2009/10/08 (Thu) ワナットの戦闘(その2)

2001年の10月7日、ブッシュ大統領(1月20日に就任)は、アフガニスタンに米軍を派遣する決心をした。多くのアメリカ国民は戦争の目的が理解できなかったとされる。当時、わが妻も、ブッシュの判断を疑った。だが、現在、このアフガニスタンとパキスタン国内のタリバンは、第二次大戦の、最大の悪魔であったナチス・ドイツと同じで~アメリカの国運を賭けて勝たなければならないと明確なのだ。

911 d
アメリカが、アフガニスタン侵攻を決定した一ヶ月前の2001年9月11日、マンハッタン同時テロが起きた。わが同級生の外務官僚が、この出来事を過小評価するのを聞いた。ジョナサンのように、“君たちにはわからない”と怒鳴りたくなった。その冷たい表情と口調に、「アメリカンをたしなめる」という根強い反米感情を感じた。伊勢爺は、もう、アメリカ人なのだろうか?伊勢平次郎 ルイジアナ







Abu Musab Al-Zarqawi 4.23.06
これが、アルカイダである。イラクにテロを展開したアル・ザカウイは、米兵を最も多く殺したテロリストの頭目である。米空軍の投下した500キロ爆弾が、ザカウイの司令部であったビルを破砕した。ザカウイの死が確認された。

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ワナットの戦闘(その2)

ジョナサン・ブロストロム少尉(24)が戦死した一週間前のある日、戦史家が少尉に戦況の評価を聞きに訪れた。戦史家は、ヌレスタン地方でブロストロムの率いる小隊が戦勝するのを目撃していた。この質問に、少尉は先見の明のある回答をしている。後日に調査の対象となったものである。

“ヌレスタンの戦闘は、戦争の目的をほとんど失ったものだった”と、冷めた答えが返ってきた。“もしこの戦争に大きな意味を持たせるならば、小隊以上の部隊が必要だ”少尉は自分の率いた小隊を想い出していた。小隊は40人で成り立っていた。“2,3人タリバンを殺したから成功だろうな”と。

ブロストロムは、アメリカ各地の米陸軍基地で育った。チャーミングで、体格が良く、少し未熟だった。彼は、2007年の7月にアフガニスタンに着いた。二ヶ月ほど、大隊事務所で勤務した。そこから、小隊を率いて、ヌレスタン地方のウェイガル渓谷にある前哨基地の小隊長となった。

この前哨基地(OUTPOST)は、「ベラ」という小さな村にあった。米軍がここに前哨を置いた理由は、ムジャハデインが、パキスタンからアフガニスタンに侵入する歴史的なルートだからだ。小隊の任務は、敵部隊が人口の密集した村落に到達するのを、この遠く離れた山岳地でストップすることだった。

ブロストロム少尉の最期となった戦闘の状態は、生き残こった兵や、その隊長たちの証言を記録したものだ。

ブロストロム少尉が、実戦に参加したのは、タリバンが、組織を新たにして、勢いを付けた直後だった。初めての任務は、タリバンに射殺された6人の海兵隊員の遺体を回収することだった。海兵隊員たちは、山岳ルートの巡回を終えて徒歩でベラへ帰る途中で、待ち伏せしていたタリバンに襲撃されたのだ。ひとりのマリーンは、500メートル崖下の雑木の中で見つかった。ボルストロムの捜索隊とヘリコプター数機は、このひとりの兵を見つけるのに15時間もかけている。

この襲撃があったときから、兵隊たちは、基地からめったに出なくなった。“片隅に押し込められた感じだった~この頃から、安全ではないことに気が付いていた”とジョナサン・ベントン軍曹は語った。

2008年の一月のこと、マシュー・カーラー軍曹が巡回から徒歩で基地へ帰るところを、アフガン警備員に誤射されて死亡した。カーラー軍曹は、実戦経験のある古年次兵だった。軍隊で、古年次兵というのは重い存在だ。だから、階級は下でも、ボルストロムの上司にあたり、小隊の指揮や戦闘の方法をコーチした。

その日のベラは雲のない晴天だった。ブロストロム少尉は戦友たちを集めた。そして、29歳でこの世を去った親友で先輩への弔辞を読んだ。少尉は、カーラー軍曹が愛した妻と4歳の娘のことを話した。この軍曹が未経験でへまをする新兵に対して、いかに忍耐強く接したか~パンクロックが好きだったことを話した。“軍曹が持っていた良心的な人格の全てを語ることはできない~それは不可能だから”と真昼の太陽を見上げた。涙を隠すためだったのだ。“カーラ軍曹は戦争の全てを理解していた“と締めくくった。

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闇夜に血煙が上がった

Afgan family and grand daughter
アフガンの村人。パシュトン族(ペルシア系)のほとんど(98%)は文盲である。そして、イスラム信仰に深いのだ。この父親は、娘たちの幸せな将来を祈っている。

ブロストロムの大隊長の、ビル・オストランド少佐は、カーラー軍曹が死んだときより、一ヶ月前に、ベラに小隊を配置することが無意味であると結論を出していた。パキスタンから入ってくる敵は、長い月日に、このベラの前哨基地の周辺を把握していたと察していた。

しかし、オストランド少佐は、ウエイガル渓谷の村落を見捨てる気持ちはなかった。村人は、ほとんどが文盲で信仰が厚かった。この孤立した村は、タリバンやアルカイダにとって、理想的なヘブンだったのだ。“この村人たちを理解することは、実にハードだったし、尊敬することは出来なかった~しかし、彼らには、政府が必用だ~政府を持てば、良民になる~彼らの生命とアフガニスタンに安全をもたらすと心から信じていた”と語っている。

オストランド少佐は、その四角い顎と、激しい性格で、同級生に覚えられていた。彼は米陸軍の出世頭だった。17歳で志願し~ネブラスカ州立大学では、たったの4学期で学位を得た秀才である。1990年、現在、イラク総司令官になっているペトラレアスが少佐であった時代の部下となった。“ビルは、周囲の者を、勇気付けて鼓舞する素晴らしい能力を持っていた~どのような難しい任務にもへこたれなかった~任務がタフであればあるほど、果敢に挑戦した”とペトラレアス司令官は語っている。当時のオストランドは、タフト大学へ進み、国際関係の修士号を得た。その後、ウエスト・ポイント陸軍兵学校で教鞭を取った。

オストランド少佐は、ブロストロム小隊を、ベラから、ワナット前哨基地に移動することにした。ワナット渓谷は、県知事と警察長官が住んでいる。村の構造は安全だと判断したのである。さらに、付近に、$1.4ミリオン・ドルの復興計画が進行していたので、労働者から支持を得られると考えたのだ。

ウエイガル渓谷で、オストランドは、過去に8名の兵を失っていた。自分自身も待ち伏せに会った。しかし、村民の心を掴み彼らと組めば、彼の大隊はこの作戦に勝てると考えた。“少し時間が経てば、アメリカ人というのは、憎むことができない人たちだ~心からそう信じている”と話した。少佐の計画は、その性格に似て頑固なものだった。“負けることを受け入れ~集落が破壊され~使命を達する意志を挫くということは、自分のメニューにはない”と言っていた。
                    
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ワナットへ移動する数日前、ブロストロムは、ハワイの実家へ休暇で帰った。ある番、父親にアフガニスタンの戦場のビデオを見せた。ベラ前哨基地のビデオだった。敵から集中攻撃を受けているビデオだった。

ビデオのひとつに、ブロストロム小隊が、暗闇に白燐弾を大砲で撃つているものがあった。ジョナサンの説明によると、その日の朝、小隊が数人の武装ゲリラを射殺していた~その夜、タリバンがその戦友の遺体を集めて焚き火を炊いていたと。ジョナサンらは、遺体集めを予期していたので機会を待っていた。

“来たぞ~この一弾を、ローソク儀式にお見舞いしてやろう~血祭りだ”と、ビデオから若い声が聞こえた。白燐弾は、山稜のキャンプ・ファイアに命中して武装ゲリラを殺した。小隊は歓声を上げた。

人権団体は、いつもの調子で、米軍が白燐弾を使用することを非難していた。だが、軍の法律では、このタイプの使用は許可されていた。父親が注意深く口を開いた。“ジョナサン、この遺体を引きずっている人たちだがね、どうして、彼らが村人ではないと判ったの?殺された血縁を引き取りに来たんじゃないの?”と聞いたのだ。

“みんな、FUCKING(忌々しい)タリバンだよ”と答えた。

父親は疑問を投げ続けた。息子は、譲らない~鼻っ柱の強い表情を変えなかった。その頑迷なアプローチが絶望的なアフガニスタンの戦場の一角で生き残れる唯一の方法だったのだ。息子はついに切れた。“あなたには、わからないんだ”と、老いた父親に言った。

“君が正しい~私にはわからない~全く判らない~でも、心配なんだ~本当に心配なんだ”と、怒声を発した息子に父親は答えた。(続く)

(解説) 今朝、オバマは、両党の議員たちから時間の猶予を得た。アフガニスタン総司令官のマカリスタルが主張する「タリバンを全面制圧する」というものである。その「A案」は、4万人を増派して、現在の6万2千(米軍)と、3万8千(NATO軍)を、14万の大軍にするというものだ。そこには、カルザイ政府や国を建設するという計画はない。

「B案」は、バイデン副大統領らの「アルカイダを、空爆で集中攻撃して~アフガン軍を育て~国を建設する」という全面戦争に消極的な案だ。

伊勢爺は、最初から、A案に賛成だ。タリバンを、徹底して掃討し~パキスタン国内のタリバンは、現パキスタン政権に武器とカネを提供して~この写真のスワット渓谷や、ワジリスタン渓谷のパキスタン側で、両側から追い詰めるという作戦がベストと信じている。これは、1944年6月6日の「ノルマンデイー上陸作戦」と同じ重要な戦争なのだ。タリバンに勝たなければ、パキスタンの60個の核爆弾や弾道ミサイルは、テロ集団の手中に落ちるからだ。だ・か・ら、第三次大戦と考えて良い。

鳩山や岡田の「石ころ」と話しても埒は開かない。オバマは、この「怯惰が極まる」鳩山を強制すれば良い。その方法はいくらでもある。伊勢平次郎 ルイジアナ

comment

>>勘違いしてるようだからもう一度書いておこう。

誰が勘違いしているの?「傍論には拘束力がない」と読売社説。ぼく自身は、「違憲が理由で法案は通らない」~または、「実施できない」ですね。

それにせよ、日本を敵視する在日や韓国人が多い。日本人の国会議員や大臣にまで、反日が存在する。鳩山は何なのだろうか?芸者が来るまで、間を持たすという幇間(ほうかん・たいこもち)かな?伊勢
2009/10/10 10:54 | 伊勢 [ 編集 ]

勘違いしてるようだからもう一度書いておこう。
永住外国人による参政権は「違憲」な。

主    文
     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人らの負担とする。
傍論
     ~前半略~
     我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の
地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、
その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の
処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に
対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと
解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、
専ら国の立法政策にかかわる事柄
     ~以下略~

  で、この傍論を書いたのが、「園部」と言う判事なのだが、
その当人曰く 「在日の人たちの中には、戦争中に強制連行され、帰りたくても
祖国に帰れない人が大勢いる。帰化すればいいという人もいるが、
無理やり日本に連れてこられた人たちには厳しい言葉である。私は判決の結論には
賛成であったが、自らの体験から身につまされるものがあり、一言書かざるをえなかった」
 (朝日新聞平成11年6月24日付)

判決は「本論」部分において、選挙権が「権利の性質上日本国民のみ」を対象とし、
「外国人には及ばない」こと、憲法には地方選挙に投票できる人を「住民」と書いてあるが、
これは「日本国民」を意味し、「右規定は、わが国に残留する外国人に対して、
選挙の権利を保障したものということはできない」と述べているのに、園部逸夫は、
在日朝鮮人に対する贖罪の使命感という、史実誤認に立脚する彼自身の良心に従い、
傍論の中に判決本論と矛盾する暴論を書いたのである。

現状は、園部氏本人も違憲との考え方だよ。
2009/10/10 10:33 | [ 編集 ]

kenjiさま

宮崎先生もメールで、「日本では、アフガニスタンは、報道されていない」と仰っている。恐ろしいことです。

オバマが決心出来るかどうかに架かっている。決心すれば、国際社会も、国連も承認して、積極的に参加する国も出る。そこで、同盟国の日本はどうする?小沢は、「国連が承認する戦争には、自衛隊を出す」と言ってなかったかな? こいつらは、朝令暮改のチンパンジーだが、、伊勢
2009/10/09 20:44 | 伊勢 [ 編集 ]

日本人はアフガニスタン戦争の意味をまったく知りません。反米感情駆られて、何も見えません。
パキスタンの核が問題だとは理解していません。
 アメリカの自滅の戦争だと見ていますがその次まで考えが及びません。北朝鮮が核で日本を攻撃するか、すべ手の金を持っていくとは思いません。
 実に天上天下唯我独尊です。 これだけ、大東亜戦後アメリカの世話になりながら、それを自覚せず、自分でここまできたと思っています。
 そして亜米利加を甘く見ています。
 
2009/10/09 13:20 | kenji [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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