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管理人は、アメリカ南部・ルイジアナ住人、伊勢平次郎(81)です。
07 * 2021/08 * 09
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08/29
ハリケーン「アイダ」が襲ってくる、、
ルイジアナを直撃すると。1855年以来、最大のハリケーン。州知事さんは「自分の力で逃げてくれ」と。スーパーへ行くと、パンは売り切れ、肉の缶詰は売り切れ。ということでインターネットをしばらく失う。復旧するまで休刊します。伊勢

何も起きなかった

昨夜、伊勢は「何も起きないと賭ける。逃げたければ、あんた一人で逃げな」とワイフに言った。ははは、、
08/29
喜劇が悲劇に、、


2013年、沖縄から名古屋セントラル。そこから近鉄に乗って伊勢志摩に行った。墓参を兼ねて故郷がどう変わっているか胸がワクワクした。義姉の家に泊まった。50になる姪が「叔父さん、これおもろいよ」とお笑い番組を見て言った。「志村けんのバカ殿様」と言う喜劇だった。伊勢は面白いと思わなかった。さかさまに腹が立った。

田代まさし、、

志村けんがコロナで亡くなったと記事を読み、この「そば屋コント」を見つけた。ふたり共若いから30年前の物かな?ウイキで田代まさしを読んで唖然となった。なんと田代は三度も刑務所に送られて、現在も服役中なんだと。65歳で、あと2年の懲役刑だと。「このコメデイアンの末期は憐れだな」と思った。ヤクザになれない男たちを伊勢は知っている。彼らの共通点は虚勢を張ることだった。虚勢はやがて人格を内部から変えていき、齢とともに体力が落ちて行く。田代は糖尿病の末期だそうだ。視力が衰えて、激痩せ。言葉の70%が意味をなさないと。

伊勢はヤクザにあこがれたことがない、、

理由は、わが母の兄、尾坂鉄の助の叔父さんは山口組三代目の田岡一雄を育てた人だから。鉄の叔父さんは、わが父を尊敬していた。鉄の叔父さんは大親分だったが、わが父の前では、「兄さん、兄さん」としおらしかった。「ふき、尾崎は偉い」と言っていた。品川の家に妾と来ても一宿すると神戸に帰って行った。このわが家系を小説にと思ったが、気が乗らない、、「みなさんのご要望があるなら書くか」ぐらいなんです。伊勢

08/27
性格が弱い最高司令官、、


和訳する価値もない空虚なスピーチ。伊勢はコメントを書いた。

「空虚なトーク。私はバイデン支持だが、失望した。最高司令官は決断力が求められる。バイデンはアメリカの最高司令官だけではないからだ。バイデンは戦場へ行ったことがない。同盟国の首脳も悉く批判している」

台湾、、

バイデンの支持率は明日、不支持が上になる。支持者が減ると法案が通らなくなる。就任後、260日でレイムダックとなる。ハリスは辞職するべきだ。台湾が危険になる。対中国包囲網も雨雲が広がっている。同盟国はコミットしていないから。伊勢

日本は、、

日本は指揮者がいない交響楽団。これも中国を利する。自民党はバイデンと同じで、政治理念が明らかではない。ツケは大きい。伊勢

08/26
わが恩師の遺言、、


7・3・20214
尾崎君 クリステインさん

ご無沙汰いたしました。ひかり151号と刷子の原文を送ります。ご笑覧ください。健康安全第一にお過ごしください。黒木ひかる

7・4・2021
拝読しました。黒木家の元気溌剌の歴史に感動致しました。先生にとって、やはり満州は人生を形作る元になったんですね。ボクも新京生まれ、中国に二度クリステインと行き、大地が判りました。おざき・クリステイン

8・24・2021
私は黒木旲の長男の丈幸と申します。高齢の母に代わりまして、父のメーリングリストにある方々に連絡申し上げます。突然ですが、黒木旲が2021年8月23日9時59分、肝不全のため逝去いたしました。謹んでお知らせいたします。

わが恩師の遺言、、

<健康第一にお過ごしください>

伊勢が14歳のときから66年間も黒木先生と交流があった。わが父と過ごした17年間よりも長い年月を先生が見守ってくれた。ようやく、「健康なくして人生なし」が理解できた。伊勢
08/26
笑っていいのか、泣いていいのか分からん、、


バーねえ?どうすれば、こんなことを考え着くのか?進歩がないじゃないか。「コロナで経営が出来なくなって、、」だとさ。49にもなった男がねえ?すると、家土地も、貯蓄もなかったとなるよ。

人生に計画がない、、

失敗やら食えなくなる人間は、計画がない。アメリカの黒人の50%が万引き、強盗、麻薬売買、買春、生活保護でメシを食って生きている。まず、学校へ行かない。就学の年齢になるとポリスが来て確認するが、貧民街は危険なので来ない。3人しか住めないアパートに6人が住んでいる。兄弟姉妹、みんな父親が違う。みなさん14歳ぐらいから前科がある。だからスーパ―も雇わない。20歳になると立派な強盗になるんです。伊勢
08/25
わが恩師の訃報に接して、、


黒木先生が亡くなられた。96歳だった。2009年4月、わが妻を連れて武道館へ行った。黒木ひかる先生は84歳で剣道七段教師。黒木先生は伊勢の中学校時代の担任の先生。品川の城南中学校。とにかく、恐い先生だった。宮崎県出身。神主の息子でご自身も神職。校長になられた時、日教組が騒いだけど、教育文化省は例外とした。噂ではご先祖は熊本城に切り込んだ神風連とか。大連教育大在学中に徴兵されて、ソ満国境に送られた。満州小説「スぺードのエースと呼ばれた男」は黒木先生と科学者のMEPHISTさんを主人公の長谷川道夫のモデルとした。先生が教室に入ってくると、騒いでいた不良少年までが背筋を伸ばした。教え子の進学、就職に先生は全力を掛けた。2013年、品川の薩摩屋敷で同窓会を開いた。そのとき、、「尾崎は一度も進学の相談にこなかった。尾崎が都立小山台高校に合格したと新聞で知った。東大を受けたことも言わなかった。アメリカへ渡ったときも一度も相談はなかった。だが、尾崎がボクが最も気に入っている生徒だ」と言った。優等生のT君が、「先生、なぜ、尾崎なんですか?」と不服そうに訊いた。「尾崎には反抗心がある」と先生は笑った。伊勢はこの記事を書きながら泣いている。父親を二人失った。本日は黒木ひかる先生の生徒、尾崎信義なんです。

kuroki sensei Jan 2016

毎年、正月になるとメールをくれた。これは2006年だから先生は91歳。伊勢は自分は86でこの浮世を去ると思っている。

08/24
菅は、ど田舎者、、
日本人はここから学ぶのか?



学ばないと伊勢は思う。1990年のバブルでは多くの警鐘があった。だが、欲に目のくらんだ連中は耳を貸さなかった。そればかりか資産及び借り入れられるだけのカネを全部、このような温泉郷やテーマパーク、ゴルフ場につぎ込んだ。あるものは4年もたたないうちに倒産した。20年後の2010年には、伊香保、鬼怒川などの温泉郷は廃墟と化した。長野の田代湖、清里も同じなんです。

日本人が学ばない理由、、

いつの間にか、カネが神さまとなった。さらに、日本人は一過性のものと持続するものの違いがわからない。集客をたのみの観光業や遊園地が持続するわけがない。

世界は経済恐慌に面している、、

菅が応援していた横浜市長選の候補は大きく差を付けられて落選した。IR事業を看板にしていた。IR 業とはカジノこと博打場を含む歓楽街のこと。いわば、和製のラスベガス。こういう町には、コールガールが多く出現する。菅は一体、何を考えているのか?多分、何も考えていない。集客を当てにする歓楽街と言えば、コリア、マカオがベガスを真似して潰れている。こんなバカなことを推進するってかい?日本国は確実に滅ぶ道を歩いている。大衆も、国会議員もその自覚がないんだな。行くとこまで行けや!伊勢
08/23
意外に攻略し難い台湾


1951年、毛沢東の人民解放軍は蒋介石の国民党軍の三倍だった。中共は建国2年で内政は未完成だった。台湾を占領したいがアメリカの核が恐い。そのうち、朝鮮戦争が始まったので台湾を諦めた。アメリカは台湾に兵器を売って、訓練した。台湾の防衛軍の士気は人民解放軍よりも高い。つまり同朋愛も結束も強い。

バイデンには明確な対中作戦がない、、

アメリカは政権が代わると前政権を否定するために国家として結束が弱い。アフガニスタン撤退のブリンケンの発言を聞いて、この一見、優秀に見える国務長官も確かな知識がないなと思った。これがアメリカの限界なんです。国内、中国、朝鮮半島、中東、同盟国軍との温度差、、あまりにも多くの問題を抱えているから収集不可能なんです。どの国も実際にはコミットしない。バイデンの対中国封じ込めは中突破なモノになると思う。

米軍のトップは無能、、

ようやく、反省の声を聞いた。前統合本部長のマイク・マレンは「アフガン軍を建てようとした自分が間違っていた」と語った。だがそれでは終わらないでしょ?アメリカの軍人は予算と軍事力で戦争に勝てると誤解している。ベトナム、イラクでも学ばなかった。軍事力と言うには、第一に結束。第二に士気の高さ。第三に信仰。どれもタリバンが優れている。アメリカ軍のトップは論文が書けない。大統領でさえも論文が書けない。パワーバランスと法律を弄る。日本の政治家も同じですね。論文を書くには相当の洞察力を必要とする。ロジックではない部分が多い。理由は人間が戦争をするんだから、人間の限界を知らずにやれば失敗する。例えば、兵、将校の勤務時間が8時間から12時間になると体力の限界に至る。こんな簡単なことが理解できない。日本軍はその点で最悪の司令官を頂いていたわけです。伊勢は昭和天皇も無能だったと思う。不敬だけど、ここはしっかりと言わないと同じ事を繰り返す。伊勢

08/22
女性兵士の苦悩、、


スピリッツ・エアラインの飛行中の出来事。女性が突然、スチュワデスに叫んだ。スチュワデスの言葉か態度が彼女の過去を想い出させた。女性は叫んだ。「あなたたち、地獄が何か知りたいか?私は地獄から帰った」とこぶしを固めた。乗客は「また、気違いか?」と。38歳の女性は復員兵だった。確かに地獄を見たのだろう。彼女は怒っていた。女性が美しいことにこの動画を見たなん百万人のアメリカ人が心を痛めた。

ジョージW.ブッシュはアメリカ史上、最大の戦犯、、

伊勢はアフガニスタンの記事に投稿した。「ジョージW.ブッシュは、20年間にわたり、100万人近いイラクやアフガニスタンの市民を殺した。米兵は約9000人戦地で死んだ。一生もとには戻らない重症兵は60000人。それでも、ブッシュは毎日、ウイスキーを飲んでテレビを見ている。拍手はあったが、コメントはなかった。心のあるアメリカ人は茫然としている。伊勢
08/19
日本人はここから学ぶのか?


学ばないと伊勢は思う。1990年のバブルでは多くの警鐘があった。だが、欲に目のくらんだ連中は耳を貸さなかった。そればかりか資産及び借り入れられるだけのカネを全部、このような温泉郷やテーマパーク、ゴルフ場につぎ込んだ。あるものは4年もたたないうちに倒産した。20年後の2010年には、伊香保、鬼怒川などの温泉郷は廃墟と化した。長野の田代湖、清里も同じなんです。

日本人が学ばない理由、、

いつの間にか、カネが神さまとなった。さらに、日本人は一過性のものと持続するものの違いがわからない。集客をたのみの観光業や遊園地が持続するわけがない。

世界は経済恐慌に面している、、

まだその自覚がないでしょ?生き残れませんよ。伊勢
08/18
中国共産党が潰される、、


国際機関の武漢研究所立ち入り調査を受け入れない。さかさまに「アメリカのチャイナ叩きだ」と反論。いずれにせよ北京は危機を迎えている。バイデンは、米、日、豪、カナダ、英、NATOで中国を包囲して、途中でやめることはないです。台湾進攻が考えられるけど、失敗すれば中国は滅びる。

日本はここでも遅れる、、

1952年の朝鮮戦争後に憲法改正をするべきだったと伊勢は思う。日本は、その政官民ともに「中途半端」な国防政策を選んできたんです。ところが、コロナ、経済恐慌、中国封じ込めが中途半端を許さないんです。台湾有事で元宗主国の日本が駈け参じない?これほどの屈辱はこの世にはない。伊勢

アメリカのインフレは世界一、、

アメリカは、ガソリン価格の高騰、生産低下によるインフレが燃え上がっている。連銀が利息を上げるのはもろ刃の刃なんです。インフレが収まっても、GDPが下る。つまり失業者が増えるわけです。消費者は敏感。七月の消費が下った。解決策はコロナを終息させることですが、そう簡単ではない。マスク反対、ワクチン反対のテキサス州知事が感染して、ワクチンを打った(笑い)。フロリダ知事も同じ。共和党には、非科学的な無知が多い。伊勢
08/18
これがアメリカの女、、


アメリカの女性は好戦的ではない。良く笑う。だが戦う。ピストルも撃てる。この黒人の女は30日の拘留と執行猶予1年です。伊勢
08/16
赤とんぼ (終章)
終 章


 

黒百合は恋の花、、愛する人に捧げれば、、二人はいつかは結びつく、、「君の名は」が日本全国を風靡していた。真知子巻きが女性の間に流行った。放送時間の夕方七時になると銭湯が空になった。その年、虎雄は、伊勢山田のよろず集散所と駅前の家を売った。カツオ船も売った。海に関するものは全て売った。その資金で東京に家を買った。目黒、渋谷、日比谷、大井、大森…それに渋谷の道玄坂に映画館まで買ったのである。フキとの間に出来た子供たちに東京で教育を受けさせる為であった。長女は目黒女学校へ入った。新京で生まれた五男は中学生になっていた。虎雄には、その五男を日本の首相にしようという密かな夢があった。大学にやった先妻の三人の息子たちの二人は、伊勢志摩の農林役人と教員になって妻帯した。音沙汰のない三男の、みつおは航空保安隊と名を変えた浜松基地で昇進したと聞いた。

一九五五年(昭和三十年)になっていた。大形虎雄は、発売されたばかりのトヨタ・クラウンを買って、運転手を兼ねる鞄持ちを雇った。募集広告を出すと、四十人もの若者や初老の人まで求人広告を見てやって来た。満州引揚者だと言った東北訛りのある人を選んだ。早速、東京めぐりをした。東京に焼け野原はなくなった。おかゆの炊き出しがあった渋谷には百貨店や映画館が建ち始めていた。都電が消えて地下鉄がそれに代わった。日野ルノーという豆のようなタクシーが走り廻っていた。渋谷の駅前にあった恋文横丁もなくなり、忠犬ハチ公の銅像が移設されていた。アコーデオンを持った傷痍軍人も掻き消えていた。「奥さん、ゴムひも買ってくれ!」と玄関に入ってくる地下足袋の男もいなくなった…女も男も颯爽としていた。

「日本は復興した」と大形は日本の将来に自信を持った。新京で生まれた五男が東京の高校へ入学した。倅の勉強部屋に入って虎雄が驚いた。クレーンの付いた外洋貨物船のポスターが壁を埋め尽くしていたからである。大形は倅が東京商船大学を志望校としたと聞いた途端、船員になったらいかんと言った。

「お父さん、散々、軍艦の話しをしたやんか?秋山真之参謀がアメリカ艦隊の旗艦に乗ってキューバのサンチャゴへ行ったとか、、アメリカ・スペイン戦争を観戦に行ったとか」倅は必死になっていた。
「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動、、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ波高シ、、バルチック艦隊のロジェスト・ウエンスキー中将がウエーン、ウエーンと泣いたとか」
「言うた、言うた。だがな、海の人生はいかん」と伊勢へ帰る夜汽車のデッキで倅に手を合わせた。大形虎雄は発車の合図を聞いた。―いや、あれは発車の合図ではない。警報だ!

――大型台風接近せり機関兵及び甲板兵を除いて士官と水兵は各員のハンモックに寝ることを命ずと拡声器から流れる声を想い出していた。扶桑は沖縄本島の那覇軍港に向かっていた。その夜、真っ暗闇の中で二万九千トンの扶桑がねじれた。厚さ十八センチの鉄の船が軋んだ…船底で石炭を釜に放り込んでいた大形二等機関兵が不気味な音を聞いた。

特急伊勢号が出て行った。赤いテールランプが闇の中に消えた。

大形が入院したと聞いたフキが特急で帰った。大形が伊勢市の赤十字病院で胃癌の手術を受けた。

「切開しましたが、急性癌です。六ヶ月のお命です」と執刀医がフキに言った。切除せずそのまま縫い合わせたのだと。フキは虎雄に言わなかったが、虎雄は、自分の命は終わると知っていた。フキは伊勢に残った。だが、、

「かあちゃん、東京の不動産を売らないかん」とフキに言った。自分で整理しておく考えであった。翌年の正月に二人は上京した。大形は次々と土地建物を売って残りのローンを払った。速く売ったために相場よりも安くなった。残りを銀行に入れた。二月になると、病状が悪化した。「何でも食べさせてあげるように」と医者が言ったとき、フキは大形の死が近いと思った。大形虎雄と言う名の電車は終着駅に向かって徐行していた。

「かあちゃん、牡蠣飯炊いてくれ」と虎雄がフキに頼んだ。
「おとうさん、そう思って宮城県の牡蠣を買ってあるのよ」

虎雄にはフキの笑顔が眩しく思えた。



水兵は牡丹江の鉄橋を渡ったときの夕日を想い出していた。

――ワータシャ、ジュウハチ、満州娘、、マーチョに揺られて嫁にいく。ワンさん待っててチョウダイネ。

虎雄は陸軍武官たちと牡丹江を渡る列車の中で歌った夜を想い出していた。ウスリー河の東側でソ連軍が慌しくなっていた。牡丹江へ行った理由は客車四両で西鳥(シーチー)の満拓団を救出するためだった。これが牡丹江を渡った最後の列車となった。数日後に八路軍が鉄橋を爆破したからである。あの月の夜から二ヶ月後、ソ連軍が、西部、北部、東部の三方から満州へ侵入した。百六十六万の大軍だった。迎え討った関東軍はたったの六十万の兵…あの年の冬、虎雄が現場を見に行った虎頭要塞の守備隊は玉砕した。満州引揚者は復員兵の四万人を入れて、六十六万人であった。六十万の日本兵のほとんどが戦死したか、シベリアの土となった。

―内地へ帰ってからも忙しかったな。考えてみると、海軍に九年、満州に十二年、日本に引き揚げた日から十四年が経っていた。人生は夢のようなものという。それは真実だ。過ぎ去った日々が回り灯籠の影絵のように浮かんだ。虎雄は東京の中学校へ入っていた五男を賢島駅へ向かえに行った夏の日を想い出して笑った。胃に激痛が走った。

「おい、ハイヤー」と浴衣に黒帯、白いカンカン帽子の大虎が駅前に停まっていたタクシーの屋根をステッキで叩いた。
「大将、勘弁して下さいよ」と居眠りをしていた運ちゃんがむくれた。

どういうわけか、志摩磯部のうなぎ料理屋、川八を想った。小学校に上がったばかりの末娘か息子の誕生日だったのだろうか。気持ちのいい日で二階の座敷の障子が開いていた。欄干に座ると伊雑の浦が見えた。周りは水田ばかりだった。曼珠沙華が畦に咲いていたから、彼岸の季節だったのだろう…農道を自転車に乗った若い男がやってきた。よく見ると農林役人になった長男の省吾であった。

「おい、省吾。ショモナイ仕事やめて上がって来いよ」
「オヤジ、昼間から酒呑んどんのか」と父と息子が笑っていた。日本に平和が戻っていた。

大形虎雄は眠くなった。葡萄を買いに行くと言ったフキはいつ帰るんかなと呟いた…向井艦長が機関室に現れた…水兵は敬礼をした…水兵は背筋をまっすぐすると枕に頭を乗せて目を瞑った…



神明村の曹洞宗・昌禅寺の住職は忙しかった。志摩半島の分寺から坊主を集めた。本堂の中は香のにおいに充ちていた。和尚が木魚をポクポク叩きだした。

「ダンダンよく鳴る法華の太鼓、、葬式まんじゅう美味かった」と子供が言った。
「こらあ、チョウケルナ」と子供を叱る声がした。

大形家は弔問客の接待で大形の血族が走り廻っていた。赤字路線の近鉄は久しぶりに賢島駅で降りる乗客が多かった。タクシーが二台しかなかったが、神明の丘の向こうの鵜方からタクシーで来る人たちもいた。タクシーの運ちゃんはピストンのように往復していた。運ちゃんは、久しぶりの稼ぎに笑みを隠すことが出来なかった。

大形虎雄の血縁者は数珠を持って集まった。トラックの荷台に一家を乗せて来た者もいた。庭に天幕が張られて、中にゴザを敷き、膳が並べられた。省吾の嫁が大形の好物であった赤飯と牡蠣飯を釜いっぱい炊いた。近隣近在のカシラというカシラが一族一党を引き連れて現れた。生駒山、鈴鹿トンネルで高名を覇した大林組の三代目社長も社員を連れて焼香した。

「大林組やてよう。香典大きいやろな」という声が聞こえた。

ある一団が到着した。一行は土地の人々の注目を惹いた。上流社会の人たちだと誰にも判った。その仕立ての良い服装と凛とした態度だ。娘や息子の服装も垢抜けていて、高い教育を受けた者たちと明らかであった。彼らは扶桑の戦友とその家族であった。仏壇のうしろの壁に「虎」と毛筆で書いた掛け軸が下がっていた。教員の律三が書いたのだ。仏壇の前で手を合わせた戦友は声を出して泣かなかった。だが、まぶたが濡れていた。そのひとりが「山崎君には連絡したのかね?」と言った。
「遠洋航海に出られているのです」と誰かが答えた。

「県知事選のときには、よろしくお願いします」と県会議員が名刺を配っていた。名刺を見た下着の帝王が苦々しい顔をした。屑鉄成金の岩淵二等甲板兵が「キサマ、商売に来たのか?」と睨んだ。その県会議員は、たじろいだ。大日本帝国海軍の水兵の目つきが凄かったからである。

みつおがタクシーを降りた。秋の空が夕焼けに染まっていた。弔問客の姿はすでになかった。終戦の年、鹿児島から帰ったのも秋だった。みつおが故郷の家を見た。みつおが虎雄に孫を見せなかったことを後悔した。あの新京の夏を想ってまぶたが濡れた。その濡れた目が夕空を行き来する赤とんぼを捉えていた。

エピローグ

二〇一六年の正月、みつお兄が黄泉の住人となった。大変、安らかな旅立ちだったと甥から聞いた。これで終戦直後の日本社会は去りし昔の想い出となった。全国の予科練卒業生は、約 24、500人であるが、その内、18、564人の若者が戦死した。何と七六%の予科練卒業生がお国のために若い命を捧げたのである。特高で散ったのは、2,534人である。太平洋戦争を背景に実際に存在した人々を描くのは心理的に難しかった。難しいテーマをモネの油絵のように描きたかった。筆者も高齢である。いずれ、家族と戦友を愛した人々の仲間に入る。「赤とんぼ」を書くのは筆者の義務だと思った。

平成二十六年七月十日。 伊勢平次郎

*みなさん、ご感想をください。伊勢



08/15
赤とんぼ
第二十四章



みつおが結婚した。相手は女性保安隊員だった。町子は東京の生まれだったが東京空襲で両親も兄も亡くした。結婚式は二人だけだった。町子は年齢が五個も離れていたのですぐに妊娠した。男の子が生まれた。目の大きい虎雄に似ていた。

みつおが、ドモショーから手紙を受け取った。刑務所を出て、四国の故郷へ帰ったのだと、、

―みっちゃんが保安隊に入ったと信長公から聞いた。よかった、よかった。 俺な、津の刑務所を一年早く出所した。刑務所の更生委員会がな、俺は犯罪傾向が進んでいないA指標受刑者やと評価した。これには理由がある。俺な、刑務所の英雄になっとったんや。受刑者たちが、俺が鹿屋の特攻だったと知っていたんや。ある日、受刑者がストライキをした。体操の刑務官がいじめに近い運動をやらせた。「おんどれ血い見るぞ!」と険悪な雰囲気になった。「それでは、お前ら勝ってにしろ!」と刑務官が辞めた。囚人たちが刑務所長に「ドモリの昌ちゃんを教官にしてくれ!」と言うた。俺、予科練の訓練を教えた。ビンタ抜きのやな、、 俺、典子と所帯持った。典子が「子供早く作らんといけん」と言うんで、毎夜、布団の中で相撲取っとる。俺、巡行船の船長になった。電話くれ! ドモリの昌より

大形虎雄は下着の株と屑鉄で財を成した。岩淵馨は仕分けでよく働いた従業員を解雇せず鉄工所を建てて、その社長になった.
あのブルーノ機関銃と弾薬はやはり大問題となった。顛末はこうであった。

大形虎雄が新潟の片田舎で隠居をしていた扶桑の向井艦長に話した。八十歳になる艦長は何事にも動じない富士山のような人だったが、さすがに話しの内容に驚いた。そして後輩の内閣官房長官に会いたいと電話をしたのである。

「ご先輩、お久しぶりです。どのようなご用件でしょうか?」と官房長官が訊いた。
「電話では言えない。君に会いたい」と向井艦長が言った。

大形虎雄と艦長が官房長官と銀座の中華料理屋で会った。三人が個室に案内された。そのとき、聞いたことのある声がした。
「ジャングイ」と支那服を着た初老の中国人が大形の手を取って言った。弁髪のロートルだった。横には、中華料理人の詰襟を着た倅が立っていた。ふたりは、満州を引揚げるときに大形がくれたカネで新橋駅の高架線の下に中華料理店を出したのだと。日本語が良く出来る息子が社長になって店は繁盛した。銀座みゆき通りに小さなビルを買ったというのだ。



大形が岩淵屑鉄回収会社の名詞を出した。官房長官が「屑鉄回収」の文字に首をかしげた。大形が洞窟に積んであるブルーノ機関銃の写真を見せた。政府に買って貰いたいと切り出した。

「どこで手に入れましたか?」
「言えません」
「あなたのものなんですか?」
「わかりません。だが、カネを払いました」
「どこにあるんですか?」
「言えません」
「う~む」
「総理大臣に相談しないと、私にはどうしようもない」
「総理大臣以外には話さないでくれ」と向井艦長が後輩に釘を差した。買わないなら海中に投げ込むと後輩を睨み付けた。
「海中に投げ込む」とは言ったが向井艦長の懸念は政府そのものの懸念であった。

――話はそれほど単純ではない。理由はいくつもあるが、その一つは復員兵の何割か、特にソビエトと中国から復員したものは赤化教育を施され、共産主義に傾倒する者が多くいた。彼らはいつの時代も変わらない欲望を一つ持っていた。人民による社会主義革命である。彼らが流血を厭わないことから、戦前、戦中、戦後にわたって政府がどのように変わろうとも官憲は監視体制を続けてきた。万一、そのブルーノが革命勢力に渡れば不測の事態を招きかねない。没収しようとすれば海中に投げ込むとは言った。広い海では発見され難いだろう、、だが、情報が洩れていれば横取りされる恐れもある。もちろん政府が正当に買い上げる方法などない。

「何か、芝居を打つしかない」と艦長と同じ事を考えていた官房長官が腕を組んだ。ピータンと、焼き豚、搾菜、クラゲの油炒めがテーブルに並んだ。艦長が紹興酒を頼み、機関兵はビールを注文した。三人は、無言で食って呑んだ。官房長官が女給に勘定を頼んだ。ロートルがやってきた。
「ジャングイ、今日は無料です」とロートルが言った。
「いや、ロートル、三倍の請求書を持って来い」と大虎が言った。ロートルはジャングイが満州のときと同じように大人(タージン)であることに大きく笑った。

日本政府はブルーノと七・七ミリ実包の百二十ケースを一千万円で引き取ることで決着した。新聞記者が―誰が売主なのかと迫ったが約束通り公表しなかった。大形と岩淵は、その利益の半分を樺山航海士に献上した。向井艦長は礼金を受け取らなかった。下着の帝王は通天閣の見える新世界に本社ビルを建てた。

次回、終章です。伊勢

地球が燃えている、、

カリホルニア、シベリア、ギリシアが燃えている。一方で、中国、日本、ヨーロッパは洪水。そこへ、デルタ株が襲っている。デルタ株は衰えを見せず、アメリカ南部では、ICUをコロナ患者には使えない。心臓発作、脳梗塞、事故などだけです。わがルイジアナの市の私立病院はベッドがゼロになった。自宅療養だが、看護婦が疲労しきっていて病院から出られない。酸素呼吸器が必要なときだけ、救急車が来る。それも患者の数次第なんです。伊勢夫婦は、メンバーだけのプール、スーパ―、スターバックス以外に行かない。事実上、ロックダウンなんです。地球最後の日がやってくる、、伊勢
08/14
赤とんぼ
第二十三章



「みっちゃんは立教大学へ入ったんです」とフキが虎雄に言った。虎雄が立教大学に電話を掛けた。副学長が出た。
「そのような名前の学生は当大学にはいませんが」と言った。

省吾は結婚して男の子が出来ていた。みつおと省吾は仲がいいから何か知ってるはずだと虎雄が神明の役場に電話を掛けた。
「あいつな、あの夜、名古屋で降りたんや。同期の桜に会いに行った。これ、かあちゃんに言うてある」

虎雄がフキを呼んだ。
「何で、わしに言わん?」とフキを詰った。
「あなたは福岡へ行ったきりで、伊勢に帰らなかったし、聞けば怒ると思ったから」
「怒らん。話してくれ」

虎雄があの夜を想い出していた。―なぜ、みつおをあんなに殴ったのだろうと後悔していた。

「あの夜、東京の大学へ行きなさいと二万円を持たせたの」

二万円は大金だが、虎雄は何も言わなかった。

「でも、みっちゃんは、名古屋で同期の桜とお別れ会をしたんだって…新しい人生への出発やと背広、ズボン、ワイシャツ、ボストンというアメリカ製の革靴を買ったのよ」

みつおはその時代に流行った「モボ」「モガ」の一人なのだった。「モボ」とはモダン・ボーイのことである。
「省吾、それでみつおは、東京へは行ったんか?」
「行かんかった。予科練の親友の家に草鞋を脱いだ」
「どこの人や?」
「尾張犬山の織田という戦友の家や」
「草鞋を脱いだって?それでは居候じゃないか」
「いや、そうでもないんや。織田家は先祖代々旅館をしとるらしい。みつおは頭を下げるサービス業には向かん。そこで、簿記をやったら歓迎されたと言うとる。あいつ、一応、新京商業を出とるから。そやけど、もうその旅館にはおらん」
「どこへ行ったんか?」

大虎は息子が浮浪者になるのを心配していた。――殴った自分が悪かった、、

「あいつな、警察予備隊に入ったんや」

大虎が驚いた。

2

「計測、電話、電信、空中撮影が任務だったんだね?」
「イエス、サー」とみつおが軍隊用語を使った。
「アイアム、ルテナント、ロバート、ジョーンズ。ユーはMYRT(彩雲のコード名)の計測員だったのか?MYRTは優秀な偵察機だ。実戦体験はあるか?」とアメリカ人の教官がみつおに訊いていた。みつおの歳上である。
「イエス、バット、空中戦の体験はない」と嘘を言った。ドモショウや信長公に被害が及ぶことを避けたのだ。
「朝鮮戦争が二か月前に勃発したが、知っているか?」
「イエス、アイドウ。ダカラ、アナタガタハ、ニッポンニ、フライトスクールヲオープンスルヒツヨウニセマラレタ」
日本人の情報収集能力にアメリカ空軍の将校が驚いた。
「オーケー、ミツオ、オオガタ、ドウカ、ガンバッテクレ」

みつおは即座に信長公に合格を知らせた。

「みっちゃん、そりゃあ、良かったなも。俺たちの分も頑張ってくりゃあせ」と信長公が電話口で声を詰まらせた。

P51・ムスタングの訓練が始まった。練習機は複座に改造されていた。みつおの教官はロバート、ジョーンズである。あの面接の日以来、二人は急速に友達になって行った。ロバートも、みつおも飛行少年だったからだ。ふたりは食堂へ一緒に行った。ロバートが自分の模型の話をした。みつおが興じた。二人はよく笑った。

「ミツオ、ムスタングを見たことがあるか?」
「五島列島の上空でよく出くわした。四機編隊だった」
「そうだよ。四機編隊は偵察機二機、直援機二機だから」
「おお、たった一機で飛んで行く日本海軍の索敵機とは違うね」
「索敵?」
「そうさ、ユウたちを探す任務だった」
「明日からムスタング四機編隊で飛ぶ。ボクが操縦する」
「サンキュウ、ロバート」
「ボブと呼んでくれ」

編隊飛行の後、操縦訓練が始まった。練習機は複座式のムスタングである。みつおは、訓練を受けた九九式艦爆や彩雲よりも快適だと思った。みつおは、五〇時間でマスターした。つぎに偵察の折に敵の基地を叩く練習が始まった。ムスタングは基本的に戦闘機なのである。それを偵察に使うだけなのだ。浜松の沖に戦艦を置いて、それを攻撃するという設定であった。勿論、実弾は使わない。教官は日本軍の飛行隊と交戦したマーカス大尉であった。マーカスはボブの上官である。みつおが握手のために手を出した。マーカスは横を向いて応じなかった。日本人に敵意を持っているのだ。

浜松基地を離陸してからマーカスは何も言わなかった。ボブなら天気とか風向きとか話しかけてくる。マーカスは始めから協力しない姿勢なのだ。

「高度を一五〇〇〇フィートにしろ!」とだけ言った。みつおがコンパスを見ながら、十五分飛んだ。戦艦ニュージャージーが見えた。
「自分のやり方で攻撃してみろ!」

みつおがムスタングを急上昇させた。ムスタングがカナキリ音を立てた。ぐんぐんと昇って行く。高度を二〇、〇〇〇フィートに上げた。

「何のためだ?」とマーカスが訊いたがみつおは返事をせず、逆トンボリで急降下した。スロットルは全開である。降下するカナキリ音がニュージャージーの監視兵の耳に聞こえた。第一艦橋に向かってムスタングが特攻機のように逆落としに迫ってくる、、

「ヤメロ!」とマーカスが怒鳴った。ムスタングは艦長室の一〇〇メートル上空で機首を上げた。みつおは両足を全力で突っ張って操縦桿をいっぱいに引いた。その後、ムスタングを右へロールした。ムスタングはクルクルと回りながら海面と平行に飛んだ。

みつおが艦載機のパイロット、マーカス大尉と一等空佐の前に座っていた。マーカスが口を開いた。

「オオガタ、なぜ、ズーミングをしたのか?」
「黒岩少尉から習ったのです」

パイロット二人が「あっ」という顔になった。日本のエース、黒岩を知らないパイロットは米空軍にいなかった。終戦後、米空軍は黒岩の居所を探した。北海道の石狩平野で農業をしていることを突き止めた。探した理由は日本のエースを横田基地に招待するという日米親善が目的であった。だが、黒岩は招待に応じなかったのである。

「艦上ぎりぎりのズーミングは危険じゃないか?」
「イエス、危険です。回復しないことがあるからです」
「その後、急上昇をせず回転しながら海上に出たが何のためか?」とマーカスが質問した。みつおの無謀を責める口調である。
「あの速度で回転は非常に危険なのです。だが、対空機関砲から逃れる唯一の兵法なんです」
「やはりそうか」と甲板で見ていた艦載機のパイロットが感心していた。米空軍では回転脱出は教えないからだ。
「どのように回転させたか聞かせてくれ」
「右足と左足を交互に使って尾翼をコントロールする、、操縦桿でフラップをコントロールする、、タイミングを間違えれば、海面に突っこみます」
「う~む」と艦載機のパイロットが唸った。
「わかった、だがその回転脱出を禁止する」とマーカスが言って笑った。

続く、、

バレンタインが解らない日本人、、



聖バレンタインは、愛の神様。中世期のイギリスはキリスト教が国教だった。若い女性が恋をしてもデートするには、親の承諾が必要だった。女性の悩みを聖人バレンタインは理解していた。そこで、バレンタインズ・ディに女性は恋する人に贈り物、カードなどを送ることが出来ることにした。20世紀になるとスイスのチョコレート会社がそこに目を付けてチョコレートの贈り物を宣伝して伝統となった。

唄の意味は、、「私の恋人は、見映えしないの。写真写りも良くない。でも私が選んだ人。決してギリシア人のような美男じゃない。唇も弱弱しい。そのクチを開けて私に話しかけるとき、あなたは賢いの?オーオー、ヘアスタイルを変えないで。私が好きなら、、私の日々は毎日バレンタイン・ディなの」
08/13
赤とんぼ
第二十二章



「その先は私が話す」

――遠州灘は信濃だけでなく、沈没船銀座と言うほど多くの船が沈められた。サルベージ船が名古屋港へ帰投中、ソーナーが鳴った。われわれは、比較的に浅い海底にクレーン船を一隻発見したのです。時化(シケ)が視界を遮っていたのですが積荷百二十箱をサルベージしたのです。解体場で箱を開けてみると新品の機関銃だった。防水が完璧で機関銃も弾薬も損傷がなかったのです。機関銃は「「チ」式七粍九軽機関銃で、弾薬は九八式普通実包です。日本軍が中国線でZB26軽機関銃を製造していた太沽造兵廠を占領したとき、大量の7.92 mm×57弾とブルーノZB26を押収したのです。ブルーノは無故障のチェコと言われる。その後、改良型を日本国内の造兵廠で製造するようになったんです」と驚くことを専務が語ったのである。ふたりの水兵は「これが極秘で危険だ」と沈黙していた。

「それをどうされるんです?」

暫くして岩淵親方が社長の目を直視して言った。

「わかりません」
「どこにあるんです?」と岩淵水兵が身を乗り出した
「言えません。露見したら反乱容疑で福岡刑務所に直行ですからね」とサルベージ社長が困った顔になっていた。

大形と岩淵が写真を見つめていた。「本物ですね」と岩淵親方が大形に言った。

「実物を見ることが出来るかね?」と大形が社長の目をのぞきこんだ。

「おカネを下さい。お見せしますから」と社長と専務が同時に言った。

積荷は長崎から六十キロ離れた丘陵の洞窟の中に保管されていた。大形と岩淵親方は見学料を払って見たが、―どうしようもないと思った。

「米軍が欲しがっているはずだが、どういう方法でカネに換える考えかね?」と大形がサルベージの社長に訊いた。

「日本政府に売るしか手はないのです。しかし日本が主権を取り返すまで出来ません」と専務が遠くを見る目になった。

「没収されたらどうなる?」と岩淵親方が心配顔で訊いた。

「断罪されないことが保証されないときには海中に戻します。もともと、海底にあったんですからね」とサルベージの社長が凄い目つきで言った。この社長の家族は原爆の被爆者であった。

「う~む、どうしよう」と大形虎雄が腕を組んだ。屑鉄回収がとんでもない方向に向かっていることを心配したのである。サルベージの社長と専務が大形を見守っていた。そして虎雄が口を開いた。

「前渡金を払って屑鉄が売れたら、全額を払うということでどうでしょう?」
「よろしいです。前渡金ですが百万円です。残額は、四百万円でどうでしょう?こういう武器弾薬を今作ったら、八百万円はしますから。もう一度立て直して、かならず信濃を陸に上げて見せます」

その意気やよし、と頷く大形の隣から思わぬ声が響いた。

「もうひとりの重役の承諾が要ります」と岩淵親方が、気が着いたように言った。だが、それは決まりきった芝居の様なものだった。大形がカバ航海士に電話をかけた。

「大形君、それ面白いね。その百万円はわしが出す」と下着の富豪がOKした。岩淵屑鉄回収会社と長崎サルベージは銀行の保証のない契約を交わした。その保証とは契約を破れば福岡刑務所が待っているのである。



昭和二十五年(一九五十年)の六月、ついに三十八度線で大砲が鳴った。朝鮮動乱が始まったのである。一九四八年に成立したばかりの大韓民国と北朝鮮の間で起きた戦争である。「朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が国境線と化していた三十八度線を越えて侵攻した」と新聞は号外を一斉に出した。

「いよいよ来たな」と屑鉄取り締まり役社長の大形が岩淵親方に言った。
「朝から電話が鳴りっぱなしですが」と事務員が雁首を並べていた。
「放っておけ」
「虎雄君、どの辺りまで値段は上がるとです?」と岩淵親方がワクワクしていた。
「農林省の役人の長男が言うには、三十八度線に押し返すのは来年だろうと」
「英字紙を読んでるうちの倅もそう言うとる」と樺山が応じた。
「その戦況次第だが、うまい契約を考えた」と大形が言った。
「現金で買い叩くのが製鉄会社のやりかたでしょ?」と岩淵親方が言うと、カネがあり過ぎる下着会社の会長まで「先を言え」と身を乗り出した。下着会社は、この年に上場した株が高騰していた。

「百五銀行の頭取から聞いたんやが、上限と下限の枠を嵌める契約が最大の利益を生むとね」
「うん、わかるよ」と下着の富豪が頷いた。

戦艦扶桑の水兵たちは碌な教育を受けていなかったが、本能が極めて発達していた。それに加えて、帝国海軍の「絶対に舐められない」という目つきと体格、高級服しか着ないダンデイズムがよく効いていた。海軍を尊敬する日本では、ハッタリは無用なのだった。

「虎雄君、その契約にすぐに署名したらいかんよ」と苦渋を舐めた岩淵二等甲板兵まで商売人になっていた。
「午後に製鉄大手の重役がやって来る。カバさんも立ち会ってくれよ」と大形二等機関兵がボスになっていた。

百五銀行の頭取と製鉄大手の重役たちは、「下着の帝王」と週刊誌に書かれていた男の名詞を見て驚いた。大体、この精悍な風貌の紳士は、ブラジャーやスケスケ・パンツのイメージに合わない…重役たちは、最近、大阪証券場に上場した株が高騰していることを知っていた。

「大形君も、岩淵君も大株主だよ」と樺山社長は横柄に頭取に言った。だが、関西の財界では、成功者とは喧嘩にならないのである。虎雄が戦友にカネを融通して良かったと思った。

「この契約は恐いですね」と専務が契約書に目を通して言った。そして、横の常務に渡した。
「嫌ならいいよ」と大虎が取り付くシマのない言い方で契約書を引き出しに入れた。すると、椅子から降りた専務がバタっと床にひれ伏した。大虎のハッタリに負けたのだ。契約は百五銀行が保証するという。銀行の発行する手形の手数料が大きかったのだ。ここは虎雄が新京でやっていた紹介商売と変わらない。

「署名は来週の月曜日」と大形が判決を下した。岩淵親方も下着の帝王も頷いた。製鉄会社の専務と常務、百五銀行の頭取が出て行った。

「どれだけのカネが入って来るのか判らんが、三井商事の商品相場を見ると暴騰している」と虎が言ったが、ふたりの戦友は無言だった。戦争は誰かが死ぬ商売で鉄や真鍮が砲弾や銃弾になって、人間に向かって飛んでいくものだと知っていたからである。
「ところで馨君、仕分けはどうなっとる?」
「コンベイヤーに慣れたんでどんどん進んでいる。ところで虎雄君、これ何やろな?ようけあるんや」
岩淵親方が光ったベアリングをポケットから取り出した。

「ベアリングやが、エライ重いな」と虎雄が首を傾げた。
「う~む、これ錆びていないな」と樺山航海士も首を傾げていた。そして、電話を取ると交換手に大阪の倅の電話番号を言った。
「お父さん、それはね、タングステンの可能性がある。売ったらあかん。大阪大学に訊いてみる」

―タングステンはレアメタルで炭素とくっつくとダイアモンドのように硬くなる…金と同じ重さで鉄の2.5倍、鉛よりも一・七倍も重い…大砲の砲身や砲弾に使われる。たいへん高価なものである…大阪大学工学部の教授がタングステンの特徴を解説してくれた。

「どのくらいあるんや?」と大虎もびっくりしていた。
「りんご箱、六箱あるよ」
「今、どこにあるんや?」樺山航海士と虎雄が同時に訊いた。
「何か価値ある思うてな、便所の横の地面に穴掘って埋めてある」

機関兵と航海士が笑い出した。

「おい、おい、馨君、オトロシイもん手に入れたな」と下着の帝王が言うと、大笑いになった。

「満州でも戦争特需はもの凄かった。これで日本は復活する」と大形が言った。大形が満州札を焼いたあの雨の日を想い出していた。

続く、、


08/12
赤とんぼ
第二十一章

結局、岩淵屑鉄回収会社は現金がなくなり破綻した。戦友同士が大形の事務所で話していた。

「屑鉄はどうなったんや?」
「大手が買うと言うてきとるが、二束三文の値段を付けている。大形君に返すカネがない。すまん」と頭を下げた。大形が腕を組んで考えていた。五分は経っただろうか、岩淵社長は黙っていた。ま、黙っているしかなかった。横で、フキが茹でたサザエや伊勢海老を並べていた。磯の香りがした…

「お燗を持ってきます」
「フキ、あのな、呼ぶまで来んでええ」

夫の表情で深刻な話があると思ったフキが出て行った。

「馨君、その屑鉄はどのぐらい残ってる?」
「山になっとるんや。そうやな、ボタ山のようになっとる。三日月のぼんやりした光の中に浮かぶボタ山は不気味やで」とうんざりした顔で言った。虎雄が苦笑した。
「よっしゃ、馨君、その屑鉄の山を売るな。仕分け工場を建てよう。鉄、銅、真鍮、鉛に分けるんだ」
「虎雄君、わしにはカネがないよ」
「わしが出す。一ヶ月ここに居れんか?横山の茶畑を売る。葡萄畑も売る。近鉄がジャガイモ畑を買いたいというとるしな」
「朝鮮で戦争が起きなかったら君まで破産する」と福岡の水兵が弱音を吐いた。
「ええじゃないか。そのときはカツオブシを食えば」

岩淵水兵が元気になっていた。虎が手を打った…フキを呼んだのである。

茶畑と葡萄畑を売ろうとすると、「儲かりまっせ」と言っていた不動産屋が「二十万円にもなりませんよ」と二束三文の値段を付けた。足元を見ているのである。これが、伊勢商人というものなのである。「何とかなる」と大虎が、再び意気消沈している岩淵に言ったが、――カネをどう工面するのかと思案していた。そこへ、大阪で旅館をやっている樺山一等航海士から電話が入った。航海士というが、士官学校を出ていたから、実際は大形や岩淵の上官であった。水兵たちは「カバさん」と呼んでいた。カバさんは「みんな戦友だ」と言っていた。そのカバさんが「儲かったのでカネを返す」と言うのである。この戦友の息子が下着の縫製工場をやっていた。終戦の翌年、親子でアメリカ製のシュミーズを持ってやってきたことがあった。

「わあ!おかあさん、今、これ流行なのよ」と新制の高校生になっていた長女が言った。樺山航海士が来た用件は「シュミーズに投資してくれ」だった。それから四年が経った。昭和二十五年になると日本の女性がハイカラになり、ストッキング、ブラジャー、透けて恥毛が見えるパンテイが爆発的に売れた。樺山航海士の息子は縫製工場を増やし山陰から女工を雇った。女工たちは夢の大阪で高給を貰えると幸せがいっぱいだった。下着会社一本にするために旅館を阪神電鉄に売り払った。

「株式会社にしたから、大形君に株券と現金を持ってきた」と樺山航海士が言った。
「カバさん、それは大いに助かる。わしもカネが要るところだった」と機関兵が言った。大虎は、空っぽであることが見えるように、金庫を開けっ放しにしていた。横で岩淵社長が笑っていた。そこで屑鉄の話になった。

「朝鮮で戦争は必ず起きる」と樺山航海士がきっぱりと言った。
「今朝の新聞にマッカーサーが朝鮮に行ったと記事が出ていた。あの野郎、七十一だとよ。ざまあみろ。もう日本は防共戦争に行かなくていいんだ」と大虎が吼えた。
「わしも、屑鉄に投資させてくれ」とカバさんが手を合わせた。断る理由などなかった。そこで、シャンシャンと手を打った。
「虎雄君、こうなると、君に社長をやってもらうしかない」と岩淵水兵がひとり合点していた。
「馨君は何をする?」
「仕分け工場の親方でどうでしょうか?」
「それで行こう」

シャンシャンと手を打った。茶畑も葡萄畑も売らないことにした。すると、例の不動産屋が「これだけ出す人がいる」と電話で言った。大形が返事もせずにガッチャンと電話を切った。

大形社長と岩淵親方が寝台車に乗って福岡に着いた。福岡港へ行くと、米国第七艦隊が沖に投錨していた。二人の日本帝国海軍の水兵は戦争の臭いを嗅ぎ取っていた。大形虎雄がにやりと笑った。虎雄は満州に戻っていた、、

「馨君、屑鉄はな、相場を読まんと、集めて大手に売るだけじゃ儲からないんだ。わしは長い契約はいかんと思うてる。製鉄会社は相当こすいぞ。わしが契約ごとをやる。戦争が始まってもすぐには売らない。屑鉄は無制限にあるわけじゃない。その間、仕分けをどんどんやっておく。鉄の価格が頂点に来たと見たら売る。一気に全部売る。戦争は終わるもんだ。終わると、鉄は暴落する」
「さすがは虎雄君。満州を掴んだ男と言われるわけだ」と岩淵親方は大形の商才に感服していた。

―大形も樺山も機を見るに敏、、それが自分にはない、、商才とは一体何だろう?と首を傾げた。

博多の屑鉄回収会社に訪問客があった。長崎からやってきたサルベージ会社の社長と専務である。

「大形さん、わしらも大手に買い叩かれたんです。終戦後に沈没船の引揚げを政府から請負った。はじめはカッパ、カッパと左団扇だったんですが、サルベージのコストが高くなって行ったのです。沈没してから、五年も海底に座っていた船は腐食が進んでいて、引揚げても巨大ゴミなんです。戦争特需で儲かると言われて、契約したが、解体の作業は意外に高く付いた。人夫の給与、保険、屑鉄の防錆…大形さん、わしらを買うてくれないか?」

「一度、見ないと何とも言えん」

大形と岩淵が長崎の沈没船サルベージ会社を見に行った。

「馨君、これいかんな」
「ボクでもそう思った。こんな戦艦を解体する力がない」
「比較的に状態がええのは、クランク・シャフト、真鍮のプロペラ、錨だけだな」と大形二等機関兵が言った。
「それだけを買いましょう」と岩淵二等甲板兵が大形に言った。

サルベージの社長に申し出た。その社長が横の専務と小声で話していた。

「実は、大形さんを信用して話したいことがあるんです」と長崎サルベージ社長が大虎の目を覗き込んだ。
「信濃をご存知ですか?」と専務が虎に訊いた。
「ああ、大和級の戦艦を空母に改造した」と岩淵二等甲板兵が即座に答えた。
「それがどうしたんですかね?」と大虎が興味を持った。
「信濃は昭和十九年の十一月に浜名湖沖で沈没したのです。横須賀から呉工廠へ回送中にアメリカの潜水艦に攻撃されて艦長以下、将兵二千人とも沈んだ。水深が六千メートルで未だに見つからないとされている」とサルベージの専務が面白いことを話し出した。
「実は、われわれは発見していた。だが米軍に言わなかったのです」と社長が大形の目を見た。社長はどうしようもないと言う風に首を横に振った。
「一介の小企業が七万トンの信濃を引き上げることは不可能でした。サルベージを断念しました」と専務が代わって言った。そこで社長が専務に指を立てた。

続く、、

これがアメリカの女、、

08/11
赤とんぼ
第二十章



「かあちゃん、この頃、みつおは何をしとる?」
「駅前のアイスキャンデー屋の店先を箒で掃いてる」

大形がその方角を見た。みつおが竹箒を持って熱心に掃いていた。

「何をやっとんや?」
「アイスキャンデー屋の菫(すみれ)ちゃんの気を惹いとるんです」とフキが笑った。だが、既に虎の頭から湯気が立ち上がっていた。みつおが帰って来たが、声もかけず、さっさと事務所の二階へ上がって行った。

「みっちゃんは、ドモリの昌ちゃんが死刑囚になることで胸がいっぱいなんです。他に友人はいないから」
「特攻は戦友じゃないのかね?」
「みんな人間が恐くなっているって、みっちゃんが言ってた」

松坂の地方裁判所へ大形と息子が呼び出された。だが、みつおは無罪放免となった。

「何か言うことがありますか?」と裁判長が訊いた。
「ボクと昌ちゃんは原爆が落とされた次の日に長崎に居たんです」とみつおが大形を驚かせた。
「ほう」裁判長が先を聞きたいと身を乗り出していた。
「ボクたちの偵察機は米軍の直撃を食らって焼かれてしまったのです。昌ちゃんとボクは望遠鏡を持たされて敵機襲来を知らせる対空監視兵になった…長崎市の西側の福田岬でした。その八月の日、B・29が雲間に見えたのです。お昼ごろです。ピカーと辺りが明るくなって、ドーンと破裂音が聞こえたのです。上官から電話があって―長崎は焼け野原だ。人も馬も犬も焼け死んだ。行ったらいかんと言ったのです。昌ちゃんとボクはそれでも見に行った。何を見たか言う勇気がないです。昌ちゃんをどうか死刑にしないで下さい」

裁判官が若者の顔をじっと見つめていた。一ヶ月が経った。ドモショウは三年の懲役を言い渡された。津の刑務所に移送された。その日の朝、みつおがショウちゃんに会いに行った。津の刑務所の銀杏の葉が黄色くなっていた。意外にドモショウは元気だった。

「早う出て来れるように戦友が嘆願書を出した」
「みっちゃん、虎に折檻されなかったんか?」
「いや、親父は黙っとる」
「ノ、信長公なあ、俺を訪問してくれたんや。納谷橋まんじゅう持って来てくれた。イ、イ、犬山旅館を継ぐ言うて帰って行った」
「信長公にはそれがいい」とみつおが、戦友が落ち着くことを喜んだ。刑務所の外に出ると秋風の中に銀杏の葉が舞っていた。



「フキ、みつおを起こしてくれ」と鰯の日干しでビールを飲んでいた大形が言った。フキが大虎の目を見て震えた。いつもの太っ腹の虎の目ではなかったからである。

「何か、心配事があるんですか?」
「福岡の雑餉隈(ざっしょのくま)なあ、シベリアから帰った甥の雪雄が草鞋脱いどる。三池炭鉱はあかんらしい。扶桑の岩淵馨君が「この町は食って行けん」と言うてきた」
「福岡では、何をしたら食えるのかな?」と水兵に戻っていた大形が伊勢までやってきた岩淵二等甲板兵に訊いたのだそうだ。
「屑鉄回収なら食える。だが、わしにはカネがない…虎雄君、十万円貸してくれんかな?」

大形は戦友のために十五万円を工面して書留で送金した。

「岩淵君は商売が下手なんだ。屑鉄は集まったが、値が上がると言われていたはずの銅も、真鍮も、鉄も、製鉄会社は買い叩いた。岩淵君が社員に払うカネがないと言って来た。もう十万円が要ると…明日朝、送ることにして岩淵君を激励した。だがね、賢島の駅前の土地を売らなければならなくなったよ」
「あなた、そう仰ったんですか?」
「いや、言わんかった。甥の雪雄が世話になっとるんでな」

フキが立ち上がって、みつおを呼びに行った。みつおが大虎の前に正座した。虎の目をじっと見ていた。

「みつお、おまえ大学へ行け」
「お父さん、大学はボクには向かん」
「学校が向かん人間などこの世におるか、きさま、泥棒のように昼間寝ておって、何をやって食う気か?」
「省ちゃんや律ちゃんがおる志摩に帰りたい…」
「みつお、アイスキャンデー屋の娘に惚れたか?」

大虎の形相が変わっていた。みつおが黙った。

「キサマが、アイスキャンデー屋の店の前を竹箒で掃いているのを見た」

みつおが何か言おうとしたが、いきなり拳骨が飛んで来た。こめかみを打った。虎はいきり立っていた。今度は口を殴った。唇が切れて血が噴出した。大形が立ち上がった。みつおの襟を掴むと事務所の大広間に引き摺りだした。大形が五玉のそろばんを掴んだ…みつおの頭から血が噴出した…

「おとうさん、子供を殺す気なんですか?」とフキが停めに入ったが、大形はそろばんがバラバラに壊れるほど殴った。みつおは頭を抱えているだけで一言も言わなかった。近所の老夫婦が飛んできて「大形さん、やめなさい」と言うと、ようやく虎は静かになった。そして寝室へ入って行った。

「みっちゃん、このおカネを持って東京の大学に行きなさい」とフキが封筒を渡した。泣いていた長女と次女が行李に着物を積めた。みつおは兵隊鞄にメンソレや包帯を入れた…行李を肩に担いで玄関を出た。

「おかあちゃん、さようなら」と言って、闇の中に消えた。大形は銀杏が舞うこの秋の夜以来、みつおの顔を見なかった。

続く、、

08/09
赤とんぼ
第十九章



「みつおは、どうしとる?」と大形がフキに訊いた。
「今、事務所の二階で寝てる。どいうわけか頭に包帯を巻いてる。相変わらず、夕方起きて誰かと電話で話してる。それから自転車でどこかへ出かけて行く。おとうさん、先週ね、刑事が二人来たのよ。みっちゃんのことで。大形さんが帰ったら宇治山田署へ来て頂きたいって」

大形虎雄は木炭ガスで走るオート三輪を持っていた。マツダ自動車が造ったものである。「木炭の火をおこせ」と社員に言った。
三輪車には座席の後ろに大きなステンレスの円筒の缶が付いている。缶は人間の背丈ほどあり、中にはレンガの壁がある。社員がその缶に木炭を入れて蓋を閉めた。発生炉の中に木炭を詰め込み、手回しブロアーで空気を送り込む…次に燃焼チャンバーで不完全燃焼を起こさせる。高温になったところで水を加える。そこで水蒸気と一酸化炭素を結合させる。これが木炭ガスとなる。準備するのに三十分はかかった。それから、炭のホコリを除去する。遠心分離機、濾過器を通してエンジンで燃焼させる…そして、ようやく走り出すことが出来のである。昭和のはじめ頃から戦時中そして戦後まで木炭自動車はあった。意外なのは、長持ちする特徴があったことだ。大形は、満州でも、トラックに使っていた。

大虎はみつおを起こそうと思ってやめた。この三男には近付き難いものがあった。息子は特攻の話しも長崎で何が起きたのかも語らなかった。訊くと恐い顔をした。兄の省吾には話しているようだったが、その省吾も黙っていた。

宇治山田警察本署は外宮(げくう)さんの方角にあった。内宮と外宮をつなぐ市電が走っていた。チンチンと鐘を鳴らして走るので、チンチン電車と呼ばれていた。宮川の土手や神宮徴古館(ちょうごかん)のある森に山桜が咲くと、チンチン電車は花電車になった。神宮徴古館は伊勢神宮関係資料を中心とした農業(米麦)美術館で百姓の息子、大形虎雄の神殿なのであった。

「今日は徴古館へ行かれんな」と運転手に言った。
「親方、なんでまた警察でっか?」
「みつおのことや」と虎が言うと、運転手が振り向いた。何かを知っているのだ…

丁度この時間、フキは末娘の手を引いて関急の宇治山田駅へ向かっていた。駅前の広場で薩摩揚げを揚げていた。痩せた男が大きな釜の中から薩摩揚げを網タマで掬った。湯気が立っている薩摩揚げを新聞紙に包んだ。「魚金」に寄った。尾鷲の秋刀魚、浜島の イワシ、コノシロ(こはだ)を買った。八百屋で聖護院大根を買った。どれも、大形の好物だった。駅の構内に人が集まっていた。警官が怒鳴っていた。

「何が起きたんですか?」とフキがひとりの男に訊いた。
「浮浪者が子供を産むらしい」
「アンタガタは恥ずかしくないのですか?」とフキが怒鳴った。末娘が泣き出した。そこへ、救急車で乗りつけた看護婦や医者が野次馬を叱った。

フキは二級酒の一升瓶二本とビール四十八本入り一箱の配達を酒屋に頼んだ。善哉屋の暖簾をくぐり、あずき善哉を注文した。娘は泣き止んでいた…

「大形さん、あなたの息子さんは、津の刑務所に行く可能性がある」
「何の罪です?」
「殺人幇助です」
「殺人?」

みつおの性格は殺人には向かないと大形が言った。

「ドモショウを知っていますか?」
「はあ?」
「ドモショウが人を殺したんです」と殺人課の刑事が事件を説明した。ドモショウは高浜昌一が実名です。年齢二十二歳、旧日本海軍偵察飛行隊の操縦士だと刑事が言った。

「大形さん、この写真をご存知ですか?」と刑事がモノクロの写真を見せた。そこには、二見ヶ浦の夫婦岩を背景に二人の少年が写っていた。七つのボタンに碇と桜のバッジのある上着を着ていた。二人共、船員が被るような帽子を被っていた。

「みつおさんの右の若者がドモショウです」

刑事が事件の顛末を説明した。みつおが夕方に起きて電話していたのはドモショウだと、、その夜の襲撃計画を討ち合わせていたのだと、、

「襲撃?」
「そうです。闇市の襲撃です」

―それでは満州の匪賊と同じではないかと虎雄は呻いた。
その夜、みつおとドモショウは、名古屋、小牧、松坂出身者の予科練時代の戦友を古市(ふるいち)の旅館に集めていた。集まった戦友は平均二十二歳であった。九人の戦友らは三日も宿泊していたが、宿泊費を払う雰囲気がなかった。若者たちは酒を飲むわけでもなく食い物にも文句を言わなかった。日が暮れると、十一人の若者が飛行兵の帽子を被り、白いマフラーを首に巻いて、半長靴に脚を突っ込んでいた。みつおとドモショウが調達した自転車に乗って出かけた。自転車屋が貸したのだ。
「何故、自転車を貸したのか?」と刑事が詰るように訊いた。 
「とてもじゃない、断れる雰囲気じゃないんです」とチャリンコ屋の剥げオヤジが答えた。

2

「刑事さん、一体、誰を殺したんですか?」

大形は一部始終を知りたかった。みつおに殺人罪がかかることを心配していた。

十一人の特攻隊生き残りが古市(ふるいち)の闇市に自転車で乗りつけた。古市は赤線地帯で「あいまい屋」という小部屋のある小料理屋が多かった。名古屋や松坂の造船所で働いていた朝鮮半島出身者が宇治山田の川崎地区に移り住んでいた。川崎地区は水はけの劣悪な土地である。東海地震で壊滅した町である。井戸の手押しポンプを造る町工場が犇めいていた。鋳物で造るポンプは人気産業なのだ。だが競争が激しかったので、働き者の朝鮮半島出身者は古市に夜店を出していた。それが問題ではなかった。終戦直後の日本の社会問題は複雑であった。夜店は別名「テキ屋」というが、伊勢のテキ屋は江戸時代から「市」を取り仕切っていた海神組に「ショバ代」を払った。払わなければどうなる?海神組は夜店の警備員なんだから警備代を貰うのは当たり前なのだと主張していた。

「いらっしゃい、いらっしゃい」

訛りのある露天商が下駄を山積みにして客を呼んでいた。日本軍の兵隊だったのだろうなかなか体格がいい。

「いてこましたれ」と信長公が言った。

自転車から降りたみつおに露天商が振り向いた。ドモショウも自転車を横倒しにすると足早に歩いてきた。あとの九人も次々と大股で近着いてきた。みつおが下駄の山を蹴った。積んであった下駄が崩れた。

「おまん、ナニをしさらす?」

ドモショーが拳骨で男の顔を殴った。予科練で毎朝毎晩、有難いビンタさまを頂いた若者は殴るのがうまかった。露天商の顔が歪んだ。ドモショウが袋を出した。売上金を受け取った。

「だいたい、こういう夜襲を闇市の夜になるとやっていたんです。だが、殺人はこの夜まではなかったのです。テキ屋は特攻上がりが恐かったし、海神組も白いマフラーを見るとどこかへ消えてしまった」と刑事が言った。だが刑事は被害者が朝鮮半島出身だと言わなかった。警察官は占領軍に拳銃を取られていた。つまり丸腰の巡査なのだ。特攻生き残り、ヤクザ、警察の三者の中で警察が最も弱かったのである。特攻が恐い理由は言うまでもない。朝早く特攻して行った戦友たち、米軍の空襲、高射砲、、サイレンが鳴っても動作が遅ければ、耳がツンボになるほどのビンタを食らった。若者たちは死に直面していた。現代なら、PTMDという精神医の治療を必要としていたのである。

みつおとドモショウが仲間と別れて飲み屋に入った。二人は国民服に着替えていた。みつおは甘党だが、ドモショーは飲めた。牛モツと焼酎を頼んだ。店には二人の客がおり、牛モツをつついては、ドブロクを飲んでいた。電話で女将が誰かと話していた。

「ミ、みっちゃん、そろそろ帰ろか?」
「ショウちゃん、うちに泊まりにこいよ」

二人が外へ出た。手拭いで覆面した三人の男たちが二人を取り巻いた。ひとりの男が抜き身の軍刀を手に持っていた。ドモショウが鞘に入った切り出しの柄を握った、、

「おんどれ、カネかえせ!」

みつおは逃げ腰になった。店の中に居た男がみつおを羽交い絞めにした。ドモショーが、みつおを見た。「降参、降参」と笑って、財布を軍刀の男の懐にポイと投げた。みつおはわざと地面に投げた。ひとりの男がしゃがんだ。その瞬間、昌ちゃんが軍刀の男の右腹を刺した。刺してから切り出しを水平に引っ張ったのだ。一瞬、男がびっくりした顔になった。悲鳴を上げた。そして膝から崩れ落ちた。五人の仲間は逃げた。警察が駆けつけたときには、男は息絶えていた。

「倅はどうなるんですか?」

「今朝、高浜昌一が松坂の留置場に連れて行かれた。息子さんは釈放されたが大形さんが監督して下さい。裁判所の呼び出しに応じて下さい」

五十三歳の大形虎雄は目先が真っ暗になった。警察署の外に出て、待っていたオート三輪に手を振った。

続く、、

08/08
赤とんぼ
第十八章

犬山旅館の電話が鳴った。信長の妹が出た。

「大形さんいう方から電話が入っとる」と信長に言った。
「みっちゃん、どうした?」と信長公がみつおに訊いた。

――関急宇治山田駅の横丁にある棋会所へ行ったとみつおが事件を話した。三段の棋士に一番申し込んだ。通りかかった事務員がみつおと相手の棋士の駒の配置に「プロに近い」と驚いて立ち止まった。一勝二敗でみつおが負けた。二人が再び駒を並べて反省将棋をしていた。事務員が誰かに手招きをした。その男は三〇歳台で肩の筋肉が盛り上がっていた。男の七分袖から入れ墨の入った腕が見えた。みつおがぎょっとした。

「兄さん、俺と賭け将棋やらんか?」

掛け金を訊くと十円だと言った。みつおはしばらく考えていた。そして男の顔を見た。

「どうやねん?」
「はい、よろしくお願します」

九九手目が勝敗を分けた。

「う~む」と七分袖が唸った。財布から十円を取り出すと盤上に投げた。みつおが掴んで一礼した。危険を感じたので、下駄箱から運動靴を出して履くと足早に玄関から外に出た。横丁から駅へ出る角を曲がった。そのとき、三人の男がみつおに飛び掛かった。みつおが地面に倒れた。七分袖がみつおの頭を蹴った。みつおが脳震盪を起こした。気が遠くなるのを覚えた。

「ミ、ミ、ミ、みっちゃん、ソ、ソ、ソ、そんでどうしたんや?」とドモショウが信長に代わった。
「財布を取られた。すぐ病院へ行った。鼻を十三針も縫うたんや。全治一か月や」
「コ、殺してやる」とドモショウが拳をクチで噛んだ。

信長が宇治山田駅前に同級生が天麩羅屋を開いていたのを想いだした。大喜という店は天皇陛下が伊勢神宮にこられると料理を出す名店であった。

「織田君か、お久しぶり。その男はな、海竜組の若党や。面倒になるからやめとけ」
「判った。田舎やくざやな?」

同級生は織田が血の気が多いことを心配していた。みつおが、ドモショウと信長を宇治山田駅の改札口で待っていた。

「早速、行きやぁすか?」と信長公が言った。細面のもの凄い形相にみつおが震えた。
「ごめんくださいやし」とみつおが玄関のガラス戸を開けた。
「なんだ、なんだ」と腹巻をした三下が出てきた。
「鶴田さんにお会いしたいんです」
「若頭に何の用や」
「こないだの御礼に来たと伝えてください」
「御礼?」

三下が奥へ入って行った。地下足袋を履いたドモショウがズボンを脱いだ。みつおが三下について行った。三下がふすまを閉めた。その部屋からパチっと花札を返す音がした。みつおが部屋のふすまを開けた。見覚えのある男が見上げた。

「なんだあ、小僧」と鶴田が怒鳴った。

そのとき信長公が入ってきた。ふたりとも丸腰である。

「こいつらを教育したれ」と鶴田が立ち上がった。そのとき、ドモショウが現れた。筋肉隆々、さらしの越中フンドシ一丁を締めていた。鶴田が最近、名を売り出したプロレスの力道山かと思った。だがよく見ると、越中フンドシのレスラーが薪を手に持っていた。

「この野郎!」

鶴田がわめいて日本刀を白鞘から抜いた。その瞬間、ドモショウが飛び込んで鶴田の肩を薪で打った。肩甲骨が折れる音がした。刀を持った鶴田が畳の上に転がった。子分が出てきた。だが、信長のもの凄い形相に立ちすくんだ。ドモショウが鶴田の脚に薪を思いっきり打ち下ろした。今度は大腿骨が折れる音がした。

「みっちゃん、行こか」とドモショウが言ったが不思議なことにドモらなかった。

続く、、
08/07
赤とんぼ
第十七章



みつおが鳥羽で降りた。商船学校のあるあたりはすっかり暗くなっていた。二時間ほど鳥羽の海を見ていた。プラットホームの売店で熱い茶を売っていた。近鉄宇治山田駅で買った赤福を爪楊枝で食べた。やってきた志摩電鉄に乗り換えた。たったの一両である。三十キロ南下した。志摩半島に満月が出ていた。線路際に月見草が咲いていた。終点の賢島には一時間かかった。歳を取った駅長が復員兵に頭を下げた。

「駅長さん、今日は何日ですか?」
「八月の二十五日でんがな。大形さんの息子さんでっか?」

駅長が地図をポケットから出して賢島の鉄橋の場所を見せた。

「この海峡の脇に大形さんのお屋敷がある。お城のような石垣があるよってすぐ判りまんで」
「有難う」
「よう行けよ」

みつおは志摩弁が懐かしかった。大形は漁船の保険を買うカネがない漁協に大金を寄付したことから伊勢の大虎と呼ばれていた。大形虎雄の頭文字を取ったのである。みつおが背嚢を肩に担いで鉄橋に向かって歩いた。腕時計を見ると夜の十時になっていた。その日、大形はカツオ船の造船のために買った製材所で一日中、製材の作業を見ていた。屋敷へ帰ると熱燗を飲んだ。カツオ茶漬けをかきこみ、早々と寝た。玄関のガラス窓を叩く音がした。フキを見ると、生まれたばかりの女児を抱いて眠りこくっていた。大形が下駄を履いて、玄関の戸を引いて開けた、、月光を背に小柄な男が立っていた。

「誰や?」
「お父さん」
「みつお!」

父子は無言で見詰め合った。みつおが鼻をすすった。西瓜を縁台で食べたあの夏の日から、二年が経っていた。この春、みつおは二十歳になっていた。幼い顔が消え、頑健な青年となっていた。フキが起きてきた。先妻の息子が無事と知って泣き出した。

「かあちゃん、餅を食いたい」とみつおが言った。真夏なのに、、
「お汁粉?」
「かあちゃん、雑煮作ってくれ」
みつおは、雑煮と焼餅を合計で四十個も食った。



「かあちゃん、みつおをどうしよう?」大形は、鹿児島から帰ったが、日々を無為に過ごしている三男の将来を憂いていた。
「宇治山田で、商売を教えたらどうかしら?」
「あいつは苦労を知らん。商売に向かない」
「でも、宇治山田は伊勢神宮がある門前町だし都会だから。このままだと漁師になってしまうわよ」
「省吾は農林省の穀物検査官になった。幼馴染と所帯を持った。それでええ。亀屋にやった律三は教員になった。あいつ赤になったわ」

次男の律三は、官立三重師範学校を優等で出ていた。反米親ソのガチガチである。正月、挨拶に来た。大虎は「おまえは田舎教師で一生終わるのか?」などと馬鹿にしていた。「伊勢の大虎などと、オヤジいい気になるな」と元旦から親子喧嘩を始めた。大形はソ連を嫌っていた。大虎と教員の息子はついに仲良くならなかった。一方、鳥羽港に入ってきたアメリカ海軍の近代的な巡洋艦を見に行ってから大日本帝国を滅ぼしたアメリカを内心好いていた。巡洋艦には星条旗が翻っていた。

―今に、日本の海軍は復活する。船尾に旭日旗が翻ると虎は確信していた。

「軍艦は立派だが水兵は機敏じゃないな」とみつおに言った。
「ヤンキーは機械に頼っとるんや。だから、なんでも大きいんや。大きいことはエエんや」とみつおもアメリカの科学技術に感心していた。関心だけでなく、終いには、アメリカに憧れるようになった。これもアメリカ映画の影響であった。宇治山田には娯楽館という映画館があった。大形は子供たちを連れて行った。ターザン、、ポパイ、ダニーケイの牛乳屋、、東京に家を買ってからはボブ・ホープの腰抜け二挺拳銃など他愛のない映画を何回も観に行ったのである。

「なんで同じ映画を何度も観に行くの?」とフキは不思議だった。
「オヤジな、アメリカの家や道路や自動車を見とんや」とみつおが言った。
「みつちゃんも、そうなの?」
「うん。冷蔵庫が欲しいな」
「アメリカ女は?」
フキがからかった。

「アメリカの女は自信があるし、颯爽としている。だけどちょっと手に負えない感じがする」
そんな話をしているところへ大形が現れた。

「かあちゃん、トランク出してくれ。大阪へ一ヶ月ほど行ってくるわ」

近鉄の窓から焼け野原が見えた。それでも復興の兆しがあちこちに見えた。つるはしに着いた。大虎が扶桑時代の士官が経営する樺山旅館に泊まって関西の復興状態を聞いていた。

「アメリカが日本の復興を急いでいる」と樺山が言った。
「理由は朝鮮でしょう」
「その通り、対日政策が百八十度変わったんだ」
「復興と言っても、カネが要る」
「アメリカが出す。マーシャル・プランというらしい」
「東京と大阪のどっちが先かな?」
「そりゃ大阪だ。関西財界のほうが強いからね」

大形が満州を想い出していた。やはり関西の財界が満州建国に投資した。大形にも財界というものが理解出来た。人間の世界は金融資本が支配すると…

「大形君、復員した息子さんはどうしてる?」
「宇治山田へ来てから人間が変わったようです」
「どう変わったの?」
「賢島では、朝早く起きてカツオ船の準備を生き生きとしてやっておったんだが宇治山田へ来てから一日中寝ておる。夜中に起きて自転車でどこかへ出かける。説教したいが倅は予科練へ入って長崎で終戦した。今は許しておるんや…」
「その長崎の話は聞いたの?」
「いや、何も言わん。恐い顔をしておった」
「大形君、建設の話しだけどね、建設界は政府が取り仕切っておる。関西の財界もカネがない。だから、建設省の言うままだ。その建設省はアメリカの言うままだ。建設はやめたほうがいい。君は、伊勢の豪族なんだから大都会には向かない」と旅館のオーナーである樺山社長が言った。

大形虎雄は、阪神と名古屋を見て廻った。大阪の第五銀行の本店にも行った。

「たったの二年で、ずいぶんご資産を増やしましたね」と頭取がお世辞を言った。大形はそれには返事せず質問をした。
「頭取、あなたは何が日本の復興を速めるとお考えかな?」
「朝鮮で戦争が起きます。特需景気です」
「それは、わしには無理だな」
「いえ、無理でないことがあるのです」
「ほう。それは何ですかね?」
「屑鉄ですよ」
「屑鉄をどうするんかね?」
「集めるだけですよ」

大虎は、屑鉄回収は自分のイメージに合わないと速決し宇治山田に飛んで帰った。英虞湾の屋敷には帰らなかった。カツオ漁も葡萄酒も茶畑も塩も製材所も造船所もセメントの土管まで造っていたがフィリッピンからアメリカの上陸用舟艇で復員していた甥を社長にした。その甥には穴川に山と畑を買ってやった。

「どうも、漁業はわしには向かん」と大虎がフキに言った。

続く、、

*みなさん、お盆です。PCRで陰性なら帰省も旅も可能です。あとは自分は自分で守るだけです。連載は続けます。伊勢
08/06
赤とんぼ
第十六章

別府から愛媛の八幡浜は海上120キロで対岸の四国は見えない。出港して間もなく佐多岬が見えた。連絡船は二時間四十分で八幡浜に着いた。防波堤に入ると鄙びた田舎の港町があった。

「キ、キ、来とる。来とる」とドモショウが飛び上がって叫んた。みつおはドモショウが故郷の話しをしなかったので飛び上がって喜ぶ戦友に驚いた。ドモショウが桟橋に飛び降りた。絣のモンペを穿き、ほっかむりをした婦人を抱いた。

「カ、カ、カ、母ちゃん、ゲ、ゲ、元気しておったか?」
「昌ちゃん、よう生きて帰ったな」と母親が泣き出した。
「オ、オ、おとつぁん、ただいま、帰りました」とドモショウが言った。
「お前から遺書を受け取ったときな、葬式を用意したんや」と胡麻塩頭の父親が涙をポロポロこぼした。ドモショウの親はオート三輪で迎えにきていた。みつおと信長が挨拶した。

「コ、コ、こいらな、戦友や。ボ、ボ、ボクの兄弟や」

宇和島に一時間で着いた。ドモショウの生家は内陸部にあり海は見えないが、藁ブキのなかなか大きな農家である。親戚一同が集まって宴会の準備をしていた。青年団が餅を突いていた。ドモショウが家庭薬品、毛布、マーガリンの缶、現金を背嚢から取り出した。

「ショウちゃん、風呂沸かしてあるよ」と妹の雅子が浴衣三枚を持ってきた。
「マ、マ、雅子、嫁に行ったてか?」
「ショウちゃん、役場の人やけど、ええ人や。あとで紹介するわな」

ドモショウの瞼が濡れるのをみつおが見た。

「ヒ~、ヒ~、昼間やけんど、ミ、みっちゃん、、ノ、信長公、フ、フ、風呂に入って着替えんか」

「湯加減どうやねん?」と若い女性の声がした。

「モ、モ、もうちょっと薪をくべてくれんか?」と小窓を開けてドモショウがその女性を見た。信長公も首を出した。
「ショウちゃん、エッライ別嬪やなも」と信長公が言った。
「べ、別嬪は、コ、コ、この村にはおらん。ド、ド、どこの女(ひと)やろかな?」

三人の兵隊がついに兵装を解いた。浴衣に着替えた。となりの部屋で親戚のこどもたちが騒いでいた。村の青年団、村長、役場、その家族、総勢で五〇人を超えていた。

――復員ってこういう気分なのか?浴衣姿の三人が中央に並んであぐらをかいた。すると、さっきの別嬪が熱燗を持ってきた。

「ショウちゃん、さあどうぞ」
「エエ~、オ、オ、俺を知っとんか?」
「典子さんよ。兄ちゃんの同級生の」と雅子が言った。
「ソ、ソ、そう言えば、オ、面影がある」

小学校時代、二人は裏山へ行って幼いセックスをしたことがあるのだ。ドモショウが盃を出した。典子がお銚子を手に持った。戦友が二人をしげしげと見ていた。

「ヨ、ヨ、嫁に行かんかったとな?」
「ショウちゃんを待っとったけん」
「エエ~? オ、オ、俺の嫁になりたいんか?」
「明日にでも、式、上げたいんや」
「ソ、ソ、それはあかん。俺は百姓にも漁師にも向かんし、役場もいかん。ド、ドモるけん」
「そんならよその県へ行こうよ」
「ノ、典子さん、ソ、それもあかんねん。ナ、ナ、何しろ無職やけん」
「アタイが嫌いなの?」と典子が涙汲んだ。
「イ、イ、いや、大好きや、ダ、ダ、大好きや」

みつおも信長公も黙っていた。クチを挟める雰囲気ではない。自分たちも市井の人間に戻れるのかどうか自信がなかった。夏なのに好き焼きが出た。宇和島は牛を飼う農家が多い。それと男衆が料理を作る風習である。タライほどの大きい牛鍋に霜降り肉をどっさり入れて、貴重な黒砂糖をどっさり入れて、野菜を肉が見えなくなるほどどっさり積み上げた。

「ミ、ミっちゃん、信長公、遠慮すんな」
「おりゃあ、涙が出てきたなあも」
「ノ、信長が泣いてはあかん」

どっと笑い声が起きた。

――戦友ちゅうのはこういうことかと親戚の者たちが思った。

三日後の朝、三人が再び兵装に戻った。兵隊靴を履いてゲートルを巻くとすっかり兵隊に戻ってしまった。ドモショウが母親を抱いた。

「ショウちゃん、どこへ行くんかな?」
「カ、母ちゃん、ナ、名古屋も焼野原やと言うとる。フ、復興事業が始まるやろ。俺、信長の家に草鞋を脱ぐ」
「アタイもついて行く」と典子が言った。
「ア、ア、あかん、あかん。治安が悪うなっとるけん」
「巡査は拳銃も持っておらん」と信長公が言った。
「アメリカさんに帰って貰うまで治安はどうにもならんな」とみつおが加わった。
「ノ、典子さん、オ、俺を待っとったら、あかんぞな」
「アタイ、いつまでも、待っとるけん」

幼馴染のふたりが見詰め合った。青年団が三人の元日本兵を宇和島駅へ送って行った。ドモショーが唐草模様の風呂敷包を手に持っていた。軍が発行したパスを見せて予土線に乗った。窪川で土讃線に乗り換えた。右手に太平洋が見えた。二十時間掛かって瀬戸内海の丸亀に着いた。驚いたことに四国は高松と松山だけが空爆されていたのである。四国の内陸部では太平洋戦争を知らない人までいたのである。丸亀から巡行船に乗って岡山に着いた。

関西本線に乗って大阪に着いた。大阪は目も当てられないほどの焼野原であった。真ん中がポッキリと折れた風呂屋の煙突、焼け爛れた自動車やトラック、、大阪駅には屋根がなかった。三人の戦友は名古屋駅で別れた。

「ミ、ミ、ミ、みっちゃん、電話くれ」
「みっちゃん、また会おうなも」

大形みつおは終点、鳥羽方面行き近鉄に飛び乗った。

続く、、


日米の違いは大きい、、



*226事件が起きた1936年、日本はロンドン軍縮会議から撤退。アメリカではチャーリー・チャップリンの映画が封切られた。全日本プロ野球連盟設立。松竹大船撮影所設立。アメリカの音楽は、、
08/05
赤とんぼ
第十五章

八月十五日になった。朝からカンカン照りで、クマゼミがシャンシャンと鳴いていた。

「みっちゃんなあ、平和やなも」
「ノ、信長公、ホホ、ほんまにな」
「ショウちゃん、故郷へ帰れるぞ」

「全員、外に集まれ」と拡声器から大佐の声が流れた。時計を見ると十一時半である。

「今から天皇陛下のお話しがある。全員、謹んで聞くように」と大佐が壇上で言った。ラジオが取り付けられた拡声器が不協和音を発した。

――朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告セシメタリ、、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、、

――それぞれが最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の大勢も我々にとっては有利な状況を齎していない。そればかりか敵国は新たに残虐な爆弾を用いてしきりに無実の国民までも殺傷し、凄惨な被害の及ぶ範囲はまさに予測できないほどに至った。これこそ、私が日本国政府に共同宣言を受諾するよう命じた理由である。

――考えてみても、今後我が国の受ける苦難は言うまでもなく尋常なものではない。国民の気持ちが私にはよくわかる。しかしその気持ちを理解していても、私は時の赴くままに従い、耐え難く忍び難い思いをこらえて、永久に続く未来に向けて平和な世の中を切り開いて行きたい、、

国民が初めて天皇陛下の肉声を聞いたのである。ところどころ聞きにくかったが、日本が降伏したとわかった。地面に座り込んで泣き出す士官がいた。鹿屋司令部は三〇〇人の飛行兵と整備兵たちに十日以内に帰郷せよと命じた。

「ミ、ミ、みっちゃん、こっこっ、これ有難いなあ」とドモショウが言った。
「ほんまに有難いなも」と信長公が応えた。

兵舎の中で支給品が配られた。家庭薬二袋~毛布~新しい兵装一式~乾パン~粉ミルク~マーガリンの缶詰め~黒砂糖~現金三六〇円であった。一日一円である。年齢が下のみつおにも同じ額が払われた。これは曹長クラスの年俸である。それと国有鉄道、国有バス、国有連絡船の無料パスが配られた。

「その写真機は君のモノか?」

士官は、きさまと言わなかった。

「ハッ、自分のモノであります」とみつおが言って双眼鏡を机の上に置いた。士官が話し合っていた。
「双眼鏡を君たちに記念品として贈る。天皇陛下の贈り物だと思え」

ドモショウとみつおが初めて泣いた。

――これが予科練に入った記念なのだ。

士官がみつおに電報を渡した。電報は大形虎雄からであった。

「君たちは、どこが故郷なのかね?」
「自分は伊勢であります」
「自分は愛知県の犬山でありゃあす」
「ジ、ジ、自分は愛媛のウ、ウ、宇和島であります」
「ドモショウ、ご苦労であった。鹿児島、宮崎、大分線は川内町駅が爆砕されて不通なのだ。明日の午後、鹿児島新港から佐伯行が出る。それに乗れ」

「佐伯まで四五〇キロだよ」と貨物船の船員がみつおの質問に答えた。
「佐伯から宇和島への連絡船は復旧しましたか?」
「一日、一本、別府、八幡浜、宇和島に出ておる」といつの間にかきていた船長が言った。船長は兵装した二〇〇人の青年たちが特攻だったと知っていた。 

三人の戦友が佐伯に着いた。軍港のためか船は貨物船しかなかった。三人が日豊本線に乗って大分に向かった。四五分だが、途中の別府で降りた。地獄谷温泉に浸かることで賛成一致したからである。駅を出るとあたりに硫黄の臭いが満ちていた。温泉旅館まで歩いた。途中の坂道の横の川に湯気が立っている。温泉卵を買った。

「ここヤッスイ、きゃぁも」と信長公が鄙びた旅館の前で立ち止まった。ともすると明日も顧みず、鳥目を使ってしまうみつおとドモショウは信長のドケチ経済哲学に命を助くわれるのである。

「大分名物海鮮寿司どんぶり、温泉風呂あります」と書いてあった。足音を聞いた女将が引き戸を開けて出てきた。復員兵が三人立ってるのに驚いた。なぜなら復員兵はカネがないからである。

「こんにちは、寿司どんぶりの魚はなんやねん?」
「うちの亭主は漁師なんです。大事なお客様の接待で使ってるお寿司屋さんがお客なんです。この時期、フグはありまへんけど、関サバ、関アジ、鰹、ぶり、甘鯛、かんぱち、びんちょう鮪、中津のハモ、城下カレイ、伊勢エビがあります。美味しいですよ。取り合わせで値段が違うんですが、復員兵さんやから勉強させて頂きます」

それでも疑い深い信長公が、あれこれ、絵を見ては値段を訊いた。

「みっちゃん、これがエエかなも」

――マグロ、ブリ、カレイ、烏賊、蛸、しめ鯖の刺身の真ん中にイクラとそのまた真ん中にワサビが乗っていた。

「オ、オ、おれ、焼き物、ク、ク、食いたい」とドモショウが甘鯛の味噌焼きを頼んだ。
「それ、なんぼや?」
「宿泊代、入湯料入れて全部でおひとりさま三円です。お酒は別ですが地酒ですから高くはありません」
「そんなら、おりゃあにも赤鯛の塩焼きをくれ」
「兵隊さんは名古屋の人?」
「おりゃあ、尾張名古屋の織田信長公なも」

女将が笑った。するとみつおがアワビを頼んだ。

「それだとおひとりさま四円になります」
「三円にまけてんかなも?」
「三円五十銭でどうでしょう?」

ドモショウと信長公が酒を飲んだが、すべてを三等分にした。三人が温泉に入っていた。

「ショウちゃん、宇和島には何があるんや?」
「さ、さ、讃岐うどんがある。ギュ、ギュ、牛鍋もある」
「おりゃあ、それ食いたいなも」
「信長公もくるか?」
「いきゃあす、いきゃあす」

三人が布団を並べて寝た。温泉に入ったのですぐ眠りに落ちた。。ドモショウが轟轟といびきをかき出した。

続く、、
08/04
赤とんぼ
第十四章

あれから九年に近い月日が経った。昭和二十年の七月、佐々木満銀常務から虎雄が宿泊しているヤマトホテルに電話が入った。佐々木ジャングイが、ゴホンと咳をした。

「倅二人がルソン島で戦死した」と言った。大形は黙っていた。
「わしは今週、内地へ帰る」と続けた。
「長らくごくろうさまでした」と水兵に戻った大形が言った。――このひとは日露戦役以来四十年も満州の地に居たのである。何という生涯だろう。乃木さんと同じだと遠くを見る目になった。

「親方に最後の頼みがある」と佐々木ジャングイがその頼みを打ち明けた。水兵は満銀常務の依頼の内容に驚いた。

昭和二十年の七月七日になった。「日本では、七夕だな」と大形が想った。その日は朝から小雨が降っていた。夏の満州は雨季なのである。水兵がセダンを運転して佐々木ジャングイの夏の家に着いた。新京市街から離れた伊通川の川べりの一軒家である。水兵が鉄の門の前に立った。預かっていた鍵を廻して開けた。水兵は真っ直ぐ奥の書斎に行った。木の箱が部屋の真ん中に積んであった。三十個はあった。ひとつの箱をバールでこじ開けた。水兵が「う~む」と唸った。箱の中に封印された満州紙幣がビッシリと詰めてあったのだ。まだ印刷されたばかりのインクのにおいがしていた。もうひとつの箱を開けると戦時国債が詰まっていた。部屋に灯油の一斗缶が二缶置いてあった。水兵が部屋に灯油を隈なく撒いた。それから灯油を玄関まで撒いた。赤燐マッチを擦った。ボ~と音を立てて火が廊下を奥の部屋に走って行った。軍艦扶桑の水兵は足速(あしばや)に夏の家を出た。外は雷を伴う豪雨に変わっていた。満州国が消えた日である。満州を掴んだ男、大形虎雄は四十九歳になっていた

昭和二十年八月一日、みつおとドモショウが福田岬へ行った。信長公は機銃手なので鹿屋に残った。みつおが双眼鏡をしげしげと見ているドモショウに説明した。

「ショウちゃん、これなあ、一三式双眼鏡や。日本光学が海軍将校用に作ったオリオン6x24型と言うんや」
「オ、オ、恐ろしく、ヨヨヨ、よう出来とんな」
「これ持って福田岬の岡の上へ行け。飛来するB29を逐一、報告せよと言うとる。これが最新の無線電話や」
「ミ、ミ、ミ、みっちゃん、敵偵察機の定期便は朝の八時から十時の間やで」
「旅館の親父が毎日同じ時間に、一機で飛んでくると言うとる」
「チョ、チョ、直援機もなしか?」
「これは、近いうちに爆撃するための下調べなんや」
「そ、そのときは、大編隊やろな」

八月六日の昼過ぎ鹿屋から電話があった。

「広島がやられた。被害状況はまだ判らんが広島が消えたと言うとる。新型爆弾一個だと言うとる」

みつおは軍港がある長崎も同じようにその新型爆弾で消えると確信していた。ドモショウが頷いていた。
八月九日の朝が明けた。

「七時四〇分、屋久島上空にB29三機、直援機三機、総計六機の編隊が北上中」と鹿屋基地から電話が入った。
「屋久島は南九州まで一二〇キロメートル。君らもまもなく目撃する」

みつおとドモショウが革のケースからニコンを取り出して岡へ走った。午前八時十分、五島列島の上空をB29二機と直援機三機が飛んでくるのを目撃した。みつおが無線電話を掴んだ。

「B29が二機だと?もう一度確認せよ!」
「B29二機であります。単縦陣の一直線、高度四〇〇〇メートルでゆっくりと飛行しています。直援機一機が一五〇〇メートル先行しています」
「それだと長崎に向かっていないということか?」

電話の後ろでガヤガヤと話す声が聞こえた。

「午前九時四〇分、大分県姫島方面から小倉市に向かうB29二機と直援機三機を目撃した」と鹿屋から電話が入った。
「みっちゃん、コ、コ、コ、これだと奴らは小倉へ向かっとるんや」
「目標は小倉陸軍造兵廠やろ」

そのとき鹿屋から電話が入った。

「敵の無線を傍受した。小倉上空は霞で視界悪しとB29に伝えておる。敵機は只今、旋回中である。爆弾投下を迷っている。わが邀撃隊六機が発進した」

みつおの頭の中に黒い恐怖が広がった。ドモショウを見ると口を固く結んでいた。

「ショウちゃん、やっぱり、長崎へやって来る」
「ミ、ミ、ミ、みっちゃん、頂上へ行こう」
「そやけど、B29は三機だったはずや」
と頂上へ向かって歩きながら、ふたりが話しているとき、ドモショウの背中の電話が鳴った。

「謎の一機が屋久島上空で旋回している。理由は判らない」
電話の後ろで小倉陸軍造兵廠と話す声が聞こえた。

「午前十時三十分頃、敵編隊は小倉市上空を離脱した。長崎上空に二〇分で着くであろう」
「了解。自分らは何をするべきでありますか?」
「そこを動くな。写真機は持っておるのか?」
「ハンザ・キャノンを持っております」

長崎市上空は厚い雲に覆い隠されていた。十一時になった。二人は東の空が「ピカ~」と光った後で「ド~ン」という破裂音を聞いた。そのショックか覆っていた雲がいなくなり青空にキノコ雲が見えた。みつおが写真を立て続けに撮った。ふたりはしばらく無言でいた。

「ミ、ミ、みっちゃん、握り飯食え」とドモショウがタドンと言われた握り飯を飯盒から出した。焼いてあるのか香ばしい匂いがした。
みつおがタドンをひとつ手に取って頬ばった。

――自分は生きているとひとりごちた。

「ミ、ミ、みっちゃん、明日、長崎市内を見に行こうや」

みつおは考えていた。翌朝、電話を鹿屋に入れた。

「ならん。そこで待機せよ! 現在、大村陸軍中隊が被害状況を調査中である」
「ミ、ミ、みっちゃん、行こや」

旅館が握り飯を作ってくれた。水筒に麦茶を入れてふたりは外に出た。外に出ると太陽が照りかえっていた。兵隊帽子を被って手拭いを首に巻いた。六キロほど東へ歩いた。右手に長崎湾が見えた。長崎女神大橋を渡って長崎市へ向かった。何か異様な臭いがする。何千体もの死体が浮かんでいた。十代の女性、赤ん坊を背負った母親、少学生、、みつおが写真を撮った。

「ショウちゃん、お浦天主堂へ行こう」

さらに五キロ北へ歩いた。天主堂はなく、長崎は一面の焼け野原となっていた。二人は呆然と立ち尽くした。

ふたりが旅館に戻った。出てから七時間が経っていた。陽が西へ傾いていた。双眼鏡で西を見ると五島列島がくっきりと見える。二人は福田港の埠頭に行って、防波堤の上にあぐらをかいた。電話が鳴った。

「明朝、トラックで鹿屋に帰投せよ」
「ショウちゃん、爆撃機の定期便は止まったようやな」
「モ、モ、もうやってこんやろ」
「日本の降伏を待っておるんやな」

ふたりはすでに故郷を想っていた。鹿屋に戻ると葬式でもあったのかと思うほど静かである。ふたりが上官の磯部一飛曹の部屋へ行った。

「ごくろうであった。塹壕掘りはもうせんでもええ。出撃もない」

続く、、

08/03
赤とんぼ
第十三章

昭和二十年、北風の吹きすさぶ二月のある日、大形虎雄は陸軍一個師団が南新京駅から無蓋貨車に乗るのを見た。それが連日続いた。新京の日本人たちは、日本軍が南方に移動するのを見て南太平洋の戦況が悪化したことを知った。関東軍司令部は東満州の防備が手薄になっていることを憂慮していた。大形虎雄が東部ソ満国境の視察を命じられた。偵察機で凍結したウスリー河の上を飛び、虎頭要塞に着陸した。対岸のソ連軍の戦車の爆音が轟々と聞こえた、、守備隊の大佐がウスリー河を指さした。「ソ連軍が渡河する日は近い」と言った、、

大形虎雄が佐々木ジャングイと出会ったあの日のことを想い出していた、、

「君は酒を飲むか?」
「飲めない体質です」
「よし、今日は酒抜きだ」と陸軍士官が言った。そこへ、海軍武官が入ってきた。そして…
「私が、今日の会議の責任者だ」と言った。軍艦扶桑の水兵は安堵した。陸軍の将校の横柄な言動が嫌いだったが、そうも言えない雰囲気だからである。
「大形君、日露戦役はよくご存知か?」
「はい。私が呉の海兵団に入った年の十一月に乃木さんが割腹されたのです」
「よし。日本海海戦がこの満州国の建国の出発点なのだ。だから君は歓迎されるんだ。だが、満州国の治安は関東軍が取り仕切ってきた。ここをよく理解せよ。つまり関東軍の命令に従え」

前水兵は黙って頷いた。そこへ、もうひとりの軍服を着た年配の紳士が入ってきた。その紳士は女性の秘書を連れていた。
「佐々木さんだ」と海軍武官が小声で言った。水兵はこの人が自分にとって大事になると直感した。

「佐々木だ」とその紳士は言って椅子に座るとタキシード姿の大形の顔を凝視していた。
「佐々木さんは、日本帝国陸軍第四軍は野津道貫大将の兵士だったのです。奉天会戦の」

虎雄は、どうしてこんな恐い人と会わせるのだろう?と内心恐れたと後日、みつおに語った。

「大形君、君は佐々木さんの右腕になる」
「はあ?」
「部下ではない。日本海軍を代表するからだ」
「仕事は何でしょうか?」
「俺が後で説明する」と佐々木さんが言った。水兵はその不機嫌そうな声が気になった。

仕事とは、新京、ハルビン~黒河など黒竜江沿いに飛行場を造ることであった。大東亜舗装の社長は「大形は部下ではない」という関東軍指令部の命令に怒っていた。佐々木社長は奉天会戦の生き残りであり、野津道貫大将や朝鮮で戦った黒木為楨ほど偉い人間はこの世にいない、、バルチック艦隊を海に沈めて英雄になっていた東郷平八郎や秋山真之参謀など、お洒落な海軍の将兵を嫌っていた。それが理由か、目の前にいるタキシードの男を睨みつけていた。

ジャングイ(大将)という満語を聞いたのも佐々木社長からである。

「これをキサマにやろう」と佐々木ジャングイが言った。その自動二輪がアメリカ製であると水兵は知っていた。佐々木ジャングイの贈り物に心臓が破裂するかと思ったと後日、フキに語った。

「どうして手に入れられたのですか?」
「馬占山から土産に貰った」
「馬占山?あの馬賊の?」佐々木社長は、それには返事をせず、始動の仕方を教えた。まず、蓋の付いた小さな穴にインチラッパでガソリンを数滴落とす、、チョークを閉めて、ペダルを蹴る、、もの凄い爆発音がして黒い煙が消音機から噴出した。

「一回倒すと、一人では起こせないぞ。それから、インデアンは補助タンクを着けると、ソ満国境まで給油の必要はない」と言った。
「ソ満国境?」
「そうだよ」
「私に、ソ満国境に行けと?」
「そうだよ」
「私一人でですか?」
「いや、二十人ぐらいでだ」
「土木技師たちですね?」
「その通り」
「社長、お聞きしたいのですが、何故、私を選んだのですか?」
「ハッタリ屋が必要だからだ」
「ハッタリ屋?」
「そうだよ。満州人も、馬賊も、満州浪人も、ヤクザな土木屋らも、素寒貧の軍人などには目もくれない。奴らの目的は、一攫千金を掴むことだからな。かく言う俺様も同じだ」 

大形虎雄が真っ直ぐな野心に目が覚めた瞬間であった。

「この満州では、みんなジャングイ(大将)なんだ。まったく地位のない者が将軍だったと自称している。蒙古王だなんて言う奴までおるよ。学歴詐称、軍歴詐称、出自詐称が許される世界だ。これを満州相場という。貴様もそうしろ!」
「はあ?」
ハルピンから牡丹江、牡丹江からソ連国境の間に一〇〇もの飛行基地を造る計画が始まった。ソ連国境は気になるが、大形には願ってもない幸運の土地に思えた。佐々木社長も大将だった。この歴戦の勇者は他人の意見など聞く耳を持っていなかった。だが、一年が経つと難問を次々に解決する大形に一目を置くようになった。難問の中でも、最も困難だったのが、満人のクーリーを集めることだった。クーリー(苦力)は「バット」という毛布一枚を持って集まって来るのだが、着ているものは手で縫った刺しの入った綿入れだけなのだ。ひとつの飛行場を造るには五千人の人夫が要った。ところが、北部ソ満国境の黒河などは、冬季には、冷下五十度Cになるという地球上で最も寒い場所なのだ。クーリーは凍死した。それでも、クーリーは「大人(タージン)、大人、シゴトクレ」と集まって来た。

春の雪解けになると、カチカチに凍った満人の死体をトラックに積んでどこかへ運んで行った。

「多分、黒竜江に投げ込んだんだろう。だから、へイランシャンの魚は大きい」と大形は日本人技士たちに言っていた。

「この冬は石炭が二百トンは要るぞ」と佐々木大将が言った。貨物列車は軍専用なので、石炭は黒竜江か運河を遥々、満州里辺りから運搬船を数珠繋ぎにして持ってくるしかなかった。「これでは、またクーリーが多く死ぬ」と、さすがの虎も黒河の飛行場建設現場から尻尾を巻いて逃げ出したくなった。だが、、

「ジャングイ、シンパイ、イラナイ、イラナイ」と満人の工事監督が手を振って言ったのだ。
「陳、じゃあ、どこから持ってくるんだ?」
「ココヨ」とその満人は地面を指さした。ジャングイが立っているここです、、
「地面が凍結する前に石炭を掘るんだ」
「人夫はイクラデモアツマルアルヨ」
「日当はどうする?」
「人夫には掘った石炭の半分をやればいいだけで、賃金を払うヒツヨウナイヨ。しかし、饅頭(まんとう)を食わさないと、反乱を起こすよ」

虎雄の背骨に電気が走った。大形虎雄は関東軍から石炭調達とクーリー募集のために五十万円を貰っていた。五十万円は大金であった。タバコ一箱が十銭、陸軍少尉の俸給が月額二十八円、歩兵上等兵の給料は月額平均二十円、米一升(十五キログラム)は四十銭の時代であった。

三十九歳の水兵は新京の南の慈光路に三階建ての白い洋館を建てた。大形は満州娘の女中、朝鮮人の女中、満人のボイラーマンを雇って地下室に住まわせた。大形は、子供連れのボイラーマンを「ロートル」と呼んでいた。ロートルとその幼い倅は髪を三つ編みにしていた。腰まで届く弁髪である。ふたりは、大形を「大人(タージン)」と呼んだ。タージンと弁髪のロートルは相性が良かった。

飛行基地建設が始まって一年八か月が経った一九三六年の初夏に東京に置いて行ったフキと二歳になる娘が長春へ到着した。日本人は新京と呼んだが長春の方が良く通じた。フキは長春の広い並木道に近代的な大きなビルが建っている風景に感動した。満州国建国の意気込みを感じたからである。運転手付きのダットサンのセダンにも驚いたが、慈光路の西欧風の館にはびっくりした。二人のメイド、弁髪のロートルとその倅が出迎えた。邸内には、桃に似た紅い実を付けた棗(なつめ)の木が茂っており、ガラスの温室まであった。フキが娘を満人のメイドに渡した。胡娘(くうにゃん)がにっこりと笑った。

「奥様、棗は生で食べるのが美味しいけど、満州ではお粥に入れます」とメイドがたどたどしい日本語で話した。奥様と呼ばれたことがないフキが喜んだ。

「まあ、あなた、半年で建てたのですか?」
「満州には人夫がいくらでもおる」
「神戸の父親を呼んでもよいですか?」と父親想いのフキが訊いた。
「省吾も、みつおも呼んである。新京の日本人学校は評判がいい。みんなで、ここで住もう」と大形が言った。

続く、、
08/02
赤とんぼ
第十二章

「ミ、ミ、ミ、みっちゃん、新京の家族は、ダ、ダ、ダ、大丈夫か?」
「この三月、新京を引き上げて和歌山の白浜に家を借りたと親父から手紙がきたんだ」
「ソ、ソ、それで、オ、オ、お父さんの新京の仕事はどうなったんや?」
「新京へ戻って虎頭要塞を見に行くと書いてあった」
「引き上げたらどうなんキャモ?」と信長公が言った。
「いや、そうもいかんらしい。すべて、佐々木ジャングイの決定に依るんや」
「おりゃあ、ルソン島で特攻隊が米軍の空母に突っ込んでイキャアシタと聞いたナモ。山下奉文大将が降伏シヤアシタと教官らが言っておった。それやと、次は台湾ナモ。その次が沖縄ナモ」
「ミ、ミ、みっちゃん、セ、セ、戦闘機隊は沖縄に移ったから、オ、オ、俺たちも沖縄行きだろう」
「ショウちゃん、そうではない。もう敵の空母は鹿児島沖にきとるんやから。それにボクらは、飛行時間三〇〇時間。戦闘経験は一回なんだからね」
「みっちゃん、おりゃあも特攻に狩り出されると思うナモ」と信長公が初めて不安な顔になった。
「ミ、ミ、みっちゃん、オ、オ、おぬしは女を知ってるか?」
「実は鹿屋に彼女が出来た」
「こないだ行った旅館きゃあも?その娘、美枝子と言わんかなも?」
「ド、ド、どうするんや?」
「どうしようもない。お国に命を捧げる覚悟やから」
ドモショウが二十歳、信長も二十歳、みつおが十九歳となっていた。三人は沈黙していた。
「あの世ってどんなとこかな?」とみつおが呟いた。
「ソ、ソ、そんなもん、あるわけがない」とドモショウが怒った声で言った。

大形虎雄は、みつおが沖縄に出撃することを知らなかった。米軍が沖縄に上陸した六月、海軍司令部は鹿児島空に特攻を命じたのである。鹿児島空鹿屋基地はみつおとドモショウの二人に特攻を命じた。信長が自分も行くと主張した。みつおは大形が和歌山の白浜に借りた住所に手紙を送った。ドモショウ、信長、みつおが遺書を書いた。三人が髪を切って封筒に入れた。

出撃する者の名前が黒板に書かれた。毎朝、戦友が八機中隊となって出撃して行った。六月の二六日に沖縄戦が終わった。だが、特攻は継続された。

「もう五中隊しか残っとらん。なんで今更、特攻するんや」と信長がみつおに言った。
「肉を切らせて骨を断つなんて兵曹が言うとる」

その日の夕方、みつおたちの名前が黒板に書かれた。ドモショウが目を瞑るのをみつおが見た。酒を飲むことが許された。みつおがラムネを持ってきた。

「さあ、寝よか?」

三人は何も言わずに兵舎に戻った。電灯の紐を引いてシーツを被った。真夜中に空襲警報が鳴った。四〇名の飛行兵が飛び起きて兵舎から基地の北へ、八〇〇メートル走った。高隈山の裾野があるからだ。これが空襲の避難ルートである。雨季の空は真っ暗であった。敵機は大隅半島東の志布志湾から侵入してきた。地上員が探照灯を点けて敵機を照らした。四〇機ほどのP39がきらきらと夜空を埋め尽くしていた。高度二〇〇〇メートルだ。高射砲が鳴った。同時に「ど~ん、ど~ん」と百キロ爆弾の破裂する音が聞こえた。高射砲が沈黙した。みつおたちは、彩雲も、九七式戦闘機も掩体壕の中なので安全だと思った。だが両機とも戦闘には向かない機種なのだ。九七式戦闘機は時代遅れであった。P39が正月に揚げるブンブン凧のようにヒラヒラと飛んでいた。その一機が掩体壕を見つけたのか爆弾を投下した。ドモショウがみつおを振り返った。二〇分ほどで空襲は終わった。

「やられた」と言う声が聞こえた。

掩体壕に行くと彩雲もやられていた。

「これなら修理できる」と整備員が言った。鹿屋は修理斑が大きいのである。彩雲の修理に三日かかった。三日間命が伸びた。整備員が見に来いと言った。驚いたことに、工場から出てきたばかりのように、すっかり直っていた。

「ついでに電話機も新品に代えて置いた」と整備主任がみつおに言った。みつおは自分の運命が決まったと思った。

「ハア、ハア、ハア、般若心経」と般若経を朗読する声が聞こえた。ドモショウであった。そして、みつおと信長公を手で招いた。ふたりも般若経の豆本をポケットから取り出した。

「犬山の生家は浄土宗やが、生きて帰ったら、おりゃあ、帰依すりゃあす」と信長公がしみじみと言った。

三日間、夜襲はなかった。敵は作戦を変えているのだろう。滑走路がやられる前に沖縄へ出発することになった。出発は午後の四時と決まった。昼飯を食ってから仮眠を取ることになった。寝たと思うと、空襲警報のサイレンが鳴った。

「志布志湾方面から敵機十六機侵入」と拡声器から緊張した声が聞こえた。

兵舎の外に出ると東にB25十機の編隊が直援機六機を前方上にして飛んでくるのが見えた。高度二〇〇〇メートルである。九七式戦闘機二機が邀撃に飛び立った。だが、滑走路の西から東へ、海から吹く風に向かって離陸するのである。敵の直援機グラマンは追い風に乗っていた。九七式戦闘機が高度一〇〇〇メートルのあたりで撃墜された。その二機は木の葉のようにクルクルと舞い落ちた。

「山埼と我妻だ」と悲痛な声が聞こえた。やはり敵は作戦を変えていた。今度は二五〇キロ爆弾が雨、霰と落とされた。掩体壕も吹っ飛んだ。彩雲を修理した整備員が倒れているのが見えた。

「おまえたちは愛機を失った。お国に奉仕できず残念なことであろう」と大佐が言った。三人が泣いた。実は嬉し泣きであった。

七月に入った。ジメジメとしていた雨季は去ったが今度は摂氏三十六度の熱波に頭がクラクラした。みつおたちに塹壕を掘れと命令が出た。つまり本土決戦ということである。みつおたちは、自嘲気味に自らを「どかれん」と呼んだ。桜島にはコンクリ―トでトーチカを造った。だが、米軍は南九州に飛来しなくなった。高知県の室戸岬の沖に空母を置いたらしく、カーチスSO3C偵察機が松山の上空を飛んで広島に向かうことが多くなった。みつおらが練習した松山空が艦載機に爆撃された。

「広島を偵察するのは呉と三菱重工業の造船所なも」と信長公が言った。その頃、五島列島を超えて長崎を偵察するカーチスが定期的に飛来していた。軍部はこれを分析した。

「次の爆撃は広島と長崎の造船所だろう」と呉海軍飛行隊の中将が考えを述べた。鹿児島空は彩雲を失ったみつおとドモショウに双眼鏡を持たせて、長崎の西側にある岡で飛来する米軍機を見張れと命令を出した。士官が三菱造船所から西へ真横に線を引いた。長崎県の西端は福田岬である。長崎から八キロ離れている。

続く、、
08/01
赤とんぼ
第十一章

鹿児島空で実戦のドリルが始まった。戦闘機隊は四機が一組となって実戦歴のある磯田一飛曹と模擬空中戦をやった。結果はみじめだった。練習生は磯田機に接近できず、後ろに回られた。教室に戻ると質疑応答でその原因を習った。空中戦をマスターしないと重爆撃機の直援もできないのである。偵察隊には、敵機からどうやって逃げるか教えられた。

「逃げきれない場合は下降して敵機を誘い込め。後方上空の敵機は一五〇〇メートルで撃ち始めろ」
ドモショウが鉛筆で書き始めた。
「おい、ドモショウ、言葉で覚えろ」と磯田が怒鳴った。
「キョッ、キョッ、教官殿、コ、コ、高度ですが、四〇〇〇メートルが、サ、最適なんでありますか?」
「それは彩雲の翼面積は狭いので速度には最適ということだ。八〇〇〇メートルの上空ならズーミングで急降下できる。だが、彩雲は方向を変えるときの円周が大きい。このハンデを計算することだ」

昭和十九年の秋がきた。三人の戦友が丘の中腹に座っていた。休日なのだ。富有柿が色着き始めていた。ドモショウが柿の木に手を伸ばしてひとつもぎった。小刀で柿の皮を剥いて齧った。みつおと信長公も柿をもぎった。三人はしばらく黙って柿を齧った。

六月サイパン島の日本軍第四三師団が全滅した。日本兵一〇万名が玉砕した。サイパンと鹿児島の距離は二三九九キロメートルである。サイパンの南にあるテニアンが八月に陥落した。マリアナ沖海戦で日本機動部隊を撃退した米軍はサイパン、テニアン、グアム島を攻略して陥落させた。サイパンには戦闘機部隊を置いた。テニアンに重爆撃基地を作った。B29が日本本土にやってくることになった。だが、B29は。ときどき日本の零戦に撃墜された。黒岩少尉がB29の撃墜方法を教えた。それが理由で、米軍は航空母艦を日本本島付近の海上に送った。

十月の下旬、みつおたちの彩雲が索敵を命じられた。三人は初めての偵察飛行に体が震えた。三人が鹿児島空を飛び立って二時間後に敵空母三隻を目撃した。

「只今、わが機高度五〇〇〇メートル、雲なく視界良し。敵空母三隻を発見シタリ。鹿屋から八〇〇キロメートルの距離」とみつおが電信を打った。

「おい、信長、グラマンが二機やってくる」とみつおが言った。ドモショウが彩雲をユーターンさせて高度を八〇〇〇に持って行った。だが、たちまち、グラマンに追いつかれた。敵機のひとつは彩雲の下に入ってどんどん昇ってくる。上空のもう一機は高度を下げている。彩雲を上下から挟み撃ちにする気なのだ。

「敵艦載機二機、わが機に向かっている」とみつおが電信を鹿児島空鹿屋基地に打った。
「高度四〇〇〇にして逃げろ!」と磯崎教官が指示した。

彩雲は高度四〇〇〇で最高速が出せるからだ。ドモショウが急降下しながらユーターンした。敵と向かい合うことになった。みつおはびっくりしたが、信長はその理由がわかっていた。ドモショウが機銃を連発した。彩雲の一式7.9粍機銃は一分間で一〇〇〇発の発射速度を持っていた。下方のグラマンの翼から燃料が霧のように噴き出すのが見えた。やがて火を吹いて海面に落ちて行った。上空のグラマンが怒り狂った。偵察機に戦闘機が殺られるとは思っていなかったからだ。信長が距離一五〇〇メートルで七・九ミリ後部機銃の引き金を引いた。機関部に当たったのかグラマンF4Fが飛び散った。三人は、空中戦の恐ろしさに言葉が出なかった。みつおが気を取り直して電鍵をカタカタと打った。

ーーわれら敵機二機撃墜ス。鹿児島空鹿屋基地に帰投する。

「み、み、みっちゃん、あれな、カ、カ、カサブランカ級、ク、ク、ク、空母やった」
「護衛空母でアリャアシタ」

三人が男になった瞬間であった。

続、、
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