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2018/11/06 (Tue) 三沢米空軍基地の工事が真っ盛り









伊勢は、自分を誇りに思っている

昨年の9月、カミさんと久しぶりに日本へ行った。成田からバスで立川ヘ行った。聘珍楼で泰成工業(千代田区)のMephist社長(48)に会った。中華料理を食べていたら、「三沢米空軍基地に呼ばれたので、通訳が要る」と若社長が言った。「いつ?」「明後日の水曜日」「エエ~」、、ということで、羽田から三沢に飛んだ。米防衛産業大手のAPTIM社から、ご覧の工事や修理を受注した。羽田ヘ帰る便の中、「三沢の次を考えよう」と話し合った。横田米空軍基地の燃料タンク関連も受注した。

今年5月、Mephist社長~わがカミさん~伊勢の三人がテキサスのダラスへ飛んだ。APTIM社の重役~日本部長さんら5人に面会。「もっと仕事をくれと」言った。次の週の6月6日は伊勢の誕生日だった。日本部長さんがダラスから東京へやって来た。米国防省の2020RMMRへの入札だった。APTIM社と泰成工業が落札した。これは、沖縄~佐世保~岩国を除く、関東の米空軍基地~米海軍基地~米海軍飛行基地、~キャンプ富士~鶴見~青森八戸の燃料パイプラインおよび諸々の巨大なメンテと修理の受注なんです。伊勢は、契約~米法律事務所~アメリカ側とのコミュニケーション担当。つまり、77歳で現役(笑い)。伊勢


全て、中国~ロシア~朝鮮半島が原因

china 2050 plan 2

2018/11/02 (Fri) 垂直の壁
ice climbing

垂直の壁


「先生、おはようございます」

生徒が立ち上がって教師に挨拶をした。

「はい、おはよう。今年も重陽の節句がやって来る。中国では、この日は古くから山に登って菊花酒を飲む習慣がある。杜甫の詩、登高のテーマになっている。石川君、読んでくれないか?」

石川一歩は、東京都立戸山高校の三年生である。夏休みが終わって二学期が始った。戸山高校は大学進学校である。漢文の授業に出る学生は、文科系の大学を目指す学生で授業を受ける学生の数はまばらだった。石川一歩もその一人であった。一歩は立ち上がると四方に頭を下げた。一歩は黒縁の丸い眼鏡をかけ長髪を後ろで束ねて結んでいた。一見、ガーリッシュに見えるのだが、日焼けしており、よく見ると理知的な風貌である。

風急に天高くして 猿嘯(えんせう)哀し
渚清く 沙(すな)白くして 鳥飛び廻(めぐ)る
無辺の落木は蕭蕭(せうせう)として下り
不尽(ふじん)の長江は袞袞(こんこん)として来たる
万里悲秋 常に客と作り
百年多病 独り台に登る
艱難(かんなん)苦(はなは)だ恨む繁霜の鬢(びん)
潦倒(ろうとう)新たに停む濁酒の杯

「うん、石川君は漢詩の成績が抜群だ。詩の心を持つということは、感性が高いということだ。それを一生、大事にして欲しい。君は教育大学を志望しているんだね?良い教員になると思う」

だが、石川一歩は悩んでいたのである。一歩は受験勉強をほとんどやっていなかった。ヘルマンヘッセの長編である「車輪の下」を昼夜を分かたず読み耽った。一歩は周りに誰も支えてくれる人がいない神学生のハンスに自分を見た。ハンスを圧し潰した車輪が人間の社会であると共感していた。一歩は鬱病を持っていた。鬱に対抗するために山に登った。三枚重ねの登山服を着て、底のごつい登山靴を履き、リュックを背負って家を出た。父親は、一歩が母親に似て陰気な性格なので、「山に行く」と言って玄関を出て行くとほっとした。そういうわけで、一歩は、夏休みを、ほとんど山歩きとヘッセを読むことに使ってしまった。南アルプスを八日間で縦走し、「人食い山」と言われる谷川岳にも単独で挑戦した。一歩は、滑落事故で死ぬなら、それでもいいと思っていた。だが、死ななかった。今度は、冬の北アルプスを縦走してみようと考えていた。厳冬登山なら、登攀具、食糧、炊事・露営用具をすべて自分で担ぐわけだから、かなりの体力が必要である。一歩は、成育しきっていない自分の体力では確実に死ぬだろうと思っていた。一歩はそういう死に方を望んでいたのである。

一歩には孤独癖があった。あまりしゃべる性格ではなく、ジャズを聞いたり、西欧の文学書を読む青年だった。小学生だった一歩は母親に虐待を受けた。少年には、その理由が分からなかった。母親は自分の性格に似た一歩を嫌ったのである。一歩の母親はキリスト教系と思われる天国の門というカルトに入っていた。その母親が、一歩が中学一年生のときに自殺した。常磐線の駅のプラットホームから線路に身を投げて、入って来た電車に轢かれたのである。母親は精神科に通っていたと父親が言った。父親は、トランペット奏者なのだが、数人の仲間と路上でジャズを演奏して小銭を稼いで生活していた。まあまあの生活が出来たのは、母親の祖父が残した小さな遺産であった。

「それで、お前、大学へは行くんか?」
「わからない」
「行きたいのか?」
「あんまり」
「アホ、高卒じゃ高級取りにはなれん。お前、どうやってメシ食うんや?」
「東京は大都会、路上でトランペットを吹いても食える」
「一歩、俺みたいなグウタラになったらいかん。絶対、いかんぞ!」


九月九日、隅田公園で菊の品評会があった。ピクニックの季節である。一歩が銀杏の木の下で楽しそうに重箱を開けている四人の親子を見ていた。母親が小学生の息子の口に稲荷寿司を入れるのを見た。そのとき、ふと、一歩は、「自分にも精神病があるんじゃないか?」と思った。家へ帰って、精神内科医をグーグルで探した。どうも心療内科医と言うらしい。

「石川君は、自殺したくなったことがあるの?」

医師が一歩の心の中を読むかのように眼を見つめた。一歩が俯いた。数秒が経った。

「何度もあります。何とも言えないほど気力が落ちて、何日も寝られないんです。ようやく眠ったと思うと、古井戸に落ちて行く自分を夢に見るんです。目が覚めると汗をびっしょり、かいているんです」

「日本ではね、一年に三万人もの自殺者が出る。日本は自殺大国なんだよ。高齢者の自殺の多くは病苦が原因なんだが、若者の自殺の原因は、自分のアイデンティティが分からないことなんだ。精神医学会では、アイデンティティ・クライシスという」

一歩は、自分にもその傾向があると思った。

「ちょっと、説明しよう。自殺の原因を失業して、借金が重なり、食べていけなくなったからとよく言われるが、それは嘘です。世間体さえ気にしなければ、今の日本で餓死するところまで追いつめられない。失敗は人生の常だから、また頑張ればよいだけです。では、どうして死ぬ気になるのか?テレビを見ていると、若い警察官がピストル自殺したというニュースが流れた。顔写真を見てやっぱりと思った。自殺する人の多くは世間の評価を気にする人なんです。――自分は誰にも愛されていない、、職場でも、家庭でも自分は嫌われている、、社会の評価がアイデンティティーというわけです。つまり他人の評価による自分の価値です。しかし、人間、すべての人から良い評価を得ることは不可能です。 自殺する人は失敗を恐れている。失敗すれば今までの努力はすべて無意味になる。自分に価値がなくなったように感じて世間を大手を振って歩けなくなる。この警察官が追い詰められたのも、やはり世間体ではないかな?それなら、その答えなんだが、世間体さえ捨てれば、いいんです。つまり、世間の評価で自分の価値を決めることをやめれば、自殺しなくてもよかったのではないだろうか?世間体で生きるということは、「他人の山」を登る生き方です。「他人の山」で人生が終わってしまうのは寂しいことです。君に忠告を上げよう。自分の価値を何を基準に決めているのか。本当の価値はどこからくるのかということを考えて欲しい」

一歩が母親が自殺したことを話した。

「そうなの?でもね、お母さんの自殺は君には関係ない。結びつけてはいけない。人は親子でもね、夫々なんだよ」
医師が一歩に精神安定剤をくれた。抗うつ剤ともいう睡眠薬である。睡眠不足が続くと苦悶から逃れようと自殺を考えるからである。一歩が睡眠薬の瓶を手に握った。そして、相談に来てよかったと思った。やはり専門家の意見を聞くことだ。だが問題が残った。一体、自分が生まれてきた価値って何なのか?一歩は、自分は、結局、負の力に負けるんじゃないかと恐れた。そこで、学校に心療内科医の診断書を提出して休学することにした。つまり、石川一歩は大学進学を断念したのである。


十月に入ると、高峰さくらも一ヶ月の休学届を出した。高峰さくらが同級生の石川一歩が北陸新幹線富山駅の改札を出るのを見た。

「あら、石川君じゃない?、どうして富山に来たの?」

一歩は、登山服、登山靴、そしてチロルの登山帽子を被っていた。黒縁の丸い眼鏡と長髪を輪ゴムでポニーテールに結んでいる以外は、なかなか男前である。

「あれ?高峰君は富山の人なの?」
「そうよ。あなたの故郷はどこなの?」
「東京の浅草駒形一丁目。隅田川のほとり」
もう少しで「どぶ川のほとり」と言いかけて口をつぐんだ。石川一歩の声には一種の悲しさがあった。夏休みになると田舎ヘ帰る同級生が羨ましかった。
「石川君が授業に出なくなったって、わかってたけど、どうして富山に来たの?」
「別に特別な理由はないんだけど、明治維新まで富山は陸の孤島だったって読んだとき、いつかは行ってみようと思ってた」
「あら、お父さんが来てくれたわ」

さくらが父の松雄を一歩に紹介した。高峰松雄が長髪を女の子のようにポニーテールにした高校生を見ていた。それに黒縁の眼鏡がジョン・レノンのように見えた。松雄が構えたのは、カネを掛けて東京の高校にやった娘が男ともだちと現れたからである。一歩が、松雄の眼を見てたじろいだ。

「あら、お父さんたら嫌ね。石川君は、私のボウイフレンドじゃないわよ。改札口で会ったのよ」とさくらが笑った。高峰松雄がほっとする様子が一歩に見えた。

「今夜、君は、どこに泊まるの?」
「氷見(ひみ)の民宿なんです」
「JRで氷見駅までちょっとだけど車で送ってあげよう」
「助かります。何しろ、富山は生まれて初めてなんです」
さくらが一歩に何日の旅程かと聞いた。
「あら、五日なのね?お父さん、石川君をうちに泊めてやって?」
「ああ、いいよ。でも都会育ちの君はびっくりするかな?」

駐車場にトヨタ・ランドクルーザーが停まっていた。車体がところどころ錆びていて、年式が相当古い。だが、タイヤが新しく、良く整備されているように見えた。さくらがリュックをトランクに投げ込むと助手席に乗った。さくらは、切れ長の目に、長い眉毛の北陸の日本女性である。豊かな黒髪を大人っぽく結い上げていたが、結構やることが荒っぽい。松雄が、ぽかんとしている一歩のリュックとピッケルを掴んでトランクに入れた。一歩がビニール製のサックを持って後部座席に座った。

「あら、石川君、釣り道具を持って来たの?今、イワナの季節よ」と振り返ったさくらが一歩に聞いた。
「いや、これ釣り道具じゃないんだ」
一歩が聞かれたくないかのように話を続けなかった。

「さくら、お父さん、北陸道に乗る前のインターチェンジで、コーヒーが飲みたいんだ」
「あ、ボクも飲みたいです」

松雄が運転するトヨタ・ランドクルーザーが富山市街を南へ走って北陸自動車道のICの駐車場で停まった。三人がコインで食券を買うと、コーヒーと生クリームがたっぷり盛られたストロベリーケーキを持ってブースに座った。一キロほど南に飛行場が見えた。その向こうに立山連峰が見える。赤い機体のエアバスが離陸して富山湾の方角に飛んで行った。

「石川君、あれね、富山きときと空港って言うのよ。あれは上海航空のエアバスよ」
「高峰君のおうちは何処にあるの?ボク、劔岳に登りたいんだ」
「劔岳?恐いわよ。五箇山白川郷って聞いたことある?こっちの方が安全よ」
「五箇山?」
さくらが一歩にマップを広げて見せた。

「ずいぶん、田舎だね?何があるの?」

一歩は田舎を見る気はなかった。立山を縦走して、剣岳の岩場を征服する考えだった。

「石川君、写真機持って来た?五箇山は世界遺産なのよ」

世界遺産と聞いた一歩が興味を持った。

「親父のペンタックスを借りてきた。十五万円したんだ。壊すなよって脅された」

さくらが笑った。一歩がペンタックスを取り出すと南の立山連峰をパノラマモードで撮った。三人が車に乗って北陸自動車道を西へ向かった。十五分も走ったかと思うと、小矢部栃波ジャンクションに着いた。そこから東海北陸自動車道を南へ走った。さくらの父親は観光バスの運転手のように規則を守った。一歩が、速度違反で常に東京地検に呼び出される父親を想った。左手に高い峰が見えた。

「あれね、高清水山っていうのよ。このあたりは温泉が多く湧き出ているのよ」
「野天風呂もあるの?」
「あるけど、登山家が利用するだけ。辺鄙な場所にあるから」
「石川君は、登山が好きなの?」

一歩が遠くを見る目になっていた。一歩は、自分でも富山を選んだ理由が分からなかった。登山雑誌で劔岳の写真を見たとき、この山が自分の死に場所ではないかと思ったのである。石川一歩が着々と自殺を準備していた。

「好きっていうか、山に登ると元気が出るから」

一歩が嘘を付いた。

「あら、そうだったの?」
「高峰君の部活は何?」
「カッター部よ。利根川にカッターを降ろして八人で櫓を漕ぐのよ」
「ええ~?江戸っ子のボクが山で、富山生まれの君は川なのか?」
「私ね、川や海が好きなの」

五箇山の標識があった。富山駅から五箇山まで、距離五八キロ、所要時間は四二分だった。富山市まで通勤できる距離である。松雄が五箇山総合案内所の前でランドクルーザーを停めた。三人が案内所へ入った。受付の初老の男が立上がった。

「あっ、高峰大将、今日はお休みなんですか?」
「田中さん、大将はいかん。ただの海上自衛官や」
「高峰君、お父さん、自衛官なの?」
「そうなのよ。一度、退職したんだけど、音楽隊の指揮者なのよ」
一歩の眼が輝いた。その音楽隊の指揮者がパンフレットを選んでいた。
「高峰君、音楽隊の話しを聞きたいな」
「日曜日に海王丸パークの魁皇岸壁で演奏があるわ。行きたい?」
「是非、、ボク、ブラスバンドが大好きなんだ」
高峰家は旧家である。合掌造りの大きな家だった。勾配の急な藁ぶき屋根から雪深い山村だと一歩にも判った。
「さあ、遠慮なく入りなさい」と松雄が言った。土間に入ると意外に涼しかった。
「いらっしゃい」と声がした。さくらの母親である。さくらの妹が挨拶した。目がクリクリした中学生である。
「お父さん、魚、買ってきた?」
「ああ、駅前の魚富でアゴとアカダイ買ってきたよ」
アゴというのは、日本海の夏の魚であるツクシトビウオのことである。
「石川君、トトボチって言うんだけど、トビウオのすり身なのよ。お父さんの晩酌の肴なのよ。東京なら銚子のイワシだけど、イワシよりもランクが上なの。アカダイは、味噌焼きが美味しいわよ。お刺身も美味しいけど。五箇山の人たちは焼き魚が好きなの」
「ボクもその方がいい。そのトトボチを食べたいな」
「ハハハ、君は酒飲めるのか?」
「はあ?」

松雄が心を読まれまいと警戒する一歩に陰気なものを感じた。


「佐々成政(さっさ なりまさ)をさくら君はどう思う?」
黙って歩いていた石川一歩が突然、高峰さくらに聞いた。三年間、クチを聞かなかったふたりの同級生は環境がそうするのか急接近していた。「さくら君、一歩君」と呼ぶようになっていた。リュックを背負ったふたりが五箇山をハイキングしていた。秋の高原の空気は涼しかった。ハイキングと言っても平坦な土地で散歩に近かった。色とりどりのコスモスが風に揺れていた。栗の木が実を着けていた。檜に停まったツクツクボウシが鳴いていた。音に敏感な一歩の頬が緩んだ。

「どうって?」
「いや、懸賞小説を書こうと思ってね。劇画を読んでて、この佐々成政を考え着いただけなんだ」
「私のご先祖が成政公の馬廻り衆だったのよ。私、成政があまり好きじゃないのよ」
「どうして?富山の領主だったんだけど?」
「成政は名古屋の人だし、信長に重宝な武将だったって言うけど、結局、秀吉に反抗して戦に負け、首をはねられるところを懇願して免れ、この富山の領地も取られてしまったってお父さんが言ってたわ。戦国時代ってヨーロッパにもあったし、小説の主人公に値しないと思うのよ」
「ふ~ん、富山県の遺産だけど、成政は関係ないか?それよりも、ふたりで劔岳か白馬(しろうま)岳に登らない?」
「う~ん、今回は無理かもね。私ね、海上自衛隊の講習を受けるの」
「へえ~?どうして」
「ウエーブって知ってる?海上自衛官になるの」
「あれ?教員になるんじゃなかったの?」
「私、性格がガサツだし、体育型だしね、セーラーの方が自分に向いていると自覚したのよ。一歩君はどうするの?」
「いやあ、ボクも中学校の国語の教員を考えて入ったんだけど、自分は陰気だから生徒に好かれないと思う」
「一歩君、あなた、それほど陰気じゃないわよ。ガーリーだけど、日焼けしてるし。東京にはいくらでも仕事があるわよ」
「親父が怒るだろうな」
「一歩君のお父さん何してるの?」
「浅草の路上でトランペット吹いてる」
「まあ、ミュージシャンなのね?」
「いや、大道芸人さ」
「一歩君のお母さんは?」

一歩が、自分の母親が一歩が小学六年生のときに自殺したと話した。さくらが沈黙した。家に戻ると松雄が大斧を振るって、ナラの木の幹を割っていた。一歩が上半身裸になると、薪をリヤカーに積んで納屋に持って行った。さくらも妹も手伝った。松雄が、手斧を持ってきて、一歩に薪木の作り方を教えた。ヒグラシが鳴いていた。山岳地帯は陽が沈むのが早い。夕闇が迫った頃、作業を終えた。これが五箇山の冬支度であった。


伏木港万葉岸壁三号に音楽隊が集まっていた。川の向こう岸に海王丸パークが見えた。護衛艦おおなみが岸壁に横着けされていた。天高く馬肥えるという快晴である。おおなみの船尾の日の丸の旗が海風にはためいていた。観光客が参観できるというので、埠頭に集まっていた。吹奏楽が始まるのを待っているのである。ユニフォームに白い制帽を被った高峰松雄が指揮棒を振った。儀礼曲は、君が代行進曲と軍艦マーチである。さくらがおおなみの艦内に一歩を案内した。

「さくら君、いつ、入隊するの?」
「正式には、三月に高校を卒業してからなんだけど、大学に進学しないと決めたんで、お父さんとボランテイアをしているのよ」
「さくら君は、進路が決まっていいね」
一歩の声に寂しさがあった。さくらに遅れた自分を想って情けなくなっていた。

「一歩君、ほんとうに単独で劔岳の岸壁を登るの?カニノタテバイって急傾斜の雪渓があるし、ベテランの登山家でも滑落して死ぬのよ」
「うん、氷雪を回避するから、大丈夫」

一歩が、さくらと松雄に感謝のことばを述べて歩き去った。さくらが、ピッケルをリュックに差して、ヘルメットを括りつけた一歩の背中に寂しさを感じていた。

「そうか?さくら、お父さんも同じことを考えていた。石川君は自殺するだろう。石川君の読んでいる車輪の下は、生きるべきか、死ぬべきかと悩む神学生の話しなんだ」
「直感なんだけど、カニノタテバイから飛び降りる感じがするのよ」
「そう思って、家から登山道具とテントを持ってきたんだ。陰からついて行こう」
「お父さん、拡声器を持って行こうよ」

松雄がおおなみの自衛官から拡声器を借りた。

室堂から劔岳に登る場合は、剱沢で一泊するのがオーソドックスな登山スタイルである。劔岳の登山口である室堂への交通機関は、ケーブルカーや高原バスを乗り継ぐ「立山黒部アルペンルート」と富山駅前から室堂に直通する「夏山バス」の2種類がある。一歩は、夏バスを選んだ。さくらと松雄のランドクルーザーは先回りすることにした。夏バスがバス停にくるのを見た松雄がランドクルーザーを発進させた。一時間二〇分で室堂の登山口に着いた。一歩は安い室堂山荘を選ぶだろうと松雄が室堂ホテルの駐車場にランドクルーザーを停めた。二〇分後、やはり、夏バスが室堂ロッジの前で停まった。一歩が降りるのが見えた。一歩が山荘の受付で登山届を提出した。十月の登山客は少なかった。


十月四日の夜が明け始めていた。さくらが腕時計を見ると六時である。さくらが布団を跳ねのけると室堂山荘に電話を掛けた。

「石川さまは、十分前にチェックアウトしました。何か?」
「いえ、同級生なんです」

さくらが布団にくるまって寝ている松雄を起こした。アノラックを着て登山靴を履くと、外に出た。チェックアウトは昨夜、済ませてあった。ランドクルーザーを室堂平の登山口の駐車場に置くと、リュックを背負って剣岳を目指して歩いた。松雄が拡声器をさくらの背中のリュックに結んだ。さくらが双眼鏡で登山者のグループを見ていた。最後尾を一歩が歩いているのが見えた。

「お父さん、石川君ね、劔沢キャンプ場に泊まると思うの」
「さくら、俺もそう思う。カニノタテバイだろう。別山尾根から劔岳に登るとすると、劔沢の山小屋だろう」

一歩はなかなか健脚のようだ。室堂 を出てから四五分で雷鳥沢キャンプ場 。三五分で 立山室堂山荘 。四〇分で一の越山荘。四五分で雄山。一〇分で富士ノ折立 。三五分で真砂岳 。四〇分で 別山南峰。二五分で剱御前小舎。三五分で剱沢キャンプ場 に到着した。アルピニストの上級コースである。石川一歩は六時間弱で剱沢キャンプ場に入った。太陽が真上に来ていた。さくらと松雄が一歩から離れた場所に夫々のテントを張った。キャンプ場だが、岩がゴロゴロ転がっている緩やかな斜面なのだ。さくらと松雄は室堂ホテルの売店で買った弁当を開けて食べた。さくらが、双眼鏡を取り出すと、腹ばいになって、やはり弁当を開けて食べている一歩を見ていた。一歩が水筒の水を飲むのが見えた。一歩のノドボトケが動くのが見えた。さくらの背筋が冷たくなった。

「お父さん、今、石川君に会ったらどうかしら」
「いや、待とう。石川君が二度と自殺を企てることのないようにタイミングを計ろう」

ふたりが仮寝した。四時間が経った。陽が暮れ始めていた。一歩がテントから出て、湯を沸かしていた。インスタント味噌汁で弁当の握り飯を食った。辺りが暗くなった。一歩がランプを点けて、「車輪の下」をリュックから取り出した。松雄が湯を沸かした。こっちも握り飯であった。陽が沈むと気温がぐ~んと下がった。空が雷雲に覆われ、稲妻が走ると落雷が聞こえた。大雨がテントをバタバタと叩いた。


二日目の朝が来た。雨はすっかり止んでおり、谷間から霧が吹きあげていた。一歩がテントを畳むのが霧の中に見えた。

「さくら、カニノタテバイが恐いか?」
「写真で見たけど、鎖場は怖いわ。だって、初めてなんだもの」
「お父さんは、石川君より先に頂上に着きたい」
「わかるわ。でも、私、お荷物よ」

松雄がさくらの登山靴の紐を二重にして固く括った。ふたりがコバイケイソウの花が咲く登山道を一服剱に向けて登って行った。岩伝いの鎖場やハシゴのルートである。難所としてカニノヨコバイ、カニノタテバイと呼ばれる鎖場がその先にある。「浮石が多く転倒、滑落事故が多い」と注意書きがあった。鎖場には番号が付いていた。親子が5番目鎖場のトラバースを終了し、簡単な6番目鎖場を下り、前剱の門の鞍部に立っていた。 平蔵の頭まで稜線上の穏やかな登りが続いた。平蔵の頭に向かう岩場のトラバースが8番目鎖場である。親子は何なく通過した。平蔵の頭に降り立ち、右方向に進んだ所が、剣岳の核心部であるカニノタテバイの取り付きである。 カニノタテバイを下から見上げると傾斜は緩く感じる。だが、実際は約七〇度の壁が一七メートルほど続く難所なのである。カニノタテバイを登り切れば難所が終了し、簡単な岩場を登ると目的地の剣岳山頂なのである。剣岳山頂からは、別山の先に立山三山、遠望には、白馬岳、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳と連なる後立山連峰の眺望がある。

カニノタテバイの斜面が見えた。一歩が鎖を使わず、東斜面をトラバースするつもりなのか岩に腰かけて、アイゼンを登山靴に取り付けていた。つぎに、皮手袋を履くと、ピッケルを手に持った。雪渓があるためアイゼンとピッケルが必要なのである。

「まずいな。さくら、拡声器をよこせ!」
「でも、私たちが先に頂上に着けるわよ」
「う~む、まあ、ピッケルを持ってるから飛び降りるつもりじゃないんだろう」

さくらが、前剱を見ると垂直の壁に見えた。これが冬には氷壁となるのである。鎖場は意外に緩やかだった。親子が劔岳の頂上に立った。下を見ると、一歩がルートから離れた岩に腰掛けていた。

「あら、頂上に来ないのかしら?」

一歩がリュックに括ってあったあのサックを手に持っていた。サックから一歩が取り出したのは、トランペットであった。一歩がトランペットを吹き出した。

「マイルス・デイビスの死刑台のエレべーターだな」
「死刑台のエレベーター?」
「石川君はプロ級のトランぺッターだ」

吹き終わると、一歩がトランペットをサックに入れて立ち上がった。

「さくら、拡声器をよこせ!」

さくらは父に答えず拡声器を口に当てた。

「石川君、死んじゃ駄目よ!」

さくらの声が北アルプスの峡谷にこだました。びっくりした一歩が振り向いた。

「あなたが死ぬなら私も死ぬ」

これはさくらの咄嗟の思い付きなのだが利いた。一歩がさくらと松雄を見て動顛していた。

「石川君、死ぬことはない。頂上に登ってきなさい」

松雄が自衛官に戻っていた。そしてザイルを腰に巻くと崖下ヘ投げた。初めにリュックとピッケルを引き上げた。ザイルを掴んだ一歩が登って来た。三人が無言で抱き合った。さくらが泣いていた。それを見た一歩の眼から涙がこぼれ落ちた。三人は劔山荘ヘ向かって山を下りた。山の上部は森林限界のハイマツ帯である。アオノツガザクラやハクサンイチゲなどの高山植物が自生していた。雷鳥が飛び立った。三人は、途中、みくりが池で裸になり温泉に入った。


さくらが東京へ帰る石川一歩を富山駅の改札口で送った。

「私も、十一月から授業に出るわよ。戸山高校で会いましょう」
「うん、そうだね。さくら君のお父さんが勧めてくれた海自の東京音楽隊に入れるようにトランペットを練習するよ。学校に戻って卒業するよ」

石川一歩が白い歯を見せて笑った。勝気で男っぽい、高峰さくらが涙ぐんでいた。

「それなら,護衛艦おおなみの出航式で会えるわね?」
「出航って、ウエーブの初航海はどこへ行くの?」
「ロシアのウラジオストックってお父さんが言ってた」
「ボクも、海上自衛官になる。六ヶ月の訓練の後だから、来年の九月かな?」
「一歩君、その髪の毛、切られるわよ。でも、制帽が似合うわ」
「ハハハ」

そのとき、ピンポンパンとチャイムが鳴った。

――一〇時五〇分発、東京行き上り、新幹線つるぎ706号が間もなく一四番線に到着致します。停車時間は三分ですので、お乗りのお客様はお急ぎください。

石川一歩が高峰さくらの肩を抱いた。さくらが両手で一歩を抱きしめた。それを松雄が見ていた。

―完ー

2018/10/30 (Tue) 十六人のロビンソンクルーソー
antarctica lonely


十六人のロビンソンクルーソー

終戦後、十二年が経っていた。宮城県気仙沼港から大王丸が処女航海に出た。百八十トンの大王丸は遠洋はえ縄マグロ漁船である。乗組員は伊勢者十六人であった。乗組員の練習を兼ねて三陸沖から北海道の函館沖でクロマグロを追った。大王丸が焼津で初荷を降ろした。十月、近海マグロの漁期が終わった。十一月の初旬、大王丸は、南太平洋に足を延ばすことにした。ニューカレドニアヘ行って、ビンナガを取った。年末に気仙沼港に帰った。水揚げも良く、乗組員に事故もなく、病気も出なかった。乗り組員にボーナスを払った。十六歳のリクが生まれて初めてボーナスを貰った。

「親方、水産庁が、メバチ、ビンナガならハワイ沖、ニュージーランドから南極海ヘ行けば、ミナミマグロの季節や言うとるわ」と船長の甲子男が漁労長に言った。

「南極海か?ちょっと遠いなあ。保険も上がったしな」

「そんなら、ビンナガ追ってハワイヘ行こう。わしら、南極海は行った事がないし、海難事故にでも遭ったら、二度と日本の土を踏めへんで」と航海長のゲンタロウが言った。ゲンタロウは甲子男の叔父さんである。

昭和三十四年の正月、大王丸が気仙沼を出港した。ウエーキ島の沖で、二千本の針の着いた枝縄を海水に降ろした。六時間後、はえ縄を引き揚げると、メバチが掛かっていたが、頭だけ残して胴体がなかった。

「シャチや!」

「親方、これやとハワイもあかんやろ。マーシャル群島ヘ行こか?」

「甲子男、おまえが言うとったニュージーランドの南ヘ行かへんか?タスマニアが安全やが、アホウドリが釣ったマグロを食い荒らすそうやで」と親方が言った。

気仙沼を出てから十四日が経った。大王丸は、五千四百七十六キロ南へ来ていた。北緯〇度、東経 一六〇度である。ニュージーランドの南へ五百キロ行くとマッコウ鯨が潮を吹くのがあちこちに見えた。はえ縄を流した。ついに、ミナミマグロの顔を拝むことができた。マグロで、船倉をいっぱいにして大王丸が焼津ヘ帰った。水揚げが終わると再び北極海に戻った。だが、親方が、マグロの数が減っていると甲子男に言った。

「水温が上がっとんのや」

「親方、もっと南へ行ったら獲れるんか?」

「南氷洋へ行けばおるやろな」

ふたりは、そのときは、まさか、あんなことになるとは思わなかったのである。

六月に入った。大王丸がニュージーランドから千キロ南に来ていた。水温が十度でマグロが好む温度である。やはり、連日の大漁であった。ところが、四日目、二千本の針に一匹も掛からなかった。

「マグロは何処へ行ったんやろか?」

「水温が十五度に上がっとる。南へ行ったんや」

大王丸は西経一八〇度線を南に下っていた。南緯は五〇度であった。これは、南極海の真っただ中ということである。そこからさらに南は氷が漂う南氷洋である。

「船長、これ以上、南は怖いで。氷山が浮かんでおるやろ」とゲンタロウ叔父さんが、甥の甲子男を船長と呼んだ。――おまえは、十六人の命を預かる船長やでと言いたいのだろう。

はえ縄を五時間掛かって海水に流した。二時間後、引き揚げると五十本ほどのミナミマグロが掛かっていた。次の日も同じであった。二日目の夜、低気圧の中にいた。大王丸が高波の中に突っ込んで行った。船尾が宙に浮くとプロペラがカナキリ声を出した。そのとき、短波ラジオが警報音を出した。捕鯨船団だ。

「大王丸、それより南は氷山の棚が横たわっている。北へ進路を取られよ」

「こちら大王丸。警告了解。視界、極悪。北へ戻る」

「航海の安全を祈る」

「甲子男、この暗い海では何が起きるか判らん。わしは、氷山が怖い。方向を北へ取ってからいくらも進んでおらん。さっきの大波で短波ラジオのアンテナが壊れてしもた」

「叔父さん、何が原因なのか速度が出んのや」

「わしら西へ流されとるで。雪まで降って来た」と髪に白いものが混じった親方が悲痛な声を出した。日本に残してきた家族を想っているのだ。

六月の八日、霞が関の海上本庁が捕鯨母船から報告を受けた。ラジオで呼びかけたが大王丸が応答しないと言っていた。海保が色めき立った。

六月十八日の朝、雲間に青空が見えた。海面に流氷が漂っていた。あるものは大形トラックぐらいのサイズであった。どういうわけなのか靴の形をしていた。ゲンタロウが煙突の上に上って行った。見ると煙突そのものが半分に折れていて、一部が中に落ちていた。これが大王丸の速度が出ない原因であった。アンテナのディッシュは根こそぎ消えていた。甲子男が機関を停めた。こうして、大王丸は海上に漂っていた。煙突は修理できたが、短波のディッシュがどうにもならかった。甲子男は機関を始動させて北ヘ進路を取った。ゲンタロウが船首の探照灯を点けた。甲子男が航速を十五ノットに上げた。ジーゼルが力強い音を立てた。だが、午後五時を過ぎたころ、再び北風が吹き出して波が高くなった。ピッチングとローリングに翻弄された。その上、みぞれ交じりの小雪が降り出した。

「甲子男、小さくても氷山は怖いで」とゲンタロウが言うと、甲子男が航速を五ノットに落とした。これでは、波間に停止しことになる。それでも暗闇で氷山に衝突するよりは良いと考えた。

「みんな寝ろ。起きとるのは、叔父さんと俺だけや。叔父さんも寝たらどうやな?船は停止したも同じやから俺だけ起きとりゃええ」

この判断は間違っていた。昼間の疲れが出た甲子男がウトウトと眠ってしまったのである。

「甲子男、起きろ!右舷を見ろ!」

甲子男が目を覚ますといつの間にかゲンタロウが横に来ていた。探照灯の中に氷山がぼんやりと映っていた。戦艦大和ぐらいのサイズなのだ。甲子男が舵輪を左へ回した。大王丸が見えなかった氷山に当たった。大王丸が横転した。ぐっすりと寝ていた乗組員たちがベッドから放り出された。三人の少年がパニックした。親方がリクの頬を平手で叩いた。

「救命具を着けろ!」と航海長が伝声管に向かって怒鳴った。だが、大王丸は海面に横にはなったが、沈まなかった。左舷側に、甲子男、ゲンタロウ、玉夫と乗組員たちが立っていた。辺りが明るくなり初めていた。気温がグングンと下がって行った。

「みんな、船室を整頓しろ!」

「甲子ちゃん、ジーゼルは、何人かかっても起こせへんで。そやけど、救命ボートの発動機で発電できるかも知らん」

これはうまく行った。電灯が点いた。。料理用のプロパンガスも使えた。湯を沸かして船室を温めることができた。食料は心配なかった。餅、うどん、肉類、牛乳、乾燥野菜が氷点下で凍っていた。

「叔父さん、運命を天に任せるしかないなあ。このままやと、南極へ流れ着くで」

「甲子男、失望したらいかん」

漁船員は楽天家が多い。誰も悲観しなかった。鉱石ラジオを持っている者がほとんどだった。演歌を聞いたり、落語、漫才、浪曲、、広沢虎造の森の石松を聞いた。

「甲子男、海保がイギリスの砕氷船に俺たちを捜してくれと頼んだらしい」

八月三十日になった。遠くに飛行機の爆音が聞こえたが、機影は見えず、北へ飛び去った。六月十九日に、大王丸が氷山に衝突してから七十日が経っていた。ゲンタロウが六分儀とクロノメーターを睨んでいた。みぞれもなく、波浪も静かだった。

「甲子男、西経は三五度、南緯は四〇度に近いでえ。すると、五千キロは西へ来とるね」

ゲンタロウが地図を広げて赤鉛筆で、ある地点に丸を描いた。

「ええ~?ケイプタウンの南におるんやな?そのサソリのような形の岬はなんや?」

「ラーセン氷棚ちゅうんや。陸地の岸にできた氷の縁側なんや」

「ほなら、わいらは南極ヘ来とるんか?」

「親方、その通りや。今日、南極が見えるやろ」

「叔父さん、南極が見えた」と甲子男がゲンタロウに双眼鏡を渡した。双眼鏡に高く険しい山脈が映った。夕刻にラーセンに着いた。氷原にテントを張った。船内ヘ戻って、米、味噌、醤油、塩、砂糖、、持てるだけの食料を担ぎ出した。リキが東の空を見てドキッとした。巨大な闇がこちらに向かって走ってくる。月の影なのだ。その影は瞬く間に空の半分を覆った。西を見ると太陽がみるみる弱くなった。オレンジ色のコロナの輪が見える。まるで悪夢を見ているようなのだ。

翌朝、リクが小便にテントを出ると、ペンギンが並んで見ていた。ゲンタロウが指揮して救命ボート二隻を持ってきた。気温はマイナス二度だった。

「叔父さん、救命ボートをどうするんや?」

「運搬用のソリを作るんや。食い物やが、持てるだけ持って行こう」

ラーセンの岸に着くのに三日かかった。雪原にテントを張った。

「機関長、これいかんな」と甲子男が自作のアンテナを試して言った。

「甲子ちゃん、増幅器がないとあかんのや」

飯を作る以外、やることがなくなった大王丸の一家が南極探検を楽しんだ。セイウチや白熊を見て喜んだ。だが、ついに十月になった。南極に春が訪れたのである。リクたち三人の少年が湖を見つけた。リクが戻って来た。

「航海長、湖の底に森があるでえ」

みんなが驚いて見に行った。湖底に針葉樹の森が鬱蒼と茂っていた。生き物はいなかったが、毬藻のような藻が生えていた。

昭和三十五年の正月が来た。青年たちが残りの餅で雑煮を作った。スキ焼、白菜の漬物、、鯵の干物、、日本酒を鍋で沸かして祝った。食料が尽きる一歩手前であったが、アザラシを食えばいいと思うようになっていた。

甲子男が毛布に包まって寝転がると通信科学入門を読んでいた。甲子男がガバッと起きて機関長の肩を叩いた。

「玉夫さん、これ読んでみい。モールス信号の簡単なのができると書いてある」

ふたりの興奮した声を聞いてみんなが集まって来た。二時間で無線機が完成した。電線でアンテナを張った。全員が注目していた。海軍で通信を習ったゲンタロウが電鍵をカタカタと打った。返事はなかった。二時間、なんども繰り返したが返事はなかった。

「届かんのやろ」と親方が悲しい声を出した。そのとき、電鍵がカタカタと鳴った。ゲンタロウがガバッと起きて無線機の前に座った。五分ほどで電鍵が停まった。

「おい、甲子男、南アフリカのケープタウンからやで」

甲子男が目を丸くした。

「何を言うてきたん?」

「位置を知らせよと言うて来た」

「万歳!」

クルーが踊り上がった。ゲンタロウが位置を知らせた。五分後、また電鍵が鳴った。

――シャベルはあるか?雪を慣らして、八〇〇メートルの滑走路を造れ!明日の正午、北の空を見よ。貨物機が見えるか、または、爆音が聞こえるはずだ。病人はいないのか?

――全員、十六名は元気である。貴国の親切を忘れることはない。

「おい、リク、コーヒーを沸かせ!パンを焼け!残りの一五名は滑走路を造れ!」と甲子男が船長に戻っていた。

去年の正月、気仙沼の港を出てから一年近くが経っていた。快晴である。午前十一時、親方がベンチを壊して作った薪に火を着けた。十六人が北の空を見ていた。爆音が聞こえた。双発の軍用機だ。十六人が千切れるばかりに手を振った。軍用機が頭の上を一周すると楽々と着陸した。胴体のドアを開けてパイロットが二人降りた。十六人が駆けだして行った。

「ハロー、ロビンソンクルーソー』

大王丸の一六人を乗せたアブロアンソンが雪原を離陸した。水平飛行に入ると、副操縦士が紅茶のポットとビスケットを持ってきた。ケープタウンまで六千九百キロで、十六時間だと言った。紅茶を一口飲んだ十六人の頬を涙が流れて膝の上に落ちた。



【注意】 著作権は伊勢平次郎にあり。コピー厳禁です。伊勢

2018/10/27 (Sat) アンドロメダの蟻人
andromeda garaxy


アンドロメダの蟻人

爬虫類、魚類、鳥、虫、、ワタルがアマゾンの生物図鑑を見ていた。

「ワタル、もう十二時よ、寝なさい。また学校に遅れるわよ」

ワタルは高校一年生である。富子は息子が動物に興味があることを喜んでいた。自分もそうだったからである。ただ、富子の興味がパンダなど珍獣に対してワタルは昆虫に興味があった。

「お母さん、明日、先生のストライキで学校は休みなんだよ」

「ええ~?始業式があったばかりなのに先生がストライキするの?」

「公務員もストライキして良いことになったんだよ。先生たちね、明日から三日間、闘争するなんて言ってた」

「じゃあ、ワタルたちはどうするのよ?」

「自習でリポートを出すことになってるんだよ」

「ああ、それで大好きな生物図鑑を見てたのね」

「ボク、明日、豊島園の昆虫館に行くよ」

翌朝、ワタルがランチ代の千円を持って本牧満坂の家を出た。根岸線の山手駅から横浜へ行き、JR湘南新宿線に乗って池袋ヘ出た。池袋から西武線に乗った。吊り革に掴まったワタルが「豊島園駅前で、やっぱりカレーライスにしよう」などと考えていた。

「山城君」という声がした。ワタルが振り返ると黒岩先生だった。

「あれ、黒岩先生、ストライキじゃなかったのですか?」

「いや、ボクはまだ正式に教員じゃないんだよ」

黒岩傑(まさる)は新任の理科の先生である。黒岩は仮採用の期間だった。公立高等学校の教員採用は競争試験ではなく選考試験によることが定められていた。

「山城君、豊島園に行くの?」

「そうです。新種のヘラクレスオオカブトが入荷したってウエブに乗ってたんです」

「ああ、ボクも、あるものを捜しているんだ。良かったら、一緒に見に行こう」

「勿論ですよ。嬉しいです」

父親が早逝して、母親の手ひとつで育ったワタルは嬉しかった。二人が豊島園で降りた。

「山城君、まだ昼には早いから先に昆虫館を見ようか?」

教師と生徒がヘラクレスオオカブトを見たり、シジミ蝶が展覧されている熱帯昆虫館を見に行った。多くの珍種が入荷していた。デング熱の伝染体であるインドのヒトスジシマカ(一筋縞蚊)にワタルが魅せられていた。黒岩はシジミ蝶を凝視していた。

「先生、蝶々に興味があるんですか?」

「うん。だけどね、これはアマゾンに棲んでいる珍しい蝶なんだよ。アイスクリームを買って映画館ヘ入ろう。貴重なビデオを見せてくれるんだ」

スクリーンに樹皮を覆う飴色の蟻が映った。ワタルの肌が泡だった。黒岩を見ると表情が変わっていなかった。黒岩が解説に興味を持っているようだった。ブラジル、アマゾン河上流とサブタイトルが出た。どんよりとしたアマゾン河と黒いジャングルが映った。ドキュメントではない仮想劇である。探検用の白いヘルメットをかぶったアクターがジャングルの中を歩いていた。

――1961年、スプートニクが宇宙を飛んだ年のことだった。激しい風雨の中でアマゾンのジャングルを歩き回っていた英国人の昆虫学者、ジャック・デインジャーフィールド博士は、かつて見たこともない奇妙な光景を目撃した。雨に濡れた木の幹を、樹皮によく似た色の幼虫が這いまわって、何かの卵をさかんに食べている。「これは一体何なんだ?」と博士は思った。博士が注目したのは幼虫ではなく、その幼虫のお尻を前足でトントンと叩いている胴体が飴色で尻が赤黒い蟻であった。蟻の頭には触角が二つ付いていてそれを交互に動かしていた。だが蟻ではなかった。脚が六本ある蟻ではなく四本である。瑪瑙に見える目が大きく可愛らしかった。雌なんだろうか?デインジャーフィールド博士は、ロンドンの化石博物館で見た白亜紀の節足動物ではないかと思った。化石が生きている?どこをどう見ても説明がつかない。デインジャーフィールド博士はその節足動物をいくつか採取してイキトス研究センターに持ち帰ったが、すべて死んでしまった。そこで昆虫学者に連絡を取り、この得体の知れない節足動物は何なのか、誰か知らないかと聞いて回った。「目が似ていないが、ヒアリの新種ではないか?分からないという返事が大半でした」とデインジャーフィールド博士は振り返る。その後、博士は昆虫学者を募って再びアマゾンに戻ったが森は焼かれておりあの黄色い樹までが消えていた、、

銀幕に現在のジャングルが映った。蔦が絡む幹が緑色の樹が映った。何かの幼虫が群れていた。「う~む」と黒岩先生が言うのをワタルが聞いた。黒岩がスクリーンに映った樹の写真を数枚撮った。ワタルが「売店でスライドを買えば済むのに」と思った。ふたりは、夕方まで昆虫館を楽しんだ。外に出て駅前でカレーライスを食べた。

豊島園に行ってから一ヶ月が経った。黒岩傑は採用されなかった。神奈川県教育委員会は黒岩を高校の教員に不適任と裁断したのである。その理由は入国管理条例違反である。不採用の決定を北島会長が国立自然科学大学に伝えた。北島が、黒岩の担任だった川島生物学博士に「不採用の理由は電話では話せない」と言った。そこで川島教授に横浜の教育委員会に出頭して貰った。

「黒岩傑さんは、人物も良く、まじめで優秀な教員なんですが、神奈川県教育委員会は不適任と判断したんです」

「ほう?それはまたどうしてなんですか?」

「川島教授さん、アマゾンにゴールデン・ダイアブラという肉食蠅が生息しているのをご存じですか?」

「はあ?」

「生きた馬を食ってしまう悪魔の蠅です」

「それが黒岩傑君とどういう関係があるんですか?」

「教授さん、黒岩さんは、卒業する前年の冬にブラジルへ行ったんです。ペルーとの国境のアマゾンの上流です。ブラジルは夏季なんです。そのダイアブラ蠅の幼虫を持って帰ろうとして、入管で取り上げられたんです」

「私の生徒がそんな危険な蠅を?黒岩君は真っ裸にされたんですか?黒岩君は教師には絶対に向きませんね。本人には凶悪な犯罪を犯したという認識はあるんでしょうか?」

「いいえ、アメリカでは研究されており、研究のために持ち帰った自分には罪などないと言い張っています。幼虫は死んでいましたので釈放されたんです。ところで、黒岩さんの卒業論文は何だったんですか?」

「イキトスのジャングルの中で人間に似た蟻を見たと書いたんです」

「イキトス?アマゾンですね?人間に似た蟻ですって?」

「二本脚で立っていたそうですよ。節足動物のような手足に剛毛が生えており、頭に触覚を持つ蟻だったが日本語をしゃべったと教授会にリポートしたんです」

「ええ~?半人半獣は空想ですが、半人半虫ですか?それで写真はないんですか?」

「黒岩君は、カヌーでイキトスの港へ帰る途中、カヌーが揺れた瞬間、カメラをアマゾン河の泥流に落としてしまったと言ったんです」

「物証はないんですね?」

「全く、ありません。だが一緒に行った友人が証言しているんです。だが誰も信じていません。北島会長さん、仮採用中の黒岩君は生徒には人気はありましたか?」

「ええ、UFOの話が面白いと評判の良い先生でした。採用されないと聞いた生徒が泣いたんです」

「黒岩君はUFOを信じていたんですか?」

「信じていたなんて、UFO学会の日本会長なんですよ。教授さん、知らなかったんですか?」

「はあ?知りませんでしたが、黒岩君は昆虫学科の博士号を取るために再入学を希望しているんです」

「博士号のテーマは何なんでしょうか?」

「アンドロメダの蟻人というテーマなんです」

「そのアマゾンで見たという蟻人ですか?」

「そうです。アンドロメダ星雲に棲む蟻だそうです」

「はあ?黒岩傑さんは、先覚者なのか、または狂人かも知れませんね。このテーマは、また聞かせてください」
黒岩を採用しなかった北島会長は、宇宙から来た蟻人など信じなかった。北島はそれよりも日本に上陸したデング熱を心配していた。

夏休みがやってきた。クマゼミが本牧満坂の栗の樹に掴まって騒がしく泣いていた。ワタルの携帯が震えた。黒岩だった。

「お母さん、黒岩先生が群馬県立天文台を見せてくれるって。一晩泊まって行けっておっしゃってる。ボクね、この頃、天文学にも興味があるんだ。銀河系の外にも生物が棲んでいると先生が言ってる。水棲類よりも昆虫の可能性が高いんだって」

「ワタルは生物学者になるのが夢なのね?」

「ボク、黒岩先生が大好き」

「ちょっと変人だってね?」

「そんなことない」

ワタルが東京駅から上越新幹線に乗って上毛高原で降りた。一昔前には、「みなかみ」と呼ばれた温泉町である。山間に夕闇が迫っていた。黒岩先生がワゴン車で待っていた。天文台に一〇分で着いた。スキー場があちこちに見える。

「ワタル君、本当は冬の方がアンドロメダはよく見えるんだがね。夏の夜はシンチレーションが多いから反射望遠鏡でもショットが撮り難いんだ」

反射望遠鏡は日本で最大の一五〇センチである。一般には公開されていない。「黒岩君、元気そうだね」と作業服を着た猿沢技師が挨拶した。猿沢は中学時代の同級生なのだ。

「猿沢君、お久しぶり、これはね、山城ワタル君。ボクの生徒だったんだ。アンドロメダを見せてくれないか?」

「ああ、アンドロメダ銀河は宇宙探検の次の駅だからね。肉眼でも見えるけど反射望遠鏡で見よう」

「宇宙探検の次の駅ですって?」とワタルが叫んだ。だが、アンドロメダは二五〇万光年も天の川から離れている。一光年は約9.5兆キロメートルである。つまり、アンドロメダまで最新のイオンロケットでも一五〇〇年はかかるのである。アンドロメダ探検は天文学者の関心だが、予算が宇宙的な数字で、宇宙士の人権問題もあるので、ほとんどあきらめていた。それを聞いたワタルががっかりしていた。三人が望遠鏡の三方からアンドロメダを見ていた。

「ワタル君、キラキラと輝いているのは恒星なんだよ。つまり太陽。一兆個もあるらしいよ。薄紫の雲がプラネットなんだ。つまり地球のような惑星群。この星雲の中には何百もの天体がある。温度を計ると、M31という惑星には地球の白亜紀のような熱帯樹林があることが判ったんだ。黒岩先生から聞いたかね?」 望遠鏡から目を離した猿沢技師がワタルに聞いた。

「はい、黒岩先生は、アンドロメダ星雲のひとつから流星の雨が降るのが見えたっておっしゃっています」

「五十年前、ソ連のスプートニクが打ち上げに成功した時代に英国の天文台が写真を撮ったけど、最近になって、日本の天文学会は流星群ではないと否定したんだ。大学生だったボクと黒岩君は論文を書いて抗議したが、バカゲテいると一蹴された。ボクらは、現在もその流星群を追ってるんだ。それどころじゃない。太陽系に近付くとほとんどの流星は木星などの大気で燃えてしまったんだ。だがね、アマゾンの原住民がアマゾンの河口に蛍光灯のような光を見たって言ってるんだ。ボクと黒岩君は、イキトスに行った」

ここまで聞いたワタルの背中がゾクゾクしてきた。話しているうちに、真夜中になったので黒岩の本家に泊まった。農家だった。蚊帳を吊って寝た。夏なのに鈴虫が鳴いていた。翌朝、藤原湖へ行って鱒を釣った。

「黒岩先生、それで、その二本足で歩く蟻なんだけど、襲われなかったんですか?」

「こう言ったら、ワタル君はボクを狂人だと思うだろうね。背丈が一メートルぐらいだったな。蟻というか蟻人は流暢な日本語で話し掛けてきたんだ。それにね、雌の方は赤いビキニを穿いていたんだ。老いた雄はフンドシだったな」

「ええ~?」

黒岩が話した。

「ミスター・クロイワ、ワタシたちはあなたを良く知っています。ワタシたち、アンドロメダ蟻人はあなたを選んだからです。ワタシの名前は、メアスカリ。隣の人はワタシの父ババカロです。ワタシたちを恐れる必要はありません。ワタシたちは生物を食べません。共存関係にあるタイガー蜂の蜂蜜を食べて生きています」

「ミス・メアスカリ、あなたたちは人間なんですか?」

「いいえ、一億年前は人間だったんですが、蟻に進化したんです。ワタシたちが地球に来た理由は、アンドロメダのM31がスペース・スパイダーに襲われたからなんです。ワタシたちの外側の惑星に蜘蛛が棲んでいるんです」

「はあ?蜘蛛は蟻を恐れますからね」

「はい、蜘蛛は一匹で襲ってきますが、ワタシたちは数百匹の群れですから」

ババカロが写真を見せた。黒い縞のある赤い蜘蛛で体長が五〇センチはあった。

「問題があるんです。実は、その蜘蛛もこのアマゾンに棲んでいるんです。ミスター・クロイワ、ミスター・サルサワ、どうかワタシたちを助けてください」

「宇宙船で来られたんですか?」

「はい。いずれ、お見せしますが、今、出来ません。スパイダーが必死に捜索しているんです」

ババカロが、老いた蟻、女子供を入れて三千匹の仲間がいると言った。今、幼虫を増やす段階なんだと悲痛な表情で語った。

「黒岩君、これ、雲を掴むような話しだね。誰も信じないよ」

「スパイダーがあなたたちを殺したいという理由は何なんですか?」

「ワタシたちは、M31がスパイダ―に占領されると恐れました。そこで、隣の惑星に中性子爆弾を打ち込んだんです。蜘蛛の帝が死にましたから復讐するために追っかけて来たんです」

「どれぐらいの勢力なんだろうか?」

「彼らもどんどん卵を産んでいますから、ここ一年でアマゾン全域を支配するでしょう」

「ところで、あなたたちの宇宙船はそうとう大きなものなんですね?」

「いいえ、M31を出たときは、ワタシたちは体長2ミリの蟻でしたから。三〇年前に地球に着いてから大きくなったんですよ」

「そのスパイダーも同じなんですか?」

「そうです。目に見えないような蜘蛛なんですが、やはり地球についてから大きくなったんです。彼らは肉食なんです」

「それじゃあ、ビデオを撮って録音するしかない。それでも、われわれは狂人扱いされるでしょう」

「それで、先生、卒業論文を書いたんですね?」

「教授会に一笑に付されたよ。でもね、教授の何人かは手を顎に当てて考え込んでいた」

「先生、そのスパイダーと蟻は、戦争になるんでしょうか?」

「いや、それどころじゃないだろう。蜘蛛は何しろ肉食なんだ。人類も消滅すると思うね」

それを聞いたワタルの背中が寒くなった。少年は母親の富子が蜘蛛に食われる情景を想像して震えた。

「先生、教授会も日本政府も耳を貸さないんだから、有志を募って蟻を助けましょう」

「ワタル君、今の地球はね、誰も責任を取りたくない世界なんだよ。一〇〇億円持っている富豪でも、カネを出さないだろうね」

「自分が消滅するのにですか?」

「いや、蟻と蜘蛛の戦争を信じないからね」

二〇二〇年の十一月のある日、玄関に出たワタルが郵便受けを開けた。差出人のない封筒が一枚入っていた。スタンプは見たことがない文字である。ただ、イキトスと読めた。ワタルの胸が騒いだ。

――ワタル、ワタシたちアンドロメダの蟻人はあなたをよく知っています。あなたが高校一年生であることも知っています。ワタシたちは、ワタルにしか出来ないことをお願したいのです。ミスター・クロイワとミスター・サルサワを説得して、アマゾンに来てください。もうご周知のイキトスです。人類は滅びます。蟻も、蜘蛛も中性子爆弾を持っているからです。ご返事は要りません。水上機を借りて、十二月二十四日のクリスマス・イブの日暮れにイキトスの上流を飛んでください。着水地点はすぐに判ります。メアスカリ

ワタルが黒岩に電話した。

「それ、ボクも、猿沢君も受け取ったよ」

「どうして、ボクが指名されたんでしょうか?」

「あのね、大人は大人を信じないんだ。高校生の君ならブラジル政府も信じるとメアスカリは思っているんだろう」

「先生、じゃあ、行きましょう。お母さんには、クロイワ先生と蝶々の採集に南米に行くって言う」

黒岩傑、猿沢技師、ワタルの三人がアマゾンの河口にあるイキトスの空港に着いた。やはり、もの凄いジャングルである。ただ、南米は夏なのだ。アマゾンの河岸に名も知れない巨大な赤い花や花弁が厚い鬼百合が咲き誇っていた。ワタルが見ていると、赤い唇のように見える花にハチドリがとまった。花の真ん中から赤い舌が出てきた。舌がハチドリを捕まえると花がその口を閉じた。「どれも食虫花なんだよ」と黒岩が言った。ジャングルの西に太陽が傾いている。河岸のホテルだが大きな丸木小屋で天井に扇風機が回っていた。アマゾンを訪れたアメリカ人がおおぜい泊まっていた。三人がステーキを頼んだ。何かやたらに香辛料を使っている。美味かったが不思議な味がした。ウエイターが写真を持ってきた。亀なのか魚なのか判らない古代生物である。ウエイターが何か言った。

「精力の源泉って言ってる」と隣りのアメリカ人が黒岩に言った。桟橋に水上機が繋いであった。東から月が昇ってきた。満月だ。

「ワタル君、あれだな。出発は真夜中だ。ここから四〇〇キロ上流へ飛ぶんだよ」

「先生、動物図鑑で知ったんだけど、アマゾンはアフリカと違う。魚でも、豹でも、何世紀も進化していないんです。だいたい、歯が違う。ピラニアは怖いです。鰐も、亀も、鮫も恐竜に近いんですよ。ただ、頭が悪いから問題ないんです」

「問題は、蜘蛛と蟻か?」と猿沢が言った。

「そうなんだ。知能指数が相当高いからね。何しろ、アンドロメダから宇宙船で飛んできた連中なんだから」

黒岩がパイロットの右横の座席に着くとベルトを締めた。パイロットと三人を乗せた水上機が波を蹴立てると離水した。ワタルが目を瞑った。月光の中を飛んだ。マットグロッソと原住民が呼ぶ密林が黒々と広がっていた。二時間も飛んだだろうか?月が消えた。先方に閃光が走った。雷雨だ!水上機の前ガラスに大粒の雨がバタバタと当たった。パイロットがワイパーを動かしたが、全く視界が利かない。

「ミスター、クロイワ、心配、要らない。計器飛行で行けるからな」

だが、そのコンパスがグルグルと回っていた。「何だこれは?」とパイロットが叫んだ。パイロットが雨雲の上に出ようとスロットルを全開にして操縦桿を引いた。すると、水上機が逆さまになって高度を下げた。パイロットはようやく水平に戻したが、水上機がどんどん高度を下げている。アマゾンの河面が見えた。パイロットも、三人も必死になって脚を踏ん張っていた。般若心経を読む声が聞こえた。猿沢だった。この水域はピラニアの天国なのだ。あわや!自分もアマゾンの一部になるのかとワタルが思って目を瞑った。すると、突然、機首が持ち上がって水平になった。

「俺たちは操縦されているんだ」とパイロットが叫んだ。蛍光灯のような光が見えた。豪雨でしぶきが河面に立ち上がっている。直径が一キロメートルはあった。蛍光の真ん中に黄色い渦が巻いていた。四人の乗った水上機がその真ん中に着水した。プロペラが勝手に停まった。パイロットがコックピットを開けた。これ以上、静かな世界はないと思うほど、あたりは静まり返っていた。蛍光がなければ真っ暗闇である。「ワタル」という女性の声がした。四人が声の聞こえた方角に目を凝らした。藻がびっしりと浮かんでいるばかりである。

「ワタル、あなたたちにはワタシたちは見えないのよ。今、カプセルを送りましたから乗ってください。地底のワタシたちの神殿にご案内します」

蛍光の中にブクブクと泡が立ったと思うと、卵の形をしたカプセルが浮かび上がった。ハッチが開いた。触覚を振り振り蟻が出てきた。「クロイワさん、ババカロです」と蟻が言った。四人は長いトンネルを通ったように思った。何度も扉を開けては閉める音がした。カプセルが停まった。ババカロがハッチを開けると何百燭光もの電灯の中に神殿が聳えていた。神殿はまだ完成していないらしく、蟻の労働者が働いていた。学校も、託児所も、病院もあった。赤いビキニを穿いた一匹の蟻がワタルに近着いてきた。

「ワタル、ワタシがメアスカリ。今夜、女王が歓迎会を開きます。あなたたちが食べる食料は沢山あります。ピラニアと果物なんですが」

メアスカリは触角に白いリボンを結んでいた。地位を表すのだろうか?人間なら十代か?メアスカリがその大きな瑪瑙に見える目でワタルを見ていた。女王蟻は天井に近い階段の上に作られた黄金の椅子に座っていた。女王は真ん中に大きなサファイアが嵌められたダイアモンドの王冠を被り、手にバトンを持っていた。女王が横にバトンを振ると宴会が始まった。宴会が終わるとババカロが立ち上がった。ババカロは将軍のようである。

「ミスター・クロイワ、ワタシたちアンドロメダの蟻は絶滅の危機に面しています」とババカロは言うと、兵隊の蟻に鉄格子の箱を持って来させた。体長が五〇センチぐらいの赤い蜘蛛が一匹入っていた。

「これが、アンドロメダ星雲のスパイダーなんです」

蜘蛛がもの凄い目でババカロを睨みつけた。

「殺してしまえ!」

「いや、こいつは、王子だ。こいつを殺すと全面戦争になる」

「それで、ババカロさん、ボクらに何が出来るんですか?」

「クロイワさん、蜘蛛は三年ごとに外皮を着がえるんです。新月から衣替えが始まるんです。そのときに奴らの巣に火を着ける考えなんです。だが、問題があるんです。奴らは巣をアマゾンのジャングルの土の中に作っているんです」
「いくつもということですか?」

「そうです。穴は三〇〇はあります。そこに、二万匹はいます」

これを聞いたワタルが日本へ飛んで帰りたくなった。ババカロが蜘蛛と交渉してくれと黒岩に言った。

「王子と交換っていうわけだね?」

「復讐をあきらめてくれれば良いのです」

「地球に共存するんですか?」

「いいえ、わかりません。蜘蛛たちは、われわれ蟻の絶滅を狙っていますから」

黒岩と猿沢が決心した。密使となって蜘蛛大王と交渉するのだ。だが、人類はどうなるのか?アンドロメダの蟻が地球にいる限り、蜘蛛も住み着く。黒岩も、猿沢も両方を亡ぼすしかないと考えていた。だが、どのようにして亡ぼすのか?そのとき、ワタルが黒岩の肘を突いた。

「黒岩先生、蜘蛛の天敵は蜂なんですよ。しかし、五〇センチもの蜘蛛を殺せる蜂など地球にはいない」とワタルが二人の科学者に言った。

「あっ、そうだったね」

「先生、蜘蛛を小さくする方法はないんですか?」

「うん、ババカロに聞いてみるよ」

ババカロの話は恐ろしいものだった。ババカロが、蜘蛛が処女の蟻を食うと元の姿に戻ると言ったのである。「処女?」ワタルがメアスカリを想った。少年は、メアスカリに惹かれている自分に驚いていた。

結局、その通りになった。赤蜘蛛たちは、アンドロメダに帰りたくなっていた。蜘蛛たちは蜘蛛大王の王子と処女蟻一〇〇匹を要求したのである。女王蟻が人身御供を差し出すことを拒絶した。だが、メアスカリと一〇〇匹の処女蟻は、自らが犠牲になることを申し出た。

「ワタル、お話しがあるの。ワタシと散歩に行かない?」

二人がオオシダの茂る河畔を歩いた。二人は手を繋いでいた。

「メアスカリ、何とか逃げることはできないの?」

「ワタル、蜘蛛がワタシたちを食べた後、5ミリのサイズになった蜘蛛たちを蜂が襲うことになってるのよ」

「でも」

メアスカリの大きな目から涙がこぼれ落ちた。ワタルがメアスカリを抱きしめた。メアスカリがつま先だってワタルに接吻をした。蜂蜜の甘い匂いがした。

蜘蛛たちは流線形の潜水艦に乗ってやってきた。甲板に並んだ蜘蛛たちは、どれも電子銃を手に持っていた。蟻も同じだった。1〇〇匹の処女蟻が連れて行かれた。「ドント、ウオーリー」とワタルにメアスカリが手を振った。黒岩、猿沢、ワタルが目を拭った。潜水艦が水面から姿を消した。残った蟻たちがドクターの前に並んだ。ドクターが霧を吹きかけると蟻が2ミリのサイズになった。3〇〇〇匹の蟻が列になって宇宙船に乗り込んだ。六本のロケットが噴射すると宇宙船がゆるゆると上昇した。三人の日本人とパイロットが手を振った。四人が乗り込んだ水上機が河面を滑走して離水した。

神奈川県教育委員会の北島会長が頭を抱えていた。夏休みに豊島園昆虫館に行った横浜本牧高校の生徒2〇人のうちの3人がデング熱に感染したのである。

「黒岩先生が引率されたんですね?」

「はい、そうです。インドから入荷した蚊なんです。ガラスのケースに入っていましたから安全だとみたんですが、日本の藪蚊と配合したらしいのです」

「山城ワタル君が、最も重症なんだって?」

「そうなんです。七日間も高熱が続いたんです。今朝、今里熱帯病研究所の病室を訪ねました。山城君は平熱になり、本人の意識は、はっきりとしているんですが、何か不思議なことを言うんです」

「例えば?」

「私が本牧高校の教員に不採用になったとか、、クリスマスに、群馬県天文台の猿沢技師とボクと山城君の三人でアマゾンへ一緒に行ったとか、、アンドロメダの蟻人や蜘蛛と会ったとか、、」

「それ、デング熱特有の幻覚だね」

「ええ、でも、とても描写が精緻なんです」

「お母さんの富子さんが、ワタル君は精神病じゃなければいいがと言っていました」

「復学させるんですか?」

「ええ、全く、問題がないんですからね」

ワタルが横浜本牧高校に戻ってから一月が経った。その土曜日の朝、郵便受けの音がカタンとしたので、玄関へ行って郵便受けを開いた。ピンクの封筒に入った誕生日カードであった。今まで誕生日カードを受け取ったことがないワタルが不思議に思った。差出人の名前がなかった。ワタルの胸が騒いだ。カードを開いた。

――ワタル、ワタシたちアンドロメダの蟻は、今朝、冥王星の横を通過して銀河を横切っています。三〇〇〇匹の蟻はみんな元気です。ワタルは、どうしてワタシが生きているんだと不思議でしょう?あの蜘蛛の潜水艦に乗ってアマゾンの水面下に消えた一〇〇匹の蟻たちは、クローンなんです。蜘蛛たちは遺伝子が同じなので気が着かなかったのです。蟻を食べた蜘蛛たちが5ミリのサイズになったんです。そこへ、タイガー蜂の大群が襲い掛かって、蜘蛛たちを皆殺しにしました。2ミリとなったワタシは、ワタルが見ていた宇宙船に乗っていたのです。ワタシはワタルを愛しています。是非、アンドロメダに来てください。ワタシは、いつまでも、ワタルを待っています。メアスカリ

―完―


伊勢平次郎爺さんが書いたSFです。みなさん、感想をください。そして拡散をお願します。出版社の注意を惹きたい。伊勢

2018/10/25 (Thu) あきらかに世界経済は後退する
dow 10.24.18

ニューヨークのウオール街はアメリカの経済の風見鶏です。あきらかに世界経済は後退し始めたのです。疑問は、「どこまで後退するのか?」です。伊勢は、「トランプは世界の経済にとって最悪の大統領」ということです。だが、アメリカが内向きとなっていることが最大の経済後退の原因です。日本は、首相の安倍かからして内向きですから、圧して知るべし。消費税を上げるって?田舎の高校生でもわかる「デフレ」の津波、、ははは、、伊勢

どこまで下げる?

1000ポイントは下げる。伊勢爺はアメリカの体力を身をもって知っている人間なんです。伊勢

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伊勢平次郎

Author:伊勢平次郎
 
伊勢平次郎はペンネーム。アメリカへ単身移住してから50年が経つ。最初の20年間は英語もろくに話せなかった。英語というのは、聴き取りにくく、発音しにくい厄介なものだ。負けん気だけで生きた。味方を作ることが生き残る道だと悟った。そのうち、コロンビア映画、スピールバーグ監督、トヨタ工場、スバル・いすゞ工場の北米進出、日本の新聞社に雇われた。2013・6 冒険小説You Die For Me アブドルの冒険(邦題)をアマゾンから出版した。昨年のクリスマスには、King of Pepper(英語版)胡椒の王様を出版した。日本、英国、デンマーク、ドイツの読者が読んでくれたわ。妻のクリステインと犬2匹で、ルイジアナの湖畔に住む。

写真は、ハヤブサ F. p. japonensis。カタカナで書かれる。瞬間飛翔速度は、時速300キロという猛禽。

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