2013/12/06 (Fri) 南アフリカ共和国の父
南アフリカのマンデラ元大統領が死去

NELSON MAANDELA DIED 95

南アフリカの人種隔離政策「アパルトヘイト」の撤廃活動を率い、ノーベル平和賞を受賞した、南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が死去した。95歳だった。南アフリカのズマ大統領が、日本時間6日朝に発表したもので、マンデラ元大統領は、ヨハネスブルクの自宅で死去したという。

マンデラ元大統領は、学生時代から、南アフリカの人種隔離政策「アパルトヘイト」に反対する活動を始め、その活動が理由で、1962年に逮捕、国家反逆罪で終身刑を言い渡され、27年間にわたり収監された。1990年に釈放されると、1991年には、全ての人種の代表を集めた民主南アフリカ会議を開催し、1994年、全ての人種による初の選挙で、大統領に選ばれた。その功績をたたえられ、1993年、ノーベル平和賞を受賞している。(日経オンライン)






伊勢爺の南アフリカの旅

今から、15年も前かな、夫婦で南アフリカのヨハネスブルグへ旅をした。サンフランシスコから35時間もかかった。途中、セネガルのダッカールの空港で給油した。赤道直下の太陽の光は凄かった。タラップを降りて空港へ入り、背の高い黒人の給仕にフレンチ・コーヒーを注文したら、フランス語が返ってきた。まず、ロシア製の旅客機イリューシンが多く見られたことに驚いた。10年前に行った、赤道ギニアのマラボも同じだった。古くなったイリューシンが密林のなかに捨ててあった。アフリカの移民官や警察官は、アロハシャツを着ていて、トカレフを無造作にズボンのバンドに差しこんでいた。体格がよく~目つきが鋭く~怖いもんだわい。

ヨハネスブルグでは、外国人専用の砦の町である「サントンシテイ」に一時間で着いた。ベンツの小型バスは、時速160キロで赤土の道を突っ走った。道端の木に人間のサイズの人形がくびにロープを巻かれてぶら下がっていた。白人の運転手に聞くと、「黒人のテロは、ああなるんだ」と返事が返ってきた。「ああ、ここはアフリカなんだ」と思った。


SOUTH AFRICAAN CHILDREN

翌日は、南アフリカの首都プレトリアへ行った。ネルソン・マンデラ大統領の生家も見た。小さな小屋だった。アフリカの黒人たちの母親も、こどもたちも大変行儀がいい。小中学生はみんなタータンチェックのスカートや白いブラウスで清潔だった。「マンデラ大統領のおかげです」とお菓子を上げたこどもの母親が言った。ネルソン・マンデラさんは、白人にも尊敬されていた。「国家の父」と言われる理由はその人格にある。


MANDERA AND CCLINTON

クリントンが現役であった頃、南アフリカのマンデラ前大統領を訪問した。現在、クリントンはアフリカのエイズ基金を募っている。マンデラさんを尊敬していることは明らかだ。マンデラさんは、巨人だった。

                              
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NYダウ5日間連日続落?

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米GDP改定値、前期比3・6%増…7~9月

米商務省が5日発表した2013年7~9月期の実質国内総生産(GDP)の改定値(季節調整済み)は、年率換算で前期比3・6%増となった。

 11月発表の速報値(2・8%)から0・8ポイント上方修正された。実質GDPの伸び率は4~6月期の2・5%増を上回り、米経済の堅調な回復ぶりが示された。

 民間設備投資や地方政府の支出などの上方改定が主な要因で、伸び率は12年1~3月期(3・7%増)以来、1年半ぶりの高い数字だった。ロイター通信がまとめた市場予想(3・0%増)も上回った。

(2013年12月5日23時48分 読売新聞)


伊勢のつぶやき

米連銀がタカ派の反対を押し切って推進してきた巨大金融緩和(QE)の結果なのにね、ここ5日間も続落した理由というのが、「金融緩和、早期縮小か?」という不安から売りが出た。つまり株を現金にして利益を確保したわけだ。東証もその煽りを受けて、ドタ~ンと落ちている。伊勢爺が警鐘を鳴らしたことと、トーンが重なる。騰がるべきところが下がるんだから堪ったもんじゃない(笑い)。

「んじゃさ、これからどうなるって」かい?それがわかるなら苦労などしないよ(笑い)。ま、これからもズ~とこういう乱高下が続くだろう。2016年ぐらいまではこういう状態だろう。つまり2016年ごろにはバブルが弾けるであろう。伊勢 ルイジアナ

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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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