2014/07/07 (Mon) 高い壁に突き当たっている日本の企業に、、
   名を成すは常に困窮のときにあり、事の破るるの多くは得意のときにあり~逆境の時こそ、先見性と機動力を試すチャンスである~成功は窮苦の間に芽生えており、失敗は 得意満面の間に宿る。越後正一

越後正一

越後 正一(1901年(明治34年)4月26日 - 1991年(平成3年)4月2日)は滋賀県出身の実業家、元伊藤忠商事社長・会長。

略歴

1901年(明治34年)4月26日、滋賀県愛知郡葉枝見村(現彦根市)に生まれる。1916年(大正5年)2代目伊藤忠兵衛宅に書生として入り、同宅より学校に通い、八幡商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)を経て、1924年(大正13年)に神戸高等商業学校(現神戸大学)を卒業した。伊藤忠入社後は数々の大相場をものにし「繊維相場の神様」と呼ばれ、伊藤忠商事を世界最大の繊維商社に押し上げる立役者となった。特に、1927年(昭和2年)の綿糸布部長時代の大相場における大勝利は丸紅が綿糸経営から撤退するきっかけとなり、また1930年代からの常務時代の毛糸買いは特に有名である。1960年(昭和35年)の社長就任後は瀬島龍三らを重用し、伊藤忠の「総合化と国際化」を掲げ、非繊維部門の拡充と海外進出を推進した。1974年(昭和49年)に社長退任するまでの間、日本が高度経済成長期という環境にあったものの、在任中に資本金6.5倍、人員2.7倍、売上高10倍、グループ会社数2.5倍と大きく発展した。

受賞

1963年(昭和38年) 藍綬褒章、大阪府知事産業功労賞
1971年(昭和46年) 勲二等旭日重光章
1978年(昭和53年) オーストリア大銀功労章
1982年(昭和57年) オーストリア名誉総領事、勲一等瑞宝章
1988年(昭和63年) 経済界大賞(第14回 寿賞)

越後正一に係る書籍

「経営のこころ 第3集」(日刊工業新聞社 1973年)
「江州商人、越後正一商社界の鬼といわれて」(真島弘著 現代創造社 1980年)
「私の履歴書 16」(日本経済新聞社 1981年)
「大阪商人道を生きて。人生と経営哲学」(ブレーンセンター 1988年)
「人あり縁あり。十一人の財界交遊記」(吉田伊佐夫著 文芸社 2000年)

伊勢爺のお薦め

   安倍晋三総理大臣は、外交に長けている。中国包囲網は着々と進んでいる。それは、日本の国防という広範囲なものでなく~尖閣または東シナ海における日本の領土領海の防衛なのである。一方で、アベノミクスは高い壁に突き当たっている。安倍首相は、企業家ではない。企業が何であるかがよく分らないようである。経済は一生を要す。体験者にしか分らないものである。首相の過密なスケジュールでは、無理もない。だから、麻生太郎さんがいるわけだ。だが、麻生さんが経済ビジョンを述べたことはない。企業は広範囲にわたり、全てを把握するのは不可能だからである。こういうときこそ、先達の「教え」を読もうではないか。まずは、「精神」から再出発することである。伊勢平次郎

速報

表紙満州を掴んだ男_convert_20140613094250

300ページの原稿が書きあがったのですが、キンドルでは拡がらないので、紙の本にして出版する道程です。コピー権の問題があるため、ブログで出すことが出来ません。出版できた暁には、ご寄付を頂いた方々に贈呈する考えです。よろしく、、伊勢平次郎




comment









ブログ管理人にのみ表示を許可する

プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する