2014/06/29 (Sun) 伊勢爺を弟子にしてくれ!
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加瀬英明

加瀬 英明(かせ ひであき、1936年12月22日 - )は、日本の外交評論家。東京生まれ。父は外交官の加瀬俊一、母・寿満子は元日本興業銀行総裁小野英二郎の娘である。また従兄妹にはジョン・レノンの妻オノ・ヨーコがいる。自由社社長。同名の別会社・自由社(石原萠記社長)の取締役。元月刊「自由」編集委員会代表。加瀬英明事務所所長。日本躾の会評議員。教育における体罰条項を考える会会長。日本・イスラエル親善協会副会長。

経歴

慶應義塾大学卒業後、イェール大学・コロンビア大学に留学。1968年から1970年までブリタニカ百科事典の初代編集長を務める。​[要出典]​青年時代から、外交官である父・俊一の影響を受けて育った事などがきっかけで、評論・執筆活動をおこなうようになる。海外での講演活動も多く、シカゴ大学・ペンシルベニア大学などで講演している。政財界でも活動し、福田赳夫内閣・中曽根康弘内閣の首相特別顧問、福田赳夫・大平正芳・鈴木善幸内閣の外相特別顧問などを歴任している。

日本会議代表委員・東京都本部会長、「史実を世界に発信する会」の代表委員を務める。新しい歴史教科書をつくる会の賛同者でもあり、歴史論争、歴史教科書問題にも積極的にコミットしている。同会の分裂で、八木秀次らが設立した「日本教育再生機構」の代表委員となったが、一方で、つくる会の新たな教科書発行元として自らが役員を務める自由社をつくる会に紹介。2008年9月、同名の別会社・自由社の社長に就任し、つくる会支持を鮮明にした。体罰を容認する著名人で作る「体罰の会」会長。

『醜い韓国人』論争

1993年3月に出版された朴泰赫著『醜い韓国人』(光文社刊)は、“元新聞記者の韓国人ジャーナリストが自国の歴史認識を反省し日本による朝鮮半島植民地支配(韓国併合)を肯定した”(=親日派の)本として話題を呼び、ベストセラーとなった。後書きを加瀬が執筆していたことから、発売直後から韓国内では黄民基や統一日報の申東薫記者らが「著者の肩書きは偽名であり、加瀬によって書かれた物ではないか」と非難の声が上がった[2][3]。加瀬はそれを否定し、1995年に朴との共著として『醜い韓国人 歴史検証編』(光文社刊)を出した。ただし、この書籍には第三者が立ち会っていないため真偽は不明。また朴が勤務していたという新聞社の名は記述されていない。一方、申の側は非難を続けた。

慰安婦問題とアメリカ下院決議

慰安婦問題に対して日本の責任を否定する立場であり、アメリカ合衆国下院121号決議に反対している。日本文化チャンネル桜が中心となって在日アメリカ大使館に手渡した抗議書にも賛同者として名を連ねた。

南京事件問題

南京事件についても、「虚構に基いた中国のプロパガンダであり事実性はない」と根本的に否定している。2007年12月6日には東京千代田区の九段会館で行われた「南京陥落70年 国民の集い 参戦勇士の語る『南京事件』の真実」(南京事件の真実を検証する会主催)の冒頭挨拶で改めて南京事件の虚構性を主張した[8][9]。加瀬は「東京裁判において東京大空襲や広島・長崎への原爆投下をそれを上回る残虐行為を働いた事が必要となり、そこで南京大虐殺を捏造されたのである」と述べている。

月刊「自由」編集委員会代表としての活動

編集委員会代表を務める月刊誌「自由」2007年10月号の「巻頭言」では、終戦時の昭和天皇の態度について「要は天皇以下、当時の指導者たちには、国民に対する責任感が全くなかった。この無責任な人間としての心を失った姿が、戦後日本の狂いの初めであると思う。苦境に際して、己の責任を回避して、他に責任を転嫁、己の生き残りを優先する。迷惑をかけた人々に対し、何らの責任を取ろうとしない。この無責任体制が、今日の日本をもたらしたと言えないか」、「先の参議院選挙で、戦後最強の保守勢力・自民党が歴史的大敗北をした。その時とった、安倍総理の姿勢をみて、思わず敗戦時の昭和天皇のことを想い出した。安倍総理も彼を支える側近の人たちも、終戦時の天皇同様、責任を回避する言動に終始し、党・支持者に対し、責任を取る発言をしなかった。そして世論の過半数が辞めるべきだというなか、総理は内閣続投の意思表示をするだけだった。敗戦時に天皇や側近者たちが、敗戦の責任を国民に詫びることなく、天皇制度の維持画策に狂奔したのと全く同じである」と書いた。これには昭和天皇を敬愛する一部の者から批判の声が上がっている。

統一教会・勝共連合との関係

世界基督教統一神霊協会(統一教会)の政治団体である国際勝共連合主導で1979年2月24日に結成されたスパイ防止法制定促進国民会議[10]の発起人に名を連ねている。

著書

『二十歳の眼 ある大学生の世界紀行』(東都書房 1958年)
『日本第二帝国論』(実業之日本社 1971年)
『新聞批判入門』(浪曼 1974年)
『英国と日本』(自由社編集部 自由社 1975年)
『天皇家の戦い』(新潮社 1975年) のち文庫 
『会社人の英語教室 英語がシンから楽しくなる本』(徳間書店 1976年)
『日本人の悲劇 日本を滅ぼすものはなにか』(日本経済通信社 1976年)
『誰も書かなかった北朝鮮 「偉大なる首領さま」の国』(サンケイ出版 1977年)
『日本人の発想・西洋人の発想 新個人主義のすすめ』(講談社 1977年)
『大爆発』(サイマル出版会 1978年)
『日本の良識をダメにした朝日新聞』(山手書房 1978年)
『個性の時代 ミーイズムのすすめ』(講談社 1979年) のち文庫 
『個性時代の生き方 自分をどのようにつくるか』(竹井出版 1980年)
『なぜ第三次大戦か つのる危機・自由世界崩壊のシナリオ』(徳間書店 1980年)
『鏡のない国 世界の知識人がみた日本』(山手書房 1981年)
『日米同盟今後の二十年』(自由社 1981年)
『日本外交の二つの選択 日本は正念場に立たされた』(グラフ社 1984年)
『神秘なる天皇』(日本教文社 1985年)
『自立のすすめ 覇気と個性を創造するために』(講談社 1986年)
『私の日本外交危機白書 アメリカはふたたび日本を敵とするか!?』(学習研究社, 1991年)
『日本人を語る いまだかつてこんなユニークな日本人論はなかった!』(たちばな出版 1994年)
『「恨(ハン)」の韓国人「畏まる」日本人』(講談社 1988年)
『総理大臣の通信簿 政治実績から歴史感覚の有無まで、戦後・歴代総理23人を全採点!』(日本文芸社 1995年)
『アジアは激動の時代に入った こうすれば日本は生き残れる』(廣済堂出版 1997年)
『金正日最後の選択 その日、“核"が日本だけを襲う』(祥伝社 1999年)
『イギリス衰亡しない伝統国家』(講談社+α新書 2000年)
『これほど軍歌が歌われている国はない 私の半成記』(黙出版 2001年)
『ムルデカ17805』(自由社 2001年)
『ユダヤ・ジョークの叡智 逆境も窮地も、笑いで切り抜ける』(光文社知恵の森文庫 2003年)
『独裁者 その怖ろしくて滑稽な実像』(グラフ社 2003年)
『日本を誤らせた国連教と憲法信者』(展転社 2004年)
『ユダヤの訓え「大物」になる勉強法』(三笠書房 2007年)
『昭和天皇三十二の佳話 天気予報と空襲警報下の四方拝』(実業之日本社 2008年)
『徳の国富論 資源小国日本の力』(自由社 2009年)
『人生最強の武器笑い(ジョーク)の力 ユダヤ人の英知に学ぶ』(祥伝社新書 2010年)
『自分を「最高に高める」頭の使い方』(三笠書房知的生きかた文庫 2011年)
『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』(祥伝社新書 2011年)
『なぜ、両国は運命共同体なのか/日本と台湾』(祥伝社新書 2013年)


加瀬英明先生から贈り物

photo (20)

今朝、土曜日、郵便配達の車がうちの前で停まった。加瀬英明先生から特別郵便だった。中を開けると、「天皇家の闘い」であった。加瀬先生が三十歳のお若さで、週刊新潮に、昭和49年5月9日号から翌年の4月10号まで、一年連載されたものである。先生は先週は、イタリアへお出かけだったとメールを書いて下さった。伊勢爺への思い入れ、、弟子にされるお考えかな?そうでありたいものです。伊勢平次郎





速報

表紙満州を掴んだ男_convert_20140613094250

あと、3日で完成します。題名も変わるし、一冊のなかに、戦前と戦後の二部がある。ご期待乞う。伊勢

comment

<えーと米国では彼らは人種差別?それとも表現の自由を汚したことに
なるのですか?

米国ではでなく、「サヨク脳」とはそういう脳です。日本でも、、今でも高学歴になるほど、「日本は侵略国家だった」とね。伊勢
2014/07/02 03:41 | 伊勢 [ 編集 ]

えーと米国では彼らは人種差別?それとも表現の自由を汚したことに
なるのですか?

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140701/amr14070110140002-n1.htm
河野談話検証「容認できない」 マイク・ホンダ氏ら米下院議員18人が
非難の書簡、駐米大使に
2014/07/01 21:36 | [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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