fc2ブログ
管理人は、アメリカ南部・ルイジアナ住人、伊勢平次郎(81)です。
02 * 2021/03 * 04
S M T W T F S
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
03/31
ケヤキの森のルノワール  第八章・第九章・・第十章
第八章
国東唐鬼の遺品は埼玉の八代市にある警察庁倉庫の中に保管されていた。
「焼却しなかったんですか?」と知念が保管課長に訊いた。
「身元が不明のケースでは、全てが保管されて三十年後に焼却されるんですが、美術品は焼却の対象ではありません」
「その水彩画を見せて下さい」
どれも見事な絵である。知念の目が一枚のスケッチに惹き着けられた。そこには、金魚の絵柄の浴衣を着た日本女性が描かれていた。女性は文金高島田に結い上げて大輪の菊をカンザシにしていた。だが、知念の目が惹き着けられたのは女性ではない。女性が右手に持っているランチュウの形をしたジョウロであった。女性がジョーロの口から出る水を黄色い薔薇に注いでいた。同じようなスケッチが数枚あった。夫々の女性の浴衣や髪形や姿勢が違った。一枚の絵は女性がしゃがんでいた。
「佐伯先輩、この女性はどれも同じ人物です。モデルですが、山形和子じゃないでしょうか?」
「そういえば、山形和子が髪を文金高島田に結えば、、ただ、切れ長の目と眉が喜多川歌麿の浮世絵だね?それと金魚の絵柄の浴衣やランチュウが気になるね」
「国東唐鬼が金魚を飼っていた可能性がありますね」
「ああ、そうか。角度とかだね?生きているように描かれているね。ボクも君の年の頃はこういう微妙なことに気が着いて、仁科さんに褒められたもんだ」
「いやいや、ご先輩にはボクら若い刑事にはわからない体験があるんです。古い時計と新しい時計。どちらも価値があるんです」
「古時計ねえ?有難う」
保管課長がニコニコとふたりのやり取りを聞いていた。
「課長さん、この絵をお借り出来ますか?もっとも拒否は出来ないのですが」と知念が笑った。
ふたりが警視庁に戻った。
「知念君、新橋で飲もうか?」
「そうですね、雛忠で焼き鳥と生ビールはどうですか?」
ふたりは地下鉄銀座線で新橋へ行った。靴を脱いで百畳の座敷に並んだテーブルの前に座った。店はサラリーマンで込んでいた。知念がタバコの煙にむせんだ。
「ボクも吸うよ」と佐伯が言った。
「どうぞ、どうぞ。その代わり、今夜は、ご先輩の奢りでどうでしょうか?」
ふたりが笑っているところへ、店員が生ビールの大ジョッキを持って来た。
「知念君、何故、あのスケッチを借りたの?」
すると、知念がスマートフォンを取り出して、ルノワールの「ジョウロを持つ少女」のフォトを見せた。佐伯が息を飲んだ。
「国東唐鬼の絵を扱った画商は判るかな?」
「ええ、グーグルで銀座八丁目の画廊だと判りましたが、面接する価値はないと思いますよ。そのうち、ぶらりと立ち寄ってみましょう」

第九章
「おとうさん、これ面白いわよ」と次女の声がした。佐伯が部屋を覗くと、大学生の娘がテレビの娯楽番組を見ていた。佐伯が座布団に座った。テレビ画面ではひとりの男が五人の男女と向き合っていた。男が右手をかざして、グループに話し掛けていた。「エイッ」と言って上げていた手を拳にして、天井から下がった紐を引くように降ろした。すると、五人の男女が目を瞑って、眠てしまった。男がひとりの女性に何か言うと、女性が立ち上がって歩いた。また何か言うと、電柱が倒れるように前のめりになって、四五度の角度で停止した。男がまた何か言うと、女性が席に戻った。
「エイッ」と上げていた手を降ろすと五人の目が覚めた。
「何だいこれ?」
「催眠術よ」
その後、催眠術師がいろいろな奇術を披露した。
「この催眠術はサイキックなんです。人間の大脳の潜在意識を乗っ取って自分がその人間に入り込むんです。催眠術は、言葉が違う外国人や動物には効きません」
「ふ~ん、お父さんはね、刑事を長年やったけど、これは不思議だね。修行すれば誰でも出来るんかな?」
催眠術師が話していた。
「誰にでも出来ることじゃないんです。生まれながらのサイキックでないと教えても出来ません」
「その才能はどうして判るんですか?」と司会者が訊いた。
「言葉と演技で信服させる能力なんです。芸術家に才能がある人が多いんです」
佐伯がはっとした。――山形和子を死にやったのは、まさか催眠術では?
佐伯が書斎に戻って知念に電話を掛けた。知念が驚く様子が伝わってきた。

第十章
知念が国東唐鬼のお手伝いさんだった田中スエに電話を掛けた。田中が国東唐鬼は大きな水槽に和金やランチュウを飼っていたと言った。国東がランチュウの品評会で西大関賞を貰ったと喜んでいたと話した。
「西大関賞?」
「はい、ランチュウの品評会には、東大関~西大関~立行司~東取締~西取締と呼び、六位以下を第一席~第二席~第三席と順位をつけるんです」
「田中さん、ずいぶん、詳しいんですね?」
「画伯に何度も聞かされましたからね」

ふたりの刑事が登戸の駅前のスターバックスに入った。コーヒーとチーズケーキを頼んだ。
「和子はその朝、どこへ行くとも言わなかった。母親も聞かなかった。というのは、和子は気分任せで、どこへでも行ったからと母親が言っていたね」
「先輩、すると、和子はここからどこへ行ったんでしょうか?」
「あのフリーパスだとこの登戸駅で買ったことになるね。小田急秦野で降りたのだろう。だが三の塔の山小屋には宿泊した記録がない」
「同行した人物を割り出せば事件の全容が判りますね」
「和子は家を出てから二日後にこの登戸に戻っている。時間は判らないが夕方だっただろう。無効のスタンプが押されている」
「先輩、和子はこのスターバックスに入らなかったのでしょうか?」
「何故?」
「先輩が今、食べたチーズケーキですよ」
佐伯が知念の何ごとも見逃さない頭脳に目を見張った。そして、まるで和子と犯人の二人が座っているかのように店内を見まわした。
「国東唐鬼~ジョウロを持つ日本女性の絵~金魚の柄の浴衣、、何かが見えてきたね。ただ、ふたりが二キロ西南の向ヶ丘遊園に行った理由がわからない」
「先輩、ボクは月野すすきに関心があるんです」
「知念君、十四年前、ボクが月野を見たとき、月野はスラックスに背広、ネクタイだった。ボクは春日野八千代を想った。君が、関心があるのは、月野が美人だからかね?」と佐伯が笑った。
「そのカスガノって誰なんですか?」
「宝塚歌劇団の男装の麗人、春日野八千代だよ。知らんのかね?それで月野すすきだけど何か判ったのかい?」
「祖師谷大蔵のアパートに行ってみたんです。管理人が月野は最上階の五階に住んでいるが月野を滅多に見ないと言ったのです」
「君は部屋に入ったの?」
「ええ、事件の可能性があると管理人に言ったのです。人が生活している様子がないのです。冷蔵庫に何も入っていなかったのです。倉庫に使っていたという印象でした。でも管理人が家賃は毎月きちんと振り込まれていると言っています」
「すると、月野はどこかに住んでいて、誰にも知られたくない事情があった?知念君、刑事に後をツケさせよう」
ふたりがスターバックスを出て再び小田急に乗って向ヶ丘遊園駅に行った。太陽が真上に来ていた。
「知念君、あの六月の水曜日も休園日だった」
「ファイルにも書いてありました」
「ボクが書いたんだよ」
「休園日にふたりは、何故、遊園に行ったんだろうか?」
知念は月野すすきが犯人だと確信していた。しかし、月野は、どのようにして和子を呼び出し、どのように和子を木の枝に吊ったのだろうか?殺害してから吊ったとしても、一人ではできない。疑問が湧き水のように 湧き上がっていた。ふたりが向ヶ丘遊園に歩いて行った。遊園の外側を一周した。二時間がかかった。遊園の北側に鉄柵があった。その柵には赤錆びた鉄の扉が付いていた。錠前の付いた鎖が掛かっており扉は開かなかった。
「知念君、ここには十四年前にもきた。やはり錠前が鎖に付けられていた。二人が遊園に入ったとすればこの裏門しかない」
「どうして入ったんでしょうか?」
「合鍵だろうね」
「日が暮れていたとすれば、ふたりは何故、遊園に入ったんでしょう?」
「当時、ボクは何度もベテラン刑事たちと話したが、その疑問は彼らでも解けなかった」
正門に戻ると、日が傾いていた。佐伯は、その晩も中野島の知念の家に泊まった。節子は夜勤でいなかった。

続く
03/30
ケヤキの森のルノワール  第六章と第七章
第六章
佐伯は赤城神社の境内にいた。シトシトと降る雨の中にツツジが咲いていた。石灯籠の陰に赤い傘が見えた。佐伯が声を掛けた、、ピンクのシャツと黒いスカートの女性が振り返った、、女性は蝋人形のような顔をした山形和子であった。「わ~」と佐伯は叫んだが声が出なかった。うっ、うっ、うっ、う~ん、、誰かが自分の肩を揺すっていた。
「先輩、悪い夢でも見たのですか?」と知念が言った。
「おお、済まんかったな」と汗びっしょりとなった佐伯が言った。
ふたりの刑事がペンタックス・K3を持って家を出た。最新のデジタル一眼レフである。ふたりは中野島からJR南部線上り川崎方面行きに乗って再び登戸に行った。ほんの一〇分である。登戸から小田原線に乗りかえて、一駅、西南の向ヶ丘遊園駅に着いた。明治を想わせるモノクロの写真が陳列されていた。

「知念君、当時の写真家の構成は美しいね」
「現代の日本人と違って心が澄んでいたんでしょう」
「澄んだ心か。そうだね。ボクらの世代でも純情だった。少女売春なんてなかった」
ふたりは、二キロの距離なのでタクシーを拾わず、運動のために歩くことにした。銀杏の大木の青葉が茂っていた。佐伯がファインダーを覗いて写真を撮った。
「先輩、重要じゃない場合は、ファインダーでなくてもいいのですよ。カメラの後ろのイメージで充分なんです」
「知念君、ボクは時代遅れなんだよ。でも、このペンタックスは面白い。教えてくれんか?」

ふたりが管理所のドアを叩いた。
「警視庁の刑事さんですか?」と廃園となっていた向ヶ丘遊園の管理人が驚いていた。
入園料が増加せず廃園となった向ヶ丘遊園は小田急が分譲地にする計画であった。だが、計画は住民の猛反対に会って凍結状態になっていた。そのうち政治家に賄賂を贈って売り始めるだろうと住民は政治の闇の深さにうんざりしていた。
「知念君、ここに観覧車があったんだよ。山形和子はその観覧車の後ろのケヤキの森で発見された」
観覧車の礎石は撤去されていなかった。知念が 器用に望遠レンズを使って観覧車のあったところから森まで写真を撮った。ケヤキの森に入って山形和子の首つり死体が発見された場所へ行った。萩が一面に生えていた。ケヤキの薄緑色の葉が茂っていた。確かにその名のようにケヤキの森になっていた。
「誰が発見したのですか?」
「その日は休園日だった。鳥飼という警備員のジャーマン・シェパードが異変を嗅ぎ付けたんだよ。警備員は夜明け前、犬を連れて管理所に着いた。小雨が降る中、園内を見回った。観覧車に来ると、あんまり吠えるので放したら森の中に飛んで行ったと話した」
「それ、ファイルにありました」
ふたりが足で観覧車から和子が首を吊ったケヤキまでの距離を測った。約一五〇メートルである。
「先輩、解せないですね」
「何が?」
「山形和子の財布には入っていた丹沢・大山フリーパスですが、初日に登戸から小田急で秦野に行ってます。でも、和子の絵は山に関係がない」
「同行者がいたんじゃないのかね?」
「母親の話だと和子は孤独癖があって団体旅行には全て行っていないのです」
「でも、二人なら?」
「それと、死亡時間は午後の九時と分析されたのに、胃の中には、チーズケーキしか入っていなかった」
「それは良い指摘だね。ボクもそれは解剖医から聞いていた。そのときは不思議に思わなかった。和子は家に帰るつもりだったんだろう」
「ハイキングに行った理由は絵の材料だと思いますよ」
「それは合理的だな」
「でも、鑑識課は絵の具もスケッチブックもなかったと記録しています」
「すると他殺かね?証拠を消すために犯人が持ち去った?」
「佐伯先輩、犯人は和子のニコンFを持ち去ったんです。だが、和子がズボンのポケットに小型のデジカメを持っていたことを知らなかった。または、知っていたが忘れていた」
「今でもそのミノックスという超小型カメラとメモリースティックはある。試作品で限定販売だった。ただ、丹沢の渓流や、三の塔の見晴し台や、草花や子供たちの写真があるだけで犯人とおぼしき人物が映った写真がない。同行の人物はニコンで撮ったんだろうね」
「先輩、ニコンの盗難届けは出ていなかったんですか?」
「秦野署に出ていたが、ニコンFは盗まれる可能性が低いんだ。盗まれたとしてもすぐに足が付くからね。盗品商へ持ち込めば、大体、香港に売られる」

第七章
「知念君、和子の弟だけどね、、」
「はあ?何か?」
「和子はスペインの抽象画を多く残していると言ってたよね?」
「それがどうなんですか?」
「いや、フランス印象派にジャンルを替えた理由が知りたいんだ」

知念が山形玉夫に警視庁へ来るように要請した。その日の午後、玉夫が出頭した。玉夫はサラリーマンになっていた。
「姉には絵の先生がいたんです。国東唐鬼(くにざきとうき)という水彩画で日本の女性を描く画伯ということで知られていた人です」
「学校で習えるのに?」
「姉が、国東先生は学校では習えない手法を教えてくれるって言ってました」
玉夫は神経質になっているのか声がかすれていた。知念が無理もないと同情した。知念が茶瓶のお茶を茶碗に注いで玉を夫に勧めた。玉夫が一口ごくりと飲んだ。
「国東唐鬼画伯はどういう人物なのかね?」
「知りません。会ったことがないのです」  
知念が佐伯を呼んだ。佐伯が驚いた。
「なぜ、見逃したんだろう?」
「事件当時は、動機分析や山形家訪問や美大訪問で忙殺されていたと思います」
「玉夫さん、それを何故、言わなかったのですか?」
「国東画伯は老人だと姉が言ってましたので、警察が来て、姉の死を伝えればショックは明らかです。迷惑を掛けたくなかったんです」
知念が国東唐鬼の住所をグーグルで検索した。その特異な名前は多摩地区にはどこにも見つからなかった。そこで、玉夫が言っていた西国分寺の警察署に電話を掛けた。
「国東唐鬼画伯は五年前に亡くなっています。八十九歳で老衰による自然死だと記録があります」
「親戚はいるんですか?」
「いや、それが全く出てこないんです。田中スエというお手伝いさんと二人で住んでいたんですが、その田中さんが電話すらなかったと言っています。調べると、本籍も住民票もないのです」
佐伯が、これが死角だと気が着いた。知念を見ると顎に手を当てて考えていた。
「玉夫さん、ごくろうさまでした」と知念が言うと玉夫が一礼して出て行った。
「知念君、国東唐鬼は中国人である可能性が高い」
「ボクもそう思います。その田中スエを探しましょう」
「その他、糸口がないな」
「佐伯先輩、画伯の作品はどうなったんでしょうか?」と知念が言うと、佐伯がうっかりしていたと言う風にハッとした。そして、知念をパートナーに選んで良かったと思った。

続く
03/29
ケヤキの森のルノワール  第四章と第五章
第四章
佐伯と知念が捜査一課の会議室にいた。そこへもう一人、入ってきた。仁科は捜査一課の課長である。ふたりの刑事が立ち上がった。
「仁科課長、先日は有難うございました」と佐伯が上司に挨拶をした。ルーキーの知念が黙礼した。
「佐伯君、それで、何か新しいことが判ったかね?」
「課長、事件は十四年間、寝ていたのではなく、その間、進化があったと感じました」
「ほう?どのような?」
「山形和子の弟、玉夫です。玉夫が和子は、ある時期から抽象画から印象派に変ったと言ったんです。事件当時、玉夫は、中学二年生だった。ボクらは、姉が首を吊ったことでショックを受けていた少年を聴取しなかった。ボクらは、玉夫は姉の行動を知らないと勝手に思い込んでいたのです。ここに捜査の落ち度があったんです」と佐伯がうな垂れた。佐伯は事件を解決できなかった自分を責めていた。
「佐伯君、赤城神社でも、新宿SMでも、俺たちは、自分で思い込んでいたんじゃないかな?」
思い込んでいたと聞いた知念が興味を持った。佐伯が知念の目に気が着いた。
「知念君、山形和子の遺体が向ヶ丘遊園で発見された年の四年後、赤城神社主婦失踪事件が起きた。もう一つ、新宿SM殺人事件があった」と先輩が捜査官一年生に話した。
「そうだったね。俺が新宿SMで、佐伯君が赤城神社だった。両事件とも不気味な事件だった。足掛かりが無く迷宮入りになった」と仁科が苦々しく言った。知念は赤城神社主婦失踪事件をよく知っていた。知らない日本人はいない事件だからである。
「課長、その新宿なんとか事件を聞かせて下さい」
「ああ、SMってのはね、サドが加虐趣味でマゾが被虐趣味の性行為のことなんだよ」
「はあ?」
「マゾが床に膝を着いて、サドが両腕を革のロープでマゾを天井に釣り上げる。サドがそのマゾを鞭打つ、、快感が最高潮に達して無我夢中の状態になる。宗教的体験における神秘的な心境、予言、幻想、仮死状態などを伴うことも多い。セックスというのは複雑な心理を伴う」と仁科が知念を驚かした。知念が多くの若者が教祖に呪縛されて無差別殺人をやったオーム真理教事件を想った。あの事件もセックスの為す技なのか?
「何故、新宿SMが不気味なんですか?」
「普通は、男女なんだが、この事件は女同士だったんだ。ふたりとも留学歴のある英語の教師だった。ふたりは青酸カリをあおった。SMでは麻薬などで死ぬことがあるが青酸カリを飲む自殺はないからね。警視庁は一方が他方を殺したと断定した。現場にソニーのポケットレコーダーがあった。録音されていたのは英語だった。だが聞き取りで、ふたりの女性たちは仲が良いことが判った。もし心中ならその動機が判らなかった。ただ現場に亀の形をした瀬戸物の灯篭がいくつかあった。これは同性愛者の好みなんだ。同性愛者の心理ほど分かり難いものはない」  

第五章
「佐伯先輩、狸穴女子美大を訪問したいのですが」とその日の朝、出勤した知念が言った。山形家を訪問してから一週間が経っていた。昼下がり、ふたりの刑事が新宿から小田急線下り小田原方面行きに乗って登戸へ行った。同じ多摩区に住む知念は狸穴女子美大の位置が小田急登戸駅に近いことを知っていた。登戸を土地の人々は稲田登戸と昔の名前で呼んでいた。昔は黄金の稲穂が波を打つ水田が登戸にあったんだろうとふたりが思った。多摩川を横切った。中学生が河川敷で野球をやっていた。西に丹沢山塊の三の塔が見えた。頂上付近が青かった。青葉の季節なのだ。登戸で降りてタクシーに乗った。一五分で多摩丘陵の丘にある狸穴女子美大の校舎が見えた。樫や、ケヤキに囲まれていて、校舎には蔦が絡まり、なかなか豪華である。狸穴女子美大は私立大学なので「お金持ちのお嬢ちゃんの学校」と言われていた。

「刑事さん、お久しぶりです。失礼ですが、お名前を忘れてしまいました」と月野すすきがふたりの刑事に挨拶をした。ラベンダーの香水の匂いがした。佐伯と知念が名刺を出した。事件当時、三十歳だった月野は四十四歳になっていたが、ピンクのブラウスと黒いスカートがよく似合っていた。月野は独身である。
「月野先生に再び会えて嬉しいです。早速、教室を見せて頂けませんか?」と佐伯が言った。
教室は改装されて十四年前と違っていた。
「写真を撮らせて頂きたいのです。もっとも拒否は出来ませんが」と美人教師のブラウスの突起を見ていた知念が命令するように言った。三人が廊下を歩いた。十四年前と同じようにフランスの有名な画家のレプリカが壁に陳列されていた。ミレー、モネ、レンブラント、ルノワール、、昼休みなのか女生徒がその壁の絵を見ていた。ふたりの刑事が――何を見ているのかと関心を持った。一か所に人溜まりが出来ていた。知念が女生徒の後ろから見た。その絵は知念が好きなルノワールの「ジョウロを持つ少女」であった。そのとき、知念の背筋に電流が走った。写真を撮った。女生徒たちがシャッターの音に振り向いた。
「刑事さんなのよ。心配する必要はありません」と月野が生徒に言った。
「失礼ねえ」と言って絵描きの卵たちが知念を睨みつけると立ち去った。ふたりの刑事が月野すすきに感謝して学園を出た。
「ご先輩、今夜は拙宅に泊まってください。母に電話を入れておきますから」
「そうだね。富子に電話を入れるよ。明日、向ヶ丘遊園を見に行こう」

知念の母、節子が挨拶した。節子は小柄で四十三歳である。髪を短く切っていて歳より若く見える。知念と節子は夫婦に見えた。知念の父親は知念が中学生のときに病死しており、母子家庭なのだ。節子は多摩病院の看護婦長をやっていた。
「太郎ちゃん、今日、私は休みで、同僚と丹沢農園に行ったのよ。掘りたてのタケノコとジネンジョと生椎茸を買ってきたわ」
「お母さん、それ、佐伯先輩が喜ぶ。ところで、いい人、見つからないの?こないだ会ったって人はダメなの?」
「私、亭主は、もう要らないのよ。あなたのお父さんは遊び人だったから。ボーイフレンドはいるわよ」
「ふ~ん?ボクに遠慮しないでいいよ。それじゃあ、タケノコと椎茸で土瓶蒸しを作ってくれない?佐伯先輩は酒が好きなんだ」
「その通り、よくわかっているね。君は必ず出世するよ」と母子の会話を好ましく聞いていた佐伯が笑った。

続く

熊の母仔、、



マサチューセッツの黒熊のママと子熊。コロナ、警官の暴力、チャイナ、ミャンマーの修羅地獄で暗くなる時世だけど、熊の母親が子熊を守ろうと必死。何キロもの渋滞だけど人間が人間に戻った瞬間、、伊勢
03/28
ケヤキの森のルノワール  第三章


第三章
知念が警視庁の六階の窓から下を見ると、メタセコイアの並木が青々と茂っているのが見えた。往来する人々は、男も女も湿度が高いためか半袖の白いシャツやブラウスを着ている者が多かった。日曜日だった。その日、ふたりの刑事と品川課長は休日出勤していた。

「佐伯君、山形和子は多摩丘陵にある狸穴女子美術大学の三年生だったよね?和子の担任には会ったの?」と未解決事件課の品川課長が訊いた。品川は事件簿の図書館長である。品川は子沢山である。定年退職をしなかったので万年課長である。だが部長扱いをされていた。
「ええ、担任の教師ですが、月野すすきと言います。事件当時、三十歳だった月野は、山形和子は美術コンクールに二回、入賞した才能のある生徒だったと自分が育てた生徒に関して言っています」
品川は事件を知らなかった。
「ほう、佐伯君、それは、どのようなコンクールかね?」
品川がコンクールに興味を持った。
「二科展に二度、日展に一度です」
「ほかに才能がある生徒はいなかったのかな?」
「いましたが、せいぜい銀座の画廊などが開いている懸賞コンクールなんです。二科展はまだしも、日展は、プロの画家というタイトルを世界から認められます。東京美大がトップです。ですから稲田登戸の狸穴女子美大は突然変異に見られます」と佐伯が言った。
「なるほどね。他に山形和子について判ったことはある?」
「その事件のあった年の夏にパリの近代美術館に招かれていたことです。日展に入賞した油絵のレプリカが目を惹いたと思います」
「すると、山形和子はパリに行く前に自殺した?それは不自然だね?」
「そうです。不自然です」
「すると、出展する絵を描いていた?」
「当時も、そう思って彼女の家を訪ねたんです」
十四年前、山形和子は二十歳であった。両親と中学生の弟と住んでいた。東に多摩川が見える稲田堤の家は南部フランス風の洋館であった。
――あの日も朝から雨が降っていた、、と佐伯が想い出していた。

その日曜日、佐伯と知念がJR南部線登戸から西北へ三つめの稲田堤駅で降りた。二〇分後、山形家の玄関に立っていた。ふたりが名刺を出した。
「ああ、事件を担当された刑事さんですね?」と父親が言った。佐伯が用件を述べた。母親が娘はもうこの世にいないと涙を流した。廊下の壁に、額に入った二科展で入賞した二作品と日展に入賞した作品が飾られていた。二科展に入賞した作品は人間の顔と思われる黒い曲線と直線だった。日展の方はオカッパの幼女を描いた絵だった。油絵で色彩に特徴があった。フランス印象派である。
「山形さん、写真を撮ってもいいですか?」と知念が聞いた。
「勿論です」
「和子さんの作品を見せて頂けますか?」
背の高い青年が和子のアトリエを案内した。当時、中学生だった弟の玉夫である。玉夫は二十八歳になっていた。
「亡くなる直前の作品を見せて下さい」と知念が玉夫に訊いた。知念は絵画に興味があった。高校時代に国立上野美術館で見たフランス印象派展を見てからモネの風景画などに傾倒していた。一方、上司の佐伯は、アートよりもわかりやすい写真が好きだった。
玉夫が、和子の作品を持ってきた。五作品である。知念がそれらを並べて見ていた。右から左へ、、左から右へ、、どれも印象派に見えた。
「お姉さんは、フランス印象派に惹かれていたのですか?」と知念が玉夫に訊いた。和子の作品は青と橙が基調である。
「はい、そうです。姉はピカソのような抽象画を描いていましたが、いつの間にか、やめてしまったのです」
「お姉さんは絵を描いているとき、作品を見せましたか?」
また知念が質問した。
「いいえ、アトリエには誰も入れなかったのです。入ろうとしても暗唱番号が要る鍵が掛かっていましたから」と母親が言った。
知念が一枚の絵を裏返した。
「すると、この日付けの入った絵が事件前の作品ですね。でも、これは一九九三年、十一月十八日の日付けです。これ以後、七か月、一枚も描かなかったんでしょうか?」
誰も答えなかった。佐伯警部は盗まれたのではないかと感じたが黙っていることにした。知念がパレットの上に残った乾いた絵の具を見ていた。
「この絵を貸して頂けませんか?」と知念が少女を描いたピースを手に持った。
「勿論ですよ。必ず犯人を逮捕してください」と父親が涙声で言った。
「山形さん、もうひとつ質問させて下さい。和子さんにはボーイフレンドがいませんでしたか?または、仲が良い同級生はいましたか?」
「いや、居なかったようです。和子には孤独癖があったんです。非社交的というか。ただ、誰かから、ひと月に一度くらい電話が掛かってきました。和子が小声で話していたので、電話を掛けてきた相手が誰なのか判りませんでした」

ふたりの刑事がJR南部線の中野島駅で別れた。知念は中野島に母親と二人で住んでいた。佐伯はそのままひとつ南の登戸へ行った。そこで小田急東京行きに乗った。車窓から踏切が見えた。赤い傘をさした女性が立っていた。佐伯が「赤い傘事件」を思い起こしていた。佐伯は過去を想うことが多くなっていた。群馬県前橋市で起きたこの事件は日本犯罪史上で最も不気味な事件とされた。警視庁は「赤城神社主婦失踪事件」と名付けて捜査本部を立てた。群馬県警では手に負えない事件であり、警視庁との合同捜査が必要であった。不気味とは、雨の降る日、ツツジの季節、朱色に塗られた神社、石灯籠、赤い雨傘、ピンクのシャツに黒のスカートが醸し出す情景であった。山形和子が向ヶ丘遊園のケヤキの森で首を吊った四年後であった。一九九八年五月三日の憲法記念日、千葉県白井市の主婦志塚法子(のりこ)さん、四八歳は、夫、娘、孫、叔父、叔母、義母の六人と群馬県宮城村三夜沢の赤城神社に、ツツジ見物に訪れていた。生憎、雨のため、神社へ行く夫と叔父以外は駐車場に停めた車の中で待つことにした。しばらくして法子さんは「折角だから、お賽銭をあげてくる」と神社への参道を登って行った。その時の格好は赤い雨傘をさし、ピンクのシャツに黒のスカートという目立つものであった。法子さんの娘は駐車場から法子さんが境内とは別方向の場所で佇む姿を目撃している。これが、家族が見た法子さんの最後の姿となった。事件を解く糸口がなく、ついに、今年、二〇〇八年六月、法子さんの失踪宣告がなされている。

続く
03/28
ケヤキの森のルノワール  第二章
renoir map

第二章

佐伯が起きて天気予報を聞くためにテレビを点けた。外を一日中、歩き廻る刑事の習慣である。
「梅雨前線が九州から関東にわたって停滞しています。今朝から梅雨に入りました。外出される方には傘が要ります」と女性のアナウンサーが関東地方の天気図の前で言った。玄関に出た佐伯に妻の富子が蝙蝠傘を渡した。
知念太郎が先輩の佐伯徹警部と小田急線登戸駅前のスターバックスにいた。佐伯が日曜日に川崎市多摩区中野島に住む知念を訪ねてきたのである。佐伯は東京に住んでいた。佐伯は間もなく定年退職である。レインコート姿の刑事は痩せてどことなく、くたびれた姿であった。一方の知念は二十代の青年である。ふたりの刑事は父親と息子の年齢なのだ。知念は、週末のトレッキングで顔や腕が日焼けしており、鍛えた胸が厚く、背丈が一八〇センチあり、スポーツマンを想わせた。
知念が佐伯と「向ヶ丘遊園首つり事件」のファイルの概略を見ていた。この事件は未解決事件と処理されてから十四年の月日が経っていた。
「知念君、この事件を担当したのはボクなんだよ」
「先輩、迷宮入りが、お気になるんですね?」
「何しろ自殺者が二十歳の女学生だったからね。先週、ボクの次女が二十歳になった。そのとき、あの事件がボクの胸に戻ってきた。もう一度、調べてみたいんだ。仁科課長に、ボクは、あと三か月で退職する。あの迷宮入り事件を最後の仕事にして不名誉を返上したいと言うたら許可されたんだ」
十四年前、佐伯は警視庁捜査一課のバリバリのベテラン刑事であった。向ヶ丘遊園首つり事件を佐伯が担当した。多摩署の状況解説を聞いた佐伯は、刑事の本能で自殺に見せかけた他殺かも知れないと思った。


事件から一週間後、佐伯が横浜市本牧にある宍戸病院の死体安置所へ行った。解剖医の宍戸が死体をモルグから引き出した。死体はカチカチに凍っていた。山形和子であった。
「随分、大きな解剖室ですね?」と佐伯が驚いていた。
「ええ、年間一七〇〇体は解剖しますから。神奈川県は司法解剖では全国一なんです。自慢になりませんが」
「まず、死因を聞かせて下さい」
「首を吊ったことによる窒息死ですが、犠牲者の口の中に金魚が入っていたのです」と宍戸が佐伯に驚くべきことを話した。瓶の中に頭の大きい赤い金魚がホルマリン漬けになっていた。
「ランチュウです」と宍戸が言った。
「自殺する者が口に金魚を入れたのですか?」
「自殺か他殺かを判断されるのが刑事さんのお仕事です。それと遺体の胃袋にはチーズケーキとミルクコーヒーしか入っていなかったのです」
「ほう、それはどう言う意味がありますか?」
「いや、事実だけですので特に意味はありません」
佐伯は疑問を感じなかった。
「犠牲者の体に傷はなかったのですか?」
「無傷で綺麗な体をしています」
「犠牲者の衣服に着いていた物質はありますか?」
「ええ、ラベンダーの香水の匂いがしました」
単なる自殺と思っていた仁科が佐伯の報告に驚いた。警視庁捜査一課は異死体と銘を打った。変死は殺人捜査課の対象である。
「佐伯君、ケヤキの木の周りには、足跡がなかった。山形和子ひとりだったと俺は思うんだがね」
「仁科さん、犯人が裸足だったら、あの落ち葉では足跡は残りませんが?」
「う~む、裸足ねえ?」




「赤いランチュウは十四年前からボクの心の角に引っ掛っていた。でも、どうして山形和子の口に入っていたんだろう?」と佐伯が部下の知念に訊いた。

知念太郎はその卓越したコンピューター技術の才能を買われて池袋署の振り込め詐欺特別捜査課に配属されていた。知念は、詐欺グループを突き止めて、一網打尽にすることに興奮した。だが、三年もやると、ビデオ分析に飽きてきた。知念は外を歩く刑事になりたかった。上司に他のことをやってみたいと言うと警視庁に回された。警視庁は日本全国の犯罪を監視する犯罪捜査の塔である。知念はその警視庁捜査一課の捜査官の一年生となった。捜査一課でも、データ分析の高い能力が認められたのである。

「先輩、他殺の可能性を思われたのは、山形和子の年齢ですか?もしも、これが他殺なら犯人は山形和子によほどの憎しみを持っていたと思われます」
「ボクもそう思った。警視庁の捜査官が行くので遺体を木から降ろさないように指示を出した。ボクと上司の仁科警部が現場へ行くと、朝の九時だったが森の中は鬱蒼と暗かった。小雨がそぼそぼと降っていた。山形和子は、木の枝にぶら下がっていた。両手を下げて、うなだれるように頭を前に傾げていた。夏のワンダーフォーゲルの服装をしていて茶色の登山靴を履いていた。仏は日焼けしていたが可愛いお雛さまのような顔をしていた」
知念が小雨の降る森の情景を想像していた。
「先輩、よく覚えておられますね」
「知念君、忘れられるなんてもんじゃないよ。山形和子は登山ロープを首に巻くと、ケヤキの木の枝にロープを掛けて、立っていた丸椅子を蹴ったんだ。周りには足跡がないから一人で自殺を決行したと思う。だが腑に落ちない点が多かった」
「先輩、和子は丸椅子を何処で手に入れたんでしょうか?」
「そうだね。聞き込みをしたんだ。君は廃線になったモノレールを知ってるかな?小田急向ヶ丘遊園から遊園前に行くモノレールなんだ。ほんの一キロの距離だったけど、とても人気があった。その遊園前の駅前のラーメン店の丸椅子がひとつ無くなっていたことが判った」

――山形和子は、雨のそぼ降る中を丸椅子を手に持って遊園地に一人で行った?と知念が手を顎に当てて考えていた。これは首を吊る準備を周到にしたということだ。他殺は考え難い、、だが、いろんなシナリオが考えられる、、犯人が裸足だったとか。やはり他殺なのか?

「先輩、犯人が裸足だったら足跡は残りません。他殺である可能性があります。同級生を当たるべきです」と知念が佐伯に言った。
「知念君、ボクも裸足の犯人を考えた。仁科さんが強く否定されたんだ。同級生も当たった。みんな純情な女の子たちでね、アリバイもあり、怪しい者はひとりもいなかった。他殺は断定できないね。先入観は怖いよ」と佐伯がルーキーの知念に先輩らしい忠告をした。知念は反論したかったが、黙っていた。
「知念君、もう一度、山形家と狸穴女子美大を訪ねて遊園の現場を見てみよう」
「向ヶ丘遊園は二〇〇二年の三月から廃園になっていますが?」
「それは判っているよ。もう一度、現場を見たいんだ。何かを見落としている可能性がある。先入観がない君が現場を見るとボクらが見た世界と違うかも知れない」

続く


03/27
ケヤキの森のルノワール  第一章
              

「デボラ、プリーズ、ドントハート ミー」
「メリー、マイスレイブ、タイムトウ、サレンダー」
「オオ、ノー、デボラ、ユーアーハーテイング、ミー」
「メリー、スタンド、オン、ユアニーズ」
「オオ、デボラ、デボラ、アイ、ラブ、ユー」

ケヤキの森のルノワール

「テレビが、台風が来ているって言ってる。傘を持って行きなさい」と画伯が山形和子に雨傘を渡した。
「先生、有難う」
和子が傘を畳んで商店街のアーケードに入った。商店はシャッターを降ろしていて人影がなかった。後ろで、靴の音が聞こえた。気になって、和子が振り返った。グレーのソフトを被った男がいた。男は、トレンチコートの襟を立てて、両手をポケットに入れていた。和子が走った。登戸駅はすぐそこだ、、男が走って来た。和子が縁石につまずいて倒れた。男が和子を通り越して行った。
――私って、この頃、変だわと和子が呟いた。

第一章
夜明けだった。軒の下で雀の子がピヨピヨとさえずっていた。親が餌をやっているのだ。鳥飼が新鮮な空気を吸いたくて窓を開けると小雨が降っていた。その六月の水曜日の朝、鳥飼が向ヶ丘遊園に愛犬のゴンタを連れて見回りに行った。
「おはよう、鳥飼さん、ごくろうさまです。ハ~イ、ゴンタ」と管理人が警備員とジャーマン・シェパードに言った。その日は休園日であった。鳥飼が蓮池の太鼓橋を渡った。白地に桃色の蓮の花が水面を覆っていた。岩影にいた鯉が出てきて餌をねだった。水面に雨が当たって水彩画のような情景を造っていた。つぎに金魚の池の傍を通った。赤いランチュウを見て鳥飼は幸せな気分になった。散歩道には紫陽花が朝露の中で青い花を着けていた。観覧車の切符売り場に来た。するとゴンタがグングン鎖を引っ張った。鳥飼が負けそうになった。ゴンタが吠え出した。鳥飼がゴンタを放した。ゴンタが真っすぐ、ケヤキの森へ走って行った。ゴンタがどこかで立ち停まったらしく、激しく吠えていた。

鳥飼が森に入った。森の中は樫とケヤキで鬱蒼としていた。一か所に樹の間から一条の朝陽が射していた。ゴンタがケヤキの大木を見上げて吠えていた。鳥飼の目に茶色の登山靴が見えた。鳥飼の背筋が凍った。瞬間に、鳥飼は首つり自殺だと知った。事務所に戻った鳥飼が管理人に事件を知らせた。管理人が一キロ西の多摩署に電話を掛けた。
「発見した人と話させて下さい」と電話を取った刑事が言った。鳥飼が管理人に代わった。
「女性ですか?」
「若い女性です」
電話口で溜め息が聞こえた。
「遺体をそのままにして置いて下さい」
五分後、パトカー一台が遊園に着いた。ふたりの警官とレインコートを着て登山帽子を被ったふたりの刑事が降りた。
「どこで発見したのですか」と刑事のひとりが鳥飼に状況を訊いた。鳥飼が観覧車の方角を指さした。観覧車は止まっていた。
「今日は休園日なんですね?早速、現場を案内して下さい」
鳥飼がゴンタを百日紅に繋いだ。ゴンタが、クン、クンと鳴いた。小雨の降る中を五人の男がケヤキの森に歩いて行った。

――本日、午前七時、山形和子さん(二十歳)が神奈川県川崎市多摩区長尾の向ヶ丘遊園の森の中で首を吊って死んでいるのが発見された。発見したのは見回りにきた警備員である。山形さんは、同区稲田登戸の狸穴女子美術大学の三年生で、二科展のコンクールに一度、日展に一度、入賞した印象画の天才と日本の美術界に知られていた。ご両親は、和子さんには自殺する理由がないと当新聞社に語っている。(多摩川新聞、一九九四年六月二十七日。夕刊)

続く


03/25
11歳となったレキシーとクリストファーは、、


紳士淑女に育ったふたり。レキシーは、クリストファーを将来の夫と決めている。だが、、このセミファイナルは勝ちファイナルで落選するも二人の人気は益々上がっている。でも、この二人の将来は未知。最初の恋は別れるとされる。伊勢とローラもそうだった。そして、伊勢爺はローラを想う日がある。

土曜日から伊勢が書いたミステリー小説「ケヤキの森のルノワール」を連載します。伊勢
03/25
個性とは、、


レクシーは、クリストファーのボス。ふたりはウエブサイトで会った。女の児は男の児よりも早く大人になる。レクシーは、クリストファーは将来の夫だと言って満場の観客を驚かす。クリストファーは遅れているのではなく、ストイックな性格。積極的なレクシーにへきえきしている。でもふたりをダンスが結んでいる。この二人は大人のマナーを身に着けている。「私の将来の夫」という歌は、アメリカ人女性のミーガン・トレノアが歌ってヒットし、一曲で20億円長者となる。独特の節回しとリズムという特殊なタレントとされる。ミーガンは大柄な女で白人。美人じゃないけど、固いファンが世界中にいて、レクシーもその一人。伊勢
03/24
朝鮮半島について
korea image

小説三話を終えましたので、しばらくアメリカ事情に戻ります。トピックスを2回やってから、「ケヤキの森のルノワール」を連載します。

米中は戦争にはならない、、

現時点では、バイデンのアメリカが中国封じ込めを推進しています。これは一時的なものではなく、ブリンケンが指摘した中国のウイグル人虐殺、海洋侵略、台湾侵攻、香港を強制的に中国の支配下に置こうとする民主主義に真っ向から挑戦する中国共産党に妥協しないものなんです。だけど、軍事衝突は起きないと考えられるんです。理由は、中国人の性質です。クチばかっりが大きいダボハゼなんです。それに朝鮮戦争時はスターリンが後押しした。ベトナム戦争でもソ連が後ろにいた。今回は、ロシアは欧米と問題を起こしたくない。理由は経済に行き詰まっているからなんです。コロナのワクチンも欧米に頼らなければ出来ない。中国には全く同盟国がないわけです。戦争したらイチコロです。日米の兵站は中国の数倍のキャパシテイなんです。中国のタンカーはマラッカ海峡を通ることが出来なくなる。ロシアはオイルを高額な値段で売るでしょう。北米は穀物を中国に売らないなど。中国海軍は実戦体験がなく、素人の模擬戦争なんです。日米海軍ほど恐ろしいものは地球にはないんです。

アメリカは北朝鮮を手術攻撃する、、

これは、ブリンケン(59歳)の経歴で明らか。バイデンとブリンケンは、ブッシュ1&2ではイラク戦争に賛成。クリントンでは、コソボ空爆をNSAのメンバーとして実行。オバマでは、シリアの反政府軍に武器供与。NSAのスピーチライターを担当した。ブリンケンはハーバード、コロンビア大学卒業。外交でも優れ、王毅などのレベルじゃないんです。現在、アフガニスタンのタリバンと平和を結び米兵は1500名に減った。一日で帰国できるんです。

それではいつ攻撃する?

伊勢は来年の春だろうと思っている。理由はワクチンでコロナが下がらないと三沢、横田、嘉手納、横須賀、佐世保の米軍基地が機能しないから。特に潜水艦と空母は密室なのです。伊勢
03/22
狂った壁掛け時計  終章
終章

烏山霊光こと山田一郎の変死体が新宿歌舞伎町のラブホテルで見つかった。背中に昆虫に刺された跡が残っていた。山田の顔が一〇〇歳の老人のように老いて見えた。報告を受けた仁科はすぐにスペース・スパイダーの仕業だと確信した。しかし、女王の王冠はなかった。誰が持って行ったのだろうか?

神奈川県教育委員会の北島会長が頭を抱えていた。夏休みに豊島園昆虫館に行った横浜本牧高校の生徒二〇人のうちの三人がデング熱に感染したのである。
「黒岩先生が引率されたんですね?」
「そうです。インドから入荷した蚊なんです。ガラスのケースに入っていましたから安全だとみたんですが、日本の藪蚊と配合したらしいのです」
「山城ワタル君が、最も重症なんだって?」
「そうなんです。七日間も高熱が続いたんです。今朝、今里熱帯病研究所の病室を訪ねました。山城君は平熱になり、本人の意識は、はっきりとしているんですが、何か不思議なことを言うんです」
「例えば?」
「壁掛け時計がグルグル逆に回っていたとか、、ボクが本牧高校の教員に不採用になったとか、クリスマスに、ボクとアマゾンへ一緒に行ったとか、、空飛ぶ恐竜プテラノドンを飼っていたとか、、アンドロメダの蟻人やスペース・スパイダーと会ったとか、、ネルソン・ロックフェラーという黒人の少年に会ったとか、、」
「それ、デング熱特有の幻覚症状だね」
「ええ、でも、とても描写が精緻なんです。お母さんの富子さんが、ワタル君は精神病じゃなければいいがと言っていました」
「復学させるんですか?」
「ええ、全く、問題がないんですからね」

ワタルが横浜本牧高校に戻ってから一月が経った。その土曜日の朝、カタンと郵便受けの音がしたので、玄関へ行って郵便受けを開いた。ピンクの封筒に入った誕生日カードであった。今まで誕生日カードを受け取ったことがないワタルが不思議に思った。差出人の名前がなかった。ワタルの胸が騒いだ。カードを開いた。

――ワタル、ワタシたちアンドロメダの蟻は、今朝、冥王星の横を通過して銀河を横切っています。五〇〇〇匹の蟻はみんな元気です。ワタルは、どうしてワタシが生きているんだと不思議でしょう?あの蜘蛛の屋形船に乗って消えた一〇〇匹の蟻たちは、クローンなんです。蜘蛛たちは遺伝子が同じなので気が着かなかったのです。蟻を食べた蜘蛛たちが5ミリのサイズになったんです。そこへ、タイガー蜂の大群が襲い掛かって、蜘蛛たちを皆殺しにしました。二ミリとなったワタシは、ワタルが見ていた宇宙船に乗っていたのです。ワタシたちが生け贄になる前に蟻の特別警察がレイコウから王冠を取り返しました。そのとき、蜘蛛がやって来たので、王冠を持って逃げたのです。あのビッグ・フットの長い手だけど、こどもたちが悪戯したんです。ワタルに翼竜の卵を送ったのはワタシです。クロベエはワタシたちと一緒にアンドロメダに帰ります。ワタシはワタルを愛しています。是非、アンドロメダに来てください。ワタシは、いつまでも、ワタルを待っています。メアスカリ

黒岩が日本昆虫学会の学者たちの前に立っていた。会場は動物学者、大学教授、報道陣で満席だった。黒岩がワタルがデング熱に罹って高熱が数日間続き不思議なうわごとを言うと証言した。そのうわごとのメモを提出した。会長がメモを読んだ。あまりにも描写が鮮明だからだ。だが、なんの証拠もないではないかと信じなかった。出席者は首を傾げていた。学者がひそひそと話し会っていた。

「残念ながら、われわれ昆虫学会はあなたのリポートを奇想天外も極まれる、バカバカしいサイエンス・フィクションであると全会一致で決定しました。精神科のドクターに診断して頂くことをあなたに強く勧めます。お引き取りください」

そのとき、会議場のドアがバタンと開いた。見ると、デインジャーフィールド博士とダンカンだった。ダンカンが鉄格子の檻を載せたカートを押していた。委員の前に来ると檻の扉を開けた。八本の足に足枷を嵌められ、鋏角に手錠を掛けられたドドンパが出て来た。ドドンパが頭のてっぺんから出る声で鳴いた。赤いクチを開けると黄色い息を吐いた。会場が総立ちになった。昆虫学会の学者たちが出口に向かって一目散に逃げ出した。

―完―

みなさん、ご感想をください。作者はフィードバックがないと永遠に闇の中に生きるんです。伊勢



03/22
狂った壁掛け時計  第二十章
第二十章

その夜、西北から風が吹いていた。笛が聞こえた。よく聞くと日本の歌のようなのだ。
――一の谷のいくさ 破れ、討たれし平家の公達あわれ。暁、寒き須磨の嵐に聞えしはこれか青葉の笛、、
ワタルは蜘蛛が哀れになった。
「ワタル、ダメよ、情を移しちゃ」とメアスカリが忠告した。
朝になった。太鼓が聞こえた。戦の太鼓だ。
「今日の午後やってくる」
「ワタシも地上に出ます。死ぬならみんなと死にます」と女王がババカロに言った。ババカロの瞼が濡れた。
「ババカロ将軍、停戦を申し込んだらどうでしょうか?」
「さあ、どうかな?クロイワさん、あなたが使者になってくれるなら」
「勿論です。その期間にこのアマゾンを脱出する方法を考えてください」

エロモンドに叱られたドドンパが落ち込んでいた。
――やっぱり、パパはミーを愛していないんだ。
戦う意思を失ったドドンパが停戦に応じた。黒岩が朗報を持って戻って来た。ワタルと部屋に帰った。
「先生、良かったですね。でも、蜘蛛はいずれ戦争を再開するでしょう」
「そうなんだ。だから、このアマゾンを出たいんだがね。向うはこっちを監視している。タイミングがとても難しい」と黒岩が言った。教師と生徒が深い思いに沈黙した。そのとき、ワタルが黒岩の肘を突いた。
「黒岩先生、蜘蛛の天敵はやはり蜂なんですよ。しかし、五〇センチもの蜘蛛を殺せる蜂など地球にはいない」とワタルが言った。
「あっ、そうだったね」
「先生、蜘蛛を小さくする方法はないんですか?」
「うん、ババカロに聞いてみるよ」
ババカロの話は恐ろしいものだった。ババカロが、蜘蛛が処女の蟻を食うと元の姿に戻ると言ったのである。「処女?」ワタルがメアスカリを想った。少年は、メアスカリに惹かれている自分に驚いていた。

結局、その通りになった。蜘蛛たちは、アンドロメダに帰りたくなっていた。エロモンドは処女蟻一〇〇匹を要求したのである。メアスカリと一〇〇匹の処女蟻は、自らが犠牲になることを申し出た。女王蟻が人身御供を差し出すことを拒絶した。蜘蛛が約束通りにアンドロメダに帰るという保証がないからだ。そこで条件をだした。ドドンパと処女蟻の交換を提案した。エロモンドはあっさり承知した。ドドンパが泣き出した。

「ワタル、お話しがあるの。ワタシと散歩に行かない?」
二人がオオシダの茂る河畔を歩いた。二人は手を繋いでいた。
「メアスカリ、何とか逃げることはできないの?」
「ワタル、蜘蛛がワタシたちを食べた後、5ミリのサイズになった蜘蛛たちをタイガー蜂が襲うことになってるのよ」
「でも」
メアスカリの大きな目から涙がこぼれた。ワタルがメアスカリを抱きしめた。メアスカリがつま先だってワタルに接吻をした。蜂蜜の甘い匂いがした。

蜘蛛たちがドドンパの入った篭を屋形船に載せてやってきた。上陸した蜘蛛たちが篭を地面に置いた。ドドンパがむくれていた。百匹の処女蟻が連れて行かれた。「ドント、ウオーリー」とワタルにメアスカリが手を振った。黒岩とワタルが目を拭った。屋形船が姿を消した。残った蟻たちがドクターの前に並んだ。ドクターが霧を吹きかけると蟻が2ミリのサイズになった。五〇〇〇匹の蟻が列になって宇宙船に乗り込んだ。六本のロケットが噴射すると宇宙船がゆるゆると上昇した。二人の日本人と二人の英国人そして黒人の少年が手を振った。四人がドドンパの入った篭を担いで岸ヘ行った。ネルソンが鼻に通していた人骨と吹矢をアマゾンに投げ捨てた。そして河の水で白粉を洗い落とした。六人が乗り込んだ水上機が水面を滑走して飛び立った。
「地上の楽園よ、さようなら」とワタルが言った。

            次回は最終章です
03/20
狂った壁掛け時計  第十九章
第十九章

オオシダの隙間からネルソンが白人のハンターと一人のインデイオを見ていた。白人は双眼鏡で何かを見ていた。ネルソンが双眼鏡を目に当てて見た。白人が観ていたのは低い枝にとまっている真っ赤な鸚鵡だった。インデイオが補鳥網をソロソロと鸚鵡に近付けた。鸚鵡がギャアと鳴いて横に移動した。インデイオが網を近付けると、また横へ移動した。白人が銃身の長い空気銃の銃口に何かを取り付けていた。注射器だ!ネルソンが頬を膨らませると吹矢をクチに当てた。照準を合わせると吹いた。
「わあ!」
白人が尻を押えて叫んだ。ネルソンが立ち上がった。白人がピストルを抜いた。だが、腿を押えて倒れた。吹矢が刺さっていた。白人は突如として現れた黒人に怯えていた。白粉を塗った顔。鼻に通した人骨を見て、首狩り族が出たと思ったのだ。インデイオはとっくに消えていた。ネルソンが白人が落としたピストルを拾った。白人のヘルメットを叩き落とすとピストルの台尻でその丸いハゲ頭を思いっきりひっぱ叩いた。
「ひい~」
ネルソンが大声で笑った。そして密林の中に立ち去った。

ワタルのテントに月光が当たっていた。隣で黒岩が鼾をかいていた。ワタルがテントのポケットから飴を取ってクチに入れようとした。すると天井に黒い影が映った。回り灯篭を見ているようである。影が東から西へ、ゆっくりと動いた。大きな鳥だ。ワタルが上着を着てブーツを履くとテントの外に出た。外は昼間のように明るかった。小川のほとりに出た。黒い影がワタルの上を横切った。翼の幅が一〇メートルはあった。まるで、グライダーだ。その巨大な黒い鳥が大木のてっぺんにとまった。翼を畳んでこちらを見ている。つり上がった目が黄金色に光っていた。ワタルが恐怖に震え上がった。黒い鳥が翼を広げるとフワッと空中に浮いた。――こちらへ飛んでくる、、ワタルが走った。ワタルが小川に落ちた。するとヌルっと何かが脚に絡んだ。ワタルがアナコンダに巻かれた。大蛇がどんどんワタルの胴を締めつけてきた。
「クロイワ・センセーイ。助けてえ~」
ワタルの叫ぶ声を聞いて黒岩が手斧を持ってテントを飛び出した。黒い斑点のあるニシキヘビが見えた。体長、二〇ートルの中型なのだ。だが、若い蛇は食欲が旺盛だった。黒岩が手斧を振り上げた。アナコンダが鎌首を持ち上げて黒岩に飛びついた。黒岩が小川に落ちた。アナコンダが大きなクチを開けた。喉の奥まで見えた。
「きゃあ~。お母さん、ボク蛇に飲まれるう」
そのとき、月光を背景に黒い影が大蛇の後ろに映った。ワタルが黒い影が大きなクチバシを開けるのを見た。クチバシに鋭い歯が生えていた。ワタルが気を失った。

「ワタル君」という声がした。ワタルが目を明けると黒岩がその眼を覗き込んでいた。ワタルが自分がテントの中にいることに気が着いた。
「先生、ボク、蛇に飲まれるところだったんです。どうして助かったんでしょう?」
「プテラノドンに助けられたんだよ」
「プテラノドンですって?」
「空を飛ぶ恐竜だよ」
「クロベエだ!」
「クロべエって?」
ワタルが一部始終を語った。黒岩がポカ~ンとクチを開けていた。[アナコンダはクロベエに首を噛まれて悶死した。アナコンダの死体に電気ウナギが群がった]と黒岩が話した。
 
「ジェリー、蟻人なんてやっぱり出鱈目なんだわ」
マギーとジェリーが気球のゴンドラの中で話していた。上客は五人で操縦士が一人なのだ。他にも二つ気球が空に浮かんでいた。アマゾンの上流に向かって緩々と飛んでいた。切り拓かれたジャングルの一角に部落が見えた。そのとき、黒い巨大な蝙蝠が気球の前を横切った。翼に手が付いている。
「きゃあ~」とマギーが叫んだ。
「プテラノドンだ。こんなところにジュラ紀の翼竜が生きているとは」
プテラノドンが北上している。
「ついて行こうよ」
他の気球もついて来た。

「ワタル君、ネルソンに会いに行こう」
「会ってどうするの?」
「リマのアメリカ大使館に連れて行く」
あの部落へ行くと、ネルソンはモンキー狩りに出ていると手振りで子供が言った。そしてアマゾンの北岸を指さした。猿が泣き叫んでいた。ハンターを感じたからだろう。ところがそのネルソンが見つからない。猿が一斉に鳴くのをやめた。
「どうしたんだろう」
「ネルソンの姿を見たんじゃないかな」
そのとき、黒岩の肩を誰かがトントンと叩いた。黒岩が振り返るとネルソンが笑っていた。猿は逃げてしまった。ネルソンが空の一角を指さした。気球が三つ浮かんでいるのが見える。
「なあんだ。エア・バルーンじゃないか」
「ノー、ルック、ゼア」
大きな黒い鳥が点に見えた。
「ボクが探していたプテラノドンだ」
そのとき、銃声が聞こえた。
「やっぱり当たらねえな」という声がした。あの白人のハンターと仲間だった。みんな手にライフルを持っている。
「あれをアメリカに持って帰ったら三〇〇〇万ドルは儲かるぞ」
「よし、囮を仕掛けよう。さっきの部落ヘ行って鶏を買ってこよう」
部落の老婆が言うには翼竜は見たことがないが、鳥なら魚のキャビアが好物のはずだと言った。そこで、ハンターたちはアマゾンの支流に行った。岸辺に小屋があった。漁師が網を引いていた。網の中で巨大な魚が暴れていた。漁師がその頭をこん棒で叩いた。魚が牙を剥いて漁師に飛び掛かった。太っていて狂暴である。
「オルドビス」と漁師が言った。ジュラ紀の怪魚だ。ウロコが小判のように大きい。大きさが人間ぐらいある。その中に雌がいた。ハンターが腹を指さした。
「キャビアか?」
漁師が腹を割こうとナイフを取り出した。ハンターが止めた。ハンターたちが網に入ったオルドビスを肩に担いで北岸に戻った。そして、それを草原に作った罠の中に置いた。プテラノドンがどこからともなく空に現れた。プテラノドンが急降下した。
「掛かったぞ!」
プテラノドンが網の中で暴れた。
「ボス、どうする?」
「麻酔銃で撃とう」
「黒岩先生、クロベエが殺される」とワタルが叫んだ。ネルソンが背中に背負っていた吹矢を手に取った。ヒュっと音がした。白人のハンターの左腕に当たった。麻酔銃を落としたハンターがライフルに手を掛けた。ハンターたちが一斉にライフルを手に取った。
「ぎゃあ~!」とハンターが悲鳴を上げた。その足に火蟻が群がっていた。黒岩がピストルを手に持って走って行った。ネルソンとワタルが続いた。ハンターがライフルを黒岩に向けた。
「パン、パン、パン」
ハンターが倒れた。他のハンターたちが逃げだした。
「嗚呼、人を殺してしまった」
「先生、正当防衛ですよ」
これを気球のゴンドラに乗っているマギーとジェリーが見ていた。
「ねえ、マギー、こんなときに質問していい?」
「いいわよ」
「マギーが一番好きな動物って何?」
「パンダ」
「オーマイガー、パンダはボクも大好きなんだ」
「サンキュウ、ジェリー」

「クロベエを網から出さなければいけない」
ネルソンがサバイバル・ナイフで網を切ろうとした。すると、翼竜がもの凄い目つきになった。ネルソンを信用していないのだ。流石のネルソンも怯んだ。
「ボクが網を切る」とワタルがネルソンからナイフを受け取った。空飛ぶ恐竜が網を切り裂くワタルを見ていた。プテラノドンが網から出てきた。そして翼を広げるとワタルの胸に飛び込んで来た。ワタルが倒れた。黒岩がピストルの引き金に指を掛けた。ネルソンが黒岩の腕を掴んだ。黒岩がネルソンの手を振り払おうとした。
「ミスター・クロイワ、ダイジョウブヨ」
「クロベエ!」とワタルが両手でプテラノドンを抱きしめた。
「ギャ~」とクロベエが鳴いた。

            続く
03/20
狂った壁掛け時計  第十八章
第十八章

ロンドンの英国王室昆虫研究所の所長が研究員と話していた。
「ダンカン君、クロイワさんからメールがきたんだ。スペース・スパイダーと戦争になっている。助けてくれと言ってきた。英国政府がこんな話を信じるわけがない。どうしよう?」
「どうしてあなたを知ったんですか?」
「ボクは自分はジャック・デインジャーフィールドの孫だとメールを出したことがある」
「博士、アマゾンヘ行きませんか?」
デインジャーフィールドがダンカンにある作戦を話した。聞いたダンカンが恐怖に慄いていた。
「博士、いつ発ちますか?」
「明日の夜行便でペルーのリマへ飛ぶ。たぶん、現場まで三日かかる」
「そのリマからどういう交通手段でアマゾンヘ行くんですか?」
「イキトスに地上の楽園ツアーという旅行社が水上機を出してくれるってクロイワさんが言ってる」
「面白そうですね。ワクワクしてきた」
ハハハハとデインジャーフィールドが笑った。

デインジャーフィールドはサファリの探検帽子が良く似合っていた。
「クロイワです。やっと、来てくださりましたね?」
「ジェームスと呼んでくれないか?こちらはダンカン君です」
「蜘蛛は全面攻撃に出ます」
「蜘蛛の数は?」
「兵隊という意味でしたら一〇〇〇〇匹です」
「こちらは?」
「二〇〇〇匹です」
「クロイワさん、ババカロ将軍に会えますか?」
「今、こちらに来ます」
ババカロとジェームスが握手をした。
「ババカロさん、アマゾンの河口にゴールデン・ダイアブラという肉食蠅が生息しているのをご存じですか?」
「生きた馬を食うって聞いたことがあるけど?どうして?」
「ボクらが捕まえてきます」
「なるほど、合点。そのダイ何とかという蠅を蜘蛛の巣に投げ込む?いいアイデアだ」
「セスナを待たせているんで、早速、出かけます」
セスナが飛び立った。

「ババカロ将軍、斥候たちは何をリポートしてるんですか?」
「ドドンパは核爆弾を使う考えだったんですが、そういう手に出るならこっちも核爆弾で報復するって言ってやったら、あきらめたようです」
「それで、どういう戦争になるとお考えでしょうか?」
「電子銃、手榴弾、刀、果ては素手で掴み合い」
「すると、白兵戦だと?」
「その通りです」
「敵はわれわれの五倍の戦力ですが?」
「ワタシは、肉食蠅に期待している」
「タイガー蜂を増やしましょう」
「ご存じのように五〇センチのクモは死にません」
「コウノトリはダメなんですか?」
「ありゃダメだ。なにしろ、ゴーイングマイウエーなんだ」

三日が立った。ジェームスとダンカンが戻ってきた。金色に光る肉食蠅の入った虫かごを手に持っていた。ダンカンが、一〇〇〇匹に増やすんだと言った。蠅のウジは、ほんの七日間で孵化した。若い蠅は腹が減っているのか囲いの中をブンブン飛び回った。ジェームスが一匹取り出して放した。モグラを見つけて飛んで行った。ところが異変が起きた。ゴールデン・ダイアブラが死んでしまったのだ。原因は水だとダンカンが言った。
――これで、俺たちは全滅する。

            続く
03/19
狂った壁掛け時計  第十七章
第十七章

法螺が鳴り渡った。蜘蛛の巣城で護摩法要が行われていた。エロモンド大王が護摩壇に積み上げられた神木に火を着けた。修験道を極めた大王が髪を振り乱して祈祷を始めた。すると、炎の中に烏山霊光が現れた。レイコウはゲラゲラ笑っていた。
「畜生、レイコウ、生きてやがる」とエロモンドが歯ぎしりをした。そこへ伝令がやってきた。
「大王様、アリが出航しやした」
「アリを絶滅してやる!」
リンリンが潜望鏡を出した。ドクグモの潜水艦が湖を下ってアマゾンの本流に向かっていた。
「操舵手、本艦をドクグモの後方にまわせ!」
「アイアイサー」
水兵がメッセージをボトルに入れて河に投げた。ボトルが、ドンブラコ、ドンブラコと流れて行った。姉妹艦のミンミンが上流から流れてきたボトルを拾った。リンリンから電報なのだ。
――出航されよ!二十四時間後に貴艦の前方にドクグモが現れる。戦闘をご用意されよ!
ババカロがメッセージを読むと、蟻がいさみ立った。
「エイエイオー」
蟻の水兵が乗艦した。
「ボクも連れて行ってください」とワタルが叫んだ。
「ワタシも連れて行ってください」とメアスカリが叫んだ。
ワタルが裸になると純白のフンドシを締めた。赤いビキニを穿いたメアスカリがうっとりとしていた。ワタルとメアスカリを乗せたミンミンが水深五〇メートルのアマゾンの河底を潜航した。

二十四時間が経った。ミンミンのソーナーが鳴った。凄いデイ―ゼルの音が聞こえた。
「ヨーソロー。敵艦、前方九〇〇メートル。河底で停止せよ!」
「ドドンパ指令、水中城が前方1キロメートルにあります。推進五〇メートルでありやす」
「よし、フロッグメンを出せ!」
蜘蛛一〇〇匹で編成した潜水部隊がドクグモの船腹のハッチから水中に出て行った。河底は澄んでおり水中城の灯が見えた。すると何か黒い大きな物体が動いた。
「潜水艦だ!逃げろ!」
フロッグメンが岸に向かって逃げた。だが、これが災いした。白亜紀より進化していない魚竜ガープが喜んだ。フロッグメンが食われてしまった。フロッグメンの悲鳴がドドンパの耳に聞こえた。
「水雷を流せ!」
水雷兵が水雷を水中に流した。
「水雷が流れてくるぞ!」
ミンミンが鉄の漁網を撃った。クモの水雷が絡め取られてしまった。爆発音が聞こえないので、ドドンパが失敗したと地団駄を踏んだ。
「よし、水中城の後ろに回ろう」
ドクグモ艦の巨体がもの凄い速度でミンミンの頭の上を追い越して行った。ガラガラというスクリュウ音に蟻が怯えた。ミンミンがUターンして追っかけた。そこへリンリンが加わった。水中城まで一〇〇メートル。リンリンが漁網を撃った。バリン、バリンという音が聞こえた。鉄の網がドクグモ艦のスクリュウに絡みついたのだ。ドクグモ艦が水中城の頭を超えて下流に流れて行った。やがて、巨体が水面に出た。ドクグモ艦が泥に乗り上げた。ドドンパがハッチを開けて外に出た。外は快晴で野鳥が騒がしく鳴いていた。これが地上の楽園なんだ。下流に目をやると、何かの群れが泳いでくるのが見えた。イルカだ!。イルカは何かを追っていた。イルカの前を見ると何かが飛んでいた。飛び魚だ!吸血鬼のドドンパまでが平和な気分に浸っていた。三〇〇匹の蜘蛛が水浴することにした。ところが、これが災いした。クモたちが石鹸で体を洗い合っていると回りの水面がピチピチと跳ねた。
「ギャア~」
悲鳴があちこちで上がった。腹の赤い鯛のような魚が蜘蛛に襲い掛かっていた。ピラニアに食いちぎられた蜘蛛の脚が水面に浮いていた。蜘蛛が岸へ走った。
「畜生!とんでもねえことになった」

            続く
03/17
狂った壁掛け時計  第十六章
第十六章

「みんな元気に戻って来たのね。こんな嬉しい日はない」と女王蟻が女給蟻を呼んで集まった一同にグアバジュースを配った。
「女王陛下、まだまだ戦争は終わりません。何しろ、蜘蛛はわれわれ蟻を絶滅させる気ですから」
「ババカロ、あなたには作戦はあるの?」
「斥候が言うには、エロモンドはパックリドッコンを殺して倅のドドンパを司令官に据えたそうです」
「ババカロ、それ大したことじゃないわね」
「はい、女王陛下、その通りでございますが、奴らは巨大な潜水艦を造ったそうです」
「すると、その潜水艦でこの水中城にやってくるというわけなのね?」
「その通りでございます。アマゾン河の水中戦になります」
「ババカロ、あなたは勝つ自信があるのですか?」
「分かりません。でも蟻は水に強いですから」

ババカロが艦長を呼んだ。艦長の蟻は、眉毛が太く、フンドシを締めて、日本刀を右手に持ち、アタマに「必勝」と書いた鉢巻を締めていた。男前なので雌の蟻が騒いだ。
「艦長、海戦をどう考えておるのか、女王陛下に話してくれ」
「女王陛下、われわれの潜水艦は水兵四〇匹の小型艦なんです。理由は電気潜水艦なんです。二艦持っています。リンリンとミンミンは姉妹艦なんです。特長は円盤型なので水流に強いんです。向きを変えるのも背びれ、尾びれ、腹の両側にサメに似たヒレが付いていますのでグルリと回ります。蜘蛛が作った潜水艦はジーゼル機関です。水兵が四〇〇匹も乗る設計なので、アマゾン河には向きません。海軍の歴史を持たない蜘蛛が潜水艦を造るなんて頓珍漢のカ~ンなんです」
「面白いお話しねえ」
女王もフンドシ姿の侍に惚れたようだった。
「艦長、その電気自動車の電気はどうやって発電しているのかね?」
「将軍、電気自動車ではありません。電池潜水艦なんです。充電は雷様です」
「なるほど。アマゾンはいつもゴロゴロと雷が鳴っているからね」
「将軍、しかし、われわれには魚雷の技術がないのです。持っているのは水雷だけです」
「じゃあ、どうするんだ?」
「鉄の漁網を放流して敵の潜水艦のスクリュウに絡めます」
「艦長さん、アマゾンは怖いところだと聞きました」
「女王陛下、アマゾンは白亜紀から進化していない爬虫類が棲んでいます。鰐、ガープ、ニシキヘビ、ピラニア、電気オオウナギがウヨウヨと棲んでいます。魚竜までいるんです。空にはクチバシに鋭い歯の生えたコウノトリが飛び回っているんです。あいつらは恐竜のままなんです。どれも進化に遅れていて性質がすこぶる狂暴なんです」

その頃、スペース・スパイダー帝国海軍が潜水艦ドクグモの進水式を行っていた。この辺りのアマゾンは最も河幅が広く向こう岸が見えない。流れる湖なのだ。水平線に雨雲が垂れていた。大粒の雨が降って来た。空に閃光が走ったと思うと耳をつんざく雷が鳴った。テントの中の来賓席にいるエロモンド大王は上機嫌だった。雨傘を差したエロモンドの妾がシャンペンのボトルを艦首に打ち付けた。天にも聞こえよと高々とファンファーレが鳴った。潜水艦ドクグモがレールの上を滑った。飛沫を上げてアマゾンに浮かんだ。暫らくその巨体が揺れていた。
「バンザーイ」と蜘蛛が叫んだ。海賊ハットを被ったドドンパが司令官だ。艦上に並んだ水兵が手を振った。「ピー」と汽笛を鳴らしたドクグモが緩々と沖へ出て行った。それを蟻の斥候が双眼鏡で見ていた。
「やっぱり、魚雷管の発射口がないな」
三匹の蟻の斥候が野ブタに飛び乗ると密林の中に消えた。
「いつ頃ここへ来ると思う?」
「操船訓練が終われば来ます」
「艦長、どうする?このまま待ってるのもチョイスだが、、」
「ババカロ将軍様、リンリンを出します。そのドクグモの動作が知りたい」
「リンリンは船足が遅いと聞いたが、その湖まで何日掛かる?」
「上流ヘ遡りますので、四十八時間とみています」
「連絡をどうする?」
「カプセルに伝令を入れて下流に流します」
――プラスチックでいくつもカプセルを作っておいて良かったとババカロが思った。
水兵四〇匹とフンドシ艦長を乗せてリンリンが出て行った。

            続く
03/16
狂った壁掛け時計  第五章
第十五章

二〇日が経っても戻ってこないレイコウにエロモンドが苛々していた。
「レイコウ、裏切りやがったな」と忌々しそうにパクリドングリに言った。
「大王様、こうなりゃあ、ババカロと戦争するしかない」
「斥候が朽ちた大木の洞が入り口だと報告した。神経ガスを打ち込め!」
「大王様、それはダメです。ババカロたちは河底の水中城に立てこもってるんだからね。ガスで報復される」
「それじゃあ、カメレオンを連れて行け!」
「あいつら、水蛇を恐れてるんです」
「蛙を大量に蓮池に投げ込め!腹いっぱいになれば陸には来ないだろう」
「やっぱり、大王様はアタマがいい」

パクリドングリが急襲部隊を組んだ。蜘蛛一〇〇〇匹とカメレオン二〇〇匹。タイガー蜂が飛んでくることを考えて覗き穴を開けた篭の中に入って移動することにした。同じ頃、蟻の斥候は蜘蛛が戦争を準備していることをババカロに報告していた。ババカロが水蛇をバケツに入れて洞の周りに置いた。それを蜘蛛の斥候が望遠鏡で見ていた。
「ババカロさん、蜘蛛はいつ責めてくるとお考えですか?」
「クロイワさん、桃の節句じゃないかな?」
「桃の節句ですって?」
「蜘蛛の帝の命日なんです」

グアン、グアンと蜘蛛の穴からミュージックが流れていた。三月二日、桃の節句のイブである。蜘蛛たちは飲めよ、食えよの大宴会を開いた。蜘蛛が壇上のカラオケで歌っていた。曲はビートルズのイエロー・サブマリンである。観客があんまり湧かない。その蟻はすごすごと壇上を降りた。すると一匹がピアノを弾き出した。曲は、昔懐かしブギウギである。蜘蛛の男女が尻を振って踊り出した。雌の蜘蛛が一升瓶を手に持ってお酌をしていた。宴会の後、蜘蛛たちは好きな雌蜘蛛を選んで穴に消えた。蜘蛛は好色なのだ。翌朝、起床ラッパが鳴った。次いで総員メシアゲ・ラッパが鳴った。メシの後、練兵場に整列した。
「カシラア右、出発!」
電子銃を肩に担いだ蜘蛛の兵隊一〇〇〇匹とカメレオン二〇〇匹が出発した。空気に振動を感じたタイガー蜂が騒いだ。蟻の斥候隊の触角がグルグルと回った。蟻の巣に来ていたババカロがドローンを飛ばした。蜘蛛とカメレオンの一個師団が液晶画面に映った。そのドローンを蜘蛛のドローンが撃墜した。森の中から一〇匹つつ蜘蛛の大隊が出てくるのが見えた。タイガー蜂が瓶の中でブンブン羽を鳴らしていた。これが蜂のフライング・タイガーなのである。黒岩、ワタル、メアスカリがババカロの横で見ていた。
「メアスカリ、恐くないの?」
「うううん、ワタシ、ワタルと一緒だから」
「メアスカリ、クロイワさん、水中城へ帰ってください」
「いや、ボクらも戦います。火炎放射器をください」
ババカロの野戦部隊が二〇ミリ砲を撃った。先頭の小隊に当たって蜘蛛が空中に投げ出されるのが見えた。それを見た蜘蛛が逃げ出した。蟻の空将がタイガー蜂の入った瓶の蓋を取った。フライング・タイガーの編隊が飛んで行った。フライング・タイガーはほとんど電子銃で撃ち落された。数匹が蜘蛛に飛びかかって刺した。だが、刺された蜘蛛は金きり声を上げただけで死ななかった。蜘蛛は電子銃隊を前にして進んできた。
「クロイワさん、逃げましょう。逃げるが勝ちです」
「ワタル君、みんなと逃げてくれ!」
メアスカリと女性蟻を先頭に蟻がトロッコの列車に乗って地底に降りて行った。そして地底の地下水に停泊していた二隻の潜水艦に乗り込んだ。黒岩が火炎放射器を持って残った。
「クロイワさん、トロッコに乗ってください」とやはり火炎放射器を持った三匹の蟻が言った。
「いや、ボクは人間だ。蜘蛛なんかに負けない」
蜘蛛の足音がした。蟻が火炎放射器に手を掛けた。
「待て、一〇〇匹ぐらい殺したい」
蜘蛛が水蛇が入ったバケツに毒を流して殺した。カメレオンが喜んでいた。洞にカメレオンの小隊を投入した。そして兜の真ん中に付けた電灯を点けた。蜘蛛が次々と入ってくるのが携帯の画面に映った。黒岩と蟻の兵隊が一斉に火炎放射器の引き金を引いた。
「ギャア!」
カメレオンがバタバタ落ちて来た。
蜘蛛が焼ける臭いがした。黒岩と蟻三匹がトロッコに飛び乗った。そして急速度で地底ヘ降りて行った。潜水艦の潜望塔でババカロが待っていた。蟻の水兵がハッチを閉めると地下水の流れに任せてアマゾンに向かった。

一〇〇匹の蜘蛛が焼き殺されたと聞いたエロモンド大王のアタマから湯気が立ち登っていた。エロモンドがパクリドングリを処刑した。そして倅のドドンパを司令官に据えた。蜘蛛が嫌な顔をした。ドドンパは生来アタマが悪く兵隊を消耗品のように扱うからである。ドドンパが技術者を呼んだ。技術者の蜘蛛が潜水艦の写真を壁に張った。蜘蛛の水兵が四〇〇匹も乗れる巨大な潜水艦である。ドドンパは大艦巨砲主義なのである。しかし蜘蛛は憂鬱になった。蜘蛛は水が大嫌いなのだ。大王はドドンパの作戦を聞いて上機嫌だった。

            続く
03/15
狂った壁掛け時計  第十四章
第十四章

マギーとジェリーがイキトス行きのフライトを待っていた。チチカカ空港のカフェである。ウエイトレスがワインとチーズの塊と焼き立てのトルテイアを持って来た。ジェリーがマギーのグラスにワインを注いだ。
「ねえ、マギー、質問してもいい?」
「いいわよ」
「マギーが一番好きな大統領って誰?」
「レーガンよ」
「オオマイガー、レーガンはアメリカ史上ワーストの大統領だよ」
「私、大好き」
「じゃあ、マギーが一番好きなハリウッドの俳優は誰?」
「トム・クルーズ」
「オオマイガー、トム・クルーズは映画史上ワーストの俳優だよ」
「でも好い男」
「じゃあ、マギーが一番好きなロックの歌手は誰?」
「なんて言ったって、エルビス・プレスリーよ」
「オーマイガー、プレスリーは、ワーストだよ」
隣りのテーブルの英国人の老夫婦が笑っていた。
「あなた、私をからかってるんでしょ?」
「怒ったの?」
「ちっとも、あなたはおバカさんね。だから私はジェリーが好きなのよ」
ふたりの恋人が猛烈なキッスを始めた。
「マギー、気球旅行だけどアマゾンを気球で往復するの?」
「イキトスから高速船でアマゾンを下って、帰りが気球なのよ」
「それいいね。ボク、あんまり蟻人に会いたくないから」
「私、会いたいわ」

「知念君、警察庁では、君たちを解雇しろという声が多いんだ」
知念とハンクが警視総監の前に座っていた。
「はあ、刑事は潰しが聞かないんで有名なんです」と知念がボリビアの山賊のようなカイゼル髭の先っぽをねじりながら答えた。
「仁科君が涙を流して懇願した。委員会は減給一ヶ月の懲戒処分を決めた。それと功績を認め休暇二週間を許可することにした。但し、その期間は停職となる。つまり刑事業務を行ってはならない」
それを聞いた知念とハンクが涙を流した。
「総監、たいへん感謝します」と知念とハンクが頭を下げた。
「総監、あの宝石はどうなったんですか?」
「全ては国立博物館が管理することになった。一〇%は君たちのモノとなる。だが、現金に換算してからだ」
「総監、ボク、結婚するんでホームを買いたいんです」
ハンクも無精ひげで顔を覆われている。
「丸子君、宝石は総額一億円以上だって言ってるよ」
「すると五百万円ですね。わあ、嬉しい」
「アマゾンヘ行って良かったな。しかしその髭、ブラジルの銀行強盗のように見えるぞ」
知念とハンクが退庁した。

「二週間の休暇だけど、君はどうする?」
「先輩に何かお考えがあるんですか?」
「いや、山田一郎を捜したい」
「そうですね。まだ解決していない」
「あいつは日本以外に住める男じゃない。持って行った王冠を売ることはないだろう」
「祈祷師を辞めないと思います。心霊学会を捜査出来ないもんでしょうか?」
「問題は、今、ボクたちは停職中だからね」
「先輩、じゃあ、心霊学会に入信しましょうよ」
「それはいい考えだ。ところでハンク、その無精ひげを剃ってはいかん」
「山田に出くわしたときに見抜かれないためですね?」
「そうだ。ついでに顎ひげも残してくれ」

日本心霊学会は江東区稲荷町にあった。寺だと思っていたが瓦屋根の民家である。隣に古物商があった。知念が首を曲げてハンクに店に入ろうとサインを送った。
「こんにちわぁ」
店主が知念のカイゼル髭を見て怪訝な顔をした。ハンクが警察手帳を見せた。
「警視庁の刑事さんですか?ええ、よく知らないんですが、変な人間が出入りしてますよ」
「どういう人たちですか?」
「みんな和服を着て、女は丸髷、男はちょん髷なんです。あれはカルトですね」
「はあ?」
「この男を見たことはありますか?」
知念が山田一郎のイメージを携帯で見せた。
「ええ、烏山霊光という祈祷師です。商売になるかと心霊学会を見に行ったんです。山伏のような白装束の烏山が大きな火を焚いて大声で呪文を唱えていました」
「会ったことはあります?」
「一度、店に来たんです」
「何か買ったんですか?」
「何だったかなあ?ちょっと台帳を調べますので待っててください」
「ああ、これだ、これだ」と親父が戻って来た。手に何か持っている。達磨模様の飾りものである。
「これ何んですか?」
「大正時代に ベッコウで作った帯留めなんです」
「持って帰ったんですか?」
「いえ、郵送してくれって言うんで預かりました」
「届け先は?」
親父が台帳を見た。
「福岡県博多市牡蠣殻町汐入三丁目六番地です。お名前は、山田キン子様です」

知念が礼を言って店を出た。ふたりが東京駅から新幹線に乗った。博多に着くとタクシーを拾って牡蠣殻町汐入へ行った。三丁目六番地に山田という表札はなかった。インターフォンを押すと主婦が出て来た。
「ああ、キン子ちゃんね。あの子はうちに下宿してたんです。高校を出ると、京都の祇園に行って舞子になったんです」
知念とハンクが目を合わせた。
「住所は分かりますか?それと写真を頂けますか?」 
主婦が写真を一枚持って来た。そして住所を書いてくれた。
山田キン子は大和撫子という顔立ちの美人である。主婦に礼を言って博多駅に戻った。駅前に「天然フグあります」と書かれた旅館に入った。
「ハンク、山田キン子ね、山田一郎の娘じゃないかな?」
翌日の昼、京都に着いた二人の刑事が祇園の旅館にチェックインした。部屋に挨拶にきた亭主に記念に舞子さんを呼びたいとハンクが言った。好みの舞子を選べると亭主が言った。知念がアルバムを見てひとりの舞子を指さした。もうひとりは誰でも良かった。二人が座布団を枕に畳に転がっていた。亭主が舞子が来たと言った。山田キン子が三つ指をついて挨拶をした。知念が帯留めを見ていた。達磨模様の帯留めであった。三味線に合わせて二人の舞子が踊った。翌朝、刑事たちは東京に戻った。山田の居所は依然として判らなかった。ハンクが山田のファイルを見ていた。
「先輩、山田の誕生日なんですが、先月だったんです」
「それで?」
「いえ、父親想いのキン子が何か送ったんじゃないかと思うんです」
「あっ、そうだったね。祇園の郵便局に問い合わせてみよう」
知念が携帯で話していた。
「わかった。山田は山伏の修行に出ている。山形の羽黒山だ。宿所は珍言宗三つ目竜尊寺だ」

羽黒山は銀世界だった。木も、池も、山も綿のような雪で包まれていた。竜尊寺はうっそうとした杉の森の中にあった。受付で自分たちは座禅に来たと言った。夕方になると山伏たちが修行から帰って来た。護摩焚きが行われた。知念がハンクの肘を突いた。烏山霊光が一心不乱に祈祷を上げていた。
「先輩、どうします?逮捕しますか?」
「いや、逮捕状がないよ」
「今日で修行は終わりだそうです」
「尾行するしかない」

山田一郎が東北新幹線に乗った。自由席である。知念とハンクが山田の前の座席に座った。知念が山田に会釈をした。山田は髭面の知念をじっと見ただけである。新幹線が東京に近着いていた。山田が知念の視線に気が着いた。
「山田さんですね?」と知念が言った。
「いや、違う」と山田が手を振った。ハンクが舞子姿のキン子の写真を見せた。
「誰だそれは?」
「あんたの娘だよ」
山田がアマゾンのジャングルで会った刑事だと気が着いた。さっと山田が席を立って昇降口に足早に歩いて行った。刑事たちもついて行った。プラットホームに降りた山田が向かいの2番線に向かって歩いていた。間もなく、下り東北新幹線新青森行きが入ってくるとアナウンスがあった。山田が線路に飛び降りて線路の向こう側に走った。ハンクが続こうとしたが知念がハンクの腕を引っ張った。そこへ新幹線が入って来た。
「しまった。逃げられた」

            続く
03/14
狂った壁掛け時計  第十四章
第十四章

ボナンザ撃墜事件が起きてから三日が経った。
「ハンク、、林に激突して燃え上がったというボナンザだがね、山田じゃないかな?」
知念とハンクがレンタカーの中で話していた。
「ボクもそう思ってたんです。すると山田一郎は焼け死んだということでしょうか?」
「いや、山田はサイキックなんだ。シブトク生きてると思うよ」
「すると、銀行に現れますね。先輩、もうすぐ九時です。銀行が開きます」

ライオンかと思うほど胸部の発達した大きな野犬がうろついていた。標高が高いので肺が発達するのだ。知念が寫眞を撮ろうとすると、黄色い車体にチェッカー模様のタクシーがファインダーに映った。銀行の玄関の前に停まったタクシーの後席から山高帽子を被った髪の毛の長いインデイオが出て来た。サングラスを掛けたインデイオは石膏で固めたギブスを左腕に嵌めていた。その左腕を首から吊った包帯に入れて松葉杖を突いていた。
「あれだ!」
「銀行に入りますか?」
「いや、ここで待とう」
三〇分ほどすると、革の鞄を右手に持った山田が出て来た。タクシーの運ちゃんがドアを開けた。山田は乗るのに時間が掛かった。山田の乗ったタクシーが北ヘ行く国道に乗った。
「ハンク、山田は国境を超える考えだ。ペルーに入られたら面倒だ。人里を離れた田舎で逮捕しよう」

「セニョール、誰かがつけて来る」と運ちゃんが山田に行った。山田が振り返った。
「山田はわれわれに気が着いたね」と運転していた知念が言った。
ピストルを右手に持った山田が左の窓から顔を出した。瞬間、ハンクもリボルバーをケースから引き抜いた。山田が撃ってきた。発射音が小さい。短銃だ。22口径だろう。めちゃめちゃに撃っているので、一つも当たらなかった。ハンクが撃った。もの凄い音がした。45口径マグナム弾だからだ。後部のガラスにひびが入ったのが見えた。タクシーの運ちゃんがアクセルを思いっきり踏んだ。ハンクが連続で撃った。タイアに当たったのかタクシーが蛇行し始めた。
「先輩、追いついてください」
距離が三〇メートルにちじまった。山田が顔を出して撃った。前ガラスに当たったが貫通しなかった。ハンクが撃った。山田が引っ込むのが見えた。タクシーが停まった。
「先輩、当たったようです」
知念が車をタクシーの前に停めた。ふたりの刑事が飛び出した。
「山田、拳銃を捨てて外に出ろ!」
腕を包帯で吊った山田が革カバンを右手に持って出て来た。耳を撃たれたようだ。つり上がった目がハンクを恨めしそうに見た。山の陰からヘリコプターのローターの回転音が聞こえた。知念が見上げると、ヘリコプターの開いたドアから自動小銃を持った男が見えた。
「ハンク、車の陰に隠れろ!」
知念とハンクが車の後ろからヘリの男を撃ったが、一〇〇メートルでは当たらない。自動小銃には勝てない。車の屋根にブスブスと穴が空いた。ヘリが降りて来て、縄梯子を降ろした。包帯をかなぐり捨てた山田がギブスの左腕を梯子に掛けた。自動小銃の男が山田を引き上げた。ハンクと知念が撃った。男がのけ反ったが山田はヘリの入り口にギブスの手を掛けた。ヘリが急上昇した。必死にヘリに掴まった山田が革カバンを落とすまいと焦った。カバンの留め金が外れて宝石が空中に散った。太陽の光に宝石がキラキラと光った。宝石を捕まえようとした山田が梯子から手を放した。祈祷師が峡谷に落ちて行った。轟音と共にヘリが飛び去った。知念とハンクが道路に散らばった宝石を拾った。
「オーマイガー、、」
タクシーの運ちゃんが穴の開いた屋根を見て嘆いた。タイアを取り換えると一目散に走り去った。刑事たちは、ラ・パスまで歩く嵌めになってしまった。
「知念先輩、これからどうします?」
「首になる前に東京ヘ帰ろう」
「この宝石はどうします?」
「ラ・パスの日本大使館に預けよう」

知念が仁科課長に電話を掛けた。
「バカモノ、君たち警視庁に戻ったら警視総監が直々に話しがあると言っておるぞ!」
仁科のアタマから湯気が立ち上っていた。
「それで、烏山霊光はどうした?」
「ヘリから手を放したんです。谷間に落ちて行きました。あのあたりには獰猛な野犬が徘徊していますから頭蓋骨まで食われたと想像します」
「骨まで食われた?それはいいが、丸子君はどうしてる?」
「横で笑っていますが?」
「バカモノ!」
「課長、チチカカ湖を見に行ってもいいでしょうか?」
「絶対に許さん」と仁科が電話を切った。
ハンクと知念がラ・パス空港からペルーのリマヘ飛び立った。

            続く
03/14
狂った壁掛け時計  第十三章
第十三章

その夜、蜘蛛たちは不思議なお経を風の中に聞いた。穴の中に紫色の煙が充ちた。監視兵の蜘蛛が寝てしまった。妾とエッチの真っ最中だったエロモンドも寝てしまった。烏山霊光こと山田一郎がワタルと外に出た。そして、指定された草原に歩いて行った。ゆくてに懐中電灯の光が見えた。
「烏山さん」という声がした。烏山霊光が懐中電灯を照らしてみると日本人が二人立っていた。二人とも丸腰である。
「私は知念という者です。こちらは丸子さんです。ご安心ください。武器は持っていません。約束通り、王冠を持って来ました。
「王冠を見せろ!」
ハンクが王冠を唐草模様の風呂敷から取り出した。王冠を手に取った烏山が見ていた。
「ホンモノだな」と言うとワタルを押し出した。その瞬間ハンクが烏山に飛び掛かった。だが、すぐに両手を上げた。烏山がピストルを手に持っていたからである。
「そんなことだろうと思っていた」
「山田一郎、撃つな!俺たちは警視庁捜査一課の刑事だ」
名前を呼ばれて山田がたじろいだ。
「ワタルを連れて行って良いか?」
「刑事じゃ仕方がない。今さら、エロモンドに説明するわけにもいかない。連れて行け!」と山田が言うと風呂敷ごと王冠を持って立ち去った。翌朝、目が覚めた蜘蛛がワタルがいないと騒いだ。エロモンドが蟻の巣を急襲することに決めた。蟻の兵隊を何匹か捕虜にして、自分の甥たちと交換する考えなのだ。そして、レイコウを呼んだ。
「部下とボリビアヘ行って宝石を持って帰って来い!逃げたら殺して喰ってやる!」
烏山霊光が青くなった。しかし、ある考えがひらめいた。王冠をリュックに入れた。レイコウと蜘蛛二匹が出て行った。一行は船頭を雇い、魚船に乗ってボリビアに行った。

ワタルと刑事二人が帰って来た。ワタルが目を真っ赤にしたメアスカリを見た。ワタルと黒岩が抱き合った。宴会が始まった。蟻の舞踏団が舞った。間もなく最終戦争が始まる。これが最後の宴会かも知れないのだ。アコーデオンが鳴った。ロシア民謡のスクエアダンスが始まった。メアスカリがワタルの手を取るとフロアに出た。知念もハンクも踊れない。グアバジュースを飲みながら見ていた。すると、蟻の斥候が知念の耳に何か囁いた。知念がハンクの耳に囁いた。ハンクが黒岩の耳に囁いた。ふたりは立ち上がるとピストルの入ったベルトを腰に着けてバックルを閉じた。ふたりがカプセルに乗って地上に出た。知念が携帯を取り出すと、イキトスの地上の楽園ツアーに電話を掛けた。三時間後、セスナの爆音が聞こえた。
「おお、ジャポネ、おふたりさん、どこへ行くんですか?」
「ボリビアのラ・パスへやってくれ」
「ここから九〇〇キロ、アンデスを超えるけど?」
「アンデス?」
「そうよ」
「セスナで超えれるのか?」
「水上機は高度を飛ぶように作ってない。スロットルを全開すりゃ、ぎりぎり超えれるけど、ボリビア軍に連絡しないと撃ち落される」
「墜落するか、撃墜されるか。嫌だなあ」とハンクが弱音を吐いた。四時間後、セスナがグングン高度を上げていた。やがて雲の上に出た。セスナの面前に雪を被ったアンデスの巨峰が見えた。するとパイロットが「必勝」と書いた鉢巻を頭に締めた。セスナが金切り声を上げていた。速度がやたらに遅い。
「おい、ダイジョウブか?」と流石の知念も怖くなって訊いた。パイロットを見ると特攻兵のように目が釣り上がっていた。ハンクが目を瞑ると般若心経を唱え始めた。セスナが下降し始めた。ハンクが地上を見ると、ジェット戦闘機二機がスクランブルするのが見えた。
「きゃあ~!」
「ジャポネ、シンパイハ、イラナイ。連絡してあるよ」
セスナを確認するとボリビア空軍のパイロットが手を振った。ハンクが手を振った。前方に大きな湖が見えた。その南岸に都市が見える。
「あれが、ラ・パス」とパイロットが大声で言うと笑った。周りを標高五〇〇〇メートル級の山に囲まれたすり鉢状の都市が見えた。
その頃、レイコウと蜘蛛二匹がイキトスに着いた。
「おい、クモスケ、ここからどうする?」
「日が暮れたら空港ヘ行って飛行機を盗む」
日がとっぷりと暮れた。蜘蛛がボナンザの操縦席に乗り込んだ。祈祷師は後席に座ってベルトを締めた。双発機のボナンザはアンデスを軽々と超えた。操縦していた蜘蛛がジェット戦闘機二機が舞い上がるのを見た。
「しまった。ボリビア空軍だ」
「逃げろ!」
ボリビアのジェット戦闘機が横に並んだ。もう一機は後ろについていた。
「ラ・パス空軍基地へ着陸せよ」
蜘蛛は従った。ボナンザが着陸姿勢に入った。着地するかに見えたボナンザが急上昇して、ラ・パスの市街の上に出た。こうすれば撃墜を逃れると考えたのだ。ところが、それは甘かった。戦闘機が機銃を発射した。右翼のエンジンに当たった。ボナンザは右に傾いた。目の前に管制塔があった。その塔に左の翼が当たった。ボナンザが滑走路の外側の林に激突して燃え上がった。消防車が飛んで来たが現場に入れなかった。軍がボナンザの残骸を調べた。得体の知れない生物の灰が見つかった。だが、烏山霊光は煙のように消えていた。

            続く
03/13
狂った壁掛け時計  第十二章
第十二章

「ハンク、仁科課長に嘘を言うしかない」
「はあ?」
「やはりアマゾンヘ行くしかない」
「先輩、ボクも行きます」
「この烏山霊光は、山田一郎という元銀行員なんだ」
「先輩、銀行員が何故、祈祷師になったんでしょうか?」
「理由は勤めていた銀行を詐欺事件で馘になったことさ。前科のある銀行員が職に就けるはずがない。そこで、化けることにして心霊学会に入ったんだ」
「山田がアマゾンに行ったその動機を知りたいんですね?」
「山田を追跡する。ついで、黒岩さんたちと会う」
「いつ、出発します?」
「ハンク、この日曜日だ。サファリの探検服を買う」
「探検隊ですね?ボクの夢だったんです。先輩、ボク、ワックワクして来ました」

知念とハンクがイキトスに着いた。二月になっていた。飛行機のタラップを降りると、真夏の太陽が照り付けていた。北風が吹く東京と真っ逆さまなのだ。知念の額に汗が玉粒となって頬を流れ落ちた。ふたりの刑事が手拭いで汗を拭った。
「ひゃあ~!暑いですね」
黙って知念が蚊除けクリームをハンクに渡した。
「顔だけじゃなく、肌に塗ってくれ」
「先輩、なんか、生きた馬を喰う蠅がいるんだそうですね?」
「いや、ここにはいないよ」
「わあ、安堵、安堵。先輩、ボク、拳銃が欲しいんですが」
「セスナは明日だから、イキトスの町で拳銃を買おう」

ふたりの刑事が銃砲店ヘ行って銃身の長いリボルバー二丁、弾薬、ベルトを買った。腰にピストルの入ったベルトを締めた。ハンクが知念にハンカチで覆面をして見せた。二人の刑事は銀行強盗に見えた。知念が手を横に振って笑っていた。店を出ると、町の屋台では色とりどりのシロップのかかったかき氷を売っていた。知念が苺シロップを選んだ。
「ハンク、品川課長が言うには、山田は誰かの銀行の金庫を管理しているらしい」
「どこの口座ですか?」
「ペルーの隣のボリビアの銀行だそうだよ」
「ははあ。山田はそのカネを狙っているんですね?」
「いや、カネではなく宝石だそうだよ」
「先輩、これ面白いですね」
「でも、警視庁を首になる可能性がある」
「そのときは三文小説を書きましょう」
「しかし、ハンク、どうすれば黒岩さんらと会えるだろうか?」
「黒岩さんは携帯を持っているでしょう」
「そうだが、エアライン・モードにセットしているんだ」
ふたりの刑事が考え込んでしまった。

翌朝、桟橋に行くと、黄色い胴体のセスナが停まっていた。パイロットが手招きした。セスナが桟橋を離れた。河面は鏡のように滑らかだ。セスナは軽々と離水した。
「その日本人二人をここから三時間の下流で下したのはワタシです。ワタシも蟻の宴会に招待されたんです。緘口令を敷かれてるんです」と緘口令にも拘らず、しゃべりだした。パイロットはおしゃべりなのだ。
後ろの座席に座っていたハンクが身を乗り出して聞いていた。
「ババカロという蟻の将軍が檻に入った蜘蛛の王子を見せたんです。もの凄い目つきの蜘蛛なんです」
「嫌だなあ」
「ハンク、もう遅いよ」
三時間後、セスナがフラップを下げると下降に入った。赤紫の蓮が咲く池が見えた。セスナが水しぶきを上げて着水した。セスナが岸に着いた。二人がダッフル・バッグを担いで降りた。ハンクが悲鳴を上げて飛び上がった。体長が二〇メートルはある鰐がクチをあんぐりと開けて日向ぼっこをしていたからである。
「イキトスに帰るときには電話をください」
セスナが爆音とともに飛び去った。密林の中で野鳥が騒がしく鳴いている。猛獣の唸る声も聞こえる。ハンクが不安になった。蟻のソーナーがセスナの離水する音を捉えた。ババカロが潜水兵を送った。河面にブクブクと泡が立ったと思うと、卵の形をしたカプセルが浮かび上がった。ハッチが開いた。黒岩とワタルが出てきた。知念が自己紹介した。
「警視庁の刑事さんですか?遠路遥々、ごくろうさまです」
四人はカプセルに乗って水中城に戻った。エアコンが利いている。早速、女王蟻に挨拶して、ババカロの部屋に行った。ババカロが喜んだ。本能で日本の刑事が蟻を助けてくれると知っていた。ハンクが赤いビキニを穿いたメアスカリを見ていた。その夜は疲れていたので、早々と寝ることにした。水中城で寝ないことにして、再びカプセルに乗って岸辺に行った。ハンクと知念がテントを張った。寝袋に体をのばすといびきをかき始めた。真夜中、そのハンクがガバッと起きた。
「先輩、たいへんです」
「ハンク、どうした?」
「テントの入り口から長い手が、ぬ~と伸びてきたんです。そしてボクの足を引っ張ったんです。この森に巨人が棲んでいます」
「悪い夢を見たか?」と知念が懐中電灯を点けてテントの外に出た。
「わあ~」
縦五〇センチ、幅二〇センチもある大きな足跡が森に続いていた。親指が外側へ向いており巨大な類人猿と思われた。騒ぎを聞いた黒岩が起きて来た。
「ビッグ・フットですか?いやあ、そういう報告はないですね」と黒岩が言った。
「では、黒岩さん、この足跡をどう説明しますか?」
朝、黒岩が石膏で型を取ろうと地面を見ると、足跡が消えていた。日本人三人が水中城に戻り食堂へ行った。メアスカリがテーブルにパン、ミルク、果物を並べていた。メアスカリが知念を見た。
「刑事さん、ワタルを助けてください」とメアスカリが涙をポロポロ流した。知念が頷いた。
「チネンさん、そのヤマダがワタルを浚ったんです。ヤマダを拉致出来ないものでしょうか?」
「ババカロ将軍、手があります。ヤマダは欲深い男です。宝石はありますか?」
「よっぽどの宝石でないと釣れないでしょう」
「例えば?」
「女王の冠です。オパール、ルビー、サファイア、真ん中に五〇〇カラットのダイアモンドですからね」
ババカロから説明を聞いた女王蟻が心良く要請を受け入れてくれた。王冠を自ら外してババカロに渡した。ババカロは密使に手紙を持たせてワタルとの交換を申し出た。手紙を読んだ山田がエロモンドを裏切ることにした。

            続く
03/12
狂った壁掛け時計  第十一章
第十一章

その頃、二匹の蜘蛛と烏山霊光がランチを食っていた。
「あんたは祈祷師だってね?」と米搗きバッタを食っていた蜘蛛のひとりが烏山に話し掛けた。
「おい、レイコウサマと呼べ!」
「ハイハイ、レイコウサマ、お主は死者の霊を呼び寄せることが出来るのか?」
「デキルヨ」
「んじゃ、俺の母ちゃんを呼び出してくれんか?」
「どうして?」
「聞きたいことがあるんだ」
烏山がロウソクを袋から取り出してライターで灯を点した。炎がゆらゆらと揺れた。烏山が指を十文字に結んで何やらお経らしきものを呟いていた。すると、烏山の頭の上にボンと煙が立ち昇った。その煙の中に蜘蛛の女が現れた。
「カアチャン」と蜘蛛が叫んだ。
「セガレ!」と声がした。
「カアチャン、俺、聞きたいことがあるんだ」
「ナンダ?」
「俺、母ちゃんのほんとうの子供か?」
「チガウヨ」
「やっぱり、そうか」
蜘蛛女が煙と共に消えた。もう一匹の蜘蛛が笑っていた。ランチを食った二匹と人間一人が立ち上がった。大粒の雨がボタボタと降って来た。烏山がファティ―グ帽子の顎紐を締めた。陽が西へ傾く頃、蓮池が見えた。タロイモの葉の陰で休むことにした。
「日が暮れたら、俺たちは寝るよ」と蜘蛛が言った。もう一匹は獲物を捜しに出かけて行った。烏山が簡易テントを張った。何時、自分が喰われるか分からない蜘蛛と寝る気はさらさらないからだ。烏山が脚を組んで呪文を唱えた。すると、瞼の裏にワタルが映った。赤いビキニを穿いたメアスカリが横に座っていた。
――どうも蟻の巣のようだが?水中城ではない、、この蟻の巣は何処にあるんだろう?木の洞のように見える、、
日本語が聞こえた。黒岩だ。
「ワタル君、朝になったら潜水艦が迎えに来る。水中城に帰る」
――潜水艦だって?その前にガキを浚わないといかんな、、

朝になった。晴天だ。蜘蛛が一匹いなかった。偵察に出たんだろう。パピルスがガサガサと揺れるとその蜘蛛が戻って来た。
「木の洞を見つけた。ここから一時間の距離だ。問題がある。蓮池に近いんだ。ちゅうことは、胴体のなが~い水蛇が待ってるちゅうことだからね」
「エエ~?」とカメレオンが叫んだ。もう一匹は首輪を外そうともがいていた。蜘蛛がその頭を叩くとおとなしくなった。
「よし、洞ヘ行こう。ワタルは人間だ。必ず小便がしたくなって外へ出てくる」
やはりワタルが洞から出て来た。蜘蛛が尻から糸を噴いてワタルをグルグル巻きにした。蜘蛛がワタルに馬乗りになった。生き血を吸いたくなったがガマンした。二匹の蜘蛛がワタルを背中に担いだ。ワタルが戻って来ないので、黒岩が外に出た。
「ワタル君が蜘蛛に浚われた!」と叫んだ。メアスカリが泣き叫んだ。
河底の城に戻った黒岩と蟻たちがワタルが浚われたことを知らせた。城の中は大騒ぎになった。
「みんな、落ち着け!奪回作戦を考えよう」
「将軍、何故、ワタル君を浚ったんだろう?」と黒沢がババカロに聞いた。
「九匹の蜘蛛と交換するためだろう」
「交換した後はどうなります?」と黒岩が聞いた。
「われわれ蟻を絶滅させる気だろうね」
それを聞いた蟻たちがキリキリと音を立てていきり立った。
「俺たちも戦争の用意をする。タイガー蜂の急襲部隊がもっとも強いんだが、五〇センチの蜘蛛を殺せない。ダイナマイトも大砲もない。あるのは火炎放射器だけだ」
「でも、将軍、あいつらも兵器と言えば毒だけです。教育が低いんで集団行動も下手だし」
「しかし、蜘蛛は二万匹もいるんだ」
「いつ頃、戦争になるとお考えですか?」
「一ヶ月以内だろう」

            続く
03/11
狂った壁掛け時計  第九章と第十章
第九章

「うわあ~、ボク嫌だな」とハンクが言った。警察病院の死体安置室である。巨大な昆虫に襲われたと報告を受けた警視庁の刑事が女性の遺体の前に立っていた。
「解剖の結論は何なんですか?」と知念が解剖医に聞いた。知念は警視庁捜査一課の捜査官である。部下の丸子刑事がメモ帳を手に持っていた。
「被害者の死因は、毒グモの神経毒なんです」
「毒グモ?」
「クモに刺されて死に至るという臨床例はないんです。被害者を襲ったクモは進化したクモと言えます。クモ毒の成分はタンパク質なんですが、分析家は今まで見たことがない化学構成だと言っています。ただ土グモの可能性があります」
「噛んだ跡を聞かせてください」
「クモは鋏角という鋏(はさみ)をクチの両脇に持っていて、獲物を刺して鋏の先から毒液を注入します。被害者の女性の背中に二つの噛まれた跡がありました。刺咬跡と言います」
「この女性の顔なんですが、老婆のようにしぼんでいますよね?」
「ええ、生きたまま血を吸われたんです」
「生きたまま血を吸われた?」と丸子刑事が身震いをした。
「その他、われわれが知っておくことはありますか?」
「はい、シャワー室の床に昆虫の剛毛が落ちていたんです。その大きさからクモの体長は五〇センチと推測しています」
「体長五〇センチの毒グモですか?」
知念と丸子刑事が外に出た。木枯らしが吹いていた。知念がコートの襟を立てた。丸子も先輩にならった。
「ハンク、この事件ね、嫌な予感がする」
ハンクは丸子刑事のニックネームなのである。
「先輩、地下鉄新宿線のトンネルの中を大きな蟻が歩いていたという噂と関係するんじゃないでしょうか?」
「ボクもそう思っていたけど、その目撃者のデジカメには。蟻は写っていなかったんだ」
「先輩、アマゾンのジャングルの中で人間に似た蟻を見たと論文に書いた黒岩という高校の先生を訪ねませんか?」
「それには気が着かなかった」

翌朝、知念と丸子が警視庁に登庁した。早速、調査記録室の品川課長を訪ねた。
「おお、知念君、黒岩傑教師はね、奇人ということで採用されなかったんだそうだよ」
「奇人?品川課長、それで黒岩さんは今どこにいるんでしょうか?」
「黒岩さんの群馬県の実家に訊いたんだ。お母さんが電話に出てね。先週、ペルーへ行ったと言うんだ」
「一人でですか?」
「いや、同行者がいるとか言ってた」
二人の刑事が黒岩の出国記録を調べた。十二月の二十日にアメリカン航空56便ペルーの首都であるリマ行きに乗った記録があった。上客の中に黒岩とワタルの名があった。座席が同じE列だった。
「ハンク、この二人だな」
もうひとり、リマで降りる日本人の乗客がいた。他の日本人はみなロスアンゼルスが目的地となっていた。
「先輩、烏山霊光?何か怪しい名前ですね」
「職業、日本心霊学会祈祷師?こいつ怪しいな」
知念がハンクに烏山霊光のイメージを見せた。肩まで届く長い黒髪、細く長い首、異常につり上がった爬虫類のような目に印象を受けた。
「化け物ですね。烏山霊光は改名と思うけど?先輩、イキトスへ行きませんか?」
「仁科課長に聞いてみるけど、おそらくダメだろう」
二人が捜査一課課長の仁科の前に座っていた。
「知念君、バカも休み休み言い給え!」
「有給休暇を使ってもいいでしょうか?」
「それもダメだ。刑事が国外に出るには国際課の許可がいるし昆虫に会いに行くなんて警視総監の許可は出ないよ」
「課長、それでは烏山霊光を調査しても良いでしょうか?」
「新宿歌舞伎町ホテル変死事件の一端なら当然だ」

第十章

「エロモンド大王様、お元気でお過ごしだったしょうか?あなた様が、しがないワタクシメに祈祷術を教えて下さったことを心から感謝しておりやす」と烏山霊光が長い髪の毛をかき上げた。
「レイコウ、久しぶりだな」
「大王様、今回はなんでワタシを呼んでくださったんですか?」
「レイコウ、ひとつやって貰いたいことが起きたんだ」
「大王様の為なら何でもしやす」
「ワタルという日本の少年を浚って貰いたい」と黒岩とワタルが映ったイメージを烏山に見せた。烏山がイキトス空港で降りた二人の日本人旅行者を想い出した。
「大王、蟻はどこに居るんですか?」
「アマゾン河の河底に水中城を造っているんだ」
「陸には来ない?」
「来るよ。奴らは潜水艦を持っているんだ」
潜水艦と聞いて烏山が驚いた。
「上陸する蟻を見ましたか?」
「いや、月のない闇夜にやって来るんで、偵察隊を出しているがよく見えないんだ」
「ああそうでしたね。スパイダーさんたちは弱視でしたね?」
「蟻の触覚はソーナーなんだよ。われわれの動きをすぐに探知する。それに比べて、スパイダーは臭覚だけなのさ。蟻は酸っぱい臭いがする。だが、動物も小便するからね」
「じゃあ、ワタシに兵隊を二匹貸してください」

翌朝、霧がジャングルをすっぽりと包んでいた。ぼんやりと太陽が見えた。蒸し暑かった。烏山が雨具を着てファティーグ帽子を被った。逆に蜘蛛は湿気が大好きだった。雨天なら踊り出したいのだ。蜘蛛がカメレオンを連れていた。烏山、蜘蛛二匹、カメレオン二匹が下流に棲んでいるという蟻のテリトリーヘ向かった。一行は背丈ほどのオオシダを手斧で切って進んで行った。その頃、ワタルが笑うような野鳥の鳴き声に目が覚めた。夜中、トンネル工事の手伝いをしたので体の節々が痛かった。黒岩も起きた。黒岩も肘を摩っていた。
「ワタル君、ゼンマイの季節だ。ツクシがニョキニョキ出ている。小川に水セリが茂っていた。土手に野イチゴが生っていた。今日は、山菜を取りに行こう」
「先生、アマゾンはエデンの園なんですね。ボク、野イチゴが食べたい」
外が明るくなっていた。木の洞から外へ出ると小雨が降っていた。布袋を肩から下げた二人が蓮池に向かっていた。緑色の木が目の前にあった。大きな実がぶら下がっている。
「先生、これパパヤですか?」
「いや、パンの木だ」とナイフで枝を切って実を手に取った。実はズシリと重い。パンの木の実をワタルに渡すと、バイオリンの頭のようなゼンマイをナイフで切った。
「これでっかいけど苦そうだなあ」

「ワタル」と言う声が聞こえた。振り返るとメアスカリと数匹の雌蟻が竹篭を持って立っていた。篭の中には見たことがない色とりどりの果物が入っている。グアバ、マンゴーはもとより、五星の形をした黄色いフルーツや赤黒いピンポン玉のような果物があった。蓮池の周りにタロ芋の葉が茂っていた。葉の上を朝露がコロコロと転がって地面に落ちた。黒岩とワタルがタロ芋を掘った。一行が池を一周することにした。パピルスが茂っていた。その茂が揺れた。三匹の蟻の斥候が現れた。
「蜘蛛二匹と人間一人がこちらへ向かってやってくる。奴らはカメレオンを連れている」
「蟻の巣へ戻ろう」とワタルが叫んだ。果物の篭を持ったメアスカリと雌の蟻が駆けだした。ワタルが続いた。黒岩がパンの実をサックに詰めて肩に担いだ。

            続く
03/09
狂った壁掛け時計  第八章
第八章

作戦会議に黒岩とワタルが招待された。
「クロイワさん、何か良い手はないものか?」
「ババカロさん、蜘蛛と同じように、こちらも地面に蟻の巣を造りましょう」
「それはワタシの部下たちも同じ意見です。だけど、蜘蛛に見つかった場合、奴らはカメレオンを蟻の巣に解き放つでしょう」
「毒ガスを使うことはないと?」
「毒ガスを使うなら、われわれ蟻人軍もガスで報復しますから、さすがのエロモンドも踏み切れないんです。生きてアンドロメダヘ帰りたいんですからね」とババカロは言うと、設計技師を手招いた。設計技師が液晶画面に蟻の巣の構造図を映した。ワタルが日本のヒアリの巣と何ら変わらないと思った。違いは巣の周りに蓮池があることであった。
「技師さん、この池はなんの為ですか?」
「言い質問だ。この池に水蛇を飼っている」と蛇のイメージを映した。
「蛇はカメレオンが最も恐れる存在だから」と黒岩がワタルに言った。
「でも、先生、カメレオンは脚が速いし木の枝から枝に跳べるけど?」
「このブラックレーサーは世界で最も足が速いんだよ。それにね、木にも登る」
「嫌だなあ」と、もの凄いスピードで追いかけてくる蛇を想像したワタルが言った。

蟻の巣の建設工事がキック・オフした。穴掘り作業は夜なのだ。ジャングルの西に陽が沈むと何百匹もの蟻の男女が蓮池に向かった。聴覚の良い蜘蛛の斥候はザワザワという音に気が着いていたが、野ネズミが移動しているのだろうと思っていた。カメレオンはブラックレーサーが恐いのでやはり寝ていた。
「ワタル君、視力の弱い蜘蛛はね、暗闇では寝てしまうんだ。蟻も弱視なんだが、触角が発達しているうえに臭覚も鋭いんだよ」
「昆虫図鑑に書いてありました」
「先生、お母さんに電話してもいい?」
「いや、ダメだ。蜘蛛に探知されるんだ」と黒岩がワタルの携帯をエアライン・モードにした。そのとき、声が聞こえた。
「ワタル、ワタシたち女性蟻と来ない?」
ワタルが振り向くと、黒い作業服に電灯の付いたヘルメットを被ったメアスカリが目の前に立っていた。
「ああ、びっくりした。メアスカリ、女性蟻は何をするの?」
「男性と同じよ。蟻は男女平等なのよ」とメアスカリは言うと、ワタルの手を取った。ワタルとメアスカリが見つめ合った。
「蓮池の水蛇は大丈夫なの?」
「大丈夫よ。蛇は夜行性じゃないのよ。サラマンダーをたらふく食べてグウグウ寝てるわ」
蓮池に着いた。雲間にうっすらと細い月が見え隠れしていた。男性蟻はすでに着いていて、大木の洞から地面にトンネルを掘っていた。大木の洞を入り口に選んだのはあの設計技師である。理由はカメレオンは暗いところを嫌う性質だからである。
「ワタル」とメアスカリが電灯の付いたヘルメットをワタルに手渡した。スイッチを入れるとトンネルが見えた。蟻たちが土の入ったバケツをリレーして枝道のトンネルから外に放り出していた。枝道は幾重にも分かれていた。
「ボクらは何をするの?」
「部屋を何か所かに作るのよ」
「蟻の兵隊は何人なの?」
「洞は一〇か所で、二〇〇〇匹よ」
蟻の巣は一ヶ月で出来上がった。電子銃、火炎放射器、タイガー蜂の巣箱、蜜の入った瓶や乾燥した昆虫が運ばれた。一番下の部屋には垂直のトンネルが掘ってあった。ワタルが覗くと底が見えなかった。
「技師さん、これ何のトンネルなんですか?」と黒岩が聞いていた。
「ああ、これはね、地下水流に続いていて、アマゾンの河底から潜水艦が来れるようになっているんです」と設計図を見せた。
「潜水艦は蜘蛛から逃げるためなんですね?」
「ご正解」

            続く
03/09
狂った壁掛け時計  第七章
第七章

黒岩とワタルがブーツを履き、サファリの探検服にヘルメットを被っていた。二人でアマゾンを探検するつもりなのだ。
「先生、蜘蛛はどこにいるんですか?」
「ここから六〇キロ西なんだ」
「だから東に行くんですね?でも猛獣が出たらどうするんですか?図鑑を見ると二本足で走ってくるオオトカゲもいるし草むらには体長三〇メートルのアナコンダが隠れているし」
黒岩が山刀をワタルに手渡した。自分は手斧を持っていた。二人が腰のベルトに差し込んだ。ベルトに鈴がぶら下がっていた。
「いや、猛獣を見に行くんじゃないんだ。目的はコウノトリなんだ」
「先生、コウノトリをどうするんですか?」
「飼い慣らして使えないかとね」
黒岩とワタルが草原に出た。コウノトリはジャングルには棲まないからだ。高い木の上にコウノトリの巣が見えた。雛が二羽いるようだ。夫婦で雛に餌を運んでいた。
「ワタル君、あの雛を奪えないもんかな?」
「いやあ、ボクは考えるのも消極的です」
「う~む。それに凄い目つきだね。やめとこう」

二人はジャングルに入って猿を見ることにした。ふたりに気が着いた猿が咆え出した。背丈が一メートルほどの小さな猿である。
「あれが、ホエザルなんだよ」
すると何かが飛んで来た。見るとオレンジだった。ホエザルがふたりに投げつけたのだ。するとシュッという音がした。猿が木から落ちた。オオシダの陰から上半身裸で藁のスカートを穿いた少年が出て来た。少年は顔を白粉でまっ白に塗り、鼻に人骨を通していた。喰人種か?少年は丸い照準が付いた吹矢を手に持っていた。少年が猿の首を捻って引導を渡した。黒岩が少年は最後の石器人イソラドではないかと思った。だが、髪の毛がちじれていて、肌が真っ黒である。原住民の肌は茶褐色である。少年が獲物の猿を肩に担ぐとふたりのいる方角に歩いて来た。黒岩がオオシダの茂みから少年の前に飛び出した。少年がびっくりした。だが白い歯を出して笑った。三人がクチをつぐんでいた。なぜなら何語で言って良いのか分からなかったからだ。
「スペイン語はわかる?」
少年が首を振った。とり着くシマがない。
「アフリカ?」
するとボーイが意外なことを言った。
「マイネーム イズ ネルソン・ロックフェラー」
「ええ~?英語が話せるの?」とワタルが驚いた。ワタルは英語塾に通っていたので会話ができた。
「アメリカ人なの?」
「ハハン」と鼻先で返事をした。
なかなか生意気である。
「質問してもいいかい?」と黒岩がロックフェラーに聞いた。
「どういう種類の質問?」
「どうして鼻に人骨なんか通してんの?」
「ボク、十二歳。バカにされっから」
「どこから来たの?」
「ニューヨーク」
「どうしてここにいるの?」とワタル。
ニューヨークから来たという少年が虚ろな目をしていた。
「ネルソン・ロックフェラーは石油王だけど?それ偽名だろ?」と黒岩が言った。
「でも、ネルソンは実名よ」
「ネルソン、どこに住んでるの?」
「原住民の部落。ユーたち、猿を食う?」
「ええ~?」
「取れたての猿の脳みそは、ボクのお勧め品」
「日本人は猿を食べないんだよ」
「じゃあ、フロンテイアじゃん。新しい歴史を作ろう」
「君のお父さんやお母さんは?」
少年がその黒い目でワタルをじっと見ていた。三人が喋りながら村に向かった。林を切り拓いた原野が見えた。ネルソンがある所を指さした。見ると、お墓である。赤い石と黒い石。小さな墓石が二つ並んでいた。
「ボクのパパとママ。でも石碑だけ」
黒岩が事情を聞いた。

ネルソンのお父さんは冒険家で長年の念願だった第二次世界大戦中のグラマンの飛行艇を買って三人で世界一周の旅に出た。中南米のパナマからブラジルへ飛ぶ途中で機体に落雷を受けて密林に墜落したが飛行機は大樹の枝に引っ掛かり、三人は生き残った。だが、そこは首狩り族が棲んでいることで知られていた。吹矢で狩猟する首狩り族は喰人種なのだ。
「その夜、パパは、遠くに太鼓の音を聞いて、首狩り族がやって来ると知った。デング熱で寝ていたママの後頭部をピストルで撃ち抜いた。逃げろってパパが言った。ボクは逃げた。後ろで、ピストルの音が聞こえた」と少年が泣き出した。
「でも、どうしてここを出なかったの?」
「プテラノドンを見たからね」
「プテラノドン?」
「そう」

縄文式の藁ぶきの屋根の煙突から煙が立ちがっていた。二〇軒ぐらいの部落である。軒に猿のシャレ首(こうべ)がぶら下がっている。井戸の周りで原住民の子供たちが遊んでいた。タロイモの葉が茂り、トウモロコシが茂っていた。女が出てきてネルソンから猿を受け取ると少年の頭を撫でた。ワタルが乾した猿の首をどうするのかと聞いた。イキトスのお土産屋に売るという返事だった。黒岩とワタルはディナーを辞退してアマゾンに帰って行った。

           続く
03/08
狂った壁掛け時計 第五章と第六章
第五章.

蜘蛛の巣城の大広間。黄金の椅子に座った大王の両脇に二〇匹の家来が座っていた。蜘蛛たちは黒岩を睨みつけて「お前を食ってやるぞ」とばかりに鋏角を動かしていた。正座した黒岩が絨毯に三つ指をついた。浪曲が生き甲斐の父親が毎晩唸っていた「森の石松、黒駒一家殴り込み」のくだりを想い出していた。黒岩が仁義を切った。
「御一同さま、ワタクシ、姓はクロイワ、名はマサルという者です。ババカロ将軍の使いで参じました。御賢察の通り、しがなき者にござんす。後日に御見知り置かれ、行末万端、御熟懇に願います」と箱に敷き詰めた金の延べ棒を差し出した。

大王は黒岩の仁切りが気に入ったのか黄金色に光るその眼を細めていた。大王がクチの両脇にある鋏角を動かした。赤い舌が見えた。黒岩は蜘蛛のクチのなかに毒腺があることを知っていた。蜘蛛に噛まれると体が麻痺するのだ。仁義を切ったまでは威勢が良かった黒岩の膝が震えた。
「朕は、スペース・スパイダー帝国のエロモンド大王である」
大王は横柄だった。頭のてっぺんから出る黄色い声である。名前を聞いた黒岩が思わず噴出しそうになった。慌ててクチを手で押さえた。
「エロモンド大王様、たいへんご立派なお名前に深い尊敬を覚えました」と黒岩が心にもないことをしらしらと言った。大王はいよいよ黒岩が気に入ったのか、侍従にワインを持ってこさせた。血の滴るような赤いワインをグラスに注いで黒岩に指さした。黒岩が一瞬戸惑った。勇気を絞って、一口飲んでみた。甘酸っぱいのだが生臭い味がした。
「大王様、これは何のワインなんですか?」
「ニシキヘビの生血だよ」
黒岩が吐き出しそうになってようやくコントロールした。
「大王様、早速、本件に入らせて頂きますと、ご子息であられるドドンパ王子をお返しする代償にアンドロメダ星雲の惑星にお帰りになって頂きたいのです」
「フム、フム、アンドロメダに帰るのは考えても良いが、倅をいつ返す?」
「大王様、その場合、いつ地球を離れるお考えですか?」
「問題がある。それは、われわれはアマゾンに棲むようになってから四つ足を襲って食うようになった。人間も食った。人間の臓物は美味いんで食い過ぎて体調が五〇センチになってしまった。元の5ミリに戻るには、一年かかる」
人間の臓物を食ったと聞いた黒岩がエロモンドを殺してやりたくなった。
「どうして一〇〇分の一に、ちじめるんですか?」
「断食だよ。食うのはゲジゲジなど虫だけだ」
「一年ですか?」
「王子をいつ返す?」
「大王様、それでは、大王様の甥ごさんである蜘蛛一〇匹と交換しましょう」

第六章

密林の一部に草原があった。原木を伐採した後だ。遠くに太鼓が聞こえた。笛も聞こえた。蜘蛛の鼓笛隊だ。蜘蛛の軍隊が現れた。トルコの坊さんのようなテッペンに紐のある円筒の赤い帽子をかぶっている。その歩兵一個中隊がガニ股で行進してきた。号令と共に停止した蜘蛛がスクラムを組んで体を横に揺すった。鋏角を動かし、赤いクチから黄色いガスを噴き出していた。帝が殺された怒りを表しているのである。約束通り、ババカロと蟻の兵隊一〇〇匹がドドンパ王子の入った檻をカートに載せてやってきた。蟻の音楽隊がトランペットやチュウバを吹き鳴らした。樹にとまって見ていたいたインコの群れが一斉に飛び出した。蟻はグリーンのベレーを頭に乗せていた。蜘蛛を見た蟻がキリキリと音を出した。本日のスターだが、大好物の赤サソリを数日食っていないドドンパは音楽隊には目もくれず、むくれ上がっていた。そして日本人の少年を見つけた。
――あれはしかし、オスだなとワタルを見て呟いた。
蜘蛛も一〇〇匹でやってきた。電子銃を手に持って蟻の天敵カメレオンを数匹連れていた。体長一メートルはあるカメレオンが目をギョロギョロと回していた。蟻も電子銃と蜘蛛の天敵タイガーバチの入った篭を持っていた。
「俺様が、パクリドングリ将軍である」と蜘蛛のボスが食肢をひらひらと動かして言った。やはり頭のてっぺんから出る黄色い声である。
「ババカロ、まず王子を檻から出せ」
「パクリドングリ、俺はアンドロメダ蟻人王国の将軍だ。尊称で呼べ!」
二匹の昆虫が睨み合った。
「お前から蜘蛛一〇匹を出せ!さもなければ、ドドンパをここで殺す」とパクリドングリにタイガー蜂を見せた。蜂が暴れた。ババカロがうっかり蜂を放してしまった。タイガー蜂がブ~ンと音を立てて飛んで行った。蜘蛛の電子銃隊が一斉に撃った。ドタ~ンと蜂が地面に落ちた。だが、生きている。すると、蜘蛛の兵隊が一匹出てきて尻から出る糸で蜂をぐるぐる巻きにした。蜂の上に登ると、その鋏角で蜂の体液を吸った。篭に入った蜂がブンブンと羽の音を立てて怒り狂った。パクリドングリが蜂の大群を恐れた。
「おい、歩兵小隊から一〇匹だせ!」
蜂を食った蜘蛛も入れて一〇匹が歩いてきた。四匹の蟻が王子の入った篭を担いで草原の真ん中に置いた。野次馬根性のインコの群れが戻ってきた。蜘蛛が王子を連れてジャングルの中に消えた。

「クロイワさん、帰りましょう」とババカロが言うと、蟻の兵隊が蜘蛛一〇匹を連れて動き出した。
蟻が水中城に戻った。軍医が一〇匹の蜘蛛を見ていた。助手に手術皿と注射器を持って来させた。蜘蛛の毒腺を抜くためである。蜂の体液を吸った蜘蛛が気が着いて、軍医を前肢で捉えると鋏角を開いた。蟻が軍刀でその鋏角を一刀のもとに切り落とした。蜘蛛が軍医を放した。炎が立ち上がった。蜘蛛が火炎放射器で焼かれた。

エロモンド大王が倅のドドンパが無事に生きて帰ったのを喜んだ。だが、エロモンドは、蟻を全滅させる計画を断念したわけではなかった。逆に全面戦争を計画していた。
――さてしかし、捕虜に取られた蜘蛛一〇匹は可愛い可愛い甥たちなのだ。一方のババカロも同じだった。しかし、蜘蛛は侮れない。タイガー蜂師団を編成しても、電子銃を持った体長が五〇センチの蜘蛛には勝てない。
――はて、どうしたものか?こちらから仕掛けるのは非常に危険だ。まず、防衛を考えよう。水中城に立てこもっていては、蜘蛛を全滅させることは出来ない、、

            続く
03/07
狂った壁掛け時計 第四章
第四章

二〇二〇年の十一月のある日、玄関に出たワタルが郵便受けを開けた。差出人のない封筒が一枚入っていた。スタンプは見たことがない文字である。ただ、イキトス・ペルーと読めた。ワタルの胸が騒いだ。

――ワタル、ワタシたちアンドロメダの蟻人はあなたをよく知っています。あなたが高校一年生であることも知っています。ワタシたちは、ワタルにしか出来ないことをお願したいのです。ミスター・クロイワを説得して、アマゾンに来てください。もうご周知のイキトスです。人類は滅びます。蟻も、蜘蛛も中性子爆弾を持っているからです。ご返事は要りません。水上機を借りて、十二月二十四日のクリスマス・イブの真夜中にイキトスから南のブラジル側のアマゾンを飛んでください。着水地点はすぐに判ります。メアスカリ

ワタルが黒岩に電話した。
「それ、ボクも受け取ったよ」
「どうして、ボクが指名されたんでしょうか?」
「あのね、大人は大人を信じないんだ。高校生の君ならブラジル政府も信じるとメアスカリは思っているんだろう」
「先生、じゃあ、行きましょう。お母さんには、黒岩先生と奄美大島に蝶々の採集に行くって言う」

クリスマス・イブ、黒岩とワタルの二人がイキトスの空港に着いた。二人はいかにも探検家という格好をしていた。白いサファリ帽子を被って望遠レンズの付いたデジカメを肩に斜めに掛けていた。やはり、もの凄いジャングルである。カブト虫がぶんぶん飛び回っていた。見ているとクロアゲハ蝶を襲って食べているのだ。十二月なのだが、南米は夏なのだ。アマゾンの河岸に毒々しい巨大な赤い花や花弁が厚い鬼百合が咲き誇っていた。ワタルが見ていると、赤い唇のように見える花にハチドリがとまった。花の真ん中から赤い舌が出てきた。舌がハチドリを捕まえると花がその口を閉じた。「どれも食虫花なんだよ」と黒岩が言った。ジャングルの西に太陽が傾いている。河岸のホテルだが大きな丸木小屋で天井に古い扇風機が音を立てて回っていた。アマゾンを訪れたアメリカ人がおおぜい泊まっていた。二人がステーキを頼んだ。何かやたらに香辛料を使っている。美味かったが不思議な味がした。ウエイターが写真を持ってきた。亀なのか魚なのか判らない古代生物である。ウエイターが何か言った。
「精力の源泉って言ってる」と隣りのアメリカ人が黒岩に言った。桟橋に水上機が繋いであった。東から月が昇ってきた。満月だ。
「ワタル君、あれだな。出発は真夜中だ。ここから五〇〇キロ下流へ飛ぶんだよ」
「先生、動物図鑑で知ったんだけど、アマゾンはアフリカと違う。魚でも、豹でも、何百万年も進化していないんです。だいたい、歯が違う。ピラニアは怖いです。鰐も、亀も、鮫も魚竜に近いんですよ。ただ、頭が悪いから問題ないんです。問題は、アンドロメダの蜘蛛と蟻の戦争なんです」
「そうなんだ。知能指数が相当高いからね。何しろ、アンドロメダから隕石に乗って飛んできた連中なんだから」

二人が桟橋ヘ行った。黄色いセスナの胴体に「地上の楽園ツアー」と書いてあった。黒岩がパイロットの右横の座席に着くとベルトを締めた。パイロットは腰にピストルを下げていた。パイロットと日本人二人を乗せた水上機が波を蹴立てると離水した。ワタルが目を瞑った。月光の中を飛んだ。マットグロッソと原住民が呼ぶ密林が黒々と広がっていた。二時間も飛んだだろうか?月が雲間に消えた。先方に閃光が走った。雷雨だ!水上機の前ガラスに大粒の雨がバタバタと当たった。パイロットがワイパーを動かしたが、全く視界が利かない。
「ミスター、クロイワ、心配、要らない。計器飛行で行けるからな」
だが、そのコンパスがグルグルと回っている。「何だこれは?」とパイロットが叫んだ。パイロットが雨雲の上に出ようとスロットルを全開にして操縦桿を引いた。すると、水上機が逆さまになって高度を下げた。パイロットはようやく水平に戻したが、水上機はどんどん高度を下げている。アマゾンの河面が見えた。パイロットが必死になって脚を踏ん張っていた。般若心経を読む声が聞こえた。黒岩だった。この水域はピラニアの天国なのだ。あわや!自分もアマゾンの一部になるのかとワタルが思って目を瞑った。すると、突然、機首が持ち上がって水平になった。
「俺たちは操縦されているんだ」とパイロットが叫んだ。蛍光灯のような光が見えた。豪雨でしぶきが河面に立ち上がっている。直径が一キロメートルはある蛍光の真ん中に黄色い渦が巻いていた。三人の乗った水上機がその真ん中に着水した。プロペラが勝手に停まった。豪雨が止んだ。パイロットがコックピットを開けた。これ以上、静かな世界はないと思うほど、あたりは静まり返っていた。蛍光がなければ真っ暗闇である。「ワタル」という女性の声がした。四人が声の聞こえた方角に目を凝らした。藻がびっしりと浮かんでいるばかりである。
「ワタル、あなたたちにはワタシたちは見えないのよ。今、カプセルを送りましたから乗ってください。河底のワタシたちの神殿にご案内します」
蛍光の中にブクブクと泡が立ったと思うと、卵の形をしたカプセルが浮かび上がった。ハッチが開いた。触覚を振り振り人間の形をした蟻が出てきた。「クロイワさん、ババカロです」と蟻が言った。三人は長いトンネルを通ったように思った。何度も扉を開けては閉める音がした。カプセルが停まった。ババカロがハッチを開けると何百燭光もの電灯の中に神殿が聳えていた。神殿はまだ完成していないらしく、蟻の労働者が働いていた。学校も、託児所も、病院もあった。赤いビキニを穿いた一匹の蟻がワタルに近着いてきた。
「ワタル、ワタシがメアスカリ。このお城は水中城って言うのよ。今夜、女王が歓迎会を開きます。あなたたちが食べる食料は沢山あります。熱帯の果物なんですが」
メアスカリは触角に白いリボンを結んでいた。地位を表すのだろうか?人間なら十代か?メアスカリがその大きな瑪瑙(めのう)に見える目でワタルを見ていた。女王蟻は天井に近い階段の上に作られた黄金の椅子に座っていた。女王は真ん中に大きなダイアモンドが嵌められた王冠を頭に被り、手にバトンを持っていた。女王が横にバトンを振ると宴会が始まった。宴会が終わるとババカロが立ち上がった。ババカロは将軍のようである。ババカロがセスナのパイロットにイキトスヘ帰るようにと言った。そして、今夜見たことを他人に話してはいけない。恐ろしいことが起きると言った。パイロットが真剣な顔になっていた。
「クリスマス・イブに有難う」と黒岩がパイロットに多額のチップを渡した。
「いいえ、よいクリスマスになりました。クロイワさん、電話をください。向かえに来ますから。ああ、そうそう、このピストルは役に立ちます」とパイロットが黒岩に弾帯ごとピストルを渡した。

「ミスター・クロイワ、ワタシたちアンドロメダの蟻は絶滅の危機に面しています」とババカロは言うと、兵隊の蟻に鉄格子の箱を持って来させた。体長が五〇センチぐらいの黒い縞のある赤い蜘蛛が一匹入っていた。
「これが、アンドロメダ星雲のスパイダーなんです」
蜘蛛がもの凄い目でババカロを睨みつけた。・
「殺してしまえ!」
「いや、こいつは、王子だ。こいつを殺すと全面戦争になる」
「ババカロさん、この王子をどうやって捕虜にしたんですか?」
「こいつの名前は、プリンス・ドドンバ。ドドンバの好物は生きた日本人の女の血を吸うことなんです」
「ええ~女性の生き血を?」とワタルが叫んだ。
「ドドンバが東京へ行ったんで、蟻人軍はドドンバを誘拐するために特殊部隊を送ったんです」
――ああ、あの新宿歌舞伎町のラブホテルの浴室殺人事件は本当だったんだ。毛の生えた節足動物の腕と触角を見たという証言は本当だったんだ。黒岩がこの夏に起きた怪奇事件を想い出していた。
「それで、ババカロさん、ボクらに何が出来るんですか?」
「クロイワさん、蜘蛛は三年ごとに外皮を着がえるんです。新月から衣替えが始まるんです。そのときに奴らの巣に火を着ける考えなんです。だが、問題があるんです。奴らは巣をアマゾンのジャングルの土の中に作っているんです」
「いくつもということですか?」
「そうです。穴は三〇〇はあります。そこに、二万匹はいます」
これを聞いたワタルが日本へ飛んで帰りたくなった。ババカロが蜘蛛と交渉してくれと黒岩に言った。
「王子と交換っていうわけだね?」
「復讐をあきらめてくれれば良いのです」
「地球に共存するんですか?」
「いいえ、わかりません。蜘蛛たちは、われわれ蟻の絶滅を狙っていますから」
黒岩が決心した。密使となって蜘蛛の大王と交渉するのだ。だが、人類はどうなるのか?アンドロメダの蟻が地球にいる限り、蜘蛛も住み着く。黒岩は両方を亡ぼすしかないと考えていた。だが、蟻もスパイダーも人類よりも知能指数が高いのだ。どのようにして亡ぼすのか?
ババカロがスマートフォンをベストのポケットから取り出して、蜘蛛大王のイメージを黒岩に見せた。肥満した大王は体長が他の蜘蛛よりも二倍はあった。黒岩の肌が鳥肌が立った。
「ババカロ将軍、それでは蜘蛛大王にメッセージを送ってください」
「クロイワ一人で来い」が返事であった。

            続く
03/05
狂った壁掛け時計 第三章
第三章

夏休みがやってきた。クマゼミが本牧満坂の栗の樹に掴まって騒がしく泣いていた。ワタルの携帯が鳴った。黒岩だった。
「お母さん、黒岩先生が群馬県立天文台を見せてくれるって。一晩泊まって行けっておっしゃってる。ボクね、この頃、天文学にも興味があるんだ。銀河系の外にも生物が棲んでいると先生が言ってる。水棲類よりも昆虫の可能性が高いんだって」
「ワタルは生物学者になるのが夢なのね?」
「ボク、黒岩先生が大好き」
「ちょっと変人だってね?」
「そんなことない」

ワタルが東京駅から上越新幹線に乗って上毛高原で降りた。一昔前には、「みなかみ」と呼ばれた温泉町である。山間に夕闇が迫っていた。黒岩先生がワゴン車で待っていた。天文台に一〇分で着いた。スキー場があちこちに見える。
「ワタル君、本当は冬の方がアンドロメダはよく見えるんだがね。夏の夜はシンチレーションが多いから反射望遠鏡でもショットが撮り難いんだ」
反射望遠鏡は日本で最大の一五〇センチである。一般には公開されていない。「黒岩君、元気そうだね」と作業服を着た猿沢技師が挨拶した。猿沢は中学時代の同級生なのだ。
「猿沢君、お久しぶり、これはね、山城ワタル君。ボクの生徒だったんだ。アンドロメダを見せてくれないか?」
「ああ、アンドロメダ銀河は宇宙探検の次の駅だからね。肉眼でも見えるけど反射望遠鏡で見よう」
「宇宙探検の次の駅ですって?」とワタルが叫んだ。だが、アンドロメダは二五〇万光年も天の川から離れている。一光年は約9.5兆キロメートルである。つまり、アンドロメダまで最新のイオンロケットでも一五〇〇年はかかるのである。アンドロメダ探検は天文学者の関心だが、予算が宇宙的な数字で、宇宙士の人権問題もあるので、ほとんどあきらめていた。それを聞いたワタルががっかりしていた。三人が望遠鏡の三方からアンドロメダを見ていた。
「ワタル君、キラキラと輝いているのは恒星なんだよ。つまり太陽。一兆個もあるらしいよ。薄紫の雲がプラネットなんだ。つまり地球のような惑星群。この星雲の中には何百もの天体がある。温度を計ると、M31という惑星には地球の白亜紀のような熱帯樹林があることが判ったんだ。黒岩先生から聞いたかね?」
望遠鏡から目を離した猿沢技師がワタルに聞いた。
「はい、黒岩先生は、アンドロメダ星雲のひとつから流星の雨が降るのが見えたっておっしゃっています」
「五十年前、ソ連のスプートニクが打ち上げに成功した時代に英国の天文台が写真を撮ったけど、最近になって、日本の天文学会は流星群ではないオーロラだと否定したんだ。大学生だったボクと黒岩君は論文を書いて抗議したが、バカゲテいると一蹴された。ボクらは、現在もその流星群を追ってるんだ。流星群の中にひときわ明るい星があった。その星は軌道を離れて銀河に向かっていた。長い尾を引いていた。二度目に観察したとき、牽牛星に接近していた。他にも軌道を離れた星があったけど太陽系に近付くとほとんどの流星は木星などの大気で燃えてしまったんだ。だがね、アマゾンの原住民がアマゾンの上流に蛍光灯のような光を見たって言ってるんだ。黒岩君とボクは宇宙から飛んで来た隕石だろうと直感した。黒岩君とボクはアマゾンヘ行くことにしたんだ」
ここまで聞いたワタルの背中がゾクゾクしてきた。話しているうちに、真夜中になったので黒岩の本家に泊まった。農家だった。蚊帳を吊って寝た。夏なのに鈴虫が鳴いていた。翌朝、藤原湖へ行って鱒を釣った。

「黒岩先生、それで、その二本足で歩く蟻なんだけど、襲われなかったんですか?」
「こう言ったら、ワタル君はボクを狂人だと思うだろうね。背丈が一メートルぐらいだったな。蟻というか蟻人は流暢な日本語で話し掛けてきたんだ。それにね、雌の方は赤いビキニを穿いていたんだ。瑪瑙(めのう)のような眼が可愛かったよ。老いた雄はフンドシだったな」
「ええ~?」
黒岩が驚くべきことを話した。

――ミスター・クロイワ、ミスター・サルサワ、ワタシたちはあなたたちを良く知っています。ワタシたち、アンドロメダ蟻人はあなたたちを選んだからです。ワタシの名前は、メアスカリ。隣の人はワタシの父ババカロです。父は将軍なんです。ワタシたちを恐れる必要はありません。ワタシたちは生物を食べません。共存関係にあるタイガー蜂の蜂蜜を食べて生きています。
ババカロ将軍はその触角を金箔で塗っていた。地位を示すためだろう。
――ミス・メアスカリ、あなたたちは人間なんですか?
――いいえ、一億年前は人間だったんですが、蟻に進化したんです。ワタシたちが地球に来た理由は、アンドロメダのM31がスペース・スパイダーに襲われたからなんです。ワタシたちの外側の惑星に蜘蛛が棲んでいるんです
――はあ?蜘蛛は蟻を恐れますからね。
――はい、蜘蛛は一匹で襲ってきますが、ワタシたちは数百匹の群れですから。
ババカロが写真を見せた。黒い縞のある赤い蜘蛛で体長が五〇センチはあった。
――問題があるんです。実は、その蜘蛛もこのアマゾンに棲んでいるんです。ミスターー・クロイワ、どうかワタシたちを助けてください。
――宇宙船で来られたんですか?
――クロイワさんは、アンドロメダの流星群が発見されたとき、尾の長い流星を見ませんでしたか?ワタシたちは宇宙船に乗ってその惑星に行ったんです。惑星と言っても楕円形の隕石ですが、日本の宇宙探査機はやぶさ2が着陸したりゅうぐうの一〇〇倍ぐらいの大きさです。理由は地球ヘ行くにはこれが一番速いからなんです。蟻の宇宙士が隕石にロケットを据え付けたんです。そうして地球へ向かったんです。隕石が地球の大気に突入する前に宇宙船に乗り込んで隕石を離れたんです。隕石はアマゾンのジャングルの中に落ちました。クロイワさんは宇宙船を見たいでしょう?いずれ、お見せしますが、今、出来ません。スパイダーが必死に捜索しているんです。
ババカロが、老いた蟻、女子供を入れて五千匹の仲間がいると言った。今、幼虫を増やす段階なんだと悲痛な表情で語った。
「黒岩君、これ、雲を掴むような話しだね。誰も信じないよ」
黒岩が猿沢に頷いた。そして、ババカロに質問をした。
――スパイダーがあなたたちを殺したいという理由は何なんですか?
――ワタシたちは、M31がスパイダ―に占領されると恐れました。そこで、隣の惑星に中性子爆弾を打ち込んだんです。スパイダーの帝が死にましたから復讐するために追っかけて来たんです。
――どれぐらいの勢力なんだろうか?
――彼らもどんどん卵を産んでいますから、ここ一年でアマゾン全域を支配するでしょう。
――ところで、あなたたちの宇宙船はそうとう大きなものなんですね?
――いいえ、M31を出たときは、ワタシたちは体長2ミリの蟻でしたから。三〇年前に地球に着いてから大きくなったんですよ。
――そのスパイダーも同じなんですか?
――そうです。目に見えないような蜘蛛なんですが、やはり地球についてから大きくなったんです。彼らは肉食なんです。
――それじゃあ、ビデオを撮って録音するしかない。それでも、ボクは狂人扱いされるでしょう。

「それで、先生、卒業論文を書いたんですね?」
「そうなんだが、教授会に一笑に付されたよ。でもね、教授の何人かは手を顎に当てて考え込んでいた」
「先生、ビデオと録音はどうなったんですか?」
「ワタル君、それがね、カメラをアマゾンに落としてしまったんだ」
「はあ?先生、そのスパイダーと蟻は、戦争になるんでしょうか?」
「いや、それどころじゃないだろう。蜘蛛は何しろ肉食なんだ。人類も消滅すると思うね」
それを聞いたワタルの背中が寒くなった。少年は母親の富子がまだらの赤い蜘蛛に食われる情景を想像して震えた。
「先生、教授会も日本政府も耳を貸さないんだから、有志を募って蟻を助けましょう」
「ワタル君、今の地球はね、誰も責任を取りたくない世界なんだよ。一〇〇億円持っている富豪でも、カネを出さないだろうね」
「自分が消滅するのにですか?」
「いや、蟻と蜘蛛の戦争を信じないからね」

            続く
03/05
狂った壁掛け時計 第二章
第二章

爬虫類、魚類、鳥類、虫、蟻、蜘蛛、、ワタルがアマゾンの生物図鑑を見ていた。
「ワタル、もう十二時よ、寝なさい。また学校に遅れるわよ」
富子は息子が動物に興味があることを喜んでいた。自分もそうだったからである。ただ、富子の興味がパンダなど愛くるしい珍獣に対してワタルは多足類の昆虫に興味があった。
「お母さん、明日、先生のストライキで学校は休みなんだよ」
「ええ~?始業式があったばかりなのに先生がストライキするの?」
「公務員もストライキして良いことになったんだよ。先生たちね、明日から三日間、闘争するなんて言ってた」
「じゃあ、ワタルたちはどうするのよ?」
「自習でリポートを出すことになってるんだよ」
「ああ、それで生物図鑑を見てたのね」
「ボク、明日、豊島園の昆虫館に行くよ」

翌朝、ワタルがランチ代の千円を持って本牧満坂の家を出た。根岸線の山手駅から横浜へ行き、JR湘南新宿線に乗って池袋ヘ出た。池袋から西武線に乗った。吊り革に掴まったワタルが「豊島園駅前で、やっぱりカレーライスにしよう」などと考えていた。
「山城君」という声がした。ワタルが振り返ると黒岩先生だった。
「あれ、黒岩先生、ストライキじゃなかったのですか?」
「いや、ボクはまだ正式に教員じゃないんだよ」
黒岩傑(まさる)は生物の先生である。黒岩は仮採用の期間だった。公立高等学校の教員採用は競争試験ではなく選考試験によることが定められていた。
「山城君、豊島園に行くの?」
「そうです。新種のヘラクレスオオカブトが入荷したってウエブに乗ってたんです」
「ああ、ボクも、あるものを捜しているんだ。良かったら、一緒に見に行こう」
「勿論ですよ。嬉しいです」
父親が早逝して、母親の手ひとつで育ったワタルは嬉しかった。二人が豊島園で降りた。
「山城君、まだ昼には早いから先に昆虫館を見ようか?」
教師と生徒がヘラクレスオオカブトを見たり、シジミ蝶が展覧されている熱帯昆虫館を見に行った。多くの珍種が入荷していた。デング熱の伝染体であるインドのヒトスジシマカ(一筋縞蚊)にワタルが魅せられていた。黒岩はけむくらじゃの蜘蛛を凝視していた。
「先生は蜘蛛に興味があるんですか?」と蜘蛛が大嫌いなワタルが言った。
「うん。だけどね、これはアマゾンに棲んでいる珍しい蜘蛛なんだよ。アイスクリームを買って映画館ヘ入ろう。貴重なビデオを見せてくれるんだ」
「黒岩先生、蜘蛛はみんな毒を持っているんですよね?」
「そうだよ」と黒岩が言って、昆虫図鑑をバックパックから取り出した。
「ワタル君、これを鋏角と呼ぶんだが、蜘蛛の場合は口に鎌状についた先端の鋭い器官で、これを獲物に突き刺して毒を注入して、獲物を痺れさせて体液を吸うんだ」
「嫌だなあ。先生、大顎亜門(たいがくあもん)って何ですか?同級生が蜘蛛は昆虫ではないって言ってました。一体、蜘蛛はなんなのですか?」
「ちょっと話が長くなるよ。大顎亜門には、昆虫の他に、ムカデ、エビ、カニなどの甲殻類も属している。ます。 昆虫網の定義としては、頭部、胸部、腹部に分かれる6本足の節足動物のこととしているけど、蜘蛛は足が8本で体は頭と腹の2つからなっているという違いがある。でも昆虫なんだよ」
「でも、哺乳類でもないし、爬虫類でもないし、鳥類でもないし、魚類でもないし、」
「簡単に言ってしまえば、蜘蛛は蜘蛛。分類上は「節足動物門鋏角亜門クモ綱クモ目」ということになっている」
「先生、やっぱり、ボク、昆虫が好きです」と少年がにっこりと笑った。

スクリーンに樹皮を覆う飴色の蟻が映った。ワタルの肌が泡だった。黒岩を見ると表情が変わっていなかった。黒岩が解説に興味を持っているようだった。ブラジル、アマゾン河上流とサブタイトルが出た。どんよりとしたアマゾン河と黒いジャングルが映った。ドキュメントではない仮想劇である。探検用の白いヘルメットをかぶったアクターがジャングルの中を歩いていた。
――一九六一年、スプートニクが宇宙を飛んだ年のことだった。激しい風雨の中でアマゾンのジャングルを歩き回っていた英国人の昆虫学者、ジャック・デインジャーフィールド博士は、かつて見たこともない奇妙な光景を目撃した。雨に濡れた木の幹を、樹皮によく似た色の幼虫が這いまわって、何かの卵をさかんに食べている。「これは一体何なんだ?」と博士は思った。博士が注目したのは幼虫ではなく、その幼虫のお尻を前足でトントンと叩いている胴体が飴色で尻が赤黒い蟻であった。蟻の頭には触角が二つ付いていてそれを交互に動かしていた。だが蟻ではなかった。脚が六本ある蟻ではなく四本である。瑪瑙(めのう)に見える茶色の目が大きく可愛らしかった。雌なんだろうか?デインジャーフィールド博士は、ロンドンの化石博物館で見た白亜紀の節足動物ではないかと思った。化石が生きている?どこをどう見ても説明がつかない。デインジャーフィールド博士はその節足動物をいくつか採取してペルーのイキトス研究センターに持ち帰ったが、ところが残念なことに、すべて死んでしまった。そこで昆虫学者に連絡を取り、この得体の知れない節足動物は何なのか、誰か知らないかと聞いて回った。「目が似ていないが、ヒアリの新種ではないか?分からないという返事が大半でした」とデインジャーフィールド博士は振り返る。その後、博士は昆虫学者を募って再びアマゾンに戻ったが森は焼かれておりあの黄色い樹までが消えていた、、

銀幕に現在のジャングルが映った。蔦が絡む幹が緑色の樹が映った。何かの幼虫が群れていた。「う~む」と黒岩先生が言うのをワタルが聞いた。黒岩がスクリーンに映った樹の写真を数枚撮った。ワタルが「売店でスライドを買えば済むのに」と思った。ふたりは、夕方まで昆虫館を楽しんだ。外に出て駅前でカレーライスを食べた。

豊島園に行ってから一ヶ月が経った。黒岩傑は採用されなかった。神奈川県教育委員会は黒岩を高校の教員に不適任と裁断したのである。その理由は入国管理条例違反である。不採用の決定を北島会長が国立自然科学大学に伝えた。北島が、黒岩の担任だった川島生物学博士に「不採用の理由は電話では話せない」と言った。そこで川島教授に横浜の教育委員会に出頭して貰った。
「黒岩傑さんは、人物も良く、まじめで優秀な教員なんですが、神奈川県教育委員会は不適任と判断したんです」
「ほう?それはまたどうしてなんですか?」
「川島教授さん、アマゾンにゴールデン・ダイアブラという肉食蠅が生息しているのをご存じですか?」
「はあ?」
「生きた馬を食ってしまう悪魔の蠅です」
「それが黒岩傑君とどういう関係があるんですか?」
「教授さん、黒岩さんは、卒業する前年の冬にブラジルへ行ったんです。ペルーとの国境のアマゾンの上流です。ブラジルは夏季なんです。そのダイアブラ蠅の幼虫を持って帰ろうとして、入管で検査されて取り上げられたんです」
「私の生徒がそんな危険な蠅を?黒岩君は真っ裸にされたんですか?黒岩君は教師には絶対に向きませんね。本人には凶悪な犯罪を犯したという認識はあるんでしょうか?」
「いいえ、アメリカでは研究されており、研究のために持ち帰った自分には罪などないと言い張っています。幼虫は死んでいましたので釈放されたんです。ところで、黒岩さんの卒業論文は何だったんですか?」
「イキトスのジャングルの中で人間に似た蟻を見たと書いたんです」
「イキトス?ペルーですね?人間に似た蟻ですって?」
「二本脚で立っていたそうですよ。節足動物のような手足に剛毛が生えており、頭に触覚を持つ蟻だったが日本語をしゃべったと教授会にリポートしたんです」
「ええ~?半人半獣は空想ですが、半人半虫ですか?それで写真はないんですか?」
「黒岩君は、カヌーでイキトスの港へ帰る途中、カヌーが揺れた瞬間、カメラをアマゾン河の泥流に落としてしまったと言ったんです」
「物証はないんですね?」
「ありません。だが一緒に行った猿沢という友人が証言しているんです。だが誰も信じていません。ところで、北島会長さん、仮採用中の黒岩君は生徒には人気はありましたか?」
「ええ、UFOの話が面白いと評判の良い先生でした。採用されないと聞いた生徒が泣いたんです」
「黒岩君はUFOを信じているんですか?」
「信じているなんて、世界UFO学会の日本会長なんですよ。教授さん、知らなかったんですか?」
「はあ?知りませんでしたが、黒岩君は昆虫学の博士号を取るために再入学を希望しているんです」
「博士号のテーマは何なんでしょうか?」
「アンドロメダの蟻人というテーマなんです」
「そのアマゾンの上流で見たという蟻人ですか?」
「そうです。アンドロメダ星雲に棲む蟻だそうです」
「はあ?黒岩傑さんは、先覚者なのか、または狂人かも知れませんね。このテーマは、また聞かせてください」
黒岩を採用しなかった北島会長は、宇宙から来た蟻人など信じなかった。北島はそれよりも日本に上陸したデング熱を心配していた。

            続く
03/03
狂った壁掛け時計 第一章
三番目の連載小説「狂った壁掛け時計」は短編ではなく、ミドルサイズなんです。伊勢がSFに挑戦した(笑い)。小説は空想なんですが、日常的なもの、時代もの、冒険、宇宙、、長編も4作品書いた。どれも懸賞小説に入選しなかったんです。日本の出版社と言うか若い選考委員は海外ものを嫌うようです。これも社会風潮なのかな?伊勢

序章

大型台風が関東地方に上陸する姿勢を見せていた。ホテルの窓の外は暴風雨になっていた。
「マーちゃん、私、停電になる前にシャワーを浴びるわね」
京子がシャワールームに入って、カーテンを引いた。
「ああ、気持ちいい」と京子が言った。そのとき、電気が消えた。
「あら嫌だ」
「ローソク持って行くよ。マッチどこだったかな?」
誠がローソクをシャワールームのドアの内側に置いた。ローソクの炎が揺れるのがカーテンに映った。京子の顔が引き攣った。
「きゃあ!」
誠が飛んで行った。ドアの隙間から節足動物の黒い毛に覆われた腕と触角が見えた。誠がドアを閉めて廊下に走った。
「ぎゃあ!」
誠が恋人の叫びを聞いた。

狂った壁掛け時計

第一章

黒岩が生徒に鶏の卵を三個つつ渡していた。黒岩傑は生物の先生である。
「これはね、鶏の受精卵なんだ。君たち、家に帰ったら孵化装置を作って毎日、雛が孵るのを観察してください」
ワタルは高校一年生である。生徒が、ダンボール箱、綿、一〇〇ワットの電球、おもちゃの聴診器を手に持って教室を出た。家に帰ったワタルがダンボール箱に綿を入れて三個の鶏卵を置いた。聴診器を当てると、なんの音も聞こえなかった。そのとき、玄関のインターホンが鳴った。宅配便だった。三〇センチ角のプラステイックの箱を開けると卵が出て来た。鶏卵じゃない。まず、鶏卵の五倍はあったし、ずしりと重い。殻なのだが濃い緑色の上に黒い縞模様があった。さらにその殻がセルロイドのように柔らかいのである。
「なんだこれは?」
ワタルが差出人を見た。聖メリーキリスト教伝道会とあり、住所は三越百貨店銀座本店である。箱の中にメモがあった。
――ワタシも鳥なんです。ワタシを鶏の雛の仲間に入れてください。生まれたらクロべエと名付けてください。

ワタルがもう一つ巣を作って、その怪しい卵をそっと置いた。三週間が経った。学校に行く前に箱を覗いた。三匹の雛が殻を割って生まれていた。三匹とも目を瞑って綿の上で寝ていた。怪しい卵に聴診器を当てるとゴソゴソという音が聞こえた。
「お母さん、雛が孵ったよ」
「どれどれ。ホントだ。でもこの緑の卵は孵ってないね?」
「うん、でも、中でゴソゴソ音がする。今日、孵ると思う。じゃあ、行って来ます」
夜、台風が伊豆半島に上陸するからと授業は午前中だけで下校した。
「ただいま」
「にゃあ」と玄関で子猫のタマが主人を迎えた。
「あら、ワタル、早かったのね?」
背中のバックパックを玄関に置いたワタルが土間で飼っている雛を見に行った。雛が餌をねだってクチを開けた。育雛箱の奥に黒い物体が動いた。
「わあ!お母さん、これ見て」とワタルが叫んだ。
そこには、蝙蝠に似た動物が寝ていた。ただ、蝙蝠と違って耳のあるネズミじゃない。良く見ると、首の長い鳥なのだ。クチバシが長く、同じく長いトサカがアタマの後ろに尖っていた。まるで、登山用のピッケルなのだ。雌なのか雄なのかも判らない。ワタルがなんとなく雄だろうと思った。教科書にあるように雛にフスマの練り餌をやるとピヨピヨと囀った。クロべエにもやろうと匙をクチに持って行った。だが、クチを開けなかった。
「ワタル、生餌じゃないと食べないんじゃない?」
ワタルが庭に行ってミミズを缶に入れて持って来た。クロべエがクチを大きく開けた。一週間が経った。ひよこが駆けずり回った。クロベエも二本の脚で立ち上がっていたが、その足がネズミのような足なのだ。羽は皮膚で羽毛は生えていない。体にも羽毛がない。クロベエはその翼を蝙蝠傘のように広げてよちよちと歩いた。良く見ると、翼の関節部に小さな手が生えている。これは昆虫かなんかを補足するためだろうとワタルが思った。ワタルがミミズをやるとクロべエがもの凄い目つきでワタルを睨んだ。不服なのだ。そして土間に飼っているハツカネズミを「あれをくれ」とばかりに見ていた。
「ええ~?どうすりゃいいの?」
「ワタル、こいつ、狂暴じゃない?」
「うん、でも時々、可愛い目をするんだよ」
次の日、ひよこが一匹いなくなっていた。後の二匹が箱の隅で震えていた。クロベエを見ると箱の真ん中で昼寝をしていた。ひよこが喰われたとワタルが一瞬で判った。また一週間が経った。クロベエが烏ぐらいに成長していた。残りの二匹のひよこも食ってしまった。後はハツカネズミをやるしかない。箱の中にハツカネズミを入れると、クロベエが走って来てハツカネズミをクチバシで咥えた。ワタルがゾ~っとした。クチバシの中にノコギリのように歯が生えていたからだ。六〇日が経った。クロベエが鶏の成鶏ぐらいに成長した。金網で囲いを作ってその中に入れた。ある夜のことだった。シトシトと雨が降っていた。土間から「ギャア~」という鳴き声が聞こえた。ワタルが土間の電灯を点けた。クロベエが三毛猫のタマの頭に噛みついていた。ワタルがクロベエの首を掴んだ。一瞬、クロベエを殺そうかと思った。ピッケルのようなトサカのクロベエが悲しい目をした。
「ワタル、クロベエをどうするの?」
何時の間にか来ていた母親の富子が厳しい表情をしていた。
「放すつもりなんだけど」

日がとっぷりと暮れた。ワタルがクロベエを鳥籠に入れて出て行った。ワタルが港が見える丘公園に着くとクロベエを鳥籠から出した。クロベエが翼を広げた。その時、ワタルがクロベエは空飛ぶ翼竜だと知った。海から風が吹いた。クロベエがフワッと空中に浮かんだ。翼竜がグライダーのように上昇気流に乗って旋回した。1〇〇メートルぐらいの高さに上がるとワタルの頭の上を一周した。クロベエが「ギャア」と一声鳴いた。そして暗い海に向かって飛んで行った。

            続く
03/03
日本の世相を憂う、、
連載小説の短編を二作品公開しました。何故、ネットで公開したかと言うと、日本の出版界は小説という、人間の愛、冒険、勇気、または異次元の世界の価値がわからないからです。伊勢は古い人間なんです。最近の日本の小説は表紙を見ただけで、あらすじも読まない。そこには、金髪の大きな目のパンツが見える日本の少女が描かれているから。口汚いが、エロです。現代の日本人は変態を好む。作家から見れば、好色と変態は全く違うんです。

日本の世相を憂う、、

それはユーチューブの記事です。池袋暴走事故と言うか事件の飯塚幸三89の醜い罪逃れ。山田真紀子という女性内閣広報官がコロナ禍で国民がうめいているとき、7万円の飲食接待を受けて、批判され、入院した病院から辞表を出す。相変わらず煽り運転をする男。20代で刑務所に行く若者。最も伊勢が憂うるのは、為政者の国難に対する態度。それは第三者の態度。蓮舫とか、辻本とか帰化人と思える議員が日本の政治に入り込んでいる。それを許す法律がダメなんだよ。伊勢は真珠湾攻撃の年に生まれ、戦中、戦後と戦った父母を見て育った。何を見ても伊勢には納得がいかない。だから小説を書いている。

日本の核保有につき、、

日本人の政官民ともに究極の国防は核保有だという自覚がない。伊勢は断念するしかない。一有権者先生とオオマエヒトシさんには何かを送って差し上げたい。ご住所と電話番号をください。ご支援の心を大切にします。有難う。伊勢
Copyright © 2005 隼速報.
all rights reserved.