2015/03/05 (Thu) アメリカ実業家伝・写真時代(その8)
BO Camel train 1828

1828年、アメリカで最初の蒸気機関車である。「ラクダ」と名付けた。現在のワシントンの北80キロにあるボルティモアの港から西へ20キロの線路が敷かれた。アメリカと言っても、イギリスから独立して16年目だった。だが、アメリカ中が興奮した。ところで、この写真だが、1838年頃と思われるのだ。なぜか?




これが、1838年、世界で始めて撮られたパリの風景なのだ。ダゲールによる写真『Boulevard du Temple』。10分以上の露光により道路を行きかう人馬は全く写っていないが、唯一画面左下に片足の靴を何かに乗せた人物が写っている。おそらく初めて写真に写った人物と思われる。 Daguerreotype Louis Daguerre 1838 earliest photographer


daquereotype 1838

「ダゲール型写真機」と日本では呼ばれた。



銀板写真が発明されたのは1839年であるが、その4年後の1843年にはオランダ船により長崎に日本の最初に写真機材が持ち込まれている。当時長崎の御用商人で蘭学者あった上野俊之丞(上野彦馬の父)は、その機材をスケッチしているが、機材自体は持ち帰られた。1848年には島津斉彬が銀板写真機材を入手し、市来四郎らに研究を命じているが、銀板写真は薬剤の調製が難しく、市来および、薩摩藩士宇宿彦植右衛門が写真撮影に成功したのは1857年9月17日と言われている。他方、1854年にペリーが再来航した際には写真家のエリファレット・ブラウン(Eliphalet M. Brown, Jr.)を伴っており、人物や日本各地の風景撮影している。日本に写真館が出来たのが1860年であると。だから、坂本竜馬、福沢諭吉、咸臨丸、万延元年遣米使節、、全て写真が残っている。



1960年の春、写真に興味のあった福沢諭吉がサンフランシスコの写真館へ出かけた。アメリカ人少女と写っている。


BO 1865

これが、南北戦争の終わった1865年の「ボルティモア・オハイオ鉄道」の機関車だ。1872年、日本に蒸気機関車を持って来たのはイギリス人技士たちだ。日米の工業力にはこれほどの違いがあると気が着いてください。現在でも、、


BO railroad station

これが、南北戦争時代のボルティモア駅だ。また、アメリカ大陸の有利さは広軌が採択されたことだろう。イギリスも、日本も国土が狭い上に山が多い。だから狭軌を選んだと。広軌ならば、機関車も客車も大きくなる。さらに貨物なら長く出来るわけだ。蒸気船も、福沢らが渡米したときには、3万トンの軍艦があったのである。日本の殿様たちは「驚いた」と日記に書いた。アメリカは大陸であることから、全てが大きいのである。不細工に見えるほど大きいことを考える。伊勢が初めてGMの塗装工場を日本人技士たちと見学したとき、「化け物屋敷か?」と思った(笑い)。飛行機でも、ライト兄弟は始めから小さい考えなど持っていなかった。一方で、日本人は、国土や住居や人間関係の狭さから、どうしても小さくものを考える。これは、これで、たいへん価値がある。近代では、写真機も、顕微鏡も、腕時計も、医療の手術器具も、小型自動車も、オートバイも、日本の製品が世界を埋めている。小型の物作りが得意なら市場は無限だからね。がんばれ!


BO map 1860

南北戦争時代、「ボルティモア・オハイオ鉄道」が北軍の拠点オハイオから、馬~大砲~兵隊~食料~技士、、をボルティモアに運んだ。戦場がバージニアとペンシルバニアだったからだ。さて、今日はここまで、、伊勢平次郎

~続く~


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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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