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謹賀新年の挨拶と苦情を述べます |
昭和22年、伊勢坊は小学校に上がった。「つらいことを克服して、前に進め!」と先生たちは生徒を勇気付けた。まず、食い物が不足していた。主食はサツマイモだった。パンも牛乳さえもなかった。砂糖は配給、、米も配給、、女の子はモンペを穿いて藁草履だった。制服などないので、親が古い上着を仕立て直した服を着ていた。子供が良く死んだ。それでも、子供たちは、元気よく、「富士は日本一の山」を唄った。苦情を言いますね。それは、現代の青年男女は日米戦争はなかった、、日中戦争もなかった、、満州国ってなあに?と戦争はなかったとしているように思える。漫画やアニメ、、ミュージックとは思えない雑音、、少女ポルノ、、現実逃避を続ける限り、日本は衰退して行きます。伊勢
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スター誕生 |
ダーシ・リン・ファーマーは、14歳。オクラホマのビジネスマンの娘で、3人が兄と弟。12歳で「アメリカのタレントショー」で優勝して100万ドルを勝ち取り、現在、NBCやラスベガスのホリデイ劇場と契約して300万ドルの資産家。この女の子は恥ずかしがりやで人前に出られなかった。でも歌を唄うのが好きだったので、パパが家の中で歌いなさいと勇気付けた。10歳のとき、腹話術で歌を唄う女性をテレビで見る。ママに人形を買ってと頼んだけど、両親はダーシは歌手になると決めていて聞いてくれなかった。ひとりで練習した。それを聞いた腹話術師がダーシに腹話術を教えた。娘の情熱についにママが人形を買ってくれた。ダーシは他にも器械体操の選手を目指していた。14歳で大人なんです。でも、両親は学校を休んでまで興行をさせない。これが、アメリカ中西部のクリスチャンなんです。伊勢のコロラドの姪ボボも14歳で、女子サッカーオリンピック選手を目指している。過去2年間、コロラド・ロングモント市の最優秀中学生なんです。ボボもカソリック。ここにアメリカの精神の柱を見ることができる。伊勢

左がボボで、右がお姉ちゃんのダニエール。これは3年前の写真で、ダニエールは22歳となり中学校の歴史の先生になった。ボボは、すっかり大人になり、この夏、ハードルで優勝。伊勢
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メリー、クリスマス |
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日本人には、アメリカがよって成り立つ価値が理解できない |
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中国が核武装するのは無理もない |





それでは太平洋進出は?

チャンネル桜に集まる似非保守たちは、さかんに中国の脅威を叫んでいるが、伊勢は中国を脅威と思ったことがない。それは小動物が威嚇しているように見えるからです。実際は、中国というか中国大陸ほど侵されやすい地域は他にはないからね。1842年のアヘン戦争から今日までの中国史を見れば一目瞭然です。日英米仏独はそれぞれの国益を満たすために支那を取り合ったからね。今さら国土を切り取る国はロシアを除いてないが資源と富の奪い合いが続いているんです。欧米金融支配を大声で批判すす馬渕とかがいるけどね、偽物です。なぜなら、国際金融機構は、軍事独裁体制の中国やロシアには影響が及ばないからです。やられているのは、軍事力も国庫にもカネのない日本だけなんだね。日本は老人大国だから、先はない。伊勢
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シナを阿片漬けにした貿易商社 |

デービッド・サッス―ンと三人の息子。1832年、ボンベイでしょう。伊勢
阿片戦争(1840年~1842年)は調べれば調べるほど、汚い戦争だったことが分かる。 1971年に 「第25回毎日出版文化賞」 を受賞した陳舜臣氏の著書『実録アヘン戦争』(中央公論新社)には次のように書かれている。 「アヘン戦争は、単にイギリスによるアヘン貿易強行のための中国侵略戦争以上の意味を持っている。 この “西からの衝撃” によって、我々の住む東アジアの近代史の幕が切って落とされたのである」。
阿片戦争は、イギリスの 「サッスーン財閥(サッスーン家)」 を抜きにして語ることはできない。 「サッスーン財閥」 という名を初めて聞く人は多いと思う。 以下で詳しく紹介していく。
サッスーン家は18世紀にバグダードに台頭したセム系ユダヤ人の富豪で、オスマン帝国の治世下にあって財務大臣を務めるほどの政商であった。 デビッド・サッスーン(1792年~1864年)はサッスーン家の子としてバグダードに生まれ、そこで活動していたが、シルクロードの交易によって益々その富を蓄え、ボンベイ(現ムンバイ)へ移住した。 彼は1832年にボンベイで 「サッスーン商会」 を創業し、インド産の阿片を密売し始めた。 サッスーン商会はイギリスの東インド会社からインド産の阿片の専売権を取得し、阿片をシナで売り、シナの銀を運び出し、とてつもない利益を上げた。 デビッド・サッスーンは 「阿片王」 と呼ばれる程になった。 彼はイギリス紅茶の総元締めでもあり、麻薬と紅茶は、彼の手の中で同時に動かされていた。
阿片は、ケシの実(鶏卵大~こぶし大)に傷をつけ、その傷からにじみ出る乳液を採取して作られる麻薬である。 阿片は約10%のモルヒネを含み、精製の必要がなく、顕著な薬効がある為、昔から麻酔薬として使われてきた。 シナでは清の時代に阿片を薬としてではなく、タバコのようにキセルを使って吸うことが流行した。 阿片は、吸い続けると中毒になり、やがて廃人になってしまうという恐ろしい薬である。
阿片を大量に送り込まれた清国では、阿片が大流行して社会問題となった。 やがて、清国が阿片輸入禁止令を出したことで、清国とイギリスとの間で阿片戦争が始まった。 阿片戦争で敗れた清国は南京条約(1842年)に従って上海など5港を開港し、香港をイギリスに割譲し、さらに賠償金2億1000万両をイギリスに支払った。 阿片戦争での清国の敗北がイギリスをはじめフランス・ロシアのシナ侵略の足がかりとなった。 その意味でサッスーン商会はヨーロッパの列強にとって第一級の功績を立てた会社だと言える。
清国が阿片戦争で敗北すると、ヨーロッパの列強は競ってアジアに進出した。 清国はイギリス以外の列強とも不平等な条約を結ぶ破目になった。 肝心の阿片については条約では一切触れられることなく、依然として阿片の清国への流入は続いた。
阿片戦争(1840年~1842年)の結果として、上海はイギリスの対シナ貿易港となり、19世紀後半には上海にユダヤ人共同体が結成された。 そして、上海は1920年代から1930年代にかけてシナ最大の都市に成長し、繁栄を極め、「魔都」 とか 「東洋のパリ」 とか呼ばれるようになった。 この当時の上海におけるユダヤ人口は、西アジア出身のセム系ユダヤ人700人、欧米出身のハザール系ユダヤ人4000人ほどであった。 上海では阿片戦争以降、イギリス国籍・アメリカ国籍・フランス国籍を持つセム系ユダヤ人がここを本拠地として活躍し、彼らがあらゆる点で支配的権力を持っていた。 「上海証券取引所」 の所長と99人の会員の3分の1強がセム系ユダヤ人であった。
上海のアヘン屈

サッス―ン・ハウス

上海の黄浦江に面するバンド地区に今もある。毛沢東の共産革命で没収された。中国共産党は、このユダヤ一族を抹殺したいのです。サッス―ンの遺産は香港上海銀行となって、バハマやカリブ海の島に根を張っているのです。伊勢
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沖縄の負担を軽減する良案です |
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残念ながら、バイ菌に見えるだけ、、 |
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芥子畑 |

インドの北部、パキスタン、アフガニスタンで、芥子がよく育つ。それもモルヒネの含有量が20%にも達するという良質な芥子です。トルコ、ロシアのコーカサス、グルジアでも採取するが、モルヒネの含有量はインド産にはかなわないそうです。
芥子坊主

芥子は一メートルぐらいの高さである。芥子の花は牡丹のように大きく美しい。色は、紅、白、紫で青と黄はない。どれも単色ではなく、上が紅で下が白が多い。芥子坊主はテニスボールのサイズである。未熟な果実にカミソリで切れ目を入れる。その切れ目から淡紅色の乳液が噴出して、ローソクのように渇く。この乳液がモルヒネを含んでいるのである。これをへらでかき集め乾燥したものが生アヘンである。清の時代、中国ではこれをキセルに詰めて吸ったわけです。一分もすると、体中の痛みや悩みが消える。常習者になると、やがて廃人になる。実が熟すと植物体は枯死する。熟した果実の天頂に穴があき、径 0.5mm に満たない小さな種が飛び出す。このケシツブを北アフリカなどの治安のない地域に売る。日本でも八重咲の芥子の花が咲くが、国が管理する植物園でしか見られない。明治政府は開国後もアヘンを持ち込まさなかったんです。先人は賢いですね。伊勢
~続く~
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阿片で巨富を得たユダヤ商人 |

阿片戦争は、清とイギリスの間で1840年から2年間にわたり行われた戦争である。イギリスは、インドで製造したアヘンを、清に輸出して巨額の利益を得ていた。アヘンの蔓延に危機感をつのらせた清がアヘンの全面禁輸を断行し、イギリス商人の保有するアヘンを没収・焼却したため、反発したイギリスとの間で戦争となった。イギリスの勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、イギリスへの香港の割譲他、清にとって不平等条約となった。ウイキペデイア
この記述は正確でない。阿片が儲かると気が着いたのは、デービッド・サッスーンというバグダッド生まれのユダヤ人です。バグダッドは当時、オスマン・トルコの統治下にありイギリスが揺さぶった為にイギリスに統治権を与えたんです。英国籍のサッスーンはその権力を利用して発見されたイラクの石油で儲けていたそうです。それに飽きて、富をインドのボンベイに移します。そこで、阿片を知るのです。伊勢
~続く~