2015/08/27 (Thu) なかにし礼さんの「赤い月」
red moon nakanishi rei

10年前に、なかにし礼さんが書かれた。なかにし礼さんも、牡丹江の生まれで、現在76歳。なかにし礼さんは、引揚者を書いたから、団塊と同じ反戦論者だと思う。それ自然ですけど、上官の命令に背けない兵隊と士官はもっと犠牲が出たわけです。シベリアに連行されて、森林伐採や岩石を割る苦役に使われた。ほとんどが餓死した。逃避行がどんなに悲惨であっても、生きて日本の土を踏んだ民間人は兵隊を悪者にするべきじゃないのです。兵隊にも家族がいたんだからね。戦争責任を論じるほどばかげたことはない。ぼくは、反戦小説は書かない。「戦争と人間」を書いている。目的は非戦平和ではなくて~戦争を回避する心です。伊勢平次郎 ルイジアナ


連載小説「憲兵大尉の娘」(19)




「あれが松花江だ」と飛鳥がハルビン市を指さしていた。長い鉄橋が架かっている。

「関東軍の統治下ですか?」

「1931年9月18日の柳条湖事変の後、1932年に日本軍がハルピンを武装占拠した」飛鳥大尉の講義はこうであった、、

――日露戦争で戦勝して4年後の1909年、初代総理大臣となった伊藤博文伯爵は日韓併合に奔走した。だが、ロシア統治時代のハルピン駅頭で朝鮮民族主義者の安重根の銃弾に倒れた。この暗殺事件後、日本は韓国の併合実行を急いだ。1910年8月22日に日韓併合条約に調印し朝鮮総督府を置いた、、

「馬賊の馬占山軍を追っ払った関東軍はハルビンに最大の兵姑基地を建設した。ハルビン(哈爾浜)は満州最大の戦略要点なのだ。北満州の中心にあり、鉄道の十字路だからね。日本軍にとって、戦略上、最も重要な位置にある」

「その馬占山は今、何処におるんですか?」

「それが問題なんだよ。太原の国民革命軍は蒋介石が総統なんだが、上海危うしと重慶か南京に逃亡したはずだ。そこで、山西省の支那軍を馬占山が率いているという噂がある」

「その噂はどこで聞かれたのですか?」と長谷川が聞くと、飛鳥が驚くことを言った。

「天津租界だよ。馬は天津に潜伏していたとJTチュウが言ったんだ」

「すると、われわれは馬には会えない?」

「多分会えないね」

「それでは何をするんですか?」

「ハルビンからチチハルへ行く」

                            *

「われわれは松花江の川べりの哈爾浜館に泊まる。関東軍指令部には用がない」

「斉斉哈爾(チチハル)って支那語じゃないですね?」

「金とか五金という遊牧民の女真族の言葉なんだよ」

「ジョルチン?遊牧民?」

「満人って何なのですか?」

「漢族も、蒙古も混ざっている。満州に住んでいた連中さ」

輸送機が旋回すると、着陸態勢に入った。滑走路が幾重にも造られている。九十七式陸攻~一時代前の一式九十七式陸攻~九十七式重爆撃機も並んでいた。200機はあった。

「なるほど、大きな航空隊基地ですね」

「あれでも足りない。守備範囲が広いからね」

ふたりは司令部に挨拶に行った。司令官と飛鳥大尉は旧知の仲だった。

「飛鳥君、今度の任務は何なのかね?」

「密偵です。普段着に、ここで着替えます」

「長谷川少尉のことは聞いた」と言った。飛鳥が会釈をした。太原に行ったのは、9月1日。今日は9月の15日。太原の夜襲から二週間が経っていた。長谷川は髭を剃らなかった。飛鳥が「髭を伸ばせ」と言ったからである。

飛鳥が満人服に着替えていた。女真族の格好なのだ。その丸い眉毛の下がった温和な顔は、満人でも日本人とは見抜けないだろう。長谷川はロシア平民の服を着た。

「少尉、これをトランクに入れろ」と飛鳥がロシア士官の服と帽子そしてトカレフを渡した。

「撃ったことがないんです」

「射撃場で教える。トカレフは、トルスキー・トカレバ、略してTT-30/33とも呼ばれる。本来必須な筈の安全装置すら省略した徹底単純化設計で、生産性向上と撃発能力確保に徹した拳銃であり~過酷な環境でも耐久性が高く~かつシングルアクション、4条右回り、装弾8発で弾丸の貫通力に優れる。南部大型自動拳銃と同じ8ミリ口径だ」と飛鳥が解説した。

ふたりは奉天の中国人が経営する哈爾浜館のロビーに入って行った。フロントは、「ドブラエ・ウートラ(おはよう)」と言った長谷川を疑わなかった。極東のロシア人というわけだ。憲兵司令部が作った身分証明書を見せた。

「明日、日本総領事館の杉原さんに会う。杉原さんは、三等書記官であられた頃、哈爾外語学校のロシア語の優等生だった。ロシアが建設した東清鉄道の補償金を払う交渉をされたがスターリンは拒絶した」

「鉄橋の向こうはソ連領ですか?」

「いや、黒竜江省だ。ソ連領はアムールの向こう岸からだ」

部屋に入ると、飛鳥が室内を見て回った。盗聴器やカメラはなかったようだ。関東軍の憲兵が抜き打ち検査をするからだろう。だが、ふたりはロシア語と満語で話した。大事なことは紙に書いて話した。

長谷川が青森の家族に絵葉書を書いた。無事であることを知らせるためである。

                          ~続く~







海外広報に、ご献金を頂きたい

日本人で、伊勢一人がブルームバーグ紙で論戦している。中国経済が劣化してから中国人の書き込みがゼロとなっている。いかに習近平が窮地に陥ったかがよく判る。日中貿易を見直すときである。

A) 振込口座

1)金融機関   みずほ銀行・上大岡支店・支店番号 364
2)口座番号   (普通)    2917217
3)口座名    隼機関   ハヤブサキカン

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1)口座番号  10940-26934811
2)口座名    隼機関   ハヤブサキカン


*7月30日、MIZ・TAKさまから、20、000円~ 7月25日、SHO・KATSUさまが、5、000円を下さった。7月23日、YA・HIさまが、10、000円を下さった。WA・EIさまが今月も(毎月)、1000円の寄付を下さった。たいへん感謝しています。有難うね。日本はまだまだ、経済も、国防も、米国政府の援助が必要なのです。伊勢爺の論戦はそこに重点を置いたものです。アメリカを批判するのも、アメリカに失敗されたくないからです。伊勢


新藤兼人さんにメールを出した

[ メッセージ ]
隼速報の伊勢です。1941年、新京で生まれました。一家七人は終戦一年前に日本へ帰りましたが、兄三人は学徒出陣と予科練へ行きました。みな生還しました。「満州を掴んだ男」が現在集英社の手にあります。出版はわかりません。応援してください。ブログで「憲兵大尉の娘」を連載中です。是非、ご覧ください。



comment

「なかにし礼」に言いたい。

お前の思想は日本を滅ぼす。逝け!伊勢

https://youtu.be/SBSxENND8E8
2015/08/27 15:15 | 伊勢 [ 編集 ]

kenji先生

わが母も米子から大阪の紡績工場へ行った。小学校中退です。父母に仕送りするためだった。父と出会い満州へ。女工哀史などを読んでたから、貧しい女性に味方した。サヨクではなかった。だが、政府を疑っていたのです。ぼくもその傾向は強い。真珠湾攻撃を号外で知り、「日本はたいへんなことになる」と確信していた。わが父もです。太原攻略を書きましたが、その後の山東省出兵~徐州~上海攻略~南京~重慶への南下から「戻れない道」を進んだと思う。伊勢
2015/08/27 11:38 | 伊勢 [ 編集 ]

 投稿するところを間違えました。
満州ものはソ連侵攻以後のことが多いが、それ以前の状態などは満州観光案内などを見ればいいと思う。
 また満州事変については、それ以前の満州支那における、支那政府の行動、支那人民の行動などをみればまた別の面が見えてくる。
 当時の国際公法や近代市民社会の原則が支那にはない、朝鮮にはない、またできる要素もないと認識せずに、経済問題(近代経済)のみに見て、行動をしたことがひとつの元です。それが間違いだとは思わない。経済を文化が支えていると判断しているからです。それは西洋近代経済が確立してからの話です。
 国防国防といったが、当時東アジアにおいて海軍を持っていたのはわがくにだけで、国防のラインを海に置けばそれで十分でした。ここが命煮の国防論争の基でした。朝鮮問題はわが国にとってそれのみが本当の問題でス。満州はわが国の生命線と言った当人すら、多分そのようには思っていなかった。国内政治から言ったに過ぎないと思う。
 確か井上寿一氏は当時の普通の日本人はそのようにはおもっておらず、それが正しかったことを経済面から説明しています。
 後はアメリカと軍縮をして、アメリカの軍縮の目的の裏をかくような外交をすればそれでおしまいでした。それは後知恵のように見えるが当時それを主張した人はいくらでもいた。
 今明治以降のわが国の下層階級や明治維新の変遷の記録を読んでいますが、それから見ると、とてもではないが満州支那へ軍事進出している余裕がないじょうたいで、国内の疲弊は半端ではない。
 昭和14年に小学校を出て、大阪へ女工として働きに出た人は毎日、芋と粟を食べており、工場でまあご飯が食べられることに感謝して、更に親へ必死になって仕送りをしている。そのとき都市近郊から来た人々は買い食いや、映画などを見て、更に食事の不満を言っているがそれに対して。我慢が足らないといっている。田植えの草取りに比べれば仕事の苦しさなど問題ではないと述べている。デパートへ行き水洗便所をみて、そこで顔を洗うのかわからず、帰ってきたことを同室の人に話したら、みなが大笑いして、初めて水洗便所をしったとも書いてある。デパートは夢のようだ友記している。時は昭和14年ですよ。そんな状態で支那で戦争ですか?
 いい悪いにかかわらずわが国はこれから貧乏へと進むから、それらの著作は多分わが国の将来に役にたつと見て。読んでいます。わが国の貧しさは国全体から見れば40年代(まだブラジル移民を募集していた)にはなくなったが、各場面を見ると昭和40年代後半にようやくなくなったのではと思う。試みに昭和50年代からだと見ると今日まで、たったの40年です。しかも豊かだったのはその半分の20年でしょう。
 足元を見ることです。
2015/08/27 08:57 | kenji [ 編集 ]

 大東亜戦争前、対米戦論を唱えた、連中の生まれ変わりですよ。
 対米主戦論を唱えた人々の考え方は戦後革新勢力、その他それに類する人々に引き継がれた。
 わが国の歴史、文化、生存の条件を基に考える人は少ない。
 ずばり言うと、古事記、日本書紀は天皇家のお話で、日本のものではないという考えもあるということです。
 それらが重要ではないということではありません。
読んだことはないが、新井白石などは天皇家は山城国の一領主にすぎず、それなりの条件があると見ていたようです。それによって、天皇家の天皇のが途絶えるといけないので、ひとつの宮家をつくった。お国替えはないということです。これが幕府の基本方針で、沖縄の知事など幕府なら、とっくの昔に断絶でしょう。ふと届きという理由で。白石のそれが幕末に役に立ち、現在の天皇家があります。
 元も我々日本人は歴史などという概念を自ら生み出したわけではなく、支那からと明治以降西洋から入ってきたものにすぎず、そのため変なことを主張する人がいる。じれは複雑な問題が出てきます。
 場所を変えればこの手の日本人はうようよいますよ。
教育界には、たとえば、外国の教育理論をもとにして、教えるといった人々と、村山氏たちは同じでしょう。
 最近は国立大学において文系の廃止を言う人がいますがこれはもともと大学が明治のとき西洋のそれを真似て作ったものだから、効率という視点ででてきます。役に立つという視点からでしょう。
未曾有の国難にわれわれは直面している。大東亜戦争前と同じです。私の基本認識です。
2015/08/27 07:36 | kenji [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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