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管理人は、アメリカ南部・ルイジアナ住人、伊勢平次郎(78)です。
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日本のクーデター・江戸無血開城


(1828~1877)49歳で世を去る。勝海舟と会ったのは、1868年。西郷さんは、40歳だったわけだ。日本にはカリズマ性の高いひとが多く出た。だが、この人の上をいくものはいない。なぜなら、城山で“一緒に死のう”と西郷さんが言ったら、薩摩侍たちは黙って頷いたのだ。



(1823~1899)76歳で世を去る。亡くなるなる直前に、“コレデオシマイ”と言ったそうだ。西郷さんと会ったときは、35歳という若さである。このおひとは、カリズマ性を隠していたと思う。豪胆であった。それが、天命を全うするという最期に見れる。






池上本門寺での勝海舟・西郷隆盛会談について

江戸無血開城へといたる、官軍参謀の西郷隆盛と、幕府代表の勝海舟の会談は三田の薩摩屋敷のほかに、東京都大田区の池上本門寺の庭「松濤園」でも行われた。こう書くと、勝・西郷会談がテレビドラマのようにロマンに聞こえるが、実際は、このお二人は地雷原を歩いたのであった。当時の日本男児は「決断」の重要さが分かっていたのだ。伊勢平次郎 ルイジアナ

1868年

  1月12日 徳川慶喜 江戸城に入り勝海舟と善後策を論じる。
  1月17日 勝海舟、海軍奉行に任命される。
  1月18日 勝海舟、越前家に手紙を書き朝廷とのとりなしを願う。
  1月23日 勝海舟、陸軍総裁若年寄任命。榎本武揚、海軍副総裁に任命。勝海舟、徳川慶喜に戦略案を示す
  2月23日 勝海舟、陸軍総裁。大久保一翁、会計総裁を命じられる。
  3月 5日 勝海舟 西郷吉之助に外国の介入及び汚名を後世に残すと手紙を書く。
    同   山岡鉄舟、勝海舟を訪問
  3月12日 西郷吉之助、勝海舟に“明日高輪藩邸で会おう”と手紙を書き、板垣退助にも“勝手に動くな”と手紙を書く
  3月13日 勝海舟、正午に江戸高輪薩摩藩邸の西郷吉之助を訪問し、静寛宮を人質にしない事を明言。
  3月14日 江戸田町薩摩藩邸にて、西郷吉之助、勝海舟会談する。西郷、江戸総攻撃中止を決める。
  3月21日 アーネストサトウ、勝海舟を訪問。
  3月26日 勝海舟、「蟠龍丸」で横浜に海軍総督、大原俊美を訪問。
  3月27日 勝海舟、横浜英国公使館のパークスを訪問し、最悪の場合、徳川慶喜の国外脱出を依頼。
  4月 4日 土方歳三、勝海舟訪問後、鴻台(市川)に向う。
  4月 5日 西郷吉之助、大久保一蔵に、経過報告と公私混同を避けるため勝海舟に会わずにいると手紙を書く
  4月 9日 勝海舟、大久保一翁は、池上本門寺で陸海軍より預かった嘆願書を提出し、城受け渡しの打ち合わせをする
  4月10日 勝海舟、池上本門寺で打ち合わせ後、寛永寺の徳川慶喜訪問し刀を賜る。
  4月16日 勝海舟、館山の榎本武揚を説得。
  4月22日 勝海舟、館山の榎本武揚を訪ね恭順を示すため新政府軍に軍艦の引渡しを要望 遊撃隊これに反発。
閏 4月 2日 大総督府、勝海舟に江戸鎮撫取締を委任。
閏 4月 4日 勝海舟、大総督府に徳川慶喜を江戸近郊に移せと建白書を提出。
閏 4月 5日 勝海舟、西の丸大総督府に嘆願に行く。
閏 4月19日 勝海舟、静寛院宮に徳川慶喜よび返しについて嘆願書提出。
閏 4月23日 榎本武揚、箱館偵察の件で勝海舟訪問。
閏 4月25日 勝海舟、大総督府に建言書提出。
閏 4月28日 勝海舟、西郷吉之助に、“江戸鎮撫のため徳川慶喜を復帰させ没収した知行地を返還せよ”と手紙を書く
 5月14日 勝海舟、公現法親王に書面を提出。これが勝の江戸開城の前後のスケジュール表であった。


(伊勢爺の解釈)

薩長同盟~江戸無血開城は、クーデターが成功した珍しいケースだ。信長を殺した明智光秀は、事件後三日で秀吉に殺されている。鎌倉幕府でもクーデターはあったが、義経は東北へ追われた。島原の乱や、百姓一揆は多くあったが、失敗している。

西郷吉之助のクーデターとは、藩主の島津斉彬を無視したことである。切腹した理由は、藩主を裏切ったという罪悪感が理由だとする歴史家がいる。一方で、勝海舟は、徳川三百年の歴史に終止符を打ったのだ。この二人の英雄は熱血漢だが、クールでもあった。後、勝は天命を全うするが、革命児の西郷さんは、城山で切腹した。また、新撰組副長の土方俊三は、函館で討ち死ぬ。幕府側の侍も、薩摩侍も立派だった。やはり、日本の歴史の中で、もっとも輝いた14年間(黒船来航から明治政府生誕まで)の闘争である。男は、このように生きるべきだと思う。伊勢

(おまけ)

2005年の夏、ウチのを函館の五稜郭に連れて行った。札幌から汽車だった。運転手さんは、在日朝鮮人で、礼儀正しいひとだった。“蕎麦を一緒に食べましょう”というと、“お客様と店には、入れません”と遠慮した。空港に着いた。チップを2千円上げると、“こんなに沢山”と嬉しがった。伊勢
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