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新連載「胡椒の王様」 |
第五章
ランチの後、四時間走った。コロンボの海岸を出てから九時間が経っていた。チャーリーはアンナの肩に頭を乗せて眠りに落ちた。眼が覚めたとき、自分がどこにいるのか判らなかった。アンナが弟の縮れ毛を指で梳いた。チャーリーは、コバルト色の空を見た。その西方の空が黄色くなっていた。陽が沈んで行くのを見た。アンナがチャーリーに微笑んだ。彼らは谷間に茶畑が山の麓(ふもと)まで広がっているのを見た。その向こうに青い山脈が見えた。チャーリーは胡椒の王様という名の茶農園に着いたあの夕刻を一生涯、忘れることはなかった。弟が姉に「これほど美しい景色を見たことがない」と何度も言った。
チャーリーとアンナにひとつの小屋が与えられた。セメントの床だったがベッドが二つ、粗雑なドアの付いたトイレ、カーテンだけのシャワー室、それに木製のアイスボックスが洗面所の横に置いてあった。フルーツや水を保存するためであった。――チャーリーが夜中にお腹が空いたら、何か食べさせれるわ…とアンナは思った。東南に面した窓があった。茶畑が四方に広がっていた。たった一つの窓から完璧に近いすり鉢型の山が見えた。後日、アンナは、その山の名がアダムの高峰と呼ばれていると教えられた。
胡椒の王様は、住み心地の好いところに思えた。ふたりはその生活も売られるまでの期間だと知らなかった。姉と弟はコックニーが英国人の子供をアラブの王様に売る計画を知らなかった。
アンナとチャーリーが小屋の中や天井を見回していた。自分たちの運命を悟っていた。セイロンの山の中の農園に幽閉されたという現実がふたりを大人にした。アンナも、チャーリーも、もう泣かなかった。お互いの顔をじっと見詰め合っていた。ことばを交わさなくても、弟は姉が、姉は弟が何を考えているのかわかった。ふたりが考えていることは、農園を脱出して、イギリスへ帰り、父母と再会することであった。それが農園に来た最初の夜だった。アンナが天井から下がっている電灯の紐を引いた。
「おやすみ、愛するチャーリー」
「お休み、ぼくの大好きなアンナ…」暗闇で弟が応えた。
夜はまだ明けていなかった。姉と弟はガーンという凄い音に飛び起きた。誰かが小屋のドアを棍棒で叩いたのだ。数人のガードが木造の長屋の棟と小屋のドアや壁を叩いていた。チャーリーが窓の扉を開けると馬のいななきが聞こえた。その方角に百人ほどの農民が長い行列を作っているのが見えた。朝食を受け取る行列だった。アンナとチャーリーにインド人の女性が朝食を持ってきた。「ヒンズー」と呼ばれるインド人たちは暴力を振るわなかった。殴ったり蹴ったり、杖で叩くことは厳禁されており、規則を破れば、厳罰が待っていたからだ。奴隷の目の表情にヒンズーに対する恐怖はなかった。レイプには最も厳しい罰が与えられた。柳の鞭で百叩きのあげく、犯人は奴隷の身分に落とされるのである。
だが、馬にまたがったチーフはライフルを馬腹に着けた鞘に差していた。手に樫で出来た杖を持って奴隷たちを威嚇していた。そのチーフがチャーリーとアンナを行列の中に見た。
「この英国人の子供たちをどうしろと言のか?」と馬上のコックニーに訊いた。その低く抑えた声には、コックニーを詰(なじる)る響きがあった。
「何かに使え。アラブに売るまでだ」
コックニーとチーフは他の者に聞こえない低い声で話していた。ヒンズー語がわかるアンナの体が震えた。十三歳のアンナは、――ハーレムに売られて、アラビアのキングとセックッスをさせられると想像していた。少し離れていたチャーリーの耳には聞こえなかった。アンナは男たちの会話を弟に話さなかった。
「この男の子は胡椒の森へ連れて行け。女の子には茶の葉を摘む作業をさせろ!」とコックニーが言うのが聞こえた。チーフが女たちにトラックに乗れと命じた。トラックは混んだ。奴隷たちは荷台に立っていた。東の丘の後ろから朝陽が上ってきた。農園の空気に芳しい香りが満ちていた。時間は、〇八〇〇。アンナを乗せたトラックは走りだした。チャーリーが心配そうに見送った。
「ノー、ウォーリー」と姉が弟に言った。
十人のインド人の少年とひとりだけ肌が白いチャーリーが残った。馬のひずめが聞こえた。ひとりのガードが十二頭の馬を馬小屋から出していた。一人一人の少年に梯子と竹篭が与えられた。少年たちは竹篭を背負って馬にまたがった。チャーリーには、梯子はなく竹篭だけが与えられた。
「竹篭を胡椒の実でいっぱいにしろ!」とガードが冷たく言った。チャーリーの仕事は地面に落ちた胡椒の実を拾うことであった。 チャーリーが睨み返した。チャーリーは姉のアンナが心配だった。トラックが去った方角に走り出したくなっていた。
胡椒の森へ向かうグループのリーダーは、サタナンドという名の青年だった。サタナンドとは「シバ神の使い」という意味だと後日知った。サタナンドは二十歳のシンハリーズなのだとこれも後日知った。そのシバ神の使いがチャーリーに微笑した。肩に斜めにかけたライフルと白い歯が印象的だった。サタナンドは、鞍のない裸の馬に軽々と跨った。チャーリーに「乗れ」という風に手を伸ばした。遊園地の子馬にしか乗ったことがないチャーリーが躊躇った。手を出すと、サタナンドがチャーリーを引き上げた。大きな強い手であった。チャーリーはリーダーの前に座った。馬がブルルルーと文句を垂れて反抗の印とばかりに糞を落とした。
サタナンドは卑しい目付きのガ―ドとどこかが違った。サタナンドの口元は厳格に見えた。だが目は優しい人の目である。チャーリーを元気着けるようにチャーリーの肩に大きな温かい手の平を置いた。十歳の英国の少年はその瞬間、サタナンドが大好きになった。十二頭の馬と十三人の少年たちが土の道路を二列になって北へ進んだ。遠くに岩山がそびえているのが見えた。道路のわきに紫色の草花が咲き誇っていた。谷間を霧が覆っていた。空気は冷たいが乗馬で秋の高原を行く…チャーリーは自分が奴隷の身であることを一瞬忘れた。幸せを感じていた。父母と別れたことだけが少年の胸を押し潰していた。先頭のサタナンドとチャーリーが茶畑の切れたところで東北へ曲がった。小川の横の畦道を行き、杣(そま)道に入った。やがて森の中に入った。森はブナの大木が茂っており、木の間から陽が筋になって森を射していた。
アンナが一人のヒンズーの女性を見た。ビクトリア号の船内で見た顔だ…この若い女性は、PTボートにも一緒に乗っていた。コロンボの海岸から農園までトラックにも乗っていた。キューナード汽船会社の十六歳のキッチン・ヘルパーだった。体は発達していたが少女である。そのインド人の少女もアンナに気が着いていた。――こっちにおいでと手を振った…
「私の傍にいなさい」と彼女が言った。彼女の名前はアアシリア。「ヒンズーの神様の国から来た」という意味であった。アアシリアがアンナにスカーフをくれた。頭に巻いて肩に掛けるやりかたを教えた。アンナは憶えるのが早かった。オレンジのスカーフを被ったアンナは美しかった。十三歳の英国人の少女アンナも環境に順応する力が高かったのである。
ふたりの少女は、逆境の中で姉妹になった。ふたりはよく笑った。コロコロと朗らかに笑った。年上の女性たちは、幼いアンナと十代の少女アアシリアが茶畑で働くのを心配していたが、明るい笑い声に安心した。――この娘たちは強いんだわ…ふたりで逆境を乗り越えるだろう…そして、ふたりに茶の葉の摘み方を教えた。お茶摘みたちは一日五つの篭をいっぱいにするのがノルマだったが、アアシリアとアンナは篭三つをいっぱいにすれば良いのだと言った。
アンナは高原の空気に秋を感じていた。黄色い柿が、枝がしなるほど生っているのを見た。十月の中旬なのだ。――まだ熟していないと思った。
「来月、収穫するのよ」と年上のヒンズー女性がアンナに言った。アンナは母親を想った。「ママ、今、どこにいるの?BBは一緒なの?」涙が少女の頬を流れ落ちた。
胡椒の王様と呼ばれる農園はセイロンの南部の山岳地帯にあった。谷間に浅瀬の河が大蛇のようにくねっている。両岸は岩場が多い。何箇所かに大きな湖が出来ている。そして雨季がある。ベンガル湾から水量の多い雨がやってくるのである。理由はこの時期に地球の軸が傾くからである。赤道に近いセイロン島でも気温が下がる。そして幾日も雨が降る。乾季でも四方を海に囲まれたセイロン島には定期的に雨が降る。河の水量は多く、鯉、やまめなど川魚の影が濃い。森は密林に近い。畑は肥えている。作物はなんでも取れる肥沃な島であった。インドに比べて豊沃な土壌なのだ。セイロンの象は小型で丸い形である。耳も牙も小さく性質が優しい。島人は象を大事にする。理由は、お釈迦さまは白象の生まれ変わりであり、セイロンで永眠されたと信じられており、セイロン象は信仰の象徴なのである。セイロンの多数派民族シンガリーズは仏教徒なのである。仏教徒は菜食か穀物主義者が多い。だから狩猟をしない。それで大小の野鳥が多く棲んでいる。狩猟と野鳥を食べるのはアボリジニ(原住民)だけなのだ。さすがに彼らも天国の鳥、孔雀は食べない。
お茶の収穫期は終わりに近付いていた。だが大農園の奴隷たちには、いくらでも仕事があった。ひとつの収穫が終わると、もうひとつの収穫が待っているからである。どの農園にもコプラの木が茂っていた。コプラはココナッツ(椰子)の種(たね)である。コプラ工場とはココナッツ・オイルを作る工場なのだ。コプラは「貧乏人の椰子油」と呼ばれていた。茶摘みの季節が過ぎると女奴隷は椰子油工場で働いた。男奴隷は紅茶の製造工場で働いた。茶の葉を乾燥機に入れる。裁断機で細かく切る。缶に詰める。木箱に入れる。トラックに積む…男たちには、もうひとつ仕事があった。牛と山羊の飼育である。家畜は食肉用ではなかった。男たちが造ったのは、ミルク、バター、チーズなどの酪乳品なのであった。若衆は象を連れてブナの森に伐採に行った。老いた奴隷たちは牛馬と山羊の飼育や搾乳を専業にしていた。製材所があった。奴隷小屋を建てる材木とチークの製材なのだった。チークは英国の貴族の家具となった。チークと紅茶が高価な英国ポンドを稼いだ。胡椒の王様は富豪なのだ。
お祭りの日には、コックニーは自由と小費いを与えた。奴隷たちは自分たちの祭日でなくても、同じように小費いを貰った。バザーは近隣の農園がローテーションする慣わしだった。男たちは天幕を張って、屋台を造った。女たちはクッキー、キャンデイ、手製の靴下、スカーフ、マフラーとセーターを作って売った。近隣の農園はそれぞれの特製品を競った。バザーはこの谷間で毎月、第三日曜日と決められていた。アアシリアとアンナはチームであった。年上のアアシリアがアンナに――民芸品を作るとコストの割に儲かると教えた。アンナはクレヨンで描いた風景画を売った。台の上の笊にルピーが溜まった。チャーリーにコットンのパンツと白いシャツを買った。残ったルピーは素焼きの壷に入れて将来に備えた。
一九四七年のクリスマス・イブがきた。胡椒の王様に来てから二ヶ月が経っていた。アンナは、聖母マリアがキリストを抱いている絵をクレヨンで描いた。ついで額を作って壁に掛けた。松材のテーブルに瓶を置いて野菊を活けた。そしていつも、ナップサックに入れて持ち歩いていた聖書を机の上に置いた。五本のローソクに灯を点した。五本のローソクは、父、母、チャーリー、アンナとBBの五人なのだ。姉と弟は、カーペットに正座した。チャーリーは、ローソクの前で小さな手を組んだ。そして静かにお祈りをした。彼らは農園でたった二人のキリスト教徒なのであった。
一月と二月は一年のうちで、最も寒く空気が乾燥する季節である。それでも水が凍ることはなかった。男たちは茶畑に出て行った。この時期に肥料を撒き、お茶の苗を植えるからだ。逃げようと思えば逃げられる環境である。だが、ライフルを持ったガードに監視された男たちに逃げる術(すべ)はなかった。捕まれば杖で打たれることを知っていた。彼らはあきらめていた。男の奴隷は黙々と枯れた茶の枝にハサミを入れた。来年初夏の収穫の準備だった。女たちは作業着を縫った。布団に綿を詰めた。農園では奴隷の男女が結婚することは許されていた。農園主たちは奴隷が結婚することを奨励していた。理由は、労働力を確保出来るからである。女性たちは妊娠する月を注意深く選んだ。赤ん坊は正月に生まれることが多かった。
「サタナンドはなぜライフルを持ってるの?」
「森の中に豹がいるからだよ」
「豹?う~ん」と少年がうなった。そして質問を続けた。
「どうして、ヒンズー教徒の海賊が同じヒンズー教徒の人々を誘拐するの?」
不思議で仕方がないという風に、チャーリーがサタナンドに訊いていた。ふたりは茶畑にランチを届けるために馬車のコーチに並んで座っていた。
「カースト制度なんだよ。捕まったヒンズー教徒はインドでもっとも貧乏な人々なんだ。女の子は親に売られることがある」サタナンドが悲しい目をした。
「どこに胡椒の王様はいるの?」
「王様は英国人なんだ。この農園に住んでいない」
「じゃあ、誰がボスなの?」
「コクニー。キングの甥だから」
「どうして胡椒の王様って呼ぶの?この農園は紅茶農園だし王国じゃないのに?」
チャーリーがサタナンドを質問攻めにしていた。以下がサタナンドの説明であった。セイロンの歴史を英国の少年に解説した。
――十五世紀にバスコ・ダ・ガマがインドの南西の海岸に着いた。セイロン島は、数年経ってから、ポルトガルの商船団が見つけた。彼らは、コロンボ湾の水深が深いことを知って港を造った。彼らは胡椒を探しに遥々と来たのだ。布教のためにカトリックの教会を建てた。
――ポルトガル王国が没落すると今度は、オランダ人がやって来た。彼らはポルトガル人よりも造船や土木技術が発達していたので、コロンボに街路を設計して運河を切り開いた。ここへ来る日にコロンボを見たでしょ?道路が整然としてたでしょう?オランダ人が造った道路や運河がセイロンの農産物や材木を運ぶルートになった。コーヒー、コプラ、農園からシナモン、チークがコロンボの港へ運ばれた。十九世紀に入ると、イギリスがフランスに戦争に勝った。それが英仏百年戦争の終わりなんだ。
「イギリスはオランダ王国の守護者だったからオランダの植民地であったセイロンを統治したんだ。チャーリー、君のご先祖さまさ。イギリスはオランダの数倍の工業力がある。鉄鋼業、蒸気タービン、巨大な汽船、蒸気機関車、蒸気タービン発電機…」
「イギリス人は紅茶の文化だ。コーヒー畑をやめさせて茶畑を開拓した。これがセイロン茶の歴史。茶の木の交配技術がどんどん発展したので、今じゃ世界一の紅茶の輸出国となったわけさ」
「自動車が発明されると、タイヤのゴムの需要が大きくなった。チャーリー、ゴムの木を見ただろう?あの幹が緑のゴムの木さ。だけど、胡椒は自然に採れる。密林の木という木に胡椒の蔦(つた)が、てっぺんまで絡まっているからね。これほど手間のかからない産物は世界中にない。ただ、拾うだけなんだから…」
聴いていたチャーリーが地面の胡椒を拾った最初の日を想い出して笑った。
「今じゃ、紅茶の輸出が島の収入の全体を占める。胡椒産業はマラヤとインドネシアに移った。それでも胡椒の王様という名は残ったんだよ」と お話し上手のサタナンドがチャーリーに微笑していた。
「胡椒の王様になりたいか?チャーリー?」
「おお、ノー、絶対にノー」とチャーリーが言った。
ランチの後、四時間走った。コロンボの海岸を出てから九時間が経っていた。チャーリーはアンナの肩に頭を乗せて眠りに落ちた。眼が覚めたとき、自分がどこにいるのか判らなかった。アンナが弟の縮れ毛を指で梳いた。チャーリーは、コバルト色の空を見た。その西方の空が黄色くなっていた。陽が沈んで行くのを見た。アンナがチャーリーに微笑んだ。彼らは谷間に茶畑が山の麓(ふもと)まで広がっているのを見た。その向こうに青い山脈が見えた。チャーリーは胡椒の王様という名の茶農園に着いたあの夕刻を一生涯、忘れることはなかった。弟が姉に「これほど美しい景色を見たことがない」と何度も言った。
チャーリーとアンナにひとつの小屋が与えられた。セメントの床だったがベッドが二つ、粗雑なドアの付いたトイレ、カーテンだけのシャワー室、それに木製のアイスボックスが洗面所の横に置いてあった。フルーツや水を保存するためであった。――チャーリーが夜中にお腹が空いたら、何か食べさせれるわ…とアンナは思った。東南に面した窓があった。茶畑が四方に広がっていた。たった一つの窓から完璧に近いすり鉢型の山が見えた。後日、アンナは、その山の名がアダムの高峰と呼ばれていると教えられた。
胡椒の王様は、住み心地の好いところに思えた。ふたりはその生活も売られるまでの期間だと知らなかった。姉と弟はコックニーが英国人の子供をアラブの王様に売る計画を知らなかった。
アンナとチャーリーが小屋の中や天井を見回していた。自分たちの運命を悟っていた。セイロンの山の中の農園に幽閉されたという現実がふたりを大人にした。アンナも、チャーリーも、もう泣かなかった。お互いの顔をじっと見詰め合っていた。ことばを交わさなくても、弟は姉が、姉は弟が何を考えているのかわかった。ふたりが考えていることは、農園を脱出して、イギリスへ帰り、父母と再会することであった。それが農園に来た最初の夜だった。アンナが天井から下がっている電灯の紐を引いた。
「おやすみ、愛するチャーリー」
「お休み、ぼくの大好きなアンナ…」暗闇で弟が応えた。
夜はまだ明けていなかった。姉と弟はガーンという凄い音に飛び起きた。誰かが小屋のドアを棍棒で叩いたのだ。数人のガードが木造の長屋の棟と小屋のドアや壁を叩いていた。チャーリーが窓の扉を開けると馬のいななきが聞こえた。その方角に百人ほどの農民が長い行列を作っているのが見えた。朝食を受け取る行列だった。アンナとチャーリーにインド人の女性が朝食を持ってきた。「ヒンズー」と呼ばれるインド人たちは暴力を振るわなかった。殴ったり蹴ったり、杖で叩くことは厳禁されており、規則を破れば、厳罰が待っていたからだ。奴隷の目の表情にヒンズーに対する恐怖はなかった。レイプには最も厳しい罰が与えられた。柳の鞭で百叩きのあげく、犯人は奴隷の身分に落とされるのである。
だが、馬にまたがったチーフはライフルを馬腹に着けた鞘に差していた。手に樫で出来た杖を持って奴隷たちを威嚇していた。そのチーフがチャーリーとアンナを行列の中に見た。
「この英国人の子供たちをどうしろと言のか?」と馬上のコックニーに訊いた。その低く抑えた声には、コックニーを詰(なじる)る響きがあった。
「何かに使え。アラブに売るまでだ」
コックニーとチーフは他の者に聞こえない低い声で話していた。ヒンズー語がわかるアンナの体が震えた。十三歳のアンナは、――ハーレムに売られて、アラビアのキングとセックッスをさせられると想像していた。少し離れていたチャーリーの耳には聞こえなかった。アンナは男たちの会話を弟に話さなかった。
「この男の子は胡椒の森へ連れて行け。女の子には茶の葉を摘む作業をさせろ!」とコックニーが言うのが聞こえた。チーフが女たちにトラックに乗れと命じた。トラックは混んだ。奴隷たちは荷台に立っていた。東の丘の後ろから朝陽が上ってきた。農園の空気に芳しい香りが満ちていた。時間は、〇八〇〇。アンナを乗せたトラックは走りだした。チャーリーが心配そうに見送った。
「ノー、ウォーリー」と姉が弟に言った。
十人のインド人の少年とひとりだけ肌が白いチャーリーが残った。馬のひずめが聞こえた。ひとりのガードが十二頭の馬を馬小屋から出していた。一人一人の少年に梯子と竹篭が与えられた。少年たちは竹篭を背負って馬にまたがった。チャーリーには、梯子はなく竹篭だけが与えられた。
「竹篭を胡椒の実でいっぱいにしろ!」とガードが冷たく言った。チャーリーの仕事は地面に落ちた胡椒の実を拾うことであった。 チャーリーが睨み返した。チャーリーは姉のアンナが心配だった。トラックが去った方角に走り出したくなっていた。
胡椒の森へ向かうグループのリーダーは、サタナンドという名の青年だった。サタナンドとは「シバ神の使い」という意味だと後日知った。サタナンドは二十歳のシンハリーズなのだとこれも後日知った。そのシバ神の使いがチャーリーに微笑した。肩に斜めにかけたライフルと白い歯が印象的だった。サタナンドは、鞍のない裸の馬に軽々と跨った。チャーリーに「乗れ」という風に手を伸ばした。遊園地の子馬にしか乗ったことがないチャーリーが躊躇った。手を出すと、サタナンドがチャーリーを引き上げた。大きな強い手であった。チャーリーはリーダーの前に座った。馬がブルルルーと文句を垂れて反抗の印とばかりに糞を落とした。
サタナンドは卑しい目付きのガ―ドとどこかが違った。サタナンドの口元は厳格に見えた。だが目は優しい人の目である。チャーリーを元気着けるようにチャーリーの肩に大きな温かい手の平を置いた。十歳の英国の少年はその瞬間、サタナンドが大好きになった。十二頭の馬と十三人の少年たちが土の道路を二列になって北へ進んだ。遠くに岩山がそびえているのが見えた。道路のわきに紫色の草花が咲き誇っていた。谷間を霧が覆っていた。空気は冷たいが乗馬で秋の高原を行く…チャーリーは自分が奴隷の身であることを一瞬忘れた。幸せを感じていた。父母と別れたことだけが少年の胸を押し潰していた。先頭のサタナンドとチャーリーが茶畑の切れたところで東北へ曲がった。小川の横の畦道を行き、杣(そま)道に入った。やがて森の中に入った。森はブナの大木が茂っており、木の間から陽が筋になって森を射していた。
アンナが一人のヒンズーの女性を見た。ビクトリア号の船内で見た顔だ…この若い女性は、PTボートにも一緒に乗っていた。コロンボの海岸から農園までトラックにも乗っていた。キューナード汽船会社の十六歳のキッチン・ヘルパーだった。体は発達していたが少女である。そのインド人の少女もアンナに気が着いていた。――こっちにおいでと手を振った…
「私の傍にいなさい」と彼女が言った。彼女の名前はアアシリア。「ヒンズーの神様の国から来た」という意味であった。アアシリアがアンナにスカーフをくれた。頭に巻いて肩に掛けるやりかたを教えた。アンナは憶えるのが早かった。オレンジのスカーフを被ったアンナは美しかった。十三歳の英国人の少女アンナも環境に順応する力が高かったのである。
ふたりの少女は、逆境の中で姉妹になった。ふたりはよく笑った。コロコロと朗らかに笑った。年上の女性たちは、幼いアンナと十代の少女アアシリアが茶畑で働くのを心配していたが、明るい笑い声に安心した。――この娘たちは強いんだわ…ふたりで逆境を乗り越えるだろう…そして、ふたりに茶の葉の摘み方を教えた。お茶摘みたちは一日五つの篭をいっぱいにするのがノルマだったが、アアシリアとアンナは篭三つをいっぱいにすれば良いのだと言った。
アンナは高原の空気に秋を感じていた。黄色い柿が、枝がしなるほど生っているのを見た。十月の中旬なのだ。――まだ熟していないと思った。
「来月、収穫するのよ」と年上のヒンズー女性がアンナに言った。アンナは母親を想った。「ママ、今、どこにいるの?BBは一緒なの?」涙が少女の頬を流れ落ちた。
胡椒の王様と呼ばれる農園はセイロンの南部の山岳地帯にあった。谷間に浅瀬の河が大蛇のようにくねっている。両岸は岩場が多い。何箇所かに大きな湖が出来ている。そして雨季がある。ベンガル湾から水量の多い雨がやってくるのである。理由はこの時期に地球の軸が傾くからである。赤道に近いセイロン島でも気温が下がる。そして幾日も雨が降る。乾季でも四方を海に囲まれたセイロン島には定期的に雨が降る。河の水量は多く、鯉、やまめなど川魚の影が濃い。森は密林に近い。畑は肥えている。作物はなんでも取れる肥沃な島であった。インドに比べて豊沃な土壌なのだ。セイロンの象は小型で丸い形である。耳も牙も小さく性質が優しい。島人は象を大事にする。理由は、お釈迦さまは白象の生まれ変わりであり、セイロンで永眠されたと信じられており、セイロン象は信仰の象徴なのである。セイロンの多数派民族シンガリーズは仏教徒なのである。仏教徒は菜食か穀物主義者が多い。だから狩猟をしない。それで大小の野鳥が多く棲んでいる。狩猟と野鳥を食べるのはアボリジニ(原住民)だけなのだ。さすがに彼らも天国の鳥、孔雀は食べない。
お茶の収穫期は終わりに近付いていた。だが大農園の奴隷たちには、いくらでも仕事があった。ひとつの収穫が終わると、もうひとつの収穫が待っているからである。どの農園にもコプラの木が茂っていた。コプラはココナッツ(椰子)の種(たね)である。コプラ工場とはココナッツ・オイルを作る工場なのだ。コプラは「貧乏人の椰子油」と呼ばれていた。茶摘みの季節が過ぎると女奴隷は椰子油工場で働いた。男奴隷は紅茶の製造工場で働いた。茶の葉を乾燥機に入れる。裁断機で細かく切る。缶に詰める。木箱に入れる。トラックに積む…男たちには、もうひとつ仕事があった。牛と山羊の飼育である。家畜は食肉用ではなかった。男たちが造ったのは、ミルク、バター、チーズなどの酪乳品なのであった。若衆は象を連れてブナの森に伐採に行った。老いた奴隷たちは牛馬と山羊の飼育や搾乳を専業にしていた。製材所があった。奴隷小屋を建てる材木とチークの製材なのだった。チークは英国の貴族の家具となった。チークと紅茶が高価な英国ポンドを稼いだ。胡椒の王様は富豪なのだ。
お祭りの日には、コックニーは自由と小費いを与えた。奴隷たちは自分たちの祭日でなくても、同じように小費いを貰った。バザーは近隣の農園がローテーションする慣わしだった。男たちは天幕を張って、屋台を造った。女たちはクッキー、キャンデイ、手製の靴下、スカーフ、マフラーとセーターを作って売った。近隣の農園はそれぞれの特製品を競った。バザーはこの谷間で毎月、第三日曜日と決められていた。アアシリアとアンナはチームであった。年上のアアシリアがアンナに――民芸品を作るとコストの割に儲かると教えた。アンナはクレヨンで描いた風景画を売った。台の上の笊にルピーが溜まった。チャーリーにコットンのパンツと白いシャツを買った。残ったルピーは素焼きの壷に入れて将来に備えた。
一九四七年のクリスマス・イブがきた。胡椒の王様に来てから二ヶ月が経っていた。アンナは、聖母マリアがキリストを抱いている絵をクレヨンで描いた。ついで額を作って壁に掛けた。松材のテーブルに瓶を置いて野菊を活けた。そしていつも、ナップサックに入れて持ち歩いていた聖書を机の上に置いた。五本のローソクに灯を点した。五本のローソクは、父、母、チャーリー、アンナとBBの五人なのだ。姉と弟は、カーペットに正座した。チャーリーは、ローソクの前で小さな手を組んだ。そして静かにお祈りをした。彼らは農園でたった二人のキリスト教徒なのであった。
一月と二月は一年のうちで、最も寒く空気が乾燥する季節である。それでも水が凍ることはなかった。男たちは茶畑に出て行った。この時期に肥料を撒き、お茶の苗を植えるからだ。逃げようと思えば逃げられる環境である。だが、ライフルを持ったガードに監視された男たちに逃げる術(すべ)はなかった。捕まれば杖で打たれることを知っていた。彼らはあきらめていた。男の奴隷は黙々と枯れた茶の枝にハサミを入れた。来年初夏の収穫の準備だった。女たちは作業着を縫った。布団に綿を詰めた。農園では奴隷の男女が結婚することは許されていた。農園主たちは奴隷が結婚することを奨励していた。理由は、労働力を確保出来るからである。女性たちは妊娠する月を注意深く選んだ。赤ん坊は正月に生まれることが多かった。
「サタナンドはなぜライフルを持ってるの?」
「森の中に豹がいるからだよ」
「豹?う~ん」と少年がうなった。そして質問を続けた。
「どうして、ヒンズー教徒の海賊が同じヒンズー教徒の人々を誘拐するの?」
不思議で仕方がないという風に、チャーリーがサタナンドに訊いていた。ふたりは茶畑にランチを届けるために馬車のコーチに並んで座っていた。
「カースト制度なんだよ。捕まったヒンズー教徒はインドでもっとも貧乏な人々なんだ。女の子は親に売られることがある」サタナンドが悲しい目をした。
「どこに胡椒の王様はいるの?」
「王様は英国人なんだ。この農園に住んでいない」
「じゃあ、誰がボスなの?」
「コクニー。キングの甥だから」
「どうして胡椒の王様って呼ぶの?この農園は紅茶農園だし王国じゃないのに?」
チャーリーがサタナンドを質問攻めにしていた。以下がサタナンドの説明であった。セイロンの歴史を英国の少年に解説した。
――十五世紀にバスコ・ダ・ガマがインドの南西の海岸に着いた。セイロン島は、数年経ってから、ポルトガルの商船団が見つけた。彼らは、コロンボ湾の水深が深いことを知って港を造った。彼らは胡椒を探しに遥々と来たのだ。布教のためにカトリックの教会を建てた。
――ポルトガル王国が没落すると今度は、オランダ人がやって来た。彼らはポルトガル人よりも造船や土木技術が発達していたので、コロンボに街路を設計して運河を切り開いた。ここへ来る日にコロンボを見たでしょ?道路が整然としてたでしょう?オランダ人が造った道路や運河がセイロンの農産物や材木を運ぶルートになった。コーヒー、コプラ、農園からシナモン、チークがコロンボの港へ運ばれた。十九世紀に入ると、イギリスがフランスに戦争に勝った。それが英仏百年戦争の終わりなんだ。
「イギリスはオランダ王国の守護者だったからオランダの植民地であったセイロンを統治したんだ。チャーリー、君のご先祖さまさ。イギリスはオランダの数倍の工業力がある。鉄鋼業、蒸気タービン、巨大な汽船、蒸気機関車、蒸気タービン発電機…」
「イギリス人は紅茶の文化だ。コーヒー畑をやめさせて茶畑を開拓した。これがセイロン茶の歴史。茶の木の交配技術がどんどん発展したので、今じゃ世界一の紅茶の輸出国となったわけさ」
「自動車が発明されると、タイヤのゴムの需要が大きくなった。チャーリー、ゴムの木を見ただろう?あの幹が緑のゴムの木さ。だけど、胡椒は自然に採れる。密林の木という木に胡椒の蔦(つた)が、てっぺんまで絡まっているからね。これほど手間のかからない産物は世界中にない。ただ、拾うだけなんだから…」
聴いていたチャーリーが地面の胡椒を拾った最初の日を想い出して笑った。
「今じゃ、紅茶の輸出が島の収入の全体を占める。胡椒産業はマラヤとインドネシアに移った。それでも胡椒の王様という名は残ったんだよ」と お話し上手のサタナンドがチャーリーに微笑していた。
「胡椒の王様になりたいか?チャーリー?」
「おお、ノー、絶対にノー」とチャーリーが言った。
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新連載「胡椒の王様」 |
第四章
二隻のPTボートは飛沫(しぶき)を上げて海面を疾走していた。チャーリーとアンナは、ボルトで据付けられた鉄製の椅子にしがみついていた。幼い姉と弟は手を握りあっていた。ふたりは後ろからついて来る母親とBBが乗っているもう一隻のPTボートから目を離さなかった。PTボートが速度を落とした。もうひとつのPTボートが波間を揺れながら進んで来て横に並んだ。コックニーが乗っているPTボートの海賊が他方のPTボートの舳先に立っている仲間に手を振った。人質たちは西の方角に小高い山のシルエットを見た。ポンポンポンという音が聞こえた。シルエットを背景に漁船が現れた。二台のPTボートは停止した。海賊が漁船にロープを投げた。ターバンを巻いた大男のインド人の船頭がコックニーのPTボートへ飛び乗った。
船頭とコックニーが低い声で話していた。船頭が手に持っていた麻袋の中から金貨や銀貨を取り出して勘定して見せた。コックニーが袋ごと受け取って大声で笑った。十人の子供とミッテントロッター夫人、BBが漁船に乗せられた。子供たちは自分たちの運命を知って泣いた。人買いに売られたのだ。チャーリーとアンナが叫んだ。ミッテントロッター夫人が子供たちの名を呼んでいた。夫人が漁船から海に飛び込もうとした。人買いが夫人を船底へ突き飛ばした。買ったばかりの奴隷を乗せて漁船は浜へ向かって行った。夜空は晴れており、星が満点に拡がっていた。山の後ろから上ってきた月は満月であった。
「お母さま~」
「ママ~」
ミッテントロッター夫人とメイドのBBは、アンナとチャーリーがふたりの名を呼ぶのを闇の中に聴いた。アンナとチャーリーは、母親とBBを失った。気温がぐんぐん下がっていた。アンナが汚れた毛布を引っ張り上げた。姉と弟は泣き疲れてお互いの腕の中で眠りに落ちて行った。
アンナが先に起きた。母親の乗ったPTボートを探したが見つからなかった。海賊が誘拐した子供たちにナン(インドのパン)とブリキの缶に入ったミルクを配った。男は船尾のトイレを指さした。アンナが岩礁の上に灯台の灯を見た。PTボートは岩礁の多いインドの南端に来ていたのだ。東の空が明るくなっていた。新しい日の始まりだった。
二時間後のことだった。漁船が朝陽を背景に向かってくるのが見えた。六人のインド人の子供たちが人買いに売られた。コックニーが金貨と銀貨の入った袋を受け取って笑った。「こっちの四人は売り物じゃない」と漁船の船頭に言った。そしてインド人の若い女性ふたり、チャーリーとアンナの四人に漁船に乗れと手で招いたのである。PTボートの海賊たちはどこかへ去った。
十人の子供とコックニーが海岸に向かっていた。陽が高くなっていた。一時間で漁船はセイロン島のコロンボの南の砂浜に乗り上げた。漁船の底が玉砂利に触れて「ザー」という音がした。船頭とその子分たちが六人の子供をどこかへ連れて行った。コックニーがインド人の女性二人、チャーリーとアンナに「船を降りろ」と言った。短パンツを穿いたチャーリーが長い靴下を脱いで海水の中に降りた。さざ波が少年の足を洗った。チャーリーは一瞬の間、平和な気分になった。振り向くと、アンナがスカートをたくし上げて海に入るのが見えた。姉が弟に微笑した。弟が微笑を返した。チャーリーは、十歳、アンナは十三歳であった。
浜辺の林の中に古い軍用トラックが待っていた。コックニーが四人の獲物を鎖でトラックの床に繋いだ。トラックはキャンバスの幌が掛けてあり、奥に四つのベンチがあった。そのベンチには先客が座っていた。――インドで浚われて船で運ばれたのだろうとアンナは思った。十五歳から十八歳のヒンズー(インド人)の男女が四人だった。後部の椅子にナンブ拳銃をベルトのホルスターに差したインド人の男が座っていた。男はサクランボを口に入れては、その白い種を床に吹き出した。チャーリーは、これほどマナーの悪い男を見たことがなかった。チャーリーがユーモアだと受け取ってクスクスと笑った。アンナは微笑していた。弟の環境に順応する能力が高いことに安心したのである。
トラックは海岸に沿って走っていた。土が湿っているのか埃が立たない。アンナは後部のベンチに座っていた。トラックが市街に入った。アンナの目にローカルの情景が入ってきた。色とりどりの果物や瓜類を積み上げた果物市場を見た。緑の枝にたわわに下がったバナナを見た。アンナはバナナを食べたくなった…トラックが速度を落とした。水牛が荷車を牽いて十字路を横切っていたからだ。麦わらの屋根が続いた。蒸し暑くなっていた。アンナは、陽の高さから十時を過ぎていると思った。
大きな十字路を右へ曲がった。十字路の角に尖塔のある古風な教会が見えた。鐘楼の鐘が鳴るのが聞こえた。アンナは十六世紀に帆船で、はるばるヨーロッパからやってきたポルトガル人がセイロン島の土民をキリスト教徒に改宗させるために建てた教会だとボンベイの学校で習ったのを想い出していた。
トラックは東へ向かった。教会の鐘の音が小さくなって、やがて尖塔が見えなくなった。その代わりトラックのジーゼルが轟音を出していた。運転手がギアを一段落とす音が聞こえた。S字にくねる坂道を二時間走った。チャーリーがベンチから滑り落ちた。
坂道をうんうんと喘いでいたトラックが下り坂を滑らかに走り始めた。丘陵が見える草原で停車した。ナンブ拳銃のインド人がキャンバスを取り除いた。子供たちはトラックを降りて深呼吸をした。空気は冷たく澄んでいた。――なんて美味しい空気だろう…アンナが思った。チャーリーもアンナも帽子をどこかで失くしてしまった。昼下がりの太陽が頭上で照りかえっていた。英国人の白い肌を容赦なく焼いた。浚われた青少年の中で、アンナとチャーリーのふたりが一番幼かった。インド人の青年がチャーリーに麦わら帽子を渡した。アンナが「サンキュー」とヒンズー語で言うと、青年は、にっこりと笑った。それをコックニーが横目で見ていた。トラックが速度を上げていた。やはりS時の山道だったが、下り坂だったからだ。空は高く青かった。秋なのだ。高原の空気が清々しい。チャーリーがベンチに掴まって立ち上がった。アンナが弟のバンドを捕まえていた。谷間に緑の草原が広がっているのが見えた。前方に大蛇がくねっているような河が見えた。川面がきらきらと光っている。トラックが木製の橋をカタカタと音を立てて渡った。
「アンナ、見て!見て!アンナ、象の群れが河にいる。赤ちゃんがお母さんの横にいる」とチャーリーが興奮していた。野生の象や仔象を見たら、少年なら誰もが興奮する。少年は自分たちが浚われたことを忘れていた。インド人の青年男女がチャーリーの持つ子供の純粋さに笑った。自分たちは、もはや自由の身ではなく労働を強制される運命であることを一瞬だが忘れていた。運転手がトラックを停めた。ランチを食べる時間である。青年男女と幼い姉と弟は、パン、バナナ、ブリキの缶に入れた水を受け取った。
二隻のPTボートは飛沫(しぶき)を上げて海面を疾走していた。チャーリーとアンナは、ボルトで据付けられた鉄製の椅子にしがみついていた。幼い姉と弟は手を握りあっていた。ふたりは後ろからついて来る母親とBBが乗っているもう一隻のPTボートから目を離さなかった。PTボートが速度を落とした。もうひとつのPTボートが波間を揺れながら進んで来て横に並んだ。コックニーが乗っているPTボートの海賊が他方のPTボートの舳先に立っている仲間に手を振った。人質たちは西の方角に小高い山のシルエットを見た。ポンポンポンという音が聞こえた。シルエットを背景に漁船が現れた。二台のPTボートは停止した。海賊が漁船にロープを投げた。ターバンを巻いた大男のインド人の船頭がコックニーのPTボートへ飛び乗った。
船頭とコックニーが低い声で話していた。船頭が手に持っていた麻袋の中から金貨や銀貨を取り出して勘定して見せた。コックニーが袋ごと受け取って大声で笑った。十人の子供とミッテントロッター夫人、BBが漁船に乗せられた。子供たちは自分たちの運命を知って泣いた。人買いに売られたのだ。チャーリーとアンナが叫んだ。ミッテントロッター夫人が子供たちの名を呼んでいた。夫人が漁船から海に飛び込もうとした。人買いが夫人を船底へ突き飛ばした。買ったばかりの奴隷を乗せて漁船は浜へ向かって行った。夜空は晴れており、星が満点に拡がっていた。山の後ろから上ってきた月は満月であった。
「お母さま~」
「ママ~」
ミッテントロッター夫人とメイドのBBは、アンナとチャーリーがふたりの名を呼ぶのを闇の中に聴いた。アンナとチャーリーは、母親とBBを失った。気温がぐんぐん下がっていた。アンナが汚れた毛布を引っ張り上げた。姉と弟は泣き疲れてお互いの腕の中で眠りに落ちて行った。
アンナが先に起きた。母親の乗ったPTボートを探したが見つからなかった。海賊が誘拐した子供たちにナン(インドのパン)とブリキの缶に入ったミルクを配った。男は船尾のトイレを指さした。アンナが岩礁の上に灯台の灯を見た。PTボートは岩礁の多いインドの南端に来ていたのだ。東の空が明るくなっていた。新しい日の始まりだった。
二時間後のことだった。漁船が朝陽を背景に向かってくるのが見えた。六人のインド人の子供たちが人買いに売られた。コックニーが金貨と銀貨の入った袋を受け取って笑った。「こっちの四人は売り物じゃない」と漁船の船頭に言った。そしてインド人の若い女性ふたり、チャーリーとアンナの四人に漁船に乗れと手で招いたのである。PTボートの海賊たちはどこかへ去った。
十人の子供とコックニーが海岸に向かっていた。陽が高くなっていた。一時間で漁船はセイロン島のコロンボの南の砂浜に乗り上げた。漁船の底が玉砂利に触れて「ザー」という音がした。船頭とその子分たちが六人の子供をどこかへ連れて行った。コックニーがインド人の女性二人、チャーリーとアンナに「船を降りろ」と言った。短パンツを穿いたチャーリーが長い靴下を脱いで海水の中に降りた。さざ波が少年の足を洗った。チャーリーは一瞬の間、平和な気分になった。振り向くと、アンナがスカートをたくし上げて海に入るのが見えた。姉が弟に微笑した。弟が微笑を返した。チャーリーは、十歳、アンナは十三歳であった。
浜辺の林の中に古い軍用トラックが待っていた。コックニーが四人の獲物を鎖でトラックの床に繋いだ。トラックはキャンバスの幌が掛けてあり、奥に四つのベンチがあった。そのベンチには先客が座っていた。――インドで浚われて船で運ばれたのだろうとアンナは思った。十五歳から十八歳のヒンズー(インド人)の男女が四人だった。後部の椅子にナンブ拳銃をベルトのホルスターに差したインド人の男が座っていた。男はサクランボを口に入れては、その白い種を床に吹き出した。チャーリーは、これほどマナーの悪い男を見たことがなかった。チャーリーがユーモアだと受け取ってクスクスと笑った。アンナは微笑していた。弟の環境に順応する能力が高いことに安心したのである。
トラックは海岸に沿って走っていた。土が湿っているのか埃が立たない。アンナは後部のベンチに座っていた。トラックが市街に入った。アンナの目にローカルの情景が入ってきた。色とりどりの果物や瓜類を積み上げた果物市場を見た。緑の枝にたわわに下がったバナナを見た。アンナはバナナを食べたくなった…トラックが速度を落とした。水牛が荷車を牽いて十字路を横切っていたからだ。麦わらの屋根が続いた。蒸し暑くなっていた。アンナは、陽の高さから十時を過ぎていると思った。
大きな十字路を右へ曲がった。十字路の角に尖塔のある古風な教会が見えた。鐘楼の鐘が鳴るのが聞こえた。アンナは十六世紀に帆船で、はるばるヨーロッパからやってきたポルトガル人がセイロン島の土民をキリスト教徒に改宗させるために建てた教会だとボンベイの学校で習ったのを想い出していた。
トラックは東へ向かった。教会の鐘の音が小さくなって、やがて尖塔が見えなくなった。その代わりトラックのジーゼルが轟音を出していた。運転手がギアを一段落とす音が聞こえた。S字にくねる坂道を二時間走った。チャーリーがベンチから滑り落ちた。
坂道をうんうんと喘いでいたトラックが下り坂を滑らかに走り始めた。丘陵が見える草原で停車した。ナンブ拳銃のインド人がキャンバスを取り除いた。子供たちはトラックを降りて深呼吸をした。空気は冷たく澄んでいた。――なんて美味しい空気だろう…アンナが思った。チャーリーもアンナも帽子をどこかで失くしてしまった。昼下がりの太陽が頭上で照りかえっていた。英国人の白い肌を容赦なく焼いた。浚われた青少年の中で、アンナとチャーリーのふたりが一番幼かった。インド人の青年がチャーリーに麦わら帽子を渡した。アンナが「サンキュー」とヒンズー語で言うと、青年は、にっこりと笑った。それをコックニーが横目で見ていた。トラックが速度を上げていた。やはりS時の山道だったが、下り坂だったからだ。空は高く青かった。秋なのだ。高原の空気が清々しい。チャーリーがベンチに掴まって立ち上がった。アンナが弟のバンドを捕まえていた。谷間に緑の草原が広がっているのが見えた。前方に大蛇がくねっているような河が見えた。川面がきらきらと光っている。トラックが木製の橋をカタカタと音を立てて渡った。
「アンナ、見て!見て!アンナ、象の群れが河にいる。赤ちゃんがお母さんの横にいる」とチャーリーが興奮していた。野生の象や仔象を見たら、少年なら誰もが興奮する。少年は自分たちが浚われたことを忘れていた。インド人の青年男女がチャーリーの持つ子供の純粋さに笑った。自分たちは、もはや自由の身ではなく労働を強制される運命であることを一瞬だが忘れていた。運転手がトラックを停めた。ランチを食べる時間である。青年男女と幼い姉と弟は、パン、バナナ、ブリキの缶に入れた水を受け取った。
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第三章
「オーケー、それでは艦橋へ行きます。ついて来て下さい」と一等航海士のマーフィー士官が言った。ウエイクフィールド船長は子供たちを一度に十人操舵室に招いた。ホイールハウスと呼ばれる操舵室は艦橋の真ん中に配置されていた。見張り番の士官OOWとスポット士官ABが前方や遠い海上を双眼鏡で監視していた。一等航海士が操舵手に耳打ちした。すると、突然、ビクトリア号がジグザグに走った。巨大な外洋汽船が舵を簡単に廻すだけで方向を変えることに子供たちが歓声を上げた。
「ウエイクフィールド船長、この船は、今どのくらいのスピードで航行しているんですか?」とひとりの少年が質問した。
「十八ノットです。波が高いから」
「ゴアからどのくらい来ましたか?」と、もうひとりの少年が訊いた。
「現在、午後の三時。バスコ・ダ・ガマの港を出たのは六時間前です。インドの西海岸から九十海里、西北へ来ています」船長は子供が好きであった。
見張り番(AB)航海士は子供たちの見学に加わらなかった。無言で前方を双眼鏡で見ていた。ABが振り返って、一等航海士に双眼鏡を渡して右舷の海上を指差した。二隻の高速船がクイーン・ビクトリア号に真っ直ぐに向かっていた。
「プリーズ、子供たちを大食堂に連れて行ってください」とマーフィーが、ミス・グリフィスに言った。その声は静かだったが、彼の表情から命令であると理解した。マーフィーの真剣な一面を始めて見た恋人は身震いした。
「みなさん、三時よ。お茶の時間よ」と教師は言うと艦橋を離れて、大食堂に向かった。
「何が起きたのかね?」
船長は操舵室のドアを閉めてから双眼鏡を目に当てた。
「PTボートに見える」とマーフィーが答えた。
「それなら、なにも心配することはない。米国海軍だから」と船長が言った。
「船長、これは海賊です。星条旗も米国海軍旗も揚げていないからです」
ウエイクフィールドが驚いた。
「奴ら、どのくらいのスピードで向かっている?」
航海士のひとりが計算していた。
「奴らは、五十ノットで海面を走っている。ビクトリアは、PTボートの速度には太刀打ち出来ない」
「乗船している警備兵はどのくらいの火器を持っているのかね?」ウエイクフィールドがマーフィーに訊いた。
「艦橋へ来て貰います」とマーフィーは電話を取った。一等航海士で海軍士官であるマーフィーは冷静であった。
「われわれの海域へ入って来るまでどのくらいの時間がある?」見張りのABが質問をした。
「一時間以内です。彼らは最高速度で進んでいる」
ウエイクフィールド船長は電信係の後ろに立っていた。電信係はジャックを無線機に差し込むと遭難信号のSOSを打ち始めていた。――SOS…SOS…海賊の襲撃…海賊の襲撃… 即座に遭難信号に応答が入って来た。応答したのはインド洋上を航行していた英国海軍の駆逐艦であった。電信係がモールス信号を読んだ。――駆逐艦は、クイーン・ビクトリア号の位置から一〇〇海里北におり、付近の海域にはスピードの速い巡洋艦がいないと言った。
駆逐艦の艦長がビクトリア号の船長にメッセージを送った。 ――小艦はあなた方の海域へ全速力で向かっている。三時間で到着する。ビクトリア号の警備隊の力を私は疑っていない。紳士諸君、あなた方の安全を心から祈る…
クイーン・ビクトリア号の警備隊は英国海軍がキューナード汽船会社の要請によって配備したものであった。警備隊は二十名の精鋭が選ばれていた。その精鋭部隊が艦橋に到着するのに五分もかからなかった。警備隊長と海兵の数人が双眼鏡で接近するPTボートを監視していた。
「ブレンを持ってこい。舳先(へさき)に二基据えろ!」と赤ひげの少尉が機銃班に命令を下した。その赤ひげが振り向いた。
「船長、ビクトリアを真っすぐにして海賊たちと向き合ってください」と言った。
「何だって?」
「はい、敵と向き合う。敵がはっきり見えるまで待つ。これが敵の襲撃への対抗策のベストなんです。速度を五ノットに落として下さい」
ウエイクフィールド船長が頷いた。伝声菅に向かって「速度を五ノットに落とせ!」と船底の機関長に怒鳴った。
「取り舵いっぱい!」と耳を全開にしている舵手に指示を出した。舵手が舵輪を左に廻した。ビクトリア号は速度を落として船首をポートサイドに廻した。波が高いので旋回中ローリングした。ピッチングで上下に揺れた。
船客たちは、叫び声や弾薬箱を持って走る兵隊の慌しい足音を聞いた。デッキが真下に見える二階の船客たちがパニックし始めた。揺れる船…恐い顔で甲板を走る兵隊…何か深刻な事件が起きると感じていた。
船長が船内放送のPAシステムを使って船客にアナウンスしようとした。だが、PAは作動しなかった。こんなことは初めてだ。船長がマーフィー一等航海士の目を不思議といった表情で覗いた。マーフィーも怪訝な顔をしていた。マーフィーは下士官のひとりを大食堂に送った。
その下士官が大食堂に入って来た。そして、不安に怯えている船客たちに叫んだ。
「どうか船室へ戻って下さい。そしてドアの鍵を内側からロックして下さい」
「質問してもいいですか?一体、何が起きたのですか?」老いた紳士が下士官に訊ねた。
「海賊です!われわれは間もなく海賊と対峙する。英国海軍の警備隊が乗船していますから、ご心配は無要です。すぐに終わります。どうか、キャビンに戻って下さい」
大英帝国武器廠が造ったチェコ式軽機関銃ブレンが運ばれてきた。二基が船首に~右舷に二基~左舷に二基、合計六基の七・七ミリ・ブレン軽機銃が甲板に据えられた。機銃手たちが尻を甲板に下ろしてボルトを引いた。警備隊長の「撃ち方はじめ!」の命令を待っていた。艦橋から二隻のPTボートが裸眼で見えた。ビクトリア号から三千メートルの距離に接近していた。
「命令があるまで撃つな!」赤ひげは訓練の行き届いた兵隊を信頼していた。
「少尉殿、奴らも機関銃を船首に据えている」とマーフィーが指差していた。
「波が高い海上では、PTボートの機関銃は不安定で的に当たらない。脅威ではない。千五百メートルに近付いたら、警告射撃を数発撃つ」
少尉の冷静な声に自信があった。
ミッテントロッター夫人、アンナ、チャーリーとBBは大食堂を出るところだった。四人は、キャビンへ戻る人々の後列にいた。そのとき、あのキッチンの大扉が開いたのだ。船客たちは、背の高い細身の英国人を見た。ロンドン訛りのコックニーを話す男が、六人のインド人の男たちと現れた。その男たちは、みんな日本軍のピストル、ナンブ拳銃を手に持っていた。六人のガンマンらは、大声を上げて後列の人々を人質に取った。
大食堂の反乱は艦橋の船長たちに伝わった。クルーの間に混乱が生じた。マーフィーがデスクの引き出しから英国製のブルドッグ四十五口径リボルバーを取り出していた。そして弾丸を六発、装填した。士官の計画は、コックニーを射殺することであった。BBDリボルバーは銃身が短く弾薬が大きい。至近距離から撃てば轟音が耳をつんざく。――ボスのコックニーを排除すれば、あとのギャングは手を挙げるだろう…
だが、この計画は一瞬にして頓挫した。コックニーが率いる四人の盗賊が船長室に押し入って、コックニーがナンブ拳銃をウエイクフィールド船長の右耳に押し付けたのである。船長の背筋に戦慄が走った。 マーフィーは、盗賊たちに拳銃を気着かれないようにした。後ろに手を廻して、慎重にブルドッグをズボンと尻の間に差しこんだ。二人の盗賊が人質を連れてデッキに出てきた。その人質の中にミス・グリフィスがいるのが見えた。教師でマーフィーの恋人が…ミス・グリフィスは恐怖に慄いていた。マーフィーはミッテントロッターの家族が人質の中にいるのを見た。
コックニーがデッキに降りた。武器を持った警備兵を見た。兵隊は二十人である。
「武器を捨てろ!捨てないなら、この少女を海に投げ込む!」
コックニーがアンナの腕を掴んだ。マーフィーは、その瞬間を逃がさなかった。ブルドッグをズボンの後ろから抜いた。その瞬間、乾いた破裂音が聞こえた。デッキの人質たちは凍ったように立ちすくんだ。その空気を裂く音はデッキの上から聞こえた。ライフルを持ったインド人の盗賊が階段に立っているのが見えた。その男が二発目を装填する引き金の音がした。マーフィー一等航海士が死んだ。ミス・グリフィスが目を覆って悲鳴を上げた。ウエイクフィールド船長が――警備兵たちに抵抗しないように命じた。兵隊は、ブレン軽機関銃、ライフル、ピストル…全ての武器を海中に投げた。
二隻のPTボートが左舷の海面に着いた。盗賊たちがデッキから網梯子を投げた。六人のインド人が登ってきた。どれも、スカーフで覆面をしている。写真に撮られてはまずいからである。チャーリーは、男たちのふくらはぎを見ていた。赤松の根っこを思わせる筋肉をしていた。アンナとBBは恐怖に震えて抱き合っていた…彼女たちは生まれて初めて海賊に面していたのである。海賊が船客にデッキに出るように命じた。キャビンに入って、宝石や現金を袋に詰めた。船客たちはコックニーのふてぶてしい態度を恐れた。コックニーは価値があると思われる男女を選んだ。船客たちは怯えた――この男は宝石だけが目当てではない。人浚いなのだと判ったのである。
二十分ほどで人選が終わった。十五歳から十八歳ぐらいの十八人のインド人の少年少女が網梯子を下りるように命令された。子供たちはPTボートに乗せられた。コックニーがミッテントロッター夫人と子供たちを見ていた。浚う価値があるかどうかと…コックニーが横の子分に、反って尖がった顎をしゃくった。ミッテントロッター夫人がアンナの腕を掴んだ。BBはチャーリーの腕を掴んだ。
コックニーが、アンナとチャーリーを母親とメイドから離すように子分に命じた。子供たちは一台のPTボートに、夫人とBBはもう一台のボートに乗せられたのである。海賊のボスがコックニーと口論をしていた。そのインド人の頭目は、英国人とそのメイドを浚うことを躊躇っていた。
「白人を売るのはダメだ。イギリスは軍隊を送る。俺たちは、イギリス海軍に追い回される。皆殺しにされる」海賊のボスとコックニーはヒンズー語で話していた。
「こいつらはカネになる」とコックニーが言い返した。
BBがミッテントロッター夫人に何が起きているのか耳打ちしていた。
「BB、この男たちにおカネはいくらでも払う。子供たちと別れたくないと言っておくれ」
BBがコックニーに懇願した。細身の英国人はニヤニヤと笑っていた。
二台のPTボートがクイーン・ビクトリア号の舷側を離れた。轟音と黒い煙りと共に走り去った。一九四十七年、十月下旬のある日、〇六〇〇PMのことだった。
「オーケー、それでは艦橋へ行きます。ついて来て下さい」と一等航海士のマーフィー士官が言った。ウエイクフィールド船長は子供たちを一度に十人操舵室に招いた。ホイールハウスと呼ばれる操舵室は艦橋の真ん中に配置されていた。見張り番の士官OOWとスポット士官ABが前方や遠い海上を双眼鏡で監視していた。一等航海士が操舵手に耳打ちした。すると、突然、ビクトリア号がジグザグに走った。巨大な外洋汽船が舵を簡単に廻すだけで方向を変えることに子供たちが歓声を上げた。
「ウエイクフィールド船長、この船は、今どのくらいのスピードで航行しているんですか?」とひとりの少年が質問した。
「十八ノットです。波が高いから」
「ゴアからどのくらい来ましたか?」と、もうひとりの少年が訊いた。
「現在、午後の三時。バスコ・ダ・ガマの港を出たのは六時間前です。インドの西海岸から九十海里、西北へ来ています」船長は子供が好きであった。
見張り番(AB)航海士は子供たちの見学に加わらなかった。無言で前方を双眼鏡で見ていた。ABが振り返って、一等航海士に双眼鏡を渡して右舷の海上を指差した。二隻の高速船がクイーン・ビクトリア号に真っ直ぐに向かっていた。
「プリーズ、子供たちを大食堂に連れて行ってください」とマーフィーが、ミス・グリフィスに言った。その声は静かだったが、彼の表情から命令であると理解した。マーフィーの真剣な一面を始めて見た恋人は身震いした。
「みなさん、三時よ。お茶の時間よ」と教師は言うと艦橋を離れて、大食堂に向かった。
「何が起きたのかね?」
船長は操舵室のドアを閉めてから双眼鏡を目に当てた。
「PTボートに見える」とマーフィーが答えた。
「それなら、なにも心配することはない。米国海軍だから」と船長が言った。
「船長、これは海賊です。星条旗も米国海軍旗も揚げていないからです」
ウエイクフィールドが驚いた。
「奴ら、どのくらいのスピードで向かっている?」
航海士のひとりが計算していた。
「奴らは、五十ノットで海面を走っている。ビクトリアは、PTボートの速度には太刀打ち出来ない」
「乗船している警備兵はどのくらいの火器を持っているのかね?」ウエイクフィールドがマーフィーに訊いた。
「艦橋へ来て貰います」とマーフィーは電話を取った。一等航海士で海軍士官であるマーフィーは冷静であった。
「われわれの海域へ入って来るまでどのくらいの時間がある?」見張りのABが質問をした。
「一時間以内です。彼らは最高速度で進んでいる」
ウエイクフィールド船長は電信係の後ろに立っていた。電信係はジャックを無線機に差し込むと遭難信号のSOSを打ち始めていた。――SOS…SOS…海賊の襲撃…海賊の襲撃… 即座に遭難信号に応答が入って来た。応答したのはインド洋上を航行していた英国海軍の駆逐艦であった。電信係がモールス信号を読んだ。――駆逐艦は、クイーン・ビクトリア号の位置から一〇〇海里北におり、付近の海域にはスピードの速い巡洋艦がいないと言った。
駆逐艦の艦長がビクトリア号の船長にメッセージを送った。 ――小艦はあなた方の海域へ全速力で向かっている。三時間で到着する。ビクトリア号の警備隊の力を私は疑っていない。紳士諸君、あなた方の安全を心から祈る…
クイーン・ビクトリア号の警備隊は英国海軍がキューナード汽船会社の要請によって配備したものであった。警備隊は二十名の精鋭が選ばれていた。その精鋭部隊が艦橋に到着するのに五分もかからなかった。警備隊長と海兵の数人が双眼鏡で接近するPTボートを監視していた。
「ブレンを持ってこい。舳先(へさき)に二基据えろ!」と赤ひげの少尉が機銃班に命令を下した。その赤ひげが振り向いた。
「船長、ビクトリアを真っすぐにして海賊たちと向き合ってください」と言った。
「何だって?」
「はい、敵と向き合う。敵がはっきり見えるまで待つ。これが敵の襲撃への対抗策のベストなんです。速度を五ノットに落として下さい」
ウエイクフィールド船長が頷いた。伝声菅に向かって「速度を五ノットに落とせ!」と船底の機関長に怒鳴った。
「取り舵いっぱい!」と耳を全開にしている舵手に指示を出した。舵手が舵輪を左に廻した。ビクトリア号は速度を落として船首をポートサイドに廻した。波が高いので旋回中ローリングした。ピッチングで上下に揺れた。
船客たちは、叫び声や弾薬箱を持って走る兵隊の慌しい足音を聞いた。デッキが真下に見える二階の船客たちがパニックし始めた。揺れる船…恐い顔で甲板を走る兵隊…何か深刻な事件が起きると感じていた。
船長が船内放送のPAシステムを使って船客にアナウンスしようとした。だが、PAは作動しなかった。こんなことは初めてだ。船長がマーフィー一等航海士の目を不思議といった表情で覗いた。マーフィーも怪訝な顔をしていた。マーフィーは下士官のひとりを大食堂に送った。
その下士官が大食堂に入って来た。そして、不安に怯えている船客たちに叫んだ。
「どうか船室へ戻って下さい。そしてドアの鍵を内側からロックして下さい」
「質問してもいいですか?一体、何が起きたのですか?」老いた紳士が下士官に訊ねた。
「海賊です!われわれは間もなく海賊と対峙する。英国海軍の警備隊が乗船していますから、ご心配は無要です。すぐに終わります。どうか、キャビンに戻って下さい」
大英帝国武器廠が造ったチェコ式軽機関銃ブレンが運ばれてきた。二基が船首に~右舷に二基~左舷に二基、合計六基の七・七ミリ・ブレン軽機銃が甲板に据えられた。機銃手たちが尻を甲板に下ろしてボルトを引いた。警備隊長の「撃ち方はじめ!」の命令を待っていた。艦橋から二隻のPTボートが裸眼で見えた。ビクトリア号から三千メートルの距離に接近していた。
「命令があるまで撃つな!」赤ひげは訓練の行き届いた兵隊を信頼していた。
「少尉殿、奴らも機関銃を船首に据えている」とマーフィーが指差していた。
「波が高い海上では、PTボートの機関銃は不安定で的に当たらない。脅威ではない。千五百メートルに近付いたら、警告射撃を数発撃つ」
少尉の冷静な声に自信があった。
ミッテントロッター夫人、アンナ、チャーリーとBBは大食堂を出るところだった。四人は、キャビンへ戻る人々の後列にいた。そのとき、あのキッチンの大扉が開いたのだ。船客たちは、背の高い細身の英国人を見た。ロンドン訛りのコックニーを話す男が、六人のインド人の男たちと現れた。その男たちは、みんな日本軍のピストル、ナンブ拳銃を手に持っていた。六人のガンマンらは、大声を上げて後列の人々を人質に取った。
大食堂の反乱は艦橋の船長たちに伝わった。クルーの間に混乱が生じた。マーフィーがデスクの引き出しから英国製のブルドッグ四十五口径リボルバーを取り出していた。そして弾丸を六発、装填した。士官の計画は、コックニーを射殺することであった。BBDリボルバーは銃身が短く弾薬が大きい。至近距離から撃てば轟音が耳をつんざく。――ボスのコックニーを排除すれば、あとのギャングは手を挙げるだろう…
だが、この計画は一瞬にして頓挫した。コックニーが率いる四人の盗賊が船長室に押し入って、コックニーがナンブ拳銃をウエイクフィールド船長の右耳に押し付けたのである。船長の背筋に戦慄が走った。 マーフィーは、盗賊たちに拳銃を気着かれないようにした。後ろに手を廻して、慎重にブルドッグをズボンと尻の間に差しこんだ。二人の盗賊が人質を連れてデッキに出てきた。その人質の中にミス・グリフィスがいるのが見えた。教師でマーフィーの恋人が…ミス・グリフィスは恐怖に慄いていた。マーフィーはミッテントロッターの家族が人質の中にいるのを見た。
コックニーがデッキに降りた。武器を持った警備兵を見た。兵隊は二十人である。
「武器を捨てろ!捨てないなら、この少女を海に投げ込む!」
コックニーがアンナの腕を掴んだ。マーフィーは、その瞬間を逃がさなかった。ブルドッグをズボンの後ろから抜いた。その瞬間、乾いた破裂音が聞こえた。デッキの人質たちは凍ったように立ちすくんだ。その空気を裂く音はデッキの上から聞こえた。ライフルを持ったインド人の盗賊が階段に立っているのが見えた。その男が二発目を装填する引き金の音がした。マーフィー一等航海士が死んだ。ミス・グリフィスが目を覆って悲鳴を上げた。ウエイクフィールド船長が――警備兵たちに抵抗しないように命じた。兵隊は、ブレン軽機関銃、ライフル、ピストル…全ての武器を海中に投げた。
二隻のPTボートが左舷の海面に着いた。盗賊たちがデッキから網梯子を投げた。六人のインド人が登ってきた。どれも、スカーフで覆面をしている。写真に撮られてはまずいからである。チャーリーは、男たちのふくらはぎを見ていた。赤松の根っこを思わせる筋肉をしていた。アンナとBBは恐怖に震えて抱き合っていた…彼女たちは生まれて初めて海賊に面していたのである。海賊が船客にデッキに出るように命じた。キャビンに入って、宝石や現金を袋に詰めた。船客たちはコックニーのふてぶてしい態度を恐れた。コックニーは価値があると思われる男女を選んだ。船客たちは怯えた――この男は宝石だけが目当てではない。人浚いなのだと判ったのである。
二十分ほどで人選が終わった。十五歳から十八歳ぐらいの十八人のインド人の少年少女が網梯子を下りるように命令された。子供たちはPTボートに乗せられた。コックニーがミッテントロッター夫人と子供たちを見ていた。浚う価値があるかどうかと…コックニーが横の子分に、反って尖がった顎をしゃくった。ミッテントロッター夫人がアンナの腕を掴んだ。BBはチャーリーの腕を掴んだ。
コックニーが、アンナとチャーリーを母親とメイドから離すように子分に命じた。子供たちは一台のPTボートに、夫人とBBはもう一台のボートに乗せられたのである。海賊のボスがコックニーと口論をしていた。そのインド人の頭目は、英国人とそのメイドを浚うことを躊躇っていた。
「白人を売るのはダメだ。イギリスは軍隊を送る。俺たちは、イギリス海軍に追い回される。皆殺しにされる」海賊のボスとコックニーはヒンズー語で話していた。
「こいつらはカネになる」とコックニーが言い返した。
BBがミッテントロッター夫人に何が起きているのか耳打ちしていた。
「BB、この男たちにおカネはいくらでも払う。子供たちと別れたくないと言っておくれ」
BBがコックニーに懇願した。細身の英国人はニヤニヤと笑っていた。
二台のPTボートがクイーン・ビクトリア号の舷側を離れた。轟音と黒い煙りと共に走り去った。一九四十七年、十月下旬のある日、〇六〇〇PMのことだった。
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新連載「胡椒の王様」 |
第二章
最初にゴアの岬の灯台を見つけたのはチャーリーだった。「アンナ…アンナ、こっちへ来て。あそこに灯台が見える。てっ辺にランプがグルグル廻っている」とチャーリーが興奮していた。
「灯台は見えるけど、霧が深くて町の灯が見えないわ。ゴアはどこにあるのかしら?」
船長の声が船内に張り巡らしたスピーカーで聞こえてきた。――私はウエイクフィールド船長です。ゴアの埠頭に一時間で到着します。ご一家に付き、二日間宿泊するだけの所持品をひとつのトランクに詰めて下さい。その他のトランクは船内に残して下さい。サンキュー。
BBが腕時計を見た。二十歳になった誕生日にミッテントロッター夫人が贈ったものだ。BBは、白いエナメルの文字盤とカチカチと動く黒い秒針を見飽きることがなかった。四人は右舷に立ってタラップが取り付けられるのを待っていた。埠頭には何百もの人力車、荷車、それを牽くロバの群れが見えた。馬車の轍の音と御者の掛け声が聞こえた。埠頭はエネルギーに満ちていた。ホテルが一〇〇組のファミリー、合計で五〇〇人の船客の移動に用意したのだ。
船客たちは行列を作った。先頭のミッテントロッターがタラップを降り始めた。BBが前の一台に、チャーリーとアンナが後ろの一台に乗り込んだ。トランクは馬車で運ばれた。これだけの人々が整然と行動していた。イギリス人は自分の番が来るまでじっと待った。これが先進国英国のマナーなのだ。小雨が降り出していた。車夫たちが幌を引っ張ってスナップした。幌の隙間から雨が降り込んできて座席を濡らした。車夫が「ソーリー」と言った。トランク、帽子の入った箱、手提げ袋は馬車に積まれて後ろからついてきた。人力車と馬車がパレードを造っていた。舗装がない時代のインドの道は激しさを増した雨にぬかった。チャーリーは好奇心の塊だった。家鴨の群れが道を横切ると奇声を上げ、ホテルが見えてくると立ち上がった。アンナが座らせようと手を引っ張った。ガタガタ道のキャラバンは三十分で、バスコ・ダ・ガマ・ホテルの円形の玄関に着いた。車夫が幌を開けるとチャーリーが飛び降りた。ミッテントロッター夫人が微笑していた。ゴアはインドの富裕な町のひとつと知られていた。その富の源泉は、紅茶農園、ココナッツ農園、綿農園とゴム農園が稼ぐ英国ポンドであった。
ホテルの三〇六号室のドアをノックする音が聞こえた。BBがドアを開けるとホテルの従業員が箱に入った長いローソクを手に持って立っていた。
「マダーム、今夜はローソクが必要になります。窓のシャッターに鍵を掛けても良いでしょうか?」と言った。外の雨は豪雨に変わっていた。窓を打ちつける雨が滝になっていた。風が舞う音が聞こえた。クラシックな造りのホテルの木製の窓が音を立てた。アンナとチャーリーは庭園に面する窓の外を見ていた。
「お母さま、あの赤い花を見て!前に見たことがないわ。あんなに多く咲いている…」アンナは生命のソフトな一面に魅入られていた。
「ハリケーンの百合(ゆり)という花なのよ。台風の季節に咲くから。日本人は、曼珠沙華って呼んでるわ。十日ぐらいで花は首からポトンと落ちるのよ」とミッテントロッター夫人が言った。
「この妖しい赤い花が闇の中に咲いているのを見ると、背筋がぞっとするわ。お墓の周りや鉄道の線路際に咲くのよ」とBBが身震いをしていた。
「何か不吉なことが起きる予兆だと信じられているのよ」と母親は窓際に行って、妖しい赤い花を見詰めている子供たちに言った。
「不吉の予兆ですって?」とBBが呟いた。若いインド人の女性は未知の将来に慄いていた。
そのとき、テーブルの電話が鳴った。BBが受話器を取って夫人に渡した。ミッテントロッター卿からだった。彼はクイーン・ビクトリア号が、台風が上陸するバスコ・ダ・ガマに入ったことを知っていた。卿は妻と子供たちを心配していた。
「あなた、心配要らないわ。このホテルは、とても安全なの。嵐が過ぎるまでホテルから出ないのよ。汽船会社も船長さんも、私たち船客を第一に考えて下さっているの」
夫人は電話を掛けてきた夫を愛していた。
「子供たちは船旅を楽しんでるわ。今夜やってくる台風にまで興奮してるのよ。ローソクの光がロマンチックなんだって 」
それを聞いたミッテントロッター卿がクスクスと笑った。自分が子供だった頃を想い出していたのだ。
真夜中に近くなっていた。夫々の部屋のベッドにもぐり込んだ。夫人は、アンナとチャーリーにマスターベッドルームを与えた。一緒に寝るためである。姉弟は、灯台や埠頭の光景を想い出していた。百台はあった人力車…道路を横切った家鴨の一家…妖しい赤い花…興奮が冷めなかった。姉と弟は毛布の中で話していた。夫人は子供たちがゲチャゲチャ笑うのを聞いた。
「お母さま、チャーリーが私の胸に触るの。ダメって言って」
「ローソクを消しなさい。静かに寝なさい」が母親の応えであった。嵐の吹く夜は良く眠れる。安全な環境なら、これほど平和な時間はない。ボンベイの邸宅だと、家族が一緒に寝るなんてことは起きないからである。屋根から落ちる雨音は最高の子守唄なのだ。
朝八時にドアがノックされた。ボーイたちが入ってきた。アール・グレーの紅茶、熱々のホットチョコレートの甘い香りが部屋に充ちた。若い方の給仕がカーテンを開けて、シャッターのロックを外した。冷えた風が吹き込んできた。チャーリーが窓際に走って行った。波が岩礁に打ち砕ける音が聞こえた。チャーリーは、そぼ降る雨の中で曼珠沙華が咲いてるのを見た。
「マダーム、リタは、午後には北へ移動します。朝食のバフェは緑の部屋です。十時きっかりに閉まります」と若い給仕がミッテントロッター夫人に伝えた。朝食と聴くや否や、チャーリーは、既に片足をズボンに入れていた。バフェまで聴いていなかった。アンナとBBが笑った。チャーリーは、いつも腹が減っていた。少年は日々に育っていたから。朝食はチャーリーの最も好きな時間なのである。
「バスコ・ダ・ガマの埠頭を出航する時間は、〇八〇〇です。お持ちのお荷物を今夜の九時までにドアの外へ出して下さい。それでは、みなさん、バスコ・ダ・ガマの最後の夜を楽しんで下さい。サンキュー」と付け加えた。
夜明けに、再び人力車と馬車のパレードが始まった。六百五十人を運ぶ人力車が不足していた。従業員やクルーは馬車に乗って先に埠頭へ行っていた。ボンベイを出てから海も空もどんよりと灰色だったが、埠頭に着いたころ、東から朝陽が昇ってきた。今朝は秋空のように空が高く青かった。波は高く波頭が白かった。だが、荒々しくはなかった。クイーン・ビクトリア号は揺れていた。タラップがギシギシと鳴った。その揺れるタラップをチャーリーが駆け上って行った。
「おはよう。チャーリー」と一等航海士が船客を迎えた。
「おはよう。ミスター・マーフィー」
「おはようございます。私が、みなさまをキャビンへご案内さし上げます」
英国人の客室係りの英語には強い訛りがあった。アンナでも聞き取れなかった。それに、この背が高い男に見覚えがなかった。――ゴアで乗り込んだ従業員なのだろうと思った。ミッテントロッター夫人が男にチップを与えた。BBが大きな革製のトランクを男に渡した。美貌のインド人女性を男はジロジロと見た。そして笑い顔になった。お宝を見つけたという顔であった。
「マダーム、朝食は一等船客用食堂で十時にサービスされます。お早めに行かれることを勧めます。一等船客も増えていますので混雑すると思います」
訛りのある英語を話す男は、四人に催し物のプログラムを手渡した。プログラムは、大人・子供・女性・男性と目録が分かれていた。チャーリーが船内ツアーという題名を見て喜んだ。機関室、船長室。――機関室は見学するに値します。繊細なアンナは男の冷笑を含んだ口調を嫌った。背筋が寒くなる口調だったからである。ミッテントロッター夫人が、この男の訛りはコックニーという東ロンドンの訛りだとBBと子供たちに説明した。
バスコ・ダ・ガマを出港したその日の午後二時、一等航海士とミス・グリフィスは六十人の生徒を連れて機関室へ行った。機関室は一番下の三等キャビンの床の下にあった。これが船底なのだ。そのまた下は荒海なのだ。見学者たちは橋梁から恐る恐る下の機関室を見ていた。動いているものはどこにもなく、意外に静かだった。エンジンと思われる鉄で出来た巨大な円筒が三本並んでいた。その上に鉄の梯子があった。その梯子を作業員が上って行くのが見えた。一等航海士のマーフィー士官がその人を指さした。
「あの人が私たちの機関長さんです」その声を聞いた機関長がキャットウォークを見上げて手を振った。「タービンが三本並んでいます。この船にはスクリュウが三本付いているからです」と機関長が唸りを上げるタービンに負けない大声で言った。十人ほどの作業員が配置された箇所を点検していた。彼らは、円筒の上、横、床に穿ってある穴にインチラッパで油を差していた。蒸気タービンはバランスが良いので振動もなかった。チャーリーは生まれて始めて蒸気タービンを見た。少年は耳と目も全開にして、一部も見過ごさなかった。機関長が、子供たちがいる橋梁に上がって来た。チャーリーが手を挙げた。
「機関長さん…どうして蒸気がこの大型汽船を二十七ノットで走らせることが出来るのですか?」
「お若い人、なかなか良い質問ですよ」と機関長はチャーリーの好奇心を褒めた。そして、物理学の方程式を黒板に書いた。――なんて、不思議な文字だろう…勿論、何のことか分らなかった。
機関長が湯沸かし器を助手から受け取って持ち上げた。
「これは何ですか?」
「湯沸し」子供たちが一斉に答えた。
「このコードをコンセントに繋ぐと何が起きますか?」
「ポットの中の水が沸く」とひとりの少女が答えた。
「どうして、沸騰したのか判るの?」
「ポットの口がヒュウヒュウと音を立てて、蒸気が噴出すからです」同じ少女が答えた。
「正解です」と機関長が言うと助手が紙の風車を手渡した。機関長が風車に息を吹きかけた。風車が廻った。強く吹けば、速く廻り、弱く吹けば、ゆっくりと廻った。
子供たちは、蒸気タービンの仕組みを何となく理解した。――タービンとは風車のことで、蒸気の力で廻るのだと…
「蒸気タービンが発電機を廻して電気になる。その電気がモーターを廻す。そのモーターがプロペラを廻す」
機関長が、蒸気タービンは、一八八四年にイギリス人技師が開発したのですと言うと、イギリス人の少年少女は胸を張った。インド人の子供たちも、ヨーロッパの子供たちもイギリス人の英知に拍手した。
最初にゴアの岬の灯台を見つけたのはチャーリーだった。「アンナ…アンナ、こっちへ来て。あそこに灯台が見える。てっ辺にランプがグルグル廻っている」とチャーリーが興奮していた。
「灯台は見えるけど、霧が深くて町の灯が見えないわ。ゴアはどこにあるのかしら?」
船長の声が船内に張り巡らしたスピーカーで聞こえてきた。――私はウエイクフィールド船長です。ゴアの埠頭に一時間で到着します。ご一家に付き、二日間宿泊するだけの所持品をひとつのトランクに詰めて下さい。その他のトランクは船内に残して下さい。サンキュー。
BBが腕時計を見た。二十歳になった誕生日にミッテントロッター夫人が贈ったものだ。BBは、白いエナメルの文字盤とカチカチと動く黒い秒針を見飽きることがなかった。四人は右舷に立ってタラップが取り付けられるのを待っていた。埠頭には何百もの人力車、荷車、それを牽くロバの群れが見えた。馬車の轍の音と御者の掛け声が聞こえた。埠頭はエネルギーに満ちていた。ホテルが一〇〇組のファミリー、合計で五〇〇人の船客の移動に用意したのだ。
船客たちは行列を作った。先頭のミッテントロッターがタラップを降り始めた。BBが前の一台に、チャーリーとアンナが後ろの一台に乗り込んだ。トランクは馬車で運ばれた。これだけの人々が整然と行動していた。イギリス人は自分の番が来るまでじっと待った。これが先進国英国のマナーなのだ。小雨が降り出していた。車夫たちが幌を引っ張ってスナップした。幌の隙間から雨が降り込んできて座席を濡らした。車夫が「ソーリー」と言った。トランク、帽子の入った箱、手提げ袋は馬車に積まれて後ろからついてきた。人力車と馬車がパレードを造っていた。舗装がない時代のインドの道は激しさを増した雨にぬかった。チャーリーは好奇心の塊だった。家鴨の群れが道を横切ると奇声を上げ、ホテルが見えてくると立ち上がった。アンナが座らせようと手を引っ張った。ガタガタ道のキャラバンは三十分で、バスコ・ダ・ガマ・ホテルの円形の玄関に着いた。車夫が幌を開けるとチャーリーが飛び降りた。ミッテントロッター夫人が微笑していた。ゴアはインドの富裕な町のひとつと知られていた。その富の源泉は、紅茶農園、ココナッツ農園、綿農園とゴム農園が稼ぐ英国ポンドであった。
ホテルの三〇六号室のドアをノックする音が聞こえた。BBがドアを開けるとホテルの従業員が箱に入った長いローソクを手に持って立っていた。
「マダーム、今夜はローソクが必要になります。窓のシャッターに鍵を掛けても良いでしょうか?」と言った。外の雨は豪雨に変わっていた。窓を打ちつける雨が滝になっていた。風が舞う音が聞こえた。クラシックな造りのホテルの木製の窓が音を立てた。アンナとチャーリーは庭園に面する窓の外を見ていた。
「お母さま、あの赤い花を見て!前に見たことがないわ。あんなに多く咲いている…」アンナは生命のソフトな一面に魅入られていた。
「ハリケーンの百合(ゆり)という花なのよ。台風の季節に咲くから。日本人は、曼珠沙華って呼んでるわ。十日ぐらいで花は首からポトンと落ちるのよ」とミッテントロッター夫人が言った。
「この妖しい赤い花が闇の中に咲いているのを見ると、背筋がぞっとするわ。お墓の周りや鉄道の線路際に咲くのよ」とBBが身震いをしていた。
「何か不吉なことが起きる予兆だと信じられているのよ」と母親は窓際に行って、妖しい赤い花を見詰めている子供たちに言った。
「不吉の予兆ですって?」とBBが呟いた。若いインド人の女性は未知の将来に慄いていた。
そのとき、テーブルの電話が鳴った。BBが受話器を取って夫人に渡した。ミッテントロッター卿からだった。彼はクイーン・ビクトリア号が、台風が上陸するバスコ・ダ・ガマに入ったことを知っていた。卿は妻と子供たちを心配していた。
「あなた、心配要らないわ。このホテルは、とても安全なの。嵐が過ぎるまでホテルから出ないのよ。汽船会社も船長さんも、私たち船客を第一に考えて下さっているの」
夫人は電話を掛けてきた夫を愛していた。
「子供たちは船旅を楽しんでるわ。今夜やってくる台風にまで興奮してるのよ。ローソクの光がロマンチックなんだって 」
それを聞いたミッテントロッター卿がクスクスと笑った。自分が子供だった頃を想い出していたのだ。
真夜中に近くなっていた。夫々の部屋のベッドにもぐり込んだ。夫人は、アンナとチャーリーにマスターベッドルームを与えた。一緒に寝るためである。姉弟は、灯台や埠頭の光景を想い出していた。百台はあった人力車…道路を横切った家鴨の一家…妖しい赤い花…興奮が冷めなかった。姉と弟は毛布の中で話していた。夫人は子供たちがゲチャゲチャ笑うのを聞いた。
「お母さま、チャーリーが私の胸に触るの。ダメって言って」
「ローソクを消しなさい。静かに寝なさい」が母親の応えであった。嵐の吹く夜は良く眠れる。安全な環境なら、これほど平和な時間はない。ボンベイの邸宅だと、家族が一緒に寝るなんてことは起きないからである。屋根から落ちる雨音は最高の子守唄なのだ。
朝八時にドアがノックされた。ボーイたちが入ってきた。アール・グレーの紅茶、熱々のホットチョコレートの甘い香りが部屋に充ちた。若い方の給仕がカーテンを開けて、シャッターのロックを外した。冷えた風が吹き込んできた。チャーリーが窓際に走って行った。波が岩礁に打ち砕ける音が聞こえた。チャーリーは、そぼ降る雨の中で曼珠沙華が咲いてるのを見た。
「マダーム、リタは、午後には北へ移動します。朝食のバフェは緑の部屋です。十時きっかりに閉まります」と若い給仕がミッテントロッター夫人に伝えた。朝食と聴くや否や、チャーリーは、既に片足をズボンに入れていた。バフェまで聴いていなかった。アンナとBBが笑った。チャーリーは、いつも腹が減っていた。少年は日々に育っていたから。朝食はチャーリーの最も好きな時間なのである。
「バスコ・ダ・ガマの埠頭を出航する時間は、〇八〇〇です。お持ちのお荷物を今夜の九時までにドアの外へ出して下さい。それでは、みなさん、バスコ・ダ・ガマの最後の夜を楽しんで下さい。サンキュー」と付け加えた。
夜明けに、再び人力車と馬車のパレードが始まった。六百五十人を運ぶ人力車が不足していた。従業員やクルーは馬車に乗って先に埠頭へ行っていた。ボンベイを出てから海も空もどんよりと灰色だったが、埠頭に着いたころ、東から朝陽が昇ってきた。今朝は秋空のように空が高く青かった。波は高く波頭が白かった。だが、荒々しくはなかった。クイーン・ビクトリア号は揺れていた。タラップがギシギシと鳴った。その揺れるタラップをチャーリーが駆け上って行った。
「おはよう。チャーリー」と一等航海士が船客を迎えた。
「おはよう。ミスター・マーフィー」
「おはようございます。私が、みなさまをキャビンへご案内さし上げます」
英国人の客室係りの英語には強い訛りがあった。アンナでも聞き取れなかった。それに、この背が高い男に見覚えがなかった。――ゴアで乗り込んだ従業員なのだろうと思った。ミッテントロッター夫人が男にチップを与えた。BBが大きな革製のトランクを男に渡した。美貌のインド人女性を男はジロジロと見た。そして笑い顔になった。お宝を見つけたという顔であった。
「マダーム、朝食は一等船客用食堂で十時にサービスされます。お早めに行かれることを勧めます。一等船客も増えていますので混雑すると思います」
訛りのある英語を話す男は、四人に催し物のプログラムを手渡した。プログラムは、大人・子供・女性・男性と目録が分かれていた。チャーリーが船内ツアーという題名を見て喜んだ。機関室、船長室。――機関室は見学するに値します。繊細なアンナは男の冷笑を含んだ口調を嫌った。背筋が寒くなる口調だったからである。ミッテントロッター夫人が、この男の訛りはコックニーという東ロンドンの訛りだとBBと子供たちに説明した。
バスコ・ダ・ガマを出港したその日の午後二時、一等航海士とミス・グリフィスは六十人の生徒を連れて機関室へ行った。機関室は一番下の三等キャビンの床の下にあった。これが船底なのだ。そのまた下は荒海なのだ。見学者たちは橋梁から恐る恐る下の機関室を見ていた。動いているものはどこにもなく、意外に静かだった。エンジンと思われる鉄で出来た巨大な円筒が三本並んでいた。その上に鉄の梯子があった。その梯子を作業員が上って行くのが見えた。一等航海士のマーフィー士官がその人を指さした。
「あの人が私たちの機関長さんです」その声を聞いた機関長がキャットウォークを見上げて手を振った。「タービンが三本並んでいます。この船にはスクリュウが三本付いているからです」と機関長が唸りを上げるタービンに負けない大声で言った。十人ほどの作業員が配置された箇所を点検していた。彼らは、円筒の上、横、床に穿ってある穴にインチラッパで油を差していた。蒸気タービンはバランスが良いので振動もなかった。チャーリーは生まれて始めて蒸気タービンを見た。少年は耳と目も全開にして、一部も見過ごさなかった。機関長が、子供たちがいる橋梁に上がって来た。チャーリーが手を挙げた。
「機関長さん…どうして蒸気がこの大型汽船を二十七ノットで走らせることが出来るのですか?」
「お若い人、なかなか良い質問ですよ」と機関長はチャーリーの好奇心を褒めた。そして、物理学の方程式を黒板に書いた。――なんて、不思議な文字だろう…勿論、何のことか分らなかった。
機関長が湯沸かし器を助手から受け取って持ち上げた。
「これは何ですか?」
「湯沸し」子供たちが一斉に答えた。
「このコードをコンセントに繋ぐと何が起きますか?」
「ポットの中の水が沸く」とひとりの少女が答えた。
「どうして、沸騰したのか判るの?」
「ポットの口がヒュウヒュウと音を立てて、蒸気が噴出すからです」同じ少女が答えた。
「正解です」と機関長が言うと助手が紙の風車を手渡した。機関長が風車に息を吹きかけた。風車が廻った。強く吹けば、速く廻り、弱く吹けば、ゆっくりと廻った。
子供たちは、蒸気タービンの仕組みを何となく理解した。――タービンとは風車のことで、蒸気の力で廻るのだと…
「蒸気タービンが発電機を廻して電気になる。その電気がモーターを廻す。そのモーターがプロペラを廻す」
機関長が、蒸気タービンは、一八八四年にイギリス人技師が開発したのですと言うと、イギリス人の少年少女は胸を張った。インド人の子供たちも、ヨーロッパの子供たちもイギリス人の英知に拍手した。
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胡椒の王様
英国の皇族は英連邦王国の君主の血縁と近縁を含む。皇族の定義において、誰々は皇族で、誰々は皇族でないという厳格な法律はない。皇族のリストの中には、まったく皇族とは思われない人々も混じっている。しかしながら、「女王陛下」「国王陛下」「卿」と尊称される人々は明らかに王室に属する貴族である。ミッテントロッターは、そういう人々であった…
第一章
四人が桟橋からビクトリア女王号の舷側に取り付けられたタラップ(舷門)を上って行った。ビクトリア女王号は英国のキューナード汽船会社が所有する最新の客船である。ボンベイの港はインドで最大の港で、その水深が深かった。長距離航海用の豪華船は四号埠頭につながれていた。出航時刻は、一九四七年十月、この日の0930であった。
「ロープをしっかり掴んで…タラップが揺れますから」とアイロンのかかった白い制服の一等航海士がチャーリーに注意した。一等航海士は英国海軍の襟章を着けていた。一等航海士は大英帝国海軍の士官学校を出ていたからだ。
「アイアイサー」ショートの釣りズボンを履いたチャールスがタラップを駆け上って行った。少年は甲板に降りると背筋を伸ばして士官に敬礼をした。士官は、にっこりと笑って敬礼を返した。チャールスの三メートルほど後ろから少女がリュックサックを腕に持って上ってきた。チャールスの姉のアンである。士官はタラップを数歩降りてアンの腕からリュックを取った。二人の子供の母親が「幸せがいっぱい」という笑顔で上ってきた。その後ろにインド人の若い女性が続いた。二人の子供の子守りである。女性は美貌であった。
甲板に立った四人は埠頭に立っている中年の紳士に向かって、手が千切れるほど振った。その紳士は手入れの行き届いた白いスポーツジャケットに白いキャンバスの帽子を被っていた。彼は、英国領インドの最後のボンベイの知事であった。当時のインドは英国インド帝国「英国領ラジ」と呼ばれていた。つまり国ではなかったのである。その紳士は英国人女性の夫であり、二人の子供の父親であった。甲板では、乗組員がロープを解いていた。クイーン・ビクトリア号は長い汽笛を鳴らすと埠頭を数センチ離れて海へ向かって動いた。黒いペンキで塗られた船体は光っており、三階建ての客室が白雪を被ったように眩しかった。豪華船はインドの西海岸に沿って、三百六十海里南のバスコ・ダ・ガマに向かった。その名は、十六世紀、ポルトガルの探検家バスコ・ダ・ガマがアフリカの喜望峰を廻ってインドの西海岸に到着したことが由来なのである。だが、インド人はゴアと呼んでいた。この一九四七年の十月の日、朝露(あさつゆ)がボンベイ湾をすっぽりと包んでおり、風がうなりを上げて甲板に吹き付けていた。
チャールスは十歳、アンは十三歳、母親は三十六歳そして、子守り女のBBは二十歳であった。アンは、チャールスを「チャーリー」と呼び、チャールスは、姉を「アンナ」と呼んでいた。普段、母親は愛称を認めなかったが、この長い航海の間、子供たちに一定の自由を与えることにしていた。チャーリーとアンナは船上の他の子供たちと同じように扱われたかった。彼らは、英国王室の血縁であることを知られたくなかったのである。
ミッテントロッター卿は妻と子供たちがボンベイに留まることに不安を持っていた。インドにおける大英帝国の外交官の生活環境はインド人たちと同様に急速に危険なものに変化していた。インド大陸の全土で暴動が起きていた。彼の家族は厳しい現実から守られた生活を楽しんできた。卿は家族をイギリスへ帰す決心をした。彼は、愛する家族をクイーン・ビクトリア号で祖国イギリスへ戻すプランを選んだ。良き想い出になるように…十月はインド洋によく台風が発生した。だが、キューナード汽船会社の支配人は、十月半ばを過ぎたから台風は比較的におとなしい。ご心配は無用ですと言った。
チャーリーとアンナは船内のプラネタリュームに集合した子供たちの中にいた。太陽系の惑星と航海ルートを勉強することになっていたのである。
「アンナ、地球って姉妹惑星に比べて凄く小さいね。見て、火星なんか見えないぐらい小さい星だよ」とアンナに囁いた。
「イエス、チャーリー、でも、地球は他のどの惑星よりも水が多い星なのよ。木星が一番大きい惑星だけど水がないの。土星はほとんどガスで出来ているんだって…と姉のアンナはイギリスの小学校で習った知識を弟のチャーリーに教えた。
イギリス人女性の教師がステージに上がった。
「それでは、一等航海士のマーフィー士官に英国へ行くルートを説明して頂きます」
クイーン・ビクトリア号の一等航海士は選びに選ばれた人である。イギリスの船員たちの羨望の的なのだ。まず、大英帝国海軍大学校の出身であること。ハンサムであること。肉体が健康であること…さらに背が高いこと…もっとも重要なのが、正しい英語を話すことなのである。その背の高いハンサムな一等航海士は、ミス・グリフィスが熱い視線を投げたことを知りながら投射機のスイッチを押した。銀幕に地図が映し出された。
「もうみなさんはご存知だと思いますが、このクイーン・ビクトリア号はわが社が持つ長距離クルーザーでは一番小型の客船なのです。クルーを含めて八百人の収容力があります。どうして、今回の航海にそんな小さな船を選んだと思いますか?君はどう思う?」と最前列で目を大きく開いて聞いていたチャーリーを指差した。チャーリーは立ち上がった。
「ボクたちは紅海とスエズ運河を通ります。紅海もスエズ運河も底は深いけど幅が狭くて混雑するところだとボクのお父さまが教えてくれました」
子供たちは「お父さま」と言った少年の顔を不思議そうに見た。
「素晴らしい答えです。君は素晴らしい船員になれます。ボンベイからロンドンまで 三〇九二海里あります。この経路で二十八日間、航海します」
歓喜の拍手が起こった。子供たち全員が笑っていた。
ミッテントロッターの一等船室は、長椅子のある広い居間、マスターベッドルーム、少し小さいベッドルーム二つと豪華な化粧室が配置されていた。四人は朝の九時にはみんな起きていた。アンナがシャワーを浴びていた。チャーリーは、母親がトランクから取り出した長ズボンと白いシャツに着替えた。チャーリーが、居間へ歩いて行った。子守りのインド人女性の部屋の前を通るとドアが半開きになっていた。彼女が豊かな黒髪を櫛で梳いているのが見えた。チャーリーは――彼女は美しいと思った。彼女はまだ寝巻き姿だった。チャーリーは、ミスBBの豊かな胸を見詰めた。彼女はチャーリーが自分を凝視しているのを感じてドアを閉めた。ミスBBは、彼女の花のつぼみが開くような体に少年が惹かれているのを知っていた。調度、ミス・BBがドアを閉めたときアンナが化粧室から出てきた。アンナは、ドアの前に立っているチャーリーを優しく手の平で押した。
ミッテントロッター夫人が、彼女のベッドルームの開いたドアから全てを見ていた。そして微笑した。――何と娘のアンは成長したのだろう…と思った。アンは幼い弟に対して母性を見せたのである。

スーパーで「パンパノ」という魚を買った。アタマが丸く、ウロコがない。マナガツオに似ていた。辞書を引くと「コバンアジ」と言うらしい。中国料理にしたら、うま~い。白身でやわらかいので、スプーンで掬って食べた。これの2倍ぐらいのがあったが分からないので小さいのを選んだ。次はデッカイのを焼くよ。伊勢
英国の皇族は英連邦王国の君主の血縁と近縁を含む。皇族の定義において、誰々は皇族で、誰々は皇族でないという厳格な法律はない。皇族のリストの中には、まったく皇族とは思われない人々も混じっている。しかしながら、「女王陛下」「国王陛下」「卿」と尊称される人々は明らかに王室に属する貴族である。ミッテントロッターは、そういう人々であった…
第一章
四人が桟橋からビクトリア女王号の舷側に取り付けられたタラップ(舷門)を上って行った。ビクトリア女王号は英国のキューナード汽船会社が所有する最新の客船である。ボンベイの港はインドで最大の港で、その水深が深かった。長距離航海用の豪華船は四号埠頭につながれていた。出航時刻は、一九四七年十月、この日の0930であった。
「ロープをしっかり掴んで…タラップが揺れますから」とアイロンのかかった白い制服の一等航海士がチャーリーに注意した。一等航海士は英国海軍の襟章を着けていた。一等航海士は大英帝国海軍の士官学校を出ていたからだ。
「アイアイサー」ショートの釣りズボンを履いたチャールスがタラップを駆け上って行った。少年は甲板に降りると背筋を伸ばして士官に敬礼をした。士官は、にっこりと笑って敬礼を返した。チャールスの三メートルほど後ろから少女がリュックサックを腕に持って上ってきた。チャールスの姉のアンである。士官はタラップを数歩降りてアンの腕からリュックを取った。二人の子供の母親が「幸せがいっぱい」という笑顔で上ってきた。その後ろにインド人の若い女性が続いた。二人の子供の子守りである。女性は美貌であった。
甲板に立った四人は埠頭に立っている中年の紳士に向かって、手が千切れるほど振った。その紳士は手入れの行き届いた白いスポーツジャケットに白いキャンバスの帽子を被っていた。彼は、英国領インドの最後のボンベイの知事であった。当時のインドは英国インド帝国「英国領ラジ」と呼ばれていた。つまり国ではなかったのである。その紳士は英国人女性の夫であり、二人の子供の父親であった。甲板では、乗組員がロープを解いていた。クイーン・ビクトリア号は長い汽笛を鳴らすと埠頭を数センチ離れて海へ向かって動いた。黒いペンキで塗られた船体は光っており、三階建ての客室が白雪を被ったように眩しかった。豪華船はインドの西海岸に沿って、三百六十海里南のバスコ・ダ・ガマに向かった。その名は、十六世紀、ポルトガルの探検家バスコ・ダ・ガマがアフリカの喜望峰を廻ってインドの西海岸に到着したことが由来なのである。だが、インド人はゴアと呼んでいた。この一九四七年の十月の日、朝露(あさつゆ)がボンベイ湾をすっぽりと包んでおり、風がうなりを上げて甲板に吹き付けていた。
チャールスは十歳、アンは十三歳、母親は三十六歳そして、子守り女のBBは二十歳であった。アンは、チャールスを「チャーリー」と呼び、チャールスは、姉を「アンナ」と呼んでいた。普段、母親は愛称を認めなかったが、この長い航海の間、子供たちに一定の自由を与えることにしていた。チャーリーとアンナは船上の他の子供たちと同じように扱われたかった。彼らは、英国王室の血縁であることを知られたくなかったのである。
ミッテントロッター卿は妻と子供たちがボンベイに留まることに不安を持っていた。インドにおける大英帝国の外交官の生活環境はインド人たちと同様に急速に危険なものに変化していた。インド大陸の全土で暴動が起きていた。彼の家族は厳しい現実から守られた生活を楽しんできた。卿は家族をイギリスへ帰す決心をした。彼は、愛する家族をクイーン・ビクトリア号で祖国イギリスへ戻すプランを選んだ。良き想い出になるように…十月はインド洋によく台風が発生した。だが、キューナード汽船会社の支配人は、十月半ばを過ぎたから台風は比較的におとなしい。ご心配は無用ですと言った。
チャーリーとアンナは船内のプラネタリュームに集合した子供たちの中にいた。太陽系の惑星と航海ルートを勉強することになっていたのである。
「アンナ、地球って姉妹惑星に比べて凄く小さいね。見て、火星なんか見えないぐらい小さい星だよ」とアンナに囁いた。
「イエス、チャーリー、でも、地球は他のどの惑星よりも水が多い星なのよ。木星が一番大きい惑星だけど水がないの。土星はほとんどガスで出来ているんだって…と姉のアンナはイギリスの小学校で習った知識を弟のチャーリーに教えた。
イギリス人女性の教師がステージに上がった。
「それでは、一等航海士のマーフィー士官に英国へ行くルートを説明して頂きます」
クイーン・ビクトリア号の一等航海士は選びに選ばれた人である。イギリスの船員たちの羨望の的なのだ。まず、大英帝国海軍大学校の出身であること。ハンサムであること。肉体が健康であること…さらに背が高いこと…もっとも重要なのが、正しい英語を話すことなのである。その背の高いハンサムな一等航海士は、ミス・グリフィスが熱い視線を投げたことを知りながら投射機のスイッチを押した。銀幕に地図が映し出された。
「もうみなさんはご存知だと思いますが、このクイーン・ビクトリア号はわが社が持つ長距離クルーザーでは一番小型の客船なのです。クルーを含めて八百人の収容力があります。どうして、今回の航海にそんな小さな船を選んだと思いますか?君はどう思う?」と最前列で目を大きく開いて聞いていたチャーリーを指差した。チャーリーは立ち上がった。
「ボクたちは紅海とスエズ運河を通ります。紅海もスエズ運河も底は深いけど幅が狭くて混雑するところだとボクのお父さまが教えてくれました」
子供たちは「お父さま」と言った少年の顔を不思議そうに見た。
「素晴らしい答えです。君は素晴らしい船員になれます。ボンベイからロンドンまで 三〇九二海里あります。この経路で二十八日間、航海します」
歓喜の拍手が起こった。子供たち全員が笑っていた。
ミッテントロッターの一等船室は、長椅子のある広い居間、マスターベッドルーム、少し小さいベッドルーム二つと豪華な化粧室が配置されていた。四人は朝の九時にはみんな起きていた。アンナがシャワーを浴びていた。チャーリーは、母親がトランクから取り出した長ズボンと白いシャツに着替えた。チャーリーが、居間へ歩いて行った。子守りのインド人女性の部屋の前を通るとドアが半開きになっていた。彼女が豊かな黒髪を櫛で梳いているのが見えた。チャーリーは――彼女は美しいと思った。彼女はまだ寝巻き姿だった。チャーリーは、ミスBBの豊かな胸を見詰めた。彼女はチャーリーが自分を凝視しているのを感じてドアを閉めた。ミスBBは、彼女の花のつぼみが開くような体に少年が惹かれているのを知っていた。調度、ミス・BBがドアを閉めたときアンナが化粧室から出てきた。アンナは、ドアの前に立っているチャーリーを優しく手の平で押した。
ミッテントロッター夫人が、彼女のベッドルームの開いたドアから全てを見ていた。そして微笑した。――何と娘のアンは成長したのだろう…と思った。アンは幼い弟に対して母性を見せたのである。

スーパーで「パンパノ」という魚を買った。アタマが丸く、ウロコがない。マナガツオに似ていた。辞書を引くと「コバンアジ」と言うらしい。中国料理にしたら、うま~い。白身でやわらかいので、スプーンで掬って食べた。これの2倍ぐらいのがあったが分からないので小さいのを選んだ。次はデッカイのを焼くよ。伊勢
10/26 | ![]() |
新連載「胡椒の王様」 |
10/24 | ![]() |
回想録、、 |
10/24 | ![]() |
想い出のハワイ、、 |
1967年の夏、乗客144名を乗せたDC8が羽田を飛び立った。羽田で乗った日本人はたった二人。ベレーをかぶったスチュワデスがまぶしかった。彼女らは余りにも遠い存在だった。後年、スチュワデスと結婚するなんて思いもしなかった。ウエーキ島で軍人を降ろすとホノルルに向かった。昼ホノルルに着いた。飛行時間16時間だった。初めてルートビールを飲んだ。ホノルルの空港からバスでワイキキへ。バスの中、日本人は伊勢ひとり。白人のガールたちは日本の男など見向きもしない。彼女たちは天衣無縫、自信に満ちていて裕福に見えた。25歳の伊勢は圧倒された。ワイキキの北端のカイマナホテルに着いた。片言の英語は通じた。ハム、卵、ハワイアンブレッド、グアバジュースのランチ。早速、海パンを穿いた。海原は透き通るように青かった。海に入った。ワイキキビーチのように白い砂浜ではなく灰色で岩が多かった。ウミガメが伊勢の下を横切った。
みなさん、興味ある?
MEPHIST社長が「のぶさんは回顧録を書くべき」と。海の向こうのアメリカの話しに日本人は関心があるだろうか?伊勢
10/23 | ![]() |
アメリカの女性は大人、、 |
みなさん、このセニアが話したこと分かる?
「齢を取ると耳がよく聞こえない。こないだ、女の人と話していたんだ。彼女が「自分はピーナッツ・アレルギーだと言った。全く、誤解しやすい話しだ」
ーー笑いが起きる、、ピーナス(おちんちん)に聞こえるから。
「彼女に聞いたんだ。ピーナッツを食べるとどうなるの?」
「喉が詰まって、吐き出したくなるのよ」
ーー観衆が大笑い、、
「ドクターは何んて言ってるの?」
「忍耐力を高めるしかないって」
ーー女性たちが大笑い、、
アメリカ女性は若くして大人なんです。日本人なら「なんて下品なジョーク」と怒る人が出る。アメリカ人の性格はよく笑うということです。この女性の持つ明るさが、社会不安が広がる中で救いとなっている。伊勢
10/22 | ![]() |
興味ある展開、、 |
米国のバイデン大統領から次期駐日大使に指名されたラーム・エマニュエル前シカゴ市長(61)は20日、上院外交委員会の指名承認公聴会で証言し、中国との覇権争いに対応するため、日米同盟を多角的に強化する考えを示した。エマニュエルは前シカゴ市長で、オバマの特別アドバイザーとなった。年齢わずか48歳だった。現在、61歳。
駐日アメリカ大使の役割、、
ブッシュ8年間の駐日アメリカ大使を記憶してますか?名前も記憶してないでしょ?ブッシュと言えば、イラク戦争。日本のパートナーは小泉。東京駐在のカロライン・ケネデイ大使はガラスの箱に入れられた人形だった。カロラインはオツムも悪かった。オバマの日本大使はオバマの選挙資金最大の献金者だった。シリコンバレーの富豪ということで期待されたがこの人も印象が弱かった。トランプの駐日大使など誰も覚えていない。
三銃士、、
アントニ・ブリンケン 米国務長官 59歳 ハンガリー・ユダヤ人 叔父さんはホロコーストの生き残り。外交官の家系。出版業で裕福。
ニコラス・バーンズ 駐中国アメリカ大使 65歳 ハーバード大学 外交専門教授。
ラーム・エマニュエル 駐日アメリカ大使 61歳 父親はイエルサレムで生まれた。イスラエル以前はモルドバ・ユダヤ人
三人は若く、超高学歴で、ブライト(優秀)。この三人は、「中国は攻略しやすい」と言っている。「無血で台湾、ウイグルは独立可能だ」と。すると、見えてくるのは、「北朝鮮も話し合いで非核化できる」と考えているようだ。伊勢は、有事はオプションだとするけど、「北京が折れれば、戦争なしに朝鮮半島を非核化できる」と考える。伊勢
10/20 | ![]() |
日本の司法システムは崩壊している、、 |
10/19 | ![]() |
寂しい日本人 |
島民、、
伊勢は隼速報を14年間続けた。アメリカの文化、政治、人々を解説してきた。日本人は日本以外の地域に関心がないと思うに至った。何故?答えは日本民族の性質です。わが血縁も同じ。海外で55年生活して、アメリカの女性と結婚したのはボクだけなんです。訪ねてくることもないし、盆、正月、親の命日でもメールは来ない。日本人の性質は外務省の役人で海外生活20年の同級生も同じ。まず、英語が中学生レベル。退職してからは日本から出ない。在任中、ルイジアナへ来たり、伊勢と親密な関係だったが、ここ20年は音沙汰がないので、こっちもメールを出さない。つまり終わっている。
寂しい日本人
伊勢はアメリカ人。アメリカの社会に生きている。24時間英語をしゃべっている。ここは日本人も同じ、日本語を24時間しゃべっている。日本列島という閉鎖された生活環境が海外に目や耳を移す余裕を与えない。それに日本の職場は日本人を捕虜にしていて、社外の人間とも交流がない。最も交流がないのは省庁だと。最近の交流とは、ファイスブックかユーチューブ。実名を明かさないユーチューブは交流ではない。ということで、日本人には結束がない。結束しているのは、町内会、組合、活け花、創価学会などの宗教団体のみ。
日本は孤立している、、
日本語以外わからない日本人は世界から取り残されていく。日本の若者は、世界はユーチューブで解ったつもり。日本政府は青年を海外に送る奨励政策がない。あるのかも知れないが地球を50年も歩いた伊勢は、南米、アフリカで日本人を見たことがない。日本を一番多く見るのはハワイのワイキキ。でも、それは観光であって移住でも留学でもない。大体、お土産屋に集まっている。
放置する他ない、、
「じゃあ、どうすると言うんだ?」 答えは放置する他ない。「日本は世界の孤児になるのか?」 (答え)もうなっている。東京オリンピックがそれを物語っている。交流がなかったのはコロナの所為でも、人的交流は生まれなかった。体育文化のインパクトもなかった。ユーチューブでは、西欧の女性選手のケツばかりズームしている。これは、もはや人類の聖典などではない。変態の隠し撮りが興奮のタネという情けない状態なんです。伊勢
伊勢は隼速報を14年間続けた。アメリカの文化、政治、人々を解説してきた。日本人は日本以外の地域に関心がないと思うに至った。何故?答えは日本民族の性質です。わが血縁も同じ。海外で55年生活して、アメリカの女性と結婚したのはボクだけなんです。訪ねてくることもないし、盆、正月、親の命日でもメールは来ない。日本人の性質は外務省の役人で海外生活20年の同級生も同じ。まず、英語が中学生レベル。退職してからは日本から出ない。在任中、ルイジアナへ来たり、伊勢と親密な関係だったが、ここ20年は音沙汰がないので、こっちもメールを出さない。つまり終わっている。
寂しい日本人
伊勢はアメリカ人。アメリカの社会に生きている。24時間英語をしゃべっている。ここは日本人も同じ、日本語を24時間しゃべっている。日本列島という閉鎖された生活環境が海外に目や耳を移す余裕を与えない。それに日本の職場は日本人を捕虜にしていて、社外の人間とも交流がない。最も交流がないのは省庁だと。最近の交流とは、ファイスブックかユーチューブ。実名を明かさないユーチューブは交流ではない。ということで、日本人には結束がない。結束しているのは、町内会、組合、活け花、創価学会などの宗教団体のみ。
日本は孤立している、、
日本語以外わからない日本人は世界から取り残されていく。日本の若者は、世界はユーチューブで解ったつもり。日本政府は青年を海外に送る奨励政策がない。あるのかも知れないが地球を50年も歩いた伊勢は、南米、アフリカで日本人を見たことがない。日本を一番多く見るのはハワイのワイキキ。でも、それは観光であって移住でも留学でもない。大体、お土産屋に集まっている。
放置する他ない、、
「じゃあ、どうすると言うんだ?」 答えは放置する他ない。「日本は世界の孤児になるのか?」 (答え)もうなっている。東京オリンピックがそれを物語っている。交流がなかったのはコロナの所為でも、人的交流は生まれなかった。体育文化のインパクトもなかった。ユーチューブでは、西欧の女性選手のケツばかりズームしている。これは、もはや人類の聖典などではない。変態の隠し撮りが興奮のタネという情けない状態なんです。伊勢
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マイアミ・FBI銃撃戦、、 |
1986年4月、フロリダのマイアミで、ふたり組銀行強盗とFBIノエージェント8人の銃撃戦が起きた。FBIの歴史上ワーストの銃撃戦となった。マイキー(32)とウイリー(34)は極く普通の家庭人。マイキーは息子を可愛いがった。二人は米陸軍で特殊訓練を受けた。敵の後ろに回り、無差別に殺すことが任務だったが、出征する前にベトナム戦争は終わった。ふたりは結婚してフロリダへ移住した。庭の木を切るビジネスは成功した。プールのあるハウスも買った。ある日、「マイキ―、俺たちはナッシングだ」とウイリーが言った。「いや、ナッシングじゃない。銀行強盗をやろう」、、平穏な生活に飽き飽きしていたウイリーの目が光った。
アメリカの銀行強盗、、
アメリカ白人は体格が抜群に良い。体格が良いだけでなく、殺すも殺されるも恐れない。ふたりはモンテ。カルロの持ち主を射殺して、沼に置き去りにした。ふたりは金曜日の朝になると、現金輸送車を襲った。ウイリーが運転、マイキーはサンルーフから警備員を散弾銃で射殺。野次馬が見ている前で、急がず、悠々と現金が入った布袋を車に積んで走り去った。フロリダのFBIは「これは普通じゃない」と緊張した。FBIのエージェント8名がその金曜の朝、マイアミのダウンタウンを見張っていた。黒いモンテ・カルロがチーフの目の前を通り過ぎた。銃撃戦になった。エージェントのピストルも散弾銃もマイキーのルガーM14 自動小銃に圧倒された。M14の半月形マガジンは30発の爆薬の大きい弾が入っている。一方、FBIの9ミリ拳銃は6発か13発。マイキーは右肩に2発、首に一発、胸に一発。太腿を数発撃たれたマイキーがクリップを換えているチーフの前に現れた。エージェント二人が即死した。六人が重症を負った。FBIは警官。容疑者が襲う姿勢を見せなければ撃たないのが定め。一方、マイキーとウイリーは殺すことを訓練された兵隊。二人は逃げるどころか突撃してきた。この事件以来、FBIは戦術を変えた。エージェントの自動小銃を持たせた。だが、1980年代、自動小銃を持つ銀行強盗が多く発生。警官もよく発砲する。こういう国に伊勢は住んでいる。伊勢
10/17 | ![]() |
いつまでも変わらないメロデイ |
オスカーとパブロは、アンデスで生まれた。兄のオスカーは10歳のときにボリビアの葦笛を吹いた。8歳の弟のパブロはペルーの弦楽器を弾いた。二人はペルーの路上で演奏をして放浪した。オスカーがミュージックを習いにドイツに渡った。パブロは南米に残った。兄弟は一緒になって世界を回った。日本では知られていないけど「インカのゴールド」と音楽界の一角となった。ミュージシャンの生い立ちを観察すると、草花のように自然に育つようです。そこは小説家も同じだと思う。「小説家を目指して」などと成ろうと思ってなるんじゃない。だから出版されなくても気にならない。伊勢
伊勢はノベルを書く少年だった、、
ラジオでロックを聞いて、夜中、何か知らない小説を読み耽っている次男を母親は「仕事に就かない遊び者」と思った。家にいないと思うと少年はどっかへ旅に出ていた。ミュージック、小説、放浪、、伊勢は母を責める気はない。伊勢が25歳でアメリカへ渡ってからは母は次男はいないものと決めた。伊勢は親の支援なく育った。想像も着かないないでしょうけど、アメリカン・ガールに世話になった。キャロル、ローラ、カレン、キャサリン、、経済的な理由で別れた。でもね、今でも、I LOVE YOUと言ってくれる。妻のクリステイーンは伊勢を心から愛している。ま、恵まれた男だわ(笑い)。来年の4月、スペインとアイルランドへ行く約束をしている。伊勢
10/16 | ![]() |
新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第二十三章
平成二十八年十月一日、月曜日、午前七時、、
走馬はその朝、体操に出るので、トレーニングパンツを穿いていた。ベッドに腰かけて地蔵峠で収録した郭公の鳴き声を聞いていた。廊下に複数の足音が聞こえた。走馬は、誰かが処刑されると怯えた。ドアの鍵を廻す音がした。刑務官二人と警官三名、合計五名が独房の扉を開けて入って来た。
「走馬優、死刑執行の告知が出た。これから君を処刑室に連行する」と言ってから走馬の両手を後ろに回して手錠を掛けた。こうして死刑が執行される日は突然訪れる。死刑囚はいつ来るかもしれぬ死を待っている。人との触れ合いや変化のない生活の中で、待つだけの単調な生活が終了する。その朝、死刑執行を告げられた走馬はストイックに見えた。
――この男が、本当に刑事や女性を殺すような事件を起こしたのだろうかと刑務官が思った。
「走馬、何か最後に食べたいものはあるか?」
「いえ、ありません。刑務官さん、新しい下着をください。髭を剃って、髪を四分六に分けてください」
刑務官のひとりが床屋を呼んだ。散髪が終わると六人が独房を出た。走馬が祭壇の置かれた部屋に連れて行かれた。走馬が教誨師に頭を下げた。
「来世は、善い人になって戻ってきてください。じっとしていれば、すぐに逝きます。何か言い残すことはありますか?」
走馬が一瞬、沈黙した。そして、、
「自分は謝りたい。だけど、誰に謝まればいいのか分からない」走馬優はポプラ並木を歩いて行く松本ケイを見た。ケイの姿が小さくなってやがて視界から消えた。
走馬が処刑室に連れて行かれた。狭い部屋に入ると刑務官が走馬の両脚を革のベルトで結んだ。もうひとりの刑務官が白い布袋を走馬の頭にすっぽりと被せた。そしてロープを走馬の首に掛けて、右耳の下の結び目を確かめた。刑務官が処刑室を出て行った。別室の刑務官がボタンを押すと床の扉が開いた。走馬優が地下へ落ちて行った。走馬の体が壁掛け時計の振り子のように揺れた。そして木ノ葉のようにクルクルと回った。刑務官が両手を伸ばして回る走馬の体を停めた。十分が経って痙攣が鎮まった。聴診器を医師が走馬優の胸に当てて死を確認した。
終章
平成二十八年五月九日、大安吉日、、
警視庁捜査一課が、マスクメロン四個を二組の新郎新婦に贈った。メロンを葵が受け取って母親に渡した。ウエディングドレスを着た勝子が一歳になった男の子を胸に抱いていた。勝子が息子を母親に渡した。爆竹が破裂した。捜査官の妻や娘たちが米を新郎新婦に投げた。リムジンが成田空港へ向かった。ヘルシンキ行き日本航空787便が、そぼ降る雨の中を離陸した。エアバスは、三万フィートに達すると水平飛行に移った。
「勝子さん、警視庁を辞めたい?」
「米治さん、私、辞めないわよ。私たち赤ちゃんがいるのよ」
葵が夫を見ると夫が、ヘッドフォンを耳に当てていた。そして目を瞑っていた。葵が知念の手を取ると、知念が、ヘッドフォンを耳から外して、「何?」という風に妻の目を覗いた。
「太郎さん、何を聴いているの?」
知念はそれには返事をせず、ヘッドフォンを妻に渡した。葵が耳に当てた。女性のソプラノが聞こえた。
「太郎さん、あなた、傷着いているのね?」
知念が聴いていたのは、マリア・カラスの歌う、オー、ミオ、バビノ、カロだった。夫が妻の手を握りしめた。十五時間後、フィンランドのヘルシンキに着陸した。一時間後、フィンエアでローマに飛び立った。知念太郎、その妻である葵、丸子米治、丸子勝子の四人がローマのダビンチ空港に着いた。ローマは快晴だった。知念が腕時計を見ると、午後の四時三〇分である。燃えるような太陽が大きく見えた。一行が、ダビンチ空港からバスでトレビの泉へ行った。途中、テベレ川の可愛い橋を渡った。テベレ川は幅が狭く流れが優しい。川の両側の白亜の家が美しい。イタリアの風物はすべて芸術なのだ。西にバチカンの緑色のドームが見える。葵と勝子が裸足になってドレスの裾をたくし上げた。そして、ふたりの婦人捜査官がトレビの泉水の中に入った。システィンチャペルの鐘楼の鐘が鳴り渡った。四人は地蔵峠人形事件を忘れていた。
完
第二十三章
平成二十八年十月一日、月曜日、午前七時、、
走馬はその朝、体操に出るので、トレーニングパンツを穿いていた。ベッドに腰かけて地蔵峠で収録した郭公の鳴き声を聞いていた。廊下に複数の足音が聞こえた。走馬は、誰かが処刑されると怯えた。ドアの鍵を廻す音がした。刑務官二人と警官三名、合計五名が独房の扉を開けて入って来た。
「走馬優、死刑執行の告知が出た。これから君を処刑室に連行する」と言ってから走馬の両手を後ろに回して手錠を掛けた。こうして死刑が執行される日は突然訪れる。死刑囚はいつ来るかもしれぬ死を待っている。人との触れ合いや変化のない生活の中で、待つだけの単調な生活が終了する。その朝、死刑執行を告げられた走馬はストイックに見えた。
――この男が、本当に刑事や女性を殺すような事件を起こしたのだろうかと刑務官が思った。
「走馬、何か最後に食べたいものはあるか?」
「いえ、ありません。刑務官さん、新しい下着をください。髭を剃って、髪を四分六に分けてください」
刑務官のひとりが床屋を呼んだ。散髪が終わると六人が独房を出た。走馬が祭壇の置かれた部屋に連れて行かれた。走馬が教誨師に頭を下げた。
「来世は、善い人になって戻ってきてください。じっとしていれば、すぐに逝きます。何か言い残すことはありますか?」
走馬が一瞬、沈黙した。そして、、
「自分は謝りたい。だけど、誰に謝まればいいのか分からない」走馬優はポプラ並木を歩いて行く松本ケイを見た。ケイの姿が小さくなってやがて視界から消えた。
走馬が処刑室に連れて行かれた。狭い部屋に入ると刑務官が走馬の両脚を革のベルトで結んだ。もうひとりの刑務官が白い布袋を走馬の頭にすっぽりと被せた。そしてロープを走馬の首に掛けて、右耳の下の結び目を確かめた。刑務官が処刑室を出て行った。別室の刑務官がボタンを押すと床の扉が開いた。走馬優が地下へ落ちて行った。走馬の体が壁掛け時計の振り子のように揺れた。そして木ノ葉のようにクルクルと回った。刑務官が両手を伸ばして回る走馬の体を停めた。十分が経って痙攣が鎮まった。聴診器を医師が走馬優の胸に当てて死を確認した。
終章
平成二十八年五月九日、大安吉日、、
警視庁捜査一課が、マスクメロン四個を二組の新郎新婦に贈った。メロンを葵が受け取って母親に渡した。ウエディングドレスを着た勝子が一歳になった男の子を胸に抱いていた。勝子が息子を母親に渡した。爆竹が破裂した。捜査官の妻や娘たちが米を新郎新婦に投げた。リムジンが成田空港へ向かった。ヘルシンキ行き日本航空787便が、そぼ降る雨の中を離陸した。エアバスは、三万フィートに達すると水平飛行に移った。
「勝子さん、警視庁を辞めたい?」
「米治さん、私、辞めないわよ。私たち赤ちゃんがいるのよ」
葵が夫を見ると夫が、ヘッドフォンを耳に当てていた。そして目を瞑っていた。葵が知念の手を取ると、知念が、ヘッドフォンを耳から外して、「何?」という風に妻の目を覗いた。
「太郎さん、何を聴いているの?」
知念はそれには返事をせず、ヘッドフォンを妻に渡した。葵が耳に当てた。女性のソプラノが聞こえた。
「太郎さん、あなた、傷着いているのね?」
知念が聴いていたのは、マリア・カラスの歌う、オー、ミオ、バビノ、カロだった。夫が妻の手を握りしめた。十五時間後、フィンランドのヘルシンキに着陸した。一時間後、フィンエアでローマに飛び立った。知念太郎、その妻である葵、丸子米治、丸子勝子の四人がローマのダビンチ空港に着いた。ローマは快晴だった。知念が腕時計を見ると、午後の四時三〇分である。燃えるような太陽が大きく見えた。一行が、ダビンチ空港からバスでトレビの泉へ行った。途中、テベレ川の可愛い橋を渡った。テベレ川は幅が狭く流れが優しい。川の両側の白亜の家が美しい。イタリアの風物はすべて芸術なのだ。西にバチカンの緑色のドームが見える。葵と勝子が裸足になってドレスの裾をたくし上げた。そして、ふたりの婦人捜査官がトレビの泉水の中に入った。システィンチャペルの鐘楼の鐘が鳴り渡った。四人は地蔵峠人形事件を忘れていた。
完
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第二十二章
1
走馬優が東京拘置所で走馬に会ってから一ヶ月が経った。仁科課長から知念に電話が入った。
「知念君、走馬が君に会いたいと言っている。どうする?」
「会います。走馬はミハイルの壮絶な最期にショックを受けたんです」
「明日、行ってくれ」
「では、明日、午前十時に面会すると東京拘置所に伝えてください」
翌朝、十時、巣鴨拘置所、、
知念と走馬が、ふたつの部屋の間に格子がある面会所で向かい会っていた。
「走馬君、やつれたね?」
走馬が虚ろな目で知念をみた。
「知念先輩、ボクがサイモンだ。ボクは生きる意志を失くした。たったひとりの弟を死なせてしまった。ミハイルは無実なのだ。山田松雄刑事と友部美紀をボクが殺した。はじめは殺す気はなかった。浅井みどりと会って、拳銃で襲う芝居をやる考えだった。浅井みどりの後ろを山田さんが歩いているのを見た。山田さんが振り返った。山田さんが「走馬君、何をやってるんだ?」と言った。とっさに撃ってしまった。ボクは友部美紀を殺ってしまった。逆上していたというほかない」
「走馬君、君は何故、社会に反するのかね?」
サイモンが考えていた。
「ミハイルの乳歯が抜けて、新しい歯が生え始めた。ミハイルの歯は、爬虫類の遺伝子で出来ていた。看護婦長のレナと小人がミハイルを虐待し始めた。腹が減っても飯をやらず、泣くと独房に閉じ込めた。小便を漏らすと、裸にして、タバコの火を肌に押し付けた。レナと小人は鬼だった。ボクが、パンにピーナッツバターを塗って持って行くと、ミハイ が泣く声が聞こえた。「ミハイル、これを食え」とボクは差出口からパンを中に入れた、、ある日曜日の深夜、ボクたちは逃げた」
「ミハイルをどこに匿ったのかね?」
「ミハイルは本牧埠頭に停泊していた外国の貨物船に乗って日本を離れた」
知念が黙っていると、サイモンが眼がしらを抑えた。
「走馬君、でも、それだけではないだろう?」
「ボクは、試験管ベービーを造った学者たち、ボクたちを生んだ女を憎んだ。人間そのものを憎んだ」
「君は殺人現場の立ち合いを拒否した。それが理由で検察は立証出来なかった。立ち合いに応じるかね?」
「わからない。ただ、ミハイルは無実だ。弟はボクを助けたかった。ボクは弟を死なせてしまった。ボクは悪い兄なんだ」
「走馬君、全てを話してくれないか?」
走馬が黙った。
2
「ほう、自分が殺ったと言ったんだね?しかし、調書を作っても署名しないだろう。ミハイルの無実を言いたかっただけだろう」
「課長、もう一度、事件を洗い直してみます。特捜は要りません。夏目、有坂、丸子とボクの四人で初めからやり直します」
「洗い直す」と言ったが。あれほどの捜査をやったのだ。夏目葵も、有坂勝子も、ハンクも言葉がなかった。
「走馬君が自供するまで、未解決事件になるだろう。丸子君、走馬君に差し入れしてくれないか?」
3
「係長、走馬先輩が会いたいと言っています」
ハンクは相馬容疑者とは言わず先輩と言った。そのハンクを知念、夏目、有坂が見ていた。
「相馬君は理由を言ったかね?」
「自分は決心したと言いました」
知念は、走馬は自供すると直感した。東京拘置所に電話を掛けた。走馬と知念が取り調べ室で会った。刑務官がお茶を持って来た。サイモンが知念の目をじっと見ていた。知念は待った。
「松本ケイはどうなったんですか?」
知念が黙っていた。
「知念先輩、ケイがどうしてるか話してくれませんか?」
「成田から出国した。行先は、パリだ」
「出国を押さえなかったのですか?」
「警視庁といえども、法を犯していない者を拘束する権限がない」
「知念先輩、自分は、山田松雄刑事と友部美紀さんを殺害したことを認めます。取り調べ官を呼んでください」
供述は四時間で終わった。走馬の一人供述だった。取り調べ官は、お茶を入れ、幕の内弁当を取り寄せ、録音しただけである。有坂勝子の空想は当たっていた。北原順子は捨て犬の里親となった走馬と青梅のセンターで会った。犬はニシキ蛇の生き餌だった。走馬が、中之条チャツボ公園を話すと走馬の美貌に魅入られた順子が穴地獄を見たいと言った。ミハイルは、エチルエーテルをハンカチに浸して女性たちにかがせ意識を失わせて連れ去ったのである。走馬は誘拐したふたりが長野県警の元刑事の娘たちとは知らなかった。偶然だと言った。知念の報告を受けた仁科が捜査本部を解散した。
平成二十七年四月三日、月曜日、、
東京高裁へ捜査一課の刑事たちが歩いて行った。桜が満開だった。法廷は満席だった。
「弁護団長、何かありますか?」
「あります。本日は、産婦人科の女医さんにきて頂きました。それでは、みなさん、よく聞いてください」
「私は、クリスティーン太田です。産婦人科の医師です。私は、キリスト教を信仰する者として、被告を弁護したいと思います。人間は生まれると数分のうちに母親の胸に、抱かれます。それが、人生の最初の接触なんです。母親の体温を感じて、言葉を一〇センチの距離で聴きます。子守唄を聞いて眠ります。被告は、ガラスの容器の中で培養され、科学者に研究室の中で育てられたんです。遺伝子博士のマデリーンはルーマニア人です。戸籍も彼女の子供となっています。サイモンとミハイルは愛情のない空間で育ちました。たった一つの愛は兄弟愛だった。サイモンはミハイルを庇った。ミハイルは兄を庇った。子供はみんな神の子なんです。審判官のみなさま、検察庁のみなさま、あなたたちは幸運な人たちなんです。人間の持つ慈悲がありましたら、被告を仮釈放付き終身刑にして頂きたいのです。被告の上司のお話しでは、被告は社会に復帰できる人とおっしゃっています。以上です」
法廷が静まり返っていた。裁判長の伊藤が待った。
「審判官の決定は何ですか?」
「裁判長、審判官三名、全員一致により死刑と決定しました。理由は被告が同僚の刑事を殺害したことです。判決をお願いします」
「当法廷は、本人の自白を受けて走馬優に死刑を言い渡します」
知念太郎が走馬を見た。相馬が真っすぐ前をみていた。
4
死刑が確定されたその日、走馬優が巣鴨東京拘置所に収監された。死刑囚は死刑が執行されるまで四畳の独房に起居するのである。死刑囚には、流し台、便器、寝具、机など、生活に必要最低限の設備に加え、食品など個人で購入する房内所持品が一定の範囲で認められている。拘置所では起床から就寝まで、すべてにおいて時間が決まっている。朝七時起床、七時半点検、七時四〇分朝食、十一時五〇分昼食、一六時二〇分夕食、十六時五〇分点検。二十一時、サイレンが鳴り就寝である。健康維持のため、戸外運動と房内体操の時間も設けられている。走馬は、週三回、三〇分、コンクリートの壁に囲まれた狭い空間で柔軟体操やランニング、腕立て伏せを許されていた。走馬が死刑執行に怯える様子はなかった。だが、独房では座っていることが義務づけられ、室内を自由に動くことは許されなかった。隣の房の死刑囚と話すことは厳禁なのである。違反すれば地下にある独房に入れられた。走馬には、精神が不安定になる拘禁症状が見られなかった。拘禁が未だ短期間だからである。走馬が七階の死刑囚の独房に入ったとき、ドストエフスキーの「罪と罰」を持っていた。また音楽をよく聞いていた。ある日の巡回で、看守がのぞき窓から走馬を見ると郭公の鳴き声が聞こえた。
平成二十七年十月十三日、月曜日、、
判決があってから六か月が経っていた。東京拘置所の所長から仁科に電話があった。
「走馬優死刑囚が、知念係長に会いたいと言っている」
知念が翌日の五月十四日、走馬と会った。走馬は、やつれて見えた。
「走馬君、痩せたんじゃないか?食べたいものがあるなら、ボクに言え。今日は、何の話があるのかね?」
走馬が長い間、沈黙していた。走馬が口を開いた。
「先輩、ボクは疲れた。睡眠薬をくれないか?」
サイモンが、何か、ひとりごとを言っていた。
――俺は、ギリシア船籍の無妙丸の船員だった、、乗組員はエジプト人の奴隷だったんだ、、サイクス・ピコはいい船長だった。マサイ族だったけどね、、俺たちは、スパルタの戦いで戦死したローマ軍の兵隊のミイラをローマに運んでいたんだ。金貨を稼いだ、、えっ、ミイラをどうして作るって?干物だよ。干物、、ある夜のことだった。エーゲ海で嵐に出くわしたんだ。ギギ~って、無妙丸が傾いたんだ。二千個の死体の入った棺が滑り出した、、何個か海中に落ちた、、ピコは、落ち着いていた。ピコは、最寄りのセブン・イレブンに行ってパンとワインを買って戻ってきたよ、、それを奴隷に配った、、「シチリアの灯が見えてるぞ。頑張れ!」と怒鳴ったよ、、
走馬優の精神分裂が進んでいた。だが、裁判所に伝えれば走馬は精神病院に入る。知念は、走馬優を処刑室へ送る選択肢を選んだ。
5
「知念君、あのオカマバーはご苦労だったが、われわれが知らないことがあるかな?」
「仁科課長、走馬は隠れ同性愛者なんです。ボクが書き込んだ「クリスマス、カリブ海のゲイ・クルーズに参加したい。ジョニー・メロン」に対して、「恋しいあなたに是非お会いしたい。リッキー」と書き込んだと言っています。
ベテラン刑事が声を出して笑った。ハンクが真っ赤になった。
「刑事が笑ってはいかん。丸子君、気にするな。知念君、横浜中華街善隣門事件を解説してくれ」
「課長、走馬は村田先輩を警戒していました。こう言いました」
――自分は村田の弟子になった。「ひよこ」の宴会を覚えていますか?村田とボクは、毎日、顔を合わすわけだ。村田は、IQ一三〇です。「これはそうとうヤバイ。注意を逸らしてやろう」と考えた。それが災いした。ボクの不幸は、松本ケイを愛してしまったことです。ボクの胸に良心が芽生えた。ケイはイギリス人です。心の清いクリスチャンだった。
*次回で終わります。伊勢
第二十二章
1
走馬優が東京拘置所で走馬に会ってから一ヶ月が経った。仁科課長から知念に電話が入った。
「知念君、走馬が君に会いたいと言っている。どうする?」
「会います。走馬はミハイルの壮絶な最期にショックを受けたんです」
「明日、行ってくれ」
「では、明日、午前十時に面会すると東京拘置所に伝えてください」
翌朝、十時、巣鴨拘置所、、
知念と走馬が、ふたつの部屋の間に格子がある面会所で向かい会っていた。
「走馬君、やつれたね?」
走馬が虚ろな目で知念をみた。
「知念先輩、ボクがサイモンだ。ボクは生きる意志を失くした。たったひとりの弟を死なせてしまった。ミハイルは無実なのだ。山田松雄刑事と友部美紀をボクが殺した。はじめは殺す気はなかった。浅井みどりと会って、拳銃で襲う芝居をやる考えだった。浅井みどりの後ろを山田さんが歩いているのを見た。山田さんが振り返った。山田さんが「走馬君、何をやってるんだ?」と言った。とっさに撃ってしまった。ボクは友部美紀を殺ってしまった。逆上していたというほかない」
「走馬君、君は何故、社会に反するのかね?」
サイモンが考えていた。
「ミハイルの乳歯が抜けて、新しい歯が生え始めた。ミハイルの歯は、爬虫類の遺伝子で出来ていた。看護婦長のレナと小人がミハイルを虐待し始めた。腹が減っても飯をやらず、泣くと独房に閉じ込めた。小便を漏らすと、裸にして、タバコの火を肌に押し付けた。レナと小人は鬼だった。ボクが、パンにピーナッツバターを塗って持って行くと、ミハイ が泣く声が聞こえた。「ミハイル、これを食え」とボクは差出口からパンを中に入れた、、ある日曜日の深夜、ボクたちは逃げた」
「ミハイルをどこに匿ったのかね?」
「ミハイルは本牧埠頭に停泊していた外国の貨物船に乗って日本を離れた」
知念が黙っていると、サイモンが眼がしらを抑えた。
「走馬君、でも、それだけではないだろう?」
「ボクは、試験管ベービーを造った学者たち、ボクたちを生んだ女を憎んだ。人間そのものを憎んだ」
「君は殺人現場の立ち合いを拒否した。それが理由で検察は立証出来なかった。立ち合いに応じるかね?」
「わからない。ただ、ミハイルは無実だ。弟はボクを助けたかった。ボクは弟を死なせてしまった。ボクは悪い兄なんだ」
「走馬君、全てを話してくれないか?」
走馬が黙った。
2
「ほう、自分が殺ったと言ったんだね?しかし、調書を作っても署名しないだろう。ミハイルの無実を言いたかっただけだろう」
「課長、もう一度、事件を洗い直してみます。特捜は要りません。夏目、有坂、丸子とボクの四人で初めからやり直します」
「洗い直す」と言ったが。あれほどの捜査をやったのだ。夏目葵も、有坂勝子も、ハンクも言葉がなかった。
「走馬君が自供するまで、未解決事件になるだろう。丸子君、走馬君に差し入れしてくれないか?」
3
「係長、走馬先輩が会いたいと言っています」
ハンクは相馬容疑者とは言わず先輩と言った。そのハンクを知念、夏目、有坂が見ていた。
「相馬君は理由を言ったかね?」
「自分は決心したと言いました」
知念は、走馬は自供すると直感した。東京拘置所に電話を掛けた。走馬と知念が取り調べ室で会った。刑務官がお茶を持って来た。サイモンが知念の目をじっと見ていた。知念は待った。
「松本ケイはどうなったんですか?」
知念が黙っていた。
「知念先輩、ケイがどうしてるか話してくれませんか?」
「成田から出国した。行先は、パリだ」
「出国を押さえなかったのですか?」
「警視庁といえども、法を犯していない者を拘束する権限がない」
「知念先輩、自分は、山田松雄刑事と友部美紀さんを殺害したことを認めます。取り調べ官を呼んでください」
供述は四時間で終わった。走馬の一人供述だった。取り調べ官は、お茶を入れ、幕の内弁当を取り寄せ、録音しただけである。有坂勝子の空想は当たっていた。北原順子は捨て犬の里親となった走馬と青梅のセンターで会った。犬はニシキ蛇の生き餌だった。走馬が、中之条チャツボ公園を話すと走馬の美貌に魅入られた順子が穴地獄を見たいと言った。ミハイルは、エチルエーテルをハンカチに浸して女性たちにかがせ意識を失わせて連れ去ったのである。走馬は誘拐したふたりが長野県警の元刑事の娘たちとは知らなかった。偶然だと言った。知念の報告を受けた仁科が捜査本部を解散した。
平成二十七年四月三日、月曜日、、
東京高裁へ捜査一課の刑事たちが歩いて行った。桜が満開だった。法廷は満席だった。
「弁護団長、何かありますか?」
「あります。本日は、産婦人科の女医さんにきて頂きました。それでは、みなさん、よく聞いてください」
「私は、クリスティーン太田です。産婦人科の医師です。私は、キリスト教を信仰する者として、被告を弁護したいと思います。人間は生まれると数分のうちに母親の胸に、抱かれます。それが、人生の最初の接触なんです。母親の体温を感じて、言葉を一〇センチの距離で聴きます。子守唄を聞いて眠ります。被告は、ガラスの容器の中で培養され、科学者に研究室の中で育てられたんです。遺伝子博士のマデリーンはルーマニア人です。戸籍も彼女の子供となっています。サイモンとミハイルは愛情のない空間で育ちました。たった一つの愛は兄弟愛だった。サイモンはミハイルを庇った。ミハイルは兄を庇った。子供はみんな神の子なんです。審判官のみなさま、検察庁のみなさま、あなたたちは幸運な人たちなんです。人間の持つ慈悲がありましたら、被告を仮釈放付き終身刑にして頂きたいのです。被告の上司のお話しでは、被告は社会に復帰できる人とおっしゃっています。以上です」
法廷が静まり返っていた。裁判長の伊藤が待った。
「審判官の決定は何ですか?」
「裁判長、審判官三名、全員一致により死刑と決定しました。理由は被告が同僚の刑事を殺害したことです。判決をお願いします」
「当法廷は、本人の自白を受けて走馬優に死刑を言い渡します」
知念太郎が走馬を見た。相馬が真っすぐ前をみていた。
4
死刑が確定されたその日、走馬優が巣鴨東京拘置所に収監された。死刑囚は死刑が執行されるまで四畳の独房に起居するのである。死刑囚には、流し台、便器、寝具、机など、生活に必要最低限の設備に加え、食品など個人で購入する房内所持品が一定の範囲で認められている。拘置所では起床から就寝まで、すべてにおいて時間が決まっている。朝七時起床、七時半点検、七時四〇分朝食、十一時五〇分昼食、一六時二〇分夕食、十六時五〇分点検。二十一時、サイレンが鳴り就寝である。健康維持のため、戸外運動と房内体操の時間も設けられている。走馬は、週三回、三〇分、コンクリートの壁に囲まれた狭い空間で柔軟体操やランニング、腕立て伏せを許されていた。走馬が死刑執行に怯える様子はなかった。だが、独房では座っていることが義務づけられ、室内を自由に動くことは許されなかった。隣の房の死刑囚と話すことは厳禁なのである。違反すれば地下にある独房に入れられた。走馬には、精神が不安定になる拘禁症状が見られなかった。拘禁が未だ短期間だからである。走馬が七階の死刑囚の独房に入ったとき、ドストエフスキーの「罪と罰」を持っていた。また音楽をよく聞いていた。ある日の巡回で、看守がのぞき窓から走馬を見ると郭公の鳴き声が聞こえた。
平成二十七年十月十三日、月曜日、、
判決があってから六か月が経っていた。東京拘置所の所長から仁科に電話があった。
「走馬優死刑囚が、知念係長に会いたいと言っている」
知念が翌日の五月十四日、走馬と会った。走馬は、やつれて見えた。
「走馬君、痩せたんじゃないか?食べたいものがあるなら、ボクに言え。今日は、何の話があるのかね?」
走馬が長い間、沈黙していた。走馬が口を開いた。
「先輩、ボクは疲れた。睡眠薬をくれないか?」
サイモンが、何か、ひとりごとを言っていた。
――俺は、ギリシア船籍の無妙丸の船員だった、、乗組員はエジプト人の奴隷だったんだ、、サイクス・ピコはいい船長だった。マサイ族だったけどね、、俺たちは、スパルタの戦いで戦死したローマ軍の兵隊のミイラをローマに運んでいたんだ。金貨を稼いだ、、えっ、ミイラをどうして作るって?干物だよ。干物、、ある夜のことだった。エーゲ海で嵐に出くわしたんだ。ギギ~って、無妙丸が傾いたんだ。二千個の死体の入った棺が滑り出した、、何個か海中に落ちた、、ピコは、落ち着いていた。ピコは、最寄りのセブン・イレブンに行ってパンとワインを買って戻ってきたよ、、それを奴隷に配った、、「シチリアの灯が見えてるぞ。頑張れ!」と怒鳴ったよ、、
走馬優の精神分裂が進んでいた。だが、裁判所に伝えれば走馬は精神病院に入る。知念は、走馬優を処刑室へ送る選択肢を選んだ。
5
「知念君、あのオカマバーはご苦労だったが、われわれが知らないことがあるかな?」
「仁科課長、走馬は隠れ同性愛者なんです。ボクが書き込んだ「クリスマス、カリブ海のゲイ・クルーズに参加したい。ジョニー・メロン」に対して、「恋しいあなたに是非お会いしたい。リッキー」と書き込んだと言っています。
ベテラン刑事が声を出して笑った。ハンクが真っ赤になった。
「刑事が笑ってはいかん。丸子君、気にするな。知念君、横浜中華街善隣門事件を解説してくれ」
「課長、走馬は村田先輩を警戒していました。こう言いました」
――自分は村田の弟子になった。「ひよこ」の宴会を覚えていますか?村田とボクは、毎日、顔を合わすわけだ。村田は、IQ一三〇です。「これはそうとうヤバイ。注意を逸らしてやろう」と考えた。それが災いした。ボクの不幸は、松本ケイを愛してしまったことです。ボクの胸に良心が芽生えた。ケイはイギリス人です。心の清いクリスチャンだった。
*次回で終わります。伊勢
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第二十章
「走馬君、君の弟が死んだよ」
走馬優が黙っていた。誘導尋問だろうと知念を信じないのだ。知念が沢田ちえみと北原順子が県警のパトカーに乗りこむ写真を見せた。走馬が目を瞑った。
「ミハイルはどのような死に方をした?」
走馬が初めて双子の弟を認めた瞬間であった。
「知らない方がいい」
サイモンの目から涙が流れた。
「走馬君、全てを話してくれるかね?」
サイモンが訥々と話し始めた。
「ちょっと、待ってくれないか?」
知念が取り調べ官二人を呼んだ。
「記録を取るなら話さない」
取り調べ官が出て行った。サイモンが、おい立ちを語った。やはり、双子の兄弟は、お互いを庇い合っていた。二人組説を立てた有坂勝子が正しかったのだ。
2
平成二十七年一月十日、月曜日、、
公判が始まった。筆頭検事は、司(つかさ)正雄。一方、走馬優の弁護側は、公選弁護団の一〇名である。本牧出口の監視カメラは全く無視された。だが、走馬優にはアリバイがなかった。甲子園にナイターを観に行ったという主張は却下された。裁判官の前に筆頭弁護士と座っている走馬は落ち着いて見えた。走馬は美男子で理知的に見えた。傍聴人が冤罪ではないかと疑ったほどである。伊藤直人裁判長は裁判員制度を選んだ。証拠が足りない殺人事件だからである。裁判長が全員起立を命じた。そして着席を命じた。
「走馬優容疑者、あなたは罪を認めますか?」
「私は、無罪を主張します」
「それでは、司正雄検事、容疑者が有罪である理由を述べてください」
「裁判官殿、検察は動かぬ証拠を持っています」
「証拠を出してください」
司が廷吏を手で招いた。沢田ちえみと北原順子が法廷に入ってきた。走馬に動揺が見えた。
「容疑者に誘拐された沢田ちえみさんと北原順子さんです。沢田さん、北原さん。あなたたちを誘拐した犯人はこの法廷にいますか?」
「あの人です」と二人が走馬優を指さした。
「伊藤裁判長、参考人に証言して頂きます」
「私は、森村バンビです。群馬県草津温泉の湯の華ホテルの予約係です。ワンルンホウを受け付けたのは私です」
「森村さん、ここにその男はいますか?」
「あの人が、ワンルンホウです」とバンビが走馬優を指さした。
走馬の顔に変化はなかった。
「それでは裁判員の方々、廷吏が会議室にご案内します。二つの誘拐事件において、容疑者は有罪か無罪か、一時間以内に決定してください。みなさん、一時間、休廷とします」
一時間後、九名の裁判員が法廷に入って来た。
「裁判員のみなさん、あなた方の決定は何ですか?」
法廷が静まり返った。
「有罪です」
「当法廷は、誘拐事件に関して、走馬優容疑者を有罪と決定します。それでは横浜中華街殺人事件に関して、検察庁の裁判要求を待ちます」
サイモンが巣鴨に戻った。
第二話
第二十一章
平成二十七年二月十日、月曜日、伊藤裁判長は、「証拠不足」と検察側の主張を退けた。捜査一課の刑事が会議室に集まっていた。知念が、お腹が大きくなった有坂勝子を見た。
「有坂君、だいぶん目立つようになったね」
「先輩、今週、生まれるんです」と勝子がモナリサのように微笑んだ。
「男の子?女の子どっち?」
「米治さんが知らないほうが楽しいって言うんです」
仁科が入って来た。
「知念君、走馬が殺人を否定する理由は何だと思うかね?」
「課長、誘拐だけなら、女性たちも生きて帰ったし、三年も服役すれば釈放されます。弟のミハイルが死んだ原因を作った我々に復讐するでしょう」
会議室が静まり返った。
「では、何が何でも、確たる証拠を挙げなければならない。知念君、あの人形はどうなった?走馬は何かしゃべったか?」
「いえ、人形に関して何も言いませんでした。ギフトと考えますが、確証がないんです」
「謎だな。まあ、禁固刑五年だから復讐を断念することも考えられる。走馬が自供しない限り、立件は無理だね」
「課長、ミハイルがニシキ蛇に飲まれるのを丸子君が、一部始終ビデオに撮ったのをご覧になられたでしょ?」
「嫌なものを見てしまった。それで?」
「走馬に見せたら、どう反応するか興味があるんです」
「ショック療法かね?知念君、それ酷だな」
「課長、ボクのチームは、走馬が山田松雄さんと友部美樹を殺害したと確信しているんです。何か、手を打たないとサイモンは、お地蔵さんのように黙ったままでしょう」
「君たちはどう思うかね?」
仁科が葵と勝子に聞いた。二人は暫く黙っていた。仁科が待った。葵が立ち上がった。
「知念係長に賛成します」
2
「走馬君、元気にしてるか?何か欲しいモノはあるかね?」
「オペラのCDが欲しい。それとボクが収音した郭公のテープをくれませんか?」
「届けるように丸子君に言うよ。実は、君に見せたいものがあってきたんだ」
知念がアイパッドを開いてデスクの上に置いた。まだら模様の大蛇が人間に巻き付いていた。レンズがズームした。大蛇が口を開けて、頭からミハイルを飲み込もうとしていた。走馬の顔色が変わった。
「わ~」
サイモンが頭の髪を掻きむしった。床に倒れて震えていた。知念が静かに部屋を出て行った。
第二十章
「走馬君、君の弟が死んだよ」
走馬優が黙っていた。誘導尋問だろうと知念を信じないのだ。知念が沢田ちえみと北原順子が県警のパトカーに乗りこむ写真を見せた。走馬が目を瞑った。
「ミハイルはどのような死に方をした?」
走馬が初めて双子の弟を認めた瞬間であった。
「知らない方がいい」
サイモンの目から涙が流れた。
「走馬君、全てを話してくれるかね?」
サイモンが訥々と話し始めた。
「ちょっと、待ってくれないか?」
知念が取り調べ官二人を呼んだ。
「記録を取るなら話さない」
取り調べ官が出て行った。サイモンが、おい立ちを語った。やはり、双子の兄弟は、お互いを庇い合っていた。二人組説を立てた有坂勝子が正しかったのだ。
2
平成二十七年一月十日、月曜日、、
公判が始まった。筆頭検事は、司(つかさ)正雄。一方、走馬優の弁護側は、公選弁護団の一〇名である。本牧出口の監視カメラは全く無視された。だが、走馬優にはアリバイがなかった。甲子園にナイターを観に行ったという主張は却下された。裁判官の前に筆頭弁護士と座っている走馬は落ち着いて見えた。走馬は美男子で理知的に見えた。傍聴人が冤罪ではないかと疑ったほどである。伊藤直人裁判長は裁判員制度を選んだ。証拠が足りない殺人事件だからである。裁判長が全員起立を命じた。そして着席を命じた。
「走馬優容疑者、あなたは罪を認めますか?」
「私は、無罪を主張します」
「それでは、司正雄検事、容疑者が有罪である理由を述べてください」
「裁判官殿、検察は動かぬ証拠を持っています」
「証拠を出してください」
司が廷吏を手で招いた。沢田ちえみと北原順子が法廷に入ってきた。走馬に動揺が見えた。
「容疑者に誘拐された沢田ちえみさんと北原順子さんです。沢田さん、北原さん。あなたたちを誘拐した犯人はこの法廷にいますか?」
「あの人です」と二人が走馬優を指さした。
「伊藤裁判長、参考人に証言して頂きます」
「私は、森村バンビです。群馬県草津温泉の湯の華ホテルの予約係です。ワンルンホウを受け付けたのは私です」
「森村さん、ここにその男はいますか?」
「あの人が、ワンルンホウです」とバンビが走馬優を指さした。
走馬の顔に変化はなかった。
「それでは裁判員の方々、廷吏が会議室にご案内します。二つの誘拐事件において、容疑者は有罪か無罪か、一時間以内に決定してください。みなさん、一時間、休廷とします」
一時間後、九名の裁判員が法廷に入って来た。
「裁判員のみなさん、あなた方の決定は何ですか?」
法廷が静まり返った。
「有罪です」
「当法廷は、誘拐事件に関して、走馬優容疑者を有罪と決定します。それでは横浜中華街殺人事件に関して、検察庁の裁判要求を待ちます」
サイモンが巣鴨に戻った。
第二話
第二十一章
平成二十七年二月十日、月曜日、伊藤裁判長は、「証拠不足」と検察側の主張を退けた。捜査一課の刑事が会議室に集まっていた。知念が、お腹が大きくなった有坂勝子を見た。
「有坂君、だいぶん目立つようになったね」
「先輩、今週、生まれるんです」と勝子がモナリサのように微笑んだ。
「男の子?女の子どっち?」
「米治さんが知らないほうが楽しいって言うんです」
仁科が入って来た。
「知念君、走馬が殺人を否定する理由は何だと思うかね?」
「課長、誘拐だけなら、女性たちも生きて帰ったし、三年も服役すれば釈放されます。弟のミハイルが死んだ原因を作った我々に復讐するでしょう」
会議室が静まり返った。
「では、何が何でも、確たる証拠を挙げなければならない。知念君、あの人形はどうなった?走馬は何かしゃべったか?」
「いえ、人形に関して何も言いませんでした。ギフトと考えますが、確証がないんです」
「謎だな。まあ、禁固刑五年だから復讐を断念することも考えられる。走馬が自供しない限り、立件は無理だね」
「課長、ミハイルがニシキ蛇に飲まれるのを丸子君が、一部始終ビデオに撮ったのをご覧になられたでしょ?」
「嫌なものを見てしまった。それで?」
「走馬に見せたら、どう反応するか興味があるんです」
「ショック療法かね?知念君、それ酷だな」
「課長、ボクのチームは、走馬が山田松雄さんと友部美樹を殺害したと確信しているんです。何か、手を打たないとサイモンは、お地蔵さんのように黙ったままでしょう」
「君たちはどう思うかね?」
仁科が葵と勝子に聞いた。二人は暫く黙っていた。仁科が待った。葵が立ち上がった。
「知念係長に賛成します」
2
「走馬君、元気にしてるか?何か欲しいモノはあるかね?」
「オペラのCDが欲しい。それとボクが収音した郭公のテープをくれませんか?」
「届けるように丸子君に言うよ。実は、君に見せたいものがあってきたんだ」
知念がアイパッドを開いてデスクの上に置いた。まだら模様の大蛇が人間に巻き付いていた。レンズがズームした。大蛇が口を開けて、頭からミハイルを飲み込もうとしていた。走馬の顔色が変わった。
「わ~」
サイモンが頭の髪を掻きむしった。床に倒れて震えていた。知念が静かに部屋を出て行った。
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第十九章
十二月二十三日、、
夏目葵が稲田登戸のアパートに帰ると、クリスマスカードが数枚、郵便箱に入っていた。一枚には、名前がなかった。葵がハッとした。伊香保温泉の絵葉書だったからだ。一行、カタカナのメッセージが書いてあった。
――アオイチャン、サビシイ。クリスマスイブノバンサン、ワスレナイデネ。ジュウニジキッカリヨ、アナタヲオマチシテイマス。フージーニ
葵が一命を賭ける決意をした。――これは賭けだ。でも私は刑事なのだ。女性たちが生きているのなら、連れて帰りたい、、でも私に何かが起きたらどうする?ああ、そうだ手紙を知念さんに出そう。月曜日には着く、、
十二月二十四日、クリスマスイブ、、
夏目葵がレンタカーを借りた。カーナビのガイドを聞きながら伊香保に着いた。十一時になっていた。狐塚神社はカーナビには出なかったが、二十四時間営業のコンビニは客で賑っていた。葵がおでんを買った。レジで、狐塚神社を聞いた。
「あら?どうしてですか?恐ろしいところですよ」
「近所に高校時代の同級生が住んでいるんです」
「あの辺りには民家はないんですが。電話をおかけになったら?」
「ああ、それなら、結構です」
店を出ると、ホームレスがシートにくるまって寝ていた。
「おじさん、これ、あげる」と言うと、毛布から顔を出した。おでんを上げると言うと「ナイス、ナイス」と手を叩いた。
「おじさん、狐塚神社って知ってる?」
「知ってるよ」
「どこにあるの?」
「幽霊が出る神社だよ。まもなく、真夜中なんだよ。そんな所にどうして行くの?」
「教えてくれなきゃ、おでんやんない」
狐塚神社は簡単に分かった。鬱蒼としたナラの森の中に鳥居が見えた。空は曇っており、真っ暗闇なのだ。「いらっしゃい。神殿に向かって真っすぐ」と言う金属製の声が聞こえた。葵の背筋が寒くなった。葵が、陸自が使うL型懐中電灯を声のした方角に向けた。誰もいなかった。狛犬はそのままである。参道を歩いて行くと左手に水の流れる音がした。手水舎だ。御影石で作った水槽はそのままだった。その前に二の鳥居が立っていた。一〇〇メートル歩いた。朽ちた拝殿が見えた。その後ろに神殿がある。さすがに葵が真っ蒼になっていた。懐中電灯に浮かび上がった神殿も朽ちていた。どこからともなく、光が射した。葵の目の前に、アラビアンダンサーが立っていた。ダンサーは、背丈が二〇センチもなかった。黒髪にヘアバアンド、青い網目のシュミーズ、緑色のパンティとブラジャーが透けて見えた。葵があまりにもセクシーで神秘的なアラビアのミュージックに魅入られた。ダンサーが消えた。
「それでは、晩餐会にご案内します」
突然、葵の足元が揺れた。何か強力な力に足を引っ張られた。葵が手に持っていた懐中電灯を失った。葵が土蜘蛛の穴に落ちて行った。カンビアータのオペラが聞こえた。女性のソプラノである。「ワッハッハッハ」と笑う声が聞こえた。葵が気を失った。誰かが冷たいタオルを葵の額に当てていた。葵が目を開けると若い女性が葵の目を覗いていた。
「あなた、沢田ちえみさん?」
女性がこっくりと頷いた。もう一人女性がいた。髪が長く痩せていた。
「あなた、北原順子さん」
女性が頷いた。コンクリートの部屋の中だった。部屋の中は真っ暗だった。ローソクの灯が揺れていた。鉄格子があり、その向こうに何かがいた。その物体には、まだらの模様があった。物体がズルっと動いた。ニシキ蛇だ!葵が悲鳴を上げた。「さあ、晩餐会だ」と声がした。すると突然、あたりが赤くなった。有坂勝子が赤外線投射機を持って立っていた。勝子の横にハンクがいた。「しまった」と男が金属製の声で言った。男が目の前に立っていた。男の口に牙が生えていた。手の爪はトカゲの爪のようだった。男が壁のボタンを押した。格子のゲートが上がった。ハンクが「手を上げろ!」と叫んだ。男がゲートの向こうに逃げた。ハンクがボタンを押した。ゲートが降りた。悲鳴が聞こえた。ニシキ蛇が男の胴体に巻き付いていた。「う~ん」葵が気絶して、おしっこを漏らした。ハンクがカメラを腰のバッグから取り出して、ビデオモードの赤いボタンを押した。知念に連絡した。「どうしてボクに言わなかったの?」と知念がハンクを責めた。「直感なんです。勝子が一緒に行くと言うので、夏目さんの後をつけたんです。びっくりしました」
十二月二十五日、クリスマス、午前三時、、
知念の要請を受けた群馬県警が高崎JSATに緊急出動を命じた。JSATがマンホールのふたを開けて、地下室に降りた。四人のSATが12ゲージの散弾銃をニシキ蛇のヘッドに向かって一斉に撃った。ニシキ蛇の三角の頭が飛び散った。腹が大きく膨らんだ大蛇の後ろにハンク、葵、勝子が並んで写真を撮った。沢田ちえみと北原順子が保護された。ハンクが運転する車がスーパーの前を通った。ホームレスがシートを掛けて寝ていた。
第十九章
十二月二十三日、、
夏目葵が稲田登戸のアパートに帰ると、クリスマスカードが数枚、郵便箱に入っていた。一枚には、名前がなかった。葵がハッとした。伊香保温泉の絵葉書だったからだ。一行、カタカナのメッセージが書いてあった。
――アオイチャン、サビシイ。クリスマスイブノバンサン、ワスレナイデネ。ジュウニジキッカリヨ、アナタヲオマチシテイマス。フージーニ
葵が一命を賭ける決意をした。――これは賭けだ。でも私は刑事なのだ。女性たちが生きているのなら、連れて帰りたい、、でも私に何かが起きたらどうする?ああ、そうだ手紙を知念さんに出そう。月曜日には着く、、
十二月二十四日、クリスマスイブ、、
夏目葵がレンタカーを借りた。カーナビのガイドを聞きながら伊香保に着いた。十一時になっていた。狐塚神社はカーナビには出なかったが、二十四時間営業のコンビニは客で賑っていた。葵がおでんを買った。レジで、狐塚神社を聞いた。
「あら?どうしてですか?恐ろしいところですよ」
「近所に高校時代の同級生が住んでいるんです」
「あの辺りには民家はないんですが。電話をおかけになったら?」
「ああ、それなら、結構です」
店を出ると、ホームレスがシートにくるまって寝ていた。
「おじさん、これ、あげる」と言うと、毛布から顔を出した。おでんを上げると言うと「ナイス、ナイス」と手を叩いた。
「おじさん、狐塚神社って知ってる?」
「知ってるよ」
「どこにあるの?」
「幽霊が出る神社だよ。まもなく、真夜中なんだよ。そんな所にどうして行くの?」
「教えてくれなきゃ、おでんやんない」
狐塚神社は簡単に分かった。鬱蒼としたナラの森の中に鳥居が見えた。空は曇っており、真っ暗闇なのだ。「いらっしゃい。神殿に向かって真っすぐ」と言う金属製の声が聞こえた。葵の背筋が寒くなった。葵が、陸自が使うL型懐中電灯を声のした方角に向けた。誰もいなかった。狛犬はそのままである。参道を歩いて行くと左手に水の流れる音がした。手水舎だ。御影石で作った水槽はそのままだった。その前に二の鳥居が立っていた。一〇〇メートル歩いた。朽ちた拝殿が見えた。その後ろに神殿がある。さすがに葵が真っ蒼になっていた。懐中電灯に浮かび上がった神殿も朽ちていた。どこからともなく、光が射した。葵の目の前に、アラビアンダンサーが立っていた。ダンサーは、背丈が二〇センチもなかった。黒髪にヘアバアンド、青い網目のシュミーズ、緑色のパンティとブラジャーが透けて見えた。葵があまりにもセクシーで神秘的なアラビアのミュージックに魅入られた。ダンサーが消えた。
「それでは、晩餐会にご案内します」
突然、葵の足元が揺れた。何か強力な力に足を引っ張られた。葵が手に持っていた懐中電灯を失った。葵が土蜘蛛の穴に落ちて行った。カンビアータのオペラが聞こえた。女性のソプラノである。「ワッハッハッハ」と笑う声が聞こえた。葵が気を失った。誰かが冷たいタオルを葵の額に当てていた。葵が目を開けると若い女性が葵の目を覗いていた。
「あなた、沢田ちえみさん?」
女性がこっくりと頷いた。もう一人女性がいた。髪が長く痩せていた。
「あなた、北原順子さん」
女性が頷いた。コンクリートの部屋の中だった。部屋の中は真っ暗だった。ローソクの灯が揺れていた。鉄格子があり、その向こうに何かがいた。その物体には、まだらの模様があった。物体がズルっと動いた。ニシキ蛇だ!葵が悲鳴を上げた。「さあ、晩餐会だ」と声がした。すると突然、あたりが赤くなった。有坂勝子が赤外線投射機を持って立っていた。勝子の横にハンクがいた。「しまった」と男が金属製の声で言った。男が目の前に立っていた。男の口に牙が生えていた。手の爪はトカゲの爪のようだった。男が壁のボタンを押した。格子のゲートが上がった。ハンクが「手を上げろ!」と叫んだ。男がゲートの向こうに逃げた。ハンクがボタンを押した。ゲートが降りた。悲鳴が聞こえた。ニシキ蛇が男の胴体に巻き付いていた。「う~ん」葵が気絶して、おしっこを漏らした。ハンクがカメラを腰のバッグから取り出して、ビデオモードの赤いボタンを押した。知念に連絡した。「どうしてボクに言わなかったの?」と知念がハンクを責めた。「直感なんです。勝子が一緒に行くと言うので、夏目さんの後をつけたんです。びっくりしました」
十二月二十五日、クリスマス、午前三時、、
知念の要請を受けた群馬県警が高崎JSATに緊急出動を命じた。JSATがマンホールのふたを開けて、地下室に降りた。四人のSATが12ゲージの散弾銃をニシキ蛇のヘッドに向かって一斉に撃った。ニシキ蛇の三角の頭が飛び散った。腹が大きく膨らんだ大蛇の後ろにハンク、葵、勝子が並んで写真を撮った。沢田ちえみと北原順子が保護された。ハンクが運転する車がスーパーの前を通った。ホームレスがシートを掛けて寝ていた。
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第十八章
十二月二十一日、木曜日、、
夏目葵が霞が関の警視庁を出て地下鉄丸の内線に乗った。新宿西口に着くと、街角からジングルベルが聞こえた。百貨店で、葵が、母親、妹、知念、有坂とハンクのためにクリスマスプレゼントを買った。ショッピングバッグを手に持って、稲田登戸の自宅に帰った葵が郵便箱を開けた。封筒が一通、入っていた。部屋に入った夏目が封筒を開けた。送り主の名前も住所もなかったが、切手に群馬県伊香保町とスタンプが押されていた。手紙はカタカナで「バンサンカイヘゴショウタイ、バショ、キツネズカジンジャ、ニチジ、クリスマスイブ、シンヤ」と書かれていた。
「これは、メッセージだわ。でも、何故、私に送ってきたのかしら?」
――メッセージはミハイルじゃないか?何故だろう?私を誘拐するつもりかしら?それなら、手紙で狐塚なんて書いてくるはずがない。私が知念さんに伝えれば、機動隊が飛んで行く。葵がグーグルで伊香保狐塚神社を探した。写真が出た。見たことのない小さな神社である。階段がなく、鳥居が朽ちていた。社務所があるが、雨戸が閉まっている。説明があった。
――狐塚神社は、昭和四年インフルエンザが日本を襲い、二〇〇〇人が死んだ。ほとんどが児童だった。その年に魔除けに建てられた神社です。この神社はあまり運のよい神社ではなかった。どういうワケか、この神社の森で服毒自殺を図ったり、肺病を患っていた若い女性が神殿で首を吊った。どれも真夜中だった。そのため、参拝する人はいない。神社庁も見放し、修理しないので、鳥居も、神殿も朽ち果てている。心ある村人が線香を上げたり、参道を箒で掃くぐらいである。参拝を勧めません。みなさま、是非、来ないでください、、
葵が青ざめた。立ち上がると、キッチンで湯を沸かして、茶の葉を急須に入れた。湯呑茶碗に差して飲んだ。少しだが、気が落ち着いた。
――ミハイルが私を誘っている。これは悪魔の招待なのだ、、ニューナンブM六〇を習うべきだった。男性刑事たちは、チャカなんて言ってた。三八口径って、何のことか分からないけど、拳銃庫を見に行ったとき、男性刑事たちは、子供のように嬉しそうな顔してたわ。自分は掌握力が足りないからと、チャカを許可されていない。勝子さんはハンクに習ったらしいけど、婦人刑事が拳銃を携行することは極まれなのだ。男性刑事だって、拳銃を現場で撃つのは一生で一度あるかないかなのだ。あんなもの持ち歩きたくないわ。でも、今こそチャカが欲しい、、
十二月二十二日、金曜日、、
夏目葵が朝八時に登庁すると有坂勝子が先に来ていた。葵が勝子に包装紙に赤いリボンのついたプレゼントを渡した。
「まあ、夏目先輩、有難う。私も先輩にプレゼントがあるのよ。明日からクリスマス休暇だけど、私たち、刑事だから、いつ呼び出されるか分からないわね」
「そうね。勝子さん、今、ミハイルが動き始めているから、なおさらなのよ」
そこへ知念からメッセージが届いた。二人が知念の部屋に行った。
「夏目君、有坂君、君たちにプレゼントがある」と知念が小さな箱を渡した。
「あら、係長、これ何なんですか?」
「開けてごらん」
二人が開けると、沖縄産の桃色サンゴのネックレスだった。ハンクがコーヒーポットとドーナッツを持って入って来た。
「夏目先輩、おはよう」
「結婚生活はどうなの?」
「勝子が妊娠したようなんです」
「わあ、嬉しい」
「丸子君、そうなの?何か祝賀会をやらんといかんなあ」
「いや、係長、この件が解決するまで出来ません」
「今日は何もないが、課長が特捜会議を十時にやるって言っている。群馬県警の高橋刑事さんも出られる。村田先輩も出られる。議題は、ミハイルをどう拘束するかだ。みんな、意見をまとめておいてくれないか?」
葵が謎の手紙を話すべきかと迷っていた。
2
特捜会議は、いつになく騒がしかった。伊香保村の報告を聞くと大騒ぎになった。千葉刑事が手を挙げた。
「知念君、地蔵峠の謎は解けたかね?」
「いえ、先輩、ミハイルを捕らえないと事件が起きますので、余裕がないんです。ミハイルを拘束すると、全容が分かると考えます」
「知念君、俺の経験では、予期したことと違う結果が多かった。君は、向ヶ丘遊園殺人事件で経験した。この地蔵峠人形事件は、今までにない展開を見せるだろう」
「ご先輩、ボクは、ミハイルのマジックを見破りたいんです。ミハイルは知恵遅れだと言われていますが、ボクはそう思わないんです。走馬と同じ、IQだと思います」
村田探偵が手を挙げた。
「魔術師相手には、ニューチームが要るよ。俺は、ミハイルの格好が気になる。大きなマスク、軍手だ。マスクは分かるが、いつも手に軍手を嵌めている。手を隠しているんだ」
「本日は、鑑識課の田島充主任に出席して頂いています。田島さん、こちらへいらしてください」
田島が液晶パネルの前に立った。スイッチを押した。丘陵の森林の中に聳え立つ中世のお城が写った。何か謎めいていて、肌寒くなる形のお城である。裾野の草原には赤い屋根、白い壁の家が見えたが、四〇軒もなかった。草原に羊の群れが写っていた。
「なんだ、これは?」と仁科がつぶやいた。
「これは、ルーマニアのトランシルバニア地方なんです。このお城は、ドラキュラの城と言われています。この地方は海抜二〇〇〇~二二〇〇メートルの高地なんです。いわば、日本アルプスの頂上辺りに住んでいることになります。そのためにトランシルバニアに住む人の胸部は発達しているんです。日本人の二倍と言ってもいいでしょう。つまり山岳民族なんです」
「ずいぶん樹が茂っているね」
仁科が関心を持った。
「課長さん、これは落ち葉広葉樹林なんです。ナラがほとんどなんです。ヨーロッパには、カラマツやモミはないんです。低地には、ムゴマツという松が多いんです。それが理由で林業が盛んなんです」
「それで、本件とドラキュラに関係があるとでも言うんかね?」
「いえ、そうじゃなくて、ルーマニアには人形館が多いんです。このトランシルバニアの人形館をお見せします」
刑事も、仁科も、怖い顔になっていた。映像が映った。赤い髪の毛が毛糸で出来た綿入れ人形が深紅のウエディングドレスを着て、右手に包丁を持っていた。田島がスライドで見せた。どれも首を括った人形であったり、手足をもぎられていたり。のこぎりのような歯を剥き出していたり、赤子を口に咥えていたり、爬虫類の目を持っているのもあった。人形の多くは刃物や鎌を持っていた。刑事がため息を吐いた。田島がスイッチを切った。
「気味悪いモノ見ちゃったな」と仁科が言った。
「田島さん、双子の母親はルーマニア人なんですか?」
村田が聞いた。
「そうだと思います」
「魔術は、ルーマニアにもあるの?」
「魔術の発祥地なんです。現在は、ローマですが」
会議室にうなり声が沸いた。苦痛の声だった。知念が田島に感謝の意を述べた。夏目葵が手を挙げた。
「女性二人を浚った理由は何なんでしょうか?女性は殺害されたんでしょうか?」
「心理学者の言うには、復讐なんだそうです」
「すると、やはり長野県警の冤罪事件に関係する。だけど、試験管ベービーXとどう繋がる?それにだね、沢田健司や北原慎次郎を殺ればいいだけで、その娘を浚ったというのが俺には解せない」
「佐伯先輩、先輩とルーキーのボクが担当した向ヶ丘遊園で首を吊った山形和子も復讐だった。双子の復讐は複雑な心理が関わっていると思います」
「これ、ヒッチコックだね」
「こういうのを、サイコ・スリラーって言わない?」と有坂が言った。
「おもしろ~い」とハンクが言った。有坂がハンクの袖を引っ張った。やはり仁科に睨まれた。夏目が手を挙げた。
「係長、私は、女性たちは、どこかで生きていると思うんです」
「その理由は?」
「ミハイルが伊香保のスーパーで冷凍食品やパン、菓子類、ミルクを大量に買って、自転車の買い物篭に入れた。そこに引っ掛かるんです」
「それ現実味があるね」
「生きているなら、やはり美香保村かな?」
高橋が立ち上がった。
「群馬県警は蟻の穴まで探し回ったんですが、伊香保村はシロですね」
「それでは、みなさん、クリスマスなんです、よく休んで次の戦いに備えてください」と知念が括った。刑事たちがガタガタと立ち上がった。
「夏目さんは休暇をどうするの?」
「勝子さん、私、高校時代の同級生と温泉へ行くのよ。知念先輩は?」
「ボクは、久しぶりに母をやはり温泉に連れて行く」
「それでは、月曜日に会いましょう」
第十八章
十二月二十一日、木曜日、、
夏目葵が霞が関の警視庁を出て地下鉄丸の内線に乗った。新宿西口に着くと、街角からジングルベルが聞こえた。百貨店で、葵が、母親、妹、知念、有坂とハンクのためにクリスマスプレゼントを買った。ショッピングバッグを手に持って、稲田登戸の自宅に帰った葵が郵便箱を開けた。封筒が一通、入っていた。部屋に入った夏目が封筒を開けた。送り主の名前も住所もなかったが、切手に群馬県伊香保町とスタンプが押されていた。手紙はカタカナで「バンサンカイヘゴショウタイ、バショ、キツネズカジンジャ、ニチジ、クリスマスイブ、シンヤ」と書かれていた。
「これは、メッセージだわ。でも、何故、私に送ってきたのかしら?」
――メッセージはミハイルじゃないか?何故だろう?私を誘拐するつもりかしら?それなら、手紙で狐塚なんて書いてくるはずがない。私が知念さんに伝えれば、機動隊が飛んで行く。葵がグーグルで伊香保狐塚神社を探した。写真が出た。見たことのない小さな神社である。階段がなく、鳥居が朽ちていた。社務所があるが、雨戸が閉まっている。説明があった。
――狐塚神社は、昭和四年インフルエンザが日本を襲い、二〇〇〇人が死んだ。ほとんどが児童だった。その年に魔除けに建てられた神社です。この神社はあまり運のよい神社ではなかった。どういうワケか、この神社の森で服毒自殺を図ったり、肺病を患っていた若い女性が神殿で首を吊った。どれも真夜中だった。そのため、参拝する人はいない。神社庁も見放し、修理しないので、鳥居も、神殿も朽ち果てている。心ある村人が線香を上げたり、参道を箒で掃くぐらいである。参拝を勧めません。みなさま、是非、来ないでください、、
葵が青ざめた。立ち上がると、キッチンで湯を沸かして、茶の葉を急須に入れた。湯呑茶碗に差して飲んだ。少しだが、気が落ち着いた。
――ミハイルが私を誘っている。これは悪魔の招待なのだ、、ニューナンブM六〇を習うべきだった。男性刑事たちは、チャカなんて言ってた。三八口径って、何のことか分からないけど、拳銃庫を見に行ったとき、男性刑事たちは、子供のように嬉しそうな顔してたわ。自分は掌握力が足りないからと、チャカを許可されていない。勝子さんはハンクに習ったらしいけど、婦人刑事が拳銃を携行することは極まれなのだ。男性刑事だって、拳銃を現場で撃つのは一生で一度あるかないかなのだ。あんなもの持ち歩きたくないわ。でも、今こそチャカが欲しい、、
十二月二十二日、金曜日、、
夏目葵が朝八時に登庁すると有坂勝子が先に来ていた。葵が勝子に包装紙に赤いリボンのついたプレゼントを渡した。
「まあ、夏目先輩、有難う。私も先輩にプレゼントがあるのよ。明日からクリスマス休暇だけど、私たち、刑事だから、いつ呼び出されるか分からないわね」
「そうね。勝子さん、今、ミハイルが動き始めているから、なおさらなのよ」
そこへ知念からメッセージが届いた。二人が知念の部屋に行った。
「夏目君、有坂君、君たちにプレゼントがある」と知念が小さな箱を渡した。
「あら、係長、これ何なんですか?」
「開けてごらん」
二人が開けると、沖縄産の桃色サンゴのネックレスだった。ハンクがコーヒーポットとドーナッツを持って入って来た。
「夏目先輩、おはよう」
「結婚生活はどうなの?」
「勝子が妊娠したようなんです」
「わあ、嬉しい」
「丸子君、そうなの?何か祝賀会をやらんといかんなあ」
「いや、係長、この件が解決するまで出来ません」
「今日は何もないが、課長が特捜会議を十時にやるって言っている。群馬県警の高橋刑事さんも出られる。村田先輩も出られる。議題は、ミハイルをどう拘束するかだ。みんな、意見をまとめておいてくれないか?」
葵が謎の手紙を話すべきかと迷っていた。
2
特捜会議は、いつになく騒がしかった。伊香保村の報告を聞くと大騒ぎになった。千葉刑事が手を挙げた。
「知念君、地蔵峠の謎は解けたかね?」
「いえ、先輩、ミハイルを捕らえないと事件が起きますので、余裕がないんです。ミハイルを拘束すると、全容が分かると考えます」
「知念君、俺の経験では、予期したことと違う結果が多かった。君は、向ヶ丘遊園殺人事件で経験した。この地蔵峠人形事件は、今までにない展開を見せるだろう」
「ご先輩、ボクは、ミハイルのマジックを見破りたいんです。ミハイルは知恵遅れだと言われていますが、ボクはそう思わないんです。走馬と同じ、IQだと思います」
村田探偵が手を挙げた。
「魔術師相手には、ニューチームが要るよ。俺は、ミハイルの格好が気になる。大きなマスク、軍手だ。マスクは分かるが、いつも手に軍手を嵌めている。手を隠しているんだ」
「本日は、鑑識課の田島充主任に出席して頂いています。田島さん、こちらへいらしてください」
田島が液晶パネルの前に立った。スイッチを押した。丘陵の森林の中に聳え立つ中世のお城が写った。何か謎めいていて、肌寒くなる形のお城である。裾野の草原には赤い屋根、白い壁の家が見えたが、四〇軒もなかった。草原に羊の群れが写っていた。
「なんだ、これは?」と仁科がつぶやいた。
「これは、ルーマニアのトランシルバニア地方なんです。このお城は、ドラキュラの城と言われています。この地方は海抜二〇〇〇~二二〇〇メートルの高地なんです。いわば、日本アルプスの頂上辺りに住んでいることになります。そのためにトランシルバニアに住む人の胸部は発達しているんです。日本人の二倍と言ってもいいでしょう。つまり山岳民族なんです」
「ずいぶん樹が茂っているね」
仁科が関心を持った。
「課長さん、これは落ち葉広葉樹林なんです。ナラがほとんどなんです。ヨーロッパには、カラマツやモミはないんです。低地には、ムゴマツという松が多いんです。それが理由で林業が盛んなんです」
「それで、本件とドラキュラに関係があるとでも言うんかね?」
「いえ、そうじゃなくて、ルーマニアには人形館が多いんです。このトランシルバニアの人形館をお見せします」
刑事も、仁科も、怖い顔になっていた。映像が映った。赤い髪の毛が毛糸で出来た綿入れ人形が深紅のウエディングドレスを着て、右手に包丁を持っていた。田島がスライドで見せた。どれも首を括った人形であったり、手足をもぎられていたり。のこぎりのような歯を剥き出していたり、赤子を口に咥えていたり、爬虫類の目を持っているのもあった。人形の多くは刃物や鎌を持っていた。刑事がため息を吐いた。田島がスイッチを切った。
「気味悪いモノ見ちゃったな」と仁科が言った。
「田島さん、双子の母親はルーマニア人なんですか?」
村田が聞いた。
「そうだと思います」
「魔術は、ルーマニアにもあるの?」
「魔術の発祥地なんです。現在は、ローマですが」
会議室にうなり声が沸いた。苦痛の声だった。知念が田島に感謝の意を述べた。夏目葵が手を挙げた。
「女性二人を浚った理由は何なんでしょうか?女性は殺害されたんでしょうか?」
「心理学者の言うには、復讐なんだそうです」
「すると、やはり長野県警の冤罪事件に関係する。だけど、試験管ベービーXとどう繋がる?それにだね、沢田健司や北原慎次郎を殺ればいいだけで、その娘を浚ったというのが俺には解せない」
「佐伯先輩、先輩とルーキーのボクが担当した向ヶ丘遊園で首を吊った山形和子も復讐だった。双子の復讐は複雑な心理が関わっていると思います」
「これ、ヒッチコックだね」
「こういうのを、サイコ・スリラーって言わない?」と有坂が言った。
「おもしろ~い」とハンクが言った。有坂がハンクの袖を引っ張った。やはり仁科に睨まれた。夏目が手を挙げた。
「係長、私は、女性たちは、どこかで生きていると思うんです」
「その理由は?」
「ミハイルが伊香保のスーパーで冷凍食品やパン、菓子類、ミルクを大量に買って、自転車の買い物篭に入れた。そこに引っ掛かるんです」
「それ現実味があるね」
「生きているなら、やはり美香保村かな?」
高橋が立ち上がった。
「群馬県警は蟻の穴まで探し回ったんですが、伊香保村はシロですね」
「それでは、みなさん、クリスマスなんです、よく休んで次の戦いに備えてください」と知念が括った。刑事たちがガタガタと立ち上がった。
「夏目さんは休暇をどうするの?」
「勝子さん、私、高校時代の同級生と温泉へ行くのよ。知念先輩は?」
「ボクは、久しぶりに母をやはり温泉に連れて行く」
「それでは、月曜日に会いましょう」
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第十七章
十二月十八日、、
知念が巣鴨の取り調べ官と会った。取り調べは進んでいなかった。最も肝心なのが、横浜中華街殺人事件である。事件は日曜日の夜に起きた。捜査一課は走馬のアリバイを調べた。走馬が住んでいる練馬のマンションを調べると、郵便箱に郵便物が溜まっていた。これは家に帰っていないということだ。不審な手紙はなかった。知念が取り調べ室に入った。手錠を掛けられた走馬と獄吏が入ってきた。走馬が会釈した。顔に精気がなかった。
「走馬君、体の調子はどうか?」
「運動不足です」
「話がしたいって聞いたんだが?」
走馬が獄吏を見た。
「刑務官さん、どうぞ引き取ってください」
獄吏が一礼して部屋を出て行った。
「知念先輩、ボクには、アリバイがある」
「アリバイ?証明できるかね」
「ボクは、甲子園にナイターを観に行った。東京ジャイアンツと阪神ホェールス戦です。ボクは阪神ファンなんです。養父が神戸の人だった。走馬雷雨という関西歌舞伎の衣装を作る人だった。ボクもよく手伝わされた。でも着物を縫うのは楽しかった。甲子園ですが、阪神ファンの観覧席にいたんです。これが写真です」
「走馬君、写真はどのようにでも偽造できるけど?」
「また会おうと、ファンたちと名刺を交換したんです」
「君らしくないな。君には、双子の弟がいるよね?」
知念が、リュックを背負った双子の写真を見せた。走馬が知念の目を見上げた。
「群馬の聖イグナチオ孤児院を知ってるよね?遠足で撮った写真だろ?君が投函したんだろ?」
「聖イグナチオ孤児院の捜査が必要だとボクが岩田技師に進言した」
「何故、足がつくことをした?」
「知念さん、ボクは社会に復讐したかった。双子説を述べた夏目君が感着いていると思った。ボクはもう時間がないと思った。ボクは精神を病んでいる」
「君の養子縁組はどのように行われたのかね?」
「養父の届けを調査したでしょ?横浜のソフィアロシア正教会がアレンジした。ボクは13歳だった。そこから走馬優の新しい人生が始まった」
「話したいって、それだけか?」
「ミハイルには何の罪もない」
「何故、山田松雄さんを撃った?」
走馬は答えなかった。
第十七章
十二月十八日、、
知念が巣鴨の取り調べ官と会った。取り調べは進んでいなかった。最も肝心なのが、横浜中華街殺人事件である。事件は日曜日の夜に起きた。捜査一課は走馬のアリバイを調べた。走馬が住んでいる練馬のマンションを調べると、郵便箱に郵便物が溜まっていた。これは家に帰っていないということだ。不審な手紙はなかった。知念が取り調べ室に入った。手錠を掛けられた走馬と獄吏が入ってきた。走馬が会釈した。顔に精気がなかった。
「走馬君、体の調子はどうか?」
「運動不足です」
「話がしたいって聞いたんだが?」
走馬が獄吏を見た。
「刑務官さん、どうぞ引き取ってください」
獄吏が一礼して部屋を出て行った。
「知念先輩、ボクには、アリバイがある」
「アリバイ?証明できるかね」
「ボクは、甲子園にナイターを観に行った。東京ジャイアンツと阪神ホェールス戦です。ボクは阪神ファンなんです。養父が神戸の人だった。走馬雷雨という関西歌舞伎の衣装を作る人だった。ボクもよく手伝わされた。でも着物を縫うのは楽しかった。甲子園ですが、阪神ファンの観覧席にいたんです。これが写真です」
「走馬君、写真はどのようにでも偽造できるけど?」
「また会おうと、ファンたちと名刺を交換したんです」
「君らしくないな。君には、双子の弟がいるよね?」
知念が、リュックを背負った双子の写真を見せた。走馬が知念の目を見上げた。
「群馬の聖イグナチオ孤児院を知ってるよね?遠足で撮った写真だろ?君が投函したんだろ?」
「聖イグナチオ孤児院の捜査が必要だとボクが岩田技師に進言した」
「何故、足がつくことをした?」
「知念さん、ボクは社会に復讐したかった。双子説を述べた夏目君が感着いていると思った。ボクはもう時間がないと思った。ボクは精神を病んでいる」
「君の養子縁組はどのように行われたのかね?」
「養父の届けを調査したでしょ?横浜のソフィアロシア正教会がアレンジした。ボクは13歳だった。そこから走馬優の新しい人生が始まった」
「話したいって、それだけか?」
「ミハイルには何の罪もない」
「何故、山田松雄さんを撃った?」
走馬は答えなかった。
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第十五章
十二月六日、、
集合が担当刑事たちに伝えられた。刑事たちは、二人一組で、それぞれの捜査や調査を行っていたので、集合は簡単ではなかった。仁科が「一時間以内に来い」と命じた。知念とハンクがやってきた。
「丸子君、知念君から聞いたよ。何故、結婚したって言わないんだ?」
「仁科課長、もう結婚式も新婚旅行もやったじゃないですか?」
「ハハハ、まあそうだけど事件解決後にはやるぞ!」
聞いていた知念が笑っていた。
「仁科課長、走馬優は聴取に応じていますか?」
「いや、黙秘権を使っている。監察官が相馬はソクラテスのように見えるとリポートに書いている。高崎の孤児院に関して走馬を問い糾したが、口を閉ざしたままだ。看護婦長と金髪の大男の写真を見せると、形相が変わった」
会議室に刑事たちが入ってきた。一人、髪の長いヒッピー風の青年が知念の横の席に着いていた。知念が立ち上がった。ミハイルと思われる人物を追跡したと言うと。騒然となった。千葉が立ち上がった。
「自転車も、男も、かき消えたって?それじゃ、マジックじゃないか。俺、デカをやめたくなった」
「先輩、やめるなんて言わないでください。今日は、マジシャンにきて頂いたのです。若山さんは、フージーニ・マジック・スクール免許皆伝の一人なんです」と青年を紹介した。青年が立ち上がった。手にトランプカードの一式を持っていた。一方の手から一方の手に、または逆に、パラパラパラと52枚のカードを飛ばして移した。カードは繋がっているように見えた。カードを手の平の上に置いて握った。拳を開くとカードが消えていた。
「刑事さん、これは手品です。ミハイルはフージーニの光と鏡のマジックを習ったんです。ローマのフージーニ学院には世界中のマジック愛好家が来ます。マジックの秘密は極秘なんです。マジックでメシを食っているプロにしかその秘密は伝授されません。ミハイルが入学資格に合格したとは思われません。保証金も一ミリオンドルなんです。保証人も要りますから、ほとんどインポシブルなんです.。すると、ミハイルは誰かから習ったとなります。私とて、光と鏡のマジック以外は言えません。家の中は真っ暗だった。月夜でもなかった。空は曇っていた」
「それじゃ、ミハイルは家の中にいたと言うんだね?自転車もどこかにあった?」
「そうですが、ミハイルは幻影だったと思います」
「幻影?」
「そうです。3Dのイメージです。ディズニーランドへ行ったことはありますか?観客の前に三〇センチのアラビアの女が現れて笛の音色で踊る。そして、煙と共に消える」
知念が立ち上がった。
「若山さん、有難う。あなたは魔術師なんです。助言をください」
和歌山が手を顎に当てて考えていた。立ち上がった。刑事たちも、仁科も、身を乗り出していた。
「幻かどうかを見破る方法があります。赤外線ランプです。光は赤外線に弱いんです」
「仁科課長、そんなもんあるんですか?」
「千葉君、陸自に聞くしかない」
「警視庁も魔術課を置かないとダメだなあ」
「佐伯君、そんな一億円が出るわけがないよ。赤外線は何とかする」
「知念君、するとだね、結局、伊香保村は事件には関係がないのかね?」
「先輩、伊香保村付近をもっと探る必要があります。ミハイルがした買い物も気になります。その付近に潜んでいると思うんです」
「俺も、そう思うよ。だが、グーグルの衛星写真だと、伊香保村の北には山しかないね」
第二話
第十六章
十二月十六日、、、
防犯カメラに映った男のイメージが捜査一課に贈られてきた。同じ男だ。午後十一時だった。送り主は、伊香保のスーパーだった。翌朝、知念とハンクが高崎の群馬県警本部にいた。県警が覆面パトロールカーを出した。高橋刑事が加わった。警官が車を発進させた。
「知念さん、もう一度、あの家を見に行きましょう」
「高橋さん、それもだけど、どこにアジトがあるのか?牛舎もクリーンだし」
三〇分で伊香保神社を通りすぎた。家が見えた。家には錠がかかっていた。鍵を預かっていた高橋が錠を外した。家の中に窓から陽が射していた。廊下を懐中電灯で照らした。男の運動靴の後があった。自転車の轍(わだち)も残っていた。やはり和歌山が言った通りである。
「丸子君、すると、ここからどこへ行ったんだろうか?」
「ボクは捜査官の才能はないんですが、素人のボクは、あの牛舎に興味を持ったんです」
「でも、群馬県警が徹底的に検証したけど、何も出なかった」
「先輩、何か仕掛けがあるように思うんです」
「例えば?」
「あの家から、三〇〇メートル手前に神社がありましたよね?」
「それで?」
「ボクはあの神社も怪しいと思うんです」
「どうして?」
「神社には隠れ家的な要素があります。神社に隠れていた銀行強盗が発見されるというテレビドラマを見たんです」
「ええ~?では、行ってみようか?」
「あの伊香保神社は由緒ある神社です。森の中にあって、階段は神殿だけで敷地は平なんです。知念さん、神社庁に問い合わせないと警察は入れませんが?」
「じゃあ、参拝者として行動しよう」
おみくじを売る社務所はあったが、日没に近いので都が閉まっていた。看板が立っていた。
――伊香保神社は、安土桃山の時代より、この土地の人々が参った由緒ある神社です。大和民族の神は仏陀ではなく、やおよろずの神々です。大和民族は、山の神、海の神、川の神を敬った。自然の全てに神が宿ると信じたのです。参拝する皆様、どうかこの神宿る森を汚さないでください。
「丸子君、これ、つまり、神域っていうことだね。事件に関係しないと思うけど?」
ハンクが上司を無視して、森の中に入って行った。ハンクが写真を撮った。知念がハンクは意外に頑固だなと感心していた。高橋が牛舎のオーナーに電話を掛けた。人差し指と親指で円を作って知念にウインクした。ついで、県警にレンジャー出動を要請した。
「高橋さん、この辺りにコーヒー店はあるの?」
「ありませんよ。私が持って来ました」と魔法瓶を叩いた。県警が来るまで、レンゲ草の上に座ってコーヒーを飲み、温泉饅頭を食べた。県警のホロの掛かったトラックがやって来るのが見えた。レンジャーが降りた。レンジャーが、手に、スコップやバール、ハンマーを持っていた。
「隠れているなら、地下だろう」と牛舎の床を掘り返した。三時間も掘ったり、叩いたりしたが、何も出なかった。県警が伊香保の道路と言う道路にパトカーを置いて、監視したが、カメラに写った男は現れなかった。知念が仁科に報告した。
「知念君、走馬は無罪じゃないかと言う捜査官がいる。走馬は、IQが高い。捜査官歴もある。法律をよく知っている。走馬が君に会いたいと言っている。君になら話すんじゃないかと俺は思う。警視庁に戻ってくれ」
「課長、遺伝子研究所の結果はどうだったんですか?」
「シロだった。走馬には爬虫類にしか見られないと言う遺伝子はなかった」
第十五章
十二月六日、、
集合が担当刑事たちに伝えられた。刑事たちは、二人一組で、それぞれの捜査や調査を行っていたので、集合は簡単ではなかった。仁科が「一時間以内に来い」と命じた。知念とハンクがやってきた。
「丸子君、知念君から聞いたよ。何故、結婚したって言わないんだ?」
「仁科課長、もう結婚式も新婚旅行もやったじゃないですか?」
「ハハハ、まあそうだけど事件解決後にはやるぞ!」
聞いていた知念が笑っていた。
「仁科課長、走馬優は聴取に応じていますか?」
「いや、黙秘権を使っている。監察官が相馬はソクラテスのように見えるとリポートに書いている。高崎の孤児院に関して走馬を問い糾したが、口を閉ざしたままだ。看護婦長と金髪の大男の写真を見せると、形相が変わった」
会議室に刑事たちが入ってきた。一人、髪の長いヒッピー風の青年が知念の横の席に着いていた。知念が立ち上がった。ミハイルと思われる人物を追跡したと言うと。騒然となった。千葉が立ち上がった。
「自転車も、男も、かき消えたって?それじゃ、マジックじゃないか。俺、デカをやめたくなった」
「先輩、やめるなんて言わないでください。今日は、マジシャンにきて頂いたのです。若山さんは、フージーニ・マジック・スクール免許皆伝の一人なんです」と青年を紹介した。青年が立ち上がった。手にトランプカードの一式を持っていた。一方の手から一方の手に、または逆に、パラパラパラと52枚のカードを飛ばして移した。カードは繋がっているように見えた。カードを手の平の上に置いて握った。拳を開くとカードが消えていた。
「刑事さん、これは手品です。ミハイルはフージーニの光と鏡のマジックを習ったんです。ローマのフージーニ学院には世界中のマジック愛好家が来ます。マジックの秘密は極秘なんです。マジックでメシを食っているプロにしかその秘密は伝授されません。ミハイルが入学資格に合格したとは思われません。保証金も一ミリオンドルなんです。保証人も要りますから、ほとんどインポシブルなんです.。すると、ミハイルは誰かから習ったとなります。私とて、光と鏡のマジック以外は言えません。家の中は真っ暗だった。月夜でもなかった。空は曇っていた」
「それじゃ、ミハイルは家の中にいたと言うんだね?自転車もどこかにあった?」
「そうですが、ミハイルは幻影だったと思います」
「幻影?」
「そうです。3Dのイメージです。ディズニーランドへ行ったことはありますか?観客の前に三〇センチのアラビアの女が現れて笛の音色で踊る。そして、煙と共に消える」
知念が立ち上がった。
「若山さん、有難う。あなたは魔術師なんです。助言をください」
和歌山が手を顎に当てて考えていた。立ち上がった。刑事たちも、仁科も、身を乗り出していた。
「幻かどうかを見破る方法があります。赤外線ランプです。光は赤外線に弱いんです」
「仁科課長、そんなもんあるんですか?」
「千葉君、陸自に聞くしかない」
「警視庁も魔術課を置かないとダメだなあ」
「佐伯君、そんな一億円が出るわけがないよ。赤外線は何とかする」
「知念君、するとだね、結局、伊香保村は事件には関係がないのかね?」
「先輩、伊香保村付近をもっと探る必要があります。ミハイルがした買い物も気になります。その付近に潜んでいると思うんです」
「俺も、そう思うよ。だが、グーグルの衛星写真だと、伊香保村の北には山しかないね」
第二話
第十六章
十二月十六日、、、
防犯カメラに映った男のイメージが捜査一課に贈られてきた。同じ男だ。午後十一時だった。送り主は、伊香保のスーパーだった。翌朝、知念とハンクが高崎の群馬県警本部にいた。県警が覆面パトロールカーを出した。高橋刑事が加わった。警官が車を発進させた。
「知念さん、もう一度、あの家を見に行きましょう」
「高橋さん、それもだけど、どこにアジトがあるのか?牛舎もクリーンだし」
三〇分で伊香保神社を通りすぎた。家が見えた。家には錠がかかっていた。鍵を預かっていた高橋が錠を外した。家の中に窓から陽が射していた。廊下を懐中電灯で照らした。男の運動靴の後があった。自転車の轍(わだち)も残っていた。やはり和歌山が言った通りである。
「丸子君、すると、ここからどこへ行ったんだろうか?」
「ボクは捜査官の才能はないんですが、素人のボクは、あの牛舎に興味を持ったんです」
「でも、群馬県警が徹底的に検証したけど、何も出なかった」
「先輩、何か仕掛けがあるように思うんです」
「例えば?」
「あの家から、三〇〇メートル手前に神社がありましたよね?」
「それで?」
「ボクはあの神社も怪しいと思うんです」
「どうして?」
「神社には隠れ家的な要素があります。神社に隠れていた銀行強盗が発見されるというテレビドラマを見たんです」
「ええ~?では、行ってみようか?」
「あの伊香保神社は由緒ある神社です。森の中にあって、階段は神殿だけで敷地は平なんです。知念さん、神社庁に問い合わせないと警察は入れませんが?」
「じゃあ、参拝者として行動しよう」
おみくじを売る社務所はあったが、日没に近いので都が閉まっていた。看板が立っていた。
――伊香保神社は、安土桃山の時代より、この土地の人々が参った由緒ある神社です。大和民族の神は仏陀ではなく、やおよろずの神々です。大和民族は、山の神、海の神、川の神を敬った。自然の全てに神が宿ると信じたのです。参拝する皆様、どうかこの神宿る森を汚さないでください。
「丸子君、これ、つまり、神域っていうことだね。事件に関係しないと思うけど?」
ハンクが上司を無視して、森の中に入って行った。ハンクが写真を撮った。知念がハンクは意外に頑固だなと感心していた。高橋が牛舎のオーナーに電話を掛けた。人差し指と親指で円を作って知念にウインクした。ついで、県警にレンジャー出動を要請した。
「高橋さん、この辺りにコーヒー店はあるの?」
「ありませんよ。私が持って来ました」と魔法瓶を叩いた。県警が来るまで、レンゲ草の上に座ってコーヒーを飲み、温泉饅頭を食べた。県警のホロの掛かったトラックがやって来るのが見えた。レンジャーが降りた。レンジャーが、手に、スコップやバール、ハンマーを持っていた。
「隠れているなら、地下だろう」と牛舎の床を掘り返した。三時間も掘ったり、叩いたりしたが、何も出なかった。県警が伊香保の道路と言う道路にパトカーを置いて、監視したが、カメラに写った男は現れなかった。知念が仁科に報告した。
「知念君、走馬は無罪じゃないかと言う捜査官がいる。走馬は、IQが高い。捜査官歴もある。法律をよく知っている。走馬が君に会いたいと言っている。君になら話すんじゃないかと俺は思う。警視庁に戻ってくれ」
「課長、遺伝子研究所の結果はどうだったんですか?」
「シロだった。走馬には爬虫類にしか見られないと言う遺伝子はなかった」
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第十四章
1
十二月五日、、、
上州名物、赤城おろしの空っ風が吹いていた。黒い革ジャン、黒いボッカズボン、グレーのタートルネック、野球帽、サングラス、目の下から顎まで覆う白いマスクをかけ、手に軍手を嵌めた男が高崎駅東口の監視カメラの下を通った。男は中背である。男が上越線高崎駅の六番線ホームに出た。ここでも監視カメラの下を通った。男がみなかみ行の各駅停車に乗った。監視カメラの担当者が電話を取った。群馬県警は高崎署の刑事四人に指示を出した。
「電車は出ましたよ。各駅の改札口の監視カメラの報告を待つしか手がありませんが」
「各駅に刑事を送る」
高崎署は若い刑事を選んだ。渋川は高崎の次の駅である。二十四分後、渋川駅から電話が入った。二人の刑事が改札口を出た男を追った。刑事たちはスポーツシャツを着て、ハンチング、運動靴の姿だった。男が伊香保温泉行バスに乗った。刑事たちが男の後からバスに乗った。二十二分で伊香保町に着いた。男が降りた。刑事たちが続いた。伊香保警察の警官が二人、ボックスカーで待っていた。警官は野球帽、ゴルフシャツを着ていた。刑事の一人がボックスカーに手を挙げた。もう一人は男の後ろを歩いていた。男が駅前の自転車置き場に行った。買い物篭が前に付いたママチャリである。男がスーパーに入った。刑事も入った。刑事が店内にある自動販売機からホットコーヒーを買った。男が冷凍食品のコーナーにいた。大量に買い込んでいる。ミニ家族なら一か月分だ。男がレジに歩いて行った。刑事が男に当たった。持っていたコーヒーを落とした。コーヒーが男の上着にかかった。
「あっ、すみません。汚してしまって」と言うとハンカチをポケットから取り出した。
「ああ、大丈夫です」と男が手を振った。ロボットのような金属製の声である。これを刑事は胸のポケットに入れた警察仕様ミニレコーダーで録音した。刑事が店を先に出た。男が自転車に乗って北へ行った。男は観光スポットの石段の前で温泉饅頭を買った。155号線の交差点にきた。県道の向かい側は伊香保村である。刑事の一人が携帯を取った。
「警部補、高橋です。職務質問しますか?」
「いや、今日は、行き先を突き止めるだけだ。質問しても、相手には、答える義務がない」
三キロ来た。伊香保神社の前を通った。前席の刑事がビデオに撮っていた。畑があったが小規模である。ポツポツと家がある。その一軒に男が自転車を停めた。ドアが内側から開いた。男が自転車を中に入れた。
「高橋さん、どうしますか?」
「何も出来ないね」
警部補が携帯を取った。
「車を見られたんだろう。その家の写真を送ってくれんか?」
二〇分が経った。刑事の携帯が鳴った。
「高橋君、その家は空き家だそうだよ」
「空き家なんですか?部長、何とか中に入れないですか?」
「オーナーの許可がなければ入れない。オーナーを探すから待っていてくれ」
携帯が鳴った。
「高橋君、その家の持ち主なんだが、老夫婦で今年の三月に練炭自殺したんだそうだ。現在、相続争いで裁判中なんだ。高崎家裁の許可を貰う。待っててくれ」
太陽が南アルプスの北端にある鋸岳(のこぎりだけ)の陰に入ろうとしていた。腕時計を見ると、まだ、四時三〇分である。携帯が鳴った。
「高橋君、高崎家裁の許可は明日の九時になると言っている。伊香保のホテルを取った。タクシーでホテルに行き、交代で見張ってくれ」
群馬県警から電話が入った。知念が電話を取った。話を聞いた知念が仁科の部屋に飛んで行った。
「直感なんだが、そのマスクの男が、ミハイルだろう。高崎家裁を待ってはおれん。車を出す。君と丸子君が行ってくれんか?」
知念がハンクを呼んだ。ハンクが飛んできた。警視庁から伊香保村まで、三時間かかった。ボックスカーの高橋刑事と会った。日はとっぷり暮れていた。空が曇っていた。さっきまで瞬いていた星が消えていた。知念が許可なしに踏み込むと言うと高橋が喜んだ。運転手を残して四人の刑事が懐中電灯を手に持って、三〇〇メートル先に見える家に向かった。車で行くと気着くからである。知念がドアを叩いた。ハンクが耳をドアのガラス窓にくっつけていた。
「係長、コトリとも音がしないですね」
知念がコルト・リボルバーを胸のケースから抜いた。ハンクもワルサーを抜いた。高崎署の警官に裏口へまわれと手で合図した。ドアの取っ手を回して押すとドアが簡単に開いた。懐中電灯を照らした。廊下が見えた。知念が障子を開けて、畳に土足で上がった。ハンクが青ざめていた。自殺があった家である。男も、自転車も消えていた。二人が裏口に行くと鍵がかかっていた。「はてな?」と知念が不思議に思った。外に出た。高橋刑事の姿が闇に見えた。
「高橋さん、あなたがたは、裏口を見張っていたんですか?」
「もちろんです。一人が張っていたんです」
知念が捜査一課に電話を掛けた。夜の八時を過ぎていたが、仁科が出た。
「煙のようにかき消えたって?魔術だな。月のない闇夜ではどうにもならん。自宅に帰ってくれ」
「課長、伊香保のホテルに泊まって、明日、この辺りを調べたいんです」
「分かった。車もそのままでいい。家族用の部屋を取ってみんなで寝てくれ」
「丸子君、何か美味いものを食えって課長が言ってる」
「係長、上州和牛のステーキを食べたいんです」
「あのお化け屋敷を見た後ではね』
運転手の警官が喜んでいた。温泉は久しぶりだからである。
2
三人は、ご飯、みそ汁、温泉卵の朝飯を食うとホテルを出た。「係長さん、この先には何もないですよ」とカーナビを見ていた運転手の警官が言った。牛舎が一つ、壊れた屋根に青いシートがかかった廃屋が一軒あった。知念、ハンク、警官が廃屋に入った。人が住んでいる気配はなかった。
「先輩、牛舎はどうします?」
「オーナーの許可が要るね」
「いえ、係長、オーナーと話したいんです」
高橋刑事が高崎からやってきた。牛舎でオーナーと会った。オーナーが驚くべきことを言った。
「昨年から使っていないんです。冬、この牛舎に牛を入れると、牛が死ぬんです。死んだ牛を解剖しても原因が判らなかったんです」
「雪の降る季節ですが、どうなさるんですか?」
「あれを見てください」とオーナーが北を指差していた。森の向こうに赤い屋根が見えた。デンマーク風の牛舎だった。知念が使わなくなった牛舎を見る許可を得た。オーナー、知念、ハンク、高橋が牛舎に入った。牛小屋と思っていたが近代的である。
「牛舎の構造を説明します」とオーナーが言った。
「これは、開放牛舎なんです。牛舎につづいて運動場もあります。この方式は群飼い方式とも呼ばれ、飼養管理が省力化できます。牛舎の南側に連続式のコンクリート飼槽を設け、給餌の時は牛の頸部を挟む連動スタンチョンで一頭ずつ保定します。休息場は土間やアスファルト舗装にし、敷料にはオガクズやワラ、完熟堆肥(たいひ)を使用します。敷料は七日ごとにトラクターで交換します。塩は給塩台で自由に与えます。母牛の条件などで2群に分けて飼うこともでき、この場合は子牛のみが自由に採食できる別飼い飼料を給与して、発育を促します。肥育経営では、四〇平方メートルの牛房で、六頭か、七頭を飼うのが一般的です。頭数が増えればそれだけ牛房が必要になり、大きな牛舎を造らなければなりません。群馬は山国。テキサスの荒野ではありません。日本では、牛を多くは飼えません」
「なるほど。コストのバランスが微妙なんだな。退職したら牛を飼おうと考えていたが、やめておこう。やっぱり養鶏がいい」と警官の一人が言った。
「鶏は、儲からないよ。ボクの実家は養鶏なんだが、よっぽど規模が大きくなければ、結局のところ、鶏を自分で絞めて食うことになる」と高橋が言った。
続く、、
第十四章
1
十二月五日、、、
上州名物、赤城おろしの空っ風が吹いていた。黒い革ジャン、黒いボッカズボン、グレーのタートルネック、野球帽、サングラス、目の下から顎まで覆う白いマスクをかけ、手に軍手を嵌めた男が高崎駅東口の監視カメラの下を通った。男は中背である。男が上越線高崎駅の六番線ホームに出た。ここでも監視カメラの下を通った。男がみなかみ行の各駅停車に乗った。監視カメラの担当者が電話を取った。群馬県警は高崎署の刑事四人に指示を出した。
「電車は出ましたよ。各駅の改札口の監視カメラの報告を待つしか手がありませんが」
「各駅に刑事を送る」
高崎署は若い刑事を選んだ。渋川は高崎の次の駅である。二十四分後、渋川駅から電話が入った。二人の刑事が改札口を出た男を追った。刑事たちはスポーツシャツを着て、ハンチング、運動靴の姿だった。男が伊香保温泉行バスに乗った。刑事たちが男の後からバスに乗った。二十二分で伊香保町に着いた。男が降りた。刑事たちが続いた。伊香保警察の警官が二人、ボックスカーで待っていた。警官は野球帽、ゴルフシャツを着ていた。刑事の一人がボックスカーに手を挙げた。もう一人は男の後ろを歩いていた。男が駅前の自転車置き場に行った。買い物篭が前に付いたママチャリである。男がスーパーに入った。刑事も入った。刑事が店内にある自動販売機からホットコーヒーを買った。男が冷凍食品のコーナーにいた。大量に買い込んでいる。ミニ家族なら一か月分だ。男がレジに歩いて行った。刑事が男に当たった。持っていたコーヒーを落とした。コーヒーが男の上着にかかった。
「あっ、すみません。汚してしまって」と言うとハンカチをポケットから取り出した。
「ああ、大丈夫です」と男が手を振った。ロボットのような金属製の声である。これを刑事は胸のポケットに入れた警察仕様ミニレコーダーで録音した。刑事が店を先に出た。男が自転車に乗って北へ行った。男は観光スポットの石段の前で温泉饅頭を買った。155号線の交差点にきた。県道の向かい側は伊香保村である。刑事の一人が携帯を取った。
「警部補、高橋です。職務質問しますか?」
「いや、今日は、行き先を突き止めるだけだ。質問しても、相手には、答える義務がない」
三キロ来た。伊香保神社の前を通った。前席の刑事がビデオに撮っていた。畑があったが小規模である。ポツポツと家がある。その一軒に男が自転車を停めた。ドアが内側から開いた。男が自転車を中に入れた。
「高橋さん、どうしますか?」
「何も出来ないね」
警部補が携帯を取った。
「車を見られたんだろう。その家の写真を送ってくれんか?」
二〇分が経った。刑事の携帯が鳴った。
「高橋君、その家は空き家だそうだよ」
「空き家なんですか?部長、何とか中に入れないですか?」
「オーナーの許可がなければ入れない。オーナーを探すから待っていてくれ」
携帯が鳴った。
「高橋君、その家の持ち主なんだが、老夫婦で今年の三月に練炭自殺したんだそうだ。現在、相続争いで裁判中なんだ。高崎家裁の許可を貰う。待っててくれ」
太陽が南アルプスの北端にある鋸岳(のこぎりだけ)の陰に入ろうとしていた。腕時計を見ると、まだ、四時三〇分である。携帯が鳴った。
「高橋君、高崎家裁の許可は明日の九時になると言っている。伊香保のホテルを取った。タクシーでホテルに行き、交代で見張ってくれ」
群馬県警から電話が入った。知念が電話を取った。話を聞いた知念が仁科の部屋に飛んで行った。
「直感なんだが、そのマスクの男が、ミハイルだろう。高崎家裁を待ってはおれん。車を出す。君と丸子君が行ってくれんか?」
知念がハンクを呼んだ。ハンクが飛んできた。警視庁から伊香保村まで、三時間かかった。ボックスカーの高橋刑事と会った。日はとっぷり暮れていた。空が曇っていた。さっきまで瞬いていた星が消えていた。知念が許可なしに踏み込むと言うと高橋が喜んだ。運転手を残して四人の刑事が懐中電灯を手に持って、三〇〇メートル先に見える家に向かった。車で行くと気着くからである。知念がドアを叩いた。ハンクが耳をドアのガラス窓にくっつけていた。
「係長、コトリとも音がしないですね」
知念がコルト・リボルバーを胸のケースから抜いた。ハンクもワルサーを抜いた。高崎署の警官に裏口へまわれと手で合図した。ドアの取っ手を回して押すとドアが簡単に開いた。懐中電灯を照らした。廊下が見えた。知念が障子を開けて、畳に土足で上がった。ハンクが青ざめていた。自殺があった家である。男も、自転車も消えていた。二人が裏口に行くと鍵がかかっていた。「はてな?」と知念が不思議に思った。外に出た。高橋刑事の姿が闇に見えた。
「高橋さん、あなたがたは、裏口を見張っていたんですか?」
「もちろんです。一人が張っていたんです」
知念が捜査一課に電話を掛けた。夜の八時を過ぎていたが、仁科が出た。
「煙のようにかき消えたって?魔術だな。月のない闇夜ではどうにもならん。自宅に帰ってくれ」
「課長、伊香保のホテルに泊まって、明日、この辺りを調べたいんです」
「分かった。車もそのままでいい。家族用の部屋を取ってみんなで寝てくれ」
「丸子君、何か美味いものを食えって課長が言ってる」
「係長、上州和牛のステーキを食べたいんです」
「あのお化け屋敷を見た後ではね』
運転手の警官が喜んでいた。温泉は久しぶりだからである。
2
三人は、ご飯、みそ汁、温泉卵の朝飯を食うとホテルを出た。「係長さん、この先には何もないですよ」とカーナビを見ていた運転手の警官が言った。牛舎が一つ、壊れた屋根に青いシートがかかった廃屋が一軒あった。知念、ハンク、警官が廃屋に入った。人が住んでいる気配はなかった。
「先輩、牛舎はどうします?」
「オーナーの許可が要るね」
「いえ、係長、オーナーと話したいんです」
高橋刑事が高崎からやってきた。牛舎でオーナーと会った。オーナーが驚くべきことを言った。
「昨年から使っていないんです。冬、この牛舎に牛を入れると、牛が死ぬんです。死んだ牛を解剖しても原因が判らなかったんです」
「雪の降る季節ですが、どうなさるんですか?」
「あれを見てください」とオーナーが北を指差していた。森の向こうに赤い屋根が見えた。デンマーク風の牛舎だった。知念が使わなくなった牛舎を見る許可を得た。オーナー、知念、ハンク、高橋が牛舎に入った。牛小屋と思っていたが近代的である。
「牛舎の構造を説明します」とオーナーが言った。
「これは、開放牛舎なんです。牛舎につづいて運動場もあります。この方式は群飼い方式とも呼ばれ、飼養管理が省力化できます。牛舎の南側に連続式のコンクリート飼槽を設け、給餌の時は牛の頸部を挟む連動スタンチョンで一頭ずつ保定します。休息場は土間やアスファルト舗装にし、敷料にはオガクズやワラ、完熟堆肥(たいひ)を使用します。敷料は七日ごとにトラクターで交換します。塩は給塩台で自由に与えます。母牛の条件などで2群に分けて飼うこともでき、この場合は子牛のみが自由に採食できる別飼い飼料を給与して、発育を促します。肥育経営では、四〇平方メートルの牛房で、六頭か、七頭を飼うのが一般的です。頭数が増えればそれだけ牛房が必要になり、大きな牛舎を造らなければなりません。群馬は山国。テキサスの荒野ではありません。日本では、牛を多くは飼えません」
「なるほど。コストのバランスが微妙なんだな。退職したら牛を飼おうと考えていたが、やめておこう。やっぱり養鶏がいい」と警官の一人が言った。
「鶏は、儲からないよ。ボクの実家は養鶏なんだが、よっぽど規模が大きくなければ、結局のところ、鶏を自分で絞めて食うことになる」と高橋が言った。
続く、、
10/07 | ![]() |
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第二話
第十三章
十一月二十一日、月曜日、、
やはり、東京地裁は。証拠不足と裁判要求を却下した。仁科が特捜会議を招集した。知念、ハンク、夏目葵、有坂勝子の四人が捜査一課に飛んで行った。特捜部の刑事と調査官が一斉に立ち上がった。
「君たちの苦労は良く判るが、実は、東京地裁が立件には証拠が足りないと言ってきた。君たちに伝えることがある」
仁科が試験管ベービーXを話した。双子の写真を配った。一枚の写真には双子がリュックを背負っていた。背景に紅葉が映える山が写っていた。小型の富士山のようである。会議室が騒然となった。
「知念君、今まで判ったことを話してくれんか?」
知念がファイルを手に持って立ち上がった。刑事たちが緊張していた。
「ご先輩のみなさん、先月、ボクは、新聞記事から「試験管ベービーⅩ」の全容を知りました。ボクは走馬優捜査官が東都医大で試験管ベービーの共同研究者だった山根孝教授に師事したことを知っていました。だが新聞記事を走馬には言わなかった。走馬はレーダーのような男です。走馬も記事を読んだと思います。先月、走馬捜査官と中央コンピューター管理室のデータ分析専門の岩波技師に高崎の孤児院を調査して貰ったんです。みなさんが走馬をしばらく見なかった理由です。例の鉄道路線は高崎を中心にしています。そこで高崎付近の孤児院を調べたんです。すると、群馬が日本で最も孤児院が多いことが判ったんです。聖イグナチオ孤児院が浮上しました。その孤児院は渋川市の西北二十キロ、赤城深山(あかぎみやま)にあるんです。みなさん、マップを見てください」
知念が大型の液晶モニターにグーグルマップをアップした。東に赤城山がある。ついで赤城深山(あかぎみやま)を映した。住宅は近代的だが、山村で山道である。うっそうとした森の中にせせらぎがあった。
「この孤児院は親元が判らない外国人や混血児を収容しているんです。だが、走馬が、あの孤児院は怪しいと言ったんです。理由を聞くと孤児を闇で売った疑いがあると言ったんです。仁科課長が指定暴力団特捜部の近藤力蔵刑事と丸子君に捜査令状を持たせて聖イグナチオ孤児院を訪問するように命じたんです。みなさん、ご存知の『力蔵さん』です。力蔵さんは警視庁きっての怖い刑事さんです。何しろ、会津若松組の組長を巣鴨で聴取中、ボコボコに殴って、腕をひねって脱臼させたというお方なんです。丸子君はハンクという異名を持つレスラー。力蔵さんとハンクがレナというロシア人の看護婦長に会ったんです。看護婦長の横に小人がいました。セムシなんです。小人の横に屈強な金髪の男がいた。令状を見せるとレナが青くなった。孤児を買った夫婦はどれもアメリカ人でした。ところが、肝心のサイモンとミハイルの情報が出てこないんです。双子は間違いなくこの孤児院にいた。力蔵さんが脅すと、金髪の男が力蔵さんを睨んだんです。力蔵さんが金髪の頬っぺたにビンタをくれた。金髪の顔に殺意が現われた。ハンクが、ワルサーを胸のケースから抜いて、天井に向けて発射した。蛍光灯に当たって落ちてきたそうです」
会議室が大笑いになった。
「みなさん、お静かにお願いします。金髪が手を挙げた。力蔵さんが男の金玉を思いっきり蹴り上げた。男は股を押さえて床に蹲った。看護婦長のレナ、金髪男をその場で逮捕した。現在、巣鴨拘置所に拘束されています。取り調べによると、看護婦長が双子の兄弟は逃げたと 言ったんです。いつのことかと聞くと、脱走は18年前で、双子は13歳だったと答えた。双子の脱走を警察に届け出なかった理由は他の犯罪が表に出るからです。児童虐待は普段、行われていた。女の子はレイプされた。レナが音頭を取って、職員同士も乱交をしょっちゅうやっていた。オウム真理教とちっとも変わらない。先週、孤児院に強制捜査が入り、孤児を収容して閉鎖された。みなさん、ご質問がありましたらどうぞ」
「双子は、いつその孤児院に引き取られたのかね?」
「すみません、うっかりしていました。双子は四歳ぐらいで、レナが、名前を聞くと、頭の良い子がサイモン、知恵遅れと思われる子がミハイルと言ったんです。日本語を話さない。二人は不思議な言葉で話したそうです。言語学者に聞くと、ルーマニアのトランシルバニア地方のロマンス語だったそうです」
「あのドラキュラのかね?」
「課長、そうです」
「知念君、そのストックホルムで投函された手紙なんだが、送り主は誰なのかね?」
「手紙にネームはなかったんですが、子宮を貸したマデリーンだと思います、写真を送ったのは相馬優です」
「相馬は何故、写真を郵送したんかな?」
「捕まえてみろという挑戦です」
「知念君、それで、ミハイルの消息は分からんの?」
「千葉先輩、ミハイルは、兄のサイモンが逮捕されたことを知っていますから、何かの行動に出ると思います。どのような行動に出るか、現在は、待つしかない」
「知念君、ちょっと待て。丸子君の意見を聞きたい」
ハンクが立ち上がった。
「ボクは捜査官というより、刑事なんです。知能系ではなく、体育系ですから。でも、最初の印象なんですが、ここは動物園だと思いました。何か、異様な臭いが漂っているんです。窓に鉄の格子があって、窓ガラスはフロストで中が見えない。孤児院ではなく収容所です。51歳の看護婦長のレナですが灰色の目をしていました。46歳の金髪の大男は、野獣の目をしていました。男の胸は熱く、鋼鉄のように思えました。ドイツ系ルーマニア人です。ボクは力蔵先輩を頼っていた。力蔵先輩が金髪にビンタをくれたので、とっさにワルサーを抜いて発砲したんです。蛍光灯が落ちてきたのにはびっくりしました」
「う~む、、」
ベテランの刑事たちがうなった。
続く、、
第十三章
十一月二十一日、月曜日、、
やはり、東京地裁は。証拠不足と裁判要求を却下した。仁科が特捜会議を招集した。知念、ハンク、夏目葵、有坂勝子の四人が捜査一課に飛んで行った。特捜部の刑事と調査官が一斉に立ち上がった。
「君たちの苦労は良く判るが、実は、東京地裁が立件には証拠が足りないと言ってきた。君たちに伝えることがある」
仁科が試験管ベービーXを話した。双子の写真を配った。一枚の写真には双子がリュックを背負っていた。背景に紅葉が映える山が写っていた。小型の富士山のようである。会議室が騒然となった。
「知念君、今まで判ったことを話してくれんか?」
知念がファイルを手に持って立ち上がった。刑事たちが緊張していた。
「ご先輩のみなさん、先月、ボクは、新聞記事から「試験管ベービーⅩ」の全容を知りました。ボクは走馬優捜査官が東都医大で試験管ベービーの共同研究者だった山根孝教授に師事したことを知っていました。だが新聞記事を走馬には言わなかった。走馬はレーダーのような男です。走馬も記事を読んだと思います。先月、走馬捜査官と中央コンピューター管理室のデータ分析専門の岩波技師に高崎の孤児院を調査して貰ったんです。みなさんが走馬をしばらく見なかった理由です。例の鉄道路線は高崎を中心にしています。そこで高崎付近の孤児院を調べたんです。すると、群馬が日本で最も孤児院が多いことが判ったんです。聖イグナチオ孤児院が浮上しました。その孤児院は渋川市の西北二十キロ、赤城深山(あかぎみやま)にあるんです。みなさん、マップを見てください」
知念が大型の液晶モニターにグーグルマップをアップした。東に赤城山がある。ついで赤城深山(あかぎみやま)を映した。住宅は近代的だが、山村で山道である。うっそうとした森の中にせせらぎがあった。
「この孤児院は親元が判らない外国人や混血児を収容しているんです。だが、走馬が、あの孤児院は怪しいと言ったんです。理由を聞くと孤児を闇で売った疑いがあると言ったんです。仁科課長が指定暴力団特捜部の近藤力蔵刑事と丸子君に捜査令状を持たせて聖イグナチオ孤児院を訪問するように命じたんです。みなさん、ご存知の『力蔵さん』です。力蔵さんは警視庁きっての怖い刑事さんです。何しろ、会津若松組の組長を巣鴨で聴取中、ボコボコに殴って、腕をひねって脱臼させたというお方なんです。丸子君はハンクという異名を持つレスラー。力蔵さんとハンクがレナというロシア人の看護婦長に会ったんです。看護婦長の横に小人がいました。セムシなんです。小人の横に屈強な金髪の男がいた。令状を見せるとレナが青くなった。孤児を買った夫婦はどれもアメリカ人でした。ところが、肝心のサイモンとミハイルの情報が出てこないんです。双子は間違いなくこの孤児院にいた。力蔵さんが脅すと、金髪の男が力蔵さんを睨んだんです。力蔵さんが金髪の頬っぺたにビンタをくれた。金髪の顔に殺意が現われた。ハンクが、ワルサーを胸のケースから抜いて、天井に向けて発射した。蛍光灯に当たって落ちてきたそうです」
会議室が大笑いになった。
「みなさん、お静かにお願いします。金髪が手を挙げた。力蔵さんが男の金玉を思いっきり蹴り上げた。男は股を押さえて床に蹲った。看護婦長のレナ、金髪男をその場で逮捕した。現在、巣鴨拘置所に拘束されています。取り調べによると、看護婦長が双子の兄弟は逃げたと 言ったんです。いつのことかと聞くと、脱走は18年前で、双子は13歳だったと答えた。双子の脱走を警察に届け出なかった理由は他の犯罪が表に出るからです。児童虐待は普段、行われていた。女の子はレイプされた。レナが音頭を取って、職員同士も乱交をしょっちゅうやっていた。オウム真理教とちっとも変わらない。先週、孤児院に強制捜査が入り、孤児を収容して閉鎖された。みなさん、ご質問がありましたらどうぞ」
「双子は、いつその孤児院に引き取られたのかね?」
「すみません、うっかりしていました。双子は四歳ぐらいで、レナが、名前を聞くと、頭の良い子がサイモン、知恵遅れと思われる子がミハイルと言ったんです。日本語を話さない。二人は不思議な言葉で話したそうです。言語学者に聞くと、ルーマニアのトランシルバニア地方のロマンス語だったそうです」
「あのドラキュラのかね?」
「課長、そうです」
「知念君、そのストックホルムで投函された手紙なんだが、送り主は誰なのかね?」
「手紙にネームはなかったんですが、子宮を貸したマデリーンだと思います、写真を送ったのは相馬優です」
「相馬は何故、写真を郵送したんかな?」
「捕まえてみろという挑戦です」
「知念君、それで、ミハイルの消息は分からんの?」
「千葉先輩、ミハイルは、兄のサイモンが逮捕されたことを知っていますから、何かの行動に出ると思います。どのような行動に出るか、現在は、待つしかない」
「知念君、ちょっと待て。丸子君の意見を聞きたい」
ハンクが立ち上がった。
「ボクは捜査官というより、刑事なんです。知能系ではなく、体育系ですから。でも、最初の印象なんですが、ここは動物園だと思いました。何か、異様な臭いが漂っているんです。窓に鉄の格子があって、窓ガラスはフロストで中が見えない。孤児院ではなく収容所です。51歳の看護婦長のレナですが灰色の目をしていました。46歳の金髪の大男は、野獣の目をしていました。男の胸は熱く、鋼鉄のように思えました。ドイツ系ルーマニア人です。ボクは力蔵先輩を頼っていた。力蔵先輩が金髪にビンタをくれたので、とっさにワルサーを抜いて発砲したんです。蛍光灯が落ちてきたのにはびっくりしました」
「う~む、、」
ベテランの刑事たちがうなった。
続く、、
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第十二章
十月八日、、日曜日、、
村田探偵からテキストが入った。
――自分は、今、走馬を尾行している、、
――村田先輩、走馬を偶然見たということにして、午後の五時にふたりで夕飯を食ってください。つぎに、「重大なことが分かった」と言って走馬を事務所へ連れて戻ってください、、
――了解、要注意!
知念が、コモドガーデンの自分のルームにいた。廊下の向かいの部屋にいる、ハンク、犬塚先輩、夏目、有坂を呼んだ。午後五時、五人が覆面パトカーに乗って村田探偵事務所に向かった。村田のオフィスは神田にある。知念とハンクの二人が上着を脱いだ。午後六時三〇分、村田と走馬が現れた。村田が爪楊枝を口に咥えていた。ふたりが何かしゃべっている。ふたりが、エレベーターに乗って四階へ行った。知念たち五人が、隣のエレベーターに乗った。村田探偵事務所のドアには鍵がかかっていなかった。知念がドアの取っ手を回して開けた。走馬の背中が見えた。走馬が振り向いた。走馬が、知念とハンクが胸に拳銃を下げているのを見て自分の最期がきたと知った。村田が立ち上がって後ろにさがった。
「係長、どうしてここに?」
「走馬君、君に見せたいものがある」
ハンクがボッカズボンを見せた。
「それどういう意味なんですか?」と相馬が笑っていた。知念が葵に目配せをした。葵が双子の写真を見せた。
「それどこの子供なんですか?」と走馬が笑っていた。
「サイモン、キサマを逮捕する」
走馬が背広の内側に入れていたニューナンブに手をやった。だが一瞬速く知念がコルト・リボルバーを胸のホルスターから引き抜いて、天井に向けて発砲した。そのもの凄い音に全員が凍り付いた。
「サイモン、動くな」
知念がコルトを走馬の左耳に押し付けた。ハンクと犬塚が走馬を床に押し倒した。ハンクが走馬の背中に右膝を当てて走馬を押さえつけると走馬の両腕を後ろに回して手錠を掛けた。犬塚が走馬をひき起こした。葵が走馬の上着の内側からニューナンブを抜き取った。サイモンが葵の顔をまぶしそうに見ていた。
「知念先輩、ボクは殺ってないよ。ボクは無実なんだよ」とサイモンが笑った。知念が仁科に電話を掛けた。
――走馬優を逮捕しました、、
――今から記者会見を行う。記者はすでに集まっている。
「横浜中華街連続殺人事件の容疑者逮捕される」という号外に日本全国、辻浦々まで大騒ぎになった。翌日、警視庁捜査一課は東京検察庁特捜部と協議に入った。
「知念君、相馬は否認している。これだと立件出来ないよ」
「仁科課長、松本ケイを聴取しましたか?」
「警察病院に連絡したが、消息が判らない」
知念は、松本ケイが日本を離れたと確信していた。
続く、、
第十二章
十月八日、、日曜日、、
村田探偵からテキストが入った。
――自分は、今、走馬を尾行している、、
――村田先輩、走馬を偶然見たということにして、午後の五時にふたりで夕飯を食ってください。つぎに、「重大なことが分かった」と言って走馬を事務所へ連れて戻ってください、、
――了解、要注意!
知念が、コモドガーデンの自分のルームにいた。廊下の向かいの部屋にいる、ハンク、犬塚先輩、夏目、有坂を呼んだ。午後五時、五人が覆面パトカーに乗って村田探偵事務所に向かった。村田のオフィスは神田にある。知念とハンクの二人が上着を脱いだ。午後六時三〇分、村田と走馬が現れた。村田が爪楊枝を口に咥えていた。ふたりが何かしゃべっている。ふたりが、エレベーターに乗って四階へ行った。知念たち五人が、隣のエレベーターに乗った。村田探偵事務所のドアには鍵がかかっていなかった。知念がドアの取っ手を回して開けた。走馬の背中が見えた。走馬が振り向いた。走馬が、知念とハンクが胸に拳銃を下げているのを見て自分の最期がきたと知った。村田が立ち上がって後ろにさがった。
「係長、どうしてここに?」
「走馬君、君に見せたいものがある」
ハンクがボッカズボンを見せた。
「それどういう意味なんですか?」と相馬が笑っていた。知念が葵に目配せをした。葵が双子の写真を見せた。
「それどこの子供なんですか?」と走馬が笑っていた。
「サイモン、キサマを逮捕する」
走馬が背広の内側に入れていたニューナンブに手をやった。だが一瞬速く知念がコルト・リボルバーを胸のホルスターから引き抜いて、天井に向けて発砲した。そのもの凄い音に全員が凍り付いた。
「サイモン、動くな」
知念がコルトを走馬の左耳に押し付けた。ハンクと犬塚が走馬を床に押し倒した。ハンクが走馬の背中に右膝を当てて走馬を押さえつけると走馬の両腕を後ろに回して手錠を掛けた。犬塚が走馬をひき起こした。葵が走馬の上着の内側からニューナンブを抜き取った。サイモンが葵の顔をまぶしそうに見ていた。
「知念先輩、ボクは殺ってないよ。ボクは無実なんだよ」とサイモンが笑った。知念が仁科に電話を掛けた。
――走馬優を逮捕しました、、
――今から記者会見を行う。記者はすでに集まっている。
「横浜中華街連続殺人事件の容疑者逮捕される」という号外に日本全国、辻浦々まで大騒ぎになった。翌日、警視庁捜査一課は東京検察庁特捜部と協議に入った。
「知念君、相馬は否認している。これだと立件出来ないよ」
「仁科課長、松本ケイを聴取しましたか?」
「警察病院に連絡したが、消息が判らない」
知念は、松本ケイが日本を離れたと確信していた。
続く、、
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第十章
九月二十九日、、
金曜日の昼さがり、村田の事務所にいた走馬に松本ケイから電話がかかってきた。
「ボクに電話をくれるなんて、ケイさん、何ですか?」
「走馬さん、この日曜日なんですけど、横浜のイギリス館に来れない?」
「あの山手町のイギリス館?」
「私の友人が結婚式を挙げるの。白いワイシャツに蝶ネクタイ、普段の背広でいいのよ」
「ケイさんとデートができるんだね。嬉しいけど、何時に行けばいいのかな?」
「私、花嫁の介添人なの。悪霊を追い払う役なのよ。それで、先に行ってるけど、結婚式は十一時なの。それまでに教会に来てくださればいいのよ」
十月一日、日曜日、、
天井のステンドグラスが神秘的な光りを投げていた。バグパイプが大聖堂の中に響き渡った。聖壇の前で牧師と花婿が待っていた。参列者が立ち上がった。後ろの扉が開いた。ラベンダーのドレスを着たケイが入って来た。その後ろに白いドレスを着て白い薔薇のブーケを持った花嫁が父親と手を繋いで続いた。ケイも、白い薔薇のブーケを手に持っていた。走馬がケイを見た。ケイが走馬を見て微笑んだ。ケイが西洋人に見えた。走馬がケイの胸に十字架を見た。花嫁の後ろを五歳ぐらいの男の子が父親と手を繋いで続いた。男の子がカーペットに躓いて倒れそうになった。父親が手を引っ張って助けた。花嫁と父親が手を繋いで牧師と花婿に向かって歩いて行った。参列者はどれもイギリス人である。
――ケイはクリスチャンなのかと走馬優が思った。
牧師がキリストの教えを説いた。
「汝(新郎)は、新婦を妻とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、死がふたりを分かつまで、愛し合うと誓いますか?」
「誓います」
「汝(新婦)は、新郎を夫とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、死がふたりを分かつまで、愛し合うと誓いますか?」
「誓います」
新郎が新婦のベールを持ち上げて接吻した。走馬がケイの目に涙が溜まるのを見た。
走馬が庭園に出た。みんな英語で話していた。走馬がテーブルのワイングラスを取った。自分で注ぐのである。走馬は片言の英語は出来たが、話し合い手がないので、ピンクの薔薇が咲き誇る中庭のベンチに腰掛けた。参列者の中にケイの姿が見えなかった。走馬が聞こうと太っちょのイギリス人に声をかけた。男は知らないと言った。テーブルの後ろのメイドハウスの扉が開いた。英国風の服装をした背の高い女性が出て来た。女性は黒髪を後ろで結い上げ、鍔の広い白い帽子が似合っていた。豊かな胸がダイアナ妃のように美しかった。走馬が、一瞬、ダイアナ妃が現われたかと思った。
「走馬さん、一人ぽっちなの?もうすぐ、晩餐が始まるわよ」とダイアナが言った。ダイアナの左首に痣があった。
――松本ケイが三国佳代だ! 走馬が雷に打たれたように立ち尽くした。走馬が落ち着こうと息を深く吸った。
「ケイさん、びっくりした。急ぎの用事ができた。東京に帰らなければならない」と走馬が言った。
「走馬さんは、やっぱり刑事なのね」
「ごめんね」
走馬が松本ケイの頬に接吻した。走馬は、それが、片想いの恋人への最初で最後の接吻だと知った。走馬が庭園を横切ってイギリス館を出て行った。
その時間、警視庁では、日曜出勤した知念とハンクがコーヒーを飲んでいた。知念は、どうしても話したいことがあったので、ふたりで今までの経緯を反芻していた。
「丸子君」
知念がいつもにない怖い顔をしていた。
「係長、何ですか?」
「丸子君、試験管ベービーXを知っているか?」
「いいえ、知りません」
知念が、引き伸ばした2枚の写真を机の上に置いた。一枚の写真には産着にくるまれた双子の新生児が写っていた。双子の横に人形が置いてあった。二枚目には、遠足だろうかリュックを背負った二人の少年が写っていた。マジックインクでサイモンとミハイルと書いてあった。知念がハンクに耳打ちをした。ハンクがコーヒーカップを落とした。若い刑事の顔が恐怖に引きつっていた。
「係長、どこで手に入れたんですか?」
「外国郵便で受け取った。スウェーデンのストックホルムで投函されていた。手紙が入っていた。仁科課長には知らせてある。丸子君、口外してはならない」
「勿論です」
続く、、
第十章
九月二十九日、、
金曜日の昼さがり、村田の事務所にいた走馬に松本ケイから電話がかかってきた。
「ボクに電話をくれるなんて、ケイさん、何ですか?」
「走馬さん、この日曜日なんですけど、横浜のイギリス館に来れない?」
「あの山手町のイギリス館?」
「私の友人が結婚式を挙げるの。白いワイシャツに蝶ネクタイ、普段の背広でいいのよ」
「ケイさんとデートができるんだね。嬉しいけど、何時に行けばいいのかな?」
「私、花嫁の介添人なの。悪霊を追い払う役なのよ。それで、先に行ってるけど、結婚式は十一時なの。それまでに教会に来てくださればいいのよ」
十月一日、日曜日、、
天井のステンドグラスが神秘的な光りを投げていた。バグパイプが大聖堂の中に響き渡った。聖壇の前で牧師と花婿が待っていた。参列者が立ち上がった。後ろの扉が開いた。ラベンダーのドレスを着たケイが入って来た。その後ろに白いドレスを着て白い薔薇のブーケを持った花嫁が父親と手を繋いで続いた。ケイも、白い薔薇のブーケを手に持っていた。走馬がケイを見た。ケイが走馬を見て微笑んだ。ケイが西洋人に見えた。走馬がケイの胸に十字架を見た。花嫁の後ろを五歳ぐらいの男の子が父親と手を繋いで続いた。男の子がカーペットに躓いて倒れそうになった。父親が手を引っ張って助けた。花嫁と父親が手を繋いで牧師と花婿に向かって歩いて行った。参列者はどれもイギリス人である。
――ケイはクリスチャンなのかと走馬優が思った。
牧師がキリストの教えを説いた。
「汝(新郎)は、新婦を妻とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、死がふたりを分かつまで、愛し合うと誓いますか?」
「誓います」
「汝(新婦)は、新郎を夫とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、死がふたりを分かつまで、愛し合うと誓いますか?」
「誓います」
新郎が新婦のベールを持ち上げて接吻した。走馬がケイの目に涙が溜まるのを見た。
走馬が庭園に出た。みんな英語で話していた。走馬がテーブルのワイングラスを取った。自分で注ぐのである。走馬は片言の英語は出来たが、話し合い手がないので、ピンクの薔薇が咲き誇る中庭のベンチに腰掛けた。参列者の中にケイの姿が見えなかった。走馬が聞こうと太っちょのイギリス人に声をかけた。男は知らないと言った。テーブルの後ろのメイドハウスの扉が開いた。英国風の服装をした背の高い女性が出て来た。女性は黒髪を後ろで結い上げ、鍔の広い白い帽子が似合っていた。豊かな胸がダイアナ妃のように美しかった。走馬が、一瞬、ダイアナ妃が現われたかと思った。
「走馬さん、一人ぽっちなの?もうすぐ、晩餐が始まるわよ」とダイアナが言った。ダイアナの左首に痣があった。
――松本ケイが三国佳代だ! 走馬が雷に打たれたように立ち尽くした。走馬が落ち着こうと息を深く吸った。
「ケイさん、びっくりした。急ぎの用事ができた。東京に帰らなければならない」と走馬が言った。
「走馬さんは、やっぱり刑事なのね」
「ごめんね」
走馬が松本ケイの頬に接吻した。走馬は、それが、片想いの恋人への最初で最後の接吻だと知った。走馬が庭園を横切ってイギリス館を出て行った。
その時間、警視庁では、日曜出勤した知念とハンクがコーヒーを飲んでいた。知念は、どうしても話したいことがあったので、ふたりで今までの経緯を反芻していた。
「丸子君」
知念がいつもにない怖い顔をしていた。
「係長、何ですか?」
「丸子君、試験管ベービーXを知っているか?」
「いいえ、知りません」
知念が、引き伸ばした2枚の写真を机の上に置いた。一枚の写真には産着にくるまれた双子の新生児が写っていた。双子の横に人形が置いてあった。二枚目には、遠足だろうかリュックを背負った二人の少年が写っていた。マジックインクでサイモンとミハイルと書いてあった。知念がハンクに耳打ちをした。ハンクがコーヒーカップを落とした。若い刑事の顔が恐怖に引きつっていた。
「係長、どこで手に入れたんですか?」
「外国郵便で受け取った。スウェーデンのストックホルムで投函されていた。手紙が入っていた。仁科課長には知らせてある。丸子君、口外してはならない」
「勿論です」
続く、、
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第八章
刑事たちは、私立探偵と聞いて腹が立った。
「その方は先輩刑事さんたちの上司だった人です」
刑事たちは村田寅雄を忘れていなかった。
「日本一の私立探偵と言ってよいでしょう。走馬優捜査官とペアです。それが理由で走馬君はここにいないのです。しかし、このペアほど重要なカードもないのです。我々捜査一課と違う考えを持ち、行動を取るからです。暫らく時間をください。村田先輩と、つぎの一手を考えますから」
「知念君、しかし、村田先輩はチャカを持っていないが?」
「走馬君にニューナンブM六〇の常時携行が許されていますから、ご心配なく」
「知念君、今朝、国際犯罪課から連絡があった。今、来て頂く」
ドアが開くと重松実警部と海府三郎捜査官が入ってきた。ふたりは、ロンドン仕立ての紺の背広を白いワイシャツの上に着ていた。ふたりとも背が高く、胸が厚く、その顔は自信に充ちていた。
「重松です。みなさん、こんにちは。ちょっと話があって来ました。海府君が話します」
重松実は庁内で知られた国際捜査官である。たたき上げの刑事ではなく、高学歴なのだ。ロスアンゼルスでヒットマンを雇って新妻を銃殺させた男を追い回して獄中自殺に追いやったインテリ刑事なのである。会議場に拍手が起きた。
「海府です。話というのは、三国佳代の養父母のことなんです。于健丹(ウー・ケンタン)という台湾人だったのです。于(ウ)氏は、ドクター・ウーと呼ばれていましたが、当時六九歳でした。王立ケンブリッジ医大の医学教授でした。于夫妻はロンドンで養子縁組をされてから、ダブリンに移った、現在。于夫婦は亡くなられています。どうしてロンドン警視庁が判ったかと言いますとインターネットです。一九九六年、ロンドンに住んでいた東洋人を探していると広告を出したんです。複数の回答があったそうです。どれも、王立ケンブリッジ医大を卒業した医師だったそうです」
会議場がどよめいた。知念が手を挙げた。
「海府捜査官、その後の三国佳代の所在は判ったんですか?」
「それが判明しないんです。姓名を変えたと思われます」
「そんなに姓名を簡単に変えられるんですか?」
「ええ、香港や中国に渡ればですが。ここまでしか把握できず、国際犯罪課も行き詰まったんです」
「台湾のドクター・ウーの血族を追跡できませんか?」
「できますが、ドクター・ウーは反国民党政府運動の旗手だったそうです。それが理由で、血縁者は語らないのです」
「重松警部、海府捜査官、たいへん重要な情報を感謝します。これからもよろしくお願いします」
第二話
第九章
九月十五日、日曜日、、
「私、本事件の経緯を発生してから今日まで時系列で書いてみたんです。やはり三国佳代の居場所が気になるのです。祖父の三国金次郎さんが、村田さんに、三国秋武の墓前に花が供えられていたと言ってます。その女性は、ダイアナ妃のように気品のある人だったと花屋の店主が言っています。ダイアナをなんとか探し出したいんです。これは可能だと思うんです」
「夏目君、それじゃあ、君をダイアナ担当官に指名する。君と有坂君で捜査したほうが的を絞れると思う。ボクと丸子君は、同性愛者の集合するパーテイーや、オカマバーを探る」
「それはどうしてですか?」
「夏目君が、犯人は性倒錯者ではないかと言ったよね?あの人形に性倒錯を感じるんだ。丸子君、これは重要なんだ」
「嫌だなあ」
「こらあ」
「はあ、すみませんでした。でも、オカマの服装って、何なんですか?」
「明日、銀座のフランス洋服店へ行こう」
「きゃあ~」
ハンクが意気消沈していた。勝子がハンクの腕をつついた。
九月一八日、水曜日、、
その日の午後三時、知念とハンクが秋葉原から総武線に乗って新小岩で降りた。予め調べてあった「ロミオ」という名のゲイホテルに歩いて行った。ふたりは手をつないでいた。ロビーに入った。女性の従業員はいない。ルームを一晩、取った。ルームに入ると室内はピンク一色であった。
「きゃあ~」とハンクが悲鳴を上げた。ハンクが胸に可愛い襞のある黄色いブラウスを着ていた。知念が見て笑った。
「先輩だって凄い恰好だけど、何とかならないんですか?」
「ならないよ」と知念は素っ気なかった。
ふたりが手をつないで地下のバーへ行った。知念とハンクが両開きの扉を押して入った。すると、二十人ほどのゲイが一斉に振り向いた。ゲイたちは新しい愛人を求めているのだ。ゲイがカウンターのスタンドに座ってカクテルを呑んでいた。バーの中は薄暗く、ステンドグラスのスタンドがカウンターを照らしていた。知念がガーリッシュな男に話しかけていた。
「このホテルを知らなかった」
「ボクたちゲイには、日本全国の同性愛者や外人のゲイとのネットワークがある」とガーリーが知念を熱い目で見て言った。そして、ウエブサイトのURLが書いてある名刺を知念にくれた。その男の名前は、ダニエルであった。ハンクの左隣の金髪の男は毛むくじゃらの外人だった。毛むくじゃらがハンクにウインクして見せた。
「あなたたちは刑事さんですね?」とダニエルが言った。
「そうです。ある人を捜しているんです」
ふたりはピンクレデイを呑んでバーを出た。そして外に出た。大通りに出ると巨大なパチンコ屋のネオンが瞬いていた。
「ハンク、この町さ、パチンコ屋ばっかりだね。パチンコやらないか?」
「先輩、パチンコやったら警視庁に戻りたい」
「どうして?」
「この恰好を捜査一課のデカに見せてやる」
アリスというパチンコ屋に入った。店員が店を出て行ってくれと言った。ハンクが理由を聞いた。
「ヤクザにボコボコにされますよ」
それを聞いて、ふたりは急いで店を出た。そして総武線に飛び乗った。車内で乗客がひそひそと話していた。女学生たちは口に手を当てて笑っていた。
警視庁の守衛がふたりを停めた。白粉を顔に塗っていたので不審者と見たのである。だが知念と丸子だと気が着いて口を手で押さえた。ふたりが捜査一課に行った。爆笑が起きた。さすがのハンクも笑っていた。
「知念君、それで、何か掴んだのかね?」
「はあ、ゲイのコミュニテイがあります」とロミオの名刺を仁科に渡した。
「同性愛たちの共同体だね。何か、新しいことが判ったのかね?」
「課長、ボクはゲイの世界がわからなかった。今日の午後、新小岩のゲイバーへ丸子君と行ったときです。隣りに座わった女、ダニエルがこう言ったんです」
――私たちは、その性癖がゆえに、世間から白眼視され、仕事にもありつけない、、多くのゲイは水商売の世界に入った。歳を取ると、彼らは、肝臓をやられ、癌を患い、死んで行った。自殺、廃人、発狂、麻薬中毒、挙句の果ては獄中死、、私も夫のアーノルドも弁護士なんです。私たちはコミュニテイを作ったのです。生活苦で相談にくる人たちに、ゲイのコミュニテイに入りなさい。保険も保証人になります。心を支えてくれます。通信教育を受けなさい。仕事も見つかりますと元気つけたのです。ゲイは肩を寄せ合って生きるしかないのです。笑うかも知れませんが、、
刑事たちが沈黙していた。
「よし、君たち、その恰好はまずい。着替えたら岩波君に会いに行け」
中央コンピューター管理室の岩波がURLを見ていた。ジョニー・メロンというネームで岩波が登録した。メッセージボックスに――クリスマス休暇、カリブ海のゲイ・クルーズに参加したい。ジョニー・メロンと書き入れた。
「ハンク、犬塚先輩、夏目君、有坂君を呼び出してくれ。気晴らしに飯を食いに行こう」
すぐに返信があった。
――了解、どこで飯を食いますか?
五人が、新大久保の「韓国料理ソウル」の個室に入った。ふたりの女給が無言でメニューを置いた。眉毛を高く剃った大柄の女給が見慣れない客をじろじろと観察していた。韓国料理ソウルは、暴力団、集団スリ、マッサージ師、盗品業者、パチンコ業者のメッカなのだ。ハンクがジャンパーを脱いだ。ワルサーを肩から下げていた。女給がひっくり返りそうになった。
「警視庁の刑事さんですか?」
有坂勝子が女給を睨みつけた。
「ガサイレじゃない。宴会だよ。心配するな」と犬塚先輩が言ったが、犬塚の眼付きに女給たちが怯えていた。
「朝鮮料理を俺は知らん」
「私に任せて」と葵が言った。女給が社長を連れて戻って来た。
「私が社長の金田です。みなさま、何でも女給に申しつけてください」
――カルビ、ブルコギ、ロース、モクサル、、五人前をオーダーした。
男と女が、BB(ビール)の大瓶五本とキムチを持ってきた、警視庁の刑事と知った女給がしおらしくなっていた。知念が、新小岩のロミオの話をした。ふたりが女装した写真を携帯で見せた。
「わあ、ハンク、あなた素敵ね」と葵が言うと大笑いになった。ハンクが葵を睨みつけた。ゲイのコミュニテイに触れると、一同が一瞬で刑事に戻っていた。
「ダイアナは難しそうだね」
「ええ、でも、やりがいがあります」
「知念君、ダイアナが東京に住んでいるとか、ドクター・ウー夫妻が育てたとか、、そこに糸口が見えるね」
「ダイアナの職業は何なんだろうか?」
「日本人女性にはない気品がある女性です。超美人の女性を雇う会社はどこかしら?」と葵が重要な質問をした。
――鍔の広いグレタ・ガルボの帽子、、英国風の服装、豊かな胸、ローヒールの靴、背が高い、、
勝子が呟いた。
続く、、
岸田文雄を支持する、、
まず、完璧な総理大臣などこの世にいない。伊勢は岸田氏が66歳であることを歓迎する。若いことは良いことです。安倍晋三は詐欺師だった。菅は評価に値しない。伊勢
第八章
刑事たちは、私立探偵と聞いて腹が立った。
「その方は先輩刑事さんたちの上司だった人です」
刑事たちは村田寅雄を忘れていなかった。
「日本一の私立探偵と言ってよいでしょう。走馬優捜査官とペアです。それが理由で走馬君はここにいないのです。しかし、このペアほど重要なカードもないのです。我々捜査一課と違う考えを持ち、行動を取るからです。暫らく時間をください。村田先輩と、つぎの一手を考えますから」
「知念君、しかし、村田先輩はチャカを持っていないが?」
「走馬君にニューナンブM六〇の常時携行が許されていますから、ご心配なく」
「知念君、今朝、国際犯罪課から連絡があった。今、来て頂く」
ドアが開くと重松実警部と海府三郎捜査官が入ってきた。ふたりは、ロンドン仕立ての紺の背広を白いワイシャツの上に着ていた。ふたりとも背が高く、胸が厚く、その顔は自信に充ちていた。
「重松です。みなさん、こんにちは。ちょっと話があって来ました。海府君が話します」
重松実は庁内で知られた国際捜査官である。たたき上げの刑事ではなく、高学歴なのだ。ロスアンゼルスでヒットマンを雇って新妻を銃殺させた男を追い回して獄中自殺に追いやったインテリ刑事なのである。会議場に拍手が起きた。
「海府です。話というのは、三国佳代の養父母のことなんです。于健丹(ウー・ケンタン)という台湾人だったのです。于(ウ)氏は、ドクター・ウーと呼ばれていましたが、当時六九歳でした。王立ケンブリッジ医大の医学教授でした。于夫妻はロンドンで養子縁組をされてから、ダブリンに移った、現在。于夫婦は亡くなられています。どうしてロンドン警視庁が判ったかと言いますとインターネットです。一九九六年、ロンドンに住んでいた東洋人を探していると広告を出したんです。複数の回答があったそうです。どれも、王立ケンブリッジ医大を卒業した医師だったそうです」
会議場がどよめいた。知念が手を挙げた。
「海府捜査官、その後の三国佳代の所在は判ったんですか?」
「それが判明しないんです。姓名を変えたと思われます」
「そんなに姓名を簡単に変えられるんですか?」
「ええ、香港や中国に渡ればですが。ここまでしか把握できず、国際犯罪課も行き詰まったんです」
「台湾のドクター・ウーの血族を追跡できませんか?」
「できますが、ドクター・ウーは反国民党政府運動の旗手だったそうです。それが理由で、血縁者は語らないのです」
「重松警部、海府捜査官、たいへん重要な情報を感謝します。これからもよろしくお願いします」
第二話
第九章
九月十五日、日曜日、、
「私、本事件の経緯を発生してから今日まで時系列で書いてみたんです。やはり三国佳代の居場所が気になるのです。祖父の三国金次郎さんが、村田さんに、三国秋武の墓前に花が供えられていたと言ってます。その女性は、ダイアナ妃のように気品のある人だったと花屋の店主が言っています。ダイアナをなんとか探し出したいんです。これは可能だと思うんです」
「夏目君、それじゃあ、君をダイアナ担当官に指名する。君と有坂君で捜査したほうが的を絞れると思う。ボクと丸子君は、同性愛者の集合するパーテイーや、オカマバーを探る」
「それはどうしてですか?」
「夏目君が、犯人は性倒錯者ではないかと言ったよね?あの人形に性倒錯を感じるんだ。丸子君、これは重要なんだ」
「嫌だなあ」
「こらあ」
「はあ、すみませんでした。でも、オカマの服装って、何なんですか?」
「明日、銀座のフランス洋服店へ行こう」
「きゃあ~」
ハンクが意気消沈していた。勝子がハンクの腕をつついた。
九月一八日、水曜日、、
その日の午後三時、知念とハンクが秋葉原から総武線に乗って新小岩で降りた。予め調べてあった「ロミオ」という名のゲイホテルに歩いて行った。ふたりは手をつないでいた。ロビーに入った。女性の従業員はいない。ルームを一晩、取った。ルームに入ると室内はピンク一色であった。
「きゃあ~」とハンクが悲鳴を上げた。ハンクが胸に可愛い襞のある黄色いブラウスを着ていた。知念が見て笑った。
「先輩だって凄い恰好だけど、何とかならないんですか?」
「ならないよ」と知念は素っ気なかった。
ふたりが手をつないで地下のバーへ行った。知念とハンクが両開きの扉を押して入った。すると、二十人ほどのゲイが一斉に振り向いた。ゲイたちは新しい愛人を求めているのだ。ゲイがカウンターのスタンドに座ってカクテルを呑んでいた。バーの中は薄暗く、ステンドグラスのスタンドがカウンターを照らしていた。知念がガーリッシュな男に話しかけていた。
「このホテルを知らなかった」
「ボクたちゲイには、日本全国の同性愛者や外人のゲイとのネットワークがある」とガーリーが知念を熱い目で見て言った。そして、ウエブサイトのURLが書いてある名刺を知念にくれた。その男の名前は、ダニエルであった。ハンクの左隣の金髪の男は毛むくじゃらの外人だった。毛むくじゃらがハンクにウインクして見せた。
「あなたたちは刑事さんですね?」とダニエルが言った。
「そうです。ある人を捜しているんです」
ふたりはピンクレデイを呑んでバーを出た。そして外に出た。大通りに出ると巨大なパチンコ屋のネオンが瞬いていた。
「ハンク、この町さ、パチンコ屋ばっかりだね。パチンコやらないか?」
「先輩、パチンコやったら警視庁に戻りたい」
「どうして?」
「この恰好を捜査一課のデカに見せてやる」
アリスというパチンコ屋に入った。店員が店を出て行ってくれと言った。ハンクが理由を聞いた。
「ヤクザにボコボコにされますよ」
それを聞いて、ふたりは急いで店を出た。そして総武線に飛び乗った。車内で乗客がひそひそと話していた。女学生たちは口に手を当てて笑っていた。
警視庁の守衛がふたりを停めた。白粉を顔に塗っていたので不審者と見たのである。だが知念と丸子だと気が着いて口を手で押さえた。ふたりが捜査一課に行った。爆笑が起きた。さすがのハンクも笑っていた。
「知念君、それで、何か掴んだのかね?」
「はあ、ゲイのコミュニテイがあります」とロミオの名刺を仁科に渡した。
「同性愛たちの共同体だね。何か、新しいことが判ったのかね?」
「課長、ボクはゲイの世界がわからなかった。今日の午後、新小岩のゲイバーへ丸子君と行ったときです。隣りに座わった女、ダニエルがこう言ったんです」
――私たちは、その性癖がゆえに、世間から白眼視され、仕事にもありつけない、、多くのゲイは水商売の世界に入った。歳を取ると、彼らは、肝臓をやられ、癌を患い、死んで行った。自殺、廃人、発狂、麻薬中毒、挙句の果ては獄中死、、私も夫のアーノルドも弁護士なんです。私たちはコミュニテイを作ったのです。生活苦で相談にくる人たちに、ゲイのコミュニテイに入りなさい。保険も保証人になります。心を支えてくれます。通信教育を受けなさい。仕事も見つかりますと元気つけたのです。ゲイは肩を寄せ合って生きるしかないのです。笑うかも知れませんが、、
刑事たちが沈黙していた。
「よし、君たち、その恰好はまずい。着替えたら岩波君に会いに行け」
中央コンピューター管理室の岩波がURLを見ていた。ジョニー・メロンというネームで岩波が登録した。メッセージボックスに――クリスマス休暇、カリブ海のゲイ・クルーズに参加したい。ジョニー・メロンと書き入れた。
「ハンク、犬塚先輩、夏目君、有坂君を呼び出してくれ。気晴らしに飯を食いに行こう」
すぐに返信があった。
――了解、どこで飯を食いますか?
五人が、新大久保の「韓国料理ソウル」の個室に入った。ふたりの女給が無言でメニューを置いた。眉毛を高く剃った大柄の女給が見慣れない客をじろじろと観察していた。韓国料理ソウルは、暴力団、集団スリ、マッサージ師、盗品業者、パチンコ業者のメッカなのだ。ハンクがジャンパーを脱いだ。ワルサーを肩から下げていた。女給がひっくり返りそうになった。
「警視庁の刑事さんですか?」
有坂勝子が女給を睨みつけた。
「ガサイレじゃない。宴会だよ。心配するな」と犬塚先輩が言ったが、犬塚の眼付きに女給たちが怯えていた。
「朝鮮料理を俺は知らん」
「私に任せて」と葵が言った。女給が社長を連れて戻って来た。
「私が社長の金田です。みなさま、何でも女給に申しつけてください」
――カルビ、ブルコギ、ロース、モクサル、、五人前をオーダーした。
男と女が、BB(ビール)の大瓶五本とキムチを持ってきた、警視庁の刑事と知った女給がしおらしくなっていた。知念が、新小岩のロミオの話をした。ふたりが女装した写真を携帯で見せた。
「わあ、ハンク、あなた素敵ね」と葵が言うと大笑いになった。ハンクが葵を睨みつけた。ゲイのコミュニテイに触れると、一同が一瞬で刑事に戻っていた。
「ダイアナは難しそうだね」
「ええ、でも、やりがいがあります」
「知念君、ダイアナが東京に住んでいるとか、ドクター・ウー夫妻が育てたとか、、そこに糸口が見えるね」
「ダイアナの職業は何なんだろうか?」
「日本人女性にはない気品がある女性です。超美人の女性を雇う会社はどこかしら?」と葵が重要な質問をした。
――鍔の広いグレタ・ガルボの帽子、、英国風の服装、豊かな胸、ローヒールの靴、背が高い、、
勝子が呟いた。
続く、、
岸田文雄を支持する、、
まず、完璧な総理大臣などこの世にいない。伊勢は岸田氏が66歳であることを歓迎する。若いことは良いことです。安倍晋三は詐欺師だった。菅は評価に値しない。伊勢
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第七章
1
簡易ベッドにあおむけになったミハイルが目を瞑っていた。ミハイルはサーカス団を想い出していた。遠い昔に思えた。昼下がり、アレキサンドリアがマルマラ海を通った。左手にイスタンブールが見えた。ミハイルがデッキに出た。風が気持ち良かった。アレキサンドリアはイスタンブールに入らず、ボスフォラス海峡に入った。海峡は急流だった。青いモスクが見える。ミハイルが初めて見る異郷だった。途中で寄港したギリシアのアテネは、ミハイルを魅了した。この半年でミハイルは強くなった。自分の人生が変わったことを知った。レスターが横に来ていた。
「ミッキー、ウシュクダラへ停泊するんだ。海峡の右がアジアだ。左がヨーロッパ。今日は、入国検査だけだ。イスタンブールへ行こう」
ウシュクダラの港に着いた。不思議な音楽が聞こえた。白いスカートを穿いて、トルコ帽子をアタマに被った男が輪になってクルクルと回っていた。レスターとミハイルがフェリーに乗ってイスタンブールに行った。ガラタ橋の下を通って、波止場に着いた。そこからふたりは路面電車に乗って、トプカピ宮殿へ行った。オスマントルコの残した鉄砲が陳列されていた。ふたりはガラタ橋に戻って、橋の下にある店で海鮮料理を食べた。イワシの揚げたのを酢に漬けて食べた。「美味しい」とミハイルが言うともう一皿持ってきてくれた。
「ミッキー、ウシュクダラで、クリスマスまで興行すると言ってる。アレキサンドリアは、インドへ行く。積み荷を降ろしたら出港する」
「ボスが、ここは儲からないって言ってる」
「儲からないけど、ここから汽車でドイツへ行くそうだよ。ドイツは儲かるだろう」
レスターが腕時計を腕から外すとミハイルにくれた」
「じゃあ、元気でな」
2
長い航海にもめげず、動物たちは元気だった。トルコの気候は、北アフリカと同じなのだ。元気が出ないわけがない。天幕が完成した。象を連れてイスタンブールを行進した。切符は売り切れたが、値段が安かった。初日がやって来た。ところが、メルが風邪を引いた。代替えのピエロがいない。バスターがミッキーを見ていた。
「ミッキー、ピエロをやれ!」
有無を言わさない親方の命令なのだ。化粧係りがミハイルを見ていた。顔に白粉をぬった。唇をチョボクチに描くかと思うと、牙を剥いて笑っているドラキュラを描いた。
「これは当たるぞ!」とバスターが言った。
やはりドラキュラは当たった。だが、ミハイルの目から涙がこぼれた。サーカスに加わってから楽しい日が続いた。結局、自分は、バケモノなんだ、、ミハイルが自分を生んだ親を恨んだ。一日に三回、出演するだけだった。ただ、一度、出ては引っ込むというのではなく、空中ブランコが終わって、オートバイに熊が乗って舞台をドドドと走り回り、その次に象が玉乗りをする間を持つのである。ピエロは、観客の興奮を冷まさない役なのだ。親方のバスターは、動物に優しいミッキーを象の小屋の係りにした。ミッキーは、子象のダンボと仲良くなった。アメリカのサーカスでは、子象はみんなダンボなのだ。サーカスの休日は、月曜日と火曜日である。これは、日曜日は公演回数が5回でその後を片付けるのに夜が明けるからだった。朝陽が昇る頃、飯を食って寝るのである。四か月はあっと言う間に経った。意外に興行収入があった。その原因は、欧米の観光客だった。サーカスの団員が、一週間ずつ休暇を与えられた。
「ミッキーはどうするのかね?」と親方がボーナスを渡して聞いた。
「ボク、分からない。ここに残る」
「俺は、ルーマニアへ行くが、来るか?」
「ルーマニア?」
「俺は、トランシルバニアからニューヨークに来た移民の孫なんだ」
「トランシル?」
「ルーマニアだよ」
「近いの?」
「黒海から船で行く。半日の距離なんだ」
3
朝の九時。イスタンブールの港をモルドバが出た。五〇〇トンの貨客船である。ボスフォラス海峡は急流である。北へさかのぼって、黒海に出た。黒海は雪が降っていた。ルーマニアのコンスタンタ港に着いた。午後の5時になっていた。親方の家族とミハイルが吹雪の中を鉄道の駅に向かって歩いた。この時代に蒸気機関車だった。客車の中にはストーブが置かれていて、汗が出るほど暑かった。食堂車へ行って、ボルシチと黒パンを頼んだ。食後のアイスクリームは美味かった。親方が払ってくれた。ミハイルが正反対の看護婦長レナを想い出していた。
――サイモンはどうしているだろうか?
天井を見上げてミハイルがサイモンを思った。涙が出た。
ミハイルがブカレストのホテルでサイモンを思っている頃、サイモンは、横浜のロシア正教会の孤児院に住んでいた。ハリストス教会は、群馬の孤児院から双子の兄弟が逃げたことを知っていた。神父がサイモンの話を聞いて匿うことを決心した。里親を探さなければいけないと考えていた。走馬幽玄という人間国宝の灯篭職人が申し出た。弁護士を立てて、養子縁組が決まった。これをどうミハイルに伝えることができるのか、サイモンが思い悩んでいた。すると、教会に一通の大きな茶封筒が届いた。開けると、手紙と写真が出て来た。イスタンブールやウシュクダラのサーカスの天幕だった。ミハイルが仔象を抱いている写真を見て、サイモンが泣いた。ピエロの写真を見て怒った。
――サイモン、ボク14歳になった。元気か?ボクは、明日朝、ルーマニアという国へ行く。親方の家族と一緒だ。ボクに手紙は無理だ。サイモン、カネはあるの?住所をくれ!
トランシルバニアは、ルーマニアの中央にあった。蒸気機関車が喘いでいた。線路に砂を掛ける音がした。汽車が上り坂を時速、二十キロで上がって行った。通路の向こう側の親方の家族は、ず~と寝ていた。食堂車があった。雪を被った森林が続いた。トナカイが線路を横切った。ナポカという駅に着いた。ブカレストから 四〇〇キロの距離を丸一日かかった。ミハイルが汽車のデッキを降りた。空気が薄かった。頭がクラクラした。親方の親戚が待っていた。ミハイルの顔色を見て「高山病だ」といった。若者がミハイルのリュックを手に取った。
4
ミハイルの高山病は酸素吸入器で治った。
「ミッキー、今日は、ドラキュラ侯爵の城へ行く。この靴を履け!」
ミハイルが見ると、見たことがないごつい靴だった。雪上スパイクが付いていた一時間後、その理由が判った。標高二二〇〇メートルの高原にさらに一〇〇〇メートル登るのだ。ミハイルがお城を見上げた。どの城にもない異様な城だった。山砦でもない。王様や王女が住むには向かない。ミハイルは妖怪を想像していた。中世の壁画を見てミハイルが震えた。晩餐の絵があった。きらびやかな服装の皇族が円卓を囲んでいた。テーブルの上に丸焼きの赤ん坊が大皿に横たわっていた。ミハイルが人形館に入った。ガラスの中に陳列された人形を見た。中世の物だった。土産の店があった。赤ん坊を口にくわえている人形があった。ミハイルが人形二体を買った。どれも気持ちが悪いのだが、何故か気に入った。
トランシルバニアへ来てから一週間が経った。バスターが、ミッキーがロマンス語の片言を話すのに感心していた。イスタンブールに帰る日が来た。オクラホマ・ブラザースは、イスタンブールからオリエント急行に乗って、ベルリンへ行った。ヨーロッパ巡業が始まった。ミハイルは一年、ヨーロッパをサーカス団と一緒に回った。ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、イギリス、、英語も出来るようになった。
オクラホマ・ブラザースがアメリカに帰る日が来た。親方のバスターが上海でミッキーの為に買ったパスポートは、アメリカでは見破られると言った。ミッキーがイタリアに残る決心をした。シシリーなら安心だとバスターが言ったからだ。ミハイルはイタリアに十年もいた。ミハイルは二十三歳になっていた。ミハイルはローマに移った。仕事は、レストランでスパゲッティを茹でる係りだった。サイモンから手紙が来た。
--ボクの養父母が亡くなった。遺産を貰った。ボクは、医学生になった。ミハイル、いつ日本に帰ってくるのか?
弟が返事を書いた。
--サイモン、ボク、ローマで奇術を習っている。マジシャンで飯を食えるから。パスポートを作った。今度は大丈夫だ。何しろ、ボスがマフィアなんだ。カネは払ったけどね。来週、日本に帰る。横浜の中華街で会おう。電話番号をくれ。
続く、、
第七章
1
簡易ベッドにあおむけになったミハイルが目を瞑っていた。ミハイルはサーカス団を想い出していた。遠い昔に思えた。昼下がり、アレキサンドリアがマルマラ海を通った。左手にイスタンブールが見えた。ミハイルがデッキに出た。風が気持ち良かった。アレキサンドリアはイスタンブールに入らず、ボスフォラス海峡に入った。海峡は急流だった。青いモスクが見える。ミハイルが初めて見る異郷だった。途中で寄港したギリシアのアテネは、ミハイルを魅了した。この半年でミハイルは強くなった。自分の人生が変わったことを知った。レスターが横に来ていた。
「ミッキー、ウシュクダラへ停泊するんだ。海峡の右がアジアだ。左がヨーロッパ。今日は、入国検査だけだ。イスタンブールへ行こう」
ウシュクダラの港に着いた。不思議な音楽が聞こえた。白いスカートを穿いて、トルコ帽子をアタマに被った男が輪になってクルクルと回っていた。レスターとミハイルがフェリーに乗ってイスタンブールに行った。ガラタ橋の下を通って、波止場に着いた。そこからふたりは路面電車に乗って、トプカピ宮殿へ行った。オスマントルコの残した鉄砲が陳列されていた。ふたりはガラタ橋に戻って、橋の下にある店で海鮮料理を食べた。イワシの揚げたのを酢に漬けて食べた。「美味しい」とミハイルが言うともう一皿持ってきてくれた。
「ミッキー、ウシュクダラで、クリスマスまで興行すると言ってる。アレキサンドリアは、インドへ行く。積み荷を降ろしたら出港する」
「ボスが、ここは儲からないって言ってる」
「儲からないけど、ここから汽車でドイツへ行くそうだよ。ドイツは儲かるだろう」
レスターが腕時計を腕から外すとミハイルにくれた」
「じゃあ、元気でな」
2
長い航海にもめげず、動物たちは元気だった。トルコの気候は、北アフリカと同じなのだ。元気が出ないわけがない。天幕が完成した。象を連れてイスタンブールを行進した。切符は売り切れたが、値段が安かった。初日がやって来た。ところが、メルが風邪を引いた。代替えのピエロがいない。バスターがミッキーを見ていた。
「ミッキー、ピエロをやれ!」
有無を言わさない親方の命令なのだ。化粧係りがミハイルを見ていた。顔に白粉をぬった。唇をチョボクチに描くかと思うと、牙を剥いて笑っているドラキュラを描いた。
「これは当たるぞ!」とバスターが言った。
やはりドラキュラは当たった。だが、ミハイルの目から涙がこぼれた。サーカスに加わってから楽しい日が続いた。結局、自分は、バケモノなんだ、、ミハイルが自分を生んだ親を恨んだ。一日に三回、出演するだけだった。ただ、一度、出ては引っ込むというのではなく、空中ブランコが終わって、オートバイに熊が乗って舞台をドドドと走り回り、その次に象が玉乗りをする間を持つのである。ピエロは、観客の興奮を冷まさない役なのだ。親方のバスターは、動物に優しいミッキーを象の小屋の係りにした。ミッキーは、子象のダンボと仲良くなった。アメリカのサーカスでは、子象はみんなダンボなのだ。サーカスの休日は、月曜日と火曜日である。これは、日曜日は公演回数が5回でその後を片付けるのに夜が明けるからだった。朝陽が昇る頃、飯を食って寝るのである。四か月はあっと言う間に経った。意外に興行収入があった。その原因は、欧米の観光客だった。サーカスの団員が、一週間ずつ休暇を与えられた。
「ミッキーはどうするのかね?」と親方がボーナスを渡して聞いた。
「ボク、分からない。ここに残る」
「俺は、ルーマニアへ行くが、来るか?」
「ルーマニア?」
「俺は、トランシルバニアからニューヨークに来た移民の孫なんだ」
「トランシル?」
「ルーマニアだよ」
「近いの?」
「黒海から船で行く。半日の距離なんだ」
3
朝の九時。イスタンブールの港をモルドバが出た。五〇〇トンの貨客船である。ボスフォラス海峡は急流である。北へさかのぼって、黒海に出た。黒海は雪が降っていた。ルーマニアのコンスタンタ港に着いた。午後の5時になっていた。親方の家族とミハイルが吹雪の中を鉄道の駅に向かって歩いた。この時代に蒸気機関車だった。客車の中にはストーブが置かれていて、汗が出るほど暑かった。食堂車へ行って、ボルシチと黒パンを頼んだ。食後のアイスクリームは美味かった。親方が払ってくれた。ミハイルが正反対の看護婦長レナを想い出していた。
――サイモンはどうしているだろうか?
天井を見上げてミハイルがサイモンを思った。涙が出た。
ミハイルがブカレストのホテルでサイモンを思っている頃、サイモンは、横浜のロシア正教会の孤児院に住んでいた。ハリストス教会は、群馬の孤児院から双子の兄弟が逃げたことを知っていた。神父がサイモンの話を聞いて匿うことを決心した。里親を探さなければいけないと考えていた。走馬幽玄という人間国宝の灯篭職人が申し出た。弁護士を立てて、養子縁組が決まった。これをどうミハイルに伝えることができるのか、サイモンが思い悩んでいた。すると、教会に一通の大きな茶封筒が届いた。開けると、手紙と写真が出て来た。イスタンブールやウシュクダラのサーカスの天幕だった。ミハイルが仔象を抱いている写真を見て、サイモンが泣いた。ピエロの写真を見て怒った。
――サイモン、ボク14歳になった。元気か?ボクは、明日朝、ルーマニアという国へ行く。親方の家族と一緒だ。ボクに手紙は無理だ。サイモン、カネはあるの?住所をくれ!
トランシルバニアは、ルーマニアの中央にあった。蒸気機関車が喘いでいた。線路に砂を掛ける音がした。汽車が上り坂を時速、二十キロで上がって行った。通路の向こう側の親方の家族は、ず~と寝ていた。食堂車があった。雪を被った森林が続いた。トナカイが線路を横切った。ナポカという駅に着いた。ブカレストから 四〇〇キロの距離を丸一日かかった。ミハイルが汽車のデッキを降りた。空気が薄かった。頭がクラクラした。親方の親戚が待っていた。ミハイルの顔色を見て「高山病だ」といった。若者がミハイルのリュックを手に取った。
4
ミハイルの高山病は酸素吸入器で治った。
「ミッキー、今日は、ドラキュラ侯爵の城へ行く。この靴を履け!」
ミハイルが見ると、見たことがないごつい靴だった。雪上スパイクが付いていた一時間後、その理由が判った。標高二二〇〇メートルの高原にさらに一〇〇〇メートル登るのだ。ミハイルがお城を見上げた。どの城にもない異様な城だった。山砦でもない。王様や王女が住むには向かない。ミハイルは妖怪を想像していた。中世の壁画を見てミハイルが震えた。晩餐の絵があった。きらびやかな服装の皇族が円卓を囲んでいた。テーブルの上に丸焼きの赤ん坊が大皿に横たわっていた。ミハイルが人形館に入った。ガラスの中に陳列された人形を見た。中世の物だった。土産の店があった。赤ん坊を口にくわえている人形があった。ミハイルが人形二体を買った。どれも気持ちが悪いのだが、何故か気に入った。
トランシルバニアへ来てから一週間が経った。バスターが、ミッキーがロマンス語の片言を話すのに感心していた。イスタンブールに帰る日が来た。オクラホマ・ブラザースは、イスタンブールからオリエント急行に乗って、ベルリンへ行った。ヨーロッパ巡業が始まった。ミハイルは一年、ヨーロッパをサーカス団と一緒に回った。ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、イギリス、、英語も出来るようになった。
オクラホマ・ブラザースがアメリカに帰る日が来た。親方のバスターが上海でミッキーの為に買ったパスポートは、アメリカでは見破られると言った。ミッキーがイタリアに残る決心をした。シシリーなら安心だとバスターが言ったからだ。ミハイルはイタリアに十年もいた。ミハイルは二十三歳になっていた。ミハイルはローマに移った。仕事は、レストランでスパゲッティを茹でる係りだった。サイモンから手紙が来た。
--ボクの養父母が亡くなった。遺産を貰った。ボクは、医学生になった。ミハイル、いつ日本に帰ってくるのか?
弟が返事を書いた。
--サイモン、ボク、ローマで奇術を習っている。マジシャンで飯を食えるから。パスポートを作った。今度は大丈夫だ。何しろ、ボスがマフィアなんだ。カネは払ったけどね。来週、日本に帰る。横浜の中華街で会おう。電話番号をくれ。
続く、、
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二部 |
第二話
第六章
九月三日、、
やはり恐れていたことが起きた。「デイリー横浜」が特ダネをスクープしたと大見出しで記事を書いたのである。
――先月八月三十日に起きた「横浜チャイナタウン連続殺人事件」の被害者である女学生は、浅井みどり、一九歳ではなかった。本誌の調査によれば、殺害されたのは、友部美樹、十九歳である。友部美樹が、浅井みどりの顔形と似ていることが判明した。浅井みどりと同級生の町田スミは東京都内に保護されている。
「漏らした奴は誰だ?」
珍しく、知念が怒声を放った。
「知念君、いずれ判明する。それよりもこの記事を読んだ犯人が何をするのかだね」
「仁科課長、少し時間をください」
知念が部屋に戻ると村田に暗号メッセージを書いた。
――村田先輩、ボクの指示があるまで本件を離れてください。しかし、走馬君の探偵教育は続けてください。必ず、役に立ちます。知念。
オウム返しに絵文字が戻ってきた。知念が、ハンク、夏目、有坂を部屋に呼んだ。
「仁科課長と話したんだが、警視庁は夏目君と有坂君を保護する。コモドガーデン・ホテルに移動して貰う。丸子君と犬塚刑事とボクが警護する。丸田君と犬塚先輩がペアで、一室を取ってある。すぐに引っ越してくれないか?車は、警官付きで警視庁が出す」
「コモドガーデン?警視庁から歩いても、三十分ですが?」
「ことは急ぐ。引越しのために車を出すと仁科課長が決めた」
2
九月七日、月曜日、、
「夏目君、コモドの居心地はどう?」
「はい、キッチネットが付いているんです。勝子さんが料理好きなんで助かります。私が材料を買います」
「夏目君は、ハマッコだったよね?有坂君と横浜へ行ってカルロの足取りを捜査してくれないか?犬塚先輩、丸子君が後ろから着いて行く」
「じゃあ、出発してくれ。遅くなったら暗号テキストを送ってくれないか」
四人が出て行った。知念が村田にテキストを送った。
――村田先輩、走馬君と横浜チャイナタウンへ行ってください。ホシの足取りを調べてください。
知念は意図的にふたりの婦人刑事に出した同じ依頼を村田に出したのである。
3
夏目葵と有坂勝子が中華街の裏門と言われる東門から中華街中央通りを西へ歩いて善隣門に向かっていた。たったの二四〇メートルである。ふたりの後から、いかにも中華街に飯を食いにきた田舎者といういでたちで犬塚先輩とハンクが歩いて行く。ただ顔つきが怖いのでヤクザなら刑事と見破っただろう。
「勝子さん、浅井みどりと町田スミはこの中央通りを東に走ってグランド横浜に駆け込んだんだわ。そして父親に電話を掛けた」
「葵さん、同感よ。浅井みどり、友部美樹、町田スミの三人は中央通りから路地に入って来たとなります。なぜ、三人の女学生は中央通りから路地へ行ったんでしょう?」
「勝子さん、聴取によるとね、彼女たちは、その日曜日の夜、八時前、路地に面した福笑菜館で中華料理を食べた。九時過ぎ、路地を北へ向かって歩いて行った。中央通りに出て善隣門に戻る途中、ピストルの発砲音が聞こえた。振り向くと黒い影が追って来た。友部美紀さんが撃たれた。浅井みどりと町田スミは、右に曲がって中央通りを東へ走ったって言ってるわね」
「現場からカルロは何処へ行ったんでしょう?」
「南へ走ったと考えていいんじゃない?この名前のない路地は結構広いのよ。上海小籠包を聞いたことある?その道を斜め北へ行くと大桟橋に出るのよ」と葵が勝子にマップを見せた。
「でも、大桟橋へ行ってどうするの?それに足は?」
「バイクじゃないかしら」
「目撃者は?」
「今のところないわね」
「バイクで逃げたとして、どこへ向かったんでしょう?」
「ああ、そうだ。首都高速神奈川三号狩場線の入り口、352から本牧へ出たと思うの。本牧は一キロに過ぎないのよ」
「やはり葵さんはハマッコなんだ」
「でも本牧の料金所を出るから監視カメラに写っているはずだわ」
「夏目先輩、じゃあ、カルロは本牧でオートバイを乗り捨てたんでしょうか?」
「本牧埠頭の岸壁から海中に落とした可能性が高いわね。D突堤は海釣りが許されているのよ。だから自由に入れるのよ。その海底を探るべきだわね」
葵が暗号テキストを知念に送った。――コンプリスと返信があった。
夕陽が西へ傾いていた。チャイナタウンは、赤い灯、青い灯、、ネオンが瞬き始めていた。
「勝子さん、広東料理食べる?」
「中華なら何でもいいの。連れてって」
ふたりが品宝楼に入った。
個室に入った。犬塚先輩とハンクが入って来た。
「ご苦労さま」
「何の苦労もしとらんけど?」
店長が入ってきて挨拶した。「紹興酒どうですか」と言った。
「う~む」と犬塚先輩が考えていた。
「いいのよ、勤務時間は終わったんだから」
自分も飲みたいのだろう。葵が判決を言い渡した。葵が、前菜、クラゲの炒め、ピータン、焼き豚を頼んだ。そのとき、葵の携帯が震えた。知念である。
――飲んでも良いが、丸子君は飲んではならない。今夜は、本牧の安いホテルに泊まれ。
「知念さんが本牧で泊まれって言ってるわ」
「じゃあ、しっかり飲もう。ハンク、頼むぞ!」と犬塚先輩が言った。
4
九月八日、火曜日、、
「勝子さん、今から本牧埠頭のD突堤へ行けって知念さんが言ってきた」
有坂が時計を見ると七時だった。ふたりが急いでシャワーを浴びた。となりの部屋でも同じだった。ハンクと犬塚先輩がシャワーを浴びていた。
四人がタクシーに乗ってD突堤に行った。たったの十分であった。すでにダイバーが海に潜っていた。本牧埠頭は喫水の高い外国の貨物船が入るので水深が十五メートルと深い。クレーンが動きだした。オートバイが海面に上がって来た。ダイバーが黒いボッカズボンを手に持って上がってきた。
犬塚が神奈川県警の刑事と話していた。
「川崎のKSR一一〇ですね」と刑事が言った。葵が知念にテキストを送った。
――使命完了。本庁に戻れ、、
四人が、タクシーで横浜駅東口へ向かった。葵が顎に手を当てて考えていた。
「犬塚先輩、カルロがバイクをD突堤から海中に落とした時刻は、九時四〇分頃。D埠頭入り口から湾岸道路まで、一五〇メートル。タクシーを拾って、湾岸道路に乗ってどこかへ行ったと思うんです」
「しかし、神奈川県警が中華街の現場に行ったのは、通報があってからだ。すると、早くても九時四〇分。その時刻、ホシはバイクを岸壁から落として、湾岸道路に走って行った」
「でも、どこへ行ったんでしょう?」
「東京だろうね」
四人が警視庁に着いた。
「夏目君、今回もお手柄だ。カルロは、ボッカズボンを海中に投げ込んだ」
「段々、尻尾を出してきましたね?」とハンクが言った。
「ここで攻撃に出よう」
「知念君、その作戦を聞かせてくれ」と犬塚先輩が知念の目を覗いた。知念が本牧出口の監視カメラに撮った写真を取り出した。川崎の「KSR一一〇」に乗った男は、フードの着いた黒いヘルメットを被り、白いマスクを掛けていた。身長一六〇センチ前後、体重六五キロ前後に見えた。バイクの持ち主は、群馬県渋川市のひとだった。
「やはり高崎が怪しいね。作戦を考えよう」
知念が、浦安のアパートに戻った。バルコニーのガラス戸を開けると海から風が入ってきた。ソファに寝そべってテレビを点けた。画面に本牧埠頭が映っていた。クレーンがオートバイを吊り上げている。解説委員が「チャイナタウン連続殺人事件を解説していた。しばらく見ていたが、スイッチを切った。そこへ、村田探偵からテキストが入った。
――走馬君と中華街の現場~中華街中央通り~首都高速神奈川三号狩場線の入り口、本牧出口352から~本牧埠頭D突堤まで走ってみた。夏目君が正しいと思う。走馬君も同じ意見だ。この事件の謎は必ず解ける。だが、確証を掴むまでにどれだけ犠牲者が出るのか俺は恐れている、、
続く、、
*みなさん、さっき、拙ブログの閲覧数が300万になりました。14年間の閲覧数です。何か達成した気がする(笑い)。伊勢
第六章
九月三日、、
やはり恐れていたことが起きた。「デイリー横浜」が特ダネをスクープしたと大見出しで記事を書いたのである。
――先月八月三十日に起きた「横浜チャイナタウン連続殺人事件」の被害者である女学生は、浅井みどり、一九歳ではなかった。本誌の調査によれば、殺害されたのは、友部美樹、十九歳である。友部美樹が、浅井みどりの顔形と似ていることが判明した。浅井みどりと同級生の町田スミは東京都内に保護されている。
「漏らした奴は誰だ?」
珍しく、知念が怒声を放った。
「知念君、いずれ判明する。それよりもこの記事を読んだ犯人が何をするのかだね」
「仁科課長、少し時間をください」
知念が部屋に戻ると村田に暗号メッセージを書いた。
――村田先輩、ボクの指示があるまで本件を離れてください。しかし、走馬君の探偵教育は続けてください。必ず、役に立ちます。知念。
オウム返しに絵文字が戻ってきた。知念が、ハンク、夏目、有坂を部屋に呼んだ。
「仁科課長と話したんだが、警視庁は夏目君と有坂君を保護する。コモドガーデン・ホテルに移動して貰う。丸子君と犬塚刑事とボクが警護する。丸田君と犬塚先輩がペアで、一室を取ってある。すぐに引っ越してくれないか?車は、警官付きで警視庁が出す」
「コモドガーデン?警視庁から歩いても、三十分ですが?」
「ことは急ぐ。引越しのために車を出すと仁科課長が決めた」
2
九月七日、月曜日、、
「夏目君、コモドの居心地はどう?」
「はい、キッチネットが付いているんです。勝子さんが料理好きなんで助かります。私が材料を買います」
「夏目君は、ハマッコだったよね?有坂君と横浜へ行ってカルロの足取りを捜査してくれないか?犬塚先輩、丸子君が後ろから着いて行く」
「じゃあ、出発してくれ。遅くなったら暗号テキストを送ってくれないか」
四人が出て行った。知念が村田にテキストを送った。
――村田先輩、走馬君と横浜チャイナタウンへ行ってください。ホシの足取りを調べてください。
知念は意図的にふたりの婦人刑事に出した同じ依頼を村田に出したのである。
3
夏目葵と有坂勝子が中華街の裏門と言われる東門から中華街中央通りを西へ歩いて善隣門に向かっていた。たったの二四〇メートルである。ふたりの後から、いかにも中華街に飯を食いにきた田舎者といういでたちで犬塚先輩とハンクが歩いて行く。ただ顔つきが怖いのでヤクザなら刑事と見破っただろう。
「勝子さん、浅井みどりと町田スミはこの中央通りを東に走ってグランド横浜に駆け込んだんだわ。そして父親に電話を掛けた」
「葵さん、同感よ。浅井みどり、友部美樹、町田スミの三人は中央通りから路地に入って来たとなります。なぜ、三人の女学生は中央通りから路地へ行ったんでしょう?」
「勝子さん、聴取によるとね、彼女たちは、その日曜日の夜、八時前、路地に面した福笑菜館で中華料理を食べた。九時過ぎ、路地を北へ向かって歩いて行った。中央通りに出て善隣門に戻る途中、ピストルの発砲音が聞こえた。振り向くと黒い影が追って来た。友部美紀さんが撃たれた。浅井みどりと町田スミは、右に曲がって中央通りを東へ走ったって言ってるわね」
「現場からカルロは何処へ行ったんでしょう?」
「南へ走ったと考えていいんじゃない?この名前のない路地は結構広いのよ。上海小籠包を聞いたことある?その道を斜め北へ行くと大桟橋に出るのよ」と葵が勝子にマップを見せた。
「でも、大桟橋へ行ってどうするの?それに足は?」
「バイクじゃないかしら」
「目撃者は?」
「今のところないわね」
「バイクで逃げたとして、どこへ向かったんでしょう?」
「ああ、そうだ。首都高速神奈川三号狩場線の入り口、352から本牧へ出たと思うの。本牧は一キロに過ぎないのよ」
「やはり葵さんはハマッコなんだ」
「でも本牧の料金所を出るから監視カメラに写っているはずだわ」
「夏目先輩、じゃあ、カルロは本牧でオートバイを乗り捨てたんでしょうか?」
「本牧埠頭の岸壁から海中に落とした可能性が高いわね。D突堤は海釣りが許されているのよ。だから自由に入れるのよ。その海底を探るべきだわね」
葵が暗号テキストを知念に送った。――コンプリスと返信があった。
夕陽が西へ傾いていた。チャイナタウンは、赤い灯、青い灯、、ネオンが瞬き始めていた。
「勝子さん、広東料理食べる?」
「中華なら何でもいいの。連れてって」
ふたりが品宝楼に入った。
個室に入った。犬塚先輩とハンクが入って来た。
「ご苦労さま」
「何の苦労もしとらんけど?」
店長が入ってきて挨拶した。「紹興酒どうですか」と言った。
「う~む」と犬塚先輩が考えていた。
「いいのよ、勤務時間は終わったんだから」
自分も飲みたいのだろう。葵が判決を言い渡した。葵が、前菜、クラゲの炒め、ピータン、焼き豚を頼んだ。そのとき、葵の携帯が震えた。知念である。
――飲んでも良いが、丸子君は飲んではならない。今夜は、本牧の安いホテルに泊まれ。
「知念さんが本牧で泊まれって言ってるわ」
「じゃあ、しっかり飲もう。ハンク、頼むぞ!」と犬塚先輩が言った。
4
九月八日、火曜日、、
「勝子さん、今から本牧埠頭のD突堤へ行けって知念さんが言ってきた」
有坂が時計を見ると七時だった。ふたりが急いでシャワーを浴びた。となりの部屋でも同じだった。ハンクと犬塚先輩がシャワーを浴びていた。
四人がタクシーに乗ってD突堤に行った。たったの十分であった。すでにダイバーが海に潜っていた。本牧埠頭は喫水の高い外国の貨物船が入るので水深が十五メートルと深い。クレーンが動きだした。オートバイが海面に上がって来た。ダイバーが黒いボッカズボンを手に持って上がってきた。
犬塚が神奈川県警の刑事と話していた。
「川崎のKSR一一〇ですね」と刑事が言った。葵が知念にテキストを送った。
――使命完了。本庁に戻れ、、
四人が、タクシーで横浜駅東口へ向かった。葵が顎に手を当てて考えていた。
「犬塚先輩、カルロがバイクをD突堤から海中に落とした時刻は、九時四〇分頃。D埠頭入り口から湾岸道路まで、一五〇メートル。タクシーを拾って、湾岸道路に乗ってどこかへ行ったと思うんです」
「しかし、神奈川県警が中華街の現場に行ったのは、通報があってからだ。すると、早くても九時四〇分。その時刻、ホシはバイクを岸壁から落として、湾岸道路に走って行った」
「でも、どこへ行ったんでしょう?」
「東京だろうね」
四人が警視庁に着いた。
「夏目君、今回もお手柄だ。カルロは、ボッカズボンを海中に投げ込んだ」
「段々、尻尾を出してきましたね?」とハンクが言った。
「ここで攻撃に出よう」
「知念君、その作戦を聞かせてくれ」と犬塚先輩が知念の目を覗いた。知念が本牧出口の監視カメラに撮った写真を取り出した。川崎の「KSR一一〇」に乗った男は、フードの着いた黒いヘルメットを被り、白いマスクを掛けていた。身長一六〇センチ前後、体重六五キロ前後に見えた。バイクの持ち主は、群馬県渋川市のひとだった。
「やはり高崎が怪しいね。作戦を考えよう」
知念が、浦安のアパートに戻った。バルコニーのガラス戸を開けると海から風が入ってきた。ソファに寝そべってテレビを点けた。画面に本牧埠頭が映っていた。クレーンがオートバイを吊り上げている。解説委員が「チャイナタウン連続殺人事件を解説していた。しばらく見ていたが、スイッチを切った。そこへ、村田探偵からテキストが入った。
――走馬君と中華街の現場~中華街中央通り~首都高速神奈川三号狩場線の入り口、本牧出口352から~本牧埠頭D突堤まで走ってみた。夏目君が正しいと思う。走馬君も同じ意見だ。この事件の謎は必ず解ける。だが、確証を掴むまでにどれだけ犠牲者が出るのか俺は恐れている、、
続く、、
*みなさん、さっき、拙ブログの閲覧数が300万になりました。14年間の閲覧数です。何か達成した気がする(笑い)。伊勢
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新連載「郭公が鳴く声が聞こえた」 第二話 |
第二話
第五章
八月三十日、日曜日、
知念は日曜日の夜、早々と寝ることにした。疲れが溜まっていたので、すぐ眠りに着いた。枕元で携帯が鳴った。仁科からであった。
「課長、何でしょうか?」
「知念君、浅井みどりが撃たれた」
「重症ですか?」
「いや、亡くなった」
「山田松男さんは?」
仁科が暫らく沈黙していた。
「山田君は殉死された」
知念が両手で目頭を押さえて俯いた。
「もしもし、知念君、聞こえるか?」
「はっ、聞こえています」
「現場は、横浜の中華街だ。君が到着するまでそのままだ。車を出した。丸子君が迎えに行く。すぐに行ってくれ」
知念がコルト・リボルバーを胸のケースに入れた。ハンクを乗せた覆面パトカーが浦安のアパートにやってきた。タクシーで三十分かかるところを十五分でやってきた。知念も、ハンクも革のジャンパーである。知念とハンクが横浜中華街の玄関である善隣門に着いた。中華街中央通りは、黄色のテープが張りめぐらされて、バリケードで閉鎖されていた。神奈川県警の刑事と加賀署の警官が立っていた。知念が車を降りると神奈川県警の警部補が知念に挨拶をした。山田松男刑事は中央通りの名のない路地で倒れていた。現場はブルーシートで囲まれ、そのまま保存されていた。写真も撮られていなかった。知念が、うつ伏せに倒れている山田の写真を撮った。嗚咽が出そうになったが堪えた。胸を撃たれていた。知念がひと通り写真を撮ると、別の車で来ていた鑑識に作業を始めるように言った。警部補が横に来た。
「知念係長、周囲の住人や関係者への聞き込み、付近の防犯カメラなどの情報収集を行ったのです。警察犬による捜索も行われた。今のところ不審な者は見つかっておりません」
浅井みどりは、その路地の南で倒れていた。バッグ、中華料理の入った箱、縁(ふち)がベッコウの眼鏡が散乱していた。知念が浅井みどりの遺体を見ていた。みどりは後頭部を撃たれていた。ベッコウの眼鏡を拾ったとき不審に思った。警官と話していたハンクを呼んだ。
「エエ~?何ですって?」
知念が鑑識の主任に遺体は浅井みどりではないと言った。鑑識が目を丸くした。浅井みどりは白い縁の眼鏡を掛けているはずだからだ。そして付近のホテルを調べるように指示した。そのとき携帯が鳴った。仁科である。
「知念君、浅井みどりの父親から電話があった。浅井みどりと、もうひとりの同級生は、山下公園?東口のグランド横浜に泊まっている。すぐに行ってくれ」
駐車場からグランド横浜に二分で着いた。知念とハンクがロビーに入って行った。フロントに行って警察手帳を見せた。レジが驚いて支配人を読んだ。レジは、六〇三号室に浅井みどりがいると言った。知念、ハンク、支配人がエレベーターに乗った。支配人が六〇三号室のドアをノックした。中に人がいる気配がしたが、静まりきっていた。
支配人が鍵でドアを開けた。部屋の中で悲鳴が上がった。ベッドで毛布を被った二人の女学生が恐怖に慄いていた。一人が立ち上がった。浅井みどりだ。
「警察です。心配しないでいい」と知念が言うと、浅井みどりが、その場にクタクタと倒れた。
知念が仁科に電話を掛けた。
「課長、ふたりの女学生を保護しないといけません。警視庁に連れて帰ります。父親の浅井光男にみどりと同級生が保護されたと一報願います」
「わかった。捜査一課から刑事を現場に急行させた。君はふたりの女学生を警視庁に連れて戻ってくれ」
八月三十一日、、
警視庁捜査一課の刑事殺害および女学生殺害事件特別捜査本部が設置された。「横浜チャイナタウン連続殺人事件」と名付けた。捜査一課殺人特捜部、地蔵峠殺人事件に拘わった十二名の刑事が加わった。総指揮官は、仁科捜査一課課長。つぎに知念太郎係長というチェーンコマンドである。横浜中華街で、二人の遺体が発見されてから六時間が経過していた。神奈川県警の初動捜査には問題はなかったが、犯人の足取りが全く掴めなかった。それでも、神奈川県警は、すべての駅、タクシー、ホテルに警官を張り界隈を聞きまわった。 電柱に、ベタベタとポスターを貼った。
「知念君、午後に特捜会議をやる。だが鑑識の報告を待つしかない」
「仁科部長、メディアを抑えてください。浅井みどりと山田先輩が殺害されたとだけプレス・リリースして頂きたい」
「君の考えがわかるよ」
「浅井光男にも 口外禁止を申しつけてください」
「ふたりの女学生は都内のホテルに保護した。浅井も生き残った町田スミの父親もやってきた。すでに注意をしてある。ふたりとも震えておった。殺されても、浅井みどりが生きているとは言わないだろう」
「神奈川県警にも緘口令を敷いてください。洩れるとしたら現場にいた警官です」
八月三十日、
検死課から報告が来た。
――ふたりの遺体が解剖された。友部美樹は頭を撃ち抜かれていた。死亡時刻は夜九時二十分頃。山田松男刑事は胸を撃ち抜かれていた。武器は22口径短銃。弾丸、ホロウトップ。山田刑事の胸のケースに、ワルサーが入っていた。犯人が残した物はなかった。山田松男の遺体を発見したのは、ピツァ配達の少年である。少年は花園町の交番へ走った。途中で友部美樹の死体を見た。
走馬、ハンク、夏目、有坂の四人が知念の部屋に集まっていた。夏目と有坂が泣いていた。夏目がティシュウを取ると鼻をかんだ。
「私たちは、カルロは、都会では襲わないと決めつけていた。でも起きた」
「夏目君、カルロが誘拐ゲームを放棄して、遂に殺人を開始したってことなんだ」
「追詰められれば、無差別殺人に切り替えるのでしょうか?」
「精密機械が狂い始めた。無差別殺人の可能性が高い」
「走馬君、君の意見は?」
「ボクは、村田さんの調査をヘルプしていましたから、お役に立てなかった。残念です」
「村田さんはどう言ってるのかね?」
「怖い顔をしているだけで、考え込んでおられました」
「ボクらは、カルロが行動を起こすのを待つほかない。行動とは殺人だからね。つぎは誰を狙うのか?」
「先輩、カルロはどういう手段で中華街の現場を離れたのか知りたいです」
「夏目君、有坂君、シナリオを書いてくれないか?走馬君は村田さんの指示に従ってくれ」
続く、、
*みなさん、このストーリーは面白いですか?それとも退屈?自分では、まとまりがないなあと思っている。伊勢
第五章
八月三十日、日曜日、
知念は日曜日の夜、早々と寝ることにした。疲れが溜まっていたので、すぐ眠りに着いた。枕元で携帯が鳴った。仁科からであった。
「課長、何でしょうか?」
「知念君、浅井みどりが撃たれた」
「重症ですか?」
「いや、亡くなった」
「山田松男さんは?」
仁科が暫らく沈黙していた。
「山田君は殉死された」
知念が両手で目頭を押さえて俯いた。
「もしもし、知念君、聞こえるか?」
「はっ、聞こえています」
「現場は、横浜の中華街だ。君が到着するまでそのままだ。車を出した。丸子君が迎えに行く。すぐに行ってくれ」
知念がコルト・リボルバーを胸のケースに入れた。ハンクを乗せた覆面パトカーが浦安のアパートにやってきた。タクシーで三十分かかるところを十五分でやってきた。知念も、ハンクも革のジャンパーである。知念とハンクが横浜中華街の玄関である善隣門に着いた。中華街中央通りは、黄色のテープが張りめぐらされて、バリケードで閉鎖されていた。神奈川県警の刑事と加賀署の警官が立っていた。知念が車を降りると神奈川県警の警部補が知念に挨拶をした。山田松男刑事は中央通りの名のない路地で倒れていた。現場はブルーシートで囲まれ、そのまま保存されていた。写真も撮られていなかった。知念が、うつ伏せに倒れている山田の写真を撮った。嗚咽が出そうになったが堪えた。胸を撃たれていた。知念がひと通り写真を撮ると、別の車で来ていた鑑識に作業を始めるように言った。警部補が横に来た。
「知念係長、周囲の住人や関係者への聞き込み、付近の防犯カメラなどの情報収集を行ったのです。警察犬による捜索も行われた。今のところ不審な者は見つかっておりません」
浅井みどりは、その路地の南で倒れていた。バッグ、中華料理の入った箱、縁(ふち)がベッコウの眼鏡が散乱していた。知念が浅井みどりの遺体を見ていた。みどりは後頭部を撃たれていた。ベッコウの眼鏡を拾ったとき不審に思った。警官と話していたハンクを呼んだ。
「エエ~?何ですって?」
知念が鑑識の主任に遺体は浅井みどりではないと言った。鑑識が目を丸くした。浅井みどりは白い縁の眼鏡を掛けているはずだからだ。そして付近のホテルを調べるように指示した。そのとき携帯が鳴った。仁科である。
「知念君、浅井みどりの父親から電話があった。浅井みどりと、もうひとりの同級生は、山下公園?東口のグランド横浜に泊まっている。すぐに行ってくれ」
駐車場からグランド横浜に二分で着いた。知念とハンクがロビーに入って行った。フロントに行って警察手帳を見せた。レジが驚いて支配人を読んだ。レジは、六〇三号室に浅井みどりがいると言った。知念、ハンク、支配人がエレベーターに乗った。支配人が六〇三号室のドアをノックした。中に人がいる気配がしたが、静まりきっていた。
支配人が鍵でドアを開けた。部屋の中で悲鳴が上がった。ベッドで毛布を被った二人の女学生が恐怖に慄いていた。一人が立ち上がった。浅井みどりだ。
「警察です。心配しないでいい」と知念が言うと、浅井みどりが、その場にクタクタと倒れた。
知念が仁科に電話を掛けた。
「課長、ふたりの女学生を保護しないといけません。警視庁に連れて帰ります。父親の浅井光男にみどりと同級生が保護されたと一報願います」
「わかった。捜査一課から刑事を現場に急行させた。君はふたりの女学生を警視庁に連れて戻ってくれ」
八月三十一日、、
警視庁捜査一課の刑事殺害および女学生殺害事件特別捜査本部が設置された。「横浜チャイナタウン連続殺人事件」と名付けた。捜査一課殺人特捜部、地蔵峠殺人事件に拘わった十二名の刑事が加わった。総指揮官は、仁科捜査一課課長。つぎに知念太郎係長というチェーンコマンドである。横浜中華街で、二人の遺体が発見されてから六時間が経過していた。神奈川県警の初動捜査には問題はなかったが、犯人の足取りが全く掴めなかった。それでも、神奈川県警は、すべての駅、タクシー、ホテルに警官を張り界隈を聞きまわった。 電柱に、ベタベタとポスターを貼った。
「知念君、午後に特捜会議をやる。だが鑑識の報告を待つしかない」
「仁科部長、メディアを抑えてください。浅井みどりと山田先輩が殺害されたとだけプレス・リリースして頂きたい」
「君の考えがわかるよ」
「浅井光男にも 口外禁止を申しつけてください」
「ふたりの女学生は都内のホテルに保護した。浅井も生き残った町田スミの父親もやってきた。すでに注意をしてある。ふたりとも震えておった。殺されても、浅井みどりが生きているとは言わないだろう」
「神奈川県警にも緘口令を敷いてください。洩れるとしたら現場にいた警官です」
八月三十日、
検死課から報告が来た。
――ふたりの遺体が解剖された。友部美樹は頭を撃ち抜かれていた。死亡時刻は夜九時二十分頃。山田松男刑事は胸を撃ち抜かれていた。武器は22口径短銃。弾丸、ホロウトップ。山田刑事の胸のケースに、ワルサーが入っていた。犯人が残した物はなかった。山田松男の遺体を発見したのは、ピツァ配達の少年である。少年は花園町の交番へ走った。途中で友部美樹の死体を見た。
走馬、ハンク、夏目、有坂の四人が知念の部屋に集まっていた。夏目と有坂が泣いていた。夏目がティシュウを取ると鼻をかんだ。
「私たちは、カルロは、都会では襲わないと決めつけていた。でも起きた」
「夏目君、カルロが誘拐ゲームを放棄して、遂に殺人を開始したってことなんだ」
「追詰められれば、無差別殺人に切り替えるのでしょうか?」
「精密機械が狂い始めた。無差別殺人の可能性が高い」
「走馬君、君の意見は?」
「ボクは、村田さんの調査をヘルプしていましたから、お役に立てなかった。残念です」
「村田さんはどう言ってるのかね?」
「怖い顔をしているだけで、考え込んでおられました」
「ボクらは、カルロが行動を起こすのを待つほかない。行動とは殺人だからね。つぎは誰を狙うのか?」
「先輩、カルロはどういう手段で中華街の現場を離れたのか知りたいです」
「夏目君、有坂君、シナリオを書いてくれないか?走馬君は村田さんの指示に従ってくれ」
続く、、
*みなさん、このストーリーは面白いですか?それとも退屈?自分では、まとまりがないなあと思っている。伊勢