2016/01/18 (Mon) 七つボタンに桜に碇、、わが兄が亡くなったよ
mitsuo me 2010.6

三男兄は優しい兄だった。享年88歳だった。息子は一人だが防衛省の偉いさんだ。兄は、満洲から予科練に入った。長崎で終戦を迎えた。原爆の話をすると怖い顔になった。この写真は2010年4月、築地のホテルに伊勢夫婦が宿泊したときのものだ。満洲商業高校の同級生と九州旅行へ行くと言うので、お小遣いをあげたら喜んでいた。これが最後の写真となった。伊勢平次郎 ルイジアナ


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七つボタンに桜に碇、、復員するとき、伊勢志摩の二見ヶ浦で、戦友の「どもりの昌ちゃん」こと「ドモショウ」が撮ったのだそうだ。布団がなかったので、4歳の伊勢坊と寝た。「おまえがな、兄ちゃん、雨が降ってきたというので、飛び起きると、寝しょんべんをピュ~としたんだ」と笑っていた。伊勢平次郎 ルイジアナ





comment

勤務医先生

有難うね。心にとめておきます。伊勢
2016/01/19 05:38 | 伊勢 [ 編集 ]

古来より日本の武人は仏に帰依していますよね。殺生をしなければならないため、と聞いたことがあります。これが「怨親平等」、そしてその基礎が我が帝の「一視同仁」だと思っています。
2016/01/18 23:32 | 勤務医 [ 編集 ]

勤務医先生

わが一家は軍人一家ではなかったけど、戦死された日本兵を蔑むことはなかった。靖国参拝は当たり前のことだった。ぼくはこの兄が好きだった。敬虔な仏教徒でね。兄は芝の増上寺に祀られた。日本兵の宗教は仏教ですよ。築地のホテルで兄が絵を描いた。まず川を書いて、下に浮世~上に浄土。「お釈迦さまが、こっちへおいで」と、「おまえ、わかるか?」と言った。伊勢
2016/01/18 22:51 | 伊勢 [ 編集 ]

母(1935~2011)は三男二女の末っ子でした。昭和18年頃の次兄の出征の写真(母もオカッパ頭で写っています)を終生大事にしていました。そして常日頃こう言っていました。「戦には負けたけど進駐軍に比べたら日本の兵隊さんは本当に格好良かったんだよ。」と。
2016/01/18 22:26 | 勤務医 [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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