2015/08/28 (Fri) 小僧は寝返ったのか?
hashishita kozo yatou

維新の党所属議員に対しては、「与党に対し、しっかりした野党がないのは日本の危機的状況でもあるので、野党再編をしっかりやってもらう」と述べ、野党再編への期待を示した。 2015年08月27日 19時31分 読売新聞

伊勢爺には、この小僧が何を考えているのかさっぱりわからん。いわゆる「下克上」ではないのか?アメリカ人が日本人を信用しない最大が日本人の持つ「裏切る」性質である。伊勢平次郎 ルイジアナ


連載小説「憲兵大尉の娘」(20)

chichiharu map 1


(20)

長谷川がハルビンからチチハルへの鉄道地図を見ていた。アムール河はさらに北にあった。ハルビンが、最果ての宗谷岬のある稚内と同じ緯度であると気が着いた。九月中旬の気温は平均16度と快適なのだ。それを飛鳥に話した。今日の二人は、憲兵士官の正装である。

「最果ての宗谷岬か。ははは、、だがね、10月に入ると気温はぐんと下がる。外套が必要になる。11月には雪が降る。4月まで春は来ない」


manchuria migration

ふたりは、チチハル行きの汽車の中にいた。客車の壁に「行け満洲へ!」とポスターが貼ってあった。美しい絵である。車内は空いていた。横になって昼寝を決め込む者がいた。飛鳥がくれた鉄道ブックには、――ハルビンから黒河へ行くには、五百四十キロ西のチチハル(斉斉哈爾)で北へ行く汽車に乗り換える。乗り換えせず、そのまま西へ行けば興安嶺の麓の満州里に至る。満州里は地の果てである。チチハルには日本人は四百人ほどが入植しただけである。理由は気候が寒いことであった。「星さえ凍る夜だった」という歌が流行ったと説明があった。

「杉原領事が“ジャポチンスキーに会え”と仰ったが、どこで会うのですか?」

「わからん。向こうから近寄って来る」

「チチハルでは何をするんですか?」

「二・二六事件の叛乱部隊を訪問する」

そのとき、小太りの中年の男が大きなトランクを荷棚に上げて前の席に座った。飛鳥がじっと見ていると男が会釈した。

「ここへ座ってもよろしいでしょうか?」

「当たり前だよ。あなたは満蒙開拓団ですか?」

「いいえ、板前ですわ」と大阪弁なのだ。

「ほう、日本料理屋がある?」

「いいえありません」

「どこで働くのか?」

「歩兵第三連隊です」

「うむ、俺は飛鳥という。こちらは長谷川少尉だ。あなたの料理を食べさせて貰う」と笑った。

「憲兵将校さんですね。何か問題が?」

「チチハル部隊に問題はない。表敬訪問だ」

長谷川は、前年の2月に起きた二・二六叛乱事件をよく知っていた。だが、新聞記事や陸軍省の説明文と大きく違う話しを1500名の叛乱兵から聞いたのである。

「大尉殿、馬占山ですが、黒河へ行けば居場所が判るんではないですか?」

「満州国建国会議まで、馬を殲滅するのか降伏させるのか関東軍は決められなかった。だが、一ヶ月で寝返ったのだ。今は殲滅するしかない。ところで、宇都宮連隊が、100名乗っているな。あれは騎馬連隊だろう」

「第一連隊、第三連隊には、騎馬兵はいないと?」

「歩兵だよ」

「何かあるのですか?」

「いや、ここんところ第五連隊が山西省へ行ってるからだろう。少尉、去年の大晦日、チチハル陸軍監獄で、115名の八路軍のスパイが集団脱獄した。脱獄者のうち20名は途中で射殺され,約90名が再逮捕された。再逮捕者は今年1月4日,チチハル市北大営草原で銃殺された」

「はあ?その調査もあると?」

「ま、そうだが、最前線では憲兵の力には限界がある」

「二・二六の連隊は初年兵が多いと聞きましたが?」

「いや、事件以来この2連隊は極寒の中で強くなっている。不気味な存在なのだ」

汽車が鉄橋を渡った。「カンカン」と鳴る信号機のあるところで速度を落とした。やがてチチハル駅にすべり込んだ。玉村と名乗ったコックがトランクを荷棚から降ろした。そして飛鳥に向かって頭を下げた。二人もトランクを持って降りた。後ろの2台の客車から宇都宮騎兵連隊が降りていた。駅を出ると、下士官が待っていた。三人は、黒塗りのダットサンに乗り込んだ。1935年製ダットサン16型セダンである。日本で最初のベルトコンベアーによる工場で大量生産されたダットサンは一世を風靡していた。

駅を出て草原の道路に出た。丹頂鶴が舞っている。チチハルは高原なのだ。なだらかな山がある。支那大陸は年取った大地なのだ。

「興安嶺は見えるか?」

「いえ、見えません。800キロ西にあります」

「璦琿(アイグン)へ行ったことがあるか?」

「現在、アムール川岸の黒河に基地を建設中なのです。自分は工兵であります。先月行きました」

長谷川はその璦琿(アイグン)に行くと直感した。一体、どういったところなのだろうと興奮していた。

                       ~続く~







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日本人で、伊勢一人がブルームバーグ紙で論戦している。中国経済が劣化してから中国人の書き込みがゼロとなっている。いかに習近平が窮地に陥ったかがよく判る。日中貿易を見直すときである。

A) 振込口座

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*7月30日、MIZ・TAKさまから、20、000円~ 7月25日、SHO・KATSUさまが、5、000円を下さった。7月23日、YA・HIさまが、10、000円を下さった。WA・EIさまが今月も(毎月)、1000円の寄付を下さった。たいへん感謝しています。有難うね。日本はまだまだ、経済も、国防も、米国政府の援助が必要なのです。伊勢爺の論戦はそこに重点を置いたものです。アメリカを批判するのも、アメリカに失敗されたくないからです。伊勢


新藤兼人さんにメールを出した

[ メッセージ ]
隼速報の伊勢です。1941年、新京で生まれました。一家七人は終戦一年前に日本へ帰りましたが、兄三人は学徒出陣と予科練へ行きました。みな生還しました。「満州を掴んだ男」が現在集英社の手にあります。出版はわかりません。応援してください。ブログで「憲兵大尉の娘」を連載中です。是非、ご覧ください。


comment

オリーブオイル先生

こっちでは感触が掴めないけど、目に「詐欺師」と書いてある(笑い)。国会議員?政党の指示が要るよ。伊勢
2015/08/28 23:51 | 伊勢 [ 編集 ]

ラスベガスに手ぶらで来て、空手形でチップを借りてギャンブルを
始める負け組み博打うちです。

いつだったか彼の恩師が「学生時代、不良グループの代弁者となって
立ち回っていた」と評していたのを聞くまでもなく、蝙蝠にすらなれるか
どうかといったところでしょう。

とうとう剥がれたメッキが隠せなくなったのは、先の大阪都構想の選挙で
僅差で敗北した時です。構想の是非はともかく僅差で負けたことは
本人の政治的手腕が未熟だったことの証明であり、紛れもなく博打に
負けたことです。

もう彼は批判にも値しないと思いますが、kenji殿が指摘しているように、
どうやって約束手形を回収するのかが課題です。自民党の議員の片隅にでも
居られたら上出来ですかね。
2015/08/28 21:13 | オリーブオイル [ 編集 ]

kenji先生

<いろいろな約束手形を多分出しているから、それを落とすには政治家である必要がある。

言い得て妙ですね。前のコメントも秀逸だった。ミイラ盗りがミイラになる。これはわれわれにも当てはまるから要注意ですね。

ところで、連載小説を21稿書いて来たけど、面白い?Mephist先生は「相変わらず面白い」と(笑い)。満州はデカクて説明し難いね。伊勢

2015/08/28 18:07 | 伊勢 [ 編集 ]

職業とは恐ろしいもので、橋本氏の職業は弁護士です。したがって事象を見るとき弁護士的な見方しかできないし、その結果は弁護士的になるでしょう。ここを一皮向けないと、政治家にはなれない。非常に難しい。弁護士の言動と見ればよい。民事においては判決という外部の強制力も必要だが、わが国はそれ以前に別のもので決まり、法的世界ではない。 
 橋本氏のやり方は一方に明治以降の法的やり方があるがその間に伝統的なやり方があり、その混交でしょう。
 企業の破産処理などを聞くと、裁判所が管財人を決めると後はそれぞれに法的資格を持っていない、処理屋がおり、それが始末をして後は判を押すだけというのが基本でしょう。
 橋本氏の資金源はなにか、維新の資金源は何か?
これを見るといい。彼は政治家(?)を降りることはできないでしょう。いろいろな約束手形を多分出しているから、それを落とすには政治家である必要がある。
 いろいろ調べると、相当な準備期間をおいて、政界へ出た気がする。その絵図を描いた人々の一員としての橋本氏を見ないと見えないでしょう。
 わが国社会のエスタブリッシュメントは<堀衛門>を利用したように、また坂本竜馬を利用したように、橋本氏を利用しているでしょう。
 ここがわが国の問題のひとつです。
彼は非常に難しい立場にあると推測している。
2015/08/28 14:53 | kenji [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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