2014/01/13 (Mon) ミッドウェー海戦で日本軍は大敗した(日米戦争14話)


ミッドウェー海戦は第二次世界大戦中の昭和17年(1942年)6月5日から7日にかけてミッドウェー島をめぐって行われた海戦である。同島の攻略をめざす日本海軍をアメリカ海軍が迎え撃つ形だった。双方の空母機動部隊同士の航空戦の結果、日本海軍は機動部隊の中核をなしていた航空母艦4隻とその艦載機を多数一挙に喪失する損害を被り、ミッドウェー島の攻略は失敗した。日本軍はこの戦争における主導権を失った。(ウイキペデイア)

ウイキぺデイアは「みんなで作る歴史」なのだが、WWII・MAGなど英文の資料と変わらない。このミッドウエー海戦の全容は空中戦である。日本軍の損害は著しい。この海戦以来、日本軍が攻勢に転じることはなかった。真珠湾攻撃から、ほんの180日足らずで、日本の軍事力は半減したのである。これだけの思い切った戦争をやった日本には、停戦交渉の機会はなかった。だが、降伏する機会はあったと思う。1)1945年3月9、10の東京空襲~2)6月26日、沖縄が制圧されたとき~3)即座にポツダム宣言を受けいれることも出来た。

ポツダム宣言は、1945年(昭和20年)7月26日にアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、中華民国主席の名において大日本帝国(日本)に対して発された、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言。他の枢軸国が降伏した後も抗戦を続けていた日本はこの宣言を受諾し、第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))は終結した。

しかし、戦争が終結したのは、広島・長崎原爆被害の後となった。つまり原爆が落とされて初めて降伏したのである。伊勢がナンシー・ぺロシに「日本が早く降伏していれば、原爆投下はなかった」とレターを出した。ハヤブサ同志のなかには、「伊勢さんに賛成できない」とコメントがあった。さあ、そうだろうか?伊勢が東条英機なら、沖縄戦が終わった7月はじめに降伏しただろう。伊勢は、降伏を恥とは思わないからだ。伊勢平次郎 ルイジアナ


戦力

日本軍

航空母艦6
戦艦11
重巡洋艦10
軽巡洋艦6
駆逐艦53他
参加兵力10万

米軍

航空母艦3
重巡洋艦7
軽巡洋艦1
駆逐艦15
ミッドウェー島の基地航空隊
ミッドウェー島守備隊3000

損害

日本軍

航空母艦4、重巡洋艦1沈没
重巡洋艦1大破
駆逐艦1中破
戦死3,057(航空機搭乗員の戦死者は110名)


米軍

航空母艦1、駆逐艦1沈没
戦死307(航空機搭乗員戦死者は172名)






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comment

<<経常収支5928億円の赤字、、

アフリカ外遊中の安倍総理大臣には聞こえないのかな?首相になってから、50億円は外遊に使っただろうにね。小切手外交には限界があるのを知ってのことだろうか?総理大臣の仕事は国内問題が80%のはず。伊勢
2014/01/14 13:45 | 伊勢 [ 編集 ]

昭和天皇が受諾を決断されたのは、密かに部下を日本中に派遣して、陸軍が言う本土決戦の準備ができているかを調べて、またッくできていないことを確信されたことがおおきいと、雑誌にてよみました。
 阿南陸相は自決されたことで陸軍の暴発を防いだと思う。彼自身それを理解していたと思う。
 戦争が過酷になったわけは、真珠湾攻撃にあります。無通告ということもありますが、正正堂々と宣戦布告をしてすれば、最初の我国の海軍戦略のように展開して、ぺリリュウ島攻防戦くらいで停戦となった可能性はおおきい。
 近代戦など奇襲攻撃で決まるものではない。当時それが常識だったと思う。特に第一次世界大戦を見れば誰でもそれは理解できたと思う。石油がものをいうからなおさらです。
 昭和の軍隊は自らの仕事に誠実に取り組まなかったに過ぎない。亜米利加と本気で戦争をするにはどのような手立てがあるのか、それには何をということです。
 それともう一つは目の前のことに夢中になり、時間の経過とともに物事が変化していく事が理解できない。
 いつまでも今のような日本ではなく、亜米利加もおなじで、世界情勢も同じだとはおもわない。国が敗れても山河は変わらないというセンスです。

 山下裁判の通訳をした人は浜本正勝という人で、弁護人はフランク・リールと言う人です。
 山下裁判という本を出版されており、日本語訳もあるようです。

 陸軍の統制派と呼ばれる、戦争反対派が主導権をとって、逆に戦争をはじめて、統制派の反対勢力である皇道派の人々が実によく戦った。

 大東亜戦争は銭の戦争で、日露戦争すら借金でしたから、その借りた相手と戦争などできるわけがないという単純なことが理解できなかった。陸軍は経済が理解できなかったにすぎない。

 経済学者が戦争には必要で、その人の位は二等兵でも、彼の知識は、参謀総長と同じくらい力を持つことが理解できなかった。
 とにかく昭和前期の歴史は調べれば調べるほど現在の我々に、示唆を与えるものばかりです。
2014/01/14 10:19 | kenji [ 編集 ]

Mephist先生

ぼくは小学校2年のとき、伊勢志摩の小学校を代表して昭和天皇と伊勢神宮でお会いすることになった。その朝、熱が出て出られなかった。運命ですが、仕方がない。その「仕方のない運命」は陛下にもあったと思う。

張作霖爆殺では時の首相は田中義一を叱ったようですね。田中は意気消沈して病気で死んだそうですが。クリステイン連れて、瀋陽(奉天駅)の現場を見に行った。川崎付近のような風景だった。橋の下に爆薬をしかけたと。張作霖の列車が通過するときにデトネイトしたが、列車の最後尾の御用列車が来るまで待った。こういう記録でもないもので書いても良いのか迷う。クチ伝えの歴史ですね。

陛下は226でも、兵士の投降を説得した山下奉文を嫌った。それで、シンガポールから凱旋すれば陛下が会うから、東条は山下を嫌っていたので、フィリッピンから満州へ島流し。マニラのモンテン・ルパ刑務所で処刑されるまで故郷(高知)の土を踏まなかった。「男らしい」というタイプじゃないような印象を写真から感じた。処刑に立ち会った日系二世の通訳のお爺ちゃんを電話でインタビューしたとき、「山下将軍はストイックなひとだったですよ。戦争に負けた原因を聞くと“サイエンス”と答えられた」と言ってた。金門橋の下のクリッシーフィールド日本語学校で学んだ山下奉文の通訳は二人だったが、ひとりは亡くなられていた。この日系二世たちはが南方へ従軍した。降伏ビラを撒くのが仕事だったと。従軍の条件に「宮城や京都を爆撃しないこと」と「戦争省」に確約させたとです。

終戦のご聖断が日本とご自身を救われた。世界史に残る勇気の決断です。

<議会と内閣の意見を臣民による意思として、、

その帝国議会と軍部を恐れる内閣が問題だったと思う。伊勢
2014/01/14 02:43 | 伊勢 [ 編集 ]

伊勢殿
あえて一言だけ。
昭和天皇が自ら政治的発言をされたのは3度だけです。
張作霖爆殺事件と2.26事件と終戦のご聖断です。
立憲君主として自らの意見より議会と内閣の意見を臣民による意思として重要視したためです。

だからこそ、天皇には戦争責任がないのです。
天皇機関説と呼ばれるものですが。
2014/01/13 21:54 | Mephist [ 編集 ]

Mephist先生

政治は、タイミングということですね。タイミングが悪いとモーメンタムが方向を変える。それと、天皇陛下~帝国議会~軍という巨大な官僚制度の均衡の難しさを感じます。議会制民主主義は完璧ではないけど、ジェファソニアン・デモクラシーは、「人間みな平等」という憲法ですから。上から「黙れ」ということはない。祭礼国家日本VS自由民主主義国家のアメリカだったから、今は両国とも自由民主主義になり、イデオロギーで争うものがなくなった。日米関係は経済が大きな部分だと思う。その経済を保護するために日米軍がいる。言語習慣が違うのも良いことだと思う。経済は言語習慣に無関係だからね。要するに、儲ければいい。伊勢
2014/01/13 19:59 | 伊勢 [ 編集 ]

伊勢殿
時系列をもう一度確認されることを願います。
沖縄戦はおおむね1945年3月~ですが、東条内閣は1944年7月までです。よって小磯内閣の時です。
ただし文脈で言えば沖縄戦でなく、マリアナ沖海戦での惨敗が軍事的な引き金ですから、認識としてはさほど違いません。
時間があればもう少し調べたいところですが、この東条英機という人物は非常に不可解な人物の様です。
慧眼とも言える切れ味があるかと思えば、自己中心的な振る舞いもあり、妄信的なところもあります。
ただし本来東条に期待された役割は、陸軍の掌握であり、開戦から停戦へ至る道のりを整理することでした。
それもこれも、先ほど私が書いた「国体の護持」という難題を解決し得ないがために前進しませんでしたが。

国体の護持が何であるかは、私の様な若輩者には説明ができません。
しかし、いわゆる天皇制が社会通念上普遍化していた日本社会において、その重石を外せば統治機構は破たんすると思います。それを見通して、陛下も閣僚も、また軍人も国体の護持を望まれたと考えています。
そしてそれはマッカーサーも理解した、と考えています。
それこそ、天皇を絞首刑に処したとしたら、日本全土で内戦もしくはテロが発生したでしょう。それを治めるには相当の労力とコストを要したでしょうし、また、ソ連の介入すら招いた可能性があります。

楽観的な可能性を言えばキリがありませんが、珊瑚海海戦あたりで何かの偶然から停戦交渉が進んだとすれば、国体の護持は明文化されたでしょう。
ただし国民は勝利を疑っていませんから、不利な停戦内容を受忍できたとは思えませんが。
2014/01/13 18:34 | Mephist [ 編集 ]

<中東までのシーレーンはわが国だけでは防衛がそもそもできない。ましてアフリカまでは無理です。のこのこといくところではないとkenjiは思っている。危う憂い気がする。
 
ネットにて日韓基本条約以降韓国につぎ込んだ金は23兆に及ぶとあった。これ何とかしないと、>

ぼくも、安倍さんの腰が軽いなと思う。アフリカは、ぼくら夫婦は去年も行ったし、汽車に乗ったり。中東はほとんどの国を歩き回った。ぼくの最初のノベルは西アフリカとサハラ砂漠が舞台。その一章に、「アメリカは関与しないほうが身のためだ」とフランス外人部隊のエジプト人のオスカー中尉が米兵に言う場面がある。その理由も書いた。つまり、英仏ポルトガルはアフリカで大やけどをした~アメリカも駐リビア米国大使が殺されている。NSAは、フランス地上軍には関与せず、燃料・食料・輸送と衛星写真だけを提供している。今頃になって、日本やチャイナが出て行っても良いことはないです。特に、エネルギーが主目的なら、原発再稼動からだよね。安倍さんはどうもまだ青いな。エエ格好がしたい。日本の青年の待遇が最優先のはずだ。結婚する者~家を買う者~子供を育てる者には所得無税ぐらいで望むことです。それでも所得倍増じゃないからね。伊勢
2014/01/13 16:19 | 伊勢 [ 編集 ]

>しかし、戦争が終結したのは、広島・長崎原爆被害の後となった。つまり原爆が落とされて初めて降伏したのである。


最近では、原爆投下ではなくて、ソ連の参戦が降伏の決定打だったというのが通説になりつつありますね(最近、ロシアが宣伝してますw)。ソ連による仲介・調停の道が完全に断たれてしまったからです。
今まで原爆の被害ばかりが強調されてきましたが、規模的には東京大空襲等の空爆の被害とさほど変わらないですから、原爆投下が日本にとって驚天動地という程のインパクトは与えなかったと思います。米軍によるオーバーキルは初めてでは無かったので、原爆投下後も「ああ、またやられたか、よいよ本土決戦だ」という声もあった程です。
まぁ、しかし、日本人にとって負けた相手はあくまでもアメリカであり、火事場泥棒のソ連(ロシア)にデカイ顔をされるのはしゃくですが・・・
2014/01/13 16:08 | ぽん [ 編集 ]

Mephist先生

<降伏というのは、敗者が手を上げれば済む話ではないのです。勝者がそれを受け入れて初めて降伏が成立します。

6月26日に沖縄が陥落し~7月末にポツダム宣言が東京に伝えられた~8月6日には広島です。何故、トルーマンは、急いで、原爆二個も投下したのか?日本の返事を待たずにですね。理由は、8月8日にソ連軍がソ満国境を越えたというブリーフィングです。北海道にソ連軍が上陸すると恐れたためです。トルーマンの国務長官はデイーン・アッチソン。国防長官はデイーン・ラスク。どちらも、日本海に線を引いたのです。日本を失えば、ハワイまで無防備となり~ハワイから西海岸まで島はないからね。チョウセンにも原爆投下を考えたらしい。6個の原爆が完成しつつあったと。これは、調査がいるね。出典なきことを文字にすれば、韓国人が怒るだろうしね。

沖縄地上戦はどういうふうに東条に報告されたのか。沖縄地上戦は、圧倒的に米軍が日本軍および民間人を殺戮したのです。本土地上戦の不毛を東条が自覚していれば、天皇陛下を招いて閣議を開いたのじゃないかな。ポツダムを受け入れなければ、堰を切ったように押し寄せる陸海空からの砲撃と爆弾で、何十万人の死者が出ることは明白だったはず。結果を予測できなかったなら、東条は頭脳明晰ではない人間です。

事情を説明すれば、陛下は理解されたと思う。人民が大量に殺戮されても国体護持を主張されたとは思えないんですね。マッカーサーに「責任は全て自分にある」と仰られて、マッカーサーが、「これほどの紳士に出合ったことがない」と回顧録に書いているからね。つまり、東条は知らないけど、お若い天皇陛下は敗戦と占領を覚悟されていた。もうひとつね、もしも、東条が「連合軍と交渉の余地がある」と考えてていたなら、大バカ者です。だいたい、賢明な人間なら、ミッドウエーで敗戦の結末を知るべきなんだ。大本営の参謀らは「業」が深く~兵も民間人も虫のように殺して、禅坊主のように平然としていた。軍部は、東条も含めて「業」が深かったと思う。

「国体護持」を源田実と本田稔さんの二人は話し合って死ぬ覚悟だったと(本田稔・チャンネル桜)です。戦っていれば確実に死んだでしょう。しかし、それは戦闘機乗りの立場だからね。そこへ、玉音放送で終戦を知ったんだと。実際は、お二人とも生きながらえて、航空自衛隊に入り~ジェット戦闘機の飛行士となった。それも、ドイツ系米人パイロットから習った。東条は最高司令官だからこれも死ぬのが当然です。だけど、自殺は未遂~絞首刑で終わった。軍の最高司令官がね。

ぼくが言おうとしているのは、「国体護持の信念に拘わらず日本は降伏せざるを得ない状況だった」ということです。ポツダム宣言が届いた時点で「今さら国体護持かい」と言いたいな。降伏を決断できなかった東条や阿南は尊敬できない人物です。阿南は腹を切ったけど、「おまえのボテ腹を切ってどうするんだ?」と怒鳴りたい。無責任ではないのか。本田稔さんが、「ニューギニアでも、ラバウルでも、山本五十六が撃墜されても、二都市に原爆が投下されても、当時の軍人も、今日の政府も、“何が原因だったのか”と反省も研究もしなかった」と「日本人は現実から目を逸らす」という欠点を指摘している。「責任性がない」と痛烈に批判している。

現在でも、「目を逸らす~こどものように押し黙る」という日本人の民族性は変わらない。「アメリカの呪縛」から自意識ひとつで出られるのに、出られない。勇気がないからだと思う。あれほど都市を焼かれ~330万人が死んだ。でも、反省はあるのかなあ。「仕方がない」とは言うけど。ぼくは、勇気を持って「降伏」を勧めたでしょう。どうせ死ぬなら多くを生かせればとですね。何か、ぼくはアメリカ人になったのかも知れない。非合理には賛成できないのよ。ごめんね。伊勢

2014/01/13 15:31 | 伊勢 [ 編集 ]

父との対話
<お父さん、ミッドウエーについては知っていた>
<会社ではどうも海軍がころころにやられたとは聞いたが、ないようはしらなかった。ただ帰省したとき、せいちゃん(前の内の人、戦後カナダへ、働きに行っって、帰ってきた)が海軍に志願してちょうど帰ってきたときだったので、たずねると、やられたけど平気だといった>
 父親は徴兵前だから、戦争については無関心とはいわないが、それが自身にどのように影響するかは考えていなかったようです。漠然とは考えていたとはおもいますが、ここが分かりません。当時の日記を見ると、確かに書いてありますがそれが自身にどのように及ぶかという考察がないというか、できないというか、ひとごとのように扱っているのがおおい。誰でも同じかもしれない。そもそも普通の日本人が本気で戦争をと思ったのは昭和20年に入ってからだと思う。

 戦争は歴史を見ると、皆殺しが基本です。それがようやく文明的になったのは19世紀になってからでしょう。ヨーロッパにおいてです。
 第二次世界大戦はその文明的になった戦争を再び18世紀に引き戻しました。兵器の進歩と戦争の形態が変わったからです。
 無条件降伏は皆殺しの別名に過ぎない。文面は日本国軍隊の無条件降伏となっていますから国の無条件降伏ではないとはいえますが。
 願わくば、ソ連参戦前にでしょう。
いずれにしてもアレだけ被害をだしたにも拘らず、終戦は運がよかったという幸運をかみ締めることではないだろうかと思う。
また戦後もわが国にとって、非常に有利に働く状況がつずいたたこともです。
 幸運は幸運として受け入れて、それがいつまでもあることではない自覚することだとおもう。
 とにかくわが国は独自で自国防衛ができない国という生存の条件はかわらない。
 中東までのシーレーンはわが国だけでは防衛がそもそもできない。ましてアフリカまでは無理です。のこのこといくところではないとkenjiは思っている。危う憂い気がする。
 ネットにて日韓基本条約以降韓国につぎ込んだ金は23兆に及ぶとあった。これ何とかしないと、
 
2014/01/13 14:37 | kenji [ 編集 ]

伊勢殿
降伏というのは、敗者が手を上げれば済む話ではないのです。勝者がそれを受け入れて初めて降伏が成立します。
では、勝者が受け入れない状況とは何か。
殲滅戦です。
降伏勧告の後、進駐軍が展開し、武装解除後に市民含めて殲滅戦を行った事例がないわけではないのです。
ただし、日本の場合降伏後の人的被害よりも国体の護持を優先しました。
国体の護持という概念は非常に難しく、幅広いのですが。
結論からすると、降伏により国体は護持されたと言えるでしょう。紆余曲折ありましたが。

また直接の当事者である米国へどこへ仲介を依頼するかという問題ありました。後の話を知っているがゆえにソ連にそれを期待した首脳陣の正気を疑うことになるわけですが、もはや適切な外交手段を取れる外国というものが存在しなかった日本は、通告を待つしかなかったともいえます。
その通告内容が国体を護持できる内容かどうか、その一点だけを帝国政府は注目していました。
それが時間を浪費したと責められるのでしょう。
しかし、昭和天皇と鈴木貫太郎の対話に至るまで、だれも国体の根幹たる天皇(制度と陛下、さらには概念)が危害を受ける可能性を受忍できませんでした。
そしてまた昭和天皇も、自身が危害を受けることは責任者として当然であるとお考えであったと思いますが、しかし、それでは国体が崩壊し臣民の拠り所がなくなることにより、より大きな悲劇を生みかねないとのお考えもあったかと思います。

この辺りの話は、知れば知る程「戦争を始めるのは簡単だが、終えるのは難しい」という言葉そのものです。
2014/01/13 13:37 | Mephist [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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