2014/01/15 (Wed) マッカーサーがフィリッピンに帰って来た(日米戦争16話)



macarthur leaving Phillipine

サイパン島で、日本兵が3万人玉砕(少数が投降)し~南雲司令官は自決した。その激戦地サイパン島が陥落してから3ヶ月が経っていた。オーストラリアで「アイ・シャル・レターン」と念仏を唱えていたマッカーサーがレイテの浜辺に上陸した。1944年10月20日である。2年と6ヶ月ぶりにフィリッピンに帰ったのだ。左端は、ケソン・フィリッピン大統領である。帰って来たマッカーサーは肥満体になっていた。




マッカーサーが夫人と息子を連れて、コレヒドール島をPTボートで脱出したのは、1942年3月11日。将軍は痩せていた。海も空も日本軍が制圧していたが、時化(シケ)る海が助けとなった。38時間でミンダナオ島に着いた。今想えば青年時代の伊勢はこの脱出行にジーン夫人が一緒だったことを知らなかった。NYで聞けばよかったと思う。


小磯内閣

1944年6月のマリアナ沖海戦は日本の敗北に終わり、7月9日にはサイパン島を失陥してマリアナ諸島の喪失も確実なものとなった。この敗北は日本の政治情勢にも影響し、東條英機内閣が倒れて、7月22日に小磯内閣が誕生した。しかし、陸軍軍人とは言え予備役に引いていた小磯國昭に陸軍を抑える力はなく、この政変は陸軍、特に参謀本部の発言力を強める結果となったとされる。



レイテ島はルソン島の南にある。米軍の20万の兵が上陸した。山下大将の危惧は現実のものとなる。台湾沖航空戦で大損害を被ったはずのアメリカ海軍機動部隊は健在で、逆に日本側航空兵力300機以上の喪失により、事実上フィリピンの制空権を失った状態で戦う状況となった。10月20日に上陸してきたアメリカ軍は敗残兵などではなく、第6軍(クルーガー中将)の兵員10万名(最終的に20万名)の大部隊だった。その総指揮官は、かつて「私は戻ってくる。(I shall return. アイシャル・リターン)」という台詞を残してフィリピンを去ったダグラス・マッカーサー大将であった。




レイテ島攻略が始まった。日本軍の基地から黒煙が立ち昇った。




レイテ島で日米軍の戦闘が始まった。椰子の密林の中の戦闘は凄まじかった。1945年1月2日、日本の小磯首相は、レイテ決戦をルソンを含んだフィリピン全体の決戦に拡大すると発表し、事実上レイテ決戦の敗北を認めた。日本軍の戦死者は、7万9千名であった。

レイテ沖海戦で連合艦隊が壊滅した事で、日本軍は完全に補給を断たれ、レイテ島10万、ルソン島25万に取り残された形となり、1945年6月までの戦闘で主力部隊が壊滅した以降はジャングルを彷徨いながら散発的な戦闘を続けるだけとなった。多くが餓死し、マラリアなどの伝染病や戦傷の悪化により死んでいった。フィリピン進攻以降のフィリピンの戦いでの日本軍の戦死者(戦病死者を含む)は日本軍がアジア・太平洋戦争で戦った全戦線において最も多く、その過半はフィリピン防衛戦での餓死と推定され、極度の飢餓から軍の統制は崩壊し、各々食糧を求めて彷徨ううちに時に畑の芋を巡って争い、一部に人肉食に至るなどしたという。

以下は、日米両軍の人的損害である。

日本陸軍の死傷者数(単位:人)
戦場 戦死・戦病死 戦傷 合計 脚注
レイテ島 80,557 828 81,385 [12]
ルソン島 205,535 9,050 214,585 [13]
フィリピン中央部・南部 50,260 2,695 52,955 [14]
合計 336,352 12,573 348,925 -

アメリカ陸軍の死傷者数(単位:人)
戦場 戦死・戦病死 戦傷 合計 脚注
レイテ島 3,593 11,991 15,584 [15]
ルソン島 8,310 29,560 37,870 [14]
フィリピン中央部・南部 2,070 6,990 9,060 [14]
合計 13,973 48,541 62,514 -




ルソン島の戦いでは、ルバング島の小野田寛郎少尉からの「敵艦見ゆ、針路北」との報告で、マニラ湾からリンガエン湾への迅速な陣地転換に成功するが、徐々に兵力差で圧倒され、最終的には山岳地帯へ退いての持久戦に追い込まれている。




終戦を知った山下奉文は、1945年(昭和20年)9月3日、フィリピンのバギオにて降伏した。この持久戦の中の食糧難は日本軍司令部も例外ではなく、降伏時、巨漢で有名だった山下はすっかりやせ細ってしまっていた。


伊勢の解説

「外人将軍・マッカーサーの呪縛」の上巻は、この山下奉文の投降で終わる。悲惨では言葉が足りない比島戦である。記録なのか、証明できないが、比島戦で戦死した日本兵は38万名と書いてある。だが、非戦闘員を入れると、50万名が死んだ。ほとんどが餓死か病死なのである。

今まで載せた16話が本著(英語)の「あらすじ」なのである。最終原稿はアマゾンが編集する。資料調査や脚注がそうとう増える。写真も増える。最終的な内容は予測もつかない。ただ、日夜、執筆と資料調査に追われている。「これが在米46年の自分のライフワークになる」と思っている。伊勢平次郎 ルイジアナ






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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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