2015/08/15 (Sat) 連載小説「憲兵大尉の娘」(9)
Hokkaido, China, etc 021 (Small)

2005年、「反日デモ」が吹き荒れる中、北京へ行った。これが盧溝橋である。マルコポーロ橋という。写真はわがカミサンが撮った。伊勢は64歳だった。若く見えるわな(笑い)。「憲兵大尉の娘」を書きなぐっていて、主人公を北満ではなく、万里の長城の南に送ることにした。俄然、面白くなった(笑い)。つまり、日中戦争を小説で解説できるからである。

安倍晋三さんが「おわび」とやらをしたが、この半永久的な謝罪の元はこの日中戦争なのである。伊勢は「謝る」ことや「侵略を認める」ことに大反対である。これほど腰の抜けた総理大臣を日本の歴史上見たことがない。呆れてモノも言えない。伊勢平次郎 ルイジアナ


連載小説「憲兵大尉の娘」(9)

kantougun kenpeitai HQ

新京特別市にあった関東軍憲兵司令部だ。左に関東軍総司令部がある。伊勢の父親はこの総司令部によく出かけた。


長谷川は朝早く目が覚めた。目覚めのいい男なのだ。雨はすっかり止んでいたが、湿気が凄かった。長谷川には新兵の休暇は与えられなかった。士官宿舎から関東軍憲兵司令部が見えた。左に関東軍総司令部の三つの天守閣が見えた。長谷川は「下士官が仕官宿舎に泊められた。憲兵になる自分の任務とは何だろうか?」と窓の外のポプラの樹を見ていた。不安はなかった。「自分は生きて青森に帰る」と決めていた。部屋にメシ~秋刀魚~味噌汁~梅干を給仕兵が持ってきた。食事の後、長谷川は憲兵司令部へ歩いて行った。司令部の建物の前に誰もいないのに驚いた。よほど自信があるのだろうか?だが、右横の建物から銃剣を持った兵隊が二人が走ってきた。

「誰か?」と誰何された。身分証明を見せると一人が「着いて来い」と玄関へ向かった。中に入ると、ひんやりとしていた。事務官が立ち上がった。二回の階段を上がって司令官室に入った。

「浜中だ」と口髭を生やした中年の司令官が言った。黄金色の地に三本の線と三つ星。大佐の肩章。飾緒と左官の紋章。挙手敬礼をした長谷川道夫が緊張した、、浜中大佐の横の机に書記官が座っていた。会話を記録するためだった。

「君は、盧溝橋事件を知っているか?」

「いいえ、存じません。旭川歩兵大隊で歩兵訓練を受けておりましたので存じません」

「盧溝橋事件は、先月七月七日に北平の西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件である」と浜中大佐が壁の地図を棒で示した。ちなみに北平というのは中華民国の首都である。1949年、毛沢東の共産革命以後、北京と改名された。


manshu map railroad

このマップは長谷川の頭に既に入っていた。奉天~葫蘆島(コロ島)~天津~北京への京奉線も知っていた。張作霖が爆殺された交差点が奉天駅の南だと知っていた。田中義一総理大臣が天皇陛下に叱られ、失意のうちに病死したと聞いた。リットン調査団が現地を調査した。関東軍憲兵隊がやったことは明白な事実であった。爆殺した理由は、張作霖が中華民国の皇帝になる野心を持ったからである。つまり、「いずれ日本の敵になる」ということであった。「コミンテルンの仕業」という説もあるが、長谷川は合理的でないと思った。

地図を見ながら長谷川が考えごとをしていると、「君に北平に行って貰う」と大佐が長谷川を驚かしたのである。

「三日間の講習を受ける。この任務は日本の運命に拘わるものだ」と言ってから書記官を手招いた。書記官が一枚の命令書と小冊子を長谷川に渡した。長谷川道夫がゲートルを巻いた足を揃えて浜中大佐に敬礼をした。そして踵を返すと部屋を出て行った。

                             *

関東軍総司令官の植田 謙吉は、陸士10期~陸大21期~大日本陸軍大将正三位勲一等功三級という恐ろしい履歴を持つキャリア軍人であった。その下に参謀総長がいる。またその下に参謀副総長がいた。参謀は佐官クラスである。長谷川は自分の階級が気になった。現在は、訓練も不十分な二等兵なのだから、、すると、長谷川の心配が読めるのか副参謀総長が口を開いた。

「君の階級は今検討しているところだ」

「はあ?自分は、騎兵憲兵連隊に加わると思っていました。ハルビンなど満州北部へは行かないのでありますか?」

「その通りである。君は、山海関以南の中華民国に行く」と講習を開始した。教室には十人の受講生がいた。青森歩兵連隊で会った飛鳥憲兵大尉の真っ黒な髭面が見えた。長谷川が会釈したすると飛鳥大尉が微笑した。

                          ~続く~







速報「チャイナの通貨切り下げは失敗する」

IMF Says China's Yuan Isn't Undervalued, Despite Decline
China's currency isn't undervalued despite this week's decline against the U.S. dollar, but the world's second-largest economy still needs to adopt a fully market-based exchange-rate system within three years, the International Monetary Fund said Friday.

The multilateral bank also called on Beijing to reverse in a "timely manner" recent interventionist steps taken after China's stock market fell sharply, while working to maintain liquidity and improve crisis management and oversight of equity markets.

comment

上の投稿さま

有難うね。宝田明さんにメールを書きますね。ぼくは、葫蘆島から引揚げられた人々の手記も読みました。でも悲惨ではなかったようですよ。ぼくの一家(7)は、わが父が英断して、1944年の夏に新京を引揚げたのです。奉天から朝鮮半島を南下して~アメリカの潜水艦が遊弋する日本海を渡った。戦後は伊勢志摩でした。津や松坂の町から来ていた造船所の人々の子供たちは同級生です。一家心中があった。わが家の横に見える鉄橋から投身自殺した女性~ブロバリン飲んで線路わきで死んでいた男性を姉と見た。賢島駅の便所で首を吊った男性。戦後も敗戦の惨禍は続いていた。

ぼくも戦争に反対なのです。だが、国防は全く次元の違う「最低限必要な武装と戦う意思だ」と信じている。この「憲兵大尉の娘」の書き方はたいへん難しいものです。歴史を書いているのではありません。戦争礼賛ではありません。昨夜は、1937年の盧溝橋事件を精査していた。「このあたりから侵略戦争かな?」というのはシンプル過ぎる。日本軍に全て罪があるとも思われない。なぜなら、アメリカは蒋介石(中華国民軍)を後押しし~ソ連は張学良や共産匪を後方支援しているからですね。つまり、国共抗日戦争をけしかけている。中国が一枚岩であった時代だのなく~つねに内戦で殺し合っていた。日本が泥沼にズブズブと入っていく様子が見えた。それほど、国際政治というのは非情なものなのです。日本の罪は日本国民を死に追いやったことです。

現時点の中国の脅威もそのひとつです。安保法案は安倍さんが正しいのです。中国の暴挙を押さえられるのはアメリカだけなのです。日本は、妻の立場だからですね。属国をVassal Stateという。日本は、決して属国ではありませんし~アメリカの先兵でもありません。ぼくの書いた「徴兵」を誤解なきよう。伊勢
2015/08/17 13:54 | 伊勢 [ 編集 ]

http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150812-OYT8T50066.html

終戦の満州、悪夢の始まり…俳優 宝田明(81)さん語る

12歳で満州(現中国東北部)から引き揚げるまで、日本の地を踏んだことが
ありませんでした。父は、朝鮮総督府の 海軍武官だった祖父の勧めで、
鉄道技師として朝鮮総督府鉄道に入り、私も朝鮮で生まれました。

2歳の時、父が南満州鉄道勤務になり、満州に移りました。小2から終戦まで
暮らしたのはハルビンです。軍国少年だった私は、円谷英二さんの特撮とも
知らず、映画「ハワイ・マレー沖海戦」の飛行機の雄姿、爆発シーンに熱狂、
兄2人に続き関東軍に入って「日本の北の防塁たらん」と使命感に
燃えていたのです。

1945年8月9日夜、轟音ごうおんで家族全員が跳び起きました。
敵の飛行機が旋回し、ハルビン駅近くに火柱が立っていました。
そして15日。玉音放送で敗戦を知り、五臓六腑ごぞうろっぷを
えぐりとられたように、全身から力が抜けました。

日本の軍隊は武装解除し、無政府状態の街にソ連軍が侵攻してきたのです。
悪夢の始まりでした。

・ソ連兵略奪、暴行の限り

ソ連兵はやりたい放題でした。略奪、暴行、陵辱の限りを尽くし、
日本人は子ヤギのように脅えていました。家に押し入られ、こめかみに
冷たい銃口を突きつけられるなんて、想像つきますか? 
私は恐怖で歯ががたがた震え、かみ合わすことができませんでした。

生きるために何でもやりました。靴磨きやたばこ売り。ソ連兵から黒パンの
切れ端をもらうためです。そのうち強制使役の命令が下りました。
父と中学生の三兄と私の3人が毎日交代で、ハルビン駅のそばから
貨物列車まで石炭を運びました。列車には関東軍の兵隊さんたちが
次々に乗せられ、北へ向かいました。シベリア抑留のために働いたのかと
思うと、辛いです。

・腹に銃弾はさみで摘出

出征した兄が乗っているかもしれないと、私はホームを歩き回りました。
その時です。

ダダダダッ。見回りのソ連兵に撃たれたのです。転げるようにして家に
戻りました。右腹が熱くて仕方がありません。血だらけでした。
1日我慢したら、はれて悪化するばかり。元軍医という人に来てもらい
「緊急手術」です。

麻酔も手術道具もありません。裁ちばさみの刃を焼いて消毒し、傷口を
切り開きました。「ジョリジョリ、ザクザク」。人の肉を切るあの音、
今も耳から離れません。出てきたのは、使用が禁止されているはずの
ダムダム弾。鉛がつぶれて体内に広がる恐ろしい銃弾でした。
糸も針もないので傷口はそのままでした。


ロシアには優れた芸術家が多い。バレエも映画も音楽も素晴らしい。
でも私は観みたくも聴きたくもありません。ソ連兵が憎い、
ロシアという国が憎い。すべてを否定してしまいます。
恐らく死ぬまで変わりません。記憶は焼き付き、心のアルバムに貼られ、
破ることも消すこともできない。中国などアジアの国々には、日本に対し、
私と同じ感情を抱いている人もいるのではないでしょうか。



46年11月、日本への引き揚げが決まりました。最も気がかりだったのは、
三兄が強制使役に行ったまま、半年以上戻って来なかったことです。
やむなく両親と弟と私の4人で出発することになりました。
父の生家がある新潟の住所を紙に書いてホームの鉄骨に貼り、
「必ず来い」と呼びかけ文を付けました。

引き揚げ船が出るのは、南満州の葫蘆島。ハルビンから列車に乗り、
野を越え山を越えて、2か月半かかりました。食べ物もなく、赤ん坊を
死なせるよりはと、途中で中国人に託す人もいました。弟は6歳でしたが、
よく頑張って付いてきたと思います。

博多港から列車を乗り継いで、新潟に着いた時はぼろぼろでした。
生活のため、母は魚の行商を始めたのですが、47年冬のある日の午後、
母の手伝いをしていると、軍隊の外套をまとい、顔に傷のある男の人が通り、
役場の場所を聞かれました。1時間ほどで戻って来て、何度もこっちを
振り返るのです。それが、ハルビン以来、行方不明だった三兄だったと
わかった時はもう……抱き合って、涙、涙でした。

兄はソ連軍の兵舎で飯炊きをさせられ、やっと解放されて社宅に戻ったら
誰もいない。一人で南へ南へと歩き、密航船に乗るためお金を稼ぎ、
九州上陸後は日本海沿いに歩いてたどり着いたというのです。
15歳の少年にはあまりに過酷な体験。自分は家族に見捨てられたという
思いが消えず、しばらくして家を出ました。

私が東宝に入って、グラビアに出るようになると、
「よかったな。足しにしろ」と、300円を送ってきました。
本当は心の温かい三兄でした。63歳で亡くなったのが悲し過ぎます。
次兄は復員しましたが、長兄は戦死しました。

無辜の民をも引きずり込んで一生を狂わせてしまう。それが戦争なのです。



たからだ・あきら 俳優。1934年朝鮮・清津(チョンジン)生まれ。
2歳の時、満州に移り、終戦をハルビンで迎える。高校卒業後の53年、
東宝第6期ニューフェースに合格。54年、映画「ゴジラ」で初主演。
ミュージカルなどの舞台、テレビドラマでも活躍する。

・占領消えない憎しみ

敗戦時、海外には軍人・軍属、民間人を合わせ約660万人の日本人がいた
(厚生省「援護50年史」)。最も多かったのが満州で、約155万人。
満州を占領したソ連は在満の日本資産を持ち去るばかりで、邦人保護に目を
向けなかった。頼みの綱の関東軍も満鉄も1945年9月末までに消滅し、
残された日本人は寄る辺を失う。宝田さんの苦闘は、そうした中で始まった。

父親は古武士のように威厳のある人だった。中国人部下とも分け隔てなく
付き合い、慕われていた。社宅に中国の人たちが来て酒を酌み交わす
父の姿を、誇らしく思ったそうだ。

中国語が堪能な宝田さんは映画界に入った後、台湾や香港の映画に1人で
出演し、中国関係者から直接、日本軍の話を聞くことがあった。
「私がロシアを許せないのと、根っこは同じ」で、中国の人の苦しみを
伝えるのも自分の役目と感じているという。

「若い時は当たり障りのないことを話して、いつもニコニコしていた」が、
還暦を過ぎた頃から積極的に発言するように。「今は一人の人間として率直に
意見を言います。間違ってもあのような戦争を起こしてはならない、と」。
声に一段と力がこもった。

2015/08/17 09:18 | [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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