2011/05/01 (Sun) 青空に鯉のぼり、食膳に初鰹で行こう


東北大震災に、全国が意気消沈したごとき日本。ゴールデンウイークにも出かけないと。ちょっと考えてみよう。人間は元気を失えば、生きることまであきらめる。あきらめる心は、負ける心だ。元気を失えば、経済は後退する。そして社会は暗くなる。萎縮した心では、震災からの復興すら失敗する。青空に鯉のぼりを揚げよう。子供たちの心を明るくしてあげよう。




“江戸っ子は、女房を質に入れても、初がつお”と、江戸川柳。“目に青葉、山ほととぎす、初がつお”これもいい川柳だ。五月(さつき)は、新緑に東風(こち)が吹く活力が溢れる季節。蕗(ふき)も、セリも、ゼンマイも、竹の子もな、うんまい、うんまい。

日本は美しい国だ。連休なんだ。病んでる政治から自分を開放しなければ、先に待っている戦(いくさ)にも勝てないよ。いくさって?管内閣を追放することだよ。勢いをつけて、民主党を潰してしまえ!その日は必ず来るんだ。そのときは、赤飯炊いて金目鯛の塩焼きさ。目出度い日には、朝っぱらから熱燗が合っているんだ。俺たちは、越中ふんどしが似合う日本人なんだ。ああ、ご婦人らは、このエントリー読まなくてもいいよ(笑い)。伊勢平次郎 ルイジアナ








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多史済々先生

4Mx4Mでした。遠慮なく遊びに来てください。二ヶ月居てもいいですよ。山鳩撃ちに行きましょう。飲み物、食い物は伊勢爺もちです。リュウマチか、釘をハンマーで打ったあと、痛~い。サロンパス~!(笑い)。伊勢
2011/05/03 07:24 | 伊勢 [ 編集 ]

艦長

 裏庭に3m四方の東屋ですか。なんとも素敵ですね。
 日本では田舎でも前庭でさえ庭とは呼べないような家がたくさんあります。

 やはり、日本とアメリカの精神的な容量に違いがあるとすれば、その原因は案外そういった住環境から来るものなのでしょうか。
 私も時間を見つけていつかは我が家の南面(間口約15m)を自作デッキにしようかと考えています。出来れば劣化しない木質系の建材でと考えていますが、何しろ今は子育てを終わったばかりと不況の影響でその資力さえない状態です。
 いつか、艦長のデッキで隼のお仲間とジャズを聴きながらバーボンでもあおりたいです。
 素敵なお誕生日が来ることを祈らせていただきます 〆(・・)
2011/05/03 02:12 | 多史済々 [ 編集 ]

多史済々先生

こちらでもアレルギーの飲み薬ほど売れるものはないと。こちらは気温(24度)、夜は空冷は不要の18度。くちなし~マグノリア(木蓮)~あじさいが咲き始めている。今、裏庭に3mx3mのテント(四方が蚊帳で他の部分は普通のテント)用のデッキを大工中。年寄りの日曜大工は時間がかかる。これは、6月、伊勢爺の誕生日(70)にやってくるコロラドの子供たちが寝るところ。うるさいからね。電気あり、水道あり、バーべキューガスコンロあり、タイルのテーブルありで、住めるよ(笑い)。

この大震災の復興で最重要なのが、国民の元気。元気を失えば、被災者を助ける力も出ない。こんな国難に直面しているときに、与野党は政権争いをしている。

アメリカ人は、国難となれば、政争は一時おいて結束する。戦死の報告があっても、アメリカ人というのは、センチにならないのですね。町中が協会へ行く。公衆の場で泣くものはいない。ストイックに押さえ込んでしまう。ここが日本人と大きく違うところなんだよ。やはり、フロンテイアの子孫なんだろうね。死生観が違う。“生まれて~育って~子孫を残して~老いていく。みんな天主の意志”という観念を持っている。

日本人の強さがテストされる。震災後49日が経った。お線香を上げるべきだ。ぼくの個人的な日本政府(与野党あわせて)の震災対応は、12345の2だ。まず、誠意がこもっていない。“亡くなられた方に心からお悔やみ申し上げます~被災された方に一日でも早く、家庭生活が戻ることを祈ります”とかはいうけどね、、“Talk Is Cheap”とこちらではいう。伊勢
2011/05/02 01:20 | 伊勢 [ 編集 ]

 この時期、例年通り数日たつと我が家の郵便箱には薄黄色の花粉がごく薄く積もります。そして私は花粉症の薬を毎日飲んでボーっとした頭の状態(ま、薬飲まなくともそんな状態かもしれませんが^^;)で仕事するのですが、なんと今年はそんなに鼻水もくしゃみも出ないので花粉症の薬なしでなんとかなっています。眼のかゆみも出ません。
 これは低量の放射線による体質改善のお蔭なのかなとひそかに納得しています。
 皆様はいかがでしょうか?
2011/05/01 17:25 | 多史済々 [ 編集 ]

産経新聞 5月1日

警察の使命感 学校生時に知った仕事の重さ

警察官の卵として初めての仕事は、収容された遺体をきれいに拭くことだった。東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県。人手が足りない県警は警察学校生を現場に駆り出した。髪の泥を拭った女の子の遺体、母親から差し出された小さな男の子…。「警察官の仕事の重さを知った」。厳しい現場を経た“卵”は今、使命感を胸に、警察官として現場で不明者の捜索やパトロールを続けている。(楠秀司、中村昌史)

 震災から3日後の3月14日夕方、竹谷信宏さん(25)=現巡査=を含む41人の宮城県警察学校生に教官から思いもよらぬ命令が下された。「明日から検視の仕事を手伝ってもらう」。学校生たちはそれまで、宮城県名取市の高台にある警察学校に避難してきた人の世話などに当たっていた。

 竹谷さんは「警察官になった以上、遺体と接することは覚悟していたが、まさかこんなに早くとは…。『遺体はどんな状態なんだろうか』『苦しそうな表情をしているのだろうか』。前日の夜は恐怖心で眠れなかった」と話す。

 翌日、収容所でいきなり言葉を失った。最初に対峙(たいじ)した遺体はまだ5~6歳の女の子。悲しみを通り越してしまうほどの衝撃を受けた。厳しい寒さの中、黙々と水でぬらしたタオルで体と髪に付いた泥を拭った。竹谷さんとペアを組んだ警察学校生の女性は涙をこぼしていた。

 検視の手伝いは約半月続き、70~80人の遺体をきれいにした。

 中でも竹谷さんのまぶたに焼き付いている光景がある。仕事中に声をかけられ振り向くと、放心状態の女性がたたずんでいた。両腕に3~4歳くらいの男の子の遺体を抱えていた。「息子なんです。きれいにしていただけませんか」

 やり場のない悔しさを感じながら、少しでもきれいにしてあげようと丁寧に体を拭き、納棺師に引き渡した。このとき、警察官の仕事の重さと奥深さを感じたという。
2011/05/01 16:28 | 伊勢 [ 編集 ]









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プロフィール

伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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