2014/01/20 (Mon) 憎むようになるまで貶めさせてはならない


貶める者、貶められる者、憎むようになるまで貶めさせてはならない。



何を信仰するかは問題じゃない。信仰心のある人は強いな。




黒人の人権は踏みにじられた~公民権さえも与えられなかった~人間は神の前では平等であるはずなのにと訴えた。人種差別を糾弾する大きな声は白人の耳に届いた。だが、この人は過激ではなかった。この人の目には優しさがあったと。




白人の警官の目が人種偏見者であることを語っている。現在も過半数の白人は人種偏見を持っている。カロラインにもその傾向が見える。黄色人種に対するソフトな偏見が、、だが、彼女は日本人が理知的で強靭な精神を持っていることを知っている。伊勢爺は「日本人は無用にへり下るから尊敬されない」と思っている。「へり下る」ということは、「私はあなたの従僕です」という屈した姿勢なのだからね。カロラインだろうが、オバマだろうが、同じ姿勢で向き合えば良い。やたらに丁寧な言葉もバカにされるだけさ。




ケネデイは、黒人のデモ隊にシェパードをけしかけた白人の警官に怒った。南部のアラバマに国防軍を送った。そのケネデイは暗殺された。


I HAVE A DREAM



1864年、黒人奴隷を解放したリンカーンの記念塔が向こうに見える。南北戦争から100年が経っている。黒人差別は続いている。マーチン・ルーサー・キング牧師は、集まった20万人の群集に語った。「私の子供たちが、白人の子供たちと机を並べて勉強する日が来ることが私の夢だ」と。




牧師は撃たれた。39歳でこの世を去った。撃った白人は中年の白人だった。獄死した。




良き父親であった。




レーガンは、この偉大な人を表彰して~マーチン・ルーサー・キング記念日とした。国民祭日である。アメリカが白人国家ではなくなった日である。


解説

「非暴力主義」

キングの提唱した運動の特徴は徹底した「非暴力主義」である。インド独立の父、マハトマ・ガンディーに啓蒙され、自身の牧師としての素養も手伝って一切抵抗しない非暴力を貫いた。一見非暴力主義は無抵抗で弱腰の姿勢と勘違いされがちだが、キングのそれは「非暴力抵抗を大衆市民不服従に発展させる。そして支配者達が「黒人は現状に満足している」と言いふらしてきた事が嘘であることを全世界中にハッキリと見せる」という決して単なる弱腰姿勢ではなかった。

事実、1963年5月にアラバマ州バーミングハムでのバーミングハム運動の中で、丸腰の黒人青年に対し、警察犬をけしかけ襲わせたり、警棒で滅多打ちしたり、高圧ホースで水をかけたりするなどの警官による事件映像が映し出され、世論は次第にそれらの暴力に拒絶反応を示していった。

公民権運動にあたっては、主として南部諸州における人種差別的取扱いがその対象となった。通常、差別的取り扱いには州法上の法的根拠が存在し、運用を実際に行う政府当局ないしは警察なども公民権運動には反対の姿勢をとることが多かったことから、公民権運動は必然的に州政府などの地域の権力との闘争という側面を有していた。合衆国においては州と連邦との二重の統治体制が設けられている中で、連邦政府ないしは北部各州は南部各州の州政府に比べれば人種差別の撤廃に肯定的であり、州政府ないしは州兵に対し連邦政府が連邦軍兵士を派遣して事態の収拾を図るケースも見られた。

キングも1963年4月12日にバーミングハムで行われた抗議デモの際自らバーミングハム市警に逮捕され、4月19日まで拘置所の独居房に投獄された。

「I Have a Dream」

1963年8月28日に行われたワシントン大行進においてリンカーン記念堂の前で有名な“I Have a Dream”(私には夢がある)を含む演説を行い、人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を簡潔な文体で訴え広く共感を呼んだ。演説は即興にて行われたものといわれるがその内容は高く評価され、1961年1月20日に就任したジョン・F・ケネディの大統領就任演説と並び20世紀のアメリカを代表する名演説として有名である。

勝利

ホワイトハウスで、ジョンソン大統領は公民権法施行の文書に署名した。キングを先頭に行われたこれらの地道かつ積極的な運動の結果、アメリカ国内の世論も盛り上がりを見せ、ついにリンドン・B・ジョンソン政権下の1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定された。これにより、建国以来200年近くの間アメリカで施行されてきた法の上における人種差別が終わりを告げたのである。

ジョンソンは人種差別を嫌う自らの信条のもと、自らの政権下においてキングと共にこれを強く推進した。なお公民権法案を議会に提出したのはジョンソンが副大統領であったケネディ政権時代のことであるが、議会内において強い政治的影響力を持たなかったケネディを後押しし続けたジョンソンが、キングの協力を受けて自らの政治的影響力をフルに使い、制定へ向けた議会工作を活発化させ公民権法の早期制定に持ち込むことに成功した。

公民権運動に対する多大な貢献が評価され、「アメリカ合衆国における人種偏見を終わらせるための非暴力抵抗運動」を理由にマーティンに対し1964年度のノーベル平和賞が授与されることに決まった(受賞発表は10月14日で、授賞式は12月10日だった)。これはノーベル平和賞を受けるアメリカ人としては12人目だったが、史上最年少の受賞であり、黒人としては3人目の受賞である。「受賞金は全てのアフリカ系アメリカ人のものだ」とコメントした。ただし当時の全てのアフリカ系アメリカ人がキングに同意していたわけではなく、一部の過激派はマルコムXを支持しキングの非暴力的で融和的な方針に反発した。

マルコムXとキング

暴力的手法を含む強行的な手段による人種差別の解決を訴え、同時期に一気に支持を得て台頭し始めていたマルコムXが1965年2月に暗殺されると、マルコムXとはその手段において相当の隔絶があったにも関わらず「マルコムXの暗殺は悲劇だ。世界にはまだ、暴力で物事を解決しようとしている人々がいる」と語った。しかしその数年後、キング自身も暗殺される。

一時期は公然とキングの姿勢を批判し演説の中で非暴力抵抗を笑いものにしていた事さえあったマルコムXだったが、暗殺の前年には自らの過激な思想の中核をなしていたブラック・モスリムのネーション・オブ・イスラム教団と手を切っていた。新たな思想運動のステップを登るべく「なんとかキング牧師と会って話がしたい」と黒人社会学者ケニス・クラークの仲介で会談を持とうと模索している矢先のできごとであった。キングは、そのためにマルコムXの暗殺を特に嘆いていた。

その後の黒人解放運動

ワシントンDCへの20万人デモで最高の盛り上がりを見せ公民権法を勝ち取った黒人解放運動はその後、生前のマルコムXやその支持者を代表とする過激派や極端派などへ内部分裂を起こし、キングの非暴力抵抗は次第に時代遅れなものになっていった。
黒人運動は暴力的なものになり「ブラック・パワー」を提唱するストークリー・カーマイケルに代表されるような強硬的な指導者が現れたり(「ブラック・パワー運動」といわれる事もある)、ブラックパンサー党が結成されたり1967年夏にニュージャージー州で大規模な黒人暴動が起きたりするに至って、世論を含め白人社会との新たな対立の時代に入っていく。呼応するように白人からの黒人に対する暴力事件も各地で増えていった。

キング牧師はその要因を自身の演説の中で以下のように分析し、「すべての罪が黒人に帰せられるべきではない」と結論付けた。

公民権法成立は黒人から見ると解放運動の最初のステップでしかなかったが、白人社会は「これで問題は片付いた」とゴールだと位置づけた。深く根付いた差別意識は依然として教育や雇用の場に蔓延しており、黒人は階段の入り口には立てても頂点には上っていけない。差別意識により雇用の機会を奪われた黒人の失業問題は、白人に比べ深刻である。ベトナム戦争により黒人は多数徴兵され、その多くは最前線で戦わせられている。彼らは母国で民主主義の恩恵を受けていないのに、民主主義を守るために戦争に狩り出されている。

大都市ではスラム街に黒人が押し込められ、戦争のためにそのインフラ整備等の環境問題はないがしろにされている。そして「ベトナム戦争反対」の意思を明確に打ち出しながら、「ブラック・パワー」に対し「グリーン・パワー」(緑はアメリカで紙幣に使われる色、つまり「金の力」)などでさらなる黒人の待遇改善を訴えていった。一方で自身でも時代遅れになりつつあることを自覚していながらも非暴力抵抗の可能性を信じ、それを黒人社会に訴えていった。

暗殺

1968年4月4日に遊説活動中のテネシー州メンフィスにあるメイソン・テンプルで “I've Been to the Mountaintop”(私は山頂に達した)と遊説。その後メンフィス市内のロレイン・モーテルのバルコニーでその夜の集会での演奏音楽の曲目を打ち合わせ中に、白人男性で累犯のならず者、ジェームズ・アール・レイに撃たれる。弾丸は喉から脊髄に達し病院に搬送されたが、間もなく死亡した。墓標には「ついに自由を得た」と穿たれている。レイは国外に逃亡し、数ヵ月後、ロンドンのヒースロー空港で逮捕され、懲役99年の判決を受ける。その後、彼は服役中の1998年4月23日にC型肝炎による腎不全で死去した。

暗殺の前日にキング牧師がおこなった最後の演説の最後の部分は以下のようなものであり、『申命記』32章のモーセを思わせる、自らの死を予見したかのようなその内容は“I Have a Dream”と共に有名なものとなった。

…前途に困難な日々が待っています。
でも、もうどうでもよいのです。
私は山の頂上に登ってきたのだから。
皆さんと同じように、私も長生きがしたい。
長生きをするのも悪くないが、今の私にはどうでもいいのです。
神の意志を実現したいだけです。
神は私が山に登るのを許され、
私は頂上から約束の地を見たのです。
私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、
ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。
今夜、私は幸せです。心配も恐れも何もない。
神の再臨の栄光をこの目でみたのですから。


伊勢爺さんのつぶやき

さあ、みなさん、闘うということがわかりましたか。安倍晋三さんも闘っているけど、おん曹司のゲームです。日本人はかっての日米戦争で330万人が犠牲になった。以来、日本人は卑屈になったと思う。マッカーサーは人種差別者だったとは思われない。昭和天皇の人格に心を打たれたからだろう。だが、平和憲法という「くびき」を日本人の首に嵌めた。この憲法は巧みに作られている。婦人憲章や児童憲章や大地主廃止や組合の権利、、一方で、日本人が国を守るための軍隊を持つことまで禁じた。朝鮮戦争が起きて、自分が作った憲法を自分で破った。「自衛してくれ」と吉田茂さんを拝んだのだ。留守中に、ソ連軍が北海道に侵攻することを恐れていた。

このように、白人というのは、自分勝手なのだ。カロライン・ケネデイ駐日米国大使までがね。自分たちが優勢に生きるためには無差別殺人もやるわけだ。

黒人は、400年に亘って苦しんだのだ。リンカーンは、黒人奴隷解放の第一ステップだったが、本当の開放は、このマーチン・ルーサー・キング牧師が一命を掛けて遂げたのである。この人権主義者たち、リンカーンも~ケネデイも~キング牧師も、みんな白人によって暗殺されたのだ。

幕末以来、日本人には「暗殺されても闘う」という人物は出なくなった。だが、330万人の日本人がアメリカ白人至上主義の横暴と戦って犠牲になった。ルーズベルトと、トルーマンのことだ。これを忘れてはならない。伊勢の書いている「外人将軍・マッカーサーの呪縛」はそうとう危険ではある。だが、伊勢爺は絶対に負けない。日本人を開放するために、、伊勢平次郎 ルイジアナ






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坂東忠信さん(前警視庁通訳捜査官)から、メールを頂いた。“共闘が大事だ。頑張ってくれ!”と激励してくれた。リンクから坂東先生のご著書を買えますよ。「在日中国人は相当危険だ~生活保護を収入だと考えている連中だ~同じ人間ではないと、、」さ。残念ながら同感ですね。伊勢

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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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