2015/08/12 (Wed) 稲田朋美政調会長が正しいのだよ
2015-08-11 18.38.41

自民党の稲田政調会長は、14日に発表される戦後70年談話について、侵略やおわびといった言葉は不要との見解を示した。稲田氏は「侵略という言葉が入っているかどうかということに、私はこだわる必要はないと思います。未来永劫(えいごう)、謝罪を続けるというのは、違うと思います」と述べた。

防衛も侵略もどっちも戦争なんだ。日本帝国の罪というのは負けたことだけだよ。「ニッポンはなぜ戦争したのか?」だと?このようなテレビ報道をしているなら、また負けるだろう。伊勢爺は、こういう女性と一緒に生きていく。靖国に参る人々と生きていく。それにしても、左のハゲは醜いわな(笑い)。伊勢平次郎 ルイジアナ


manchuria 10


連載小説「憲兵大尉の娘」(8)

豆満江の鉄橋を渡ると図們である。地図を見ると、羅津港から160キロの距離だ。山稜が重なっており畑が広がっている。トーモロコシ畑に農民が見えた。朝鮮族だと軍曹が言った。

「図們で石炭と水を補給するために二時間停車する。兵は散歩に行って良し」と鎌田中尉が軍曹たちに言っているのが聞こえた。散歩に行けといわれても何もない。石の上に座ってタバコをふかすだけであった。炊事兵が握り飯を配った。兵たちから離れて、八十人ほどの一般人がやはり丸太や石に腰かけていた。

「あの連中は何だ?」

「満蒙開拓団ですよ。ここから北へ行くんです。牡丹江の北の密山(みっしゃん)が最大の開墾地なんです」と炊事兵が言った。長谷川がそれを聞いて青森の渡満した一家を想い出していた。教え子が来て「親が満蒙開拓団に応募した」と言った。優秀な学生だったので勿体ないと思った。ちなみに、昭和十一年の高等学校というのは、帝国大学への予備教育を行う大学予備科なのである。現在の高校は当時では、一般教育の旧制中学であって、「生徒」と呼ばれたのである。

「われわれ青森歩兵連隊から百名が図京線で牡丹江へ行く。そこから北へは行かない」




長谷川は青森連隊が北へ行かない理由を知っていた。最北のチャムス(佳木斯) やチチハル (斉斉哈爾) には、前年の昭和十一年に、総理大臣官邸を襲撃して岡田首相の弟や、高橋是清大蔵大臣を射殺した歩兵第三連隊が送られたからである。大臣を射殺したのは青年将校たちだったが、上官の命令に従った下級兵士は、「反乱軍」と烙印を押された。反乱軍は、総理大臣官邸~警視庁~内務大臣官邸~陸軍省~参謀本部~陸軍大臣官邸~東京朝日新聞を占拠した。驚くばかりの大胆さである。首謀者の青年将校たちは銃殺刑となった。満州の激戦場から生還した歩兵第三連隊の日本兵の話では、歩兵第三連隊の出発に先立ち、連隊長は「お前たちは事件に参加したのだから、渡満後は名誉挽回を目標に軍務に精励し、白骨となって帰還せよ」と訓示したという。何となく「騎兵憲兵の自分は北満に送られる」と長谷川は思った。

「斉斉哈爾、、不思議な字だなあ」とひとりの初年兵が言った。

「女真語だよ」

「ジョルチン?ここは支那じゃないんですか?」

そこへ汽車が入って来た。客車二両、貨車六両を引っ張っているだけである。駐屯兵がそのうちの四車を長谷川たちの軍用車の後尾に連結させた。「満拓団」と呼ばれる満蒙開拓団の一団が客車に乗り込むのが見えた。「こうしてあの青森の一家も北満へ行ったのだろう」と長谷川が思いに耽っていた。タバコをふかし終わると、七百人の初年兵たちが新聞紙の切れ端を持ってトーモロコシ畑に入って行った。雨雲が開拓団の列車が消えた北の方角に拡がっていた。帰ってきた兵隊たちが井戸で水筒に水を詰めた。

「出発するぞ」鎌田中尉と子分の軍曹たちがガナッタ。図們(ともん)の次は延吉(えんぎ)である。「朝鮮族自治区」と書いてあった。満州にはソ満国境と蒙古国境の他に国境などないのである。袁世凱の支配する中華民国はというと、万里の長城が始まる山海関以南なのである。延吉には停まらなかった。満拓も入植していないし、北へ伸びる鉄道線もないから用がなかったのだ。

前の章で「朝鮮北東部の羅津港が満州への最短距離」と書いた。長春~大連港は距離が鉄道で約七百キロメートルだが、長春~羅津港は四百キロメートルと約半分で済む。図們を出てから吉林を通り、新京こと(長春)に約五時間で着いた。南新京駅はすっかり闇に包まれていた。小雨が降り始めた。七百人に減った新兵たちは、暗闇の中を兵舎まで行進して行った。兵舎に着くと風呂に入った。風呂から出ると高粱酒付きの北方包子(ぺいぴんぱおず)が並んでいた。東北の寒村の若者が始めて見た点心や北平烤鴨(アヒル)だった。初年兵さまをアヒルで大歓迎っていうわけである。秋田~岩手~青森の兵隊は稗(ひえ)一杯の粥にもありつけない親や幼い弟妹に食べさせたかった。

「お前ら、明日一日は休息である」と鎌田に代わった髭面の関東軍歩兵連隊長が大声で言った。上等兵が赤い熨斗の付いた祝儀袋を配った。上官らは何故かにやにや笑っていた。満州の夏は湿気が強い。だが、初年兵たちは、褌(ふんどし)一つになって煎餅布団に転がるやいなや、もうグワ~グワ~と鼾をかいていた。

長谷川は兵たちと一緒に寝なかった。村田憲兵中尉が兵舎の一隅にある関東軍憲兵隊司令部の士官宿舎に連れて行ったからである。仕官宿舎はベッドで天井には扇風機が回っていた。雷が聞こえた。兵舎の外は豪雨になっていた。

                        ~続く~






ということで、海外広報に、ご献金を頂きたい

日本人で、伊勢一人がブルームバーグ紙で論戦している。アメリカ人は100%伊勢の「中国批判」に賛成なのです。とくに、日本に配備された米海軍軍人はね。「日本海軍は兵士も艦船も中国海軍よりもダントツに優れている」と書いてくれた。だが、今日はアメリカを批判した。

Iseheijiro • 9 hours ago
Japan is a sovereign nation and the closest ally to the US. Japan is not a lapdog of US. They agree if the US request is legitimate such as Okinawa bases. Majority of Japanese oppose Abe's reinterpretation of their constitution. They claim there is not enough explanation to change. However, that is not the real reason. Japanese public does not trust US from time to time. For example, George Bush's private war with Iraq 2003, another is Hiroshima/Nagasaki atomic bombing that killed innocent civilians August 1945.


A) 振込口座

1)金融機関   みずほ銀行・上大岡支店・支店番号 364
2)口座番号   (普通)    2917217
3)口座名    隼機関   ハヤブサキカン

B) 郵便局口座

1)口座番号  10940-26934811
2)口座名    隼機関   ハヤブサキカン


*7月30日、MIZ・TAKさまから、20、000円~ 7月25日、SHO・KATSUさまが、5、000円を下さった。7月23日、YA・HIさまが、10、000円を下さった。WA・EIさまが今月も(毎月)、1000円の寄付を下さった。たいへん感謝しています。有難うね。日本はまだまだ、経済も、国防も、米国政府の援助が必要なのです。伊勢爺の論戦はそこに重点を置いたものです。アメリカを批判するのも、アメリカに失敗されたくないからです。伊勢


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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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