2014/01/02 (Thu) マッカーサーの足跡(戦後史その2)
マッカーサー厚木から横浜へ向かう

macarthur arrived GHQ

1945年の夏、「外人将軍」を迎える人々が日の丸まで出した。終戦を喜んだことは明らかである。


マッカーサー離日

macarthur family left Japan

1951年4月16日、マッカーサー(72)、ジーン夫人(52)、息子のアーサー(14)は羽田を発った。その5日前にマッカーサーは更迭されていた。これが第二の敗北かと思う。第一の敗北は、日本軍の怒涛の進撃にバターンで負けたことである。マッカーサーは誇りを傷着けられたのである。


マッカーサーの朝鮮戦争

朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦)は、成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争。

1945年8月15日、第二次世界大戦において日本は連合国に降伏したが、その時点で日本が併合していた朝鮮半島北部に連合国の1国のソ連軍(赤軍)が侵攻中であり、日本の降伏後も進軍を続けていた。同じく連合国の1国で反共主義を掲げていたアメリカは、ソ連の急速な進軍で朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案。ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領された。

その後、米ソの対立を背景に南部は大韓民国、北部は北朝鮮として建国。南北の軍事バランスは、ソ連および1949年に建国されたばかりの隣国中華人民共和国の支援を受けた北側が優勢で、武力による朝鮮半島の統一支配を目指す北朝鮮は1950年6月、韓国軍主力が半島南部に移動していた機を見て、防御が手薄となっていた国境の38度線を越え軍事侵攻に踏み切った。

当事国ばかりでなく諸外国が交戦勢力として参戦し、朝鮮半島全土が戦場となって荒廃した。1953年に休戦に至ったが、北緯38度線付近の休戦時の前線が軍事境界線として認識され南北二国に分断された。現在も両国間に平和条約は結ばれておらず、緊張状態は解消されていない。北朝鮮側による領空・領海侵犯を原因とした武力衝突がたびたび発生している。

1951年になると、北朝鮮軍と中国人民志願軍の反抗が本格化し、再び戦線を押し戻すようになった。このような状況を打開することを目的に、マッカーサーは中華人民共和国の海上封鎖、中華民国の中国国民党軍の中華人民共和国統治地区への上陸、中華人民共和国領となった旧満州に対する空爆、さらには同国への核攻撃の必要性を主張した。しかしトルーマン大統領は、「核兵器を使用することでソ連を強く刺激し、その結果ソ連の参戦を招きかねない」としてこの意見を却下した。


更迭

マッカーサーが第三次世界大戦勃発の危機さえ誘発しかねない核攻撃を主張するのみならず、自らの命令を無視して北上を続けたために中華人民共和国の参戦を招いたことに激怒していたトルーマン大統領は、4月11日にマッカーサーに対する更迭を発令した。

マッカーサーはそのとき愛妻のジーンと共に、来日したウォーレン・マグナソン上院議員とノースウエスト航空のスターンズ社長と会食をしていた。副官のシドニー・ハフ大佐は、立ち上がったジーン夫人に解任のニュースを知らせ、「至急報」と書かれた茶封筒を渡し、夫人はまた、その茶封筒をマッカーサーに黙って渡した。内容を読み終えたマッカーサーはしばらく沈黙していたが、やがて夫人に向かって「ジーン、これで帰れるよ」と言ったと伝えられている。オマル・ブラッドリー統合参謀本部議長は「マッカーサー解任は当然である」と主張した。

4月16日にマッカーサーはマシュー・リッジウェイ中将に業務を引継いで東京国際空港へ向かったが、その際には沿道に20万人の日本人が詰め掛け、毎日新聞と朝日新聞はマッカーサーに感謝する文章を掲載した。また、吉田茂の日本政府は彼に『名誉国民』の称号を与えることを決定したが、マッカーサーは受けるとも受けないとも言わなかった。これらの戦後の日本におけるマッカーサーの絶大な人気は、GHQからの圧力により、日本のマスコミにおける"マッカーサーブーム作り"があったためである。マッカーサーを乗せた専用機「バターン号」は午前7時23分に東京国際空港から離日した。


マッカーサー米国議会公聴会というがリンチであった

macarthur testimony

1951年5月3日、正式に解任されてから3日後、マッカーサーは米国議会上院公聴会に呼び出された。解任を確認するためだった。映画記録も、議事内容も、非公開となった。1978年に公開されたが、検閲でほとんどが消されていた。何故か?

“Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.(日本人が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです)”と自分の信念を述べた。すると、アメリカが悪いとなってしまう。トルーマンは絶大なマッカーサーの国民の人気を恐れた。更迭を決めたブラッドリーたちも共和党の政権交代を恐れた。解任後の、トルーマンの支持率は22%に落ちた。

その通りになった。1953年1月、アイゼンハワー(共和党)が大統領に就任して、1961年までの8年間が共和党政権であった。その後は、民主党のケネデイ~暗殺された後、ジョンソンと続いた。米国民に不人気であったベトナム戦争は、ニクソン(共和党)が終結した。10年と8ヶ月の長い戦争が終わった。伊勢はジョンソン時代に渡米したので、この辺からアメリカの推移を見つめていたとなる。やはり、この「ノン・フィクション・ノベル」を書くのは宿命なのだろう。伊勢平次郎 ルイジアナ






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comment

Kenji先生

<1948年の大統領選挙で共和党が勝てば、中華人民共和国は多分成立しなかったでしょう。そしておそらく我国の台湾放棄もなく、沖縄が現在のような位置に立つことはなかったでしょう。

「歴史には“if”はない」と言う。“Its mere assumption"単なる憶測または仮定と論争では切り捨てられるのです。ぼくも、そういうルールを敷いている。なぜなら、果てしない論争に発展し~議論の目的から程遠い結果を招くからですね。

源頼朝とマッカーサーを比較するのも結論のない不毛な議論または、混沌に至ると思う。歴史から学ぶとすれば、「人間のおろかさ」だけです。つまり、「二度とこういう地獄を地球上に現出させてはならない」という。これが、伊勢爺の作家としての目的なんです。

その地獄を日本一国だけでも「絶対に作ることはない」と心に決めると、あの戦争で亡くなった兵隊さんや無実の人々の心は救われ~生き残った私らの傷着いた心が癒されるのです。安倍首相の「平和を貫く」という誓いは、日本を未だに「悪い国」として罵倒する韓国と中国に理性を促す。未来に生きる心を持ってもらう。強圧的なアメリカ政府に「慎む(be discreet)」ことを促すものです。安倍さんはよく戦っているし、負けないでしょう。

72歳の伊勢は「絶対に負けない」と朝一番に言う。わが父が死に向かう床で、「泣いたらいかん~負けたらいかん」と、しくしく泣くこどもたちに言ったのです。これが父の遺言だった。

日本人は「後ろを振り返るな!前へ進め!」と言っても、過去を振り返る習性は直らない。あの悲惨な戦争~あの悲惨な戦後の惨状~今でも「日本は侵略した悪い国」と焼印(烙印)を押されているから、無理もないね。だけど、口論に巻き込まれず、「あなたは、戦争と平和のどちらを選びますか?」とだけ聞けばいい。「何故、日本は「バターン死の行進」を強行したのか?」と問われると、伊勢は、「バターンがどこにあるのかも知らない」と答えることにしているよ。「真珠湾を何故攻撃したのか?」に対して「俺は攻撃しなかったよ」と。

日本人はあの地獄を経て今日の平和な国を作った。芯が強いからです。復讐をせず~灰の中を立ち上がった日本人の芯の強さにマッカーサーは、記者団に「感謝している」と語っている。日本の復興に協力する決意をしたと思う。平和憲法はそういった心境から生まれたのかも知れない。いろんな解釈はあるがね。だ・か・ら、自分が犠牲になって平和をもたらした兵隊さんに感謝して~祈るのは当たり前のことですね。靖国に参らなくても、神棚や太陽に手を合わせましょう。それでも同じなんですよ。伊勢
2014/01/03 17:47 | 伊勢 [ 編集 ]

 マッカサーについてかかれたものは読んでいます。外人将軍というところが味噌です。この視点での考察、特に我国の歴史にもとずいて、考察があるといいですが、これは新しいことだから何大抵ではできないでしょう。我国の学者の奮闘を望みます。
源頼朝の政策、行動が参考になると見ていますが、どなたかしてくれないかと思っています。
 頼朝は当時の天皇家の持っているちからで、統治に必要なものだけを奪取して、天皇家に対しては尊敬の態度をとりました。
 彼と非常に似たことを西洋政治思想に元ずいて、マッカサーは行動しました。具体的には自治を認めた属国という視点です。西洋では幾らでも在るもので、シナの歴史においてもあるようです。
 とにかく彼等は異民族統治についての、蓄積はべら棒なものがあり、それに対抗するには、今のシリア政府の行動を見るといいでしょう。血で独立を購う者だというテーゼを彼等は当然としている。
 彼の姿を日本側から見たものではなく、アメリカ側から見たものを知ることですが英語がねえというところです。 
 吉田茂はマッカーサーを評価していますがそれはあくまで占領軍の司令官としての行動として、わが国にとってよかったということで、それはそれで率直に彼は認めています。
 戦前も太平洋やシナ大陸が主戦場でなかったように、戦後も同じでしょう。
 1948年の大統領選挙で共和党が勝てば、中華人民共和国は多分成立しなかったでしょう。そしておそらく我国の台湾放棄もなく、沖縄が現在のような位置に立つことはなかったでしょう。
 沖縄に基地をつくるか、台湾に作るかは考えるまでも無い。
1948年の大統領選挙でわが国が共和党を勝たせることがその後のわが国にとってドレだけいいかを考えられるようだったら、よかったでしょう。最もそれができれば対米戦争は起きなかったでしょう。
 
2014/01/03 13:12 | kenji [ 編集 ]

kenji先生

<先ごろ裁判員裁判で死刑が出た事案について高裁が無期をだした。そのときの理屈が死刑は二人以上という原則があるとか何とか言っていたが、被告は三人殺している。算数ができないのかとおもたが、理屈は最初のは無理心中だから殺人とはいいがたいということだったが、ばかではないか。

みごとな切り口です。これが、「日本人は13歳」とマッカーサーが言った理由ですね。ぼくも、「日本人には、あたまのおかしいのが多いな」と思うひとりです。ま、「25人に1人賢いのが居れば良い」とも言うけど、審判官がね~??

ところで、「外人将軍・マッカーサー」は面白いですか?伊勢
2014/01/03 09:14 | 伊勢 [ 編集 ]

 ジンセン上陸作戦は帝国陸軍の中将が提案したときく。名前は失念したが中がついたように記憶する。
 当時のGHQへの日本人の垂れ込みはひどかったという。多くは高等教育を受けた人々だった。そこに我国の敗戦の元があった。
 神風攻撃で17歳の若者が出撃している。
それなら同じように帝国憲法を守るために、当時の法曹関係者が日本刀を持ってGHQへ攻撃をかけたか。
 確かに美濃部達吉は優れていたが何かがかけていたように思う。
 戦後の司法は上記の行動がまたくなかった人々によって受け継がれており、そのことは現行憲法にも作用する。
 学校で田中最高裁長官は優れていると習ったがそれは、間違いだろう。司法関係の知識は少ないが今回遺産相続において婚外子についても、同じにしたが、その判決を出した裁判官の身の回りの人々は、それを当然として日常生活をしているわけではない。
 フランスの親子関係や資産相続関係を見ると、とてもではないがわが国とは異なる。その世界なら平等も意味があるが、我国は違う。この違うということが彼等は本当に分からない。頭の中が二重になている。
 その証明
先ごろ裁判員裁判で死刑が出た事案について高裁が無期をだした。そのときの理屈が死刑は二人以上という原則があるとか何とか言っていたが、被告は三人殺している。算数ができないのかとおもたが、理屈は最初のは無理心中だから殺人とはいいがたいということだったが、ばかではないか。
 ここで問題はその昔わが国には尊属殺人規定があり。親殺しは通常の殺人より罪が重かったが、憲法の平等に反するということで削除された。この尊属殺人規定の逆は親が子供を殺すのは通常の殺人より軽く見ることを意味する。
 既に30年以上前に法文からは削除されたが当の裁判官はそのように考えず、心中による殺人は軽く見て、殺人扱いにせずに、無期と判定した。
 色々調べるを我国の裁判官は本当に頭がいいのか、悪いのかわから無い人々がひじょうにおおい。
 何でも知っている馬鹿の見本が我国の裁判官では無いかとkenjiは見ている。
 性同一性障害者における、嫡出子裁判においても、父親を推定で決めている大元の理屈を理解できない判決でしょう。
 ここで安倍首相が仮に裁判所へ<靖国神社へ公人がいけないのは憲法違反ではないか>と訴えたら、どんな判決を出すのか見ものであるのが情けない我国の裁判所だとkenjiは妄想している。

 戦後における一番調べなければならないことは検閲局に勤めていた当時の人々の個人名をすべて明らかにすることです。
 その多くは高等教育を受けた人々だった。
17歳の学生が神風攻撃をして軍事的に対抗したがそれに対して、法曹関係者は何をしたか?戦いの場面が別へと移ったという戦争観をまったく持ていなかった当時の文官たちを見ると、敗因の元はそこにあると思うなkenjiは。
2014/01/03 08:45 | kenji [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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