2011/04/30 (Sat) 参考・スリーマイル島原発事故


スリーマイル島・原子力発電所。中央手前の二つのドームが原子炉建屋で、その左隣の白い建物が制御室を含むタービン建屋である。奥に見える二基の塔状構造物は放熱塔。

PWR(加圧式軽水炉)

three mile island PWR







スリーマイル島原発事故

スリーマイル島・原子力発電所事故は、1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故。スリーマイル島 (Three Mile Island) の頭文字をとってTMI事故とも略称される。原子炉冷却材喪失事故 (Loss Of Coolant Accident, LOCA) に分類され、想定された事故の規模を上回る過酷事故 (Severe Accident) である。国際原子力事象評価尺度 (INES) においてレベル5の事例である。

経緯

メトロポリタン・エジソン社のスリーマイル島・原子力発電所は州都ハリスバーグ郊外のサスケハナ川のスリーマイル島 と呼ばれる、周囲約3マイルの中州にある。

スリーマイル島原子力発電所は2つの原子炉を有し、そのうち2号炉はバブコック&ウィルコックス社(B&W社)が設計した加圧水型原子炉 (PWR) で電気出力は96万kWであった。事故当日、2号炉は営業運転開始から3ヶ月を経過しており、定格出力の97%で営業運転中だった。

事故は1979年3月28日午前4時過ぎから起こった。

1)2次系の脱塩塔のイオン交換樹脂を再生するために移送する作業が続けられていたが、この移送鞄管に樹脂が詰まり、作業は難航していた。

2)この時に、樹脂移送用の水が、弁等を制御する計装用空気系に混入した。そのために異常を検知した脱塩塔出入口の弁が閉じ、この結果主給水ポンプが停止し、ほとんど同時にタービンが停止した。

3)二次冷却水の給水ポンプが止まったため、蒸気発生器への二次冷却水の供給が行われず、除熱が出来ないことになり、一次冷却系を含む炉心の圧力が上昇し加圧器逃し安全弁が開いた。

4)このとき弁が開いたまま固着した。圧力が下がってもなお弁が開いたままとなり、蒸気の形で大量の原子炉冷却材が失われていった。加圧器逃し安全弁が熱により開いたまま固着してしまったのである。原子炉は自動的に“スクラム”(緊急時に制御棒を炉心に全部入れ、核反応を停止させる)した。非常用炉心冷却装置 (ECCS) が作動した。

5)だが、すでに原子炉内の圧力が低下していて冷却水が沸騰しており、ボイド(蒸気泡)が水位計に流入して指示を押し上げた。そのため加圧器水位計が正しい水位を示さなかった。このため運転員が冷却水過剰と誤判断し、非常用炉心冷却装置は手動で停止されてしまう。

6)このあと一次系の給水ポンプも停止されてしまった。そのため、結局2時間20分開いたままになっていた安全弁から500トンの冷却水が流出し、炉心上部3分の2が蒸気中にむき出しとなり、崩壊熱によって燃料棒が破損した。

7)このため周辺住民の大規模避難が行われた。運転員による給水回復措置が取られ、事故は終息した。

8)結局、炉心溶融(メルトダウン)で、燃料の45%、62トンが原子炉圧力容器の底に溜まった。給水回復の急激な冷却によって、炉心溶解が予想より大きかったとされている。

収束への努力

1)一次冷却材ポンプの停止後、自然循環冷却がうまく行われていないことが判明したので、運転員は、一次冷却材ポンプ1台を起動したが、ループに残った僅かの水を注入したのみで空転し振動が激しくなったので、20分足らずで停止させた。

2)運転員は、ループに水蒸気泡が存在して自然循環を妨げていると考え、加圧して気泡をつぶそうとしたが、気泡の中には相当量の水素もあるため成功しなかった。そこで今度は余熱除去系による炉心冷却を目指し、加圧器逃し弁を開いて余熱除去系の使用可能な圧力まで一次系圧力を下げようとしたが、これも成功しなかった。

3)事故発生後約10時間30分後、、一次系内にあった水素の一部が格納容器内に放出され、急激な燃焼を起こして、約2kg/cm2(28psi)の圧力パルスが発生している。

4)事故後13時間20分、再度一次冷却材ポンプを動かして炉心冷却を試みることになり、高圧注入系流量を増加し一次系を加圧し、また、1台の一次冷却材ポンプを約10秒間動かした。この結果、ループの気泡が除去され、自然循環が始まったことが確かめられた。

5)事故発生から15時間50分後、一次冷却材ポンプ1台を再起動し、蒸気発生器を通じての除熱がようやく成功し、事故は制御可能な状態になった。
 
6)一次系内にはまだ大量の水素が残っていたが、抽出水の脱気操作と加圧器元弁のベント操作を行うことにより、4月2日までにほぼ完全に水素は除去された。(事故発生後5日間で終息したと言うことですね。伊勢)

7)4月13日、一次冷却材に溶解しているガス抜きを開始し、一次冷却材の温度、圧力を下げ、4月27日からは一次冷却材ポンプを停止し、自然循環冷却による長期冷却に入った。(一ヶ月でコントロールを取り戻した。伊勢)

周辺地域への影響

放出された放射性物質は希ガス(ヘリウム、アルゴン、キセノン等)が大半で92.5 PBq(250万キュリー)。ヨウ素は、555GBq(15キュリー)に過ぎない。セシウムは放出されなかった。周辺住民の被曝は0.01 - 1mSv程度とされる(後述)。この被害は1957年に起きたイギリスのウィンズケール原子炉事故に次ぐ。

人体への影響


American Nuclear Societyは、公式発表された放出値を用いて、「発電所から10マイル(16キロ)以内に住む住民の平均被曝量は8ミリレムであり、個人単位でも100ミリレムを超える者はいない。8ミリレムは胸部X線検査とほぼ同じで、100ミリレムは米国民が1年で受ける平均自然放射線量のおよそ三分の一だ」としている(1ミリレムは0.01mSv)。

放射性降下物による健康への影響に関する初期の科学的文献は、こうした放出値に基づいて、発電所の周辺10マイルの地域におけるガンによる死者の増加数は1人か2人と推定している。10マイル圏外の死亡率が調査されたことはない。1980年代になると、健康被害に関する伝聞報告に基づいて地元での運動が活発化し、科学的調査への委託につながったが、一連の調査によって事故が健康に有意な影響を与えたという結論は出なかった。

Radiation and Public Health Projectは、19の医学論文と書籍 Low Level Radiation and Immune Disease を著した Joseph Mangano による算定を引用して、事故の2年後の風下地域における乳幼児死亡率に急な増加が見られることを報告した。

動植物への影響

地域の動植物にも影響があったとも伝えられている。反核運動家 Harvey Wasserman は、放射性降下物は「地域の野生動物や農場の家畜に死や病気の災厄」をもたらし、その一例として馬や牛の繁殖率が著しく低下したことがペンシルベニアの農業局が出した統計に表れていると述べたが、同局は事故との関連を否定している。

日本で大地震とそれに伴う福島原発事故が発生した2011年3月、スリーマイル島原発周辺住民による事故後32年目の追悼式の様子を報じたフジニュースネットワーク (FNN) は、原発から40km圏内で100以上の動植物の奇形が発見されていると伝えたが、公式な調査によるものではなく真偽は不明である。

(註)以上は、ウイキぺデイアを読み易くした。ウイキぺデイアは、「TMI事故の経過 」(原子力百科事典 ATOMICA)をベースとしている。伊勢

comment

「WSJ・チャイナはウランを買い続ける」英語ですがご参考に。日本がどうあれ、原発の未来が見えてくる。オバマは、「脱中東オイル」演説した。今日で、二回目だ。米国産海底オイル開発で不足分を補い~原発を推進する。日本が脱原発を決めれば、BRICに経済競争で負ける。それも民意ではあるが、、伊勢爺は反対だ。負けることが嫌いだから。伊勢

http://bomanchu.blog81.fc2.com/
2011/05/01 10:09 | 伊勢 [ 編集 ]

防潮堤建設始めると。国民は経緯を知る権利がある。1)アメリカが言ったからか~2)所長が言ったからか~3)青山氏が報道したからか~4)津波があった311から何日後に話し合われたのか?読売はこのぐらいの取材もしないのかね?伊勢

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110430-OYT1T00523.htm
2011/04/30 23:20 | 伊勢 [ 編集 ]

二次、三次災害が始まりましたね。Gripenさんの長野も、温泉旅館、ホテル、おみやげ屋さん、観光につながる産業は壊滅的だと。3分の1の県収入が観光収入なのだと。災害は東北三県に限らず、日本全国へと広がっていく。まず、内閣総理大臣が利発でないと、国の力は発揮できない。管が低能であることは明らかだ。つべこべ言うことだけに才能がある。日本の最大の災害は、民主党を選んだことだ。伊勢

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110428-OYT1T00125.htm
2011/04/30 15:33 | 伊勢 [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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