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管理人は、アメリカ南部・ルイジアナ住人、伊勢平次郎(81)です。
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石油をめぐって戦争は起きる(その1)
Giant jamese dean 1956

テキサスに59万エーカーの広大な土地を持つ牧場主ジョーダン・ベネディクト2世(ロック・ハドソン)が、東部の名門の娘レズリー(エリザベス・テイラー)を妻に迎える。初めてテキサスを訪れた彼女はその途方もない広さに驚き、東部とはあまりにも異なる人間の気質と生活習慣に戸惑う。夫の姉ラズ(マーセデス・マッケンブリッジ)の冷たい視線にも苦しめられ、一時は夫婦の間の絆にも危機が訪れるが、レズリーは持ち前の粘り強い性格でそれを乗り越えていく。

このレズリーに心を寄せるのがひねくれ者の若い牧童ジェット・リンク(ジェームス・ディーン)。彼は事故死したラズが遺してくれた土地に移って石油を掘り続け、ついに油田を掘り当て、石油事業を興して大金持ちになる。

歳月は流れ、米国でも屈指の大富豪になったジェットと牧畜業がうまくいかなくなったジョーダンは、ホテルの祝賀パーティの席で対決の時を迎える。

この物語にジョーダン3世(成長してデニス・ホッパー)、ラズ2世(成長してキャロル・ベイカー)、メキシコ人の若者(サル・ミネオ)らが複雑に絡み合い、メキシコ人差別の問題も盛り込みながら30年間のドラマが繰り広げられる。






(伊勢爺の解説)

1956年、女流作家・エドナ・ファーバーが書き終えるのに12年間かかったベストセラー小説「ジャイアンツ」を映画化した、ジョージ・スティーヴンス監督の大河ドラマである。

ドラマの中心となるベネディクト家は、移り行くテキサスを映す鏡である。監督は、その日常的な細部を克明に悠然たるテンポの演出で描くことによって、雄大なテキサスのエピックを完成しようとした。リアリズムを基調として、澎湃たるテキサスの発達史を描きだそうとしたわけで、野心的な試みである。

また、女性の自立の問題や人種問題など、21世紀になった現在でも直面している問題に対して、先駆的な問題意識を観客に届けている。

ステイーブンスは、「シェーン」で西部劇へ新しい世界を開いたように、「ジャイアンツ」ではエピックに新しい境地を開拓したと言える。


スピンドルトップ
250px-Lucas_gusher Spidletop 1.10.1901 Texas

ルイジアナのわが家から、西へ400キロでテキサス州境に着く。最初の町ボーモントだ。なんとも、薄汚い町だが、この町の「スピンドルトップ」が北米最初の油井となったのだ。

スピンドルトップ(Spindletop)は、アメリカ合衆国テキサス州ボーモント市の南に位置する岩塩ドーム油田。1901年1月10日、スピンドルトップに「ルカス1号油井」が完成、現代の石油産業の誕生の日付けを記した。一日10万バレルの産油量で、夜通し噴出する噴出油井でアメリカ合衆国の石油生産は3倍になり、第二次産業革命の燃料は、木材と石炭から、石油とその副産物に代わることを確実にした。今日よく知られるエクソンモービルやテキサコといった企業がスピンドルトップを開発した。1966年11月13日、アメリカ合衆国の国定登録史跡に指定された。

歴史

長い間「スピンドルトップ・ヒル」の地下は疑われていた。このエリアは硫黄泉と、着火すると燃える泡立ったガスの漏出が見られた。元羊飼いと元セールスマンであったファミル兄弟により、掘削が始められた。 1892年8月、ジョージ・W・オブライアン、ジョージ・W・ キャロル、パティリョ・ヒギンズとその他数名は、スピンドルトップの試掘を行うグラディス・シティ石油ガス製造会社を創設した。当初、会社は多くの無駄な井戸を掘り、それでも資金を要求される投資家とトラブルに陥った。

パティリョ・ヒギンズは会社を去り、アメリカの岩塩ドームの専門家、アンソニー・F・ルカスと手を組んだ。ルカスは1899年にグラディス・シティ社と契約し、後にヒギンズと契約を交わした。ルカスは資金が尽きるまでに、575フィート (175 m)を掘削した。ピッツバーグの投資家、ジョン・H・ギャレイとジェームス・M・ガフェイから追加資金の保証を得ていたが、その分配の取り決めはルカスに少しで、ヒギンズにいたってはまったく無かった。

ルカスは掘り続け、1901年1月10日、深さ1,139フィート (347 m)の地点で、今日ルカス油井、またはルカス間欠泉として知られる原油が噴出した。噴出の高さは150フィート(46 m)にも達し、一日10万バレルの量が出た。油井を統制するまでに9日かかった。スピンドルトップは、最大の噴出油井となり、ボーモントはアメリカで最初の石油燃料による新興都市となった。ボーモントの1万人の人口は3か月で3倍になり、ほどなくして5万人に達し、石油の産出が推測される土地の値段は急激に高騰した。1902年の終わりまでに、600以上の会社が作られ、285の油井が運営された。

1902年の後は石油生産は急激に下降し、1904年には油井の産出量は一日1万バレルだけになった。1925年11月13日、ヨーント・リー石油会社が岩塩ドームの側面の周りの深さ5,400フィート (1,646 m)の地点で新しい石油を発見し、石油ブームは少し復興した。その後5年間で、6千万バレル以上の石油が産出され、その大部分はさらに深い地点から掘られた。スピンドルトップの原油生産は1933年頃まで続き、1950年代から1975年頃までは、硫黄の採掘へと代わった。(ウイキぺデイアより)

                               ~続く~






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