア出身の軍人は、“第二次大戦後、アメリカは、日本の再建に譲るだけ譲ってきた~朝鮮動乱でも、日本に協力を強制しなかった~日米通商が日本経済の回復の第一歩だった~そのために、日米安全保障条約を結んだ~それから50年が経った~あと、50年、さらに50年と永久同盟を続けるというのが、アメリカ合衆国の方針です”と語ったのです。
日本人には、「思想反米・外交親米」と決めている人が多い。その思想には、矛盾があるのです。次回に話しましょう。
PICASAでアルバム作ります。ウチのに頼むしかない。公開するものと、公開できないものが混ざる。ブログの限界ですね。年末には、「隼ソサエテイ・メルマガ」(メンバー制)を起こします。隼ソサエテイは、政治結社ではない。健全な日本人の集まりとしたい。当然、規約はなければならないが、、会長は、Mephist 先生です。そのときには、実名を名乗られるでしょう。伊勢平次郎