2010/06/13 (Sun) 沖縄の反米感情を考える

B-52 ストラトフォートレス。B-52の搭載兵器。初飛行は1952年。冷戦下において自由落下型の核爆弾によるソビエト連邦等の東側諸国攻撃を目的とした、B-36や、B47の後継機として作られた。A型からH型まで多くの派生型が開発されている。愛称は「ストラトフォートレス(成層圏の要塞)」。ベトナム戦争では、絨毯爆撃を行い「死の鳥」と恐れられた。





B-52H

用途:爆撃機
分類:戦略爆撃機
製造者:ボーイング社
運用者: アメリカ合衆国(アメリカ空軍)
初飛行:1952年
生産数:744機
運用開始:1955年
運用状況:現役
ユニットコスト:
B-52B:1,443万USドル
B-52H:928万USドル(1962年)
B-52H:5,340万USドル(1998年)
表示B-52とは、ボーイング社が開発しアメリカ空軍に採用された戦略爆撃機。1952年の初飛行から50年を超えているが、未だに就役を続けており、最終量産型(H型)は2045年までの運用を予定している。

戦略核攻撃に使用するため、機体中央部は爆弾倉となっており、大型で大重量の初期の核爆弾を搭載可能になっている。初期型は大型の水素爆弾しか搭載しなかったが、ベトナム戦争の頃から一部の機体は、通常の自由落下爆弾も搭載できるように改造された。後期型のG型・H型においては、空中発射型の巡航ミサイル(当初はハウンド・ドッグ、後にSRAMやALCM。いずれも核弾頭装備)を主要兵装としていた。兵器は胴体内の爆弾倉のほか、主翼内側下のパイロンに追加搭載することも可能である。また、初期型はターボジェットエンジンを装備していたが、後期型はターボファンエンジンに換装して燃費が向上し、航続距離の延長を図った。(ウイキぺディア)

japan okinawa trip 5.24.10 059
朝鮮戦争時代(1950~1953)に、B-52の前身がこの嘉手納から飛び立って平壌爆撃。ベトナム戦争時代1965~1972に、嘉手納米空軍基地からB-52は飛び立った。ハノイ空爆であった。この朝鮮戦争、ベトナム戦争で嘉手納米空軍基地とグアム米空軍基地が、その地理的条件からアジアの安全保障になくてはならないと明確になった。ベトナム戦争反対の旗手で「ベ平連」のリーダーだった小田実は、“沖縄返還が米軍基地撤去につながり、日本がアメリカのベトナム戦争に加担する状態に終止符を打てる”と那覇で演説している。小田は、モスクワから資金を得ていたという証言がある。

the girl with the white flag 002
比嘉富子(ひがとみこ)さんの英字本を一晩で読んだ。少々感情移入もあるが、ほぼ、記憶とおりに書かれていると感じた。1945年の4月、丘の上の監視所へサツマイモを持っていった父は帰らなかった~姉二人、兄とトミコは、首里の家を出た~“ここは戦場になる。南へ行け”と兵隊に言われた。海岸で寝ているとき、2歳上の兄「ニニ」が流れ弾で死に~真夜中の後進で、姉二人と別れ別れとなった~6週間、たったひとりで、死体の散らばる激戦場をさ迷った。彷徨するうちに7歳になった~トミコは、洞窟の中で老夫婦が作ってくれた三角の白旗を持って外へ出た。眩しかった。木の枝にくくり付けた白旗を高く掲げた~初めてアメリカ兵を見たとき心が明るくなった~その白人は、大きなカメラをトミコに合せた。トラックで運ばれた収容所で、はぐれた二人の姉と再会した、、

再会

the girl with the white flag 2
1988年、比嘉富子(50)さんは、ジョン・ヘンドリックソン(70)と再会した。この前従軍カメラマンはテキサンである。同じカメラを持っていた。どうも、比嘉さんの手記を読むと、この人は「反米」ではないと感じた。一方で、日本兵のことを良く書いていないのです。7歳の女児が見た戦場。そこには偽りはない。終章の一部です。伊勢平次郎 ルイジアナ

"Forty-three years!" said Mr. Hendrickson, welcoming me with a warm handshake. Mr. Hendrickson and his wife put their arms around me,,

"Why did you wave to me?"

"Because my father told me that if I was about to be shot, to die smiling and waving"

"All I had was a camera, and you thought I had a gun! I'm so sorry. We couldn't tell the difference between your soldiers and your ordinary citizens. It was terrible. Here's the camera I scared you with"

He fetched his camera and held it up in front of him as if to "shoot" me. It was a large camera with a large flash attachment, but I couldn't see very clearly because tears started to well up in my eyes.

"Don't cry Tomiko. Forgive me for making you think of the war." His voice trembled with emotion, so did his hands as he held the camera.

"Tomiko," said Mr. Hendrickson, "Do you think you could smile at me and wave once more?"

Wiping away my tears, I faced the camera and raised my hand and smiled. The shutter clicked and there was a flash.



comment

話がそれますが・・・
隼速報と同じ名前の 小惑星探査機 はやぶさ の帰還を祝福したいと思います。
日本技術の快挙に感動、夢と希望をいただきました。
http://www.jaxa.jp/projects/sat/muses_c/index_j.html
このような科学技術をあっさりと仕分けしようとする民主党政権は即、敗退願いたいものです。
2010/06/15 04:33 | GRANMA [ 編集 ]

「USの工場は忙しい」英語ですが、数字だから、読んでください。寸評は和文です。伊勢
http://bomanchu.blog81.fc2.com/
2010/06/14 07:37 | 伊勢 [ 編集 ]

BBCが、「隼の帰還」を大きく伝えている。日本人は科学工業技術に生きるべし。だが、自主防衛は非常に重要なのです。やはり、為政者に、国家ビジョンがなければどうしようもない。社会主義者が与党ではダメですね。伊勢

http://news.bbc.co.uk/2/hi/science_and_environment/10305664.stm
2010/06/14 02:58 | 伊勢 [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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