2017/07/01 (Sat) わが生まれ故郷の満州(その1)
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伊勢は、歳を取ったわけか、生まれ故郷の満州を想うことが多い。「河」という長編小説を書いて、今、出版社の手中にある。暫らく、政治を離れて、「満州」を自分なりに連載したい。「満州国は、どう生まれた」などの歴史本を書く気はない。1932年の建国から14年後、消え去った「失われた国」の建設に生きた人々を書いておきたい。


三倍の国土

満州は、日本の三倍の国土である。その土地は、当時の中華民国の領土ではなかった。中華革命を起こして清国を亡ぼした孫文(中山)は偉人であるが、たちまちのうちに、軍閥であった袁世凱に乗っ取られて、元の無政府状態に戻ってしまった。日本は、日清日露戦争で勝ち取った遼東半島や南満州鉄道やハルピンからソ満国境に広がる東清鉄道の権益を憂いていた。全て、この権益は帝国ロシアのニコライ二世が鉄道を敷いて支配していたのである。「戦勝による戦利品だからと言って、日ソ間では必ず問題になる。ロシアが建設した鉄道権益を日本が払う」と東京政府は杉原千畝ハルピン総領事をモスクワヘ遣った。非情で知られるスターリンは、一言で断った。これは、「戦争で必ず取り戻す」というメッセージなのである。新京特別市にあった関東軍司令部は、北はソ連~南は中華民国~満州軍閥の張作霖は満州の国王になると豪語していた。「1931年の柳条溝事件は、関東軍が実行した」とは東京を含む世界のコンセンサスであった。関東軍と東京政府・大本営の間には温度差があった。「板垣征四郎と石原莞爾は、けしからん」と関東軍の暴走を恐れた東京は焦った。だが、五族共和を唄って建国宣言を世界に向かって発した満州国を押しとどめる力は東京にも国際連盟にもなかった。そればかりか、イギリスは、満州国を認めた、のちに敵となったアメリカの鉄道王ハリマンは満州鉄道に出資したいと申し出た。「これを受け入れるべきだった」という「だった説」は多いが、そうならなかった。


トランク一つで満州に渡った伊勢の父

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二・二六事件のあった1936年の初春、わが父晴雄は、日本橋で経営していた旅館を売り、母ふき子と新生児の千恵子を置いて神戸港から大連に渡った。この経緯を書くか書くまいかと迷っている。皆さんが聞きたいならば短編を書きます。
  
             ~続く~

comment

伊勢様、幕末から明治にかけて日本の政治家や役人一般庶民の中にも優れた人達がいたのだと、奇跡や偶然も重なり欧米諸国の植民地化せずに済んだのだと思います。

それが何故か大正から昭和へと時代が移り変わっていくごとに日本国はだんだんと世界から孤立させられる?ように追い詰められていくのですね。自身の問題もさることながら当時の偉い人達に世界を見回して日本国が孤立しないように外交や安全保障政策を回せる人材があまり輩出されなかったこと、また偉い地位につくほど名誉職のようになってしまってふんぞり返ってダメになったこと等々あるのでしょうか。?

現代の日本の国も変わらぬように見えます。それを変えるには一般庶民においては選挙の投票行動を棄権せずしっかり見極めて投票する事でしょうか。?
2017/07/04 16:41 | 一有権者 [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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