fc2ブログ
管理人は、アメリカ南部・ルイジアナ住人、伊勢平次郎(81)です。
06 * 2022/07 * 08
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
07/31
ロードアイランド州(放浪その19)
早く寝たので目が覚めた時はまだ暗かった。自転車を拭いて、油を差した。チェーンを引っ張って、変速ギアをチェック。スニーカーを履いて、早朝の空気を肺いっぱいに吸った。葉が茂り、実をつけたトウモロコシが山のふもとまでまで広がっていた。伊勢はアメリカのちからを感じていた。前方に朝陽が上ってきた。朝陽は、27歳の青年に希望を膨らませた。「自分の女房になる女性って誰だろう?」

湖が見えた。10時だのに、もう子供や女性が泳いでいた。伊勢もブリーフひとつになると泳いだ。石のグリルがある。枯れ木の枝で日を起こした。サックから畑でもぎ取ったトウモロコシ二本をロスの上に置き、パンをトーストした。ホテルの冷蔵庫から持ってきたコカ・コーラの瓶の蓋を万能スイスナイフで開けた。食べた後、寝袋を敷いて寝た。樫の木にとまったセミの鳴き声が耳に心地よい。

午後の強い日差しの中に大きな湾が見えた。市街の周りに円を描いたような環状道路がある。プロビデンスだ。白い帆の様々なヨットが湾を帆走していた。旗が立っている浮きの間を回っている。レースだ。これも日本にはない風景だった。石原裕次郎、加山雄三がヨットを持っていたなと想った。伊勢は日本の映画を観なかった。どうしてだろうか今でもわからない。ハリウッド、ヒッチコック、ジェームス・ボンド、フランス映画の「現ナマに手を出すな」などを日比谷に観に行った。「アラビアのローレンス」は、伊勢に大きな影響を与えた。「アッカバ」と砂の上に座って、一晩、考えていたローレンスが呟くシーンは今でも脳裏に焦げ付いている。ヨットレースが見えるホテルにチェックインした。自転車置き場があった。バーへ行って、ビールでランチを食べた。ウエイターが「日本人か?武士道を読んだ。俺の聖書なんだ」と言った。伊勢はチップを20%置いてルームに行った。

ロードアイランド州は、英国教会の影響が強いマサチューセッツ州で宗派が違うことで迫害された人々が作った。非常に恵まれた地形やナラガンセットと呼ばれる大きな湾はアメリカ海軍の母港になった。嵐に強いと言われている。伊勢はホテルをチェックアウトすると、南へ走った。湾口のモテルにチェックイン。海岸に出ると、大潮が退いたのか浅瀬が見える。人々が潮干狩りを楽しんでいた。見ていると、ハマグリの二倍もある二枚貝を手で掴んではバケツに入れていた。伊勢もズボンをたくし上げて浅瀬に入った。手で砂を掻き上げていると、こつんと何かが指に当たった。バケツを持っていなかったの、ズボンのポケットに入れた。「これなんて言う貝なの?」と子供に訊いた。チェリーストンと答えた。ライセンスが要るだろうと、2個でやめた。ホタテが波打ち際に多く転がっていた。伊勢志摩で言う「ミミガイ」で貝殻は赤く、上下の蓋が同じ。一個拾った。一般のホタテは「テラガイ」と呼んでいた。これは貝殻が白く、お寺の瓦のような形をしている。モテルのキッチンで焼いて食べた。その夜、バーへ行って、メニューを見た。チェリーストーン・ハーフシェル、4個1ドル。「ヘ~?安いな」と頼んだ。ハーフシェルとは、生の貝にレモンを絞ってかけて食べる。生牡蠣のシーズンは4月で終わっていた。

「どこか見る価値がある町ある?」とバーテンに訊いた
「ニューヨークへ帰るのか?コネチカットのニューポートを見て行くといい」
「何がある?」
「行けば判るよ」と理由を言わなかった。マップを見ると、56マイルだ。自転車の快適なスピードは時速16マイル。3時間30分だ。

~続く~
07/30
伊勢は日テレを疑っている、、


日テレの小栗という女性解説員が統一教会及び自民党を庇う発言をした。多くの批判が出た。それ以来、日テレは姿勢を一転している。日本の国民の反発が恐いんだね(笑い)。

自民党の多くの議員、大臣は辞任せざるを得なくなる、、

自民党は崩壊する。岸田は黙りこくっている。第二党の立憲民主党が清いのかどうか判らないが、政治家と統一教会の癒着を徹底検証すると言っている。96議席を持つ立憲民主党に伊勢は期待を持っている。
07/28
ウッドストック(放浪その18)
フランス製の競争用自転車は華奢だったが、舗装道路、ならされた土の上はオーケーなのだ。パンク修理のパックが着いていた。肩に担いで、アパートを出た。グランド・セントラル駅へ行って、「キングストンへ行くんだが、自転車を持ち込ませて貰えるか?」と訊くと、「ウッドストックへ行くんか?もちろん」と。自転車を載せる貨車のラックに止めた。フェスティバルのチケットを駅の販売店で買った。三日分の滞在費も払った。食い物、飲み物は会場の道路わきで買えると言った。「快適そうだな」と思ったがそうではなかった。

キングストンからウッドストックは舗装道路だった。右側に大きな貯水池が見えた。途中から土の道となった。前夜から車で到着していた群衆が会場に入って行くのが見えた。こんな群衆を見たことがなかった。カリホルニアのビッグ・サーでも5万人程度だった。ビッグ・サーはロックじゃなかった。ジョーン・バエズの弾き語りや17歳だったジャニス・ジャプリンが反戦を訴えた。演奏が始まると群衆は熱狂した。爆発に近いスティールギターや各種の打楽器、歌手の叫び声は、緩やかな情緒を尊ぶ日本人には無理だった。陽が西に傾く頃、素っ裸の金髪ガールたちに挨拶して、会場を出た。来た時と違うのは、100本のマリワナの細巻きをヒッピーから買ったことだった。べトナム戦争が終わった1975年以降、全米でマリワナは違法になった。今、西海岸、コロラド州では合法となっている。ルイジアナは、栽培も禁止です。

「さあ、どこへ行くか?休暇はあと6日もある。自転車で行けるところまで行って、汽車でニューヨークへ帰ろう」。ガソリン・スタンドでマップを買った。東海岸へ行くことにした。コネチカットへ出て北上するか決めかねた。どのくらい時間がかかるのか?どのくらい疲れるのか?海岸の地形は面白い。気に入ればそこで遊んで汽車で帰るだけなんだ。その夜は、ウッドストックから30キロ東の田舎のロッジに泊まった。

日の出の前にロッジを出た。トウモロコシが大きくなっていた。二本もぎとってバックパックに入れた。水蜜桃が大きくなっていた。これも数個もぎとった。苺畑が広がっていたが、無視した。鹿の子縞の猪の子供がいた。「金属バットがあったらなあ」と断念した。午後の3時頃。大きな町が見えた。ハートフォードだ。ボストンへ続く鉄路があった。大学町のようだ。赤煉瓦のホテルにチェックインした。ピアノが聞こえたが、荒野の西部モンタナのバーのピアノではなく、クラシックなのだ。ルームに自転車を入れて、シャワーを浴びた。冷たい水が焼けた肌に気持ちがよかった。石鹸で髪の毛を洗い、タオルで体を拭いた。ワイシャツに着替えると、ロビーへ降りて、レストランに入った。テーブルに白いクロスが掛かっていて、ダリアが活けてあった。サルスベリー・ステーキは懐かしかった。明日は、5時間で海が見えるはずだ。ベッドに転がるとそのまま寝てしまった。

~続く~
07/27
これがダラス、テキサス、、



伊勢のコメント、、
FalconNewsreel
3 minutes ago
アメリカ南部ルイジアナの住人です。ダラスへは出張します。テキサスは全米で銃撃事件死者共にトップ。私も自動拳銃を携行します。警官は勇敢ですが、殉死率も高い。テキサスは共和党州で、知事も上院議員も石器時代の人間です。
07/27
1969年の夏(放浪その17)


二人のビジネスマンが求人広告を見ていた。求人広告には面白い情報があるからだ。

「これ、面白い。カネは無限にある。何かに投資したいだって」
「電話してみな」
「二人の若者で巨大な遺産を受けたと言っている」
「調べる必要がある」

巨大な遺産は本当だった。そういったものに投資をしたいのかと聞くと、イベントだと言った。フットボール、バスケットボール、ボクシング? 「いや、ロックのようなものだ」

「野外で、寝袋、毛布に寝転がって、生のロックを聴くってのどう?」
「それいいな。2万人ぐらい集められるか?」
「やってみないと判らん」

「俺ね、キングストンのうまれなんだ。マンハッタンからハドソン川添いに北へ160マイル。アショアという貯水池がある。周りは緩やかな丘陵で盆地なんだ。ウッドストックっていう集落がある」
「行ってみよう」

ウッドストックは、トウモロコシと貯水池の水で飯を食っている村落だった。二人が市長に会った。市長が「民家がない場所がある。草原だが、言って見るか?と言った。行ってみると牛が草を食べていた。

「放牧だが、三日ぐらいなら移動させるよ」と市長は乗り気だった。収入がないのだろう。

二人が富豪の若者に電話を掛けると、「それで行こう」と言った。市長に入場料の一部とキャッシュを払う約束をした。ポリス。消防は要らないと言ったが、胸がドキドキしていた。何しろ2万人だ。何が起きるか判らない。

ニューヨーク最大の広告会社Y&Rに出かけてイベントを説明した。専務が出てきた。「自分も行きたいくらいだ」と言った。イベントは、8月15日の金曜日から火曜日の朝までと決めた。広告は東海岸だけにした。南部州は無視した。広告を出して、5日間で2万枚のチケットが売れた。売れた理由はチケットが安かったからだ。ドクター、看護婦を雇って、クリニックを開いた。やはり、警備員と消防員が必要だった。

「どうする?もう少し売るか?」

3万枚が売れた。いよいよ開幕となる5日前には、5マイルの行列ができた。結局40万人のイベントになり、世界史に残った。出演者はみんなアマチュアだった。サンタナなどのスターが出た。

伊勢は、テレビ広告を見た。ウッドストックへ行くことにした。一週間休暇を取った。テルチンはプロの配達人を雇った。

~続く~
07/26
エエ~?最適賃金上げられないの??
年金機構の運用資産、、

公表資料によると、GPIFの運用資産は2021年度第2四半期(7月~9月)時点で194兆1,197億円となった。 また、2020年度の運用成績は、運用を始めた2001年以降で過去最高の37兆7,986億円の黒字を記録。 2021年度第2四半期までの累積収益額は102兆1,946億円に達した。Jan 6, 2022

米国債保有、、

日本の米国債保有は740億ドル減の1兆2320億ドルと、2020年1月以来の低水準。 ただ、海外勢の保有額で首位を維持した。May 16, 2022

伊勢爺のでっかい疑問、、

「日本は貧乏国へ向かう」と書くと、必ず、上の二つを以って、「日本は貧乏じゃない」と反論がある。じゃあさ、なぜ、最低賃金を上げることに腰が退けている?新型コロナの感染者が100万人を超えたらしいね。飲食業へ支援しているけど、日本の経済は衰えるでしょ?第七波、第八波、、岸田はどうすんのよ?2008年、選挙で大勝して、味をしめた安倍晋三は、2010年頃から統一教会と大っぴらに付き合い出したと弁護士さん。すると、安倍は日本を韓国に売ったとなる。国葬に血道を上げる岸田。日本人は詐欺政党に身を預けている。伊勢
07/25
1968年のクリスマス(放浪その16)


クリスマスの寸前に仕事に就いたのは幸運だった。自転車で図面を配達することは簡単に見えるが、ブロードウエーは車が常に混雑していて、その車の間を縫ってペダルを踏んだ。自転車を歩道に置いて図面を届けることはなく、時間を決めていたので、受け取る人が外で待っていた。携帯がない時代、配達は円滑ではなかった。

12月には重大なニュースが二つあった。ひとつは、北ベトナムがアメリカのスパイ船プエブロの乗組員を釈放したこと。二つ目は、アポロ8号が月の軌道を回って、月面の写真がテレビで映されたことだった。7号までは、発射、回収をテストしていた。アポロはだんだん大きくなっていた。高さ100メートル。重さ40トン。12月21日から地球に戻るまで6日間の探検は、翌年の月面着陸に繋がった。クリスマスは、イブとクリスマスの二日だけが休みで、正月はなかった。

ゴードンから電話がかかった。

「ノブ、俺のペアレンツはヨーロッパへ行った。俺とクリスマスやらないか?」
「スタンレー、ひとりか?」
「いや、彼女がいる」
「俺のアパート狭いから泊まれないよ」
「アメリカーナに泊まる。俺、フォード・ファンデーションで、植木の管理をやっているんだ。庭園の設計をやりたい」
「ああ、それスタンレーに合っているよ」

アメリカーナのボール・ルームは豪華だった。七面鳥とマッシュポテト。白ワインを頼んだ。

「ノブ、ブロードウエイの劇場で、ヘア(毛)をやってる。ジェーンが観たいんだ」
「サンシャインとか言うソングが流行っているね」
「ヒッピーのベトナム戦争反対なんだよ。ノブはヒッピーをどう思う?」
「サンフランシスコに居たんで、若者はみんなヒッピーだった。俺は戦争が嫌いなんだ。でも、ヒッピーにはならなかった。日本人がヒッピーになる理由がないからね。スタンレーは徴兵されないんか?」
「例外はないよ。今、どんどん引っ張られている」

二人のヒッピーが書いたミュージカル、ヘアはアカデミー賞を取った。男女がステージで真っ裸になった。ところが、ニューヨークは保守的な面があって、ヒッピー旋風は起きなかった。

年が明けた。仕事が楽しくなっていた。図面のプリントも習った。イタリア人の電気設計士、ロバートは親切だった。一人、伊勢を気にくわない若者がいた。ブライアンはユダヤ系だった。何かと意地悪をした。バックパックを机に置くと押して床に落としたり、プリントをチェックしようと広げると「向こうでやれ」と。伊勢が立ち上がって睨みつけた。

「なんだ、おまえ?」とブライアンが言った。
「オッオー」と言う声が聞こえた。クチ髭のスペイン人エルサリオだった。
「お前は、俺に勝てねえよ」とブライアン。
「ファック・ユー、スティンキン、ミートボール」

ブライアンが立ち上がった。ロバートが中に入った。

「ブライアン、おまえ、クビになるぞ。おまえ、図面の配達をやるんか?」

「ノブ、ユー・アー・グッド」とエルサリオが言った。

「サンキュウ、ミスター、エルサリオ」

「ム―チョと呼んでくれ」

一日に30キロメートルは自転車を漕いだ。伊勢の若い体は引き締まり、脚が強くなっていた。

~続く~


07/25
クラスが上がった(放浪その15)
11月のレイク・ジョージは寒く、とても泳げる水温じゃなかった。

「スタンレーから聞いた。ノブ、サンキュウ。何かで困ったときは電話をくれ」

ゴードン・セニアはフォード・ファウンデーションの社長だった。マンハッタンに帰ると建築設計事務所を探した。なんとか、摩天楼の建築に関わりたかった。ロックフェラーセンターのスケート・リンクにクリスマスツリーが飾られていた。「青きドナウの流れ」が聞こえた。子供たちが滑っていた。白人だけだった。黒人も東洋人もいなかった。クリスマスが近着いていた。五番街は、スピーカーからジングルベルが流れていた。伊勢は、ロックフェラーセンターのビルのロビーにいた。

警備員が「どこの階へ行くのか?」と訊いた。
「別に、どこって決めていない。建築事務所で働きたいと思ってやってきた」
「うろつくのは禁止されているんだよ」
「ディレクトリーを見たいだけなんだ」
「OK、五分だけな」

建築という英語が目に飛び込んできた。テルチン&カンパネラと言う。警備員に感謝すると外へ出た。公衆電話のボックスに入って、分厚い電話帳を開いた。テルチン&カンパネラに電話を掛けた。女性が出た。用件を伝えて、名前と電話番号を言った。

「ミスター・オザキ、英語に問題あるの?どこから来たの?」

日本人だと言うと、「ジャパン。アイ・ラブ・イット」 活け花を習っていると言った。「カンパネラさんがいないので、明日、昼に電話頂戴」と言った。「あれ、幸運かな?」と思った。

「来い」と言うので、バスに飛び乗った。30畳ぐらいのルームがひとつ。小さな事務所だった。デザイナーが一斉に伊勢を見た。一番大きな男がカンパネラだった。

「自転車を持ってるか?」
「いや、持ってないけど、どうして自転車?」
「マンハッタンには建築デザインの事務所が多い。そこへ、プリントした図面を届けたり、プリントを貰って来る仕事だからさ」

つまり、配達屋なのだ。「まあ、いいや」と思って、給与を聞いた。一日、25ドルだった。すると、声が聞こえた。

「ドミニク、そんなはした金で食えると思うんか?」と先が尖ったクチ髭の小男が言った。
「シャラップ、ムーチョ。お前のビジネスじゃない」
「俺の名前はエルサリオてんだ」
「オーケー、ムーチョ。静かにしろ!」
「ドミニク、おまえのクチにストレートをくらわしてやる」
「何の騒ぎか?」とオーナーのテルチンが入ってきた。頭がピカピカと光っていた。

話しを訊いたテルチンが、「前には何の仕事をしていた?」と訊いた。サンフランシスコのべクテルでキーパンチャーの助手だったと言うと

「べクテルはうちのお客さんだ。いくらもらっていた」

これはチャンスだと、「一日50ドルだった」と言った。嘘をついたわけだけど、「嘘も方便」とわがパパが言っていた。テルチンが「オーケー」と言った。パスポート、年金カード、自動車免許証を見せると握手のために手を出した。これで、月に1200ドルから1300ドル。タックスを差し引くと、約1000ドル手に残る。家賃は200ドルだったから、エンゲル係数に合格だった。伊勢は会計など習ったことがないが、タクシーの運ちゃんは料金表、チップを客を乗せる度に数える職業なのだ。それで、計算が素早かった。でも自転車を買わなければならない。それを言うと、テルチンが買ってくれると言った。自転車の店に行って、競争用の自転車とヘルメットを買った。フランス製でしゃれていた。渡米して、1年4か月だった。

~続く~
07/24
対立(放浪その14)
映画館の切符売りは待っている人がいたので断念した。デザイン学校は4時に退ける。日本レストランは。和食の職人と化学が合わない。そうこうしているうちに一ヶ月が経った。家賃とメシで、一ヶ月450ドルが要った。やはり、食うことが高い。すると、レストランしかない。だが、キッチンで働くのには懲りていた。

デザイン学校の講師は一人で、一日中、机に向かった座っているだけで、授業はなく、テキストを見ながらキッチンやリビングルームの設計を真似た。太った大きな黒人が一人クラスにいた。「はてな?」と思った。ある日、彼の隣に座ることになった。横浜で黒人兵を載せたので、違和感はなかった。

「ハウ・アー・ユー?」
「アイ・アム・ファイン。アンド・ユー?」

大きな口に傷があった。

「これか?ベトナムで撃たれたんだ。それで、このスクールはタダなんだ」

右隣に白人で気の弱そうな青年が座っていた。見ていることに気が着いたのか「アイ・アム・レイ」と言った。彼もベトナム帰りだった。自分は野砲隊にいたが、発射音が恐くて、震えが止まらず、兵隊不合格になったんだと言った。教室の片側にも黒人がいたが、アメリカの黒人じゃない。聞くと、ジャマイカなどのカリブ海からきたと言った。このスクールに入ると学生ビザが貰えるからと言った。伊勢は、「これ詐欺じゃないかな?」と直感した。英語学校とか言うのは全て、学生ビザが貰えるからと南米からきたものを勧誘していた。白人が一人いた。「白人がいない学校?」

「俺、ゴードン」
「アメリカン?」
「そうだ」
「どうしてこのスクールに入ったんだ」
「おやじが学校へ行けと言うんで、コネチカットからニューヨークにきた」
「ゴードン、この学校、胡散臭くないか?」
「スカマーだよ」 詐欺というスラング。
「どうして、辞めないのか?」
「ディプロマ(修了書)をくれるんだ。すると、結構良い会社が雇うから」
「なるほど」

アパートへ帰って、ベッドに転がり、天井を見ていた。巧妙に仕組まれた詐欺だと判った。所持金が7千ドルを割っていた。このまま、スクールにいれば、完全に破綻する、、夜働いてまで行く学校じゃない、、1000ドル失うがやめよう。

翌日、校長に会った。「辞める」と言うと、「何故だ?」と聞いてきた。「スカムだからだ」「ホワット?」
ビジネスマンの顔が真っ赤になった。

「ディプロマを捨てる気か?」
「いや、ペーパー1枚に1000ドルも払ったんだ。貰う権利がある」
「辞める奴には権利はない」と、すげなかった。
「ははは、OK、弁護士に相談する」

校長が講師を呼んだ。二人がヒソヒソと話していた。

「オーケー、オーケー、修了書を出すが、弁護士に行かない宣誓書をよこせ!」

ゴードンに辞めた言うと、「俺もそうする」と。ゴードンに電話番号をやった。朝っぱらから、映画館に入った。「冷血」と言う題名の映画だった。この映画は神経にきた。「もの凄いストーリーだけど、実話なんだろう」 

田舎へ行きたくなった。モントリオールへバスで行ったとき、レイク・ジョージという湖があった。湖で、2.3日、泳ぐか?夜、ゴードンから電話がかかった。「金曜から家族で、レイク・ジョージに行く。ノブも来い」と言った。

「冷血という映画を観たんだ。ラストシーンの絞首刑ね、俺、アタマがおかしくなった」
「あれね、トルーマン・カポーテが文学賞を貰った名作だ。カポーテは、「ティファニーで朝食を」を書いた作家だ」
「観たよ。オードリーヘップバーンがムーン・リバーを唄った。あの映画で、なんかニューヨーク人がわかった」

~続く~

07/23
こんな面白いダンスを見たことがない、、


パシャはモスクワの芸人。サンフランシスコに行っていた妻が飛行機に乗り遅れて、一人で出場することになった、、曲は、パブロサラサーテのタンゴ。他人に伝えられない悲しみを現した名曲なんです。伊勢は、イサック・パールマンが弾く名曲に胸を打たれた。試験管べービ―の兄弟のノベルを書いたとき、この曲を頭に置いていた。兄のサイモンが絞首刑になる前夜、彼はタンゴを聞いていた、、伊勢
07/23
最大の挽き肉機(放浪その13)
銀行口座を閉めて、キャッシュ1500ドル、残りをトラベラーチェックにした。ラリーと上海酒家飯店へ行った。フルコースをオーダーした。

「ラリー、俺ね、シカゴへ行こうと思っているんだ」
「そうか、フリスコを出るんか。だけど、シカゴは、インテリがいない。バカになるよ」
「じゃあ、どこへ行けばいいと思う?」
「ニューヨークへ戻れ。ニューヨークは、文化の発信地なんだ。映画、音楽、アート、ファッション、建築、、ノブは自分が何をしたいのか、目的が定かじゃない。何に触発されるか、るつぼに入ってみろ」
「キャシーはどうした?」
「アイ・ラブ・ユーと電話が掛かってくるんだ。今週末にオレゴンに呼ばれている。ペアレンツに会わす気だろう」
「どうする?」
「結婚する」
「ずいぶん、歳が離れているけど?」
「そうだけど、俺、遅いんだ」

ラリーに封筒を渡した。ラリーが封筒を開けた。

「500ドル?何だこれ?」
「世話になった。俺の感謝なんだよ」
「サンキュー、ノブ。キャシーにドレスを買う」

次の朝、ラリーと抱き合って別れた。再び、トランクを手に持って、バス停に歩いて行った。

ラガーディア空港に6時間で着いた。「アメリカは、やっぱり、飛行機だなあ」と思った。バスで、マンハッタンへ行った。5番街のホテルは身分に合わない。42丁目辺りは危険だ。ビレジへ行った。チャイナタウン、イタリア街が近く、ホテルは清潔だった。

「何日だ?」とフロントのヒッピーが言った。
「3日は宿泊する」
「初めてか?」
「いや、去年、きた。仕事を探しているんだ」
「ニューヨークは、専門職以外は、仕事は雑用だけだ。学校かなんかへ行ってプロになれ。14丁目に建築デザイナーのスクールがある。行ってみろ」

校長と会った。日本人の伊勢を見下していた。ビジネスマンの感じで、校長と言う人間には見えなかった。一日5時間の授業。10か月で卒業。授業料1000ドル。クラスの中を見た。色とりどりの人種が画用紙に三角定規で線を轢いたり、丸を書いていた。先生らしい高年の男が一人墨に座っていたが、現金の束を数えていた。

1000ドルか?10か月もホテルにはいられない。安アパートを探そう。アルバイトをするしかないな。映画館が切符売りの求人ポスターを貼ってたな、、

建築デザイン・インスティチュートに1000ドルを払った。アパートも見つかったが家賃が、光熱費を入れて、200ドルと1カ月分の前払い。サンフランシスコは120ドルだったな、、ニューヨークは全てが高かった。1万ドルあったカネがホテルに2週間もいたので、7500ドルになっていた。「アメリカは、身を粉にして働けば稼げるけど、恐いな」と背筋が寒くなった。

~続く~
07/22
ついに自分のアパート(放浪その12)
「H2?ノブは,アンダー・ドケット(国外追放指定)だったんだ。それは進歩だ」
「ラリー、ボク、部屋を借りたいがいくらかな?」
「俺が交渉してやる」
「テレビを買いたいんだ」
「俺のをやろう。新しいの買うんだ」

アカプルコは高く付いた。所持金が700ドルを割っていた。家賃、電気水道代、古い冷蔵庫、、「でも、仕事があるんだ」と自分に言い聞かせた。日本へ帰る航空券が要らなくなったのでキャンセルした。900ドルが手に入った。二年、タクシーをやって、お袋や姉から貰ったカネの残りだった。上司のビルは善い人だ。昇級する方法を聞くことにした。

三か月が経った。カネが一向に貯まらない。ラリーからテントを借りて、ヨセミテへ行ったり、ネバダ州境のレイク・タホへ行ったからだ。さすがに外食の余裕がないことに気が着いた。ビルが10%月給を上げてくれた。それでも預金は減って行った。病気をしなかったのが幸運だった。歯ブラシを持ち歩き、食べる度に洗面所へ行って歯を磨いた。医療保険のある永久社員になりたいが、移民はいくらでもいて、「辞めたきゃ辞めていいよ」だった。一日中歩き回ってパンチカードをパンチャーに配る仕事を終わって、ベクテルを出た。「夜の仕事ないかな?日本料理店は嫌だし、、」とビルを見て歩いた。新聞を買おうと販売機を見ると、一部12セントだった。コカ・コーラのボトル一本の値段だ。躊躇っていると、「新聞欲しいか?」と中折れ帽子を被った紳士がくれた。ヒッピーがどこかの海岸で反戦イベントをやっている写真があった。中華料理店へ入って、五香牛肉、チャーハン、ワンタンスープ二人前をテイクアウトしてアパートへ帰った。ラリーと一緒に食べた。

「ラリー、キャシーって娘はどうなった?」
「どうにもなってないよ。彼女は17歳で家出娘なんだ。悪い虫が付いていた。そいつが彼女を殴った。ポリス呼んだんだ。前科があったんで、ムショ行きだと。キャシーはそいつに頼っていた。俺がオレゴンの田舎ヘ帰れとカネをやった。そしたらな、彼女が寝てもいいと言ったんだ」

「寝たんか?」
「いや、一緒のベッドで寝て、別れた」

食後、新聞の求人欄を残して捨てた。

「あれはね、ビッグサーと言う国道一号線の海岸のイベントだよ。サンデーに行ってみるか?」
「車がないよ」
「いや、ヒッピーバスが出ているんだ。ノブ、仕事を探してるんか?」
「夜、何か出来ないかなあ」
「どれどれ」
「空港に仕事がある。小型のバンのドライバーで、ダウンタウンのホテルを一巡する。聞いてやろうか?」

5時間、8時間の時間帯が二つあった。5時間は、交通が渋滞する5時から10時までだった。そういえば、べクテルは、4時を過ぎるとほとんど仕事がなかった。ビルに正直に言うと「いいよ」とOK した。3時に退社して、ダンタウンでエアポーターと運転を代わった。給料は5時間で20ドル。やってみると、チップが多かった。一晩30ドルもあった。ところが、やはり、二つの仕事はきつかった。

「じゃあ、ベクテルを辞めたら?」
「6か月しか働いてないんだよ」
「いいんだよ。ミート・グラインダーなんだから」

ビルに言うと、「次の人間が決まるまでおれるか?」と。代わりは、一週間で見つかった。仕事を教えた。ビルがベクテルと話して、退職金200ドルをくれた。エアポーターを8時間に代えた。土曜日も運転したので、ひと月、1200ドルになった。ラリーよりも上だ。9月に入った。預金が1万ドルにもなっていた。ところが、「自分は、ドライバーになる為にアメリカに来たんじゃない」と思うようになった。パンツの中の尻が痒い。ラリーに言うために立ち上がった。

~続く~

07/21
国境の南(放浪その11)


メキシコ・シテイは別天地だった。まず、タクシーは乗り合いなのだ。バスのようなもので各所に検問所があった。今でも、同じなんです。真昼だったので、聞いていた国立歴史博物館ヘ行った。これを見ればメキシコが一挙にわかるんじゃないか。もの凄い博物館で今日まで見たことがないスケールだった。建物は、白いサンゴ石で出来ていた。エジプトの国立博物館でも適わない。わかったのは、メキシコ・シテイは、山に囲まれた盆地なのだ。テオティワカンと言っていた。博物館の前庭に大きな石像があった。裸で首や胸の飾りをつけていた。ハワイのカメハメハ大王に似ていた。モンテズマ二世は王様だった。スペインの征服者ヘルマン・コルテスに滅ぼされた。以来、メキシコは、スペイン人、マヤ人、アズテク、アフリカ黒人の国になった。だが、誰もが、モンテズマがメキシコの象徴なのだ。テオティアカン峡谷は天国だった。

メキシコ・シテイからバスで、アカプルコへ行った。S字状の坂道を下がって行った。6時間後、大きな湾が見えた。英語が判るメキシコ人がいない。バス・ストップの中に売店があった。麦藁帽を買った。店のオーナーにホテルはどこがいいかと聞いた。ホテルと言うワードが判ったようだ。湾の太平洋側に丘がある。彼女が指さした。タイプライターのような形のホテルだった。タクシーでホテルに着いた。「これ高いもんに付くぞ」と思った。だが、そうでもなかった。タクシーは乗り合いで、1ドル。ホテルは二日間で30ドル。朝飯まで付いていた。夕日が傾いていたが、泳ぐことにした。大きな貨物船が沖に停泊していた。2000メートルはある。平泳ぎ出船を見上げると日の丸の旗が風に揺れていた。00丸と船尾に書いてある。船員が見下ろしていた。「こんばんわ」と言うと、「エエ?日本人か?上がって来いよ」と縄梯子を垂らした。甲板を歩いて、船室に入った。この機関士さんは盆栽が趣味なのだ。家族の写真が貼ってあった。

「どこから来たの?」
「横浜だけど、今はサンフランシスコに住んでいるんです。この貨物船は何を積んでいるんですか?」
「日産の自動車やトラック、パーツだよ」
「ボクも東京商船大学を目指していたんです。父親が猛反対して、その年に急逝したんです」
「そうか、苦労人だな」
「もうすぐ、夕飯だ。かつ丼食って行け。ビールもあるよ」
「ボクの大好物なんです。ここからどこへ行くんですか?」

パナマ海峡を通って、ブラジルのサントスへ行くと言った。日本の車が南米で売れ初めていた。とっぷり日が暮れていた。機関士さんヤマハのボートで送ってくれた。ホテルに戻ると、音楽が爆発していた。「9時にストリップがあるよ」と英語が聞こえた。

アカプルコに三日滞在することにしたが、これだと、バス、グレーハウンドでサンフランシスコに戻るには、三日がかかる。アメリカ人夫婦に、飛行機でサンフランシスコに帰りたいというと、アカプルコからロスアンゼルス行きがあると言った。料金を聞くと、400ドルだった。「きゃあ~。破産する。アカプルコは無謀だったかな?」

メキシコ人のガールは、白人ではないが肢体が美しかった。ビキニ、ブラジャーで、ロビーを歩いていた。彼女らはいつもグループなのだ。グルーピーの日本人に似ている。彼女たちは、自信がないと思った。これは、男優先の社会なのだ。アメリカ人のガールは自信に満ちている。母系社会だからと気が着いた。アメリカの男が女性を虐げることをしない理由は、女性を敵に回せば、社会全体を敵に回すことになるからなんです。違反する奴はいるけどね。

エアロ・メキシコがロスに着いた。たった4時間だった。

「ビザは12月に切れている。延長は一ヶ月だからそれも期限を過ぎた。日本へ帰る航空券を持っているから、出国を命じる」
「いや、仕事を持っているんです」
「観光ビザでは仕事に就けないんだ。会社はどこだ?サンフランシスコのベクテル?何の会社なんだ?」
「ベクテルは、アラスカ油田などのパイプラインの会社だけど、20階のビルはコンピューターが仕事。銀行、エアライン、国税庁のデーターを管理している。ボクはパンチカードのソーターなんです」と言うとポカンとしていた。
「何か証明するペーパーあるか?」

年金カード、レターの写し、ニューヨークの運転免許証を見せた。

「う~む、、ちょっと待っててくれ」

入管の役人が女性を連れて戻ってきた。

「あなた、良い仕事に就いているわね。あなたにH2ビザを上げます。学生ビザなんだけど、仕事に就けるんです。学生の部分はあまり意味がないんです。アメリカは好い移民を必要としているからです」

不覚にも涙がこぼれた。彼女は、何かを書き込み、スタンプを押すと、「グッドラック、オザキさん」と言った。ラリーに「ロスに戻った」と電話で言った。麦わら帽子をかぶると、グレーハウンドのデスクへ歩いて行った。

~続く~

07/20
アメリカは挽き肉機、、(放浪その10)


「アメリカは、ミート・グラインダーなんだよ」とラリーが言った。そして肉を轢くかのように手を回した。伊勢はポカ~ンとしていた。比喩があまりにもショッキングだった。

「ノブも、俺も、消耗品なんだ。トイレット・ペーパーと同じだ」
「ベクテルもか?」
「消耗品も価格で違う。俺は年俸が1万ドル。一日40ドルだ。だから、そう簡単に扱わない。ノブは消耗品だ。ジャップが一人いなくても、いくらでも代わりがある。ひと山いくらの人間は貧困クラスなんだよ」
「ヒンコン・クラス?」
「ノブは自分が何かわからないようだ。学校へ行け!」
「英語が、、」
「ネイティブのアメリカ人と喋って競争するのは不可能だ。だから、チャイニーズは、シェフ、歯医者、会計士が多いんだ。銀行員もな」
「ラリー、さっき、怒った顔になったけどどうして?」
「アメリカ社会で、のし上がれるのはマネーだけなのさ。俺は反米だ。一刻も早く、カネを持って独立したいと思っている」
「じゃあ、なんで、海軍に入った?」
「俺は、三世代目なんだが、爺さんも、両親も、三人の姉たちも学歴も技術もなかった。一日中、オレンジをもぎ取ったり、ジュース工場で働いた。パパが、ラリー、おまえ、海軍に入れと俺が高校を出た時に言ったんだ。俺は18歳だったから予備役に入った。そここで、コンピューターのメンテを習ったわけさ。パパが正しかった。俺は送金しているんだ」
「ラリー、こないだ、軍人がブロードウエーで話しかけてきた。外国人の陸軍入隊勧誘だった。ボクも陸軍に入ろうかと考えている。米国市民になる近道なんだ」
「やめとけ!ノブは戦死するよ。テレビ見たか?」
「見たよ。ヘリコプターが恰好良かった」
「出会う人間で戦争観が出来上がるんだ」
「ヒッピーは?」
「あいつらは幸せなんだ。アーティストだ」

ウエイターが焼き豚を切り分けてさらに載せた。唾をのみ込む音がした。伊勢は老酒を頼んだ。

「ラリー、ビール飲むか?」
「そうだな、ビールなしではこれは難しい。ノブ、俺を外食に連れ出すな。堕落するから」
「堕落?」
「明日から、元旦まで休暇をどうする?」
「アカプルコへ行く」
「飛行機高いよ」
「グレーハウンドで、メキシコ・シテイまで行けるんだ」
「どうして、アカプルコか?」
「エルビス・プレスリーのアカプルコに惹かれた」

上海料理のフルコースは、80ドルだった。今までで、一番大きな散財だったがハッピーな気分になった。残りの焼き豚、野菜やチャーハンを持って帰った。

~続く~

*わがワイフの鼻腔内整形手術によるバクテリア感染が一ヶ月が経っても治らず、今朝6時、二度目の手術をやった。管を入れたので、洗浄がしやすくなった。麻酔をかけて、腕にカテーテル。そこから抗生薬を注入。明日も抗生薬を打つ。彼女は「気持ちが良いし、良く聞こえる」と。伊勢

07/19
サンフランシスコへ行くなら髪に花を、、(放浪その9)


サンフランシスコに着いた。町に灯りが点いていた、ニューヨークと全く違う雰囲気だ。摩天楼がない。木像の建物が多い。マップを見ると、ラリーはチャイナタウンの北に住んでいるようだ。トランクが重くなっていたので、タクシーを拾った。この町は交通が悪いなと思った。ケーブルカーが走っている。坂が多い街だ。伊勢はタクシーのメーターを見ていた。胸がドキドキした。3ドルとチップ。モンタナの豪華ホテルは、ステーキ、アルコールを入れて、30ドルだった。「これでは持ち金はあっと言う間に消える」と思った。

ラリーが玄関に出てきた。彼はアパートの管理人をやっていた。「泊まっていいよ」とトランクを持って部屋へ行った。しばらく話をして、角の中華料理店へ行くことにした。「俺は、よっぽどでないと外食しないんだよ」とラリーが言った。彼女もいないと言った。ラリーは、33歳だった。米海軍の揚陸艦の水兵だったが、蓄膿の手術をした。以来、船酔いが激しくなり退役したと言った。

「このアパートの管理人が仕事なの?」
「いや、ベクテルと言う会社で働いている」

海軍でコンピューターの修理を習ったんだと言った。伊勢には、コンピューターが何なのか判らなかった。自分には向いていないなと思った。ラリーが「俺の代わりにトイレの掃除やトイレットぺーパー交換、廊下、階段の掃除をしてくれ」と言った。部屋はしばらくは相部屋でいいと。ラリーの冷蔵庫は豆の缶詰め、チーズ、ミルクしか入っていなかった。どうして、こんなに節約するんだろう?

一週間が経った。伊勢はアパートのトイレを掃除するために、サンランシスコに来たんじゃないと思うようになっていた。ラリーが仕事から帰ってきたので言おうと思った。

「ノブ、今日、ボスに訊いたんだ。ノブになんか仕事はないかと」
「それで?」
「あるけど、倉庫係りなんだ」
「ラリー、頼む。その仕事に就きたい」

翌朝、ベクテルへ行った。緑色のタイルで、30階はあるビルだ。何の会社なんだろうか?

「ノブ、英語はそこそこだな。雇うが年金番号を持ってるか?」
「持っていない」
「自動車免許を持ってるか?」

持っていると言うとボスは笑った。「これはベクテルのレターだ。これを持って行け」 年金カードは難なく許可された。ベクテルのパワーなのだ。係りの女性が、「年金に入ってもらうことは国家の目的なんです」と言った。第二次大戦後、ベービーブーマーが起きて、ルーズベルトの賭けが現実になっていた。

伊勢の仕事は、倉庫にパンチカードを取りに行くことだった。カードパンチャーは、毎朝、オーダーシートに書き入れて伊勢に渡した。若い女性が「サンキュウ」と言うと嬉しかった。クリスマスがやってきた。ラリーを誘って、チャイナタウンの珍宝楼へ行った。開絨毯、チャルメラの音色、、

「ノブ、これ高いぞ」
「いいんだ、ミーの感謝だから」

上海料理がテーブルに並んだ。ラリーが目を丸くして、リンゴを咥えた子豚の丸焼きを見ていた。ラリーはアングロサクソンではない。聞くとポルトガル人でフロリダ育ちと言った。

「ボクね、ムスタングのコンバーティブルを買いたいんだ」
「バカこけ!2800ドルだぞ。今に、そのアホなオープンカーに寝泊まりするようになるぞ」
「ノブ、大体、こういう豪華な飯食っていると破綻するぞ}
「ミーは、満州生まれなんだ。食って破綻するのが人生だ。ラリー、どうして、そんなに節約するんだ?」

ラリーが、伊勢を睨みつけた。

~続く~
07/18
迷う心(放浪その8)
ラリーに絵葉書を送った。一週間が経った。通訳と言ってもカナダ政府のインスペクター対応だけだった。パビリオン(展示場)がほぼ完成した。

「尾崎君、君が要らなくなった。東京から案内係りの一団がやってきたんだ。でも2週間分の報酬を払うよ」

とび職のおじさんが地下足袋を一足くれた。金の入れ歯が笑っていた。雪がこんこんと降っていた。あたりは銀世界。YMCAのルームで所持金を数えた。日本から持ってきた900ドルは消えていたが、読売がくれたカネ、ニューヨークで稼いだカネ、モントリオールの報酬などトータル1200ドルあった。日本を出たときよりも300ドル増えていた。ケベックへ行くことにした。事務員がセント・ローレンス運河でホーバークラフトのテストがあると言っていた。

ケベックに一時間で着いた。赤煉瓦の建物が数百件。吹雪になっていた。運河に人々が集まっている。子供たちが裸足で雪の中で遊んでいた。ホーバークラフトが陸から運河へ滑って行った。もの凄い印象を受けた。聞くと、セント・ローレンスは大西洋と五大湖を繋ぐ運河で貨物船が上り下りが激しいんだと。カナダ沿岸警備隊はホーバークラフトに期待していると。伊勢は再びアメリカ大陸の巨大さに「自分の居場所はここだ」と決心していた。ニ

ケベックのグレーハウンドは、「大陸を横断するには、3日は見ないと大変なんだ。まず、ニューヨーク州のアルバニ―に行って、そこからハイウエー90号線を西へ行く。終着は、ワシントン州のシアトルだ」と言うと、パスのブックに承認スタンプを押した。アルバニーまで5時間だったが、長距離バスが出るのは夕刻だった。3時間バス停のベンチで寝た。バスに乗り込んで、トイレが近い後部へ座った。乗客は20人ほどで空いていた。シカゴに着くと、ど~と乗ってきた。ドライバーが、高速90号線は昨年完成したばかりと言った。大陸を横断する高速道路は最北の90号線、コロラドを通る70号線、最南の10号線の三本があった。デトロイトの自動車産業は最盛期でキャデラック、リンカーン、シボレー、ダッジがアメリカのエネルギーを発散していた。伊勢はムスタングが欲しいと思った。今、想うと家を持つことが最も重要だったと自分の幼さに劣等感を覚えた。でも、青春ってそんなもんなんです。クリステインと結婚する43歳まで不動産をアメリカで持つなど考えもしなかった。アメリカ女はさすがだ。彼女は、あるったけ持っていたカネでサンフランシスコに6人の仲間と三階建てのビルを買った。だが、それは手付金20%で毎月の支払いにたちまち困ってしまった。すべて伊勢の経済センスが原因だった。

腰が痛くなったので、モンタナのビリングで降りた。イエローストーン国立公園が近く、草原に野牛の群れが見えた。たまにはホテルへ泊まってやろうとバス停の前のサルーンと看板があるホテルへ歩いて行った。西部劇に出てくるようなホテルでピアノの音が聞こえた。受付の女性が「あらっ」と言う顔をした。パスポートを見せると、「このホテル、モンタナのベストよ。ユー、アー、ウエルカム」と言って笑った。伊勢は白人の女性を恐れなくなっていた。ステーキを焼くにおいがした。牛の頭の飾りがあるレストランに入った。ウイスキーとビールを頼んで、メニューを見た。一番大きいのはポーターハウスで、34オンス。一キロなのだ。頼んでウイスキーをカウボーイのように飲み干して、もういっぱい頼んだ。ホットパンツを履いた若いウエイトレスが笑っていた。

~続く~
07/18
衛星写真がロシアを敗退させる、、


これを見て、伊勢の知識が一変した。衛星イメージの技術は進化し続けている。アメリカのMAXAR社は世界でトップだけど、米国防省の巨大な支援を受けている。30センチの物体やロゴまで写している。そこにレーダー衛星や赤外線イメージが加わる。軍事オタクなら周知だが、どんどん小型化している。

ウクライナは幸運なんだ、、

ロシア軍が丸見え。個々二日間、東部、ハルキーフの砲撃が少なくなっている。弾薬が切れたと思われるのは、赤外線写真の色が薄くなっているからだ。ウクライナ軍は急ぐ必要がなく、ヒット・アンド・ラン戦術で味方の消耗を防いでいる。一方ノロシア軍は三倍の兵力が必要で、旧ソ連の戦法は数日間、大量砲撃をやった後、戦車と歩兵の地上部隊が進撃するというもの。砲撃が不充分な状態で進撃すると戦死者、負傷兵、戦車の墓場と言う風景になるんです。伊勢
07/17
酷寒のカナダ(放浪その7)
YMCAのコーヒーショップはいっぱいだった。ホモも楽しくコーヒーを飲んでいた。当時珍しく髪をきちんと分けた青年の隣の椅子が空いていた。

「Can I?」
「sure」

コップのコーヒーを啜りながらドーナッツを齧った。青年を見ると、航空券を見ていた。伊勢の目に気が着いた彼がサンフランシスコに飛ぶんだと言った。

「サンフランシスコは良いとこだと聞いた」
「仕事さえあればね」
「仕事が見つかったの?」

彼はラリーと言った。ラリーが「サンフランシスコにくることがあったら」と手帳のページを破って、ネームと住所をくれた。ラリーは立ち上がると、レインコートを来た。手を振って、そぼ降る雨の中を出て行った。自分はどうするか?金さんに言わなきゃいけない。伊勢はバスに飛び乗った。結局、その日は、金さんに辞めることを言わなかった。YMCAに、帰ってマップを広げた。「ニューヨーク州の北ってどこだろう?」 

ニューヨーク州をまっすぐ北上するとカナダの国境である。モントリオールがケベック州の首都。ニューヨークから550キロメートルと意外に近い。そう言えば、左口さんがこの10月にモントリーオールで万博があるって言ってた。伊勢はグレーハウンド・バスの乗り放題のチケットを東京で買って持っていた。期限は一年だった。34丁目のバスターミナルへ行った。途中、アルバニー、レイク・ジョージ、バーリントンと停まるので、モントリーオールまで8時間だと。後、20日だ。レストランでもう少し稼げる。

10月に入ると、気温が下がった。外套を着ている人が多い。伊勢はスポーツ店へ行って、アノラックを買った。グレーハウンドに乗った。レイク・ジョージは夏に賑わうと言っていた。レイク。チャンプレインは大きな湖というか二時間たっても見えていた。湖の東岸はバーモント州で、さらに東はニューハンプシャー、そして大西洋だった。モントリオールに着いた。

「何をしにカナダに来た?」と移民官が聞いた。
「移民できるか調べに来た」
「USの方が楽だよ」

人々がフランス語で喋っている。YMCAに泊まった。要朝、さっそく、万博の会場へ行った。世界中の国の旗の中に日の丸があった。何か安心した。日本館へ行くとまだ建設中だった。とび職の兄ちゃんと話した。奈良の人だった。

「組み木に地下足袋で歩いて行くのは日本のとび職だけだよ」と言った。
「落ちたらどうなるんですか?」
「先週、40メートルの高さから落ちたよ」
「よく生きていますね」
「俺はね、鳥のようにパ~と手を広げて落ちた。こうすると怪我が軽いんだ」
「君、モントリオールまで万博を見に来たんか?優雅だな」
「いえ、移民できるかと思ってきたんです」
「英語出来るんか?」
「大体、わかります」
「ちょっと待っていてくれ」と兄ちゃんがパビリオンの中へ入って行った。事務員と出てきた。
「ここに二週間おれるか?通訳が要るんだよ」

また、幸運が飛び込んできた。宿代、日当で25ドル。読売とほぼ同じだった。事務員が「明日から雪が降ると言った。素敵なブーツを買った。

ー続くー
07/16
安倍暗殺事件、忘れられつつある、、
事件が起きてから8日が経った。同じ内容を流しているためか、日本の大衆は既にこの事件から心が離れている。再生数が100単位。熱しやすく、冷めやすく、すぐに忘れる。これが大衆と言う大群なんだね。伊勢は、ポリテイックスに人生を無駄にしたくない。永遠に万華鏡のように変わっていく。コメントが「山上容疑者はテロリスト」から「事情が明らかになるにつれ、同情を禁じ得ない」に変わっている。韓国のカルト、破産した信者、前首相の関わり、、これほど醜い世界があると知らなかった。弁護団がこのキリスト教を騙る教団を崩壊させることを望む。

忘れた、、

左口カメラマンの章で、考えてみると、シカゴへ行く前にデトロイトの「デア・ボーン」と言うフォードの自動車工場を観に行ったんです。そこからシカゴはバスで二時間だった。フォードは歓迎してくれた。初めてコンベーヤーを見た。伊勢がクリスティーンと結婚して一年後、44歳のとき、トヨタ・ケンタッキー新設工事に雇われた。こういう潜在意識があったと思う。飛び石を渡る人生だったけど、どこかで点と線がつながっていた。伊勢爺は現在も仕事を持っている。来年の春、東京へ行くことになっている。伊勢
07/16
里芋の皮を剥いて生きられない(放浪その6)
最も安いというのじゃないが、YMCAが経営する男オンリーのホテルに行った。清潔だがレストランはない。長い廊下の両側に小部屋が並んでいた。宿泊費、一日3ドル。朝、コーヒー、食パンかオートミール、グレープフルーツカオレンジ・ジュース。グレープフルーツは生まれて始めた食べた。半分だけで、20セントと高い。レシート見ると、税金が入っていた。いくらでも飲んでいいコーヒー10セント、食パンはフリー、オートミール8セント。トータルで42セント。すると一日に3.42セント。ひと月にすれば、100ドルを超える。「キャ~!」と叫びそうになった。

宮沢喜一さんがカレーライスを奢ってくれたレストラン日本へ歩いて行った。金さんと言う韓国人のマネージャーがキッチンヘルパーに雇うと言った。

「おざきさん、ビザは何?」
「観光ビザです」
「ここのオーナーはケチな人でね、学生ビザじゃないと、午前11時から夜10時まで11ドルなんです。週末は12ドル。ごはんはタダで食べれますよ」
「キッチンヘルパーって何ですか?」
「コックに言われたものを冷蔵庫から持ってくるとか、大根の皮を剥くとか、里芋の皮を剥くとか、、なんか君はもったいないなあ」

料理長は伊勢を無視していた。銀座で働いていたのをひっこ抜いたらしい。昔の日本軍なら上等兵の風だった。コックたちにはxxさんと丁寧だが、ヘルパーなど「オマエ」とだけ。

「オマエ、大根の皮はもっと丁寧に剥け!」と大根を投げつけた。
「尾崎さんはそういう人じゃないんですよ」と金さんが言った。
「じゃあ、やめろ!」
「社長に言いますよ」

料理長が黙った。「ここには長くいられないな」と伊勢は思った。なんとか二週間が経った。「俺、医者が要る」とコックの一番若いのが泣きそうな声で言うのを聞いた。

「困ったな、社長に言うわけにいかないし、俺、英語が出来ない。金さんに言えば社長の耳に入る。おまえクビになるよ」

里芋の皮を剥くのをやめて二人に近ずいて行った。上等兵が睨みつけた。

「なんだ?」
「あのう、ボク、英語が判るんですが」
「エエ~?」

聞くと女を買って、淋病に罹ったらしいと言った。金さんに社長に内緒だけどと言うとドクターに電話を掛けてくれた。ドクターは女医だった。コックの小さなチンボを美しい手でしごいた。先っちょから何か出てきた。"gonorrhea"と言った。女医は長い針のついた注射器を手に持っと尿道の中に注射した。コックが気絶した。「これで、OK。コンドームを着けろ」と立ち去った。コックは保険に入っていなかったので、200ドル払った。

「尾崎さん、ありがとう。事務費から30ドル出すけど、それでいい?」
「おまえ、オザキちゅうんか?大根の皮は剥かんでもいい。大根おろしに昇格」と上等兵が笑っていた。

一ヶ月が経った。空気が涼しい。YMCAのルームで収支を計算してみた。収入、週6日勤務6日で67ドル。4週間で268ドル。淋病が30ドル。300ドル近い。出費、YMCA100ドル。映画3本9ドル。交通費15ドル。ヤンキースタジアムに野球を観に行ったので、5ドル。ミッキーマントルのバット一本10ドル。129ドル。残高は170ドルだった。もう一ヶ月やって考えよう、、

だんだん、カネを使うのが荒くなっていた。日曜日には、ブルックリンのコニーアイランドや博物館を見て回った。ワシントンへ行きたかったが計算するととんでもない。そうだ国際免許を持っているんだ。ニューヨークの自動車免許証を取ることにした。「ユー、運転が上手いな」と難なく合格した。金さんに運転免許証を取ったと言うと、魚市場へ毎朝言ってくれと。淋病が治った兄ちゃんとチャイナタウンの近くにあるフルトン魚市場へ行って大西洋のブルーフィンマグロ、鯛、伊勢エビ、チェリーストーンと言うハマグリを買った。これにも特別手当10ドルが出た。400ドル貯まった。あの頃、どうして、女の子が欲しくなかったんだろう?まず、疲労。次に白人の女の子は日本人を見向きもしなかった。チリジリの髪の毛をした黒人の女の子が熱波を送ってきたが背が高く。体格がいいので恐れた。YMCAの6畳間のルームに戻った。隣のルームから、ホモセクシャルが「オー、オー」とうめく声が聞こえた。レストランで朝から真夜中近くまで働くことに飽きていた。「自分には、都会は向かないなあ。ここはアメリカなんだ。どこか広いとこへ行きたいな」と思うようになっていた。全米マップを広げた。

ー続くー


07/15
ナイアガラの滝(放浪その5)
飛行機に記憶がないから、グレーハウンド・バスでニューヨークの34番街から17号線を大学町ビンガムトン。そこから86号線でバッファローまで7時間だったと思う。滝の横に公園がある。もの凄い激流が滝つぼへ落ちていく。観光客はみんな口を開けて驚いていた。現在、エレベーターで降りて、船で滝を見上げることが出来る。どうしてナイアガラへ行ったのか覚えていないんだけど、左口さんはシカゴとイリノイ州のスプリングフィールドへ行くって言ってから、ナイアガラ見てからにしたと思う。そこからバスでトロントへ行った。カナダドルはイギリスの女王の絵と銀の糸があって、USドルより小さかった。トロントにはやたらにストリップショウがあった。というよりも、バーでもカウンターの向こうにステージがあって、パンティ一枚で腰を振っていた。ビール一本を舐め舐め何時間見ててもよいという。

シカゴも摩天楼の街だった。ガイドブックを読んだ。フランクリン・ロイド最初のデザインの大都市なんだと書いてあった。シカゴの産業は牛の屠殺と解体だった。初期には、骨をシカゴ河に投げ捨てていたと。下流の田舎が訴えたのでやめた書いてあった。テンダーロイン・ビーフステーキは、34オンス。日本人なら三人分のサイズ。ミシガン湖が目の前に見えるホテルに泊まった。

「シカゴでだれかと会うんですか?」
「いや、第二次世界大戦博物館へいく。ゼロ戦やUボートがあるらしいよ」

初めてゼロ戦を見た。「これを操縦したことある?」と案内の前米空軍パイロットに聞いた。「あるよ。あまり良い戦闘機じゃない。シデンの方がいい。紫電改のことのようだ。ドイツのUボートは意外にに大きかった。細長くなく、ずんぐりしていて、魚雷は10メートル以上はあった。艦内は、ハッチ、パイプ、バルブ、潜望鏡、魚雷室がぎっしり。ドイツが作るものは重い。メッサーシュミットは名機だなと思った。これに英軍は悩まされたと書いてあった。ホテルへ歩いて帰る途中、黒人街を通った。

「あっ、これ取材しよう」とバーに入った。伊勢の体格の二倍はある黒人が、丸椅子に座った日本人に「ジャップか?」「hungry, eat meat」「ビッグ、バーガー」とキッチンに歩いて行ったが、流れるラジオの黒人ロックに腰を振っていた。白人が叫ぶロックとは違っていて、リズムが優しいと思った。

「スプリングフィールドに何があるんですか?」
「アブラハム・リンカーンが生まれた家を見に行く」

シカゴからバスで2時間南のスプリング・フィールドは田舎だった。鉄路が一本。線路を背景に記念写真を撮った。そこから、再び、バスでニューヨークに戻った。十時間だと。高速道路は見事と言うしかなかった。どういうわけか兵隊の一団が乗っていた。サンドイッチとコカ・コーラを配っていた。肩を叩かれたので振り返ると、サンドイッチとコカ・コーラのボトルを二人分くれた。「サンキュウ」「ウエルカム」

ニューヨークに戻ると、ぐったり。

「あと何か取材があるんですか?」
「ないけど、明日、ビレッジへ行こう。ジャズが好きなんだ。夜は、ジャーマン・タウン。明後日、日本へ帰る」

左口雄次さんは、読売の車で空港へ行った。車が走り去ると不安になった。伊勢は一人ぼっちになった。「今夜はどこに泊まろうか?」 封筒を開けると、8日間で200ドルと感謝料100ドルの300ドルが入っていた。1ドル360円の時代である。日本円だと10万800円。タクシーの運ちゃんの二か月分に当たった。伊勢はトランクを持って歩き出した。でも、ドルを稼ぐことを決心した。実際は一日中、皿を洗っても12ドルだったが、、

―続くー


07/14
摩天楼(放浪その4)
現在、ニューヨークへ行くには、ジョン・F・ケネデイ空港、ニューワークNJ空港のどちらかに着く。1967年は、マンハッタンの隣のクイーンズ区にある、ラ・ガーディア空港に着いた。それほどニューヨークは大きくなかったということです。左口さんと伊勢は空港からタクシーに乗ってマンハッタンへ行った。亀寿司という、たった一軒の寿司屋があった。店に入ると、支局長が手招いた。

「左口君、ご苦労さん。尾崎さん、どうぞよろしく」
「ずいぶん、立派な店ですね」
「これね、歌舞伎役者の尾上00左衛門さんのお妾さんがやってる。日本領事館もここを使うんだ」と言うと、封筒を伊勢に渡した。開けると、合意書と言う文字が目に飛び込んできた。数字と用途が書いてあった。一日、20ドル、通訳手当て5ドル、旅費、当社持ち、終了時、感謝料100ドル、、キャッシュ100ドルが入っていた。
「これ大金です。この100ドルは何ですか?」
「すでに三日が経ってますからね」

樽に入った寿司が見事だった。ビールを頼んだ。一ヶ月前には腕に入れ墨のマネージャーに、「おい、お前、この頃売り上げが足らんぞ!」と脅されていた。その記憶が昔のことに思えた。女事務員が伊勢に目配せをしていたが、ヤクザっぽいので無視した。

「左口君、その傷、治ったね」
「ボクも気になっていたんですが、どうしたんですか?」
「尾崎さん、左口君は有名なカメラマンなんですよ。三年前かな、夏の玉川を撮るためにヘリコプターで六郷川へ飛んだ。尾翼のローターが停まって、ヘリはくるくると回りながら、玉川に墜落した。左口君とパイロットは大けがした」
「ラジオで聞きました」
「左口君、明日だけどね、支局で話そう。ああ、そうだ、宮澤喜一さんがカレーライスを奢るって言っている」
「宮沢さんって、偉い人じゃないんですか?」
「佐藤内閣の経済産業担当官なんだよ。失礼のないように」

宿泊しているアメリカ―ナから、五番街をロックフェラープラザへ歩いて行った。摩天楼がそびえていて、帝国という感じがした。アメリカ人の女性たちはファッションが見事でハイヒールが似合っていた。昼、パン・アメリカンビルの中に会った領事館で宮沢さんと会った。国連に近いレストラン日本へ行った。オーナーとその妻が挨拶に来た。伊勢は人生が変わったことに気が着いていた。宮沢さんに気が着いたアメリカ人が「ハロー、ミスター、ミヤザワ」と話しかけた。宮沢さんは完璧な英語で話していた。"I heard you are running for a senate. Do you think you win?""Yes, I will be a senator"

「ごめん、ごめん、あれね、ニューヨーク・タイムスの日本特派員なんだよ」
「衆議院議員の選挙に出られるんですか?」
「あれ?君、英語が判るんだね」
「尾崎さんは、ボクの助手なんですが、タクシーの運転手だったんです」
「アメリカに移住しなさい。君はど根性がある」

カレーライスを食って、水を飲んだ。外で別れた。23丁目の波止場へ行った。マンハッタンを一周する船に乗った。ウオール街や自由の女神が印象に残っている。「ハラ減った。カレーじゃダメだ」と波止場から中華街へ歩いて行った。四五六(すごろく)というマンハッタンブリッジの袂の店に入った。「コンニチワ」とデスクの胡娘(くうにゃん)が言った。エクボが可愛いかったのを今も覚えている。

「ホテルで寝て、今夜は、ディスコテックを取材に行く。スポーツシャツ持ってる?」」と左口さんがなぜか笑っていた。
「何がおかしいんですか?」
「ヤンキーの女の子、引っかけていいよ」
「一発、やってみるかな?」
「尾崎さんは童貞じゃないよね?」
「小学生のころから山でやってました」
「きゃあ~!ボクさ、30にもなってたよ」と大笑いした。

ー続くー







07/13
怒りの葡萄(放浪その3)
赤いムスタングの前で記念写真を一発取った。パモナへ行くマップに赤鉛筆で線が引いてあった。ゲートで、ハイウエー10号を南へ二時間と言っていた。

「尾崎さん、良く英語が判るんですね?」
「いやいや、山勘なんです」
「どうしてブドウ畑を見に行くんですか?」
「怒りの葡萄知ってる?ジョン・スタインベックがノーベル賞を受賞した?」
「なんか聞いたことがある」
「その小説の舞台になったブドウ園が50周年でフェスティバルを開催して招待を受けたんです」
「面白い。ブドウ園にとっては宣伝だからね」

ハイウエーと言うか舗装された田舎道の両側に葡萄畑が地平線まで広がっていた。車は全くいないので、ムスタングを停めて葡萄をむしりとった。日本葡萄よりも粒がでっかく、ひと房と言ってもずっしりと重かった。周りを見ても誰もいない。子供の頃を想い出した。伊勢志摩で兄とイチゴ畑に忍び寄り、イチゴを取って食べた。頭をコツコツと叩かれて目を上げると、地下足袋が見えた。「こらあ!」「おじさん、ごめん、ごめん」「取って食っていいよ。根っこを傷着けんな」と煙管をくわえたクチで笑っていた。

祭りの最大のショーはクレー射撃とショートパンツをはいたガールたちのダンスだった。左口さんと伊勢は見とれていた。夜、映画があると言ってたがロスへ帰ることにした。ブドウ園のオーナーはイタリア系でシャンペンを一ケースムスタングのトランクに放り込んだ。「ユー、また来いよ。仕事が欲しかったらいくらでもあっからな」と笑っていた。

ルームに戻ると左口さんが落ち込んでいた。伊勢は冷凍庫からシャンペンを取りだして、コークをポンと抜いた。泡が噴出した。

「どうしたんですか?」
「あのね、明日午後の便でニューヨークへ行くんですが、尾崎さんの予定は何なの?」
「予定なんかないんです、行き当たりばったりで、仕事に就かないと破産するんです」
「ボクに付き合ってもらえないかな?」
「嬉しいけど、飛行機代もホテル代もないから残念ですけど」
「ニューヨークの支局長に話してみる。記者の助手には規定があって、日当、旅費が出るんです」

左口さんが「支局長、ボク、英語が全くだめなんです。尾崎さんは25歳、タクシーの運ちゃんだった。英語が出来るんです。体格が良くて、、国際免許証も持っていて、、OK ですね?感謝します」と電話を切った。

伊勢青年はアメリカの土を踏んで48時間で仕事に就いた。窓の外を見ると向かいの窓でパンティ一つのメキシコ女たちが手を振っていた。なんかムラムラと蠢きだした。寝られそうもない、、シャワーを浴びてテレビを見た。

ー続くー

数日中に写真帳を探して、デジタル化しますね。伊勢
07/12
安倍前首相は国を売った?


伊勢のコメント

FalconNewsreel
6 hours ago
安倍氏が銃撃された日、私は統一教会との癒着をコメント。総攻撃を受けた。こういう弁護士さんたちの努力が日本を正しい道に戻します。弁護士さんたちに献金致したい。伊勢 隼速報

41

疑問だらけ:報道はなぜ安倍氏と統一教会の深い関係を選挙前に記事にしなかったのか?自民党を勝たすスキームだったのか?警察庁は警備の不備を検証するとか。これも核心を外している。野党も何も言わない。ということは、多くの国会議員が賄賂を受け取っているということか?バイデンはたいへん心配している。「この事件は日米関係を変えるものではない。日本は同盟国だけではなく、友人なのだ」と語った。伊勢には先のことは判らないが、山上容疑者は死刑にはならないと確信がある。誰も暗殺裁判の裁判長になりたくないだろう。弁護団が並び、報道が凝視する中で行われる。裁判は3年は掛かる。政局はこの間、不安定になる。伊勢

07/12
幸運な男(放浪その2)
真夜中になっていた。腕時計をロスアンゼルスに合わせた。ロビーに入ると、トイレに行きたくなった。バカでかい便器には手すりが付いている。落ちる人がいるのだろう。誰かが便器の前でパンツのジッパーを開けた。振り向くとあのカメラの人だった。目で挨拶した。五分刈り、小柄で痩せていたが精悍な顔つきである。革鞄を肩から斜めにかけていた。「困ったな」と言った。「どうしたんですか?」「迎えに来ている人がいないんです」「どうしますか?」「ボク、左口雄二と言います。読売新聞のカメラマンなんですが、英語が出来ないんで、迎えが来ないとどうしようもないんです」と笑った。「ボクもロスは初めてなんで、何も知らないんですが、ホテルを探しますか?」「お願いします」

バス停へ行くと、ダウンタウン行きと看板があった。ドライバーに、ダウンタウンの安いホテルを知っているかと聞くと、「アレキサンドリア。そこで停車するよ」「オーケー、サンキュウ」とスムーズに言えた。乗車賃二人分は50セント。「ボクが払います」と左口さんが言った。「いえ、1ドルだからいいです」

アレキサンドリアはバカでかい20階はある赤レンガのホテルだった。「左口さん、相部屋にしませんか?」「助かります。ボクが払います」

黒人のオペレーターがエレベーターの扉を開けて待っていた。部屋の鍵を見せると頷いた。恐ろしく長い廊下である。何か刑務所に見えた。部屋は大きかった。窓際に机が置いてある。見ると、内庭を挟んで向かい側にズラ~と窓が並んでいた。窓がひとつ開いていた。パンティ一枚の女性や真っ裸の女性が6人はいただろうか。若い女性だ。白人ではない。こちらが見ているのに気が着いたのか、手を振った。伊勢も手を振った。後ろでカメラのシャッターを切る音がした。「メキシコ人ですね」

ロビーへ行って、バーに入った。「何か食いたい」と言うと、「ハムとチーズのサンドイッチ、タコス、チップスだけだ」とバーテン。全部オーダーして、ビールを飲んだ。なんか安堵感があった。左口さんを見ると同じのようだ。「このホテル、バカでかいね」とバーテンに言うと、昔し留置場だったと言った。こんな巨大な留置場を見たことがない。よほどアウトローがいるんだ。

「左口さん、明日は何をするんですか?」
「パモナと言う田舎へいくんです。ブドウ園を見に行くんです。でも迎えが来なかったから行けなくなった」
「読売の車は?」
「ロスに読売支局はないんですよ」
「エエ~?」
「ニューヨークだけなんです」
「尾崎さん、車運転できる?」
「タクシーの運ちゃんだったんです。国際免許を持ってきたんです」
「ワ~オ。車を借りましょう。カネはいくらでもあるんですよ」

バーテンに聞くと、ホテルがレンタカーをやっているんだと。パンフレットを持ってきた。赤いマスタングが目に飛び込んできた。横浜で金髪の女性がマスタングのオープンカーに乗って走るのを見たとき、胸がドキドキしたのを想いだした。

「左口さん、マスタングにしませんか?」
「ボクも、一度乗ってみたいな」

バーテンが電話を取って予約してくれた。

続く、、

07/11
1968年の日本は、、


高度成長期の始まりだった。衣食住がグ~ンと良くなった。コンピューターと言っても、でっかいメインフレーム。日本は遅れていた。どうしてだろう?銀行が女学生の人気の就職先だったが、コンピューターが作業を乗っ取って行った。伊勢は、当時、新幹線に乗ったことがない。ま、動画を見てください。みんなカネを持ってたわけじゃない。サラリーマンの給料では、自家用車は無理な時代なんです。テレビが最大の娯楽で、西部劇、アイ・ラブ・ルーシ―が大当たり。洋画が好きなわが母は、ソフィア・ローレン、オードリー・ヘップバーン、007・ジェームス・ボンド、、




1968年、伊勢はニューヨークに住んでいた。でも、横浜でタクシーをやっていた時代、寿町によく客を載せて行ったので、ドヤを知っているし、この町では、ドブロク、豚のモツ煮、ヒロポンは彼らの文化だった。「兄ちゃん、一発500円」と口紅を真っ赤に塗った韓国女。女に100円を上げてペダルを踏んだ。関内へ戻ると警察に停められた。「運転手さん、ごくろうさんです。ヒロポンを買わなかったですか?」と。「とんでもない」と言うと、顔をジッと見て、「はい、よろしいです」。監視カメラなんかないからね。尋問しかない。でも、懐かしいなあ。青春だったからね。夢があった。日本人は元気だった。伊勢
07/10
最初の幸運、、(放浪その2)
ロスアンゼルス行きのDC8が駐機していた。1967年当時で最大の航空機なのだ。客席は140隻ぐらい。香港、東京、ハワイ、ロスアンゼルスを飛んでいた。ベレーを被ったスチュワデスにも慣れた。隣にアメリカ人の青年が座った。伊勢は離陸で目を瞑らなくなっていた。2万フィートの高度に達すると、金切り声を上げていたジェット音が静かになった。機長がロスまで飛行時間は9時間、エンジョイ、フライトと言った。現在のジャンボは、5時間半。スチュワデスが飲み物を運んできた。「キリン?」と彼女が言ったが、アメリカのビールに興味が沸いた。「セイント・ピーター・ポールの娘」と書いてある。軽くて冷たいだけが特徴。ランチのメニューを置いて行った。背広のポケットから豆辞典を出して読んだ。サルスべリ―ステーキを選んだ。ボストン風と書いてあった。牛肉は薄く、ケチャップではなく、スープに浮かんでいた。「うまい」と言うと隣の青年が「ロンドン風なんだよ」と笑った。クロワッサンを一つ取った。「いくつ取ってもいいんだよ」と青年は二つ取った。「アメリカ人は誰にでも話しかけるんだなあ」と静かで控えめの日本人との違いに印象を受けた。「アメリカ人は付き合いやすいかも知れない」と思った。青年が辞書を見せろと言った。ページを開けて、笑いだした。そこには、DIHARIA(急性の下痢)と書いてあった。通路の向こうに三十代の日本人男性が一人座っていた。立派なカメラをいじっていた。手が器用だ。目であいさつをした。青年と片言の英語で話した。RとLの発音を直してくれた。「ああ、こうして習うしかないんだな」と気が遠くなった。青年は、「発音など気にしないで、多くのワードを覚えろ」と言った。つまり、質よりも数で勝負しろと。お返しに日本のたばこ旭(あさひ)をワンパック上げると、「俺は吸わないがお父ちゃんが喜ぶ」と笑った。青年が鼾をかき出した。伊勢はロスアンゼルスはどんなとこかと寝られなかった。日本人の客は二人っきり。カメラを弄っていた人がソワソワしていた。滑走路がライトの中に浮かんだ。機長が「シートベルトを締めろ」とアナウンスした。空港のビルは建設中でテントの中で入管があった。「ミスター・オザキ、観光か?」「イエス」と神経質になっていた。持ち金、グレイハウンドバスのチケット、日本に帰る航空券を見た。「アメリカにようこそ、エンジョイ・ユア・トリップ」と言うとスタンプをガチャンと押した。滞在90日以内と書いてあった。胸の動悸が激しくなっていた。スーツケースを手に持ってロビーに入った。 

ー続くー

思いつくくまま書いていると、「ああ、あんなこともあったな」と。ホノルルの空港で初めて飲んだルート・ビール。ビールじゃなくて、ペプシのような飲み物。今でも好きな飲み物。アロハオエは窓の外の景色に合っていた。コーラウ山脈が見えた。たった一晩だったハワイ。伊勢青年は、「もう一度来るぞ」と決めていた。15年後に夢が適った。伊勢
07/10
1967年のハワイ、、


25歳の伊勢は、1967年8月25日にホノルルに着いた。35ミリのカメラを持っていたのに、写真を撮っていない。あまりにもびっくりしてしまって、忘れたのだ。まず、お気着きのように白人が占領していた。白人の女性の水着姿を初めてみた。人種が全く違う。肢体も顔も美しい。伊勢は金髪に押された。男は大したことないなと思った。ダイアモンドヘッドの右端に見えるカイマナホテルに泊まった。ベッドは純白のシーツがきっちりと掛かっていて、疲れでそのうえで寝てしまった。夕方に起きて下のレストランに行った。ウエイトレスは白人。どきどきした。「こんにちわ」と彼女が言った。伊勢は自然に笑った。ハワイのデイナーって何かと聞いたら、アメリカンと答えた。ビーフステーキを頼んだ。クレジットカードのない時代。キャッシュで払った。ビールを飲んだので、30ドルだった。900ドルしか持っていない。すぐに破綻すると思った。次の日は午後過ぎまで、ロスアンゼルス行は出ないので、浜辺で泳いだ。岩が多く、ウツボや小さなタコがいた。タコを捕まえようとすると墨を吐いて逃げた。日本で見たことがない色とりどりの魚が群れていて、人なつっこく、脚に触った。ハワイは天国なんだ。

ワイキキ、、

空港からワイキキまで土埃が舞い上がる土の道。滑走路の周りは草原だった。ワイキキはヒルトンヤローヤルハワイアンなどの高層ホテルはなかった。全くアジア人の姿はなく伊勢一人。これが伊勢を不安にした。それでも、日本に帰る考えはなかった。白人の女性は良く笑うので恐ろしくなくなっていた。やはり、英語が聴き取れない。日本語と違って表音語だからだ。ラジオを買って聞いても判らない。わかるのはソングだけだ。伊勢の放浪が始まった。

みなさん、面白ければ続けます。伊勢
07/09
統一教会の深い闇、、


ナレーションが幼稚だが、まあ、統一教会をざっと知るには充分かな?1970年、統一教会はアメリカに上陸した。ニュ=ヨーク、ボストンの街路に文鮮明のポスターが貼られた。伊勢は30歳だったので良く覚えている。安倍晋三を銃撃した強行犯は、「ある宗教団体に恨みがある」と言ったと。「ああ、統一教会だなあ」と思った。映像記事のコメントは文鮮明の統一教会を知らない世代なんだ。安倍晋三は統一教会からカネと票を得ていたと言われて久しい。パチンコ廃止もいつの間にか止めてしまった。朝鮮総連のカネだと言われる。これね、陰謀論じゃないと確信がある。山口県は韓国に近く、父親の安倍晋太郎は日韓トンネルに熱心だったり、在日朝鮮人からカネを得ていた。これは事実だ。

殺すしかない、、

犯人に統一教会に何の関係があるのかこれから判るでしょう。殺す決意をして、綿密に計画を立てて、冷静に実行している。前首相が銃殺されるほど深刻な社会問題はない。岸田文雄や閣僚は涙声です。アメリカに住んでいる伊勢は恥ずかしいが日本では受けるらしい。だが、自民党は確実に統一教会から距離を置くでしょう。創価学会も朝鮮半島系だよね?公明党も注意が必要となった。

CIAは知っている、、

だが、アメリカにとって国益なら横を向く。日本の問題だからと。だが、安倍の祖父の岸信介はCIAからカネを貰って自由党を形成した。同じく、小佐野健司はCIAからドルを貰ってハワイのワイキキを買った 小佐野は、朝鮮動乱で巨富を築いている。CIAはいたるところで暗躍している。もちろん、大統領の指示で動いている。「安倍首相は日米同盟を強化した素晴らしいリーダーだった。最良の友人を失った」などとバイデン。伊勢は歳を取った。アメリカに嫌気がさしている。ハリウッド映画は廃れた。ロックを聞かない。「幸せの黄色いリボン」は永遠の男女の愛だけど、アメリカのメデイアは、頻発する銃乱射、最高裁の宗教化、トランプ公聴会、ウクライナなどで暗いものばかり。「旅に病んで、夢は枯野をかけめぐる」と辞世の句を残した松尾芭蕉。伊勢も同じなんです。
07/08
安倍晋三、元総理大臣撃たれる、、


心肺停止と聞いた。安倍さんが同盟国のアメリカや外国に大きな影響を与えた首相だったことを評価したい。日本が平和だと思っていた人たちは目が覚めたのだろうか?別の動画では野次馬らしい女性が犯人を取り押さえるSPの写真を撮っていた。マイクロフォンを手に持った男が何かがなっていたが、目の前で起きた事件のことではなく、選挙宣伝だろう。これが日本人なんだ。伊勢は非常に落胆した。岸田首相は戒厳令を出すべきなんだ。「卑劣な行為。許せない」とか言っている。岸田には日本を守れないと思う。今日はここでやめます。伊勢

Copyright © 2005 隼速報.
all rights reserved.