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管理人は、アメリカ南部・ルイジアナ住人、伊勢平次郎(78)です。
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シナを阿片漬けにした貿易商社


デービッド・サッス―ンと三人の息子。1832年、ボンベイでしょう。伊勢

阿片戦争(1840年~1842年)は調べれば調べるほど、汚い戦争だったことが分かる。 1971年に 「第25回毎日出版文化賞」 を受賞した陳舜臣氏の著書『実録アヘン戦争』(中央公論新社)には次のように書かれている。 「アヘン戦争は、単にイギリスによるアヘン貿易強行のための中国侵略戦争以上の意味を持っている。 この “西からの衝撃” によって、我々の住む東アジアの近代史の幕が切って落とされたのである」。

阿片戦争は、イギリスの 「サッスーン財閥(サッスーン家)」 を抜きにして語ることはできない。 「サッスーン財閥」 という名を初めて聞く人は多いと思う。 以下で詳しく紹介していく。

サッスーン家は18世紀にバグダードに台頭したセム系ユダヤ人の富豪で、オスマン帝国の治世下にあって財務大臣を務めるほどの政商であった。 デビッド・サッスーン(1792年~1864年)はサッスーン家の子としてバグダードに生まれ、そこで活動していたが、シルクロードの交易によって益々その富を蓄え、ボンベイ(現ムンバイ)へ移住した。 彼は1832年にボンベイで 「サッスーン商会」 を創業し、インド産の阿片を密売し始めた。 サッスーン商会はイギリスの東インド会社からインド産の阿片の専売権を取得し、阿片をシナで売り、シナの銀を運び出し、とてつもない利益を上げた。 デビッド・サッスーンは 「阿片王」 と呼ばれる程になった。 彼はイギリス紅茶の総元締めでもあり、麻薬と紅茶は、彼の手の中で同時に動かされていた。

阿片は、ケシの実(鶏卵大~こぶし大)に傷をつけ、その傷からにじみ出る乳液を採取して作られる麻薬である。 阿片は約10%のモルヒネを含み、精製の必要がなく、顕著な薬効がある為、昔から麻酔薬として使われてきた。 シナでは清の時代に阿片を薬としてではなく、タバコのようにキセルを使って吸うことが流行した。 阿片は、吸い続けると中毒になり、やがて廃人になってしまうという恐ろしい薬である。

阿片を大量に送り込まれた清国では、阿片が大流行して社会問題となった。 やがて、清国が阿片輸入禁止令を出したことで、清国とイギリスとの間で阿片戦争が始まった。 阿片戦争で敗れた清国は南京条約(1842年)に従って上海など5港を開港し、香港をイギリスに割譲し、さらに賠償金2億1000万両をイギリスに支払った。 阿片戦争での清国の敗北がイギリスをはじめフランス・ロシアのシナ侵略の足がかりとなった。 その意味でサッスーン商会はヨーロッパの列強にとって第一級の功績を立てた会社だと言える。

清国が阿片戦争で敗北すると、ヨーロッパの列強は競ってアジアに進出した。 清国はイギリス以外の列強とも不平等な条約を結ぶ破目になった。 肝心の阿片については条約では一切触れられることなく、依然として阿片の清国への流入は続いた。

阿片戦争(1840年~1842年)の結果として、上海はイギリスの対シナ貿易港となり、19世紀後半には上海にユダヤ人共同体が結成された。 そして、上海は1920年代から1930年代にかけてシナ最大の都市に成長し、繁栄を極め、「魔都」 とか 「東洋のパリ」 とか呼ばれるようになった。 この当時の上海におけるユダヤ人口は、西アジア出身のセム系ユダヤ人700人、欧米出身のハザール系ユダヤ人4000人ほどであった。 上海では阿片戦争以降、イギリス国籍・アメリカ国籍・フランス国籍を持つセム系ユダヤ人がここを本拠地として活躍し、彼らがあらゆる点で支配的権力を持っていた。 「上海証券取引所」 の所長と99人の会員の3分の1強がセム系ユダヤ人であった。


上海のアヘン屈




サッス―ン・ハウス

Sassoon House Shanghai

上海の黄浦江に面するバンド地区に今もある。毛沢東の共産革命で没収された。中国共産党は、このユダヤ一族を抹殺したいのです。サッス―ンの遺産は香港上海銀行となって、バハマやカリブ海の島に根を張っているのです。伊勢
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