2015/08/31 (Mon) 男は、兵になる心を持て!
恋人であり~夫であり~父親ならば、恋人や家族を守る義務がある。つまり、「男は、兵になる心」を持たねばならない。九条の会や、なかにし礼は安全地帯におり~自らを罪人として~自らを武装解除する馬鹿者たちである。伊勢平次郎 ルイジアナ


連載小説「憲兵大尉の娘」

表紙憲兵大尉の娘_convert_20150830145240


(22)

そのハイラルへ出発する朝、起床ラッパが鳴った。憲兵将校が準備するものなど何もない。ただ、トランクは憲兵隊に預けた。それから、背嚢と小銃を貰った。靴も乗馬用のブラウンの長靴に履き替えた。「これ楽チンだな」と飛鳥が笑った。

騎兵たちは忙しかった。厩舎から馬を引き出して営舎内を歩かせた。これは長い汽車の旅に弱い馬にはたいへん重要なことなのだ。騎兵は夫々の愛馬を牽いて無蓋車に乗せた。そして砂糖をくれて鼻を撫ぜた。戦車を積んだ長い貨車が3台列車の真ん中にあった。砲兵が九十五式野砲一機と15センチ榴弾砲を積んだ。飛鳥がそれを凝視していた。


97 chiha 1937

九十七式中戦車チハ


長谷川と飛鳥は連隊長の客室に招かれた。給仕が着いており紅茶の匂いがした。

「紅茶は好きですか?」と川崎少佐と名乗った連隊長が飛鳥に訊いた。

「はっ、女房の次に好きであります」と言うと、連隊長が「わはは」と笑った。憲兵将校には見えない飛鳥の顔が好きになったのである。

しばらく談笑して個室を出た。兵隊の客車に混じった。飛鳥が地図を広げていた。

chichiharu map 1

大興安嶺西麓の低山丘陵とホロンバイル高原の間にあり、ハイラル河の上流で青い草原が広がる、、

「海拉爾(ハイラル)まで七百キロはあるね」と飛鳥が軍曹に聞いた。

「途中で石炭と水を積みますので、16時間はかかります」と体格の良い軍曹が言った。騎兵はみな体格が良い。22歳から26歳の若者たちであった。「兵隊になるなら騎兵がいいな」と長谷川が想った。

「海拉爾ですが、これまた難しい字体ですね?甲骨文字が起源と大学で習いました」

「蒙古語だろう。遊牧民が漢字を当てたのだろう」

「大尉殿、その蒙古ですが、日本の敵なんですか?」

「1922年12月にソヴィエト社会主義共和国連邦が成立してから2年後の1924年、世界で2番目の社会主義国家であるモンゴル人民共和国が成立した。例の張作霖がモンゴルに舌なめずりをしていたが、ソ連を恐れてモンゴルには手を出さなかった。つまり蒙古はソ連の衛星国なのだよ」と飛鳥の知識の高さに長谷川が驚いていた。

「どうして、海拉爾が日本軍にとって重要なんですか?」

「うむ、この地勢を見たまえ。ソ連軍はすでにアムールの南岸に基地を造っている。モンゴルは群雄割拠の歴史である。ハイラルの軍閥は反モンゴルであったが、ソ連には手向かわなかった。この地帯は国境が定かではない。それが原因で日本軍とソ連軍の国境紛争が頻発している。日本軍は、数の上でもソ連軍の戦車部隊に勝てないのだ。三菱重工が中型戦車を造ったと聞いたが積んでる戦車かも知れない。いずれにせよ、日本軍は戦車師団をハイラルへ配備するだろう」

長谷川は科学者の本能で嫌な予感がしていた。このハイラル高原の戦(いくさ)がたった一つの日ソ紛争なのである。筆者は言う。「日ソ戦争」などというものは歴史にはなかったのである。ノモンハン事件を除いて、、

                           *

青い草原のまっただ中で列車が停まった。鉄の馬は7時間走った。騎兵たちが馬を貨車から降ろして草を食わせた。手綱を離しても逃げない。騎兵も弁当を開けて食った。炊事兵が薬缶を持って白湯を配った。その間、機関士たちが石炭を積み込み、水をボイラーに満タンに詰めていた。のどかな昼さがりで、男たちは戦争を一時忘れた。そのとき、爆音が聞こえた。九十七式陸攻が2機並んで翼を上下に振った。騎兵たちが立ち上がって歓声を上げた。

騎兵たちが手綱を持って愛馬を歩かせた。あちこちに小川がある。愛馬に水を飲ました。馬が長い小便を垂れた。軍曹が出発を知らせに走ってきた。鉄の馬が悲鳴に聞こえる汽笛を鳴らすと、煙突からモウモウと黒煙を吐いた。動輪が滑った。九十七式中戦車チハが重いからだ。やがて、ゴトンと動き出した。1937年9月27日の午後4時であった。


(23)

機関車~石炭用無蓋車1台~機銃兵用有蓋車一台~客車三台~戦車用無蓋車3台~馬用無蓋車8台~車掌車が最後尾、、合計で18車の列車が緩やかな坂を登って行った。長谷川の耳に機関車が喘いでいるように聞こえた。そのとき、「戦車が重いからなあ」と言う声が聞こえた。

「後戻りせんやろか?」と兵隊が心配になっていた。

「いや、戻らんよ。砂を動輪に吹きつけてるから」と車掌。

「この辺には蒙古兵はおらん?」

「おるよ。この音じゃ、もう知ってるだろう」

「機銃隊はどうしとる?」

「屋根に乗っとる。心配するな。だが、サンパチに弾を込めておけ」

「曹長、機銃隊をみても良いかな?」と飛鳥が訊いていた。曹長が機銃隊の貨車に案内をした。貨車の真ん中に階段が付いている。飛鳥がサンパチと銃弾の入った箱を持って登って行った。

「飛鳥大尉をタノンマス」と曹長が機銃隊長に言った。

「憲兵大尉さん、ここは戦場です。小銃を撃ったことはありますか?」とタバコをくわえてニヤニヤ笑っていた。飛鳥が兵隊には見えないからだ。飛鳥は返事をしなかった。落語家は屋根を囲んだ鉄の欄干に寄りかかって水筒の水をごくりと飲んだ。

機関士が汽笛を鳴らした。丘陵の中腹に毛皮の帽子が数個見えた。「蒙古兵だよ」と機銃隊長が機関銃の安全装置をガチャリと外した。太原で見たあの九十式機関銃2機が据えてある。

「2000メートルです。まだ安全です」と双眼鏡の兵隊が言った。機関車がぐんと速度を落とした。カーブなのである。カーブを曲がると平たい草原に出た。そのとき、丘陵からポ~ンという音が聞こえた。ポ~ン、ポ~ン、パチパチと客車や馬の無蓋車に当たった。機関士が速度を上げた。

「撃て!」と機銃隊長が言った。タタタと独特の発射音である。当たる距離ではないが、蒙古兵が隠れた。

「あいつら、鉄帽も被っていないよ」と機銃手が笑った。そのとき、草原の西1600メートルに騎馬が現れた。30騎ほどだ。だが、三角形に散開している。

「あれが突厥の扇戦法である。侮るな」と連隊長がガナッタ。

「蒙古騎兵の距離は?」と軍曹が叫んだ。

「あと20分でわれわれに追い着く。汽車を停めて騎兵戦を用意しろ!」と川崎大佐。

「はっ、わが騎兵らは知っております」と曹長が出て行った。騎兵たちは馬を降ろして跨ると散開した。それを見た蒙古騎兵が馬を停止して丘陵へ引き返した。敵も味方も撃ち合わなかった。

「馬を貨車に載せるとまた出てくるよ。野砲を降ろせ」と川崎連隊長が曹長に言った。1931年の冬、この川崎少佐は嫩江で戦った。馬占山軍は敗走した。その後、馬占山はソ連に身を隠した。

「関東軍と馬占山軍は1931年11月上旬、嫩江鉄橋よりも北側に位置する大興駅付近で衝突した。極寒の中、関東軍が馬占山軍に対し、―チチハル(斉斉哈爾)以北へ撤退するよう求めた.だが馬占山はこれを拒絶したので、関東軍は騎兵師団を出した」と地面に降りた飛鳥が長谷川を教育した。

夕闇が迫っている。逆光だ。砲兵の一人が双眼鏡で丘陵の距離とスポットを計算してそれを読んだ。横の砲兵が鉛筆で手帳に書き込んだ。

「距離2600メートル、、発射角度12度、、当たらなかったら1度下げよ」

「15センチ榴弾砲は照準が正確でなくても殺傷力が高い。近くに落ちれば、一発で30人は、あの世へ行く」と飛鳥が長谷川に言った。飛鳥は長谷川の一つ歳上なのだが古年次兵であった。戦場では古兵がモノをいう。宇都宮騎兵連隊も古兵の集まりである。ほとんど命令を必要としないほどに練熟している。

                                  *

騎兵も連隊長も砲兵のすばやい動作を見ていた。コンベイヤーに載せられた榴弾砲、、それを一人の屈強な砲兵が腕に抱える、、装填する、、横の砲兵が砲栓を閉める、、装填完了の合図、、ドカ~ンと一発撃った。砲口から火を噴いて15センチ榴弾は飛び出した。以外に遅い速度なので砲丸投げを想い起こす。だが、3秒で標的に落ちた。丘陵の一角に煙が見えた。弾薬に当たったのだろうか。

「蒙古兵は壊滅したな」と双眼鏡の砲兵が双眼鏡を曹長に渡した。曹長の目が左右に動いた。

「砲兵、100点合格」と言った。

「馬を載せろ」と連隊長がガナッタ。騎兵が馬を貨車に載せた。だが、蒙古の騎兵は現れなかった。

機関士が汽笛を3回鳴らした。軍曹が兵隊を点呼した。「全員着席」と怒鳴った。砲兵が最後に車輪のある野砲を押して貨車に載せた。列車が動いた。「夜明けに着く」と飛鳥が初年兵の長谷川に言った。

                            ~続く~







海外広報に、ご献金を頂きたい

日本人で、伊勢一人がブルームバーグ紙で論戦している。中国経済が劣化してから中国人の書き込みがゼロとなっている。いかに習近平が窮地に陥ったかがよく判る。日中貿易を見直すときである。

A) 振込口座

1)金融機関   みずほ銀行・上大岡支店・支店番号 364
2)口座番号   (普通)    2917217
3)口座名    隼機関   ハヤブサキカン

B) 郵便局口座

1)口座番号  10940-26934811
2)口座名    隼機関   ハヤブサキカン


*7月30日、MIZ・TAKさまから、20、000円~ 7月25日、SHO・KATSUさまが、5、000円を下さった。7月23日、YA・HIさまが、10、000円を下さった。WA・EIさまが今月も(毎月)、1000円の寄付を下さった。たいへん感謝しています。有難うね。日本はまだまだ、経済も、国防も、米国政府の援助が必要なのです。伊勢爺の論戦はそこに重点を置いたものです。アメリカを批判するのも、アメリカに失敗されたくないからです。伊勢


新藤兼人さんにメールを出した

[ メッセージ ]
隼速報の伊勢です。1941年、新京で生まれました。一家七人は終戦一年前に日本へ帰りましたが、兄三人は学徒出陣と予科練へ行きました。みな生還しました。「満州を掴んだ男」が現在集英社の手にあります。出版はわかりません。応援してください。ブログで「憲兵大尉の娘」を連載中です。是非、ご覧ください。


comment

オリーブオイル先生

資料は全てグーグルで検索できるようになった。三菱の中戦車チハもソ連の戦車には勝てなかった。その理由はあなたが仰る陸軍国との違い。日本の輸送船のクレーンが戦車を吊り上げられなかった。海上輸送のために大型は不可能だった。それと溶接でなくてリベットだから。大口径に撃たれると砲塔が壊れてしまった。それにしても、今思っても満州は守り難いですね。

昨日、カーター防衛長官が「これからの兵器は無人になる。潜水艦も無人化する。海底を走る無人戦車が効果がある。USの防衛産業は官僚化が進み、全てに意欲が減退している。自分が防衛長官である、あと16ヶ月で、シリコンバレーと共同開発を進める」とインタビューで言ってますね。日本も乗り遅れるな。伊勢
2015/08/31 17:17 | 伊勢 [ 編集 ]

ドイツ並みの戦車を日本が作れなかった理由のひとつは、輸送する船を容易に
製造できなかったからです。ドイツは陸続きのため列車で輸送できますが、
戦車は専用の輸送船でしか海は渡れません。


日本は今も昔も専守防衛を基軸とした軍事ドクトリンなのです。


その昔中国を訪問したキッシンジャーが「なぜ日本はベルギーのように
ならないのか?」と言ったとかどうとか伝え聞きますが、「集団安全保障」の
枠組みを構築しないと、日本は外交カードがなくなってしまいます。

「日本は皆さんが思っているほど強くはないが、考えている以上に
重要な国です」

何度も記しますが、理解できたら日本の進むべき道が見えてきます。
2015/08/31 16:43 | オリーブオイル [ 編集 ]

その昔、日本の戦車とドイツの戦車の写真を見て、その落差に驚き、これではと子供心におもいました。
 当時は軍国主義だと今の人は思っていますが、私は当時は軍国主義とは違うと見ています。軍国主義ならこの戦車を見てドイツの戦車に勝てるかをかんがえて、勝てないと見ると戦争などしません。あくまでドイツの戦車と同等かそれ以上の能力を持った戦車の開発に力を注ぎ、兵士の安全を図ります。
 ゼロ戦も同じで、操縦者の保護をする鉄板をなくして性能を上げるという思想に人を保護しないというより保護するということ(人権のこと)を理解していないことを示している。
 知人が日航ジャンボ機の機長を殺人者だといいましたので、そのわけを聞くと<当人が操縦不能と連絡している。それなら彼は飛行機を操縦することではなく、緊急着陸すること以外にない。それを羽田まで帰ろうとした。そのため海に着水する判断はしなかった。何故だと思う?人命保護とは何かを知らなかったからだ。
 羽田まで帰れば故障ですむが、着水すると事故となるという判断があったからだろう。日本はそれが多いよ。>
 以前パロマのガス事故がありその話になったとき彼は<家賃が安いだろう、当然安全は少ないと見るのが常識で、家賃の金額に安全を見ないからだ、貸すほうもそれを自覚していない。>とものべた。
 私は<安全装置は作動したらシステムが止まるから、当然それをはずす仕組みが内在されているから、それをはずせば動くよ、しかし安全レベルがかわるからなあ。生産ラインにおいては作った安全装置をはずしてくれという現場の人がいる。はずしたこともあるが事故が起きれば俺はおしまいだったが、そこは考えてしたよ。しかしすることではないよ。この安全感覚ないし、用心感覚はその人の生き方、やり方がわかるし、ほかの会社の考え方もわかるよ。>
 彼は装置を外部に依頼して大体のものを作ってもらって、その上彼独特の安全感覚でいろいろなもんを付けたそうです。作る人が何故そうするか聞いたそうだが後でわかると答えておいた。その後事故が起きたとき、装置はとめる必要はなく修理する人もせっつかれてする必要もなく、そのとき意味がわかったといったそうです、その後装置をつくたひとや修理に来た人はいろいろ教えてくれたそうです。
 ニュースを報道の仕方を見るといやになることが多い。とにかくわが国では安全(人権感覚)を学校では教えていない。口では言うけれども。たたいてやりたい奴がおおい。普通の国はそれらの人はそれなりだがわが国はごく普通の人で、どちらかというといい人にそれが多いからなおさら、こまる。安全と水はただだという歴史がなせることです。後は島国で異民族の制圧をうけたことがないことで、思うにアメリカがもっと過酷な支配をしてくれればよかったかなあと思う。
 日本人は戦争に負けるということないし降伏することを満州から引き上げた人々以外しらない。満州から引き上げた人いがいはしらない。それは逆に五族共和を掲げて支配者となっている事の意味をしらず、本当ににそれを信じて、満州を統治したという事実への反省すら見えない。
 岸信介の部下だった武藤という人が、満州国が滅んだのはそれの侵攻ではなくm日本人の統治にあったtと反省している。満州国ができたとき、出入りの商人が、<だんなおめでとうございます。だがあっしが見るところこの国の寿命は15年ですぜ>いった。当時誰もが満州国の前途に疑いはもていなかった。字際15年持たなかった。何故彼にはそれ見えたあろうか。?彼はいう。
 あるとき日本人とそれ以外の官吏の給料が違うのは満州国の理想に反する。それを日本人自身がいって変更した。そのような考えが満州国を滅ぼした。
 これまでのわが国の外交はすべてアメリカあってのもでした、それがかわるから、文字通り満州国建設のような理想を元にすると同じことがおき、その明快な具体例は南朝鮮、韓国です。一大事が目の前に起きているにもかかわらず国民(そんなものはわが国にはない、ここに集まる人々くらいでしょう)は何も考えていない。
国がまけ、滅ぶということを日本人は有史以来一度も経験していない。これは致命傷になる。アメリカがもっと過酷な占領政策をしてくれればよかったかなあと思う。あれが支那人、朝鮮人、ロシア人だったらこの繁栄は一切なかった。それが我々の歴史で、絶対にありえない外部条件だった。自覚しないと。
2015/08/31 09:32 | kenji [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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