2010/08/15 (Sun) 去りし昔の想い出に
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夏と言えば金魚。2年前小指のサイズだったが、、お盆ですね。今日一日中、写真を整理していた。伊勢平次郎 ルイジアナ

お盆ですね

my folks

伊勢志摩の海辺のお墓。去る6月26日に故郷に帰った。長兄の娘(わが姪)とご先祖のお墓に水をかけた。以下のサムネール、クリックで拡大します。

hitomo 6.26.10

わが義姉のたったひとりの娘はわが姪だ。“信おじさん、大好き”と、このようになる(笑い)。

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この写真は、昭和21年のものです。兄の嫁さん(義姉)が、伊勢夫婦が沖縄に発つ前に亡くなった。この姉は美しい女(ひと)だった。そして強かった。わが弟もこの姉の手で育った。三重県立高校を卒業後、海上自衛隊・横須賀潜水艦群の水兵となった、その弟も8年前に亡くなった。姉ちゃん、ター坊、あの世は良いとこですか?

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“七つボタンは桜に碇、、”わが三兄の復員途中の写真。背景は、二見が浦の夫婦岩だと兄は語った。この兄は。84だが元気だ。長崎の佐世保で終戦となったと。満州朝鮮の少年たちは、少年飛行兵の応募に応じた。11000人の少年兵たちは、海軍飛行隊予科練習生・満鮮組と呼ばれたと。その半分が、昭和20年の3月のある朝、輸送船に乗ってどこかへ行ったと。“沖縄でみんな戦死したよ”と兄は大きな声で語った。わが兄の生き残った話しは一章となっている。だから、ここには書きません。

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1967年の夏。伊勢は若かった。25歳を過ぎた夏の日にアメリカに飛び立った。ナイアガラの滝です。Y新聞の名カメラマンの左口さんが撮った。

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わが妻も若かった。スチュワデスの試験に受かった頃の写真。60年代後半の髪型ですね(笑い)。

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“君と結婚したい。イエスか、ノーか?”“イエス。あなたに翼(つばさ)を上げます”と。サンフランシスコから、伊勢青年が住んでいたニューヨークのアパートに搭乗機の写真を送ってきた。伊勢爺さんは、アメリカ女に助けられて生きてきた。だから、終戦記念日でも、読売の社説のような「くりごと」は書かないし、一切言わない決意なのだ。


(お知らせ)


knight medeival

“Knights Of Rubicon(ルビコン河を渡った騎士たち)という題名の短編がベストだ”と編集者。“渡れば、元には帰らない”と知りつつ、決意してルビコン河を渡った人たちの話しです。先に送った、日米本の“Lost Agenda (失われた議題)はその中の一章でよいのだ" と。“すると、書き変えなければならない”というと、“Its worth doing that”と。

理由は、こうだ。初めての出版は、その作家の一生涯の運命を決めるものだと。最初の著書の印象は強いものだと。だから、“Make it or break it”(のるかそるか)なのだと。


皆さんにお願い

最終章が、「キューバの革命家たち」です。そのために9月6日~9月14日まで、キューバへ取材に行きます。脱稿を、新書の月である10月25日と致したい。英字出版は、11月4日の米中間選挙の日に印しを付けた。日本では、12月のはじめです。

出版が出来なかった場合、ご支援された同志の方々に、ご献金(200万円と少々)をお返しします。以上のことを、泉下の父母~兄たち~弟~姉2人に誓います。伊勢平次郎

comment

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2010/08/16 22:39 | [ 編集 ]

宮崎正弘先生が「キリギス情勢」をお話されている。宮崎先生は保守の国際評論家なんですが、チャイナ・ウォッチャーで有名なんです。お話しには保守論客の硬さがなく、洒脱で穏やか。日本人に珍しい大陸性を感じます。

6月、Mephist先生のご招待で、宮崎先生や出版社の社長さんと九段の中国料理・新世界菜館で会食した折に、伊勢爺がお土産に、「キリギスのコニャック」を差し上げた。ウチのがビシュケク米空軍基地へ飛行したときに持ち帰ったものです。放送後そのコニャックを皆さんで飲まれたと(笑い)。僕ら隼同志は、宮崎先生や恵隆之助先生にたいへん期待されている。伊勢

http://www.youtube.com/watch?v=aGX58K70Hf8
2010/08/16 15:48 | 伊勢 [ 編集 ]

「トルーマンの嘘」広島長崎原爆投下の理由である“日本がポツダム宣言を受け入れなかったので投下したは嘘だ」と、WP にコメントを入れた。“インターネットの時代、大衆は政治宣伝の嘘を見抜いている”と書いた。オバマも、とっくに、国民の信用を失っていることに気が着いていない。伊勢

Iseheijiro wrote:

No one in my country Japan trust Petraeus or Mr. Obama regarding their claims on Afghanistan.

August 15th 1945 was the day Japan surrendered and signed the Potsdam Agreement on the deck of Battleship Missouri. Yomiuri is the largest news paper in Japan for which I worked as a reporter after Toyota PR, they wrote an editorial today. "We are glad we are no longer a militaristic nation since that day 65 years ago but we must not forget the sacrifices like Hiroshima/Nagasaki civilians death.

The paper reported there is a serious question as to Truman's decision to use atomic bombs. Truman ordered the use of these bombs on July 25th. He
signed the Potsdam Declaration on behalf of Stalin, Chiang Kai Shek and Churchill and sent it to the Japanese government on July 26th. In other words he did not wait for the Japanese answer. Later, Truman claimed the reason he used the bombs were that Japan did not accepted his demand. He could get away with murdering the innocent because he was the victor of the war, however, with the arrival of the Internet age he cannot escape from his past lies.
8/15/2010 4:42:33 PM
Recommended (4)
2010/08/16 13:59 | 伊勢 [ 編集 ]

今、三番目の兄が書いてくれたメモを読んでた。戦前、戦中に育った世代とはこういうことかと思った。だが、兄の文章には、特攻志願の悲哀の感情はない。あれは、戦後の日教組や反戦運動の宣伝だろうか?伊勢爺も「戦争回避を好む」ことには違いはない。だが、「非戦平和」を信じるほどバカではない。伊勢
http://www.youtube.com/watch?v=yY6WraxaTZk
2010/08/15 18:55 | 伊勢 [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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