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管理人は、アメリカ南部・ルイジアナ住人、伊勢平次郎(81)です。
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オバマ大統領への手紙
September 30, 2011

A Letter to the President of the United States of America

Re: The bombing of Hiroshima and Nagasaki


Dear President Obama:

I take the liberty to write you a letter in the hope that I may have my request met by you.

I recently read an article stating that you are considering a visit to Hiroshima in November. You have a plan to apologize to the Japanese public regarding the two incidents one which occurred at this site at the end of the Pacific War.

Should you apologize or not depends on your courage. If I were the President of the United States of America, I would take this opportunity to apologize to the Japanese for the atomic bombing and put an end to the subject once and for all.

Let’s talk about the consequence of an apology. You may lose support from American nationalists for your presidential re-election, on the other hand such an apology would have a tremendous impact on Japan, a vital friend and ally to America. Madam Pelosi visited Hiroshima and presented the mayor a bouquet and bowed to the monument deeply from her waist. This had no effect on US and Japan relations. On the contrary she was perceived as a hypocrite because she was the king ping in passing "the Comfort Women Resolution" in July of the same year.


A visit without any apology what would happen?

I believe our two countries America and Japan will never become true and trusted friends and allies, even though the US has been the protector of Japan since 1961. That means Japanese and American soldiers will never fight shoulder to shoulder in any future events of war with the Chinese Blue Water Navy in any disputed area.

Asking Japan to join American forces if no apology is made is a cruel thing for the Japanese. You may get some help but not 100% commitment. The Japanese government may decide to go along, however, the Japanese will forever feel they are being forced against their will. Okinawa is a good example. When my wife and I visited Kadena US Air Force Base last year and interviewed the officer from the Department of Public Relations, he expressed their frustration toward the on going anti-American attitude on Okinawa.

In American eyes the war ended 65 years ago, but Okinawans say they have never heard an apology from an American president. I suppose the citizens of Hiroshima and Nagasaki share the same sentiment, because no matter how Americans justify the bombings, there will be no change in the fact that 220,000 unarmed citizens mainly the old and children were killed without mercy that day by the American bombs.


President Obama, will an apology to Japan be a historical mistake?

I don't think so. Give a thought to the fact that the two nations are economic power houses. Combined GNP surpasses 20 trillion US dollars a year. This is 3.3 times larger than Hu Jintao's China, 18 times larger than Putin's Russia.

Mr. President don't you want the Japanese to rewrite their current Pacifist Constitution? All Asian countries are nervously watching the two great nations whether they can be united 100% or just 50% or less. It is well documented that China's military growth poses a threat to the Asian Pacific Region. United States of America and Japan must become strong and united allies in order to protect the entire Pacific Region.


President Obama, we all know that war is a human failure, there are no winners in war. America as victor of the Pacific War does not posses the right to continue a sixty year old war of words such as Japan attacked first. That war consumed three million three hundred thousand Japanese lives, hundreds of thousands wounded and killed on both sides. In Hiroshima and Nagasaki the atomic bombing took innocent women and children’s lives like never before and not since in the history of human warfare. History is best not to be forgotten and not to be repeated.



~~~

I have lived in the US for over 44 years and have a unique view of issues concerning the US and Japan. I was Supervisor for the construction of the Toyota automotive plants in America. Later, I was Public Relations for the Toyota group until I retired. We have created a half million jobs for Americans. Whether you agree or not, today, our national security means that we Japanese and Americans must be vital allies against the Chinese military buildup and Islamic terrorism.

Thank you for listening to me.

Sincerely yours,

Nobuyoshi Ozaki / Christine Aragon Mandeville Louisiana


(FYI)

nagasaki waiting

"A boy in Nagasaki" photographed by Joe O'donnell August 1945

"I entered from the naval port of Sasebo to the city of Nagaski. I was 23 year old US navy photpgrapher. My task was to record the afermath of atomic bombing. I was viewing the downtown from the hill. I sighted the men wearing white masks. They were working by the hole which was 3 feet deep or so. They were unloading the bodies from the carts and throwing in to the coal fire. I sighted a bare footed boy seems to be 10 year old walking toward the hole. He was carrying a little boy on his back. He stopped at the line and waiting for his 2 year old brother to be crimated. His expression on his face was stern, his mouth closed tight and looking straight forward. I wanted to hug him. I just could not control tears."

Joseph (Joe) Roger O'Donnell (May 7, 1922 – August 9, 2007) was an American documentarian, photojournalist and a photographer for the United States Information Agency. Born in Johnstown, Pennsylvania, his most famous work was documenting photographically the immediate aftermath of the atomic bomb explosions at Nagasaki and Hiroshima, Japan, in 1945 and 1946 as a Marine photographer. He died in Nashville, Tennessee.
09/13
日米外交、民主党では危ない
GENBA RUTH  9.12.11

「普天間、辺野古移設を確認」日本外相と駐日米大使

 (時事ドットコム)玄葉光一郎外相は12日夕、外務省でルース駐日米大使と約40分間会談し、昨年5月の日米合意に基づき、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を同県名護市辺野古に移設する方針を確認した。

 外相は「野田佳彦首相も自分も日米同盟は日本外交の基軸であるとの大方針には揺るぎはない。同盟の深化、発展に向けてルース大使とも協力していきたい」と表明。ルース大使は「玄葉外相と働くことを楽しみにしている」と応じた。
 
 両氏は安全保障分野での協力のほか、環太平洋連携協定(TPP)への日本の参加、国際離婚に伴う子の親権に関するハーグ条約への日本の加盟など日米間の懸案について意見交換した。(2011/09/12-19:17)


(伊勢爺のつぶやき)

同志のみなさんに、アメリカ人の考え方を伝えたいと思う。アメリカ人は、恵比須顔から鬼に突然豹変することはないです。だからといって、納得の行かないことには、“I DISAGREE(反対します)"ときっぱりと言います。この性格が、アメリカ人は「ジャイアント」であると言われる所以なのです。合意違反を大目に見るということはないです。

まず、この外交官同士の初会談は「プロトコール(外交辞令)」に過ぎないのです。玄葉光一郎さんが、どのような人物かは知らないが、アメリカ人を舐めてかかると、外相失脚だけでなく~日本の国益を失うのです。同盟国間の普天間移設合意を翻すことは出来ない。だが、仲井眞沖縄県知事は、“県外へ移設してくれ”と頑なに移設工事にサインしない。

さて、野田政権に残された選択肢は一つしかない。それは、「普天間移設特別措置法案」で拒否する沖縄県知事を政府の決定に従わせるしかないことです。

鳩山は嘘をつき~管は大震災を口実にして、普天間移設を放置してきた。もう一歩も下がれない土壇場が迫っている。この玄葉というおひとは、好漢に見える。誠のある日本人は、日本が同盟国のアメリカの信用を失うことのないように、ハラハラして見ている。伊勢平次郎 ヒューストン・テキサスにて、




玄葉外相、ロシアに“刺激的な行動をしないよう”と要請。それに対して、ロシアのラブロフ外相は“なんら法的な問題は無い”と答えた。

外交というものは、目に見える形でメッセージを送るものだ。例えば、駐露日本大使の召還とかだ。電話で話すにしても、“次回、ロシアの爆撃機が日本列島を一周するような挑発行為を強行するならば、日本の空自機が追尾する”と注意することだ。“要請する”じゃないよ。それでは、懇願ではないか?伊勢


(お知らせ)明朝6時に入院し~9時に心臓バイパス手術をする。執刀医ダンカン先生は、“3時間で終わる~水曜日に集中治療室から個室へ移る~そこで、短くて5日間リハビリだ”と話された。手術に失敗はほとんどないが、事故が起きたときのサインをした。そのときは、あの世で再開イタシヤス。伊勢




09/12
ロシア爆撃機、日本列島を一周する


ロシア爆撃機日本を一周。これは単なる挑発ではないのだ。“いつでも、日本を爆撃出来る”という恫喝か、“北方領土4島を返還せず、平和条約を求めるという恐喝なのである。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/gaikou/vol4/pdfs/gaikou_vol4_25.pdf
北方領土交渉はなぜ後退したのか?よく読んで下さい。






(伊勢爺の嘆き)

「たかじんのこれを言っても委員会」をYoutubeで観た。話題は、野田内閣の人選~増税の賛否が中心だった。宮崎哲也さんと、三宅久之さんの知識と主張の根拠に納得出来た。他のゲストは、“おもしろ、おかしく、生きたい”遊び人に見えた。伊勢自身の選択は、「消費税増税と日銀の国債買い付けによる復興財源拠出」のミックス”が現実と考えている。

しかし、これらの課題は内政の問題なのだ。このトークショウに決定的に欠けているのが、中国・ロシア・韓国による日本挑発なのだ。この点が話し合われないのは、日本の評論家にして、「国内経済第一」としていることである。さあ、そうかな?中国~ロシア~韓国は、そこに連携はないが、露骨に日本を挑発しているのだ。

国内経済も~東日本大震災復興も重要には間違いない。だが、トップは国防であるべきなのだ。そこを、アメリカに甘えているとしか思えない。しかし、沖縄の態度はどうか?“国防予算を据え置く”姿勢の野田政権はどうか?今月末の訪米では、野田首相は何を持っていくのだろうか?

日本には、“カリズマのある改革者”の登場が望まれる。だが、選挙で選ばれる国会議員には、日本を救う力はないと思う。日本を変える力とはアメリカによる外圧であろう。伊勢平次郎 ルイジアナ
09/11
ロシア艦艇・大軍で宗谷海峡を横切る


(日テレ)ロシア艦艇、 宗谷海峡通過新たに20隻 防衛省確認(09/11 07:50、09/11 10:02 更新)

 ロシア海軍の艦艇4隻がまとまって宗谷海峡を通過した問題で、防衛省は10日、新たに艦艇20隻の通過を確認したと発表した。通過はいずれも9日夜で、日本海からオホーツク海へ航行。「これだけ大規模な通過は過去10年なかった」(統合幕僚監部)という。

 同省によると、20隻は9日午前1時ごろから同10時ごろにかけ、宗谷岬の西方約200キロの海域で確認され、同日午後8時から同10時にかけて宗谷海峡を通過。巡洋艦、駆逐艦、補給艦に加え、戦車揚陸艦、救難艦、病院船も含まれており、極東海域での大規模演習で、総合的な訓練を実施するとみられる。






黒船来航の繰り返し




"太平の眠りを覚ます上喜撰たった4杯で夜も眠れず"

(解説)黒船来航黒船来航というのは、嘉永6年(1853年)に、マシュー・ペリー代将が率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船が日本に来航した事件。当初久里浜に来航したが,当時久里浜の港は砂浜で黒船が停泊できなかったことから,幕府は江戸湾浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)に誘導した。アメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至った。日本では主に、この事件から明治維新までを「幕末」と呼んでいる。


ぺリーの日本人観

中国人に対したのと同様に、日本人に対しても“恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう”と言っていた。


(伊勢爺の嘆き)

さきに、「通商破壊」をエントリーとした。ほとんどコメントは無かった。次に、「憲法改正に着手すること」を野田政権に進言して~読者の関心を得たかった。だが、“現行憲法を無効宣言すればいいだけ”という安直極まる改憲反対がきた。これには、驚いている。

欧米人には、「日本人は、黙りこくる子供」の印象がある。157年前に浦賀に来たペリーも同じ印象を日本人に感じただろう。

これでは、手のつけようが無い。この大国アメリカでさえも、日本人の頑迷さに手を焼いている。鳩山~管~野田(?)~日本の国民には、「自国を守る意思」が見えない。“日米同盟のシンカ、シンカ”と祈祷師のごとく唱えるばかりである。そこには、真実味がないのだ。


日本を救う唯一の手

それは、米国議会下院外交委が“日米同盟を見直す決議”を採択することである。日本人は「太平の夢」から覚めるだろう。伊勢平次郎 ルイジアナ
09/09
日本最強の武装とは?
日本最強の武装とは?

現行憲法・第九条・第二章・第二項を削除して~“日本国民は自国を守るためには、いかなる手段も否定しない”と書くことである。


(脚注)第二章 戦争の放棄

第九条第二項(前段):日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第二項(後段): 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


(解説)憲法第9条第2項前段の内容である「戦力の不保持」~憲法第9条第2項後段の内容である「交戦権の否認」の3つの規範的要素から構成されている[1]。日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶのは憲法前文の記述およびこの第9条の存在に由来している。伊勢


野田というひとはバカではない。実務型というごく普通の日本人である。会社なら、社長には向かないが、部長クラスなのだ。だが、大震災復興~円高対策~原発に消極的~PPT~尖閣実行支配論、、どれも、憲法改正を超える大仕事ではない。つまり、大きな考えがない。

野田政権は憲法改正を推進するべきだ。自民党は賛成するだろう。衆参両院の3分の2の賛成~国民の過半数の賛成を得られる可能性は高い。否決された場合は、どの政党が反対したかが明瞭になる。

護憲と称して~非戦平和を唱え~自国の防衛を米国国民に押し付けて来た日本人のわがままは、もはや、ゆるされない。伊勢平次郎 ルイジアナ







dr duncan 9.9.11

このひとが、全米10指に入る心臓外科医。ヒューストン(テキサス)聖路加病院のマイケル・ダンカン医師。米陸軍・軍医で少佐だったと。精密検査の結果、心臓の半分が機能低下だと判った。“心筋梗塞寸前”だとさ。バイパス手術を来週火曜日早朝と決定されたので、昨夜、車を飛ばして、ルイジアナへ帰った。何も知らないお犬さんたちは大喜び(笑い)。月曜日に飛行機で再出発する。先々週のストレステストから、三度目だ。入院期間は8日間で、それから全治まで6週間が懸かる。“気分爽快になるよ~10年は保障する”だとさ。伊勢
09/07
日本の死角・通商破壊(米海軍の存在)


(1914~1916)ドイツ帝国海軍の「Uボート」は南アフリカなどの植民地へ向かう英国商船を撃沈した。

もしも、中国共産党海軍の潜水艦が日本商船やオイル・タンカーを撃沈する事件が起きたら、日本政府はどうするのだろうか?米国海軍はどうする?「通商破壊」は日本の死角なのである。だから、日本を守れない憲法は改正しなければならないのだ。伊勢平次郎 テキサスにて、




 



1914年の「Uボート」の艦内。第1次大戦と第2次大戦の両方でドイツ潜水艦隊を率いたデーニッツは“第2次大戦のドイツ潜水艦乗組員が第1次大戦とは比較にならないほど困難な、かつ激しい戦闘に絶えねばならなかった~第1次大戦時代の乗組員はどれほど楽だったことか~またあらゆる点でとくに空軍について当時の敵の対潜防禦がいかに弱体で幼稚だったか、これは動かせない一つの事実である”と記している。

ただしイギリスの第1次大戦の潜水艦による商船被害は4200隻を越えている。これにたいし第2次大戦は戦争期間が長いにもかかわらず2900隻の被害しか受けていない。第1次大戦のドイツの潜水艦戦が1917年に集中しそれなりの効果をあげたといえる。またイギリス海軍の防御も見事だった。

デーニッツは第1次大戦ではUB68の艦長として護送船団を攻撃中、事故に遭遇捕虜となった。第2次大戦では1942年に潜水艦隊司令官となった。1943年海軍長官。1945年国家元首。

潜水艦戦は近代戦争で最も人間が戦闘員として忍耐と苦痛を要求される戦闘のあり方の一つではないか。おそらく将来の海軍で最も有効な戦闘方法であり続けるのだろう。第1次大戦で開始された戦闘様式として一番息の長い方式であるのかもしれない。(英国の対潜水艦史より)


通商破壊

通商破壊とは戦時に、通商物資や人を乗せた商船を攻撃することによって、海運による物資の輸送を妨害すること。主に潜水艦により行なわれたものが有名であるが、航空機や戦艦、武装商船などでも行う。なお、通商破壊に対する護衛・防御のことを通商護衛(つうしょうごえい)と呼び、通商破壊に対抗するために生み出された戦法が護送船団である。


通商破壊の目的

交戦相手国の物資の輸送が主に海運による場合において取られる手段であり、古来から行われてきた。食料や産業活動に必要な原材料の輸送を海運に依存している国家にとって、海運による通商活動の停止は、産業活動の崩壊・国家の崩壊に結びつくため、そのような国家に対する作戦行動として非常に有効となる。

また通商破壊作戦は、対戦国よりも相対的に弱小な海軍を保有する場合にもゲリラ的に実施できるため、劣勢海軍の主軸戦術として実施される。現代の通商破壊の主力兵器は、潜水艦、航空機、機雷などである。

これに対して、海運が重要な国家において海軍に求められることはシーレーン(海上通商路)の維持・防衛となる。その方策としては、通商物資を搭載した商船に船団を組ませ、それを軍艦などで護衛する護送船団や、通商破壊を行う敵部隊・根拠地を直接攻撃する方法の二つがある。しかし、このシーレーンの維持・防衛は、戦時においては現地主義の弊害から、後方支援として重要度が低くされる傾向にあり、優秀な指揮官があたることは少ない。また、兵士も戦闘員ではなく輸送員と化してしまうことにより士気が低下することもあり、成功させることは困難である。通商破壊を実施する側はゲリラ的な作戦を実施できるのに対し、防衛には各艦船・兵力の連携や情報の更新、護衛と同時に撃退を行うなど、非常に多くの戦力が必要となるためである。

通商破壊の効果

商船を拿捕し、また沈めてしまえばその国家の海運から直接その船の分の輸送力を永続的に奪うことになる。間接的にも大きい効果を及ぼすことができる。すなわち、ある航路が安全でないとなれば、低速の単独船は出発港に引き返すか最寄りの港に避難してしまうため、長期にわたってその航路の効率を落とすことになる。また通商護衛のために船団方式を採用すれば、護衛がつくことにより船舶そのものの被害は減少するが、出港の準備が早く整った船も最後の船の準備ができるまで港内で待たざるを得ない。また、出港すれば船団で一番遅い船の速度に全船が合わせねばならず、船舶の運用効率が落ち、目的港に到着すれば港湾の荷揚げ施設は接岸や物資の陸揚げに忙殺される。

少数の通商破壊艦でもその出現によって多大な影響を与えることができる。それを排除するために相手国の海軍では船団護衛のみならず、通商破壊艦を積極的に索敵撃滅するために大兵力を投入することがある。

09/05
日本人の味方・米国海軍(その1)
USS Indianapolis museeum

米国インデイアナ州インディアナポリスにある「USSインディアナポリス博物館」は、全米の米国海軍軍人・現役及び退役軍人とそのご家族によって運営されている。伊勢爺さんは、この博物館にメールを出している。TV映画(インディアナポリスとは無関係だが)作成の協力を要請した。砲塔の下、白い帽子の男はハリー・トルーマン。広島長崎に原爆投下を命じた狂人である。伊勢平次郎 ルイジアナ








海軍中佐 橋本以行(はしもともちつら 1909年10月14日 - 2000年10月25日)橋本以行は、 潜水艦「伊58」艦長時、原子爆弾をテニアンまで運搬したアメリカ海軍の重巡洋艦インディアナポリスを撃沈した事で有名な日本帝国海軍軍人。


生誕地  京都市

軍歴   1931年~1945年

最終階級 海軍中佐

除隊後  梅宮大社名誉宮司及び大神宮社宮司


I 58 with kaiten

人間魚雷回転を搭載した伊ー58号潜水艦。重巡インディアナポリスを撃沈した橋本以行艦長は“真珠湾攻撃のときに使った伊ー24号は強いジーゼルを載せていたが、この伊ー58のジーゼルは脆弱でその数まで減らしている。海軍工廠の考では、こんな劣等な潜水艦で闘えと言ってるんだ”と「日米潜水艦戦争」の中に書いている。歯に衣を着せないおひとで、敗戦と同時に、部下に、もはや闘うことの不毛と武装解除を説いている。米海軍にたいへん尊敬されたおひとなのである。1945年のクリスマス、米海軍軍事法廷で証言し~さらに尊敬と厚遇を得ている。日本帝国の軍人でたった一人かも知れない。


年譜

1931年(昭和6年) - 海軍兵学校(59期)卒
1937年(昭和12年) - 海軍第十一戦隊の保津 (砲艦)に乗艦し12月13日に揚子江上にて南京包囲戦に参加する。
1942年(昭和17年)2月 - 海軍潜水学校甲種学生 同年7月 - 潜水艦「呂31潜」艦長

1943年(昭和18年) - 潜水艦「伊158」、「呂44」艦長
1944年(昭和19年) - 潜水艦「伊号第五八潜水艦」艦長(~終戦)
1945年(昭和20年)7月30日 - 米海軍重巡洋艦『インディアナポリス 』を撃沈。
1945年(昭和20年)11月20日 - 駆逐艦「雪風」艦長(渡米のため未着任)
2000年(平成12年)死去、享年91

インディアナポリス撃沈

回天特別攻撃隊「多聞隊」を乗せた「伊号第五八潜水艦」(以下伊58と略す)は、パラオ島北方250カイリ付近を哨戒任務中であった。7月29日午後11時35分頃、水平線上に敵大型艦らしき物を確認し急速潜行を行い、潜望鏡深度を保ったまま敵艦に近づいて行った。潜望鏡で敵艦艇を戦艦クラスと確認した橋本潜水艦長は、回天搭乗員に出撃命令を下すと共に魚雷戦用意の命令を下した。

最初は回天特攻による攻撃も考えた橋本潜水艦長であったが、敵艦を完全に捕捉しているので魚雷による攻撃でも充分と判断し、回天での攻撃は取り止めた。前日に2基の回天を出撃させてはいたが、回天の特眼鏡は性能が悪く夜間(当日は月が出ていて、潜水艦の夜間用潜望鏡では視認可能であったが、雲が多く天候自体はよくなかった)の攻撃は非常に困難であった。回天搭乗員は橋本潜水艦長に対し何度も出撃の催促を行う場面もあったが、「通常魚雷で沈められるときは通常魚雷で攻撃する」と述べて却下している。後年の回顧によると、無駄な特攻による戦没者をこれ以上出したくなかったとも述べている。

明けて7月30日午前0時2分に、距離1500mから6本の魚雷を深度4m、速力48kt、それぞれ3度の角度で扇状に3秒間隔で発射し、その内の3発が(アメリカ軍によると2発)命中した。インディアナポリスは大きく右舷に傾き、僅か15分ほどで撃沈された。これは橋本の「唯一の戦果」とも云われており、また、一説によればインディアナポリスは5分で沈んだとも云われる。インディアナポリスはSOSを一回打信した直後に電気系が水没、アメリカ海軍はたった一回のSOSを受信しながら組織内の齟齬により司令部に連絡が伝わらずインディアナポリス乗組員は悲惨な漂流を強いられた。

橋本潜水艦長は「アイダホ型戦艦撃沈確実」と報告したが、自らが沈めたこの艦が「インディアナポリス」であったこと、そしてその艦が広島・長崎に投下された原子爆弾をテニアン島に輸送したのちに、レイテ島に移動中だった事を知ったのは戦後のことであった。

アメリカ軍側は、インディアナポリスが潜水艦による魚雷攻撃で撃沈されたという事実を確認すると、原爆の輸送情報が事前に日本軍側に漏洩していたのではないかと疑い、戦後橋本潜水艦長に対しアメリカにまで呼んで数日間に渡り尋問を行った。しかしインディアナポリス撃沈は全くの偶然であった。米海軍は「適切なジグザグ運動をしていたら、インディアナポリスの撃沈は防げた」と考え、状況確認を行ったが、橋本は「あの位置関係ならばジグザグ運動をしていても撃沈できた」と証言している。またこの尋問は、正常な情報管理があったら、より早くインディアナポリスの沈没を知ることができ、880名もの兵士が死ぬことは無かった。その罪をインディアナポリスの艦長であったチャールズ・B・マクベイ3世に全責任を負わせるために、橋本以行に「インディアナポリスが適切な回避行動をとっていたら、撃沈できなかった」と証言させたいが為に、わざわざアメリカにまで呼んで証言させたのだという説がある。実際、橋本に対する尋問内容もこの説の内容に沿ったものになっている。橋本自身、マクベイの名誉回復に最も熱心だったと言われている。

鎮魂の日々

橋本潜水艦長と「伊58」は、その後も作戦を続けるが幸運にも生還した。

戦後は神職の資格を取り、梅宮大社の神職となる。図らずも回天特攻隊員を運送する任を負っていた事~回天搭乗員を出撃させ戦死させた事~もっと早く哨戒海域に着いていれば、広島・長崎への原爆投下を防げたのでは(テニアン島入港前の「インディアナポリス」を撃沈できたのではないか?)と云う自責の念から、太平洋戦争で亡くなった全ての御霊の鎮魂を祈る日々を送ったと云われる。

あるドキュメンタリー番組の中で、戦後アメリカ軍によって接収された「伊58」が、長崎港外で魚雷による撃沈処分されるシーン(アメリカ国防省に保存されていたカラーフィルムで、番組のスタッフは橋本の心情を考えて「御覧になりますか」と聞いたが、橋本は「是非とも見せて下さい」と答え、フィルムを流している)を見て静かに涙を流し、「あの艦は私の人生の全てでした」と語っている姿が放映されている。

橋本はアメリカでの尋問中「日本兵の蛮行」について言及している。また生存中、1937年の南京事件時のことも、客観的に話をしていたという。現在防衛研究所戦史部には橋本の「橋本以行手記第2編 揚子江遡江作戦」が保存されているが、この史料は非公開であるという。(ウイキぺデイアから。戦死者記録(332名)に間違いを見つけたので、880名と直した。生存者は316名だった。また、魚雷3発命中から沈没までの時間は、12分である。15分ではない。伊勢)



                       ~続く~


(解説)今日はここまで。しばらく、日本の政治テーマから離れる。水曜日の朝3時に、テキサスの聖路加心臓外科へ入院するため入院前服薬など準備している。「日本人の味方・米国海軍(その2)」をお楽しみに、、伊勢
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