2014/01/04 (Sat) 美しい国へを再読して(戦後史その5)
abe book

安倍晋三さんが、小泉内閣の官房長官であったときに書かれた「美しい国へ」を再読した。7年前に渋谷駅の書店で買ったものだ。伊勢もあれから、歳を取るにつけ、人生が変わったように思う。今夜、読み返してみると、安倍首相が当時の思想信条とブレがないと思った。中国観だけは現在は違うだろう。中国や韓国との外交は「政経分離」としている。まったく賛成である。安倍さんの文章はわかりやすい。枝葉末節にこだわらないご性格のようだ。アメリカ映画や洋書を読むのがお好きのようだ。ここは伊勢爺と同じである。

再読した理由は、伊勢が書いている「外人将軍・マッカーサーの頚木(くびき)」とでもいうアメリカの読者向けの本だ。アメリカの誰が読むのか?ワシントンのリーダーや駐日米国大使のカロラインだ。彼女は、大使館員のブリーフで日本を知るだけである。つまり、アメリカ人の「上から目線」で日本を見ている。伊勢爺は、在米46年のアメリカ浪人なのだ。アメリカは、彼女の父、ジョン・F・ケネデイが暗殺されたころから熟知する人間である。アメリカも、日本もどんどん変わっているし~変わっていく。一刻も時計は待たないのである。これらのアメリカのリーダーたちが、または、日本のリーダーやメデイアが「読んで為になる本」を書いている。だから、安倍首相の政策や考え方と整合性がなければならないのだ。

「美しい国へ」は日本の読者が対象である。自分が首相になる日が近いと認識しての本である。したがって、安倍さんのご本は、内政と日本の政治史が80%である。日中、朝鮮の章もあるが、「日米本」ではない。伊勢爺はアメリカの為政者を教育しようとしている。永住者の伊勢の解説はわかりやすいだろうと。

「マッカーサーと山下(戦後史その4)」を書いていたとき、憂鬱になった。資料も人間性を感じない凄惨な記録ばかり。戦闘は、まだしも、「何十万人のマニラ市民が日本兵に銃剣で殺された」とか。そんなものを書きたくない。広島・長崎も、長崎の少年も多くのひとが書いているから書きたくない。「ンじゃ、何を書くの?」となる。やはり、前向きの日米関係を書くべきだと思っている。

安倍さんは、「占領軍に押し付けられた平和憲法の頚木(くびき)を左翼が利用した」と書いている。朝日新聞とは書いていないが、「日本の反保守政権メデイア」とだね。ここでも、在米の伊勢爺は、堂々と「朝日新聞とNYタイムスは反日新聞」と書けるのだ。安倍さんは、「祖父、岸信介さんが調印した日米安全保障条約は日本を隷属の位置からアメリカと同等の関係に変えた」と書いている。まったく同感だ。伊勢平次郎 ルイジアナ






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「King of Pepper(胡椒の王様)」をアマゾンから出版しました。英語ですが読んで下さい。大正時代に書かれた「森鴎外の山椒太夫」のアダプテーションです。平安時代より、1000年も語り継がれた「日本の伝説」を英国の皇族に置き換えて、児童文学(13歳から上)にしました。日本以外では知られていない日本人の人権意識を知らせたかった。伊勢平次郎

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comment

>高山という人は下品です。

アハハハw、まぁ、確かにね。
でも、「歯に衣を着せぬ」とも言います。あそこまでストレートに物を言う人も珍しいですが、それが彼のウリですから・・・

2014/01/05 18:28 | ぽん [ 編集 ]

<異論
コラムニストの高山正之は、バターン死の行進はそれが真実かどうか過去一度も検証されておらず、日本側に検証の動きが少しでも出るとすぐ圧力がかかって潰されてきたと主張している[1]。

高山正之さん、宮崎正弘さんとMEPHIST先生と九段の中華料理店で飲食したよ。高山という人は下品です。伊勢
2014/01/05 18:04 | 伊勢 [ 編集 ]

ぽん先生

英米の政治宣伝は許しがたいものがある。戦後のハリウッド映画ね。何でも、かんでも、日独は悪いとしている。日本側はあまりないが、朝日などは、日本悪しの新聞。面白いのが、このニューオーリンズの第二次大戦博物館。ぼくが、入っていくと、元軍人で戦史家がきて、「今、海軍大学生のツアーあるから、私のオフィスへ来なさい」と。行くと、「この博物館も政治宣伝で汚れている。気にしないように」と言ったのです。また、「日本は欧米の植民地政策や砲艦外交と戦った」と。「あの黒船来航から砲艦外交と不平等条約の連続だった」と。資料を有難う。伊勢
2014/01/05 17:34 | 伊勢 [ 編集 ]

伊勢さん

例えば、カイロ宣言では「奴隷状態の朝鮮を独立させる」なんていうのがあるのですが、日本の朝鮮統治がそのようものではなかったことはご存知でしょう? 

韓国人が目を背ける「フェアだった日本の朝鮮統治」
http://yoshiko-sakurai.jp/2013/11/21/5001
「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945:George Akita ,Brandon Palmer(著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4794219970
THE NEW KOREA―朝鮮(コリア)が劇的に豊かになった時代(とき):Alleyne Ireland(著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4434181815

しかし、アジアの歴史をよく知らないアメリカ人は今でも漠然とそういう奴隷植民地のイメージを持っているだろうし、中国や韓国はカイロ宣言を根拠に日本に攻勢をかけているのです。ところが、カイロ宣言は署名も無ければ、公文書すら存在せず、ただマスコミ向けにリリースされただけの声明なのです。おそらくカイロ宣言は連合軍側の事実上のプロパガンダだったのでしょう。

プロパガンダと「実際はどうだったのか」という事を分けて考えなければ、いずれは歴史に齟齬が生じます。

「バターン死の行進」にしても、誇張されている部分がかなりあると思います。
死の行進の証拠写真として長年使われてきた写真が、実は違う場面のものだったという事が最近判明しています。


バターン死の行進 - Wikipedia

兵士の証言
吉本隆明は、フィリピンにいた日本軍元兵士の証言として、次のように紹介している[7]。
「日本軍は捕虜たちを残酷に扱ったと言われているけど、自分たちにはそんな自覚はちっともなかった。だって、炎天下であろうがなかろうが、日本軍にとっては一日10キロも20キロも歩くのは当たり前。いつも通りのことをやったら、捕虜たちがバタバタ倒れてしまっただけだ」
この証言について、吉本は「それだけ、軍隊における常識も、アメリカと日本では違っていたということ」と主張している[8]。
第2次バターン攻略戦に参加した日本兵士によると、次のような証言がある。[9]。
「(前略)夜が明けてみると、前方の山から白旗を掲げたアメリカ兵がゾロゾロと出てくるではないか。第四分隊、こちらは総勢一三人、敵のアメリカ兵は何百、何千と雲霞のように山から下りてくる。まずこの光景を見て我々は腰を抜かさんばかりに驚いた。武装解除されているので武器は所持していなかったが、キャラメルやタバコをくれたり、チョコレートをくれたり、我々のご機嫌を取ってくる。   (中略)一人の日本兵が三〇〇人近いアメリカ兵を引率しているのである。後ろからブスッとやられたらそれきりである。気味の悪いこと、この上なしである。もしこれが日本兵とアメリカ兵の立場が逆になっていたら、一三人くらいの敵ならアッと言う間に殺していたであろう。(後略)」

異論
コラムニストの高山正之は、バターン死の行進はそれが真実かどうか過去一度も検証されておらず、日本側に検証の動きが少しでも出るとすぐ圧力がかかって潰されてきたと主張している[1]。

反論
第65旅団歩兵第百四十一聯隊長(階級は大佐)としてバターン死の行進に従軍した今井武夫は次のように、当時の日本軍の状況について証言し反論している。[10]
「バターン半島の戦闘に終始したわが夏兵団は、新たに中部ルソン島の戡定作戦のため、再び北方に反転することとなったが、四ヵ月に及ぶ密林の露営生活は、食糧の補給難と相俟って、将兵の体力を全く消耗し尽くしていた。
〜中略〜
その上比島の捕虜は、ルソン島中部のオードネル捕虜収容所に収容されてから、バターンの戦闘間流行した熱帯病或いは食糧不足のため生じた栄養失調で、病死者が多発した事も米軍が誤解する原因となったかもしれない。」



「死の行進」写真にあらず AP通信、65年ぶりに訂正
2010.3.20 10:08

「バターン死の行進」を写したとされてきたが、実際は行進後の1942年5月に撮られたものだったことが判明した写真(AP)

 AP通信は19日、1942年4月にフィリピンで日本軍の捕虜となった米兵が約100キロを行進させられ、多数が死亡した「バターン死の行進」を写したとされてきた記録写真について、行進後に撮られたものだったことが判明したとして65年ぶりに写真説明を訂正し、検証記事を配信した。
 APは「記録写真の訂正はまれなケース」としている。
 写真は捕虜が遺体を運んでいる場面を写したもので、米軍が45年に日本軍から入手し発表。APの配信で「死の行進」の証拠写真として歴史的に有名な一枚となった。
 APは今回「死の行進」で生き残った元米兵の証言から約6カ月間に及ぶ調査を実施。その結果、電説を「42年5月、死の行進で死亡した同僚の遺体を運ぶ米兵捕虜」と訂正した。   (共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/america/100320/amr1003201018003-n1.htm


劣悪な日本軍の捕虜待遇=「バターン死の行進」報告書-外交文書

 第2次大戦中、日本軍のフィリピン侵攻の際、捕虜となった米兵らがバターン半島で多数死亡した「バターン死の行進」に関する報告書が、7日公開された外交文書で明らかになった。日本軍が軍事作戦遂行に手いっぱいで、捕虜の待遇は劣悪を極めていた実態が浮き彫りになっている。
 公開されたのは、戦後、旧日本陸軍組織に置かれた「捕虜関係調査中央委員会」の1945年10月15日付の報告書。それによると、米側は米兵捕虜の扱いについて「90哩(マイル)を疲労と疾患と負傷の身なるにかかわらず、強制歩行せしめらる」と日本軍の対応を非難。「オードネル」収容所では捕虜の保護が不十分だったため、収容開始後数カ月で米国人2200人、フィリピン人2万人以上が死亡したとの情報があると追及した。
 これに対し日本側は、フィリピン攻略を優先したとして「受け入れ態勢は未完成なりき」と説明。収容所の劣悪な衛生環境を認めながらも、「医薬品不足し、日本軍自体はもとより捕虜の衛生改善についても多大の困難を伴へり」と釈明している。
 一方、捕虜に対する虐待があったとの米側の指摘には「護衛兵自身も疲労困憊(こんぱい)して、虐待行為を為すの気力も無かりしもの」と否定している。(2013/03/07-10:12)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013030700249
2014/01/05 16:36 | ぽん [ 編集 ]

ハヤブサ先生

たいへん貴重な戦争体験記を有難う。Nathaniel R. Helmsの著書とあまり違わない。彼は、戦争大学で日本兵の記録を読んだ印象がある。山下奉文絞首刑の記述は細部に亘る。処刑された時間、、3:02 a.m., February 23, 1946や、山下の米人弁護士二人は、「これはマッカーサーの個人的な報復で~法律を利用したリンチである」と証言した。記事の後のコメントには、まったくアンフェアな裁判」と弁護士らしい人が書いている。大体、そういうコメントが多い。日本兵ヘイトもある。米兵ヘイトは日本人にもある。この著者は、「岩淵という海軍の軍人は山下の命令を無視してマニラ湾から出なかった」と書いている。

伊勢の意見は、「日本兵が日本兵を殺して食料や靴を強奪~餓死~傷病兵を毒薬や注射で殺し~日本兵が50万人もレイテで死んだという状況を作った山下には責任がある」というものです。日本へのゲリラはマニラ市民をやはり殺している。「精神錯乱の中で起きた」では口実にはならない。食い物も、弾薬もない兵隊を投降させなかった山下司令官に責任がある。マッカーサーの判断も、半分正しく~半分間違っていたと思う。「バターン死の行進」もあって平静では居られなかったんだろうね。伊勢
2014/01/05 15:16 | 伊勢 [ 編集 ]

>何十万人のマニラ市民が日本兵に銃剣で殺された

ん・・?ン・・? もし、これが史実だとするなら、是非とも極悪非道の殺戮を行った部隊名を知りたいものです。マニラ戦線の日本兵には「何十万人のマニラ市民を銃剣で殺す」理由も余裕もなかった思うのですが・・・・

>首都圏マニラが、攻防戦の主戦場になりそうであった。山下大将はマニラ市民を戦闘に巻き込むことを避け、山中の持久戦を選択した。米軍はマニラに向かって突進し、2月3日市内に突入した。
>マニラ市街戦
>ここで山下大将は、マニラを戦場にしない事を主張したが大本営は認めなかった。山下の陸軍はマニラから離れたが、マニラ市内には海軍の1万が残っていた。彼らは戦車も砲もなく、小銃は3名に一挺という状況で激しく抵抗していく。  
http://minoworld2.web.fc2.com/phi09.html
2014/01/05 13:29 | ハヤブサ [ 編集 ]

ぼんさん

英語は読めます?「全ては、アメリカのプロパガンダ」と言うなら、US.WWII・WAR・MAGAZINEへ議論したいと申し出たらどうですか?英語で議論は出来るの?プロパガンダの可能性がないわけじゃないが、Nathaniel R. Helmsは、ベ戦時代の海兵隊~新聞記者~大学教授で退職した人です。匿名で書き込まれるあなたよりも信用出来るよね?コメントするときは、「こういう根拠でそれはアメリカのプロパガンダです」とか書かないなら、独り言でしょ?日本の反米保守には、アメリカを怒り狂って罵倒する共通点がある。英作文すらも書けないのにね。ちょっとテストしますが、東京裁判の日本政府の公式見解と決定は知ってるの?伊勢

http://www.historynet.com/general-tomoyuki-yamashita.htm
2014/01/05 05:55 | 伊勢 [ 編集 ]

>何十万人のマニラ市民が日本兵に銃剣で殺された

いや、これアメリカのプロパガンダですよ?
兵士とて、そんな殺し方をしたら重度のPSTDにかかります(ベトナム戦争でのアメリカ軍の戦闘では、直接的な方法でベトナム人を殺傷したことが多かった為、多くの帰還兵がPSTDを発症してアメリカで社会問題になりました)。
WW2におけるフィリンピン人の死者は、アメリカのフィリピン奪還戦でのアメリカ軍による無差別砲撃によるものが最多です。
沖縄戦を見れば分かるでしょう。しかし、ここでもなぜか沖縄を守りに行ったはずの日本軍が、市民に自決を強要して沖縄県民を殺しに行ったかの様な話にすり替えられています。
この戦時・戦後のプロパガンダが未だにまかり通っている状況を変えない限り、今の従属的な日米関係が変わる事はないでしょう。
慰安婦問題や靖国神社の事で日本が理不尽に不利な立場に立たされ続けているのも、結局はアメリカがあの時の戦争のプロパガンダに固執し続けているからなのです。
2014/01/05 03:12 | ぽん [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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